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2025年06月30日(月) やるなら今しかねぇ!

今日で6月が終わりました。6月は本当に頑張りました。朝の仕事を始めましたし、個人レッスンも出来るだけ頑張って依頼を受けるようにしました。未来の自分のために、道場の未来のために、家族の未来のために、今自分が出来る事を全力でやろうと思います。長男と次男に私の好きな曲を聴かせました。その曲は長渕剛さんの「西新宿の親父の唄」です。その曲の歌詞の「やるなら今しかねぇ!やるなら今しかねぇ!六十六の親父の口癖は、やるなら今しかねぇ!」と言う所がとても好きです。その曲を聴かせてから、私が熱い気持ちで、長男に「お前はいつやるんだ!」と聴いたら、長男は「明日!」と言いました。もういかりや長介じゃないけど「ダメだコリャ!」と言ってしまいました。まあ長男らしいの言ったら長男らしいと思います。嘘で「今しかねぇ!」なんて言われてもですし、でもいつか、やるなら今しかねぇ!って時が来ると思うので、その時にこの曲の事を思い出してくれたら嬉しいと思います。


2025年06月29日(日) 2025年夏季昇級審査会と支部内交流試合が終了

私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の2025年夏季昇級審査会と夏季極真ルール組手競技支部内交流試合が終了しました。審査会も支部内交流試合も参加人数が減ってきてしまっていますが、初めて昇級審査を受けた道場生が2名いましたし、今年は入門者も順調に増えているので、来年ぐらいには、また審査会も支部内交流試合も参加人数が増えて来ると思います。試合後には一般部に参加したいと言う少年部の生徒が2人いたので、また道場も発展して行くと思います。2025年もこれで半分を終了した事になります。あと半分も頑張って行きたいと思います。


2025年06月28日(土) 琥白の中学生最後の試合

道場がお休みだったので、長男の野球の試合を初めて観に行く事が出来ました。場所は大田スタジアムで大田区大会の3位決定戦でした。長男にとっては、これが中学生生活最後の試合となります。長男は勉強もしないし、空手の稽古もサボっていますし、学校へも毎日ギリギリに起きてギリギリに家を出ていきます。でも休みの日の野球にだけは朝4:30に起きて行ったりします。夜も遅くまで外で素振りをしたりしています。練習もサボらずに頑張っていました。努力しているのを知っているから、最後ぐらい試合に出れると良いなと思って見ていました。試合前に長男が練習している姿を見て、野球をしている時は楽しそうでとてもイキイキとしているなと思いました。けっこう良い動きをしていました。好きは物の上手なれと言うことかなと思いながら見ていました。長男は最初は3塁のコーチャーをしていたので試合には出れないのかな?と思っていましたが、5回裏の攻撃の時に8番菅野と掲示板に名前が載り「8番菅野、背番号11」とアナウンスされました。琥白が以前、私に「大田スタジアムで自分の名前が電光掲示板に出て、自分の名前がアナウンスされたら凄いよね!」と言っていたのを思い出し涙が出てきました。夢を叶えた瞬間を琥白はどう感じているのだろうと思いました。結果は三振でしたが、自分の今までを込めたフルスイングだったと思います。試合は負けてしまいました。試合後の長男はとても悔しがっていました。帽子を地面に叩きつけて悔しがっていました。(良い態度ではないので説教しました。)あんなに感情をあらわにして悔しがっている琥白を私は初めて見ました。野球を初めてから一生懸命に練習して来た事や休みの日に朝早く起きて試合に行っても試合に出れなかった事や今までのいろんな事が溢れ出たのだろうと思いました。最後に野球場で記念撮影が出来ると言うので写真を撮りに行きました。琥白は良い顔をしていました。1つ成長したのかな?と思いました。最後の回であと一人でもう1度バッターボックスに立つチャンスがありましたがランナーに出ていた選手がアウトになり、琥白の出番は無くなってしまい試合が終了しました。その事を琥白に聞くと「その前の打席で自分が打っていたら1人打者が進んだわけだから、前の打席で自分が打てなかったのが悪かった」と言っていました。団体競技から学べる事もたくさんあるんだなと思いました。琥白の頑張っている姿はとても輝いていました。「琥白、本当にカッコ良かったよー!琥白が頑張っている姿を見てとても幸せな気持になりました!そんな瞬間を僕にくれてありがとう!」


