| 2000年12月31日(日) |
D12:年賀状に大苦戦 |
【四方山日記〜その12】 年賀状に大苦戦
悩みの種であった年賀状がようやくできあがった。何年も前からパソコンで管理しているのだが、これがなかなかスムーズにいかない。まず、住所録を整理するのが最初の難関。たまってしまった名刺の束をソフトに入力するのだが、これが持続できない。最近のソフトは自動変換機能が格段に向上していて、相当入力しやすくなっているのはずなのに、それでもくじけてしまう。まあ、コツコツやるしかないんだろうけどね。 それから、出す人、出さない人を絞りこまなきゃならない。年賀状の購入枚数は大体決まっているから、この帳尻を合わせるのが最も骨の折れる作業かも。毎年悩んでいるのはいつもここの段階だ。僕の場合は、およそ三つに分けている。ハガキで出す人、メールで出す人、そして出さない人。本当は、全員に出せば悩むことはないんだろうけど、そうもいかないのでこうしている。ここまでの作業がおわって、ようやくデザインを決める。これがまた、スパッと決まらないんだよね。いつも悩んでばかり。そしていよいよ印刷。家庭用のカラープリンターはインクジェット型が多いと思うけど、これがなかなかクセモノでね。印刷不良や紙詰まりなんかがけっこう頻繁に起こるので、立ち会っていないと不安だらけ。だから印刷だけで相当な時間を費やすことになる。その間、何もできないのは結構つらい。 以上のような一連の作業がようやく終わったのが、大晦日の夜11時近く。一応年内に完成はしたものの、結局元旦に出すのと同じになっちゃった。というワケで、またもや元旦には配達されない僕の年賀状作成日記でした。 PS. メールはちゃんと着いている思います。
| 2000年12月29日(金) |
P11:LUNA SEA ��/D11:こだまがきた |
【音楽見聞録〜その11】 LUNA SEA ��
ひきつづきLUNA SEAについて。 まず、前回登場してなかった他のメンバーの話から。 真矢。テレビ番組で垣間見せるあの憎めないキャラクターを想像する人も多いと思うけど、まさにあのまんまの人です。たぶん人間が大好きなんでしょう。人を警戒させない男ですね。この前、金沢で久々に会ったとき、ライブで疲れてるのに立ち上がって握手をしてくれた。僕は「お疲れさん、そしておめでとう」(この意味、わかるよね)とだけ耳元でささやくように言った。彼はすこし照れながらニコニコしながらお辞儀をした。そこはまるで太陽のように輝いていた・・・。まあ、こんな表現で想像できるでしょ。人のいい兄ちゃんなんだ。 SUGIZO。アーティストらしいアーティストだと思う。数ヶ月前、富山にキャンペーンに来たとき会ったんだけど、ものすごく喜んでくれた。「ここで会えて、ほんとよかったよ」なんて言ってくれて、僕の方が浮かれた気分になってしまった。なんか人として通じ合えるものがあるね、彼とは。最初の出逢いは、たぶん東京FMの深夜の番組でLUNA SEAがゲスト出演したときだったと思う。そのときは、紹介されたぐらいであまりしゃべった記憶がないんだ。でも・・・気が付いたら知り合いになってた。なんとも不思議な男なのだ。 J。何年か前、初めて金沢で一緒に飲んだ。寡黙な印象があったのだが、単なる思い過ごしだった(笑)。サッカーの話でけっこう盛り上がったよ。とにかく熱い男である。それに筋道を通す男、いうなれば硬派である。彼は自分でも言っていたが、ほんとフラットな男なのだ。裏表がない。ソロツアーの打ち上げの席で、そのJの熱いトークが炸裂。他にも人はいたと思うけど、まるで僕と二人だけの会話になってしまった。でも、僕は彼のほとばしるエネルギーを全身全霊で受け止めた。そこに彼の「男気」を感じたから。僕はそんなJが大好きになった。
最後に。 僕がLUNA SEAと出逢い、初めて富山でライブが行われた夜、会場のロビーでくつろいでいた僕に何人ものファンが声をかけてきてくれた。「LUNA SEAを富山に呼んでくれてどうもありがとう」ってね。その言葉を理解したとき、僕は思わず泣きそうになった。その理由は以下に書く。 僕らメディアの大きな使命の一つは、地域密着・地域還元である。言い換えれば、リスナーに喜びをお返しすること。一つのライブを実現するということは、僕ひとりの力でどうにでもなることじゃない。いろいろな人たちの力が合わさってはじめて可能になるものだ。でも、その実現につながるきっかけをつくり出すことは出来るかもしれない。そんな思いが結実したカタチ、それがこの夜のライブだった。僕はそれだけで十分すぎるほど嬉しかった。でも同時にこの喜びを共有してくれている人たちがこんなにも近くにいてくれたことが何よりも嬉しかったのだ。僕らメディアの使命とは?、それが大きな確信へとかわった夜だった。
偉大なる男たちが「終幕」した。走り去る風のように。長く激しい航海だったろうが、今はただ「おつかれさま」という言葉を贈ろう。次なるステージへと思いを馳せながら。そして未来へ・・・。
【四方山日記〜その11】 こだまがきた
こだまさおり嬢が遊びに来た(どうやら実家に帰省しているらしい)。まあ、おもりみたいなもんです(笑)っていったら、そりゃ怒るわな。お茶飲んで、番組に出て、ラーメン食べて、ショッピングに行って、駅まで送り届けるというスケジュール。これじゃ、まるでアッシーくんじゃないか、と思われる方、いらっしゃるでしょうね。いやいや、そんなことはないですよ。地方のマネージャーぐらいに思っておいてくださいね。 まあ冗談はさておき、こうやって以前仕事で出会ったアーティストがプライベートで遊びに来てくれるのは、ホント嬉しいもんです。僕は人と人との出会いは縁だと思っているから、たとえそれが仕事上の出会いであっても、こんな形で継続していけるのは、至上の喜びなんです。理想を言えば、すべての出会がこんなカタチになったらいいなと思っているぐらい。だから、これからもいろいろな出会いを大切にしていきたいし、またそういう自分であり続けたいと改めて思わせてくれたひとときでした。こだま、どうもありがとね。また、あそぼ!
