ちょっと用事があって、はじめて、国会図書館に行った。
国会図書館の事務員、「ザ・公務員」って感じで、 「あれで月に30万か?」 とシンプルな疑問として思ったよ。
暇なのも好きではあるけど、あの世界にはまったく行きたいと感じなかった。 そんなので一生終わってたら、むなしくて、もっと嫌なこともガシガシ乗り切りたいと思っちゃう、というか、仕事ぐらいガシガシ行こうよ。 僕はADHDだし、我慢できないとこもあるんだよね。
入館するのにいちいち名前と住所を書かないといけないっていうのが、まいった。 しかも、カバンは持ち込み禁止で、ロッカーに預ける。 そして、カードをもらい、それでやっと入れる。
ま、それは防犯のためにしょうがないとも言えるけど。 過剰手間の感も否めない。
本がほとんど閉架式だから、本の請求ナンバーを調べないといけないんだけど、それがまた、一冊に一枚一枚、紙を書かせて、めんどくさいことこの上なし。 紙なんか書かないで、コンピュータで直接請求できるようにすればいいのにとつくづく思う。
それで、その紙をカウンターにもっていき、本を請求してもらう。 そしたら、すぐに本が出てくる、はずはなく、30分ぐらいは待つ。 「ザ・公務員」 そして、本が出てきたらやっと読める。
分野ごとに、開架してる部屋もあるけど、そこの事務員がまた、暇そう。 別に貸し出し作業やるわけでもなく、30分に一回ぐらい話しかけてくる利用者に対応するだけ。 「ザ・公務員」!
本は全部持ち出し禁止だから、当然必要なところはコピーをとるよね。 そのコピー代、なんと一枚30円! しかも、自分でコピーできない。 人件費一枚20円+αってこと。 「ザ・公務員」 と思ったけど、よく考えてみれば、遊園地だって入場料を安くして、レストラン&おみやげでもうけるって構造はある。この方法は、ある意味、賢いのかもね、癪だけど。
もっと、機械化進めろよ! 無数にある小さな箱に、紙のカードがどっさり入った検索室なんて、誰も利用してないから、もうなくしていいよ。コンピュータだけで。
あと、事務員をすべてボランティアに! 絶対、本好きの輩が、今の公務員さんより、積極的にやってくれるって! 大丈夫、マックだって社員一人で、あとバイトで一軒もってるんだから。
別にこれは国会図書館の公務員の人が悪い、なまけもの、ぼーとしすぎ、と言ってるんではない。 そうであったって、そんなのは、いい。 ただ、国会図書館のシステム全般のコスト意識があまりにも低いんで、それはやめてくれ、税金は大切なんだから、ってこと!
2001年10月19日(金) |
マンガ読めないシンドローム |
マンガは、苦手だ。
ちょっと前、時間つぶしにマンガ喫茶に一度行ったが、インターネットだけやって帰ったぐらいマンガには縁がない。
小さいころドラえもんのアニメが好きで、それでマンガも読んだりすることもあった。 でも、まともに読んだのは親が買ってきた歴史マンガと、学校にあった「はだしのゲン」ぐらいじゃないか?
自分で買ったマンガは、「クレヨンしんちゃん」の一冊しか記憶にない。 なんで買ったかというと、中一の思春期バリバリだったんで、 「しんちゃんのマンガは、アニメより過激だぜ。」 という友達の言葉に妄想を膨らませながら買った。
感想?やっぱり過激だったyo、そのころは。
マンガ読めない理由をよく考えてみると、たぶんあっちこっち字が散乱してるのが、だめなんだろうと思う。 絵と文字を同時に頭に入れることができないのだ。
そんな、高尚な理由でもない、その能力がないだけで、あまり漫画を読まないのだが、そうすると一番困ることはみんなが当たり前のように知ってることを、知らないということ。
高校のころ、「ドラゴンボールの登場人物を次々言っていく」ゲームをしてたんだけど、みんながみんな、恐ろしいぐらいすらすらとキャラクターの名前が出てきて、 その名前が僕にはまったくわからなくて、「もしかして、僕だけついていけてない?」 と、おそわれた疎外感はかなりのものだった。
だから、 「マガジンは○○しかよむものないよね〜」 と言われても到底ついていけないけど、ゆるしてね。
偏見などが作り出す、錯覚ってよくあるよね。
たとえば、今、アメリカでは、たんそ菌の心配で、みんなガスマスクとかクスリとか買ってるみたいだけど、そういう人に教えてあげたい。
たんそ菌で死んだ人はまだ5人ぐらいしかいないんだよ。 これから広がるかも、って恐れてるかもしれないけど。
その心に付け込んで、悪人なら不安な心を煽って金を巻き上げる。
あなたたちは、これからたんそ菌で死ぬより、交通事故で死ぬ確率の方が何千倍も多いんだよ、そんな心配するなら安全運転を心がけて、エアバックの確認でもしといたほうがいいよ。 自殺でもけっこうな数死ぬから、それも気をつけようってこと。
日本の狂牛病だって同じこと。 まだ、食って影響があったって人さえ出てないじゃん?