2025年06月27日(金) 個人レッスン

外部からの個人レッスンの依頼が増えて来ました。習う人のニーズに応えて指導するのはとても楽しいです。相手の求めている事を教えるために、自分の経験と知識から稽古メニューを作って指導して行きます。またその人の躓いた所で立ち止まって、それを改善する稽古をまた考えて指導して行きます。そうすると同じ技を教えるにもその人その人によって全然変わって来ます。これがお釈迦様がその人その人に教える時に用いた方便と言うものなのだなと思いました。普段の稽古では10名〜20名で稽古するので、皆のことを考えて稽古を進めて行きますので、1人が出来ないためにずっとその稽古をするわけにも行きません。でも個人レッスンはその人その人に寄り添って稽古を進められるので、私もいろんな引き出しから稽古方法を考えて稽古を進めて行きますし、その人が出来るまで教える事が出来るので、教えていてもとても楽しいです。


2025年06月26日(木) ハマった漫画

私が今までで最高にハマった漫画を書こうと思います。今日はランキング形式でも読んだ順番でもなく思いついた順に書いていきます。「リングにかけろ」「風魔の小次郎」「男坂」「聖闘士星矢」「キン肉マン」「ブラックエンジェルズ」「キャプテン翼」「Dr.スランプアラレちゃん」「ドラゴンボール」「北斗の拳」「嗚呼男塾」「幽遊白書」「レベルE」「HUNTER×HUNTER」「ジョジョの奇妙な冒険」「NARUTO」「ジャングルの王者ターちゃん」「珍遊記」「スラムダンク」「ろくでなしブルース」「ルーキーズ」「天地を喰らう」「ワンピース」「呪術廻戦」「鬼滅の刃」 「とってもラッキーマン」「3年奇面組」「ハイスクール奇面組」「るろうに剣心」「ダイの大冒険」「激極虎一家」「花の慶次」思いつくままに書きましたがこんな感じです。とりあえず今日は週刊少年ジャンプの作品を書いてみました。


2025年06月25日(水) 1つの事を長く続けるには

私は15歳で空手を始めました。なので空手歴は37年です。あと3年で空手歴も40年です。何故今まで1つの事を続けて来れたのか?先ずは本当に好きだからです。本当に好きじゃなかったら稽古での苦しい事や辛い事に耐えられなかったと思います。そして本当に好きだから生活面での金銭的な苦労や稽古以外での理不尽な事だって耐えて生き残る事が出来のだと思います。次は空手しか出来る事が無かったからです。貧乏な時や試合で結果が出なく自分の人生に悩んでいた時に、他にお金を稼ぐ方法があったり、他に生き甲斐を見つける事が出来たらそちらに行ってしまったかもしれません。器用な人はみんな空手を辞めて違う道で成功して行きました。私にはそんな器用さも能力も無かったので、この道で頑張るしか方法が無かったと言えるのかもしれません。そして最後に自分の好きな事を職業に出来たからだと思います。もし他の仕事をしてお金を稼いでいたら趣味どころではない状況になり辞める事になったかも知れませんし、仕事が終わって毎日稽古が出来た訳ではないと思います。ジムや道場や習い事を休んだとしても、どんな人も毎日、仕事には行くわけですから、もし習い事や趣味が仕事だったら、みんな毎日、それを出来たのかも知れません。私が言いたいのは、1つの事を長く続けたければ、自分が本当に好きな事をやる。それしかやりたい事がない、それしか出来ないと言う人間になる。自分の好きな事を仕事にする。これが大切だと思います。


2025年06月24日(火) 技術委員会

遂に6月も終盤となりました。朝の仕事のあと急いで渋谷へ行き代官山道場で技術委員会の会議でした。技術委員会では極真会館の技術や稽古体系や礼法や道場でのマナーなどの組織的なスタンダードを作って後世に残して行く作業をしています。そこに自分も関わる事が出来てとても光栄ですし頑張らなくてはいけないと思っています。極真会館が残らなければ私の運営する道場も後世に残す事は出来ないと思っています。悲しいかな単体の道場は組織のルールに縛られず自分の好きな我活動が出来て自分の利益のために活動が出来ますが、自分がこの世から消える時にはその道場も消えて行ってしまうと思います。余程の規模の組織と活動して行く理念や意思があって、後世の人が習いたいと思うほどの稽古体系や技術体系や競技体系や競技大会を持っていなければな100年200年、組織を残す事は出来ないと思います。自分がいなくなったあとに世の中がどうなるか?は分かりませんが次の人達にバトンはしっかりと繋ぎたいと思っています。


