Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
ビーチバレーinロンドン
広州アジア大会が終わって「ロンドン・オリンピックまであと2年」という声が聞かれるようになりました。 先日、イギリスの建設業界誌を読んでいてびっくりしたのですが、 ロンドン・オリンピックのビーチバレーの競技場…なんと、ホースガーズパレード!!!
…と言ってもロンドンに行かれたことのある方でないと、この「びっくり!」感は伝わらないと思うのですが、 こちらをご覧ください。
London Olympic>The Games>Venues>Horse Guards Parade http://www.london2012.com/games/venues/horse-guards-parade.php
このHPの写真後方右手の白い建物がホースガーズ、むかしは陸軍司令部で、今もロンドン地区司令部のある建物。 そして、写真左手の赤レンガの建物が旧海軍省、 ホースガーズともども、ナポレオン戦争時代以前からの建物です。 ビーチバレー競技場となるホースガーズパレードはこの二つの建物に囲まれた広場。
このHPの地図(「Where is it?」という図)で言うと、ピンクの×の上が旧海軍省、 左の緑はセント・ジェームズ・パーク。 競技場の南に隣接する細長い建物の上の方が、ダウニング街10番地…つまりは首相官邸。 地図のピンクの×の右、通りを挟んだ反対側(Whitehall Palaceという字の下)の建物は国防省です。
これって日本で言えば、霞ヶ関官庁街に隣接した日比谷公園でビーチバレー競技…よりもっとトンデモナイ話だと思うんですが、 なんでよりによって、ホースガーズなんてこんなお堅いところで、よりによってビーチバレー??? これが内陸の北京なら市内でビーチバレーもわかるけど、ロンドンからなら1時間も行けばホンモノのビーチ(ブライトンとか)がいくらでもあるでしょうに。
ちなみに、ロンドン・オリンピックのマラソンのスタート/ゴールは、「ザ・マル(The Mall)」だそうです。 上のHPの地図ではセント・ジェームズ・パークの左ななめ上にThe Mallとありますが、 バッキンガム宮殿から海軍門までまっすぐに延びる大通りです。 …ということはマラソン・ランナーはどこかの方角から走ってきてトラファルガー広場を抜けて海軍門をくぐってゴールにたどり着く…というわけで、この光景を想像しただけでも「マラソンのスタートとゴールだけは見ようか」という気になります。 あとヨット競技…イギリス海峡のウェイマス(ドーセット州)が舞台なのですが、マイナー競技なので中継があるといぃなぁと。 …まったく視点観点がオリンピックの本筋からはずれていて申し訳ありません。
「クルーソー」のTVドラマは気軽に見続けています。 まぁ米国のTVドラマだから娯楽色の強すぎる…そしてストーリー展開が安易すぎるのは仕方ないのかもしれませんね。 ショーン・ビーンが、知人に陥れられる肺病病みで死にそうな善人の父親役…いや笑ってはいけない(苦笑はしてますけど)。いやいや役イメージが固定しない方が良いから、いろいろ演じるべきですわ。
来週日曜日12月5日19:30〜21:00の「坂の上の雲」第6回「日英同盟」は英国グリニッジでのロケ編です。お見逃しなく。 ラッセル・クロウの「ロビンフッド」の公開はその次の金曜日12月10日から、
2010年11月28日(日)
「クルーソー」とラッセル来日
「クルーソー」見ました。 原作とはまったくかけ離れた話になってましたが、海洋冒険娯楽ドラマとしては、あれはありかな?という感じ。 あまり細かいことを気にかけず、ドラマを楽しむつもりで見れば、十分以上に楽しめます。 ロケはきちんとしてますしね。 イギリス編とか…みなさん「あっ!」と思いませんでした? 故郷イギリスの埠頭に、見慣れた船がいたでしょう? 私「あれっ?」と思って調べましたよ。
参考 Wikipedia http://en.wikipedia.org/wiki/Crusoe_%28TV_series%29
そしたら、あ〜やっぱり〜。 どっかで見たと思ったのよ。あの船、 やっぱり、グランド・タークだ。…つまりは「ホーンブロワー」のインディファティガブル号役だった船です。
いや私としては再会かなって嬉しいんだけど、細かいこと言えば、時代が違うんじゃない?とも言える。
「ロビンソン・クルーソー」原作は、18世紀初頭の話なのですが、TVドラマのクルーソーは17世紀半ば清教徒革命の時代だそうです。 この時代のレプリカ船って今あるのかしら? 原作通りの1720年頃なら、グランド・ターク(1741年建造のHMS Blandfordのレプリカ)でも何とかなりますが、17世紀中頃って空白期のような気がします。 いちばん時代的に近いのは、長崎のオランダ村にあって去年焼けてしまったプリンス・ウィレム号(1641年建造船のレプリカ)ですがこれはオランダ船、国は違いますが、でも造船技術にそう大差があるとは思えないので、あの当時のイギリス船は、やっぱり船尾楼の高い、メイフラワー号に近いような船になるんじゃないかと思うのですが、どうなんでしょう?
