DiaryINDEX|過去の日記
朝の仕事から始まり、自分のトレーニング、指導と通常の1日を頑張りました。今回の帰省は三泊四日と言う短い時間でした。私も本当に歳を取ったのだなと感じました。若い頃は福島みたいな田舎には二度と帰らないと思っていましたし、東京に戻って来るのもそんなに億劫ではなかったのですが、前回の帰省ぐらいから東京に戻って来るのが、本当に億劫になりました。東京に帰りたくないと思ってしまうようになりました。戦場に戻るのが辛い歳になって来たのかもしれません。家族もまだ福島にいるので、帰っても1人と言う事が寂しさを倍にさせたのもあると思いますが、1人が本当に寂しくて昨日は電気もテレビも付けっぱなしで寝ました。真っ暗で何も聴こえない事にとても寂しさと苦しくさを感じました。それでも朝起きていろんな事に追われて仕事したりトレーニングしたりしているうちに寂しさも忘れ、生徒が稽古に来て生徒と接していると、とても楽しくなり、やはり自分の居場所はここだと思えました。今は家に帰って来て風呂を沸かし、食事を作り、洗濯をし、夕食を取って少しゆっくりとしています。今日もまた寂しい夜を過ごします。
東京へ帰る新幹線の中にいます。今上野をでたところです。もう少しで東京に着きます。また明日から戦いが始まります。私にとって東京は自分の戦う場所だし自分が夢を叶える場所だと思っています。今日は私の両親と妻と長男と次男とで相馬市の松川浦に行き、お寿司や海産物を食べました。そのあと菅野家のお墓参りをして、そのまま両親に福島駅に送って頂き、私は14時16分福島発の新幹線に乗りました。たくさんの友達にも会うことが出来てとても嬉しかったです。私は常に正しい道を自分が歩けていたとは思っていません。人の道を踏み外してしまった時期もあります。でもいつも必死に一生懸命に強くなりたいと思って生きて来ました。だからこそ今は全てが良い思い出となっています。そしてその自分の人生の道中でたくさんの良い友達と出会う事が出来ました。それが私の財産です。皆で集まるたびに誰かの訃報を耳にする事が増えましたし、いつも集まるメンバーも何名か亡くなってしまいました。でもだからこそ皆で集まる1回1回を大切にしたいと思います。この日記を書いている今、東京に到着しました。戦場に戻りました。さあ明日から一生懸命に戦いたいと思います。
世界の平和、日本の平和、福島の平和、東京の平和、私に関わる人の平和、全ての人の平和願います。本心から誰かが不幸になって欲しいなんて誰も思っていないと私は思っています。今日は両親と長男と二本松までラーメンを食べに行きました。帰りにゼビオスポーツによりスイーツを食べました。この記憶を長男がお祖父ちゃんになるまで覚えていて欲しいと思います。夜は友達と飲みました。小学校と中学校の友達に37年ぶりに会いました。その友達は小学4年生の頃に私は先生を筆頭にクラスの皆からイジメにあった時に、由一私と話をしてくれた友達でした。私がその事を話すと、そのあとに私が成り上がって行き中学校で番長になって行く姿を見て、本当に憧れていたと言ってくれました。私は曲がった道を歩んで来ましたが、イジメられっこから、学校一の馬鹿から、成り上がっていく私を一人でも認めていてくれた人がいた事に感謝しました。その人達の期待を裏切らないように生きて行きたいと思います。
今日は今回の帰郷の理由である実家の片付けをしました。10時から初めて途中休憩をして16時過ぎまで片付けをしました。ゴミ処理場に4回ゴミを運び、大きな机を4台外の駐車場に出して粗大ゴミで運んでもらうよう手配しました。なかなか大変でしたが、母と妻と長男と次男と私で頑張りました。夜は皆で父に焼き肉をご馳走になりました。普段だべれないような焼き肉なので子供達もとても喜んでいました。
福島へ帰って来ました。次男は昨日の夜から妻の実家に行っていると思っていたのですが、私を驚かせるために両親と一緒に次男も私を迎えに来てくれました。夜は親友と温泉に行き飲みました。馬鹿みたいに飲んで馬鹿みたいに酔っ払いました。生まれ故郷の福島の町が私を馬鹿みたいに飲ませて馬鹿みたいに酔っ払わせたのだと思います。本当に楽しい夜でした。帰りは友達とタクシーで帰ったのですが、何故か少し歩きたくなり、実家と少し離れた場所で降ろしてもらい、星空を見ながら1人で歩きました。こんな綺麗な星空を20歳までは毎日見ていたんだと思い、何故自分はこんな良い場所を捨てて東京へ行ったのだろうと思いました。もちろん空手でチャンピオンになるためなのは分かっていますが、自分がどうなりたくて東京へ行ったのかを再確認しながら星空を見ていました。