僕も、よく錯覚する。実際、今なんか肉食べるのを漠然と恐れたりする。 だから、書いて自分自身を説得してみた。
2001年10月17日(水) |
インターネットに自由を |
インターネットのいいところは、 新しい情報、あるいは知りたい情報を即時に見られ、さらにメディアに操作されてない人の意見を見れるところだ。
それは、万人も同意するところだと思うが、僕がさらにいいと思うとこは、それプラス、もうひとつある。
それは、音が出ないことである。 たいてい文字と写真だけで、楽しめる。 それだから、MP3やら、CDの音声が、ウラで聞き放題なのだ! 好きな情報を見ながら、好きな音楽が聴けるなんて、まったくもって幸せだ〜! ちなみに今は、ゼブラヘッドのアルバムを久々に聴いて、熱くなってた、いや、なってるところ。
でも、時々サウンド流れるのがあるでしょ、ホームページで強制的に。 ガクッときちゃうんだよね。 音楽系サイトで、そのアーティストの曲が強制的に流れてきても、いやだ。 その曲は聴きたくないっ!クリックで選択させろっ!!
フラッシュとか動画も、ロードが長くて、ロード第何章なんだ!と怒りたくなってきて、僕とそのサイトでトラブって、別にムービーなんか強制的に見せるなよ、なんでもないようなことを。 見たかったらクリックするから。 といいたくなる。 (ギャグ貧乏ですいません)
2001年10月16日(火) |
モーニング娘。が生み出す悩み |
今日は、モーニング娘。のことでも書いてみます。
この前、モーニング娘狂のバイトの友達と、モーニングの話をしていると、 「りかっちの写真集、あの場面、ぐふふ、きゃわいぃ、ぐふふ。」 と石川の写真集の一場面を思い出しながら、マジで照れていました。 僕は、ごめんと思いながらも、ぐぐぐっとひいてしまい、よっすぃ〜なんか、りかっちなんか、あいぼんなんか、そんなのどうでもいい、ってふうになってしまいました。
でも、家でモーニングが出てるテレビを見ていると、妹がいちいちつまらない、つまらない、というのにうんざり。けっこう、その番組は面白いと思っていただけに、嫌な気分でした。
だから、自分はモーニング娘。が好きなのか、嫌いなのか、よく分からないので、ま、たぶん一般20代男性並に、じゃっかん好きだと思うのです。
モーニング娘。の人気がなくなるまでは、このもやもやとした「悩み」は続きそうです。 だから、人気がなくなってほしい、と思いつつも、やはり、まだ見ときたいという、これまた相反する想いがぐるぐるしてます。
ps 新メンバーでは、高橋愛さん、目が透き通ってかわいいよ。注目してます。 新メンバーの中では、ダントツの人気らしいし。 って、かなり詳しいじゃん?おれ。
まあ、これは精神にちょっと異常があるのかもしれないけど、こういうことも僕には、ある。 強迫神経症のひじょうに軽いもの、なんだろうか?