あぁ細かいこと言わないとか言いながら、しっかり言ってますね。 でもそれでドラマの本筋が楽しめないわけではありませんので、 時代が合わないとか文句言いつつも、インディファティガブル号…じゃないグランド・タークに再会できて嬉しかったし、 イギリスのシーンはヨーク市で、絶海の孤島のシーンは南アフリカでロケしているそうです。
ディッシュ・アンテナとデジタル・チューナーがないのでBS11が受信できないという皆様> このドラマを製作した米国NBCテレビにまだホームページが残っています。
NBC「CRUSOE」ホームページ http://www.nbc.com/Crusoe/
このページからビデオを見ることができますので、雰囲気はなんとなくつかめるかと。
ところで話は変わりますが、今週、ラッセル・クロウ、日本に来るのですね。 24日が記者会見で、25日の「ロビン・フッド」のジャパンプレミアに出るとか。
ラッセル・クロウ来日(日本語) http://www.cinematoday.jp/page/N0028354
8年ぶりの来日だそうです。
2010年11月21日(日)
海洋冒険海外ドラマ「クルーソー」
BSデジタル放送「BS11」で、毎週火曜夜に海洋冒険ドラマの放映をやっている…という話を10日の水曜日に聞きました。 教えてもらったホームページをチェックしたところ、9日(火)がすでに第6話でした。ショック! これって、つまり10月新番組だったってことじゃないですか、
…というわけで、とにもかくにもお知らせです。
「クルーソー」 BS11デジタル(デジタルチューナーではBS211) 毎週火曜日20:00〜21:00 http://www.bs11.jp/drama/1173/
私は16日から見始める予定なので、まだ内容については何ともわかりません…が、ホームページの写真を見た限りではきちんと海でロケをして帆船も登場するようですし、 しかし、原作(ダニエル・デフォーの「ロビンソン・クルーソー」)とはずいぶんかけ離れた話になっているようですね。 原作は確か無人島で孤独な生活を送る話だったような気がしますが(まぁそれではドラマになりませんが)、
主人公は「CSIマイアミ」とか「サンダーバード」に出ていた俳優さんのようです。 でも脇がショーン・ビーンとかサム・ニールとかベテランだから、期待して良いのではないかと。 でも私もまだ見てませんから、あくまで推測ですよ、推測。はずれても苦情はお受けいたしかねますので。 さてどうなるか、火曜日が楽しみです。
2010年11月14日(日)
ビクトリー号の樫材によるビクトリー号の彫刻
「old salt blog」という英語の海洋関係のニュースブログに、「ビクトリー号の樫材から彫り出したビクトリー号の彫刻」が紹介されていました。
実際に写真を見ていただくのが一番だと思うのですが、下記のHPです。 HMS Victory sculpture http://www.victorysculpture.com/
この作品を作り上げたのは、イアン・G・ブレナン(Ian G Brennan)という彫刻家。 ビクトリー号補修作業の際に下層砲列甲板からとりはずされた樫材の一部を譲り受け、これに彫刻を施したとのこと。 1991年の大規模補修作業では、腐食の進んだ梁材の一部を、新しいものと交換したのですが、ブレナン氏が譲り受けたのはこのうちの一つ。
ブレナン氏はこの樫材から幾つかの彫刻作品を造り出しました。 ひとつはこのビクトリー号、 最大の作品は、ビクトリー号とロイヤル・ソヴリン号が、フランス艦の戦列を崩す様を描いた1m20cmを超えるもので、現在はポーツマスのビクトリー号のミドル・デッキ(中層砲列甲板)に展示されているとのことです。
ブレナン氏のこだわりは、家族の伝統でもありました。 彼の祖先にあたるジョン・ブレナンは海兵隊員としてトラファルガー海戦に参加し戦死しているのです。
このビクトリー号の他にもブレナン氏は、樫材をあますことなく利用し、32ポンド砲のミニチュアなども作成したとのこと、彼の作品の多くはBBCのチャリティー・オークションに出されているとのことです。
2010年11月07日(日)
プリマスの話