| 2000年12月27日(水) |
P13:漫画・・・/M10:LUNA SEA �� |
【虎の自叙伝〜その13】 漫画・・・
昔から漫画が好きなのである。今はほとんど買わなくなってしまったが、お気に入り週刊誌はさまざまな方法で欠かさず読んでいる。たまにコンビニで立ち読みしている時、知り合いに見つかって声をかけられたりするが、あれは絶対にやめてもらいたい。めちゃくちゃ恥ずかしいから。なんか自分の恥部を覗かれたような感覚なんだよおおお。特に大人の週刊誌を読んでる時なんかは最悪だ。ほんとやめて下さい。できれば見てみぬフリをしてもらえるのがとってもありがたい(笑)。 一番はまってたのは、小学校の高学年から中学の頃かなあ。新刊の発売日なんかはほとんど把握していて、その日になると本屋さんへまっしぐらって感じだった。だから今だにそのクセがぬけてない。本屋さんは大好きな場所なのである。 単行本はほんとによく買ってた。親が心配するぐらい。当時漫画は勉強の敵っていうイメージがあって、友達なんかは知らないうちによく捨てられてたみたい。あれは子供心に傷ついたと思うよ。子供の頃の大切なモノっていうのは、大人になったときのそれより何倍も感情移入がされているから、余計に悲しみが大きかったんじゃないかな。自分が子供だった頃を考えればわかりそうなのに、どうして大人になると忘れてしまうのだろう。不思議だ。はっきり言えることは、漫画は日本が生み出した素晴らしい文化遺産だっていうこと。最近は少し見直されてきたみたいだけどね。 実家の押入れの奥には、今もたくさんの漫画が眠っている。「あしたのジョー」「バビル2世」「デビルマン」「男一匹ガキ大将」etc・・・。影響をうけた作品ばかりだ。まあそれぞれに思いはあるけど、今日はその中のひとつ「バビル2世」(横山光輝 作)について。この作品は、あのバベルの塔の伝説をモチーフにしたSFタッチの作品なんだけど、僕のSF好きの原点と言ってもいい。
【ストーリー】 「大昔、高度なテクノロジーを持った異性人が地球に不時着した。乗っていた宇宙船は故障してしまって、もう自分の星にはもどれない。彼は地球で暮らす決意をする。地球人は彼の持つ知識やテクノロジーに驚愕し、彼を神と崇拝した。やがて彼は自分のテクノロジーを後世に残すためバベルの塔の建設に着手する。何世代、いや何百世代か先の子孫に自分と同じ能力をもつ子が誕生するのを願って。そして現代。ついにその能力を持つ少年が・・・。」
たぶん、今もSF作品(小説、映画など)が好きなのは、この漫画のおかげだ。ハリウッドで映画化したらおもしろい作品になると思うんだけどなあ。 てな感じで漫画の話になるととめどなくなっちゃうから、今日はこの辺にしときます。まあそのうち第2弾を書いてしまうと思うけど。 【音楽見聞録〜その10】 LUNA SEA ��
今日はやっぱりこのバンドしかないでしょう。LUNA SEA。今ごろは東京ドームでのFINAL ACTの真っ最中かな。 最近だとばかり思ってたら、はじめての出逢いからもう6〜7年も経っていた。思い起こせばそう、彼らがライブツアーで金沢市文化ホールに来てくれたときだったなあ。「とにかく見に来てほしい」というレコード会社のプロモーターN氏の言葉にまんまと乗せられ、ほとんど予備知識もないまま、僕はライブ会場へ出向いた。今考えると、すべてはN氏の策略だった。彼はなんとかして僕をメンバーに会わせたかったのだ。 それはライブ後の打ち上げの席だった。参加者は20人以上はいたと思う。適当にくだけてきた頃、「今日はありがとうございました」の声。そこにはボーカルのRYUICHIがいた。僕は瞬間的にしまったと思った。なぜって、ここでの主役は彼らなのだから、本来なら僕から先に挨拶に行くべきものなのだ。しかし、もう遅い。しかたねえやと思いながら僕とN氏とRYUICHIの会話が始まる。そう、このシチュエーションこそがN氏の狙いだった。彼は僕の「熱い男にめっぽう弱い」という性格を知り尽くしていた。そういう男に出逢うと僕は一発ではまってしまう。男に惚れてしまうのだ(注・変な趣味はありません)。RYUICHIはまさにそんな男だった。N氏の思惑通り、僕らはまるで旧友が再会するように意気投合した。1時間以上は話していたと思う。細かい内容は再現できないが、めちゃめちゃ熱い会話だったことだけは確かだ。そして僕は最後に言い放った。「富山に来てくれなきゃ俺はやらんぞ」。まあビッグマウスもここに極めりって感じだね。答えるようにRYUICHIが言った。「絶対行きますからそのときはお願いしますよ」。そこにはあの揺ぎ無い視線があった。この瞬間ほんと思ったよ。「こいつはただもんじゃないぞ」ってね。 しばらくしてキャンペーンでRYUICHIとINORANが来てくれた。RYUICHIの第一声は今でも覚えてるよ。ただ一言「来たよ!」だった(笑)。キャンペーン自体はめちゃくちゃいい雰囲気で出来たと思うよ。これもすべてN氏のおかげ(せい)だ。 ところで、このキャンペーンのあと僕はファンの人からお叱りを受けた。INORANの声がもっと聴きたかったってね。そんなに優しい言い方じゃなかったけど(笑)。でも、おっしゃる通り。もっと彼が話しやすい環境を作ってあげるべきだったのだ。それでもINORANは僕にこう言ってくれた。「今日はうまく話せなくてすみません。この次がんばりますので、またよろしくお願いします。」ってね。そのとき僕は、返す言葉がなかった。いや言えなかったという方が正しいのかも知れない。・・・INORANのさりげない優しさに感激して、声が詰まりそうだったから。 N氏の策略通り、このキャンペーンをきっかけに僕とLUNA SEAの距離感は急速に近づいていく。(つづく)
| 2000年12月26日(火) |
P12:俺のロック魂よ/M9:陣内大蔵/D10:留守でした |
【虎の自叙伝〜その12】 俺のロック魂よ
今日は洋楽をかじり始めた頃のお話。 中学時代のロック御三家と言えば、キッスにエアロ(スミス)にクイーンだった。どのバンドが好きだったかによって、当時の志向がわかろうというもの。まずキッス。一言でいえばミーハーな奴ら。ファンは多かった。エアロ。はっきり言って音楽通。だいたい兄貴とかがいてその影響を受けてる奴ら。ファンの数では少数派。クィーン。ちょっとピアノなんかを習っててクラシカルなセンスを持ってた奴らは、このバンドが好きだったみたい。この中では一番高尚な感じがしたもんなあ。で、俺はっていうと、もちろんキッス派(ミーハーです)。当時NHKでヤング・ミュージック・ショーっていうライブ番組が放映されてて、テレビのイヤホンをラジカセのマイクにあてて録音してた記憶がある。まだビデオもなかったし、せめて音だけでもって涙ぐましい努力をしてたな。 クィーンはね、好きな曲もあったけど、エアロに関しては、よくわからなかったっていうのが本音。当時は幼すぎました。あと他に聴いてたというか、聴こうとしてたのは、ストーンズとツェッペリン。まあ、見栄ですな。あの頃っていうのは、ちょうど洋楽をかじりだした頃で、バンドをはじめて組んだりしてさあ、「俺はこんなすげえバンドを聴いてるんだぜ」っていうその行為に酔いしれてたみたい。ちょっと背伸びしてた時代だな。だから、エアロとかクィーン、ストーンズ、ツェッペリンがホントにいいと思ったのは局に入ってからだもんね。ずいぶん目覚めが遅い(笑)。 で、キッスからディープパープルにいって、レインボー、まあこのあたりはなんとなくわかるでしょ。そこから突如イーグルス。なんたって初めて買った洋楽のLPが「ホテルカリフォルニア」なんだから。いったい何が起こったの?って感じだよね。でも事実だからしようがない。 だけど1曲まるごとコピーできた(?)のはキッスだけだったなあ。他のバンドは最初から挫折した。何を勘違したのか、一番簡単そうに聴こえたから(笑)。中でもコピーしまくった曲はやっぱり「デトロイト・ロック・シティ」かなあ。今でもこの曲を聴くと、俺の中のロック魂が騒ぎだすのさ。過激だで〜! 【音楽見聞録〜その9】 陣内大蔵
外は雪ですなあ。雪といえば、まっさきに頭に浮かぶのがこの人、陣内大蔵。その昔、クリスマスのライブイベントで、大雪のため飛行機が羽田に引き返してしまい、急遽、小松便に変更したのはいいけれど、今度は道路が大渋滞で会場に到着したのが午後8時、ということがあったのさ。 そのうちわけはこうです。イベントの開始時刻は午後6時半。それをギリギリまで遅らせて、前半はビデオ上映。しかしこれは30分でおしまい。そんなところへイベンターから「今、高速のインターを降りたと」の情報。これが午後7時前後。じゃああと15分ぐらいで着くかと思ったのが甘かった。雪の渋滞にひっかかり、到着はおよそ1時間後の午後8時というわけです。その間、会場では何をしていたかというと、CDショップの出たがり店員とあっしの二人で打ち合わせなしの漫談です。陣内大蔵クイズなんてやっちゃってね。まあ潮がひくようにっていうのは、まさにあのときの状態ですわ。そりゃそうだよね。誰?この人たちっていう野郎がステージに出てきて、ワケのわからんことを言っているんだから。でも、こっちは必死ですわ。もう主催者としての責任感だけでしたな。 さて、そんなところへ陣さん登場。もうリハーサルも公開で、1〜2曲音合わせして本番スタート。まあなんとか帳尻を合わせたって感じのイベントでしたな。しかし、遠くから来てくれたファンの方にはほんと申し訳ないことをしました。帰りの電車の都合で、陣さんの姿を見られないまま帰らなきゃいけなかった人が何人もいたからね。悪いのはすべてファンハウス(当時所属のレコード会社)です(笑)。 しかし、彼ともずいぶん長い付き合いになりましたなあ。デビュー直後からだからもう13年近くになりますか。なんかお互い気をつかってないっていうか、まあ自然体でつきあえるんでしょうね。きっとこいつとは、将来今と全然違うことをやっていたとしても、まったく違和感なく付き合っていけると、そんな感じがしてます。まあこれからもよろしく頼むわ、じんじん。
【四方山日記〜その10】留守でした
ちょこっと留守にしてました。どこへって?えーとね、名古屋まで。つーことで、先ほど雪の富山に戻ってまいりました。 あっしのモバイル環境が整っておらず、アクセス不能状態になっちまい、ついに連続書き込み記録が途切れてしまいましたな。まあ、いいやね1日ぐらい。こういうものはいつか途切れるもんです。しかし、少しは考えんといかん。 さてさて、ちょっくら昨日のことを書いてみましょう。まず、なぜ名古屋に行っていたのかというと、あっしのマブダチバンドTHE JERRY LEE PHANTOMのライブを見にいっとたワケです。1年半ぶり(?)に見たライブだったけど、あいかわらず熱かったなあ。あれほどのパワーを放出できるバンドは、そうはいないと思いますぜ。そうそう、熱かったといえば、あっしの泊まったホテルのすぐ近くで大火事がありまして、消防車が30台以上集まってました。もう一帯は燃えカスや煙やらで大変でしたわ。ほんと気をつけんといかんぞな。 昨日は飲みほうけてまして、ほとんど寝てません。だから電車の中では爆睡状態でした。しかしまあ、こんなに積もってるとは思いませんでした、雪が。いよいよ本格的な冬将軍の到来ですかな。みなさん、どうぞ風邪などには気を付けてくださいよ。とりあえず、あっしはまだひいてません。はっくしょん!