2025年06月23日(月) 死を身近に感じる

葬儀場で掃除の仕事をするようになり、お葬式を身近に感じるようになりました。人の死をより身近に感じるようになり、おそらく自分が死んだ後もこんな感じなのだろうと考えたりする事が多くなりました。子供達が20歳になるまでは絶対に死ねないと思っていますが、次男が20歳になる時は私は60歳です。それから10年生きるか20年生きるかは分かりませんが、今まで生きて来た時間よりは残された時間は圧倒的に少ないなと思います。だからこそ一生懸命に生きなければ行けないと思い、毎日頑張って働いています。


2025年06月22日(日) 空手での不思議な体験3

空手での不思議な体験をもう一つだけ書きたいと思います。空手での不思議な体験シリーズはこれで終わりとなります。最後は2000年に行われた第32回全日本空手道選手権大会に27歳で出場した時の事です。3回戦の住谷統選手と対戦した時なのですが、延長2回まで戦ったのですが、動いても動いてもとても心地の良い苦しさで、技をもらってももらっても心地良い痛みでどんどん闘志が湧いてきて、延長戦2回目のラスト30秒と聞こえた時も「あ〜もう終わってしまうんだ〜!もっと戦っていたいなー!」と思ったぐらいでした。ランニングしていてランナーズハイになったのと似ていると思います。この感覚はこの後に4回体験しました。これもとても不思議な体験でした。


2025年06月21日(土) 空手での不思議な体験2

空手での不思議な体験をもう少し書こうと思います。これは試合での体験なのですが私が25歳の時に1998年4月の千葉県大会で野地竜太と対戦した時に起きました。延長戦2回目の時に私は限界だと思うぐらい苦しくなり「あ〜もう限界だ。」と心のなかで呟きました。そしたら自分が自分に話しかけてくるような感じで「こんなチャンス2度とないぞ!ここであきらめたら何のために東京に来たんだ!もう一息だ!頑張れ!」と自分が自分に言って来たのです。それが試合中に何度もありました。自分と自分がずっと会話していた感じでした。自分が自分に励まされながら戦っている感じでした。そしてその自分と自分の会話をもう1人の自分が眺めているような感じがしました。とてもとても不思議な体験でした。でもその後9年試合に出ましたが、そんな事は2度と起こりませんでした


2025年06月20日(金) 空手での不思議な体験

私は空手をやっていて不思議な体験をした事があります。先ずは失神した体験です。私は完全に失神した事が3回あります。試合で1回で稽古で2回なのですが、3回ともケースが違うのですが、1回は失神したあとに長い長い夢のようなものを見ていました。その夢ようなものは暗い所を迷いながら出口を探してずっと歩いていました。何故、夢のようなものと書いたのかと言うとそれは夢とは思えないぐらいリアルな体験だったからです。しかも遠くで自分を呼ぶ声が聴こえて、その方向に歩いて行くとどんどん声が大きくなり、目を開けるとみんなが私の名前を呼んでいました。1回は失神したあと気が付くと、失神している自分を少し遠く上の方で見ていて「何で自分は稽古中に寝ているのだろう?」と思いました。みんなが私の周りを囲んでいました。目を開けると同じ感じでみんなが私の周りを囲んでいました。1回は試合で上段回し蹴りをもらい失神しました。急に一瞬意識が途切れて気づいたら試合場で起きたのですが、何故自分は試合をしているのか?がよくわからない感じでした。たぶん前の日ぐらいからの記憶が消えていた感じだと思います。起きたあと医師からいろいろ説明を受けて時分が負けた事を知り、体育館の天井を見ながら泣きました。そしてこれも不思議なのですが、試合場を降りてから1時間ぐらいの記憶が全くありません。相手に挨拶をし控室で1人で座って黙っていたそうですが、道場生とは時折話したりしていたそうです。その記憶が今だに全くありません。ハッと気が付た所から私になりました。道場生から聞くとその間は寝たり失神したりはせず普通に話したり考え事をして何か呟いたりしていたそうです。今考えるとこれが1番怖いなと思います。その小一時間の自分はいったい何だったのだろう?誰だったのだろうと思います。もしかしたらそのまま自分として生きていた可能性もあります。本当に怖いです。残された人には申し訳ありませんし悲しませる事になりますし迷惑をかけますが、意識を失って死ぬのは死に方としては悪くはありません。頑張っている中で一瞬で意識が途切れて終わっているので、怖さも痛さもありません。でもそのあとに自分じゃない自分で生きて行く事になったり、自分が誰なのかよく分からずに生きて行く事になったり、それまでの記憶が全部なくなり大切な人まで思い出せなくなったりして生きて行く事は本当に怖いです。私はそうならなくて幸運でした。今も健康で稽古出来ている事に心から感謝です。選手は死んでも良いと思って頑張っているのだと思います。でも現実は残酷です。選手を辞めてからの人生のほうが全然長いです。選手の皆さんには自分を大切にして欲しいなと思います。