妻と長男が福島へ帰郷しました。次男は私の実家に泊まっていて今日は野口英世記念館や飯盛山や喜多方へ行ったそうです。野口英世記念館は私も子供の頃に行きました。野口英世が19歳で上京する時に「夢が叶わなければ故郷には二度と帰って来ない」と柱に書いたのを見ました。私が小1で初めて読んだ本は野口英世の伝記でした。貧しい家に生まれ、子供の頃に手を火傷して手を開けなくなり、貧乏な事と手の事で虐められてもめげずに生きたお話し、そして野口英世の母は貧しくても頑張って働き子供の教育に力を入れた事など、子供ながらにとても感動しました。飯盛山は白虎隊が自決した山です。私は日本の最後の侍は会津藩の人達だと思います。次男にも戊辰戦争で最後まで闘った魂を感じてくれたらと思います。私はトレーニングをと柔軟体操をして、夜は川崎に国宝を観に行きました。国宝を観るのは2回目ですが、小説を読んだあとだったので、いろいろなことにも気づくことが出来て理解が深まりました。2回観ても涙が止まりませんでした。2代目花井白虎も3代目花井半次郎も花井半弥もみんなそれぞれに狂っていると思いました。芸に生き芸に狂い芸に命を賭け芸に死んで行った凄い人達だと思います。何回観ても色褪せないとても良い作品です。
朝は仕事をし、仕事の後に柔軟体操とウエイトトレーニングをしました。夕方からは神宮球場にヤクルトvsDeNA戦を観に行きました。今回はヤクルトの応援で観に行きました。琥白のお友達も一緒に行きました。琥白がお友達と話しをしているところを見てて、普段お友達とはこんな感じで話をするんだと微笑ましく思いました。最後は村上選手がさよならホームランを打ちました。素人の私が観ても凄いスイングでした。琥白もお友達も大喜びでした。妻はヤクルトファンになろうかな?と言っていました。私も村上選手と長岡選手のファンになりました。
先に福島へ行く次男を8時25分のバスに乗り蒲田駅へ蒲田から京浜東北線で東京駅へ行き、私の実家に次男が泊まるので、お土産を買い、次男を新幹線のホームに送りました。10時発のやまびこ133号に乗り次男は福島へ行きました。出発するまで次男に手をふりました。次男もニコッとして私に手をぶり返してくれました。新幹線が走り出したあとも見えなくなるまで手をふりました。妻と一緒に東京に来る時に私と妻の両親と妻のお世話になった方が見送ってくれた事を思い出しました。新幹線が出発するまで見送ってくれました。その時の妻の両親の顔が今でも忘れられません。自分の子供を送り出す気持が今は少しは分かりました。またすぐ会えるのに、見送りながらちょっと悲しくなりました。次男を見送ったあと少し上野をブラブラ歩き、大森道場へ行きトレーニングや柔軟体操や部位鍛錬や型を稽古して、鷲神社に参拝し、大森道場の神棚の榊、酒、塩、米、水を替えました。次男が福島に到着する11時33分の10分前に次男に電話したら、次男は寝ていたから電話もらって良かったと言っていました。電話して本当に良かったです。その後、ちゃんと福島で降りて、私の父とホームで合流し、私の両親と昼食にお寿司を食べたそうです。初めて1人で新幹線に乗った今日の日をいつまでも覚えていてくれたらなと思います。新幹線の中で私にニコッとして手を振る次男がとてもとても可愛かったです。私の両親とどんな話しをしているのだろうと思います。
「鬼滅の刃 無限城編」2回目を観に行きました。何回観ても涙が出てしまいます。悲鳴嶼行冥の思い、お館様の思い、胡蝶しのぶの思い、善逸の思い、猗窩座の思い、狛治の思い、慶蔵の思い、恋雪の思い、狛治の父の思い、いろんな人の思いが自分の今までの人生とオーバーラップするものもあり、涙が止まらなくなってしまいます。次回作を楽しみにしています。
大腸と胃の内視鏡検査とポリープの除去をしました。除去したポリープが悪性の物か良性の物かを検査してもらっています。麻酔を打たれてから意識がなくなるまで頑張って粘ってやろうと道場訓を読みましたが、3つ目の質実剛健の所で意識がなくなり、次の瞬間には目を覚まし1時間が経っていました。麻酔で意識がなくなると1時間も6時間も目を覚ました時には一瞬に感じます。不思議な感覚だなと思います。ポリープを除去したので今週はゆっくり休もうと思います。
夜中に長男と1時間ぐらい話しをしました。プロ焼きの話しやギターの話などをしました。いろいろ話していて長男の方が私よりも知識がある事も増えて来ました。身長も追い抜かされたけど、他の事もどんどん抜かされて行くのだと思います。長男が20歳になったら一緒にお酒が飲めたら良いなと思っています。
長男は自分の進む道を決めたようです。私は自分の子供に対して、無理に勉強しろとも言いませんし、何かを強制する事はほぼほぼありません。ただ1つだけ言っている事は、自分の行きたい道を早く見つけろ、そしてその道を行くための努力だけはしろ、です。自分の人生は自分の思い通りに生きれば良いと思っています。自分が臨む人生を生きてくれればそれで良いと思っています。結局人生なんて自分が満足できれば良いし、自分が納得できれば良いし、自分が後悔しないなら、それで良いのだと思います。一方通行のたった1回の人生だから迷う事も間違う事も後悔もあるかもしれないけど、自分の行きたい道を一生懸命に一歩一歩、踏み出して行けば良いのだと思います。私は親としてそれを応援してあげるだけです。
