大 将 日 記
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年末年始をゆっくり出来るのは良いですね。昨日なのて久しぶりに早起きして市場 に行っちゃいましたよ。まあ私の場合は一般客なんですが一般客では無いような素 振りだったので、何処の仲見世でも不思議な顔をされましたが、またそれが快感だ ったりする嫌な性格です。
今日は朝から大掃除を家族総出でしていまして、父と意見の対立が勃発。掃除の基 本は《拭く》なんですが、魚屋をやっていた私は《洗う》なんです。各部屋にぶら 下っている電器の傘を父は拭いて終わらせるのですが、私は台所で水洗い。更に窓 だってただ拭くのでは無く私は水洗いしてから乾拭きをする。まあどっちが綺麗に なるかはお分かりでしょうネ。 しかし、何処の部屋の電気の傘も窓も拭くとそれなりに雑巾が黒くなるんですが、 何故か私の部屋だけ黄色くなります。タバコって凄いんですねぇ。お陰で私の部屋 は何故か今はとても明るくなっています。
さて、先程テレビ東京の『恒例生放送!第37回年忘れ・にっぽんの歌』を夕食の時 に父に付き合って見ていたんですが、綾小路きみまろの歌の後、突然懐かしい曲が 流れて来て、見なれた学ラン姿の男3人が歌を唄っていました。曲のタイトルは『ハ イスクールララバイ』。グループ名は《イモ欽トリオ》。 私が中学生の頃に大ヒットした歌で、ベストテン番組で1位を何週間も独走した歌 でした。当時の人気番組『欽ちゃん 良い子悪い子普通の子』と言う番組から生ま れたユニットで、良い子の山口良一、悪い子の西山浩司、普通の子の長江健二の3 人が踊るのと一緒に踊ってしまいました。 30〜40歳代の女性たちがピンクレディの踊りが踊れるように、私は萩本欽一の ファンでしたから、当時の歌の振付は大体踊れますね。でもいい歳して何をやって いるんだろうと自分で情けなくなりました。
さて、今年一年、皆様はどんな年を過ごされたのでしょうか? 私は2月のオープン戦が始まった時から、今年はプロ野球一色で行くのかなぁと思 っていたんですが、結果的にプロ野球の開幕直後の4月から演劇にどっぷりになっ てしまいましたねぇ。船橋市民ミュージカルに始まって、既に今は3月の舞台の稽 古、なんと言ってもKey Stationの設立は大きかったですね。これからしばらくは 演劇中心の生活が続くような気がします。
思い起こせば、魚勝時代にお客様だった実祐ちゃんと言う女の子から、市民ミュー ジカルの話しが来なかったら、またこうして南風日記を書く事にはならなかったと 思います。今年は本当にこの実祐ちゃん親子のお陰で再び舞台の上に立つチャンス を与えて貰い、感謝感謝です。 私は例年、年賀状は自分の前の年の一番大きな出来事を写真にして送っています。 今年は喪中だったのですが、その前は『ちば県民だより』の表紙になった事を年賀 状にしました。

その前の年はジブリ美術館でした。

更にその前の年は、心の師匠さだまさしの聖地・長崎での一枚。

さあ、来年はもちろん『金の船・銀の橋』がメインの年賀状になっています。私か ら年賀状が届く予定の方は明日の朝をお楽しみに。それ以外の方にも、明日の日記 での公表を予定していますのでお楽しみに。
今、丁度日本テレビで細木数子の番組が放映されていますが、私は今年《健弱》と 言う小殺界の年でしたが、来年は運気が達成に変わりかなり良くなると思ってます。
南風日記を書き始めて、もう7回目の大晦日。でも今回はまた新たな1頁の始まっ た南風日記でした。
皆さん、来年もきっといい年にしましょう。いい年にしましょう。本当に一緒にし ましょうネ。
では、南風日記はどうせ明日もいつも通り書くと思いますが、区切りとして
良いお年を!
以前の南風日記で、毎年12月30日に恒例になっていた事がありまして、知人か らのリクエストもありましたから今年もやらせて頂きます。
私達に夢と希望と感動を与えてくれた著名人の方々の中に、残念ながら2005年 を迎える事が出来ずに今年も多くの方がお亡くなりになってしまいました。 そんな皆様に感謝の気持ちを込めてお送り致します。
2月11日 享年78歳
 高木 均(声優) 虚血性心不全 この日、どれだけのジブリファンが泣いただろうか。アニメ界の王者・スタジオジ ブリのシンボルマークにもなっている『となりのトトロ』のトトロ役を演じたのが 高木氏であった。その他の代表作は『楽しいムーミン一家』のムーミンパパや、『銀 河鉄道999』のナレーションも担当していた。
3月20日 享年72歳
 いかりや 長介(ザ・ドリフターズリーダー) 原発不明がん頚部(けいぶ)リンパ節転移 世の中にこんな悲しい事が有ったのかと思い知らされた。30〜40代の人達は、 子供の頃は絶対にこの人の声で週末を迎えていた筈だ。 1969年スタートの『8時だヨ!全員集合』で、当時としては天文学的な瞬間 視聴率70%を記録し、日本全国から絶大な人気を得た。 お客様に対して「オイッス!」と挨拶し、更に「声が小さい!」と言って再度挨 拶をさせ、最後には「静にしろ!」と言う決まり台詞に、お茶の間は大爆笑の渦 が巻き起こっていた。「いってみよー」「だめだこりゃ」は当時の流行語になった。 『8時だヨ!全員集合』の放送が終了してから約20年後の2001年にNHK 紅白歌合戦にも出場し、『踊る大捜査線』では味のあるキャラが人気だった。
写真左は、2003年7月19日、映画『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レイン ボーブリッジを封鎖せよ!』の舞台あいさつを行った、いかりや長介(左)。 いかりや長介の復帰に、思わず涙ぐむ深津絵里(中央)と織田裕二(右)。 公の場に立つのは、これが最後になってしまった。
写真右は、2001年12月31日、NHK『紅白歌合戦』で熱唱するザ・ドリ フターズ。左から、志村けん・仲本工事・いかりや長介・加藤茶・高木ブー。
3月24日 享年67歳
 三ツ矢 歌子(女優) 間質性肺炎
3月25日 享年75歳
 下川 辰平(俳優) 敗血症 『太陽にほえろ!』で正義感が強く人情味あふれる刑事・長さんを演じていた。未 熟な後輩刑事達を叱咤激励し、時には石原裕次郎演じるボスの相談相手にもなった。 『太陽にほえろ!』出演前までは悪役が多く、生前「これに出ていなかったら、ずっ と斬(き)られ役でしたね」というほど、俳優人生の転機になる作品だった。 72年7月の番組スタート時から、82年に七曲署から異動するまで10年間に渡 り出演。「(他の刑事は)みんな殉職してるのに、なんでオレだけ生きてるんだろう」 と話した事もあったと言っていた。
写真左は、近年の下川辰平。右は『太陽にほえろ!』でのヒトコマ。
4月1日 享年73歳
 中谷 一郎(俳優) 咽頭癌 『水戸黄門』で風車の弥七を演じた、俳優座所属の役者さんでした。
写真左は、近年の中谷一郎。 右は『水戸黄門』でのシーン。左が弥七役の中谷、右が初代黄門・故東野栄治郎。
4月7日 享年72歳
 芦屋 雁之助(俳優) うっ血性心不全 『裸の大将』で主人公の天才画家・山下清そっくりの風ぼうとセリフ回しで話題を 集めたが、元々は漫才師からスタートし、コメディアンに転進した後に俳優となっ たのだが、娘を嫁に出す父親の心情を唄った『娘よ』の大ヒットで歌手としても活 躍する、関西を代表するタレントさんの一人でした。
4月15日 享年69歳
 横山 光輝(漫画家) 火事による全身火傷 1956年に『鉄人28号』を発表し、アニメ化されて漫画家として不動の地位を 築く。その後61年『伊賀の影丸』、67年『ジャイアント・ロボ』、71年『バ ビル2世』等を発表し、72年スタートの『三国志』は連載期間が15年に及び、 単行本は60巻が出版された。 少女漫画でも『コメットさん』『紅ばら黒ばら』を発表するなど幅広いジャンルで 才能を発揮するが、少女漫画の超代表作はなんと言っても『魔法使いサリー』だ。 3年前に足を骨折してから、ずっと自宅で寝たきりでの生活が続き、横山輝夫本人 の寝煙草が原因の火事で逃げ遅れたものと見られています。
4月29日 享年71歳
 小鹿 番(俳優) 急性腎不全 森光子主演の「放浪記」で、1961年の初演から菊田一夫役を演じ続けた名脇役 で、テレビドラマでは『前略おふくろ様』等にも出演していた。
5月15日 享年80歳
 三橋 達也(俳優) 急性心筋梗塞
5月17日 享年40歳
 鈴木 貴久(プロ野球近鉄バファローズコーチ) 急性気管支肺炎 1988年10月19日の川崎球場でのプロ野球ダブルヘッダー、ロッテvs近鉄戦 は、プロ野球ファンの間からは通称『10.19川崎劇場』と呼ばれて伝説になっている。 何故伝説になっているかの説明は省くが、この日に近鉄は2試合共勝てばリーグ優 勝。どちらか1試合でも負けるか引き分けるかで西武の優勝が決まる大事な試合だ った。その第一試合で負けていた近鉄は最終回に鈴木は20号本塁打を放ち、見事 に逆転をしたのである。 40歳、正に突然死だったとしか言いようが無く、前々日に腰を痛めたと言う情報 もあったが、司法解剖の結果死因は急性気管支肺炎。腰の痛みとは無関係だった。 何の予兆も無いまま死んで行った鈴木には、まだまだ若手を育てて欲しかった。
5月19日 享年91歳
 金田一 春彦(国語学者) くも膜下出血 小学生から大学生。はたまた社会人になってからもこの人には皆さん大変にお世話 になったと思います。『明解国語辞典』や『新明解古語辞典』等国語辞典の編さん を手掛け、辞書には必ずこの人の名前が記されていた物です。方言やアクセント研 究の第一人者で、アクセントの歴史的、体系的変化を実証したほか、放送用語の分 かりやすい言い換えにも貢献した。 1963年の吉展ちゃん誘拐事件では、犯人の言葉から出身地方を判定するなど、 事件にかかわる言葉の鑑定でも知られた。 軽妙な語り口で『笑っていいとも』等のバラエティー番組等でも活躍した。
6月7日 享年82歳