2025年06月19日(木) 自分のルール

人間関係において自分のルールを人に押し付ける事は出来ません。それは自分が正しいと思う事もです。それが相手のためになると思う事もです。ですが自分の中に譲れないルールがあるなら、それは最初に伝えた方が良いと思います。そうすると妥協するのか、決別するのか、少し距離をとって友好的にするのかを先に決めて付き合っていけるので、喧嘩になって絶交する事はなくなります。それは組織も同じです。その会社や道場やジムや施設には最初からルールがあるのだから、それを守りたくない人はそこに入るべきではないし、途中で守りたくなくなった人はそこを去れば良いだけです。もし妥協してでも続けたいと思うなら妥協して守れば良いだけです。でも個人の人間関係においては最初に自分の譲れないルールを伝えあって、お互いに相手の譲れないルールを妥協していけば上手く行くと思います。そしてなるべく人とは協調し合って行きたいと思っています。


2025年06月18日(水) 気の持ちよう

私は6月から仕事を始めたので朝は6時20分に起きています。私は52歳にして開眼した事があります。それは朝起きた時に「眠いな〜、起きたくないな〜。」と思わなくなった事です。じゃあ朝はシャキッと起きて元気いっぱいなのか?と言うとそう言う事ではありません。ぶっちゃけて言うと眠いです。私は52年生きて来た訳ですが、眠くない朝は1度もありませんでした。起きる時はいつも多少なりとも眠いです。なので眠いのは当たり前だと思うようにしました。何時間眠ろうと起きる時は眠いものだと思うようにしたのです。そしたら、朝起きるのがキツくなくなりました。またいつも通りに眠いだけだから、今日もいつも通り頑張ろう!と思って、サッと起きれるようになったのです。朝は眠くて当たり前、朝はダルくて当たり前、そう思ってしまえば、朝もそんなには嫌ではなくなるものです。結局は気の持ちようと言う事だと思います。


2025年06月17日(火) 今の自分を変えなければ

今の自分を変えなければ、おそらく未来の自分はそんなに変わっていなく、自分の未来も今とそんなに変わっていないのだろうと思う。今だけのために頑張るのではなく、未来のために頑張らなくてはいけないと思います。今の自分が1番輝いていると常に言える自分でいたいと思います。今の自分が過去最高の自分だと常に言えるように頑張りたいと思います。だから昔の自分になんて絶対に負けたくありません。昔の自分に今の自分がもし負けるのなら、その時から今まで生きて来た自分の人生はいったい何のために生きて来たのだろうと思ってしまいます。だから常に頑張って生きて行きたいと思います。その気持はたぶん60歳になっても70歳になっても80歳になっても90歳になっても100歳になっていたって変わらないだろうと思います。これからが本当の戦いだと思っています。


2025年06月16日(月) 身の丈

人の人生は身の丈にあっているのが1番だと思います。私の人生はまさに身の丈にあった人生を歩んでいると思います。身の丈にあわない物を身の丈にあわない時期に手にしていたら、それを失ってしまうか、もしくはその事で身を持ち崩していたか、大きな失敗をしていたと思います。そう考えると私は本当に運が良いと思います。大きな物を手にしたいなら自分の身の丈を大きくしていかなくてはいけません。私は今でも自分の身の丈を大きくしようと頑張っています。


2025年06月15日(日) 15日なので

今日は15日なので 鷲神社に参拝し道場の神棚の榊、米、塩、酒、水を変え神前に手を合わせ、個人レッスンを行いました。自分のトレーニングや稽古もしました。休みの日は自分のやりたい事に時間を使える貴重な日です。休みの日も空手の指導をしていると言う事は空手の指導は私にとって自分のやりたいことなのだと思います。