戦争のない優しい世の中になって欲しいと思います。そのためにも強くならなければいけないと思います。その強さを正しい事のために使って、その強さを優しさや愛情に変えて行けば、きっと戦いはなくなると思います。先ずは自分からそれを始めて行こうと思います。その力と愛情と優しさで妻と子供達を幸せにしたいと思います。そして道場の生徒達にもそれを伝えて行きたいと思います。
「力道山未亡人」を読んでいます。力道山がアントニオ猪木を何故付き人にして電話番をさせていたのか?を知りました。少し納得が出来ました。でもやはりその人の身体的にコンプレックスのある部分を仇名にして呼んでいた事には疑問が残ります。師匠と言えどアントニオ猪木さんはどれほどの屈辱を感じたか?と思います。それを力にして頑張って、いつかその事に感謝出来るようになるか?その事を卑屈に思って恨みや愚痴を言って生きて行くか?はその人次第だと思います。私達の時代はそんな事は日々の日常の中で頻繁にありました。それを力に変える事が出来た人が強い人間になる事が出来ました。でもこれからはそんな事が行われない世の中になって欲しいと思っています。私も人に対して愛情を持って接したいと思っています。優しさの中に厳しさがあり、厳しさの中に優しさがある指導をして行きたいと思っています。
私がカッコイイと思って憧れた日本人の格闘家を書きたいと思います。ファン目線で書かせて頂くので敬称を略させて頂きます。極真空手家の黒澤浩樹、松井章圭、数見肇、大道塾空手家の市原海樹、プロレスラーの田村潔司、船木誠勝、キックボクサーの立嶋篤史、プロボクサーの辰吉丈一郎、坂本博之、大相撲の貴乃花です。ファイトスタイルと言うよりは戦いに臨む姿勢や生き方や立ち振舞がとても好きです。自分もそんな人間になりたいと思って試合に出ていました。
「国宝」の上下巻を読み終わりました。読み終わってみて、私はこの作品が大好きになりました。映画と原作はもう別物と言って良いほど違う展開ですし違う結末ですが、映画も良かったけれども、この原作となる小説もとても良かったです。私には映画も原作も喜久雄にとってはあれがハッピーエンドだったのではないかな?と感じました。またこの作品をいつか読んで見たいと思います。その時に自分がどんなふうに感じどんなふうに思いどんなふうに考えるかが楽しみです。
今日は足のトレーニングをしました。右膝は4回手術を、アキレス腱も切っているので、左足と比べるとどうしても筋肉の量が少なく、膝も少し変形しているように感じます。でもだからこそしっかりと鍛えておきたいと思います。悪い所を大切にしすぎるという事は、悪い所を補強していないと言う事になるので、しっかりと膝の状態の様子を見ながら、慎重に鍛えて行きたいと思います。50歳にもなると頑張って鍛えても落ちて行く部分があります。その落ちで行く事に抗いながら頑張って行きたいと思っています。
8月がスタートしました。月初めなので鷲神社へ参拝し、大森道場の神棚の榊、米、塩、酒、水を替え、今まで道場を運営して来れた事への感謝を述べ、これからの道場の発展を祈願しました。今月で道場も開設23年になります。空手を始めてからは37年です。本当に時が経つのは早いです。歳を取るほどに時間が過ぎるのが早く感じるようになります。本当か?は分かりませんが、歳を取るほどに時間が過ぎるのが早く感じる事には何個か理由があるそうです。理由の1つは、人生における1年の割合の変化だそうです。1歳の子供にとって1年は人生の全てですが、50歳の大人にとって1年は人生の50分の1です。このように、年齢を重ねるにつれて、人生における1年の割合が小さくなるため、時間の流れが早く感じられるようになるそうです。もう1つは新しい経験の減少だそうですら、子供の頃は、初めての経験や発見が多く、1日1日を新鮮に感じます。しかし、大人になるにつれて、新しい経験が減少し、毎日がルーティン化してしまうため、時間が早く過ぎると感じやすくなるのだそうです。そしてもう1つは、脳の活動の変化だそうです。脳の活動量や代謝の変化も、時間の感じ方に影響を与えます。子供の頃は脳が活発に活動しており、代謝も高いため、時間がゆっくり流れるように感じられます。一方、大人になると脳の活動量が減少し、代謝も低下するため、時間が早く感じるのだそうです。1つ目と2つ目の理由はどうしようもないけれど、2つ目はどうにかなりそうです。歳を取っても新しい事にどんどん挑戦して新しい発券や新しい経験をして行けば、時が過ぎる早さを遅くする事が出来るかもしれません。確かに確かに私は6月から新しい仕事を始めましたが、それから2ヶ月経ったのですが、けっこうこの2ヶ月は長く感じている感じがします。
kanno
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