 コロムビア・トップ(元漫才師・元参院議員) 呼吸不全 1997年に胃癌が見つかり、胃の3分の2を除去する手術を受けた。その後、食 道癌や咽喉癌が見つかり、昨年7月にも手術を受けた。当時出演していた文化放送 の人気ラジオ番組『吉田照美のやる気MANMAN!』で癌の闘病を毎週報告し、 話題となった。 戦争中は加藤隼戦闘隊員としてアジア各地を転戦。終戦後、戦友だった池田喜作と 『青空トップ・ライト』の名前で漫才デビューした。50年に池田氏の死去に伴い、 声帯模写をしていた鳥屋二郎さんが2代目ライトとなってコンビ再結成。コロムビ アレコードの専属になって「コロムビア・トップ ライト」と改名。辛口の政治・ 社会風刺で人気を集めた。 幼い時に両親を亡くし、兄に育てられたことから、障害者施設の慰問など福祉に力 を入れ、それをきっかけに74年、参院全国区に立候補。初当選して二院クラブに 入った。80、83年の参院選に落選したが、作家野坂昭如氏が衆院選出馬で辞職 したため、83年に繰り上げ当選。続く89年に再選、参院議員を3期務めた。 平和への思いは強く、90年の国際平和協力法案には強硬に反対した。 心身障害者の援助を目的とした募金運動「あゆみの箱」の代表理事を長く務めた。
写真右は2001年2月、巨人宮崎キャンプで長嶋監督(右)と練習を見学中の物。
6月10日 享年73歳 レイ・チャールズ(米国歌手) 肝不全 サザンオールスターズの名曲『いとしのエリー』の英語バージョン『エリー・マイ ラブ』を唄った黒人歌手。
6月28日 享年44歳
 野沢 尚(脚本家) 自殺
7月17日 享年75歳
 鈴木 義司(漫画家) 悪性リンパ腫 テレビのバラエティー番組『お笑いマンガ道場』のレギュラー出演者として親しま れた。
7月22日 享年56歳
 星 セント(漫才師) 右肺癌 1970、80年代に人気を集めた漫才コンビ、セント・ルイス。 「田園調布に家が建つ!」「右目で右目が見られるか」「すぐ捨てよう、夢と希望 と卒業証書」「世の中に不足するもの、水と油とあんたの努力」「義理と人情とお 中元」「オレたちに明日はない。キャッシュカードに残(ざん)はない」等のギャ グで人気を博した。 70年代後半から80年代初めにかけてビートたけしのツービートと東京漫才の人 気を2分したが、直後に漫才ブームが起こると、セントさんは「テレビにこびたく ない」と、持ち前のつっぱり精神で演芸番組の出演を拒否。ブームに背を向ける形 で「ゴドーを待ちながら」など新劇の舞台やドラマに積極的に出演し、劇団を結成 するなど独自の活動を展開した。
7月25日 享年88歳
 下条 正巳(俳優) すい臓癌 映画『男はつらいよ』シリーズのおいちゃん役で、1974年の14作目から95 年の最終作(48作目)まで、故渥美清演じる寅さんを厳しく見守る「くるまや」 の頑固者の叔父役で出演した。俳優・下條アトムの父親。
写真右は、映画『男はつらいよ』のワンシーン
7月26日 享年52歳
 中島 らも(作家・ミュージシャン) 脳挫傷
8月4日 享年74歳
 渡辺 文雄(俳優) 急性呼吸不全
8月17日 享年40歳
 徳永 善也(元チェッカーズ) 舌癌 1980年代に人気を集めたチェッカーズのドラマーで、クロベエの愛称で親しま れていた。
10月10日 享年52歳 クリストファー・リーブ(米国俳優) 心不全 人気映画『スーパーマン』の主演として人気を博し、1995年の落馬事故で半身 不随になった米国の俳優。
11月11日 享年75歳
 ヤセル・アラファト(PLO議長) 死因未発表
FONT SIZE=5>12月18日 享年92歳
 高松宮妃喜久子 様(皇族) 敗血症 天皇陛下の叔母に当たる高松宮妃喜久子様。 1911年(明治44年)12月26日、15代将軍徳川慶喜を父に持つ元貴族院 議員徳川慶久公爵の二女として誕生。つまり、徳川慶喜の孫な訳だ。
まだまだ全員は紹介しきれていませんが、今年も本当に多数の有名人が亡くなりま したね。個人的にはやはり、いかりや長介さんの死が一番悲しかったですかね。
私が何故このような事を毎年やっているかと言うと、死んで行った人っていつか忘 れられてしまうんですよね。悲しいけれど。今だって、このHPを見るまで忘れて いた人って居たと思うんですよ。 忘れてしまうのは仕方が無いと思うけれど、夢半ばで死んで行った人だって絶対に 居ると思うんです。
私は逸見政孝さんが亡くなった時に、この企画を考えたんです。 そして最後にこのHPを見てくれた人が、故人の冥福を祈ってくれたら嬉しいなぁ と思いました。
どうぞ最後に、今年亡くなった方々に目を閉じて手を合わせてあげて下さい。 お願いします。
今年亡くなった著名人の皆様、夢と希望と感動をありがとう。 2005年も私は精一杯生きてみようと思います。 どうぞ、安らかに。
合掌
| 2004年12月29日(水) |
27年振りの歯医者にて |
斬ったオイラが悪いのか・・・ 斬られたお前が悪いのか・・・
今日は朝から大掃除と決めていたんですが、中掃除ぐらいに留まってしまいました。 予報では降るとは言っていましたが、千葉県にも初雪が降りました。 やっぱり掃除は天気の良い日に窓を全開にして行いたいものですよねぇ。
実は数日前から左奥歯が痛くて食べ物を右の奥歯でしか噛めない状態になっていま す。常に痛い訳では無く、物を食べる時だけ痛いんです。 恐らく虫歯ではなく、歯槽膿漏では無いかと思っているのですが、小学4年生の時 に最後の乳歯を抜いた以来、虫歯知らずで中学の時なんかは歯の健康優良児として 船橋市から表彰もされた事がある私が、掃除を終えて近所のとある歯医者に行きま した。実に27年ぶりです。
歯医者に入ると誰も待っている人が居なかったのでラッキーだと思っていました。 受付の女性がニコやかに
「こんにちは」
と言うので、健康保険証を出しながら
「初診なんです。お願いします」
と言うと、しばらくニコニコして私の顔を眺めていたので
「なにか?」
とたずねると
「今日は午前中で診察は終わりなんです」
と言われたのです。 まあ、これは致し方ありません。年末ですから、もうやらない所もあるでしょうし、 チョット残念に思っていると中からもう少し年上の女性が来まして
「どうなさいました?」
と聞いてくれたので、自分の歯の症状を持っているボキャブラリー全てを引っ張り 出し、しかも痛い事をアピールする為に大袈裟に熱演(舞台役者って嫌ですねぇ)。 それでもなんとかやってもらえないかなぁと甘い期待を抱いていると
「そうですか、申し訳ありませんが今日はもう大掃除に入っているので診察は出来 ません。1月4日にもう一度お越し下さい」
と言うではありませんか。それに対して少し私はムッとしたのです。人に聞くだけ 聞いておいて診察してくれない。だったら最初から聞くなって事ですよ。更にとり あえず聞いたのなら、簡単にこうすれば痛みが和らぐとかを教えてくれたっていい と思いませんか? まあ、痛いと言っても食べるのに不便なだけで普段はなんともないから大丈夫なん ですが、この対応っておかしいと思いませんか? 大体、私が最初に保険証を取り出した時に「午前中で診察は終わりです」と言うべ きであって、何も言わずに人の顔見てニコニコしている場合じゃないでしょう? 私はそのニコニコしている顔を見た時に正直言って・・・・
「可愛いなぁ、どっかで逢った事あったかなぁ」
と思ってしまったんですよ!
いや、まあ正直言ってタイプでした。ゴメンナサイ。 でもね、そいつと来たら追い討ちをかけるように
「ずっと貼って告知していたんですよ・・・」
と、申し訳なさそうに言って来やがったんです。これにはカチンと来ましてね。
「貴方は何を聞いてたの? 俺はさっき保険証を出しながら初診ですって言ったでしょ!しかも全然歯医者とも無縁だったけど、突然痛くなったから来たんですって言いましたよね?つまり私は今日の今日まで、ここには全然用事が無くて、前は通った事はありますけれど、年末年始の診察時間もお休みの貼り紙も見た事は無かったんです!」
とかなり怒り口調で言ったら、皆で顔を見合わせて
「だから年末年始の診察時間変更の紙を待合室だけじゃ無くて外にも貼ろうって言ったのよ・・・・」!
って・・・・・言うじゃない・・・・
でもあんた達、私が言いたいのは
そう言う問題じゃ ありませんから!
残 念 !
結局、ムッとしたまま帰ろうとすると、そのニコニコしていた奴が
「年明けは1月5日からですから・・・」
と言ってましたが、さっきは1月4日からだって言ったじゃないか!
「大丈夫です。もう来ませんから!」
と捨て台詞を吐いて帰ろうと振り向くと、まだニコニコしてやがって、その顔を見 たら急に・・・
「はい、解りましたぁ」
と、ニコやかに言ってしまった自分が情けないです。
切腹!
23日の呑み会以降、酒を呑みたいと言う気分になれない。 別に、また二日酔いになるのではないかとか、そう言う心配は全然していないのに、 呑みたい気分にならない。何故だろう? 今日も『泣いた赤鬼』の稽古の後、帰宅してとりあえず缶ビールを開けてみるもの の、350mlを呑み切れなかった。 体調は悪く無いのに変だなぁ・・・
と、まあ今日はこんな所で失礼致しますが、気になる有馬記念の結果をご報告致し ましょう。
第49回 有馬記念
私の予想は次の通りでした。
8−9 8−10 9−10
そして、結果は・・・・
1着 1 ゼンノロブロイ 2着 9 タップダンスシチー 3着 6 シルクフェイマス 4着 8 ダイタクバートラム 5着 10 デルタブルース
ゼンノロブロイが来てしまいました。 これが1着に入った段階で、私の勝ちは無くなりました・・・
さあ、次の予想は2005年1月5日に中山競馬場で行われる『中山金杯』です。 皆さんお楽しみに!
| 2004年12月25日(土) |
幸せの黄色い・・・・ |
今日、知人が突然「一緒に食事をしないか?」と誘って来た。 待ち合わせ場所に行くと、私を入れて男女4人での食事だったのだが、本当にただ の食事だけで酒は一滴も呑まなかった。
考えてみれば今日はクリスマス。 それなのに平気で集まれるこの4人って一体何だろうと考えていたら、女性の1人 がクリスマスらしい事をしたいと言い出した。そして突然だが全員で中山競馬場に 向かったのだが、中山競馬場と言えば千葉県でも屈指のクリスマスイルミネーショ ンスポットで賑わうのだが、近隣住民への配慮で22時でイルミネーションは消さ れてしまう。 そんな事も知らずに、着いた時は既に22時10分を回っていたので、ツリーの明 かりは拝めなかったのだが、それでも次から次へと人は流れ込んで来る。
何故か? それは明日があるからだ。
徹夜組も待ち望んでいる今年最後の祭典。
さあ、張り切って参りましょうか!
ノルかソルか!? 南風の・・・・
第49回 有馬記念 大予想!