2025年06月14日(土) 貧しても鈍しないように

やりたい事はやれば良いと思います。やろうと思って行動をすればやりたい事は必ずやる事ができます。でもそのやりたい事をやるためには、やりたい事の倍以上やりたくない事をやらなければいけなくなります。やりたい事だけをやって上手く行った事は私はありません。そのやりたくない事を倍以上やる事が出来る人が自分が本当にやりたい事をやるという事を実現させられる人だと思います。私が今、恐ろしいと思う事は日々の日常やらなければ行けない事に追われて自分が本当にやりたかった事を忘れてしまう事です。やりたい事のためにお金を稼ぐ事はとても良い事だと思いますが、贅沢をしてお金が無いために身を粉にしてお金を稼ぐだけで1日が終わり、自分が本当にやりたかった事をやらずに人生が終わってしまうなら、その人の人生に、生きた意味はあったのだろうか?生きた証は残せたのだろうか?と思ってしまいます。十数年前に親友化から「貧すれば鈍する」と言う言葉を教えてもらいました。貧乏になると、精神的な働きが鈍くなる、と言う意味です。お金がないと幸せに生きる事は出来ません。やりたい事も出来ません。だから必要なら身を粉にしてお金を稼ぐ必要があります。でも仕事に疲れて残っている時間を無駄にしてしまっては生きている意味が無くなってしまいます。貧しても鈍しないように心がけたいと私は思っています。やりたい事のためにやりたくない事を頑張って、残った時間は本当にやりたい事の準備をして、お金を無駄遣いしないでしっかりとお金を貯めて、いつか本当にやりたい事を実現させたいと思います。


2025年06月13日(金) カルペディエム

「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える。」という言葉が好きな事を少し前に書きました。この言葉とセットで私は「カルペディエム」と言う言葉も好きです。この2つの言葉は私の中ではセットです。「カルペディエム」とは今を生きるとか今を楽しむとか今と言う時間を謳歌して生きると言う事です。りんごの木を植えると言う事は私の中では今を生きると言う事です。今という時間を一生懸命に生きる事が後にその一生懸命に頑張った事が実りりんごなるのだと思います。今、一生懸命に頑張っている自分を未来の自分が、あの時、頑張って、りんごの木を植えた自分がいたから今、自分はりんごを手にしているんだ、そしてそのりんごのおかげでたくさんの人が幸せになっているんだと、りんごの木を植えた時の自分に感謝していたいです。今という時間を一生懸命に頑張って謳歌する事でりんごが出来ると思っています。そして今を楽しみたいと思います。今を一生懸命に頑張るという事は今を謳歌する事は決して楽しい事ではありません。じゃあ「カルペディエム」じゃないじゃないか?!と思うかもしれません。たしかに今を一生懸命に頑張るという事は苦しい事も辛い事もあります。でも頑張っている時は充実していますし希望があります。これを頑張ればいつかこうなれる!と言う希望を抱いて頑張っていれば、それはとても楽しくなります。今日は朝7時半から10時半まで仕事をし、11時10分から13時までウエイトトレーニングと柔軟体操と呼吸法と瞑想を行い、14時30分から15時20分までランニングをし、16時から20時50分まで通常の指導を行い、21時から22時30分まで個人レッスンを行いました。本当に今日を頑張ったと思います。今を生きたしりんごの木を植えたと思っています。今を一生懸命に生きる事が今を楽しむ事です。それが私のカルペディエムです。


2025年06月12日(木) ひとくずを3回目

「ひとくず」3回目を見ました。何回見ても泣いてしまいます。この作品を見ていて本当に昭和を感じます。作品の中に出てくるエピソードは私の身近にたくさんありました。金政を見ていると私の父と少しダブってしまいます。長男もこの作品を見ましたが、長男も感動したと言っていました。


2025年06月11日(水) 起承転結

当たり前の事ですが、今という瞬間は今しかありません。私は時間と言う物がどう言う物なのか?は分かりません。もしかしたら時計のようにグルグルと回っているのかも知れませんし、螺旋階段のようになっているのかも知れませんし、一直線のようになっているのかも知れませんし、もしかしたら時間と言う物は無いのかも知れません。私には分かりません。分からないのですが、やはり漠然とですが、自分の生きている時間は生まれた所から死ぬ所まで一直線だと思っています。何故ならば自分にとっては同じ年も同じ日も同じ時間も無い訳で、毎年が新しい年で毎日が新しい日で一瞬一瞬が同じではない大切な物だと思うからです。どこを切り取っても私にとって無くてはならない大切な一瞬です。死ぬ時だって私にとっては自分の最期という大切な一瞬です。その大切な一瞬を同じような物にならないよう一生懸命に生きたいと思っています。私が死ぬ時に人生を振り返り、自分の人生にしっかりと起承転結があって欲しいなと思います。