| 2000年12月24日(日) |
P11:はじめて買った洋楽シングル |
【虎の自叙伝〜その11】 はじめて買った洋楽シングル
掲示板でも書いたのだが、初めて買った洋盤は(もちろんアナログ盤)ジグソー(ジグゾーだったかな?)の「スカイハイ」という曲だった。僕がまだ中学生の頃、プロレスがテレビのゴールデンタイム(夜8時)に放送されていて、その画面を通して聴いたのが初めてだった。ミルマスカラスというメキシコの覆面レスラーのテーマソングとして使われていたのだ。このミルマスカラスの空中殺法はまさに芸術品で、その華麗な技の連続に僕はたちまち虜になってしまった。その彼が入場する時に流れる曲、それが「スカイハイ」だ。当時はものすごくアップテンポな曲に聴こえたのだが、今あらためて聴いてみるとそれほどでもない。こんな感覚って誰もが経験していることだろうけど、これが音楽の奥深さでもあると思うんだ。だって、記録されている音は普遍的なモノなんだから(音質の劣化は別として)、違いがあるとすればそれは僕ら聴き手側にあるはずだ。年齢や、感情、環境などでその受け止め方がまったく異質なモノになってしまう音楽の摩訶不思議な世界。だからたまらなく好きなんだよなあ。 このあと僕の格闘技への興味は、あの初代タイガーマスクへと継承されていく。そして音楽の方は、あの超ド派手バンドKISSへとなだれ込んでいくことになる。続きはまた次回。
| 2000年12月23日(土) |
P10:怪獣写真/D9:雪山とエレベーター |
【虎の自叙伝〜その10】 怪獣写真
小学生のころ、怪獣写真なるものがよく駄菓子屋に売っていた。当時流行っていたウルトラマンやゴジラの写真が多かった。どうやって買うのかっていうと、ハガキ大の写真が30枚ぐらいの冊子になっていて、1枚ずつ封筒に閉じてある。つまり買ってその封を開けるまで内容はわからない仕組みだ。たしか1枚5円だったと思う。僕はいつのまにかコレにはまってしまっていた。コレクターといってもいいぐらい、おこづかいの大半はその写真に消えていった。覚えているだけで、600枚以上は集めたんじゃないかなあ。でもある日、どういうわけか近所のともだちに全部あげてしまった。どうしてあげちゃったのか、どうにも思い出せない。飽きてしまったのか、親に怒られたのか、それとも・・・まあ、今となってはどうでもいいことだけど。でも、時々思うのさ。今も持ち続けていたら、きっとスゴイ価値のあるものだったに違いないって。「なんでも鑑定団」とかに出しちゃったりしてさあ。でもそのあとのことを考えるとちょっと怖いけどね。だってさあ、もし想像よりもはるかに上の金額なんかで査定されたりしたら、果たして売ろうと思っただろうかって想像してみてくださいな。まさに禁断の果実かも(笑)。でもマジにどうなんだろう。そのときになってみなきゃわからないけど、たぶん売らないと思う。いや、そう思いたい。いやいや、そう思いたいだけかも知れない。そんな風に考えると、やっぱり持っていなかった方が正解だったのかも。
【四方山日記〜その9】 雪山とエレベーター
昨日今日と久しぶりにいい天気だったので、雪のアルプスがとてもまぶしく見えた。こんな気分のときは何かにひらめくものだ。去年購入したばかりの一眼レフのカメラに、撮りかけのフィルムが残っていたことを思い出す。僕が住んでいる部屋からは、ラッキーなことにその山々の頂が視界いっぱいに見える。少しひんやりしたベランダに出て、何枚もの写真を撮った。町並みを覆うようにそびえたつアルプスの山々。毎年見慣れているはずの何気ない風景が、とてつもなく新鮮に思えるのはなぜだろう。 どうやら昨日からの僕は、この雪山に心を惹かれているようだ。気が付いたら近くのビルの展望台に登り、ただ漠然とその山々を見ていた。右の視界に雪のアルプス、左の視界に日本海。都会の雑踏からは考えられないような贅沢な風景だ。ただそれだけのお話。
PS 今のエレベーターって、動いているのがほとんどわからないくらい静かなんだって今日気が付いた。まるで静止しているような感じ。子供のころはエレベーターが大嫌いだった。だって、一瞬無重力のような感覚になるでしょ、そうジェットコースターに乗ったときに味わうあの感覚。あれがとても気持ち悪かったから。テクノロジーの発達ってほんとスゴイと思った。これなら1時間だって耐えられそうだ。おわり。
| 2000年12月22日(金) |
M8:橋本慎/D8:明晰夢 |
【音楽見聞録〜その8】 橋本慎
この名前を聞いてもピンとこない人、結構いると思うんだけど。SR Smoothyのコンポーザーといえばわかってもらえるんじゃないかな。 ヤツとは、ただの野球ともだちみたいなもの。お互い中日ドラゴンズのファンだ。去年優勝が決まろうかというとき、ヤツは神宮球場のスタンドから電話してきやがった。それも曲づくりをサボって。もう1回大きな声でいいますよ。曲づくりをサボって野球観戦してたヒトなんです(笑)! 「今、どこにおるかわかる?」だってよ。そりゃ、なんとなく雰囲気でわかるわな。電話のうしろが異様にうるさいんだから。まあそういうわけで、去年は仕事との両立が大変だったと思うけど、今年は結構楽だったんじゃない?特に夏以降は。 普段はホントアーティストらしくないヤツ(笑)。でもピアノに向かうとコレが一変するんだよなあ。やっぱコイツ、ただのドラゴンズファンじゃなかった!って思ったよ。特に去年やったライブイベントでは、アーティストたるもんはこうでなくっちゃって姿を見せてもらいました。ヤツのうた以外はね(笑)。なんかステージで初めて歌ったらしいんだけど、これがねえ・・・まっ想像にお任せしますよ。ほんとアーティストらしくなかった(笑)。たぶんあれが最初で最後でしょうね。でも、あのテープどっかにあったと思うけどな。ウッシッシ。 まあ、いろいろ書いてきましたが、ヤツとはこういう仲なんですよ。21世紀もいい曲を聴かせてもらいたいね。ヤツが創るメロディは、ほんとスゴイと思ってるし。教授の次は彼でしょう。リ**ンのCFソング、狙ってね。 【四方山日記〜その8】 明晰夢
最近、リアルな夢を見ることが多い。そういう時ってたいてい寝坊してしまう。目覚ましがガンガン鳴っているのに気づかない。 数日前、子供のころによく遊びに行ってた森の中で、布団を敷いて寝てる夢を見た。その上をレンジャー部隊のような人たちがロープで登っていく。意味がわからない夢。決して嫌いじゃないけれど、起きたときにちょっと疲れるね。 まあそれはさておき、最近「明晰夢」なるものに興味があって、なんとか経験したいと思ってはいるものの、これがなかなか難しい。「明晰夢」とは、夢を見ている自分を認識できている状態?つまり、これは夢なんだとわかってて夢の中にいるってこと?いやいや、言葉ではうまくいえないんだけど、そんなようなことらしい。(間違ってたらごめんなさい) これって、すごいことだと思いませんか。もし、夢とわかっていたのなら破天荒なことも平気でできちゃう。たぶん、現実世界では実現不可能と思われるような無謀なイメージも、お茶の子さいさいで具現化できる。こんな楽しいことって他にないでしょ?よく人生の成功読本なんかに、プラス思考でいなさい、潜在意識に訴えかけなさい、みたいなことが書いてあるけど、それがぞれほど難しいことなのかは誰もが知っていると思う。だけど「明晰夢」を利用できたら、イメージを潜在意識に直接訴えかけて・・・、そのあとはウッシッシ。なーーんてね。誰かこの分野に詳しい人がいたらぜひ教えてください。
| 2000年12月21日(木) |
P9:石集め/M7:SMILE |
【虎の自叙伝〜その9】 石集め
今日から何回かに分けて、その昔コレクションしていたモノについて書いていこうと思う。なぜかそのほとんどが小学生時代に集中しているのが不思議といえば不思議である。 まずは「石」集めだ。そう、地球上のあらゆる場所にころがっているあの石ころである。きっかけは友人が所有していた水晶を見たときに始まる。今まで見たこともないようなとても綺麗な水晶で、当時の僕の目には宝石のような輝きに思えた。それからというもの放課後になると、近くの山や川原で石を割る毎日が続いた。水晶は、表面に穴が空いている石を割るとその中に結晶があるんだという話を聞いたからである。でもこれがそう簡単には見つからないシロモノだった。水晶らしきものは見つかるのだが、肝心のホンモノが見つからない。いったいどれぐらいの石を割ったのだろう。そうこうしているうちに、今度は化石に興味がわいてきた。これも、同じ友人が持っていた立派な化石を目にしたからだ。当時の僕は、他人に感化されやすい少年だったのかも知れない。 放課後はいつもこんな感じだったのだが、ある日突然、僕の石集めは終わりを告げる。苦労して集めた石が、忽然と姿を消してしまったからである。要は捨てられたのだ。親にしてみれば、来る日も来る日も石集めに奔走している子供に、ある種の不安を抱いたかも知れない。当時の僕は、たぶんショックだったと思うが、泣き喚くようなことはなかった。僕にとってもそろそろ潮時だったのだろう。子供の気持ちは移ろい易いものなのだ。