出走場は次の通りです。
1 ゼンノロブロイ 2 ピサノクウカイ 3 ハイアーゲーム 4 コスモバルク 5 ハーツクライ 6 シルクフェイマス 7 ユキノサンロイヤル 8 ダイタクバートラム 9 タップダンスシチー 10 デルタブルース 11 ヒシミラクル 12 グレイトジャーニー 13 ツルマルボーイ 14 コイントス 15 アドマイヤドン
色分けしてあるのは、枠によって騎手の被る帽子の色が違うので、それを表してみ たんですが、チョット見難かったですかね? まあ勘弁して下さい。
今回の有馬記念出走馬は、15頭のウチ7頭がサンデーサイレンスの息子で、3頭 がダンスインザダークの息子と言う、昔は一世を風靡した懐かしい馬の名前が新聞 を賑やかしているのだが、やはり母親が違うとこうも子供の実力が変わって来るの かと思うほど、実力は偏っている。
とにかく有馬記念で1円でも良いから勝ちたいと思っている方には、1枠1番のゼ ンノロブロイを軸に買う事をお薦めする。 前走のジャパンカップ1着。その前の秋の天皇賞1着。2000mクラスのレース ならこの馬がお薦めなのだが、果たして2500m、特に中山の最後の坂を一気に 駆け上がるスタミナを残しておけるかが勝負の鍵を握るような気がする。しかも明 日は最内枠からの出走で、うまくスタートしないと馬群に沈む可能性もあるだけに、 馬が我慢のレースをどこまで出来るかが勝負だと思う。
次に注目すべきは、3枠4番のコスモバルク。前走のジャパンカップ2着の実力を どう見るかが問題なのだが、その前の菊花賞では4着と馬券に絡んで来なかった。 3000mの長距離は苦手なのだろうか? しかもこの馬の最も気をつけなければ ならないのは騎手・五十嵐である。 今年のダービーをご覧になった方はいらっしゃるだろうか? 五十嵐の打綱さばき は素人の私が見ても「あれれ?」と思ってしまう程で8着と掲示板にすら届かず。 しかも明日の有馬の鞍乗はこの五十嵐なのだから、買うとしても本命等にせずに、 応援馬券程度に留めておく方が無難かと思われる。
では、南風は一体何を本命に持って来たのか? まずは・・・・
5枠9番 タップダンスシチー
とにかく良い位置でのスタートが出来る。逃げ馬の特権を有効に使い、一気にゴー ルまで気持ち良く走れる姿が想像出来る。 前走の宝塚記念以降、3ヶ月の休養に入っていたので、レース感に不安があるもの の、馬なりで充分に1着を狙えるような気がしてならない。 私はこの馬を本命としたい。
そして次は・・・・
6枠10番 デルタブルース
出走馬中、最強の3歳馬の呼び声高いデルタブルース。前走のジャパンカップでは 強豪古馬を抑えて堂々の3着。そして何よりも更にその前の菊花賞1着は光る物が ある。菊花賞を制した馬は有馬記念に絡んでくると言うジンクスを信じたい。 更に注目すべきは騎手がフランスの長距離の魔術師・ボニヤだと言う事。確かボニ ヤは私の記憶が確かならばデルタブルース初騎乗だったと思うが、デルタブルース の脚を最大に生かせる騎手だと思っている。
そして最後に・・・・
5枠8番 ダイタクバートラム
強いんだか弱いんだか、どの距離が得意なんだか良く解らない馬で、馬券に絡んで 来るかどうかも解らないのだが、鞍乗が武豊と言う天才騎手を乗せて、どこまでそ の武が馬の持ち味を引き出してあげられるかがポイントだと思う。 勝利数は少ないものの、武騎手が有馬記念で馬券に絡んで来る確立は5割を超える。 その実力を買って私は上記3頭の馬番連勝三角買いで明日の勝負に挑みます。
8−9 8−10 9−10
もしこの中で、8−9が来たら確実に万馬券でしょうね。 その他の2つだって人気はあるものの、オッズは高く付くと思いますよ。
明日は幸せの黄色い帽子のワンツーフィニッシュで、正月の餅代を作れれば幸せで す。
2004年度代表馬を選ぶJRAオールスター、第49回有馬記念は、12月26 日の午後3時25分に中山競馬場、芝2500mで争われます。
さあ皆で黄色い帽子を応援しよう!
もう何年前になるのだろうか? 文化放送での朝のワイド番組『チャレンジ梶原放送局』と言う番組に彼女がゲスト 出演したのを聞いて、確かその日の夜に彼女にメールを送ったのがキッカケだった。
その彼女から「憶えていますか?」と昨日メールが来た。
彼女の名前はそらしどこと天越千愁(しどせんしゅう)さん。 10tトラックドライバーでありながら、ハンドルをペンに持ち替えてエッセイを 綴るエッセイスト。通称トラックドライターなのだ。
そんな彼女の公式HPに、Key StationのHPをリンクしてくれていると言う。 早速拝見しに行くと・・・・
あの南風日記が帰って来た!
と、紹介されていたが、こんなに恐れ多い紹介のされ方は非常に戸惑うが、正直に 嬉しい限りである。 プロのライターさんが、私のコラムをこんな風に紹介してくれているのだから、実 に誇りに思う。そらしどさん、ありがとうね。 今日の更新でKey Stationからもリンクをさせて頂く事になっておりますので、どう ぞ皆さん見に行ってあげて下さね。
さて、実は昨日は我家で『金の船 銀の橋』を観ながらダメ出しをしよう忘年会が行 われたのだが、私はとんでも無い醜態をメンバーに曝してしまったのだ。 我家で呑んでると言う事は、帰りの足や時間を気にしないで呑めると言う事なので、 兄貴・高木に言わせると
「驚くほどのハイペースで呑みまくっていた」
と言われてしまった始末だ。 お蔭様で、今日はガンガンの二日酔い。今までかつてこんなに酔った事は自分でも 記憶に無いくらいに酔ってしまったのだ。しかも今日は午後3時頃までベットから 起き上がれない程で、本当にいろんな方々に大迷惑をかけてしまった。
忘年会に参加したのは、Key Stationメンバーは山��姉妹と彬が来られなかったのだ が、金船メンバーからは新井かおりさんと本多道代さんが参加してくれた。 今回改めてビデオを皆で観たのだが、自分が思っている以上に他人は自分の演技を 高く評価してくれている事と、私達が感じている以上に、本人達は自分の演技に納 得をしていないと言う事だ。 特にみき姉さんは、伝吉狐を演じたのだが、私達はこの狐のシーンはほぼ完璧だと 思っていたのに、当の本人は「見たくないぃぃぃぃ」と言い出したのだ。相手役の 高木が言うのなら、台詞も間違えてるし、その心理がよ〜く解るのだが、みき姉さ んに言われてしまうとこちらは何もコメントのしようが無いのだ。 一体何が納得出来なかったのか、多分昨日の席で聞いてはいるんだろうけれど、ほ とんど記憶が無いので思い出せない。本当に失礼な私だ。
一昨日はKey Station年内最後の稽古が有ったのだが、私はとある事に気がついた。
稽古の後は決まったようにファミレスに行って、ファミレスの雰囲気を一瞬にして 居酒屋に変えてしまう集団になってしまうのだが、その時に姉さんが
「大将には素の自分を出してもらいたい」
と、突然言い出したのだ。
そんなの絶対に嫌だ!
と、頑なに拒んだのだが、とうとうそんな所まで見透かされてしまっているのかと、 正直言って焦ってしまった。
確かに私は普段から『笑い好きの南風』を演じているような気はしていた。特に稽 古では最近はマイムの稽古を良くやっているのだが、これは言葉を出さずに身振り だけで演技を作っていくので、表現力の強化に役立つ。 一昨日の稽古の時でも、私はすぐにドリフ風のコントにしてしまうのだが、それは それで確かにメンバーにウケるのでとても気持ちが良い物ではあるが、裏を返せば 私は笑いを取る方に逃げていたと言える。 市民ミュージカルでも、百姓のドタバタシーンと、黒牛の着ぐるみを来てのダンス は自分のセンスだけで出来たのだが、村一番の優しい真面目力持ちの好青年を演じ るのはとても難しかった事を思い出したのだ。
昨日のビデオ鑑賞会でも、やはりそれを指摘されてしまったのだが、それをズバリ 忠告してくれるのはKey Stationメンバーだけである。 その指摘は、次回出演『泣いた赤鬼』にも生かされると思って、真剣に話しを聞い ていたのだが・・・・
かなり酔ってて、あまり 憶えていないんです・・・
俺っていやな奴ですねぇ。
姉さん、こんな私を見捨てたりしないで下さいネ。
| 2004年12月21日(火) |
藤元ルイ少年が山口智子と言う少女になった時 |
昨日の掲示板にもWeb Masterが書き込んでいますが、私と笠井が出演するミュージ カル『泣いた赤鬼』の追加公演が決定致しました。 INFROMATIONコーナーでも紹介されていますが、3月27日(日)の宮本公民館み やもと三百人劇場が本公演で、追加公演は船橋西武百貨店の7階催事場ホールだそ うですが、昔に何かの用事で行った事は有ったんですが、もう何年も行って無いの で会場がどんな雰囲気の所なのかイマイチ良く解って無いんですよ。でも、折角作 った舞台を1度で終わらせるのは勿体無いなぁと常々思っていましたから、追加公 演も本当に楽しみです。2005年4月10日(日)ですので、宮本に来られなか った方でも交通の便は非常にイイですから是非観に来て頂きたいと思います。
今回は劇団空飛ぶひつじ主催のミュージカルですが、メインの赤鬼と青鬼をKey Station のコンビが演じる事になり、いろんな意味で私自身も楽しみです。
実はこの話しは日曜日の事なんですが、今回の『泣いた赤鬼』には先日も紹介した ように、船橋市民ミュージカルに参加した子供達が多数出演致します。パト、パティ の愛称で親しまれている守屋パトリシアと私は市民ミュージカルの稽古の時から特 に仲が良かったので、稽古での再会はとても楽しみにしていたし嬉しかった。 いや、別に他の子供達と仲が悪かったって言うんじゃ無いんですよ。パトは喫煙所 とかにでも
「くさいぃぃぃぃ!」
とかなんとか言ってるクセに、タバコを吸っている私の膝の上に乗って遊んだりし ていたんで、妙に可愛かったんですよ。
で、今回の出演者の中で市民ミュージカル稽古中にあまり言葉を交わさなかったの が山口智子ちゃん。主人公のルイを演じた彼女なんですが、緊張していたのか人見 知りだったのか解りませんが、本当にあまり言葉を交わす事が無かったように記憶 しています。
「ひょっとして嫌われてるのかな?」
と思ってしまうほどだった。
智子ちゃんは物静かだと言うイメージがあった。 他の子供達と違って「キャーキャー」「ギャーギャー」と騒ぐイメージは全く無く、 たまにはにかむような笑顔を見せるだけだった。でもその笑顔が・・・
とっても可愛いんですよ、 お客さん!