「山手線の中から、もう3ヶ月も出てない、息苦しい、出ないと、出ないと」 と前、新宿にすんでいるときには思った。 そう思うと、もう出ざるを得ない。 そしてそのときは、自転車でかっとばして新宿の西口までいくと落ち着いた。 「出た、出れた。山手線という柵から、出れたんだ。」 と安心してしばらくは安定できた。
もう、今は池袋線の片田舎に住んでいるんで、そんなことはないと思っていたが、ところがあったのだ。 「ああ、もう2ヶ月も池袋とか、あっちらへん行ってないよ!息が詰まりそうだ。新しい電化製品がビックカメラに来てるだろ、いけてる音楽がウェーブで発売されただろ、新しい本がジュンク堂でドロップされてんだろ、でもチェックできない!生き地獄だ!!」 と思ってしまったのだ。 それで、学校が始まる1週間ぐらい前に定期買って、一路池袋へ。 行くだけで、いや電車で池袋に向かうだけで異常に落ち着いた。
読んでくれてる貴方には、まさかそんな経験ないでしょう。 でも、あるあるという声が聞きたい、それが支えになる、あったら聞かせていただけないものか、と切に願っています。
2001年10月14日(日) |
しゃべり場に参加させてよ、ハニー! |
しゃべり場、今回はおたくについて考える、ってことだった。
ゲーム好きのナガミネ君が、孤軍奮闘、猛烈な勢いで偏見と戦っていた。
まあ、この見方はゲーム好きの偏見で、正確には ゲーム好きのナガミネとか言う、おたくの人が、猛烈な勢いでゲームのよさを語っていたが、最後に自分のトラウマに触れられて、ちょっとヤバいことになってしまって、最後はナガミネ君、その生き方だってあながち間違ってはないよ、元気出してよ、自殺するなよ、と大フォロー大会になってきた。 というところか。
結局はゲームなんて現実逃避の要素が多分に入ってるんだよ。だから、議論になると弱い。 でも、逃避と分かっていてやっているんなら、それはそれでいいじゃない?
僕もゲーム大好きで、キグルイピエロのようにゲームをやるのだが、(ギャルゲーはやらないのだが)
ああいう場って、必ず「部屋にこもって、一人でゲームをやってるのって楽しい?」 って質問が来る。 ゲームやってる人のほとんどは、人の中でしゃべってると心底疲れるタイプが多いと思う。 「ああ、あんなこと言っちゃった。オレってだめな人間と思われたんだろうな。」 とか、20分もそこにいると10回ぐらいはそんなこと思っちゃう人が。 自意識過剰は分かっているのに、なおらない。 それに比べりゃ、ゲームはむちゃくちゃ気が楽。けっこう楽しいし。
あと、「〜してて楽しい?」という質問自体、問題があって、
さわいで、夜遅く帰って、深夜2時、一人部屋でゆっくりしてるとき、 だれからか 「みんなでわいわいやってて、それだけで時間が過ぎて、一日一日消えていく。そんな空虚の積み重ねしてて楽しい?」 なんて、しんみり言われたら、 「ほんとに楽しいことなんだろか…」 ってなっちゃうんだから。
しっかし、あのナガミネ君の最後に言った言葉がとてもうれしかった。じーんときた。 「僕はゲームを捨てません!」 と。 絶対に、彼はいいプログラマーになるよ。
コーラはペプシとこだわっていたけど、最近都合のいいところにはコークしか置いてないので、やむなくコークを飲んでいたら、結構うまくなってきた。
どうなのだろう、確かに味は違うけど、コークはシュワッと感が強く気持ちいい。 ノーリーズン、なんてCMには押し付けがましくて、そんなの理由あったってなくたっていいだろ、おせっかいなんだよ、ばばあ、 さらに別におら、桑田すきじゃないよ、って少々うんざりするが、味はコークもいいじゃん。
それにしても、ペプシは味も、缶のデザインも、おまけも、コークと双璧をなすぐらい完成度が高いのに、なんで売上げはあんなに違うんだろう?たしか8:2ぐらいじゃなかったっけ。 もう、負けイメージが定着したのか?セガのように。 そうそう、セガはついにハードを失っちゃったね。
ペプシも、もうちょっとがんばってほしいと思いながら、ただただこだわりもなく、コークを飲む僕であった。
PS 猿の惑星でのさりげない比較広告、「青信号で渡れ」は面白かった!