【音楽見聞録〜その7】 SMILE
今回はSMILE。ボーカルの浅田信一とは仲がいい。こう書くと、ずいぶん古いつきいのように聞こえるが、たぶん3〜4回ぐらいしか会ったことはないと思う。まあ、人の距離感っていうのは回数じゃないからね。 「ドライブ」ってタイトルのシングルのときだから、おそらく3〜4年ぐらい前(?)かな(ええかげんですな)。浅田がキャンペーンで来ることになって、そのときが初対面。でも、会う前まではえらい警戒しとったな。「相当なワルだったらしいぞ」って噂を聞いてて、ピリピリした空気になったらどうしようって思ってたわけさ。で、会ったら完全な拍子抜け。俺が言うのもなんだが、いたって好青年でしたな(ちょっと言い過ぎかも!)。人との出会いって最初のインスピレーションが結構大事じゃない。松田聖子じゃないが、ビビッて感じよ。そう、そのビビッって感じがあったな。別に変な関係じゃないぜ(笑)。 印象に残っているのは、やっぱりライブイベントだね。SMILEといえばやっぱりライブでしょう。でもこのときはいろいろ大変だった。何しろイベントの中心人物(マネージャーとレコード会社の宣伝マン)がセクション替えでどっかへ行っちまった。残ったのは、俺とイベンターの二人。いったい誰が責任を持つわけよって感じで(笑)。しばらくして新マネージャーっていう人から電話がかってきた。偶然、その昔から知ってた変なヒトだったからよかったけど。でも初対面は深夜のよっぱらいげんかの場面。印象わり〜い。まあ、彼がいたおかげで準備は万全だったからよしとしておきます(笑)。 でも、あの時のライブは今でも鮮烈に覚えてるよ。なんてったって、無料招待イベントにツアーセットをそのまま持ち込んだ画期的なものだったから。普通はできません、予算がかかりすぎて(笑)。まあ当時、某Sレコードは太っぱらだったんでしょう。でもね、そのかいあってほんといいライブだった。お客さんもいっぱい来てくれたし。今でも印象に残るイベントの一つだね。 来年は、またどこかでヤツらのライブを見たいもんです。21世紀もよろしく。
| 2000年12月20日(水) |
P8:タイムカプセル/D7:昼寝 |
【虎の自叙伝〜その8】 タイムカプセル
小学校6年生のとき、学級委員になってしまった。今振り返ってみると、学級委員ってどんな役割だったのか、ほとんど思い出せない。唯一鮮明に覚えていることは、卒業するちょっと前、タイムカプセルと称して、成人式のときに開封する未来への手紙を入れた箱に封印する作業をしたことぐらいだ。ガムテープで頑丈に梱包して最後に僕がサインをした。 成人式のとき、その箱を開封することになった。8年も前のことだし、クラスのみんなも当時、誰に宛ててその手紙を書いたのかさえうつろな記憶の中だ。僕の手紙は3通。当時仲のよかった友人宛てに書いたものだった。手紙を友人に渡す瞬間、思ったものだ。どうせなら自分宛てに書いときゃよかったって。まるで宝物をなくした気分だった。 成人式に来られなかった人に、その手紙を渡すことが、学級委員としての僕の最後の仕事になった。今どこにいるのかを追跡調査をして、どうしてもやり遂げなければならない。ようやく電話が通じたとき、当時のクラスメートはとても怪訝な声を発した。そりゃそうだ。忘れかけてた人間からの忘れかけてた手紙の話なんか、記憶の片隅にもなかったに違いないだろうから。
【四方山日記〜その7】 昼寝
不覚にも3時間も昼寝をしてしまった。今起きたところだい。 思えば大昔、まだあっしが保育園に通園していたころ、この昼寝の時間が一番苦手で、寝た記憶がないぐらいだったのに。それが今はどうだ。昼寝が大好きなヤツになってしまった。人間30年も経つと、細胞そのものが替わってしまうのかも知れない。でも、そんな昼寝を欲望のまましてしまうと困ることがある。夜型人間になってしまうからだ。そうすると、翌日また昼寝がしたくなる。どこかでブレーキをかけねば・・・。これじゃ、どこかのミュージシャンみたいな生活ではないか。 何かのアンケートで見たのだが、「あなたが一番幸せな時間は?」という問いに「寝てる時間」が1位になってた。たぶん若い女性をターゲットにしてた雑誌だったと思うけど。やはり万人にとって、眠るという行為は気持ちいいことなのだ。頭がまだボーっとしてるから、今日のところはそれで納得しておくことにしよう。
| 2000年12月19日(火) |
P7:高校の部活/M6:岩崎宏美 |
【虎の自叙伝〜その7】 高校の部活
高校時代の部活はハンドボール部だった。最初はテニス部(似合わねえ〜!てかっ)希望だったんだけど、あまりに入部希望者が多くて学校側はほんとに困っているみたいだった。体育の先生から「考えなおしてくれないか」の言葉があったとき、あっしはなぜか素直に従って、ほとんど人気のなかったハンドボール部に鞍替えした。まあそんなことぐらいで翻意するぐらいだから、あまり真剣じゃなかったのは確かだね。前回も書いたとおり、あっしたちの高校は新設高校だったから、顧問の先生さえも曖昧なまま部活はスタートすることになった。 ハンドボール部に入ったのはいいけれど、あっしにとって致命傷だったのは、手のひらが小さかった上に乾燥肌だったっていうこと。ハンドボールって、ボールを持ったまま空中である程度自由に動かさなきゃいけないから、手のひらとボールがピタッとくっついてないと、ポロポロ落球してしまうのさ。だから大きな手のひらとウェットな感じが大事になってくるわけ。あっしの手は、そのどちらの条件も満たしてなかったから、ボールがなかなか馴染まない。だからほんとヘタクソだった(笑)。あとね、あっしの性格からいって、団体競技は合わなかったっていうのもあるね。あんまり強引な行動も好きじゃなかったし。まあ、こんな感じだったから、あっしたちの部は、公式戦で1勝もできないまま引退の時期を迎えてしまったわけさ。ほんと盛り上がらなかった部活生活だったなあ。 【音楽見聞録〜その6】 岩崎宏美
ビッグな人といえば、この方もそう。岩崎宏美お姉さま。あっしは「ひろりん」と呼ばせてもらってます。前回の真二さん同様、ひろりんもあっしが物心ついた頃には、大スターだったお方です。(怒られそう!) 出会いは、今からちょうど5年前の今ごろだったんじゃないかなあ。宏美さんが3枚組のベストアルバムをリリースした時。宏美さんの歌は小さい頃(また、怒られそう)から好きだったから、ディレクターという仕事をしていても、なんとなく頭の片隅にあったわけ。ちょうどそのころ、宏美さんがシングライクトーキングとコラボレーションをしてるっていうのを小耳にはさんだものだから、藤田千章がキャンペーンに来たときに聞いてみたのさ。宏美さんってキャンペーンしてくれるかなって。千章は自信満々に「すごくいい人だから絶対やってくれるよ」っていうもんだから、所属レコード会社のビクターに相談してみたわけさ。そしたらとんとん拍子に話がまとまって、寒〜い冬のさなか、2時間の特番をつくることになったって次第です。 その特番は生放送で、放送中は深々と雪が降ってたんだ。放送を聴きつけて、ずーっと局の外で待っててくれたファンの人がいて、アナログのレコードジャケットに宏美さんがサインをしてあげてたのを今でもはっきりと覚えてます。 宏美さんってあんなに大スターなのにきどったところが全く無くて、ほんと気さくな人なのよ。まさにチャキチャキの江戸っ子って感じですな。だからあっしなんかが、こうやってタメ口なんかを利かせてもらってるわけです。 あと、歌はほんとスゴイ。今年もライブを見させてもらたんだけど、久々に鳥肌もんでした。なんかさあ、忘れかけてた歌心ってやつを思い起こさせてくれるライブでしたね。また、ぜひ一緒に仕事がしたい、自然とそんな気持ちにさせてくれるアーティストの一人です。21世紀も期待してますよ、ひろりん!