智子ちゃんと同じシーンで芝居をする事は前回の市民ミュージカルでは無かったが、 例えば私と高木がギャグのような追い掛けっこをして袖に下がると、中幕中央から 出て来て
「呆れたなぁ・・・」
と溜息をついたりするシーンが有ったので、一緒に場当たり稽古はしていたが、本 当に何度言葉を交わしたかは、その気になれば数えられる位だと思う。
そんな智子ちゃんとは、赤鬼の初顔合わせの時には智子ちゃんが欠席して逢えず、 結局なんだかんだで19日の日曜日に再会して訳だが、こちらとしてみれば市民ミ ュージカルの時とは出演の立場が全然違うので、結構神経的にはピリピリして稽古 場に乗り込んだ。 市民ミュージカルの時は子供達と遊んだりするのが楽しみだったのだが、今回は逢 ったり話したりするのは楽しみだけれど、遊ぶと言う気分にならないので、意外と 険しい顔をして稽古場に入っているような気がする。
その稽古場入りして準備をしている時、智子ちゃんは遅刻はしなかったが私より後 に入って来て準備をしようとした時、私の前に来てニッコリ笑って
「牛松さん(ハート)」
と声をかけてくれた。 市民ミュージカルの時には考えられなかったシチュエーションに私の方が思わず周 りをキョロキョロして・・・
「牛松って誰?」
と言ってしまったんです。
市民ミュージカルの時は小さな子供達が周りに大勢居たせいか、智子ちゃんは随分 と大きく感じられたのだが、今回みたいに少人数での稽古になると意外と背が小さ いのに驚いた。 私が「牛松って誰?」と聞いた時に、チョット垂れた目を細めてアハハと笑った時 のその笑顔・・・・
可愛い過ぎなんですよ、 お客さん!
でもね、パトと智子ちゃんは私と同じシーンに何度も出て来るんですが、随分と芝 居に注文を付けて来るんです。随分といろいろと考えて来ているんですよ。 大人数でまとめるのが大変だった市民ミュージカルと違って、その時の役者仲間達 が同じ物を作っていく姿はKey Stationと良く似ている感じがしました。
そんな智子ちゃんを初めとする子供達を見に来るって言う楽しみが有ってもいいじゃ ないですか。是非、私と笠井が競演する『泣いた赤鬼』を観に来て下さいね。
そんな訳で今日は休みますが、自分ではかなり凝った年賀状が出来て嬉しいです。
泣いた赤鬼の稽古が今日あったのだが、我Key Stationからのもう一人の参加者であ る笠井が、なんと私の相手役である青鬼に抜擢された。 これでほぼ出演者が決定したので、簡単に紹介をしておこう。
赤 鬼 南 風 市民ミュージカルでは、小室村の平右衛門や丸山新田開墾に一役買った黒牛の牛松や、 高根村と争いメタメタにされる南金杉の百姓の間抜けなリーダー格役等、結構キャラ の強い役ばかりを担当。その他、狐の嫁入りシーンのカオナシを自ら提案し実演。 市民ミュージカルでも笑いのシーンを提案したが、今舞台でもいろいろと笑えるセリ フを提案している。そう、私の事ですよ!
青 鬼 笠井 祐弥 市民ミュージカルでは、実年齢18歳なのに小学生・ハルヒコ役を演じ、その張りの ある通る声は舞台向きだと評判が高い。 今回、かなりの見せ場がある青鬼役に抜擢され、鼻息も荒く気合が入っている。
太 郎 木下 皓太 市民ミュージカルではルール尊重派のリーダー月之佑を演じ、持ち前の透き通るよう なホーイソプラノの歌声は評判となった。 今回は唄うシーンが無いものの、かなり重要な役所で、演出家からの期待も大きい。
木の精 山口 智子 市民ミュージカルでは主人公の藤元ルイ役として、新しい学校になかなか馴染めない 転校生と言う大役を見事に演じきった。 今回は木の精のリーダー格の存在で、ソロでの歌声も披露する事になるが、市民ミュー ジカルの時とは違い実年齢に近い女の子役と言う事で注目の的だ。
木の精 福満 美帆 市民ミュージカルでは分裂しているクラスを最後にはまとめる学級委員長のマイ役と して出演。今回は山口智子同様にソロでの歌を唄うシーンがある。
木の精・爺さん 岡田 倫枝 市民ミュージカルでは規律重視の中村役を演じた。 今回は木の精の他、年寄りのしかも爺さん役に挑戦。只今奮闘中!
木の精・婆さん 野島 萌子 市民ミュージカルでは「みんな友達!」と言う名セリフで一躍人気者になった、哀愁 漂う中国からの転校生・蓮ちゃんを見事に演じた。 今回は木の精と婆さんの二役で登場するが、小学生なのになかなか婆さん役が板に付 いている。
木の精・おむら 守屋 パトリシア 市民ミュージカルではリナ役を演じたが、細い身体からは想像出来ない程の音量のあ る声を武器に、今回も木の精の他、個性的な村の娘・おむらを演じる。 パトリシア節は、この舞台でも健在。期待大でありますよ。
木の精・おせつ 新井 ゆかり 市民ミュージカルでは心配性だけど、一輪車の猛練習をするミユ役を演じた。 身体は大きいけれど、とってもチャーミングなゆかりちゃんの木の精と村の娘・おせ つはなかなか可愛いですよ。
木の精・お花 岩崎 結衣 市民ミュージカルでは、元々昔話しのシーン転換の時等に活躍した童(わらべ)役で 参加したが、声の大きさと立ち振る舞いで途中から6年生のユキノ役に抜擢されて、 見事に演じきった。 今回は木の精の中で一番身長が低いので、見た目は勿論、セリフも可愛いんですよ。
樵の東太 豊咲 のどか
樵の庄助 庄 みゆ希 市民ミュージカルでは、重右衛門の他に大勢の使用人を取りまとめる久兵衛旦那の おカミさんを演じた豊咲と、南金杉の大男百姓から売られた喧嘩を平気で買ってし まう高根村の百姓を演じた庄の劇団空飛ぶひつじ所属役者2名が、実にナイスな樵 のコンビを演じている。南風・笠井のKey Stationコンビも負けてはいられません。
子供達 伊波 楓華 高橋 杏実 本多 義貴 市民ミュージカルでは浴衣を着て遊んでいる童を演じたこの3人の他に、今回が初 参加になる2名、計5名の子供役が登場致します。
『泣いた赤鬼』は、合計17名の役者達で幕が開きます。 どうぞご期待下さい。
| 2004年12月17日(金) |
本当に苦しいのは俺じゃなかった |
一昨日の稽古の帰りは船橋から足を伸ばして、京成船橋競馬場前駅近くのサイゼリ アで軽く食事をしたのだが、私はその日、朝から用事が有ったので車で稽古場に乗 り付けたのでアルコールが呑めないと言う苦しい立場なのにも関わらず、姉さんと 兄貴は二人でジョッキで乾杯をしていた。チクショー! しかし、私よりももっと苦しい立場だったのは、私が乗って来た車だった。
名称はスズキのアルト。660の軽自動車である。
帰る時、アルトに乗り込んだのは�睫據ι法Ε汽鵐織泪螢◆�私、そして二郎だ。
アルトの最大積載量は200kg。 私と二郎の2人で既に過積載だ。
アルトのあんなに唸って走る音は聞いた事が無い。 5人で乗って、ザット軽く見積もっても380kgは有っただろうが、あの積載量と言 うのはバックドアから乗せられる荷物の重さなのだろうか?
危うくスピード違反や定員オーバーと言うより、過積載で検挙されるかもしれない と、内心ヒヤヒヤしていた。
その証拠に、ブレーキの効きがいつもより悪かった。
二郎ちゃん、お互いに少し減量しようね。
来年から。
今日は年賀状を作ったりしていたので日記更新の時間が無い。しかし、2日連続で 休むと誰かに何か言われそうなので、昔のHPに書き記しておいたコラムを紹介し たいと思う。
これは、2001年9月に書いた物である。 もう一度言おう。これは
2001年9月 に書いた物である。
何故に2001年9月を強調したのか? 読めば解ります。 で、その2001年9月に書いた物を修正して、今日の日記にアップさせて頂きま す。
それでは、はじまりはじまりぃ!