2001年10月12日(金) |
だめ街道まっしぐら。 |
だめだめ。
太宰治の思想、世界観影響を受けまくりの、いまどきかっこ悪い代物しか日記に書けない。 ほんとにいまさらって感じで、情けないよね…。
日記、やめようかと思ったが、それも記録として残すこともありかと。
やっぱり、5冊ほどいっぺんに読んでしまったのが、悪かったか? あの、自分にだけ語りかけてくるような柔らかな文章。 読みやすく、ずぼずぼはまり込める。そして内容は、すべてに強く共感できそうな、しかし、時々油断すると、とんでもないこと言ってて、強烈な拒絶したり。
感染力というか、脳内浸透力は強力なものがある。
「トカトントン」の音を頭に思い浮かべては、この日記を破棄したいと思い、「佐渡」に無意味に行って、切なくあほらしくなってみるのもいいと思ったり、自伝的短編「思い出」を読んで女中のある暮らしにうらやましくなったり。
でも、「畜犬談」は、かなり面白かった。interestingではなくfunnyって意味では唯一。 結末も清涼感あるし。 ま、これは気持ちが暗くならないから、万人に読んで欲しい。 文庫本の「きりぎりす」に収録されているので、良かったらぜひ。
でも、個人的には暗い小説が、ほんとの快感だったり。女の人が主人公で悩みを告白する形態のやつが特にいい味だしてる。
悲劇、ホラー、バットエンド、好きだから。
この前、テレビ見ていたら(最近よくテレビ見るよな、パソにつけたのが、間違いだったか)お年よりは水戸黄門みて脳内が活性化する、という実験をやってた。
水戸黄門興味ある人にとっては、水戸黄門の映像は脳を活性化するらしい。 その実験されてたおじいさんも、印籠登場時には、脳がまっかっかで、血流大活発だった。
しかし、次回から始まる新ドラマ「こちら第三社会部」の予告が始まると急に脳が真っ青。頭が活動停止したようだ。
僕に当てはめてみると、マリオカートやってるときの脳はかなり燃えたぎってるんだろうと思う。 だって、少しでもミスったら、基地外のようにリセット、リセットで、またスタート、リセット、スタートで、どんどんやめられなくなってくるから。 きのうの晩も、ゲームボーイを握りながら、眠りそうになった。
そして、逆に真っ青状態なのは、テンション高い人々がわんわん盛り上がってる場所。 先天的にテンション高くうまれてきたような人が二人以上いると、そしてその人たちが熱いトークをしていると、もう、それはそれは盛り下がってしまう。
テンション高い人は一概に苦手ではないけど、「熱い人」は、ものすごく苦手。今のバイトのマネージャーなんか、「熱くて」近くにいると息が詰まって窒息しそう。 って、こういうこと言うと、「お前の生き方、ぬるくてきにいらね〜、理屈こねくるよりも俺の言うこと聞いてからいっぱしの口利けよ!」みたいなこという。 間違いない。僕が簡単に読めちゃうほど単純だ。 まあ、こう腹立ってるときには、脳はものすごく活性化してるんだろうけど。
ちなみに、 テンション高い+自分の価値観押し付け=「熱い人」 って定義だから。
こういうのが世にはばかる人間社会(現代だけではない)だけど、何とかがんばっていこう!!オー!!
2001年10月07日(日) |
つまらないので無視していいよ |
「私は家庭にあってはいつも冗談をいっている。それこそ心には悩みわずらうことの多いゆえに、おもてには快楽をよそおわざえるを得ない。いや家庭に在る時ばかりでなく、私は人に接する時でも、心がどんなに辛くても、からだがどんなに苦しくても、ほとんど必死で楽しい雰囲気を創ることに努力する。そうして、客とわかれた後、私は疲労によろめき、お金のこと、道徳のこと、自殺のことを考える。」
ある作家はこういうが、誰だってそうなのではないか? それを、表に出すのは、すごくやらしい。 そして、そういう自分にうっとりしているやつは、吐き気がする。
2001年10月06日(土) |
大食いはスポーツだ! |
ここ数日は、日記を書くようなアウトプット作業より、インプット作業に傾いていた。 テネシーウィリアムズの戯曲、「ガラスの動物園」 太宰治の「斜陽」「晩年」 講談社現代新書の「人生の価値を考える」 中公新書の「孤独の世界」 なんてダークで感傷的になる本ばかり読んでしまった。 しかし、ぜんぶ、濃い内容で、心が揺さぶられるようなこともあった。
そんな中、それと同じくらい、いやそれ以上に揺さぶられたものがある。 それは、 TBSテレビの 「フードバトルクラブ」 である。
大食いはエンターテインメントという理解が、これをみて、れっきとしたスポーツとなった感があった。
まず、小林尊の大食いサイボーグとなった体つきに、ぞっとした。 いままではここまで徹底して大食いに向き合った人間はいないと思う。 卵を一飲みする強固なのどをつくるため、のどやその周りを、ジムで猛烈に鍛えていた。 また、咀嚼力向上のため、コチコチの冷凍パンを毎日食べていたり。 こいつ、マジだぞ! と、恐ろしくなった。
もう、歳いってる赤坂さんや新井なんかは、かなわない域に達してしまったのだ。
しかし、前回優勝のその大食いサイボーグを、白田という、淡々とした巨大な大食い野郎が破って優勝した。 意外な結末に、しばらくは思考が止まってしまった。
「テレビチャンピョン」の一企画から発祥した「大食い」を、ごてごてしたルールと華美なスタジオ、過剰な演出、で台無しにしかけた「フードバトルクラブ」だったが、大食いの有名どころが一通りそろって、また前代未聞の高額賞金もあいまって、参加者の真剣さが高まり、うまく昇華できた。 今度は、演出は今のままでいいが、もっとシンプルなルールで、やって欲しい。
次回が楽しみだ。
2001年10月03日(水) |
内定式の感想いまごろ。 |
今頃、書いてみるけど、10月1日が内定式だった。 風邪のピークだったが、ここは行かなきゃ男が廃るということで、片道2時間の小旅行に出発!