映画M&Cのパンフレットに解説を書かれた作家松岡なつきさんの、エリザベス朝を舞台にした女性向けジュヴナイルノベルは、物語が続いていて先月16巻が発売になりました。 映画パンフで知って以来この作品は読み続けていますが、歴史考証がきちんとしていて、当時の登場人物の歴史観になるほどとうなづくこともあり、ジャンル的に読者が限定されてしまうのは勿体ないなぁと思ってしまったり、
最新刊では現代と16世紀で話が平行し、現代のプリマス市が舞台のひとつとなります。 ちょっと懐かしくなって、むかしプリマスを旅行した時の写真など引っ張り出して見ていました。 もう20年以上前の話です。初めてのヨーロッパなのに個人旅行でイギリスに行って、ポーツマスとプリマスとファルマスに、アレクサンダー・ケントの海洋小説の主人公リチャード・ボライソーの面影を追いかけていきました(当時はパトリック・オブライアン作品はまだ日本語訳が出ていませんでした)。
プリマスの書店ではちょうどボライソー14巻の「A Tradition of Victory(邦題:危うしわが祖国)」のペーパーバック版が出たばかりで、クリス・メイジャー(表紙画)の特大ポスターが張り出されていました。 プリマスは現代でも海軍の町だから、本屋さんの海洋小説のラインナップが豊富で、ロンドンの大型書店にも無い本などもあって、本屋で狂喜乱舞した記憶があります。
でもイギリスの中ではやはり、プリマスは特殊な町ですよね。 イギリスって昔ながらの家並みが残る町が多い…というか殆どですけど、プリマスは町中にコンクリートの近代的なビルが立ち並んでいて驚きます。 戦争の、というか空襲の爪痕を残す町。 このような町はドイツには多いですけど、イギリスには比較的少ないので。
市の中心部で昔ながらの建物といったら本当にセント・アンドリュー教会ぐらいではないのかしら? …と思っていたら、この教会も戦後の再建だったんですね。 日本は木造建築が多かったので、大空襲に遭うと後には本当に何も残らないのだけれど、 ヨーロッパの場合は石造建築なので、内部は全て焼けても瓦礫は残る。 粉々になった部分だけ新しい石材を入れて、焼け残っている石はそのまま使うという形で、石造建築の場合はある程度むかしの形を残して再建ができる…ということは私も、大空襲前の建築物を50年かかって再建したドイツのドレスデンで説明を聞くまで知らなかったんですけど、
セント・アンドリュー教会 よく見ると石がまだらです。 煤けて黒いのがおそらく空襲で残った部分で、新しいのが再建時に置き換えた石材なのだと思います。
ホーの丘には行ったんですけど、当時はナポレオン戦争時代と近代の海洋小説しか読んでいなかったから、丘そのものの写真というのはなくて、 印象的だったのは丘に建つ巨大な第二次大戦のメモリアル。
銅板のプレートには、1939年〜45年にこのプリマスを出航して、戻って来なかった艦とその乗組員の氏名が彫られています。 マレー沖海戦で沈んだ艦もあって、あぁ自分の国はかつて英国の敵だったんだなということを思い知らされる。
もう一枚のホーの丘の写真はこれ。 何を撮りたかったんだろう私は? 灯台(スミートン・タワー)でしょうか? この写真、奥手に古い建物が写っているのがわかりますか? プリマス・フォート(要塞)と呼ばれる、むかし司令部があった建物ですが(これも戦後の再建でしょうねたぶん)、
今日この写真を見ていて気づいたのですが、 ここってたぶん、ボライソーの24巻(1815年)当時はプリマスの港湾司令官になっていたバレンタイン・キーン中将が、アダム・ボライソー艦長のアンライバルド号の入港を見ていた場所ですよね。 この写真の右側はプリマス海峡で、この要塞は丘から港と海を見下ろす位置にあります。 そしてアンライバルド号を確認したキーンはみずから、艦長のアダムに叔父リチャードの死を伝えに行く、
この写真を撮った20年前は、先に言った通りまだボライソー・シリーズは最新が14巻で、リチャード自身がまだ少将だったしアダムは海尉になったばかり、リチャードの旗艦艦長はヘリックでした。 キーンはまだ旗下の一艦長で、将来このプリマスの港湾司令官にまで出世するとは思いもよらなかった…というか生き残るかどうかもわからず。
これは確かに20年前の、かなり昔の写真なのですが、そのあたりをつらつら考えるともっともっと昔のことのように思えてくる…ところが大河海洋小説ファンの醍醐味なのかもしれません(いや、それって私だけ?)