2025年06月10日(火) 何かを始める事に

私は何かを始める事に早いとか遅いとかと言う事はないと思っています。たとえそれが死ぬ前の日だったとしても私はやりたい事があるならやるべきだと思いますし、始めたい事があるなら始めるべきだと思います。死ぬ前の日にやりたい事があるなんてそれはそれで素晴らしいのではないかと思います。私の好きな言葉に「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える」と言う言葉があります。何かを始める時に、始めるには遅いからと言い訳をして始めなかったら自分も未来も変わりません。結果を考えてしまうから始めるのが遅いなどと思ってしまうのです。結果など考えないで始めて見ればよいのです。今の自分はこれからの自分の人生で1番若い自分なんです。何かを始める事には希望があります。何かを始めれば必ず自分も変わって行き、そして未来も変わって行きます。そんな希望を持って結果の事なんて考えないで勇気を出して一歩踏み出して何かを始めて見て欲しいと思います。始めたいと思った自分の素晴らしい情熱を無駄にしないで欲しいと思います。私も6月から新しい事を始めました。自分のために、妻のために、長男のために、次男のために、道場のために、生徒達のために、自分の未来のために、私は毎日汗水をたらしてりんごの木を植えて行きたいと思います。


2025年06月09日(月) 久しぶりに

昨日、ボクシングの試合を観ていました。増田陸選手の試合がとても凄かったです。1ラウンドの87秒で左ストレート一発ノックアウトと凄かったのですが、試合の前や試合中や試合の後の振る舞いが本当に素晴らしかったです。勝ったことに浮かれるような態度も見せず、相手に対する尊敬や感謝の気持ちも見えて、試合場を降りると試合場に礼をし、花道ではお客さんに礼をして帰っていきました。とても好感が持ててファンになってしまいました。格闘技が好きな人には、選手のそう言う立ち振舞までをよく見て、称賛を送って応援して欲しいなと思います。私は堤聖也選手も好きなので、2人の対戦が実現したらどちらも応援したいと思います。


2025年06月08日(日) けっこう大人

長男とも次男とけっこう大人の会話が出来るようになって来ました。プロ野球の事を話したら長男にいろんな事を教えられるし、映画の話をすると次男の方が私より内容を理解していて、いろんな事を教えられたりします。もう2人ともすっかり大人です。叱る時も頭ごなしにものを言っても理屈で返されてしまいます。特に長男はもうそれなりに大人のあつかいをしてあげなければ行けないんだろうと思います。でもやっぱり長男も次男もまだまだ子供のバカさズルさダラシなさがあるのでそこは親としてしっかり叱ってあげなければいけないと思います。


2025年06月07日(土) 俺は幸せだー!

妻と少し言い合いになり、プチ家出をして六郷神社のお祭りに行き、そのあと居酒屋で1人でお酒を飲みました。帰りに疲れてベンチに座っていると長男と次男が私を迎えに来てくれました。とても嬉しかったです。長男と次男と歩いている時に「俺は幸せだー!」って思いました。


2025年06月06日(金) 新しい仕事

新しい仕事を初めてから1週目が終わりました。なかなか大変だなと言うのが感想です。仕事の内容は葬儀場の1階から5階までの男子と女子のトイレを掃除すると言うものです。なので10個のトイレを掃除します。男子は大の便器が1つ小の便器が3つです。女子は大の便器が3つです。そして洗面台が両方2つづつです。4階のみ障害者用の個室トイレがあります。そこも掃除します。床も掃除をします。ゴミも捨てます。消毒もします。最後に使った掃除用具を洗います。1階を約30分で終わらせないと全てのトイレを掃除する事は出来ません。なかなか大変です。でもやって出来ないほど大変ではありせん。コツを掴めばもっと要領良く正確かつスピーディーに出来るはずです。先ずは3年頑張ろうと思います。