| 2000年12月18日(月) |
M5:原田真二/D6:13デイズ |
【音楽見聞録〜その5】 原田真二
今日は、今何かと話題の原田真二さん。 僕は敬愛の念をこめて、「真二さん」と呼ばせてもらってます。 デビュー時の3ヶ月連続シングルリリースなんて、当時の音楽シーンにとってはかなり衝撃的な出来事だったんじゃないかなあ。それも3曲すべてがベスト10入りするという快挙。ほんとすごかったですよ。僕が中学生の頃には、もう押しも押されぬスターだった人で、まさかそんなお方とお付き合いさせていただけるなんて夢にも思わなかったですね。 きっかけは、もう5〜6年前になるのかなあ。真二さんがリリースするシングル曲の応援コメントを書いてくれないか、というところから始まりました。しばらくたって、いきなり局に電話が。「原田さんって方から電話です」って言われて受話器をとったのはいいけれど、思い当たる節が全然なくて、実際に会話するまでは疑念を抱いたままでしたね。そしたら電話口でいきなり「原田真二と申します」でしょ。そりゃ、たまげますよ。でも、電話の雰囲気がすごく自然で、ずっと以前から知り合いのような会話をしたのを覚えてます。 音楽番組の制作なんかしていると、こういったコメントを時々頼まれたりするんですが、お礼の電話を本人から直接もらうなんてことはまずありません。僕が記憶している範囲では、真二さん以外はなかったんじゃないですかねえ。これがきっかけで、局の方にも何回か遊びに来てくれましたし、まさに縁みたいなものを感じましたよ。僕のギターで弾いてくれた「てぃーんずぶるーす」と「キャンディ」、めちゃくちゃ感動しました。今でも僕の宝物です。 真二さんってどんな人?って聞かれることがあるんですが、僕はこう答えています。「人間愛にあふれた優しい人です。それとギャグ好き」って(笑)。普通、あれだけのネームバリューがあると、なかなか普通に会話なんかできなかったりするんですが、真二さんにはまったくそれがないんですねえ。たぶん、ものすごく気を遣ってくれてると思うんですが。 それとあの音楽的才能、すごいです。時代が追いついていないって感じさえしますよ。だから今回みたいな脚光の浴び方は、僕としてはほんと不本意なんです。でも、僕は信じてます。アーティスト「原田真二」の才能を。
【四方山日記〜その6】 13デイズ
映画「13デイズ」を見てきました。劇場で見るのは「カル」以来かなあ。1962年のキューバ危機を描いた実録モノですな。たぶん、興味ない人には、ほんとつまらない作品かもしれませんね。あっしは結構好きですよ、こういうジャンルはね。でも、ちょっと考えさせられてしまいました。アメリカ政権史上、最も若い3人の男たちの物語なんだけど、当時の大統領JFKの年齢は45歳、司法長官だったロバート・ケネディに至っては36歳という若さ。もろあっしたちの世代じゃないっすか。自分が今、同じような決断を迫られたら・・・とてもじゃないけど耐えられませんな。なんてたってその決断に国の命運、もっと言えば世界の命運が託されてたワケだから。まあ大げさにいえば、そんな自己投影をしながら見てたワケですよ。(男はわりとこういう物語に影響されやすいです。)これを自分に置き換えてみると、大きい小さいは別として、まさに人生とは日々決断の連続だなって改めて思い知らされます。しかし、なかなかスパッといかないのも、また人生。決断にちょっとだけ迷ってるあなたに、ちょっとだけお奨めの映画です。
【虎の自叙伝〜その6】 高校時代
高校時代について、ちょこっと書こうかな。 何を隠そう1回生なんですわ。つまり、新設の高校っていうことです。新設っていうとさ、イメージとしては、自分たちで校風をつくってやるぞ、みたいな期待感でいっぱいだよね、普通は。なんてったって、まだうら若き15歳なんだから期待するなっていう方が無理ってもんよ。ところが案の定、世間様はそんなに甘くはないんだよね。入学して1ヶ月ぐらいでその期待感はもろくも崩れ去ったよ。つまり、校風が無いってことは、自分たちでつくっていける可能性もあるかわりに、それだけ管理しやすいってことでもあるわけだ。まさにそのマイナス面がもろにでちまったって次第よ。とにかく管理、管理ですごかったよ。 あーあって感じだったなあ、このときばかりは。これからの3年間、いったい何を楽しみに過ごしゃいいんだよって真剣に悩んだね。いったいあれはなんだったんだろう。学校全体がどよーんとした雰囲気でさあ、ほんと覇気が無いっていうか、暗かったなあ。これが教育なの?って感じ。20年以上も前でこれなんだからさ、今の教育がどうのこうのっていうのは、その頃から容易に想像できたんじゃないの?そりゃ、耐えるっていうのを教えるのも教育かもしれないけどさ、モチベーションの低下を招くようなことは絶対しちゃいけないと思うよ。これは他の組織、例えば会社でも同じでしょ。ほんと、こういうことを無意識でやっちゃう肩書き主義の人たちが多すぎるから、みんな余計なストレスを抱えているんだろうな。もーどうにかしてくれ〜!