早川書房さま>ボライソー・シリーズはまだ一冊未訳が残っているんですけれども、彼らの幸福と読者の安心のために、訳して出版していただくことは出来ないんでしょうか?
2010年11月06日(土)
11月7日横浜日本丸はAPEC歓迎登檣礼
横浜のみなとみらいでAPEC(アジア太平洋経済協力会議)が開催されますが、 来日した各国首脳への歓迎を込めて、11月7日(日)の日本丸(みなとみらいドック繋留の旧日本丸)総帆展帆では、登檣礼(10:30頃)と汽笛吹鳴(12:00)が行われます。
桜木町駅周辺は警備で大変なこととは思いますが(テロに巻き込まれる危険性もあるかもしれませんが、そのあたりは自己判断で)、面白い機会ではあると思うので、ご紹介しておきます。
詳細は下記日本丸メモリアルパークHPにて http://www.nippon-maru.or.jp/news/news.html?id=300
このニュースはFさんから教えていただきました。 ありがとうございました。
2010年11月05日(金)
ビクトリー号戦線復帰?
先週末は更新なしで申し訳ありません。 夜に作業をしようと思ったら、夕方からちょっと体調を崩しかけ、大事をとって早めに寝てしまったのでした。 月曜朝には復活できたのでやれやれです。 その分、今回は2本まとめてupという次第になります いずれも小ねたですが、
さて、英国には「NewsBuiscuit(ニュース・ビスケット)」という、時事ニュース・パロディのサイトがあります。 真面目なニュースのパロディを大まじめに伝えるという、じつにイギリスらしいユーモアにあふれたサイトですが、このサイトの今回の話題は、10月末に発表された英国防省の防衛戦略見通し(the Strategic Defence and Security Review :SDSR)です。
ごぞんじの通り、英国の新政権は徹底的な緊縮財政を打ち出していて、 交通省の交通戦略見通しでは、大規模公共事業に大ナタがふるわれ予算削減になっているようですが、国防予算についても事情は同様のよう、
これを10月26日の「ニュース・ビスケット」はこうとりあげました。
HMS Victory to replace Trident and Ark Royal http://www.newsbiscuit.com/2010/10/26/hms-victory-to-replace-trident-and-ark-royal/
(国防予算の緊縮で)ネルソン提督のビクトリー号の復帰が決まった。 リーアム・フォックス国防相は、防衛戦略見通し(SDSR)の目玉として、「ビクトリー号が再び、世界の海に英国の威信を示すことになる」と述べた。 乗組員区画には適切なトイレットが設置され、18世紀の艦尾楼は撤去される。替わりに設置されるのは、あらたな通信システムをになう伝書バト通信隊のための着艦デッキとなる。 伝書バトの居住区画は最新式の檣頭見張台(Crow's nest:鴉の巣)に設置される。
ビクトリー号は文化財艦隊(Heritage Freet)の一番艦となるだろう。 海軍局長(Admiralty Chief)は現在ピナフォア号について、現役復帰の可能性を調査している。 またメアリー・ローズ号についても潜水艦として利用できないか、調査を行うものと見られる。
もう…大爆笑してしまいました。 さすがモンティ・パイソンの国、素晴らしいセンス。
ピナフォア号は、艦としては実在しない、「H.M.S.Pinafore」という19世紀末のアーサー・サリバンの喜歌劇の題名で、以前にNHKBSで一度舞台中継がありました(2007年10月05日の日記参照)。 メアリー・ローズ号は、ヘンリー八世の時代のキャラックで、1545年に沈没しました。1982年に船体の一部が引き上げられ、現在はポーツマスの海軍博物館の一画に展示されています。あらら、せっかく引き上げたのに、また潜水艦にしてしまうのですか?