新社屋のロビーは大理石の壁で、セキュリティーは指紋で管理、だとかすごく羽振りのいい会社かと思いきや、出てきた昼飯は、社員食堂の300円の弁当と給茶機のお茶のみ。
微妙だなぁ。
それから、会社の人から内定者に向けて、 「社会人になったら、自己管理能力が大切です。」 と何度も言われた。 普通じゃ、流せるこの言葉が、その時は心にきりきりと痛みが走る。
「こんなときに風邪引いてる馬鹿は内定取り消すぞ、おら!」 という意味がありそうで。
もちろん、ひーひー言うのを、気づかれないようにする以外ない。 社長、役員との面談があるという過度の緊張と、ぜんそくの息苦しさで、途中帰りたくなった。 でも、「ここで帰ったら、次の集まりじゃ、絶対かぜひけないな。」という気の弱さが逆に幸いして何とか行けた。
ああいう集まりに行くと必ず、 「今度から、もっとアクティブになろう!爽やか健康スポーツボーイ目指すぜ!!」 と思う。 「趣味は、インターネットとTVゲームと音楽です。」なんて真実言ったら、暗いヤツと思われるんで、初対面ではなるべく言いたくない。
アクティブに! 「水泳には週に2回は行ってみよう、極度のゲーム中毒から脱しよう、音楽番組を見るのは週3回までにしよう。」 と思ってる。
できるかな?
p.s. my referer見ての感想。 ガクトで、検索してくる方、僕のホームページ見ても何も書いてありませんので、あしからず。 やけにGOOGLEの検索で前の方に出るのは申し訳ないけど、僕がやったんじゃないしー。 でも、こんなにガクト検索の方がいたら、ガクトのネタを少々書き加えないと。
ガクトは、沖縄県出身だよ。まじで。 そんなの、ファンなら知ってるか…。
思いっきり、かぜ。 家にこもっている。
暇で暇で、しょうがない! 同じことをずっとしてるのに耐えられない、ADHDっぽいぼくとしては、ずっと寝てるってのは、地獄そのもの、筋肉の無限地獄だ。
そこで、今回は「注意力散漫な日本の私」について、いつもより多めに語ってみたい。
私が、学校の通知表で書かれる決まり文句は、 「寡黙(まあ、無口ってこと)」 「時々、いい発表をするのだが、授業中は、仲いい友達とのおしゃべりが目立つ」 「机の周りが片付けられない」 だった。
「寡黙」は関係ないとしても、ほかは見事に注意力の欠如ということではなかろうか? 少なくとも、勉強を20分以上集中してやったことがない。 ビデオにとった映画が、いくら面白くても、20分以上見れない。 本を読むんでも、3,4冊をかわりばんこに読む読み方しかできない。 行列には並べない、特にメロンパンごときで並んでいるのを見ると、人種が違うと思ってしまう。
でも、最近いい病気が出てきたよな〜! ADHDっていう!! なんだ、オレのマイナス面、ぜんぶ病気のせいなんだ、おらおら、こんなんクスリ飲んだらよくなるんだよ!!!完璧人間になっちゃうんだ!どーだ、まいったか、わっはっは。
とは考えられないんだよね。 「…マイナスの多い性格全部、病気のせいにしていいの?」という怖さがある。 しかも、注意力がないのだって、個性の一環として認められないことが前提となってしまったようで不安だ。 怒りっぽいのも病気、妄想することが多いのも病気、人まねばかりするのも病気、鈍感なのも神経質なのも病気じゃ〜ね! それがみんななくなっちゃったら、面白みのない社会になりそー。
いまさら太宰の「斜陽」をよんでいるのだけれど、平成7年時点で94刷と、鬼のように売れてること判明。 もう共同概念になってるのかな。
それじゃ、斜陽を読んだ私(わたくし)の一言感想でも、いってみようか。
女の貴族は茂みに入っては立ってションベン、入っては立ってションベンするのが常識っていうけど、スウプお母さまって、日本人だろ、そこまで、かぶれなくても。。
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