これは2001年9月の事である。(しつこい?) 当時、家族で鮮魚店を営んでいた私達家族は、市場が隔週の水曜日が休みと言う事 で、毎週水曜日が定休日だったのだが、毎週水曜日になると、末の妹が娘を連れて 我が家にやって来る。
 当時はまだ1歳だった私の姪。ちなみに今は4歳である。
専業主婦は暇らしく、更に子守も爺・婆に任せられるので、本当に毎週やって来る。 しかし妹はタダ来てゴロゴロしている訳では無い。何かと家の中をいじっている。
父はマメで、家の掃除・洗濯・食器洗い等は他人に任せられないらしく、ほとんど 自分でやってしまう。二人の妹がまだ家に居た時からそうなので、娘の下着をたた んでいる親父の姿と言うのに、何も違和感を感じない。
しかし、父は私も驚く程に不器用な男である。
性格が不器用なのでは無い。ネジひとつ、画鋲ひとつ付けるだけでも、どうやった らここまで変な風に付けられるのだろうと、我々が首をひねってしまう程の不器用 なのだ。 一度、古くなった様式便器の便座を取り替えようとして、新しい方の便座を壊して しまい、古い方の便座は割れてしまっていて、何日か凄く不便な思いをした事があ る。そしてその時、便座の無い洋式便器が、あそこまで間抜けな姿になるものなの かと発見したのも事実だ。
そうそう、妹の話しだった。
妹は身体を動かすのが大好きだ。日曜大工をやらせたらそこらの男に絶対負けない。 娘の三輪車を組み立てたりするのは朝飯前で、先日も何やら隣の部屋から物音がす るので覗いてみたら、親父の書斎の机の電気を取り替え、更に何やら便利そうなグッ ズをホームセンターで買い揃えて取り付けていた。 またある日は、風呂の棚が壁に取り付けられていたり、玄関の扉の開き具合を調節 したり、また外の門が壊れていたのを治したりと、妹が来ると家の何処かが変わっ ていく。台所に新しい棚を作ったり、今、電子レンジが乗っている棚を作ったのも 妹。家族からは
『我家のビフォア・アフタァー』
と呼ばれ、大変に重宝されている訳だ。 先日の父の誕生日にも、映画好きの父の為に兄妹3人で5.1chのDVDホームシアター を買ってあげたのだが、配線とかも実に上手くしていくのだ。 女にしておくのが、本当に勿体無いとつくづく思ってしまう。
そんな妹が
「少しは整理しなよ!」
と母を叱っている声でその日は目が覚めた。
部屋を出て、1階の居間に行くと母は、本当に呑気に孫と遊んでいた、その脇で妹 は冷蔵庫の中を整理していたのだ。
「おはよう。何やってんの?」 「冷蔵庫の整理。お母さん全然やらないんだもん」 「そうだね。何か古代のモノとか出て来そうだもんね」 「ほら、3ヶ月前までの賞味期限のヨーグルト。しかもお母さんの食べかけが出て きたよ!」 「あら、まだ食べられるでしょう? とっといて!」
この母、何を考えてるんでしょうねぇ。それを何の違和感も無く食べようとする神 経が私には理解不能ですわ。これで本当に当時は鮮魚店を営んでいたのですから怖 い事ですよねぇ。
私の家には当時、冷蔵庫が2台あった。 1台は当然、台所にあるのだが、もう1台は庭に置いてある。庭に置いてある方は 主に飲み物を入れておく為に、近所で改築をする家が捨てると言うので貰って来た 物だった。
でも母の性格は非常に困ったモノだった。
母は、何故かいつも冷蔵庫が目一杯になってないと気が済まない人らしく、1台で はビールを冷やすスペースも無くて、困った親父がもう1台を貰って来たのだが、 その庭にある冷蔵庫も何故か目一杯状態になっている。
ちなみに言っておきますが、我が家は当時3人家族でした。しかも、家で食事をす るのは自営で店に出向いていたかに1日1回、夜だけだったのだ。それなのに2台 の冷蔵庫に食料は山のように入っている。 最初のウチは整理整頓が苦手な私もセッセと母の目を誤魔化しては冷蔵庫内を整理 (と言う名目のつまみ食い)していたのだが、もう最近は呆れてしまい、何もしな い事にした。 タダ、珍しく母が冷蔵庫を整理している時がある。そう言う日は必ず安売りのスー パーが更に特売のチラシを入れている日なので、夜になると冷蔵庫が唸る程、満杯 になってしまうのだ。 当時は魚屋を営んでいたのにも関わらず、その安売りスーパーの値札が付いた魚介 類が何故か良く冷凍庫内を賑わせていたような記憶がある・・・・・
その日、冷蔵庫の整理を終えた妹は、母と一緒に買い物に行った。 我が家は毎週水曜日は『肉の日』と決めていた。何故なら商売上どうしても魚介類 が食卓に登場する日が多くなるので、休みの日くらい肉を食べようと言う事になっ ていたので、その日も夕飯のおかずにする肉でも近所の安売りスーパーに買いに行っ たのだろうと思っていたのだが、母達が買い物から帰って来て、驚いた。なんと焼 き肉用の牛肉を1kg880円だったと言って、5kgも買い込んで来ていたのだ。
「冷凍にしておけば大丈夫よ」
と言いながら、庭の冷蔵庫のフリーザーに3キロ程仕舞い込んでいたのだが、今夜 だけで2kgを3人で食べるのかと思わず突っ込んでしまった。が、動じずに夕飯の 支度に取りかかったのだ。
この日、父はゴルフで居なかった。姪はまだ1歳なので、私と母と妹の3人で2kg の肉を処理しなくてはならないのだ。そんな心配を他所に、母は早速ホットプレート を出して焼き始めた。
時、折しも世間は狂牛病騒ぎで牛肉が売れて無い時なのに、我が家では
「オーストラリア産だから大丈夫」
と母が言いながら我々に肉を食べさせていた。
私もそうだが妹もよく食べる方で、二人で1kgを食べ尽くすのは意外と簡単だった。 母が2キロ目に手を掛けた途端、妹が
「ああっ!」
と叫んだ。
「どうした?」 「やばい。忘れてた!」
慌てて台所の冷蔵庫のパーシャル室を開けると、そこには解凍していたカルビ肉が 約1kg入っていた。
「冷蔵庫を整理した時に、ここに入れておいたんだ! 今日は肉の日だから、今夜 はこれにしようってお母さんと言ったんだ!」
もう解凍されて、やや変色していた肉。これ以上保存出来ないと判断した我々は、 ひの歳でどこかの相撲部屋に入門する覚悟で肉を食べる決意をした。しかし
「もうタレで食べるのはイヤだから、塩で焼いてサッパリと食べたいなぁ」
私が注文すると、妹がセッセと焼きながら
「ねぇ、レモン無いの?」
と母に尋ねると、台所のシンク下の棚をゴソゴソした後、母が缶に顔が書かれてい る缶コーヒーでお馴染みの某メーカーのレモン汁の瓶詰めを取り出した。
「へぇ、洒落たモノを用意してあるじゃん」 「確か、まだ未開封だから、開けちゃって」
レモン汁をかけて食べるのは大好きなので、これでまた食が進むと思ったのだが、 私も小枝も何か味がおかしい事に気が付いた。 気が付かずに食べ続けているのは母だけだ。 私は瓶を再び見た。すると何やら沈殿物を見つけ小枝に言うと
「あっ、瓶を振らなかったからだ」
とシャカシャカと振り始めた。 すると今度は、レモン汁の色が茶色になってしまった。 慌てた私と小枝は、もう一度瓶を見て驚いた。
なんと『賞味期限 1999年2月』になっていたのだ。
さあ、冒頭に書いた事を思い出して下さい。この話しは
2001年9月の事なんですよ!!
「おい、賞味期限が1年以上も前に切れてるじゃないか!」
と私が母に言うと、次に母が発した言葉に我々は椅子から落ちた。
「バカねぇ、この子は。正しくは2年以上よ!」
なんとも平然と言ってのける母。 我々はその後、レモン汁を使わずに食べていたのだが、母は
「勿体ない」
と言いながら、レモン汁をかけて食べていた。
運が悪い人と言うのは居るモノで、そんな中、コンペ後の宴会でほろ酔い加減の父 が帰宅して
「おっ、焼き肉か! 俺も少し食べようかな」
と何も知らずにレモン汁をかけて食べ始めた。 親父は喋り出すと止まらない人なので、我々がレモン汁の事を言う前にその日のゴ ルフの事を熱く語っていたので、ほっておいた。
明暗は翌日に出た。
顔色ひとつ変えないで、朝から元気に魚屋で働く母の横を、謎の腹痛にさいなまれ、 便所を何往復もする父。
あれから3年の月日が流れたのだが、父は未だに真実を知らない・・・・・
| 2004年12月14日(火) |
多摩でも活躍のKey Station |
多摩市民ミュージカルを見て何が羨ましかったかって、舞台の奥行きの広さが本当 に羨ましかったですねぇ。特に一幕の語り部の所で天狗のお話しをしている時の空 間の使い方は良かったですねぇ。どんなセットだったかと言うと、一枚の大きな布 を広げて真ん中が1本の糸で吊るすように引っ張ると細長い山形になりますよね。 これを山に見立てていくつも作るんですよ。で、この山の上から天狗が出て来るん ですが、この空間の使い方は本当に良かったです。 多摩と言えば高尾山と言う有名な山があります。そこに祀られている天狗もかなり 有名なので、きっとその話しは出て来るだろうとは思っていましたが、実に幻想的 に多摩地域の自然を上手い手法で表現出来ていたと思います。
それから、船橋市民ミュージカルでも好評だった病院ダンス。 実はここで大きな問題が起きたのです。
「いやぁ、手伝いに行くだけで裏方に徹するから絶対に出られませんよ」
と言っていた二郎が、清掃員役でしっかり登場して来たのです。

「あいつ、やっぱり出て来たよ」
と、こちらの4人は大笑いでした。
二郎の出演は当日の朝に決まった事で、突然のお願いに二郎は八王子駅前のそごう まで小道具を買いに行ったそうです。
「いやぁ、本当に出ませんよ。絶対に出ませんよ」 「絶対に?」
「間違いない!」 お前は長井秀和か?
で、二郎の事なんてどうでもイイ話しなんですが、この病院ダンス、ダンスの質は さておき、チョット良かったですね。登場人数が船橋より多かったのと、照明の使 い方がなかなかユニークで同じ曲を使って、同じ踊りなんですがなかなか楽しませ て貰いました。特に子供達数名がパジャマに着替えて入院患者役でダンスをしてい たのは船橋でも使えたなぁと思いましたね。 ダンスは人数が多いと迫力が違いますからね。
ダンスの人数と言えば、第二幕で見せたくれた多摩川決壊のアンサンブルダンスは 良かったですねぇ。あれは純粋に我々もやりたかったと思いましたよ。 和太鼓2本のリズムに合わせて唄い叫び踊るんですが、これはカッコ良かった。特 に菅野あずささんが素晴らしかった。(ヨーイショっと) 姉さんが言ってましたが、欲を言えば太鼓の数を増やして欲しかったと言うのは確 かに同意見なんですが、私も以前に和太鼓をやっていた者として言わせて貰うと、 いくらちいさい太鼓でも5〜6本も揃い打ちをやってしまうと、特に八王子のいち ょうホールみたいな所だと音が響き過ぎて台詞が聞こえなくなる可能性があるので、 ピンマイク無しで太鼓を増やすのは難しいでしょうねぇ。 でも、あのシーンは私も本当に出演したかったですねぇ。あれはカッコイイ!