これで更新を終わっても良いのですが、やはりこのままではまずいと思いますので、 10月25日のリーアム・フォックス国防相の、本当の記者会見を扱った英国防省のほんもののプレスレリースのアドレスを下記に紹介しておきます。 http://www.mod.uk/DefenceInternet/DefenceNews/DefencePolicyAndBusiness/DrFoxSdsrSetsOurArmedForcesOnPathToSustainableFuture.htm
2010年11月03日(水)
ロシアよりテムズ河へ、愛をこめて
英国ロンドンのタワー・ブリッジの下流左岸に、H.M.S.Belfastという第二次大戦当時の軽巡洋艦が係留され、艦内が博物館となっているのをごぞんじでしょうか? ベルファスト号は1941〜45年にArctic Convoyすなわち、援ソ船団(北極海の不凍港ムルマンスクへ連合国の援助物資を輸送する船団)の護衛艦として活躍していた艦だそうです。
古い写真で恐縮ですが、これは私は1989年に初めてイギリスを旅行した時に撮ったもの。 ロンドンの滞在日数がとれなかったのでグリニッジの海事博物館までは行けませんでしたが、ここならロンドン市内なのでと見学に行きました。 アリステア・マクリーンの「女王陛下のユリシーズ号」(ハヤカワ文庫NV)は読んでいましたので、援ソ船団の護衛艦はやはり見ておかなければとも思いました。
ミステリ・マガジンでかつて冒険・スパイ小説のベスト100(出版社問わず)アンケートを行った時に、海洋小説部門で2位に大差をつけて1位になったのはこのユリシーズ号でした。 それだけではなく、冒険、スパイ、国際謀略小説全部門をあわせた総合順位でもフレデリック・フォーサイスやトム・クランシー、ディック・フランシスらを抑えてこれが1位ってところが凄いと思いましたが、 でもそれだけのことはある本だと思います。 読んだ後、ショックのあまりしばらく他の本が読めなくなった…という本は、私はこれまでのところ、この1冊きりです。 これから読まれる方は、覚悟してからお読みください。
さて、話を元に戻して、ベルファスト号ですが、このようなニュースがありました。 Russian and British Veterans of the Arctic Convoys Celebrated the Unveiling of Russian Masts on HMS Belfast in London http://www.prnewswire.com/news-releases/russian-and-british-veterans-of-the-arctic-convoys-celebrated-the-unveiling-of-russian-masts-on-hms-belfast-in-london-105518393.html
テムズ河に係船公開されているベルファスト号のマストを改修することになったが、新しいマストはペテルスブルグの造船所で作られたもので、第二次大戦当時の援助を感謝してロシア連邦から贈られた。
贈呈式にはロシア連邦大統領府長官のセルゲイ・ナルイシキン氏と、英国側からはエジンバラ公フィリップ殿下が出席した。 またかつて援ソ船団に加わっていた関係者が出席した。
新しいマストなどの写真はこちら、 http://www.kifir.info/hmsb/
ベルファスト号HPのニュースレリース HMS Belfast Masts from Russia with Love http://hmsbelfast.iwm.org.uk/server/show/ConWebDoc.7026
なんというか、ちょっと驚いたんですよね。 私が上の写真を撮った時(1989年)には、まだソ連という国があって冷戦が終わっていなかったので。 イギリスとロシアの老兵が一同に会して、かつての援ソ船団を讃え合う…という機会が来るとは、と。 まぁユーラシア大陸の反対側の島国では折りも折り、ロシア大使を呼び返すとかいまだに戦後が続いているので。
2010年11月02日(火)
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