戯れ言��
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今回も1年ぶりに偽律儀に更新してみる。
思ったよ。オレは思った。人間の習慣は恐いなって(違)
本題、何かを書きたいと書き始めている訳ではない自分がやはり今もいます。
しかし一つ、書き残すからには一年前の自分の言葉を修正させて戴きたい。
何というか諦めとかじゃなく、自分は誰かに意図的に恩返しできるような立派な人間じゃない。
むしろ「支えてもらってナンボの人間」なんだという自覚が一年で5倍ほど増しました。
この不況と呼ばれる中で、5倍も増しになるなんて、ある意味サービス精神に長けているのか(全違)
真面目に。自分を蔑むという訳じゃないけど、何年も昔の誰かにかけた迷惑や失敗を
今更気付いてしまうケースが何十回もある。
今気付いたって直接どうする事もできないし、同じ失敗を繰り返さないようにするのが精一杯だ。
だから恩返しというものは、結果的に追いてきてくれれば最高だけど
意図して自分で決めれるものではないのだと、自分で自分を見て現在はそう思っています。
しかしやはり諦めとかではなく。
これは余談になるのかな。先日飼っていたベタ(魚)が死んでしまった。
3年以上、餌をやり続けたから魚といえど、情はやはり湧いていました。
2匹ベタが生き残っていたけど、そのうちの一匹。原因はヒーターのコンセントが抜けていたこと。
何だろう。長く居る居ないも勿論あるけど、人為的ミスにより、あの世にいってしまうのと
ほぼ寿命によりあの世に行ってしまうのは愕然と違う。
そして二匹は、ほぼ固まった体制で同じくらいの状態にあったけれど、蘇るように動き始めたのは一匹だけだった。
その違いは一体なんなのか。見た目はその時は同じ状態なのに何故、生死を分けてしまっているのか。
どんなに遅くとも心臓が動いている事と、停止していること。
この差の違いは当たり前に思えるかも知れないけれど、あまりに大き過ぎると再び感じた。
同じ環境、同じように見えても、帰ってくる者、帰って来れない者がいる。
時に寸分の差は、明らかに測りようがないほどの差を創り出したり、消し去ってしまう事すらある。
その差は少しの工夫と気付きのようなもので埋められたはずなのに。
やはり自分は「傲慢」だったのだろう。いや、今でも傲慢なのだろうと思う。もちろん怠慢も合わせて。
失った命や過去は同じ形で二度とは今の世に戻らない。
けれどもやはり今を生きて生かされている自分は、同じ失敗を繰り返さない気付きのようなものを
伸ばしてゆく心構えを持つことが必要不可欠なのだろう。
成長という言葉の欲でもなく妥協でもなく傲慢でもなく、
誰かを何かを大切に心に持ち続けて歩いてゆけるようになりたいと思う。
そして、もしかして生涯「そうなりたい」と思い続けること、そのものが一番肝心なことなのかも知れない。
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