2025年06月05日(木) 引退した理由と妻への

私が選手として引退したのは、自分の心も身体ももう限界だと感じたからでした。その頃は疲労で朝起きると毎日ダルい感じでした。そのダルい心と身体を引きずるように毎日頑張っていましたが、ゴールを決める事で自分に残っている力を全て出そうと思い引退をかけて最後の年を頑張りました。ですが自分の思い描いた結果を出す事は出来ませんでした。その時に思った事は「こんなに自分は頑張ったけどダメだったのだから、もう思い残す事はない、でも最後と決めた日から最後の試合まで自分には負けなかったのだから悔いはない、これからは自分が幸せになれるように頑張ろう!」でした。そんな時に疎遠になっていた人と一緒に遊びに行く事になりました。それが私の妻でした。それから連絡を取り合うようになりました。私は現役時代は携帯電話を持っていませんでしたが、妻と連絡を取り合う為に携帯電話を買いました。そして忘れもしない2007年10月28日(日)に妻に告白をしました。その時は車の中でした。次の信号が赤になったら告白しようと決めていました。そして信号が赤になって車が止まった時に妻に「もし良かったら付き合って下さい。」と言いました。その時、車の中はシーンとしていて、自分の心臓の音がドキンドキンと聴こえていました。そして私は今とても幸せです。叶えたい夢が叶わなかった私に頑張ったご褒美を神様がくれたものが妻と長男と次男だと思っています。この幸せを失わないよう頑張って行こうと思います。


2025年06月04日(水)

新しく始めた仕事の研修が終わりました。もともとは研修は4日間の予定でしたが3日間で終える事が出来たので、自分でも頑張ったなと思います。人や物や事の縁と言う物は本当に面白いと思います。今回の仕事で面接をして頂き仕事を教えて頂いた方が極真空手が大好きで、面接の時に極真空手の話で盛り上がりました。そして働く場所は私の師匠の廣重毅師範の葬儀が行われた場所でした。何か縁があるなと思います。私は人との縁と言うてんに関しては本当に運が良いと思います。修行だと思って頑張ろうと思います。


2025年06月03日(火) 健康には気を使うけれども

私は食べる物や健康にはかなり気を使っています。それはやはり健康で長生きしたいからです。子供達が二十歳になるまで、出来れば結婚するまでは見たいなと思っています。でも凄く長生きしたいか?と言われたらそうでもありません。妻や子供達より長生きしたいとは思いません。妻がいない世の中に自分が生きているなんて考えただけでとても寂しいです。そうなったらそうなったで頑張らなくてはいけないとは思いますが、やはり家族の中では1番最初にこの世に生まれたのだから、その順番で去って行きたいと思います。そのためにも頑張って働いていて、それなりの物を妻に残してあげなくてはいけないと思っています。


2025年06月02日(月) 新しい仕事を始める

昨日から6月が始まりました。昨日は次男の運動会を見たあと、鷲神社に参拝し大森道場の神棚の榊、米、塩、酒、水を変えて手を合わし、今まで道場を運営して来れた事の感謝の気持を表し、これからの道場の発展を祈願し、道場を掃除して個人レッスンを行いました。今日から朝の仕事を始めました。月曜日から金曜日に7時30分から10時30分まで3時間、仕事をします。この9年間は自分の好きな事をさせてもらったので、これからは自分の為にも家族の為にも道場の為にもお金を稼いで、自分の人生を家族の人生を少しでも幸せにし、道場を発展させて行きたいと思います。朝3時間働いても自分の好きな事をやる時間は十分あります。1日は24時間で1年は365日です。時間は大切にすればたくさんありますが、無駄にすれば無くなって行ってしまいます。自分があと何年生きるかだって分かりません。だからこそ時間を無駄にしないで頑張って行こうと思います。


2025年06月01日(日) 次男の運動会

今日は次男の小学生最後の運動会でした。次男は応援団で前で応援の歌を歌っていました。騎馬戦や駆けっこも頑張っていました。駆けっこは3位でした。学校で1番遅いと言っていたのですが、頑張って走ってビリではありませんでした。最後の表現でも音楽に合わせて組体操をしたり、旗を振ったりと頑張っていました。私にとって次男は最高に可愛い子です。もちろん駆けっこなどで結果が良ければ嬉しい気持ちもありますが、別に結果がどうなったとしても私の中で次男の評価が上がったり下がったりはしません。健康に育って頑張ってる姿を見れただけで私は最高に幸せだし最高に嬉しいです。自分の子供って、それほど可愛いものです。いつかこの日記を次男が見てくれたら嬉しく思います。私が死んだあとにもしかしたら次男がこの日記を見るかもなって思っています。


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