さて、もうひとつどうでもいい話しなんですが、今回の多摩市民ミュージカルには、 Key Stationから二郎の他にスタッフとして、サンタマリアと彬が参加していたので すが、二郎が出てしまったのはある意味サプライズだけど、ひつじの皆さんが企ん でいたんだろうなぁと言うのも解るし、いいんですが、パンフレットに地蔵役で彬 の名前が書かれていたのは驚きましたねぇ。だってその4日前に逢った時は
「出ない」
と言い切っていたのに、やっぱり出ちゃった・・・出させられた?(笑)
でもやっぱり彬の地蔵は可愛いやね。 最後のカーテンコールで他の出演者が花を貰っている時、当然彬は多摩在住では無 いので花は貰えずに舞台上でニコニコして見ていたんですが、そこに私が
「アーキラー!」
と呼ぶと、照れるって言うより、仲間を見付けた時みたいな表情を見せて、ニッコ リと笑いながら手を振って来たので
「花は用意して無いからなぁ・・・・じゃあ、投げキスでも送るか」
と、両手で投げキスを送ると、普段はアドリブが弱いと自分で言ってる彬が、その 投げられたキスを2つキャッチして、ムシャムシャと地蔵の姿で食べていたのには 笑ってしまいました。あれは彬のネタに出来るよなぁ。

観劇後、萌子&ゆかりの心配をよそに私と姉さんは堂々と楽屋に入って行きました。
「え〜、行って大丈夫? 怒られないかなぁ?」 「関係者以外立入禁止って書いてあるよぉ」
と、ビクビクしていたのですが私と姉さんは
「関係者だもん!」
と、肩で風切って歩いておりました。 そりゃ、姉さんはパンフレットに自分の名前が載ってるんだから立派な関係者です よねぇ。しかも私なんか楽屋口でドキュメント映像(少女の着替え?)←冗談 を撮影していた二郎を捕まえて
「コラっ!そこのデブ! いきなり舞台に出るな!」
ですからねぇ、多摩の出演者の皆様、本当にご迷惑をお掛け致しました。
昨日、八王子まで行って来ました。
何をしに行ったかと言うと、船橋市民ミュージカルで大変お世話になった劇団空飛 ぶひつじが主催する、市民ミュージカルを観に行って来たんです。
演目は・・・ 多摩市民ミュージカル2004『多摩ふるさと物語』 八王子市芸術文化会館いちょうホールで行われました。
船橋市民ミュージカル『金の船 銀の橋』は子供達が主体の現代劇部分と、大人達 アンサンブルが主体の船橋の民話や昔話のシーンに完全に分けられており、現代に 生きる子供達が船橋の町の事を知れば知るだけ、学校で起こるいろんな出来事・問 題事を解決する術を学んで行き、船橋の歴史があるからこそ今の自分達があるんだ と言う事に最後は感謝をする。そんな物語でした。
フィナーレの子供達と昔話の登場人物が心の交流をした時は、壇上で演じていた私 自身が泣いてしまう程、格好良かったんですよぉ。観てない方は本当に残念ですね。
アンサンブルシーンはお互いのそれぞれの町の民話がありますから、全く同じ物を 出す訳には行きませんが、子供達主体の現代シーンは、船橋の時とほぼ同じ登場人 物と台詞で展開して行きました。
私は船橋の時は、船橋に昔から語り継がれている土地の騒動に出てくる百姓と町の ヒーローの役を演じたので、今回の多摩の舞台には私と同じ役を演じる人は居ませ んでしたが、一緒に行った人達は自分と同じ役を演じる人が居るので、それはそれ は楽しみにしておりました。
一緒に行ったのは、船橋市民ミュージカルでミユウ役を演じた新井ゆかりちゃんと、 中国からの転校生・蓮を演じた野島萌子ちゃん。この二人は共に現在小学6年生で、 私の次回出演作『泣いた赤鬼』で共演する二人です。 そして一緒に行ったもう一人は、Key Stationから夕鶴みき姉さんが来てくれました。
もともと船橋ミュージカルで何箇所か振り付けも担当しておりまして、その振り付 けをそっくりそのまま使う為に、多摩のパンフレットにも夕鶴みきの名前はしっか りスタッフの一人として記載されておりましたので、私とはまた別の立場で観に来 ておりました。
上演開始となり、懐かしいテーマ音楽と共に子供達が踊りながら出て来ました。 舞台上からは解らなかったと思いますが、何故か我々の席の周だけは妙な空気に包 まれていました。そりゃあそうです、我々が座っている所だけ、まるで今舞台上に 居る子供達と同じレッスンを受けていたかのように、一緒に唄い踊っているんです よ。しかも完璧に! 舞台上の子供でも何人かは気が付いていたようで、たまに不思議そうな顔をしてこ ちらを見ておりました。
嫌な客ですねぇ。
今までずっと自分達が稽古して来た舞台を、全く見ず知らずの他の人が演じるとど うなるのかと、かなり私は興味を持っていましたが、全然違和感はありませんでし た。
ミユウ役のゆかりちゃんはこう言いました。
「ミユウ役の子って、なんか私に似てるぅ」
そうなんです。ほとんどの子供達が船橋の子供と雰囲気を似せているんです。もち ろん体格や声質まで似せてる訳では無く、台詞の言い回しや立ち居振舞い、中には 表情も髪型も良く似てる子が同じ役をやっていたりしたので、観ているこっちが何 度かドキッとしたものです。だから違和感を感じなかったのだと思いますが、でも これって裏を返せば演出家が船橋の子供達を認めている事になると思うんですよ。 船橋の子供達と同じ演技を求めたと思いますよ。中には船橋よりイイと思う子供も 若干居ましたが、それでも船橋と同じ物になっていたとはかなり船橋を高く評価し て下さっていたのだろうと思います。
子供と言えど役者ですから、キッチリと自分の個性は主張して来ます。その個性を 感じさせるものの船橋の出演者から見ると、台本を渡されて自分で考えて役作りを したと思える子は、ほんの数人で、あとはその自分の個性のまま、船橋の子供達が 演じている物を演じている。つまりもっと解りやすく言うと、これはあくまで例で すが、多摩のミユウ役の子は、ミユウを演じてるのでは無く、船橋でミユウを演じ ていたゆかりちゃんを演じているように見えてしまうんです。
私はある意味残念なコトがありました。
正直な話し、私達は台本を頂いてから役作りに相当な労力を費やしました。意図も 簡単に出来上がった役はひとつもありませんでした。笑わせる所や考えさせる所、 お客様からお金を頂いて観て頂く訳ですから、完全なる満足はさせられないものの、 観に来てよかったネと言われたい。私を知っている人からは、南風ってあんな事が 出来るんだねと驚かせたい。そんな思いで稽古時間は少なかったけれど与えられた 時間の中で、私や市民の皆さんが一生懸命に煮詰め、そして舞台上で出し切って拍 手喝采を浴びたのです。完全なる成功とは言いませんが、成功したと言う証拠に私 がロビーでお見送りをしていると、見知らぬ子供達が寄って来て一緒に写真を撮っ てくれました。これは役者冥利につきますよ。こんなに嬉しい事は無いですよ。
煮詰めると言えば、蓮ちゃん役の萌子ちゃん。この子はもちろん日本人ですが、中 国人の役を演じました。本人は何処まで意識して演技をしたか解りませんが、本当 に中国人みたいに見えて来たんです。そして少し寂しげな雰囲気をクラスの中で上 手にかもし出していたと思います。だから最後の「みんな友達!」と言う台詞が凄 く生きて来たのです。その証拠に萌子ちゃんは、普段通っている本当の小学校でも、 皆から「みんな友達!」と言われて嬉しかったそうです。そう考えると、多摩の蓮 ちゃんは中国人には到底見えず、バリバリ元気な今時の日本人少女でして、萌子ちゃ んが舞台中に
「多摩の蓮ちゃんは、元気だねぇ」
と呟いていたのは、結構大笑いでした。 もちろん、本当の萌子ちゃんは笑顔のと〜っても素敵な明るい女の子ですよ。
(最近、ご両親がこのHPを見始めたと言う情報を入手!!しかもお母様は「南風さんっていい人ねぇ」と言ってるらしい)
いやぁ、本当に萌子ちゃんは可愛いしイイ子だし、文句の付けようが無いですね。
(もう、これくらいで大丈夫かな? あまり誉めるとシツコイからな。うん)
で、何が残念な事だったかと言うと、別に萌子ちゃんが残念だった訳では全然無くて(コラ!) 今回の多摩のミュージカルを観た帰り道、私は姉さん達と悔しい思いをして帰りた かったんです。多摩のミュージカルが素晴らし過ぎて、なんで船橋であれが出来な かったんだろうって。逆に次回は、多摩を見返してやろうよって言いながら帰りた かったのに、私は正直に言ってしまいました。
「俺達が出てあげたかった・・・」
限られた時間の中で作った舞台ですから大変だったのは充分承知しています。でも それを言い訳にするのなら、お金を取ってはいけないと思います。 私達は物語の内容が若干違っていたものの、大筋でこの物語を知っていたし、4ヶ 月間も付き合って来たので愛着があった。だから多少の間違いが有っても楽しかっ たし、ある意味で面白かった。でも、Key Stationメンバーが参加していたらもっと 詰め方が半端では無く面白く出 来た筈です。
楽屋を訪ねた時、子供達が達成感で泣いておりました。が、もしこの子達に船橋の メンバーの生舞台を見せていたらきっと泣けなかったでしょう。船橋では子供達は 誰一人として泣いてなかった。それよりも向上心をすぐ見せて反省会が至る所で始 まったくらいだ。
もし今回、私達船橋の参加者が来ていると知っていたら、子供達はもっと張り切っ たかもしれませんね。でも、多摩ミュージカルはまだ第1回目です。長い目で見れ ば、来年は今年以上にもっと素晴らしい舞台にしてくれる筈でしょう。 そして逆に来年は多摩で上演した物を船橋でやってみるのも面白いかもしれません ね。船橋の子供達は仲良くしてても自分が一番だと思っているライバル心が強い子 供が多いですからねぇ。そうすれば、来年度の船橋市民ミュージカルは凄い物にな る事でしょう。
多摩市民ミュージカル参加者の皆様、本当にお疲れ様でした。 来年、大いに期待致しております。
| 2004年12月11日(土) |
夢を与える事が使命だと思う |
昨日の朝、私は海浜幕張のWBGの中にあるコンビニで買い物をしていた。すると そこにテレビや新聞等で良く見かける人が入って来た。 その人はニコやかに店員に「おはよう」と挨拶をすると、そのままおにぎりコーナー に一直線に歩き、鮭のおにぎりを買っていた。
「誰だったっけかなぁ?」
と悩んでいると、私の視線に気が付いたのか、私に軽く目で会釈をしてくれた。
おぉう! 思い出した! その人は・・・
千葉ロッテマリーンズの 瀬戸山代表だった!!
瀬戸山代表と言えば、プロ野球労使交渉後の記者会見で選手会の古田会長に握手を 求めて断られた人だ。思わず昨日は私が手を差し伸べて握手をしてあげようかと思 ってしまいました。
瀬戸山代表はおにぎりを買った後、スポーツ新聞コーナーの前で足を止めて一面の 見出しをチェックしていたが、私は心の中で・・・
千葉ロッテが一面を飾る事はありませんから
残念!
とつぶやかずにはいられませんでした。
でも、今年はシーズン中に一度だけ千葉ロッテが一面の見出しを飾った事がありま したよね。覚えていますか? 実はあまりにも連敗が続いた時、試合終了後に監督以下選手・コーチまで全員がグ ランドに出て来てファンに詫びを入れたのです。これはプロ野球史上初だったので はないでしょうか? 大沢親分が日本ハムの監督時代に、本拠地後楽園球場での最 終戦後のセレモニーで優勝出来なかった事に対してファンに土下座をしたのは有名 な話しだが、シーズン途中の試合終了後にお詫びをしたなんて私も記憶が無い。
これは選手達にしてみれば屈辱以外の何物でも無いのだが、私も元商売人として、 お客様に満足して頂けないのは経営者と監督の責任である事は明白であり、それに 関して詫びを入れるのは当然の事。客商売をする者にとっては基本なのだ。
さて、それを演劇の方に目を向けてみよう。 私達演劇人は、演じる事が好きだから役者をしている訳なのだが、それ以上に大き な使命を同時に背負っているのだと思う。それは夢を与える事だ。 プロ野球にしても演劇にしても、大小様々ではあるもののエンターテーメントであ る事には違いが無い。子供達が人工芝の上で華麗に舞う選手達を見て
「プロ野球選手になりたい」
と思うのと同じように、舞台や映画を観て
「役者になりたい」
と思ってくれる子がきっと居る筈だと思う。
テレビや映画に出てなくったって、私達Key Stationは一応舞台役者の集団である。 メンバーのほとんどが今迄は一般人だった。
「あの南風が役者になっているよ!」
と言う台詞はまだ耳にしてはいないが、今迄が只の街の人気者だったに過ぎない私 が、素敵な仲間と環境に巡り合えて役者になった訳ですから、私の知り合いの子供 達はきっと舞台に親近感を持ってくれるに違い無い。そう信じている。 自分が好きだからと言う理由だけでは、きっと夢は与えられないと思うし、夢を与 えるにはそれなりの才能と努力が必要だと思う。
商売の話しに戻すと、私達みたいな小劇団と呼ばれる集まりはよく無料公演をする が、いくら無料公演だと言っても『時は金なり』と言われるように、大事な貴重な 時間を裂いてお客様は観劇に来てくれるのだから、手を抜く訳にはいかない。
「またKey Stationの舞台を観に来たいね」
と言われるようになるまでには、まだ多少の時間はかかるかもしれないが、俺達は まだまだこれからなんだと言う事を瀬戸山代表の顔を見て思ったのでした。
瀬戸山さん、来年は千葉でプレーオフをやりましょうね。
| 2004年12月10日(金) |
金の船 銀の橋 その弐 |
『金の船 銀の橋』の後半を見ました。 もう自分の下手さ加減に落ち込みそうになりましたよ。 まあ70〜80人も出演していた舞台ですから、稽古不足は否めないかなぁとは思 いますけれど、それにしてももっとああすれば良かった、こうすれば良かったって 言う所が見つかり過ぎて本当に情けなくなっていました。
しかし、一昨日の稽古の帰りに姉さんが
「私も自分の見てると嫌になっちゃった」
と言ったのです。
これは、裏を返せば自分の演技はどんな上手い奴が見たって嫌なもんなんでしょう。 そう考えたら少しホッとしてしまいました。
チョット今日はまた他にやらなくてはならない事があるので、短いですがこの辺で。
今日はKey Stationの稽古が船橋市薬円台公民館で行われ、稽古後に打ち合わせ(と 言う呑み会)を軽くやって来たので短めに書きますが、自分を含め仲間の新たな面 が垣間見れて良かったです。
と言う訳で今夜はこの辺で。
| 2004年12月07日(火) |
金の船 銀の橋 その壱 |
昨日、待ちに待った船橋市民ミュージカル『金の船 銀の橋』の本番公演のビデオ が届いた。正確には一昨日届いたのだが、留守にしていた為に郵便局預かりになっ ていたのを取って来られなかったので昨日になってしまったのだが、この日記の更 新後に早速見てみた。 出演者も多く、予定より大幅に長くなってしまった舞台なのでビデオでも2巻組の 大作になってしまったので、とりあえず昨日は前半だけを見てみたのだが・・・・・
いやぁ、俺って面白いわ!