さあ、また一週間の始まりです。みんなでリ**ン飲んでがんばりましょう。
| 2000年12月16日(土) |
P5:中学時代の部活動/M4:The LOVE/D5:ライブ遠征 |
【虎の自叙伝〜その5】 中学時代の部活動
今日は、中学時代の部活動のお話。 まず、はじめに入ったのは剣道部。なぜここを選んだのか、今となっては思い出せません。 剣道には、他の武道と同様、検定試験みたいなものがあって、あっしは何を隠そう3級の腕前なんですぜ。ぷっという笑い声が聞こえそうですな。決して自慢下に言うほどのことじゃございませんね。履歴書に書くのも恥ずかしいくらいの腕前です。武道では少なくとも「段」以上でないとあまり大っぴらには言いません。でもあっしは履歴書に毎回書いておりました。半分は受けねらいですが・・・。 さて、この剣道部が顧問の先生の都合でなんと1年で廃止されてしまいました。あっしは途方に暮れました。そんな時舞い込んだ友人からの勧誘。つられるままに入ったのが、これまた武道の弓道部。 あっしの通っていた中学は、この弓道部がめっぽう強かった。県内で3位以内の実力です。しかし、えかげんな動機で入ったあっしがそう簡単に上達するはずがありません。まあ、言うなれば補欠チームです。ところが、何事にも番狂わせというものがあります。それは市の秋期大会のときに起こりました。補欠チームのあっしたちが、レギュラーチームに勝ってしまったのです。弓道の団体戦というのは3人編成で、1ローテーションで12射します(1人4射×3人)。これを3ローテーションして合計で36射、その的中数を競い合うわけです。だいたいあっしの的中率が悪いのは、狙いを定める時間が短すぎることにありました。間が持たないというか、要はせっかちなんです。弓を引いたと思ったら狙いを定める間もなく矢を発射。これでは狙いが安定するはずもありません。ところがこの大会のときは、どういう訳かこの間持ちがよくて、ポンポン的に当たってしまったのです。これにはレギュラーチームの面々も驚くばかり。あっしたちの補欠チームが優勝という快挙を成し遂げたのでした。(ちなみにあっしたちが勝ったのは、後にも先にもこのときだけです。)そのときの賞状は、それから何年もの間(あっしが卒業してからも)、校舎内のとても目立つ一角に飾ってあったという噂です。終わり。 【音楽見聞録〜その4】 The LOVE
今日は男性3人組グループ、The LOVE。 はじめて見たのは、彼らがまだアマチュアだった頃に出場した音楽コンテスト「ミュージッククエスト」の本選大会。でもそのときはただステージを見たというだけで、本人たちとは話してないんじゃないかなあ。 ちゃんと話したのは、ボーカルの平(たいら)がキャンペーンに来たときだった・・・と思う。まあホントよくしゃべるヤツで、そこらの田舎のいいにいちゃんって感じ。でも、このときの会話は今でもよ〜く覚えている。なぜってさあ、映画「猿の惑星」の話で大いに盛り上がったから。 あの映画って実はシリーズもので、全5作あるんだけど知ってた?特に有名なのは第1作目。あの衝撃のラストシーンを覚えている人も多いんじゃないかなあ。まあ間単にストーリーを解説すると、地球を飛び立った宇宙船が軌道を外れてある惑星に不時着した。ところがその惑星は、高度な知能を持つ猿に支配され、人間は奴隷のように扱われていた。しかしその惑星こそ・・・とラストシーンに続いていくんだけど。5作全部見てる人っていうのはあんまりいなくって、その全てのストーリーを細かく話してあげたのさ。そしたら平のヤツ、興味津々で身を乗り出して耳を傾けてたってワケ。 と、ここまではいいんだけど問題はこのあと。ヤツが大阪キャンペーンに行ったとき、局のディレクターに「何かおもしろい話ある?」って聞かれたらしいのさ。そしたらあいつ、得意げにあっしから聞いたばかりの「猿の惑星」の話を持ち出して、さも自分のネタのようにしゃべりまくったらしい。それも番組の中で。映画をまったく見ていないのにだぜ、コノヤロー。ええかげんにせえや!平。(笑) それからというもの、あいつに会うたびに交わす最初の会話は「おい平、猿の惑星見たんか?」(笑)。どうもあいつ、未だに見ていないらしいんだよね。だって毎年くれる年賀状には必ずこう書いてあるんだよ。「今年こそは猿の惑星を見ます」ってね。もう、何年同じこと書いているんだよ、平クン。
追伸 「猿の惑星」ほんといい映画です。興味ある方は5作連続して見るのをお奨めします。 ちなみに各タイトルは次の通りです。 第1作 「猿の惑星」 第2作 「続・猿の惑星」 第3作 「新・猿の惑星」 第4作 「猿の惑星・征服」 第5作 「最後の猿の惑星」
【四方山日記〜その5】 ライブ遠征
今日はちょっと隣町までライブ遠征だ。 まず、午後2時からのJungle Smileのストリートライブを見た。雨だったけど、100人以上のファンの人たちが集まった。久しぶりに聴く、彼らの生歌。とってもよかったなあ。高木郁乃のボーカルは、心を癒す不思議な魅力があるよね。 そして夕方、LUNA SEAのホールツアーファイナル。終幕を発表しているだけあって、開演前から異様な雰囲気。今日の公演が終わると、あとは東京ドームの2公演を残すのみとなるプレミアム的要素の強いライブだ。 とにかく1曲目から圧倒的パワーの連続である。一つの頂点を極めたバンドの全てを体感してやろうと、それなりに意気込んで会場に足を踏み入れたのだが、完全に玉砕してしまった。彼らのパワーも凄いが、それを全身全霊で受け止めるファンのエネルギーも壮絶なものだと改めて感じた。 終演後のメンバーには、「おつかれさま」という言葉をかけるのが精一杯だった。今は他の言葉が見当たらないのだ。 残る東京ドームの2日間、メンバーもそしてファンのみんなにも、悔いの無い素晴らしいライブ空間を共有してほしい、今はただそう願うばかりである。
| 2000年12月15日(金) |
P4:記念樹/M3:こだまさおり/D4:じんじんと・・・ |
【虎の自叙伝〜その4】 記念樹
小学校を卒業する時、未来への思いをこめてクラスのみんなと記念樹を植えた。なんの木だったかは忘れてしまったけど。 この夏、久しぶりに(たぶん20年以上ぶり)その場所に行ってみると、そこにはプールが造られていて、僕らの記念樹は跡形も無く消えていた。どこかに植えなおしたのかな、と思ってそのあたりを探してみたが見つからなかった。なんかとても寂しかったが、20年以上も来てなかった僕がとやかく言う筋合いのものでもない。 校庭に入ってみると、小学校時代の印象とはずいぶん違って見えた。鉄棒とかにぶら下がってみるとそれは歴然とする。なんたって足が宙に浮かないのだから。 この日は日曜日だったので、人がほとんどいない校庭をぶらぶら歩いてみた。そうしていると不思議なもので、あの頃の思い出が次々に浮かんでくる。あの頃の友は、今ごろどこで何をしているのだろう、なんて事を漠然と考えているうちに、なんともいえない寂しくて哀しくて胸がしめつけられるような、そんな思いが脳裏を支配する。 どうして小学校なんかに行く気になったのだろう。校庭をあとにしながら考えているうちに一つの結論に結びついた。今の僕はきっと「自分探し」をしているんだなって。導かれるようにあの場所へ行ってしまったのは、偶然とはとうてい思えないのだ。 【音楽見聞録〜その3】 こだまさおり
今回はこだまさおり嬢。 ズバリ、彼女はあっしにとっての女王様なんですよ(と一方的に思ってます)。おかしいっすか。でも事実だから仕方ありませんね。ところで、なぜ女王様なんでしょう。それは彼女があっしに会ったとき、必ず要求することがあるからなんですよ。わかります?それはねえ、「褒めちぎる」ってことなんですよ。でもね、これが結構な快感なんです。あっしの周りには、こんな事を要求する女性はいませんからねえ。それと彼女が持ってる雰囲気なんですかねえ、全然嫌味じゃないんですよ、これがまた。だからあっしは彼女に修行させてもらっているんです。もちろん女性を褒めるということにです。近しい人に言わせるとあっしという人間は、どうも正面から褒めるのがヘタクソらしいです。だから彼女には感謝しているんです。ありがとう、女王様。 と、こんな間柄の彼女なんですが、実は繊細な人だと思ってます。でもね、会ったのは今までに3回ぐらいしかないんじゃないですか。それがもうこんな関係です(笑)。彼女の人柄がわかるってもんでしょ。 たぶん歌にもそれが表れているんじゃないですか。ポップなサウンドの裏に隠された内面のリアリティ。彼女の歌にはそんなところがあるように思いますが、いかがでしょうか。 21世紀、ほんとにがんばってほしいアーティストの一人です。 また、ごはんでも一緒にたべましょう。もちろんおごってね、女王様。