と、自画自賛してしまいました。
結構客席からの笑いは思っていた以上に取っていましたね。 特に黒牛の牛松役は衣装に難が有ったものの、踊りもそこそここなしていますし、 表情もいい感じだ。しかしビデオを見ていて思った事は・・・・
本番前に見たかった・・・・
鏡の全然無い稽古場で練習をしていましたので、自分の動きは感だけが頼りだった んです。やっぱり見ていると無駄な動きがあるのと、動きが足りない所があり悔や まれてなりません。
「もっとゆっくり首を回すんだった」 「もっと足を高く上げるべきだった」 「もっと大きく手を広げるべきだった」等々々々々々
もうあげるとキリがありません。
ウチのメンバーの中でもやっぱり舞台経験が豊富な姉さんと親方は、流石ですね。 そして彬の地蔵は最高でした。
これを書き終えたら後半を見るつもりなんですが、後半は私はフィナーレ以外は一 場面しか出ていません。しかしそれが最も重要な役・平右衛門です。 実は今だから言えますが平右衛門の演技には満足して無かったんです。 稽古場での練習の時に重右衛門役の親方との息もピッタリで素晴らしい出来の時が 一度有ったのですが、そのタイミングが二度と取れなくなって悩んでいたのです。 本番でも「最高だった」とは言えなかったのです。
その辺がど映っているか、これから確認致しますので今日はこの辺で。
| 2004年12月06日(月) |
イメージトレーニング中 |
気が付けばHPの来場者数がのべ300人を超えました。一日平均80アクセスで すか。大した物です。
さて、今日は個人的な話しからで恐縮ですが、掲示板《PLATFORM》に〔でぃあ★〕 と言う関西在住の親友が書き込みをしてくれました。ネットで知り合ってもう付き 合いも8か9年になります。私のネットの知り合いでも1.2位を争う長さです。
で、そいつが書いてましたが、Key Stationには10月産まれが4人も居ます。 夕鶴・南風・高木・中野の4人なんですが、実はもっと驚くのは
高木・・・10月11日 中野・・・10月12日 南風・・・10月13日
と、3人は誕生日が続いてるんです。 そして更なる誕生日秘話と致しましては、3月産まれが大場・佳奈子・笠井と3人 居るんですが、大場と笠井は誕生日が一緒なんです。
その他《PROFILE》を見て気が付いた方もいらっしゃると思いますが、血液型を見 て頂くと
A型・・・南風・夕鶴・坂田の3人 B型・・・高木・佳奈子の2人 AB型・・・明子・大場・中野・笠井のなんと4人!
つまり、AB型が最も多い上にO型が一人も居ない珍しい集団になってしまったので す。日本の統計を根底から覆す集団Key Station。 これからも何が起きるか解りませんよ。
閑話休題
昨夜稽古帰りに、船橋東武5階にある旭屋書店に立ち寄った。きっと船橋市内で一 番大きな書店では無いかと私は思っているのだが、間違えていたらごめんなさい。 そこで何の本を買ったかと言うと、ひょっとしたら4歳の姪も観に来るかもしれな いから予備知識は必要だろうと思って全て平仮名で書かれている『泣いた赤鬼』の 絵本を買って来た。
『泣いた赤鬼』は私の記憶のはるかかなたで読んだ覚えはあるのだが、この歳で改 めて読みなおすと、なんて繊細で更にストレートな物語なんだろうと心が温かくな った。しかも、今回の台本と読み比べるとかなり原作に忠実になっているのかが良 く解る。これは台詞の一語一句を完璧に覚えなくてはならないと痛感した。 よく台詞の雰囲気が同じで言いまわしを変えてしまう役者がいる。確かに私も知ら ず知らずの内に台詞を変えていたのかもしれないが、この『泣いた赤鬼』は今なお 子供達に読み継がれている名作である上に、観に来る子供達の年齢層を考えれば、 皆完璧に絵本を暗記しているだろうと考えて良いと思う。だから雰囲気で台詞を言 って誤魔化せる芝居にはならないと思うのである。
そして今日はレンタルCDを久しぶりに借りて来た。 実はこの舞台に必要不可欠な音として、とある曲が2曲使われる事になったのだが、 その2曲共が非常に私に重要なシーンで流されるので、一度まともに聞いてみよう と思って探して来たのだ。舞台の進行としてはそれほど重要では無いのだが、私が 言い出した事なので責任がある。今はまだその曲が何の曲かは公表出来ないが、舞 台を観に来て頂ければその謎は絶対に解ける筈です。
とにかく今はこの日記を書いていても頭の中でその曲が回っていて止まりません。 果たして今夜は眠れるのだろうか?
昨日、何度か台本を読み返し、演出家と話しをして大体のイメージはつかめたので、 今は時間があるとイメージトレーニングをしています。衣装や化粧の事も考えなけ ればならないのに・・・・特に化粧は悩みますよ。全身《赤》ですからねぇ。しかも髪 も自前を使おうと思っていますから、今から約4ヶ月の間は散髪に行けなくなりま した。
では今日はこの辺で。
おっ、今日はチョット短いかな?
| 2004年12月05日(日) |
来年の初出演舞台決定! |
今年は台風の中り年だと言われておりますが、まさか12月になってまで台風が日 本にやって来るなんて凄いですよね。関東に辿り着いた頃には熱帯制低気圧に変わ ってしまっていましたが、その風雨は台風並でした。 昨夜は、雨と風の音でいつまでも眠りに付けませんでした。いや、眠りに付けなか ったのはそれだけが原因ではありませんが、実は本日、ある舞台のオーディション が行われたので、それに参加するんでやや緊張して眠れなかったのかもしれません。 って、そんなに緊張する程のオーディションでは無いのですが、実は市民ミュージ カルでお世話になった劇団空飛ぶひつじが、船橋市宮本公民館三百人劇場で子供向 けのミュージカルをやると言うのを聞き、参加させて頂こうと思い出向いて来まし た。
既に市民ミュージカルの稽古の時からオファは有ったので、私もそのつもりではい たのですが、主演の赤鬼か、それとも友達の青鬼役かが知らされていなかったので、 その確認も今日行われました。 オーディションと言っても出演する事はほぼ決定していたので、説明会後にすぐに 行われた市民ミュージカルに参加後に劇団空飛ぶひつじの演劇教室とも言うべく 『フレンド』と言う所に所属になった子供達と一緒の稽古に参加して来たのです が、台本を手渡されてみると、今回は鬼2人の他、樵役2名の計4人以外は全て小 学生高学年の子供達がやる事になっていて、それはそれで個性的な子供達が揃って いるので稽古は市民ミュージカルの時とは違いスムーズにかつ効率良く行われまし た。 しかし、台本を読んでいくと既に私は青鬼役が決定付けられていました。何故それ が解ったかと言うと、市民ミュージカルの時に子供達に大人気だった黒牛の牛松役 を演じていた時のダンスパフォーマンスが劇中に取り入れられていたのです。
「牛松が好評だったから、今回も取り入れてみたのよ」
と演出家の真祐みちこ先生に言われ悪い気はしなかったけれど、やっぱり板に上がる 以上は主役をやりたいですよ。でも、役者は与えられた役を自分の個性を出しながら 立派にこなすのが仕事ですから、青鬼に徹して本読みや立ち稽古を始めたのですが、 昼食を取る直前に真祐先生が
「うん、やっぱり赤鬼だね。のりさんには主役の赤鬼をやってもらおう!」
と言い出したのです。 それから稽古は私を中心にいろいろと台詞とか踊りとかが加えられ、私の意見も随分 と反映させて頂きました。ついには
「赤鬼登場に、もう少しインパクトが欲しい」
と言い出した真祐先生に
「こんな登場の仕方はいかがでしょう?」
と提案したのが真祐先生に凄く好評だったみたいで、ついには赤鬼登場の為に音楽が ひとつ追加される事になってしまったのです。 これには今日立ち会っていた音楽担当の金子透光先生も半分呆れてまして
「チョット時間を下さい・・・」
と肩を落としていました。
市民ミュージカルの時も随分と私はドリフ並のドタバタを提案して採用して頂き、 結構笑いも取れたのですが、この舞台は皆さんが知っている、あの『泣いた赤鬼』 ですからコントにする訳には行きません。 しかし、今日の帰りによ〜く考えてみたのですが、今回のこの舞台は笑いと涙の 両方を観に来たお客様に満足して貰わなくてはならない物になってしまい、結局 自分で自分の首を絞めてしまう結果になったのです。
しかし、私はKey Stationの大将です。 プレッシャーこそが私の何よりの原動力。 絶対に楽しいお芝居にするつもりですから、皆さんどうぞご期待下さい。
今回ご紹介した『泣いた赤鬼』に関する情報は、既にKey Station HPの 『INFORMATION』コーナーで紹介しておりますので、そちらを参照下さい。
| 2004年12月04日(土) |
キッカケは佳奈子のひと言だった |
「このメンバーで何かやりたいッスよねぇ」
キッカケは、佳奈子が言い放ったこの一言だった。
船橋市民ミュージカル公演終了後、初めて皆で集まった時の事だ。 皆と言っても、本当は姉さん(夕鶴みき)と親方(坂田二郎)が二人で密会・・・ いや、只単に逢う約束をしていたところに、二郎と二人で逢う事に危険を感じた のか、はたまた体重差に怖れを起こしたか姉さんが私と山��姉妹に
「津田沼で食事(と言う名の飲酒)でもしよう」
と誘いのメールをして来たのだ。 その日、たまたま休みで免許の更新をしに幕張まで行ってた私は尻尾を振りなが ら津田沼に飛んで行ったのだ。
何故、尻尾を振っていたかと言うと、今年の夏は5〜9月までの間、とても充実 していた。船橋市民ミュージカルの稽古が毎週末に行われていたので、自由な時 間はあまり無かったが、元々好きだった舞台の稽古に参加出来るだけで楽しかっ た。
【何かひとつの大きな物を作る】
この楽しさは舞台だけでは無く、スポーツや勉学の世界でも共通する事で有って、 例えばスポーツ、特にプロ野球はリーグ優勝と日本一の為に1年間戦う。 勉学の世界は良く解らないが、学会とかでの発表とかの準備って大変な物なんで しょうね。その研究チームが新しい発見をして学会で発表するって大変な事なん でしょう。
優勝してビールをかけあう。学会で評価されて名誉を得る。これって努力が報わ れた結果なんですよね。
役者になる人って、人それぞれだから何が最終目標なのかは解りませんが、例え ば舞台が面白かったか面白くなかったかは別にしても、スポットライトを浴びて 大勢の方から拍手を頂くって言うのは最高の名誉だし、その後の打ち上げはビー ルかけみたいな物ですから、拍手と美酒の為に頑張ってる人も居ると思う。 私はまだどれが目標かは解らないが、自分が舞台上でやった何かひとつの演技が 笑いを取り、涙を誘い、頷かせる。そんな事が出来たら嬉しいと思い、その為の 『種』を探すのが稽古だと思っていたから、稽古が楽しくて楽しくて仕方が無か った。
9月12日に市民ミュージカル『金の船 銀の橋』が終わってからの私は、失恋 をしたかのように心にポッカリと穴が空いてしまったような錯覚さえ覚えた。 週末になって稽古に行かなくていいと思うと、舞台を成功せると言う同じ目的を 持ったとても素敵な仲間達に来年まで逢えないのかと思い、寂しい気持ちになっ ていたが、幸い市民ミュージカル参加者だから逢おうと思えば気軽に逢える距離 に住む仲間達なので、その後もどうせチョクチョク会うんだろうなぁとは思って いた。
しかし、この仲間でやりたい事は飲み会では無かった。 でも、それを個々で思ってはいたが、なかなか難しく言い出す者は居なかった。 演劇を始めるには、役者だけいればイイと言う訳では無い。スタッフがどうしても 必要になり、ましてや自主公演するとなればそれなりの経験が必要になるとも思っ ていた。
市民ミュージカル稽古後、私はよく兄貴(高木正晃)と居酒屋に行ってはいろんな 話しをしていた。舞台経験の無い彼が
「姉さんと一緒の舞台に立てて、しかも同じシーンに出られるのが嬉しい」
と良く言っていた。
私は姉さんと同じシーンで言葉を交わす事は無かったものの、確かに稽古場で共に 考え、共に唄い、共に励ましあえる事に喜びを感じていた。その彼女と交流を持て る事は私の財産になると信じて疑わなかった。 しかし、このメンバーで一緒にやりましょうとは、とてもとても言い出せる程の度 胸は自分には無かったのだ。
ある時、ふと思いついた事があった。
市民ミュージカルでは、Key Stationメンバーの中で彬と佳奈子と西葛西(笠井祐 弥)の3人が現代シーンにだけしか登場しない。そして私と親方、兄貴、サンタマ リア(大場裕介)は昔話のシーンにだけしか登場しないので、このメンバーは稽古 場でも違う場所で練習をしていた。
「もし、彬や佳奈子や西葛西がこっちに来ていたら、どんな風になっただろうか?」
舞台は自分の個性を出しながら演出家の要望に応えなくてはならない。だから、こ んな事を思ったからと言って真佑みちこ先生の演出を否定している訳では無いが、 ずっと彬や佳奈子や西葛西と同じシーンで出てみたい。姉さんと台詞を交わしてみ たい。大将・親方・兄貴のデブトリオで一席やらかしたい・・・・あっ、市民ミュージ カルではこの3人でやらかしたわ、そう言えば。(笑) そんな気持ちがず〜っと胸の中で心が叫び続けていた。
津田沼で5人で集まった時、話しはやっぱり市民ミュージカルの話しになる。 来場が800人を超えただの、兄貴が台詞を間違っただの(きっとこれは永遠に語 り継がれる事だな。うん)。立ち位置がああだ、踊りがこうだ、大将が素敵だった、 大将が格好良かった、大将が光ってた、親方の額も光ってただのって、語り合うと 本当にキリが無かった。
そこで、佳奈子が冒頭の言葉をボソっと吐いた。
「このメンバーで何かやりたいッスよねぇ」
こんなチャンスは絶対に無いと思った私は、一生懸命に皆を口説き始めた。
「やろうよ。絶対に! きっといい舞台が作れるって!」
と、言い出した物のそんな必要は全くと言っていい程に必要が無かった。全員一致 で簡単に発足話しが進んだのだ。
その月の月末、10月28日。姉さんの誕生日を祝おうと(懸命な読者はもう気が 付いていると思うが、誕生日祝いと言うのはあくまで名目・建前・言い逃れである) 津田沼にKey Stationメンバーが市民ミュージカル後、初めて全員集合した。 満場一致で私が大将を、兄貴が副大将を務める事になり、無事にKey Stationが決起 した訳である。
しかし、Key Stationと言う名前を付けるまでも随分と皆は悩んだのだが、それは HPの『Key Station?』にも書いてあるが、即興演劇だんすだんすだんすの主催者・ 今井 敦さんに姉さんがこのメンバーの事を話した時に
「こんなのどう?」
と言われ、それを知ったメンバーが誰一人として難色を示さずにあっさりと決まっ たのだった。
Key Stationは、本当にチョットしたキッカケの積み重なりによって誕生した。 あの時、何気なく佳奈子が「このメンバーで何かやりたいッスよねぇ」と言わなけ れば、私もまたきっと今頃、普通にのほほんと時間を過ごしていたかもしれない。
Key Stationのメンバーにはいろいろと感謝をしているが、とり訳あの時の佳奈子 には、言葉で言い尽くせぬ程の感謝をしている次第です。
今日の帰り、いつも通りにJR西船橋駅で総武線を待っていると、ホームに滑り込 んで来た電車の運転士は女性だった。 新幹線ではずいぶん前に女性初の運転士が誕生したとニュースで報道されてはいた し、女性車掌の声なら随分といろんな路線で聞いて来たが、在来線の女性運転士 は恥ずかしながら初めて拝見した。なかなかカッコイイし、運転もどことなく優雅 で落ち着いて乗車出来た。(あくまでも個人的主観)
さて、Key StationのHPを早速沢山の方がご覧になって下さっているようで、大変 に嬉しく思う反面、身が引き締まる思いで一杯でございます。
早速、友人から携帯にメールが入りまして、事もあろうにそいつと来たら・・・・
でかいね〜南風さん!
と言う書き出しで始まっていた。 そしてつづけて
最初に出てくる集合写真、一人で大きくない? まわりの皆が小さいのか? と・・・
遠近法を無視した写真に、驚きの独り言を発してしまいました!!
って、コラッ!
そりゃあね、私だって自分が人より多少大きい事は自覚していますよ。 でもね、あの写真の位置取りを決めたのは私では無く、じゅば(山��明子)なんで すよ。一応私はKey Stationの大将ですから、真ん中に居る筈なんですが、なんか あの写真では位置取りを決めていたじゅばが堂々と真ん中に陣取っているいるよう な気がするのは、単なる私の気のせいなんでしょうか? しかも本当なら、あの写真は白黒で載せようと当初は思っていたのにも関わらず、 なんでカラーになってまったかと言うと、メンバーの着ている服の配色からして 白黒写真だと・・・・
通夜帰りのご一行様 の写真になってしまうからなんです。
証拠写真はこちら ↓↓↓↓↓↓↓↓

まあ今日はこれくらいにして、明日から本格的にいろいろと書いて行きましょうか ね。と言って、Key Station誕生秘話(本当の秘話ならHPで公開しないが・・・)を 書いて行きましょうね。
って、明日もまたショーモナイ日記で終わったりして・・・・
皆さん、初めましての方もいらっしゃると思いますが、あえて私は「お久し振り」 と挨拶をさせて頂きたいと思います。
私が個人的にHPを作っていた頃に書き始めた『南風日記』。 これが大好評で、毎日見に来てくれるファンの方の為に頑張って書き続けていたの ですが、流石に3年間書き続けていたら疲れてしまい、昨年の10月頃を最後に 一度閉鎖させて頂きました。
しかし、今回Key Stationを発足させ、HPを作ろうと言う計画が立ってから、 再び自分の中の「何か書きたい」と言う気持ちが高まって来まして、今回復活をした と言う訳です。
まあ日記と言っても、毎日絶対に書けるネタが転がっている訳では無いので、休む 時もあると思いますが、長い目で読み続けていただければよろしいかと思います。
しかし、この日記を公開しているサイトは『エンピツ』と言う日記専用サイトなん ですが、このサイトを利用して日記を書いてる人達は誰かの日記をサイト中でお気 に入り登録が出来まして、またその逆に誰が自分の日記をお気に入り登録している のかも解る仕組みになっているんです。 しかもその登録してある日記が更新されると自動的に解るようになっているんです。 で、私がこの一年間、日記を休んでいたのにも関わらず、ずっとお気に入りに登録 をして下さっている方が多数いらっしゃいまして、先日、このサイトを使って書き 溜めていた日記を整理・削除をした途端にアクセスが一気に集中致しまして
俺の人気って相変わらずネ!
と、自画自賛してしまいました。
今回、Key StationのHPを公開するに辺り、資料探しの為にいろんなサイトを 拝見させて頂いた時に、何気なく『南風日記』と言うのを某サイトで検索をしてみ たら・・・・
あの長文でお馴染みの『南風日記』が復活するらしい
と宣伝してくれるサイトがありました。
いやいや、確かに私の日記は常に長文でしたけれど、未だにそんな長文を期待され ちゃうのかなぁ? じゃあ遠慮無く書かせて頂きますよ。
今回この日記を再開するに辺り、以前書いていた『南風が(ホラを)吹く』と言う コラムコーナーで人気の有った原稿も、おいおい公開していきたいと考えており、 まあしばらくは「懐かしい」と感じる方の方が多いと思います。
この日記は、Key Stationのネタだけでは無く、一番人気の有った家族ネタなんか も書いて行きたいと思っています。
そんな訳で、今日はこれくらいにしておきますが、明日からはKey Stationの発足 の経緯とかも書く予定ですので、皆さん一応・・・・
毎日見に来てネ!
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