【四方山日記〜その4】 じんじんと・・・
たった今、帰宅です。うへー、完全な午前様やんけ。3時過ぎとるやん。もう寝ないかん。でもここで日記を書かんとだれだれになってしまいそうなんで、書きますよ。 なんでこんなに遅くなったかっていうと、久しぶりにじんじんこと陣内大蔵と飲みに行っとったからです。もう何年ぶりになるのかなあ、奴と飲みにいったのは。まあ、ほんの2時間ぐらいなんだけどね。付き合いは10年以上になるっていうのに、最近はとんとご無沙汰でした。それはなんでかっていうと、奴があっしの町になかなか来ないからです。まあ、いろいろ大人の事情が絡んでるから仕方がないんだけどね。内容?それはちょっと言えまへんなあ。でもさすがに今日は疲れてたみたいで、0時を過ぎたらおねんねでしたわ。 彼のことは近いうちにとなりのコーナーで書こうと思ってますんで、今日はこの辺にしときます。おやすみなさい。
| 2000年12月14日(木) |
P3:消極的/M2:泉川そら/D3:年賀状 |
【虎の自叙伝〜その3】 消極的
小学校の通知表の備考欄には必ずといっていいほどこの「消極的」という表現があった。それも小学校1年から6年までずーと。本当はとてもナイーブな人間なのだ。みんな誤解しているぞ。しかし、どこでどう間違ってこの世界に入ってしまったんだろう。 それはさておき、小学校の頃ってなんで授業中にあんなに手を上げさすのだろう。自己アピール?積極性?・・・まあ、そのあたりの養成が目的なんだろうが。今はどうなのかな。 あっしは、ほんとうにあの行為がイヤだった。特に父兄参観日の授業だと最悪だ。みんながはりきって手を上げるのを横目でみながら、一瞬のタイムラグを計算して手を上げてたもんだ。たぶん恐ろしく自信なさげだったんだろう。先生の視線はあっしの伏目がちの視線を一直線にゲット。そうすると、心臓のバクバク感はピークを迎える。そのあとは、体の芯がカーッと熱くなってぼーっとしていまうんだ。そのときの名残なのかもしれないが、未だに大勢の人の前でしゃべるのは苦手なのである。えっ、得意なの?もちろん二人っきりの密室です。うっしっし!(笑)
【音楽見聞録〜その2】 泉川そら
今日はこの方、泉川そら。 はじめて会ったのは、まだ最近だね。ここ2年ぐらいの間。最初に思ったこと。この人いったいいくつなの?それぐらいわかんなかった(笑)。でも、ほんとうは今何歳なんだろう。まっ、そんなことはこの際ノープロブレムだす。 覚えてること。まず三角錐のかたちをした小さなチョコレートに「泉川そら、よろしく」(みたいな言葉だったと思う)と書いたものをもらったのさ。たぶんこれは、彼女なりの名刺のつもりで渡したんだと思うのよ。普通はそう理解をするはずなんだけど、そのときのあっしは「おっ、チョコレートか」という理解がまっさきに来てしまって、思わずパクッ!そう、その場で食べてしまったのずら。あっしという人間は、ファーストインスピレーションをとても大事にするタイプなんで、疑いの余地もありやせんでした。ちゃんちゃん! あとで聞いた話なんだけど、業界広しといえど、その場で食べてしまった人はあっし一人だったらしい・・・。ええかげんにせえよ、虎平太!ってファンの方からのお叱りの声が聞こえそうですが。もう食べちゃったんだから、しようがないよね。 あっしにとっての彼女のイメージは、ずばり「ニコニコ」ちゃんです。そう「ニコニコ」しているところしか見たことが無いのです。これ、なかなかできませんぜえ。それと元気。とにかく元気です。だから、彼女の近くにいるとあっしまでやさしい元気印になれるのです。感謝、感謝! 来年には、新曲を聴かせてくれるらしいので、ファンのみなさま、一緒に待ちましょう。
PS.彼女のシングルジャケットのどこかにあっしのお顔が出てるざんす。持ってる人は探してみてね。 【四方山日記〜その3】 年賀状
そろそろ年賀状を書かなきゃいかん、と思ってハガキを買ったまではいいのだが、まだ何も手をつけていない。毎年、この時期になると頭をよぎる恒例の出来事である。 そもそも、パソコンを買おうと思った最大の理由は、この住所録の管理にあった。もう5年も前のことである。それがようやく生かされたのは去年のこと。ソフトもバージョンアップしてあとは住所録データを入れ込むのみ。ちなみに私のソフトは「筆まめ」である。 (ぐひひひ・・・?)そんな時、もう一人の自分が心の中で吐き捨てるようにつぶやく。「そこからが大変なんだよ」ってね。 毎年増えつづける名刺の山を前に、はたどうしたものかとつい考え込む。計算上では、1日10件入力すると1ヶ月で300件の住所録が完成する。それが時間が迫ってくるにつれて、じゃあ1日20件でどうだ、いや30件。・・・できるわけがない。 こうやって毎年同じような計画を立ててはしぼんでいく。計画どおりできないのは、小学生も大人も大してかわりやしない。だが、やらねば・・・。残された時間はあまりに少ない。 ただ、こうしてつまらない文章を書いているうちに、大晦日を迎えてしまうのが一番恐ろしい。このままだと20世紀最後の日にこうつぶやくことになるかもしれない。「来てからだそうっと!」。本当にこんなかたちで私の21世紀がスタートすることになるのだろうか。 本気と書いてマジでヤバイぜ!
| 2000年12月13日(水) |
P2:イマジネーション/M1:沢田知可子/D2:暖房器具 |
【虎の自叙伝〜その2】 イマジネーション
高校時代、英語の構文の暗記が苦手でよく補習を受けさせられた。何度読んでも覚えられないのだ。そのくせ、ずいぶん昔の出来事なんかは詳細に記憶していたりする。そんなときこの二つの出来事の違いにハタと気づいた。それは、イマジネーションなのだと。英語の構文は、いうなればテキストデータだ。そこには文字情報しか存在しない。だから、文字の並びやスペルを覚えようとしても単純作業になってしまって、記憶されにくいのだ。(と勝手に注釈をつけた。)おそらく自分は、こういった作業が苦手なんだと。そう考えると、いろいろな点で合点がいく。 昔の出来事をよく覚えているということは、友人たちからも時々指摘されていたことだ。ある種の映像で記憶しているのだ。まるで映画のようにそのときのシーンが浮かんでくる。頭のなかにある動画をただ言葉で再現すればいいのだから楽なものだ。よく恐ろしく記憶力のいい人が、驚異の****みたいな番組に登場したりするが、あの人たちはイマジネーションの転換作業を意図的に行っているという話を聞いたことがある。 最近このイマジネーションという、言葉にしてしまうと実に曖昧なものが、実は自分という人間を大きく支配していることに気づいた。ただその影響は、人によってずいぶんようだが。だから、仕事上で会話がまったく通じない人がいたりすると、まずこのことを疑ってみることにしている。そうすると意外に納得できたりすることが多い。特にモノ創りの現場では、とっても大切なことなのである。何かを創り出すということは、イマジネーションの創造・共有に他ならないからだ。由々しきことは、そうじゃない人たちが創造現場にあまりに多いことである。
【音楽見聞録〜その1】 沢田知可子
いったい誰のことから書けばいいんだ!と思わず悩んでしまうくらい、これまでにたくさんのアーティストの方々に会わせていただきました。感謝!感謝です〜! まずはホームページ開設のメールを出して最初に個人メールをいただいたこの方から。沢田知可子おねえさま。なんていうと怒られそうですが(笑)。 出会いはですねえ、もうかれこれ10年以上前にもなるでしょうか。たぶんデビューアルバムがリリースされたあたりだったかな?(このあたりが実に曖昧)キャンペーン(大雑把にいいますと、アーティストが新曲をリリースしたときにラジオ局や雑誌の取材などを受けたりすることです)でわが局に来てくれたのが初めての出会いでした。第一印象はねえ、おとなしそうな人でした(笑)。だいたい、あっしのインスピレーションは的確なんですが、このときばかりははずしました。だって、彼女のコンサートに行ったことのある人ならわかると思いますが、もうしゃべるしゃべるのしゃべりたおしって感じでしょ。こんな人だったとはまったく想像がつきませんでしたね。信じられないかもしれませんが、当時、録音番組でひとりしゃべりをしてもらったんですが、流暢には程遠い印象でしたよ。彼女に言わせれば、番組でひとりでしゃべるの、はじめてだったんだって。そうそう、収録終了後、あっしの一言が彼女の荒ぶる魂に火をつけたらしいです。口の悪いあっしのことだったから、たぶんおちゃらけて毒づいたんだと思いますけど、残念ながら覚えていないっす。そのことを思い出させてくれたのが、わが県でのはじめてコンサートでしたね。アンコールで彼女の口からあっしの名前が出たときは正直ビビリましたが、あっしに対する感謝の言葉を言われたときには思わず目頭が熱くなっちまいました。ああ、ここにあっしのことをわかってくれていた人がいたんだってね。人間、ひとりの理解者がいることでスゴイパワーが生まれるもんです。 彼女のすごいところは、いつも前向きに闘っているところかな。ええかげん、休んだらどう?って言ってあげたいときもありますが、それが沢田知可子の証なんでしょうね。会うたびにパワーもらってますよ。これからもどうぞよろしく。お姉さま! 【四方山日記〜その2】 暖房器具
暖房器具がフル稼働の季節到来です。みなさん、何を使っていらっしゃいますか? 暖房器具を選ぶ条件として考えられそうなのは、燃費のよさ・燃料補給しなくてすむ・空気が汚れない・・・まあこんなところでしょうか。ちなみにあっしは、石油ファンヒーターを使うとります。原油高騰とはいってもやっぱり燃費はコレがいちばんじゃないですかねえ。まあそれはさておき、我が家のファンヒーターは三菱製品です。決してメーカーのまわしものじゃありませんよ。これにはちゃんと理由があります。石油製品の弱点は、�ヾ┐ぞ貊蠅任稜確訴箋襦↓⊆蠅�汚れる、�E�油を買いに行かなければならない、まあこんな感じでですよね。今日はその中の�,鉢△謀�てはまるお話です。 買った当時、三菱製品には自動補給ユニットなるものがあって、これがめちゃ便利なる代物だったんです。他のメーカーには、これに該当する製品が見当たりませんでした。それはファンヒーターのカートリッジの蓋を開けることなく給油ができるというもの。ユニットにはファンヒーターのカートリッジをそのまま装着できるスペースがあって、乾電池で作動します。そしてユニットがチューブによって灯油ポリタンク(18リットル)につながているという寸法です。ボタンひとつ押せば約90秒で給油完了です。どうです、便利でしょ。ただね、ひとつだけ気がかりなことがあるんです。このユニット、5リットルと3.6リットルのカートリッジには対応しているんですが、9リットルには対応していません。去年あたりから、9リットルカートリッジが主流になってきまして、もう新製品では5リットルタイプはないんじゃないかなあ。だから、今使っている器具が壊れたらオシマイというわけです。あと何年かはもつとは思いますが。でも、そのうち9リットルタイプのユニットも発売してくれそうな気もしてるんですが。(あっしの知らないところでもう発売しているのかも知れませんね。)実に素晴らしい製品なので、三菱電機さん、よろしくお願いしますよ。
| 2000年12月12日(火) |
P1:M0:D1:はじめまして、虎平太です! |
【虎の自叙伝〜その1】
はじめまして、虎平太です。 はじめてじゃない人もたぶん多いと思いますが。(笑) とりあえずこのページは、「虎の自叙伝」とタイトルがあるように、あっしの自己紹介のようなものを書いていこうと思っとりやす。 出身は尾張平野の方なんだけど、今はある事情で(何の事情?)北陸地方のとある町に住んでます。はやいもんでもう人生の半分近くになりますねえ。はじめてこの町に来たときのことは今でも鮮烈に覚えてます。とにかくさびしそうなところっていうのが第一印象(冬で雪がしこたま積もってたから)でしたね。それが気が付いたら10年以上、人生何が起こるかわかりません。今は結構気に入ってますよ。 「住めば都」ってよく言いますが、あれはねえ、10年以上住んでみなきゃ出てこない言葉だと思いますよ。あっしなんて住んで7〜8年ぐらいまでは、頭の中は「はやく脱出しよう」ってことばっか(笑)。 こっちは何が大変って、やっぱ冬の雪でしょう。太平洋側に育った人間はまずこれにやられます。精神的にこたえちゃうんですよねえ。それと経済的な負担もあるし。雪がふる地方と降らない地方では、生活費そのものが違ってくるわけだから。一例をあげると、車のタイヤ(冬のスタッドレスタイヤ)なんかその代表といえるんじゃないですか。3シーズンに一回買い換えるとして、その度に最低3〜4万円かかるわけだから、一年に換算すると1万円以上は余計に負担していることになります。あっしも今シーズンさっそく買い替えました。普通3シーズンといわれるところを8シーズンも乗っちゃったからいいかげんヤバイと思ったワケですよ。 でも、メリットもありますよ。それはタイヤ交換の技術に長けてくること。雪が降らないところに住んでいると、スキーとかやる人以外はまず、自分で交換なんかする人いないんじゃないかな。しないと人間、やりかたを絶対忘れます。まあホントのところはあんなめんどうなことはやりたくないんですが(換えなきゃいけないときは、まず雪が降りそうか降ったときで、寒い日に決まっていますから)、スタンドにもっていくと3000円前後は取られますから。そうすると年間6000円の出費。ちょっと考えますよね。あとは自分でやるかどうかの決断です。あっしはこう考えるようにしてます。1時間で3000円のお仕事、儲かった!儲かった!ってね。ようは心の持ちようです。じゃんじゃん!今日はこの辺で。
【音楽見聞録〜その0】
ごめんなすって、虎平太です。 このページは、あっしが某FM局に籍を置いていたときに知り合った、素晴らしきアーティストたちとの個人交遊録を書いていこうかなって思っとりやす。お楽しみに。と言ってみてはみたものの、いったい何から書けばいいんだ!うまくかけるのかよ。心配だ〜! それにしても放送局というところは、ほんとたくさんのアーティストたちがやってきてくれる音楽ファンにとっては天国みたいな場所です。じゃあ、なんでやめたんだよ!って声が聞こえそうですが、まっそれはおいおい別のページで書いていくとして、とにかくいろんな方たちにお会いすることができたのは、放送局にいたおかげだと実感していますよ。 じゃあどれぐらいの人たちが来てくれるのかといいますと、あっしがいた局で年間大体120〜150組ぐらい。地方局としては相当上位にランクされるんじゃないでしょうか。これはラジオ局にとってはほんとありがたいことです。先方から、新曲をもってぜひ伺いたいとオファーが来るわけですから。普通のビジネスではまず考えられませんよね。こちらから売り込んでいくのがあたりまえなんだから。でも、そのありがたさをいったいどれくらいの人間が理解していたのかはかなかだ疑問ですね。だからあっしはもっとがんばりたっかった!がんばりたっかったけど・・・。 でも、そこで出会ったアーティストたちとは、今でも交流が続いています。あっしの宝物です。でももっともっとみんなの宝物にしたい。彼らの素晴らしさを少しでも伝えられたら、そんな思いからこのページをつくりました。 とにかくがんばって書き記していこうと思います。
【四方山日記〜その1】
あっしの四方山ばなしのページです。 それにしても昨日からとてつもなく寒い。 寒さをいったいどこで感じるかというと、それはズバリ風呂の温度だ。いつも同じ温度に設定していると体が敏感に反応する(なかなかいやらしい表現だ)。昨夜はほんとそうだった。
昨日の出来事から 久々にやつらこと、ザ・コブラツイスターズの面々に会った。やつらは田舎もんなんで結構親近感がある。田舎から都会に出てくると、とたんに垢抜けたりするもんだが、やつらには一向にその気配がない。そこがまたいいのだ。これからもずっと垢抜けないでいてほしい。たぶん心配することもないだろうが。 ここのマネージャーM氏がまたインチキくさい。あっしはインチキマネージャーと呼んでいる。顔はモノマネのコロッケにちょっと似ているのだが。 そんなコブラツイスターズご一行様。ほんとよく来てくれてありがとう。来年もまた来てね。人のやさしさが胸にしみる今日この頃です。
|