ひとりごと

2003年02月28日(金) パソとarumamとbochibochisaとarumama

そう初めてHPを作ったのは2001年の5月。

駐在一年間はあっという間にすぎた。なんだかんだと忙しかった。
でも、ちょうど二年目に入ったある日、突然、「わたしったら、何をしているんだろう?」病に
陥ってしまった。最大の原因は大好きな子供たちと離れ離れに暮らしている寂しさに
気がついてしまったこと。それまでは、気がつかないふりをしていた。
夫は3月に入ると、ほとんどイギリスにいない。で、なに?わたし、何しているの?
って。あははは…そんなことはじめからわかっていることだったのにね。

とても幸いなことにいいお友達がまわりにたくさんいた。
でも、友達と家族は違う。子供たちとは違う。急にぽっかり心に穴があいた。
…のに、気がついた(笑 気づくの…遅すぎ?(爆

ま、ま、そんなことを言っていても始まらないので、なにかしようと思い立った。

それまでも、手芸が大好きで地元の手芸教室に通い、クロスステッチにはまって、
夜なべやっつけで刺していたし、英語の学校にも通っていた。
そうだ、体も動かさなくちゃ!と近所のスポーツセンターのクローク教室に入った。
もちろん、初心者コースで、年齢的にも私はヤングに属する!いや、ほんと!
はじめのうちはよかった・…けど、回を重ねるごとに、泳ぐ距離が増やされ、
私…このまま続けていたら殺される…と思い、これは1タームで断念。とほほ・・
イギリス人の体力…ば○ものです…(^^ゞ

で、夜一人でかたかたできるHPを作ろうと思い立ったのです。
HNはarumam クロスステッチの作品紹介サイトをHPビルダーで作ったのです。
日本の友達の作品を載せたり、わんこのエッセイを送ってもらったり、いろいろ
楽しかったのです…が、内輪だけでのお客様でなかなか盛り上がりを見せず、
「なにやっているんだろう」病が回復すると同時(半年くらい続きましたかねぇ〜)
に休館となりました。

それから半年後、やっぱり、パソが好き。ホームページ、新しく作りたいと思って
一から始めました。それが2002年7月中旬のことです。

gooの簡単HPを立ち上げ、それから、いろいろな人とお友達になって、
デジカメで写真を撮って、掲載したり、どんどん夢が膨らんでいきました。
gooは最近調子が悪くて、またまた一念発起で今度はフリーフォームでHPを作ってみました。
本を読んで、お助けサイトを訪ね歩き、やっとこんな感じです。

他の方のページと比べると、幼稚園児のようで悲しくなってしまうことも度々ですが
のんびりゆっくり楽しみながら、ちょっとづつでも前に進めたらいいなぁ〜と
思っています。

って、わたしは、何故ここで所信表明をしているのでしょうか?
あれ???どうして、こういう話になったのでしょうか?あれぇ〜〜〜?

まぁ、いいです。少しでもarumamaのことをわかっていただければ、うれしいですp(*^-^*)q



2003年02月27日(木) わたしだってIBMが欲しかった(爆

特にそのころはいろいろ問題が多くて、我が家では一番大変だったころ。
それなのに、夫はいない。一人でなにもかもしなければいけないうえに
夫のそんなお遊びに悠長に付き合ってあげる気はさらさらなかった。
すぐそばにいて、助けてくれない人にメールでなにを報告すればいいというのだ。
メールを相手が開くまで待つなどと、ふざけたことをやっている場合ではなかった。
また、そんなのん気なことを言っている夫にも、実は、腹が立っていた。
相手は仕事が忙しい。理解しているのと、わたしの感情は違っていた。
わたしにとって、メールはふざけた遊びとしか思えなかった。本当に心配なら、
そして大変だと思うなら、電話で様子を聞いて来い!それが本音だった。

ま、ま、そんなこともこんなことも過ぎてしまえば、終わったことで(爆

1999年、5月、家を買いました。
F1参戦が立ち消えになり、これで駐在はないだろうという理由とそれから夫の
ストレス衝動買い。まぁ、気持ちはわかります。3年間心血を注いだプロジェクトが
急にゼロになったわけですから。年齢的にも家を買う年齢だったのかもしれません。

8月、夫の夏休みを待って、引越しをすることになった。引越しが完了し、家も
だんだん落ち着いた空間になった9月…事後処理にイギリスに行っていた夫から

「駐在が決まったから」と電話があった。

はい?なんで???

「やっぱり、F1復帰が急に決まったんだよ。どんでん返しってやつ…」

やつって(ーー;)家どうするのぉ〜まだ一ヶ月しか住んでいないよぉ〜
家を買うと駐在に出る!これはジンクスのようなもので当たる確立も高い。
高いけど、なにもうちに当たらなくても…でも、イギリスかぁ〜行きたいなぁ〜

ということで、9月末にいったん帰国した夫、11月1日付けで正式に赴任。
彼はあの家に正味一ヶ月も住んでいない。

そして、私たちは娘の中学卒業、ハワイ研修旅行を待って、渡英した。
31日に成田に帰ってくる娘を成田で拾って、ホテルに泊まり、翌日渡英という
周囲が唖然とするスケジュールを組んだ。周りはとやかく言ったけれど、それが
わたしにとっては一番楽だったのだから、仕方がない。

前書きが非常に長くなりましたが(前書きだったのか…あははは)
その新しい家に引っ越したときに、夫がバイオ一式を買ってきた。
1999年、すでに世間様はマック完敗…ウィンドウズの天下になっていた。
会社にもとうの昔にパソが導入されて、ひとり一台が当たり前状態。
夫が6年も前のマックで満足するはずがないと思っていたので驚きもしなかったし
そのお金も例の出張手当口座から出ていたので、家計には全く関係がなく
へぇ〜と思いながら、今度はまめにメールをすることになった。
山積みだった問題も解決の様子を見せ、私の心にも余裕ができはじめていたし、
友達もひとり、ふたりとパソを持ちはじめ、やってみれば、メール交換も新鮮で面白かった。

3月31日私たちがイギリスに着いて、4月6日子供たちがデンの学校に行ってしまった。
夫はどこに隠し持っていたのか、Toshibaのノートパソを娘に、バイオのノートパソを
私にくれた。ディスクトップはまだ船の中だ。
お互いがパソを持っていれば、いつも様子がわかるし、暇なときに遊べるし…
というわけで、わたしたちにくれた。ちなみに自分はそのときIBMのノートを
持っていた。

ちょっと、ちょっと、一体、いくつ持っているんだよ。信じられない…(爆
が、うちの夫はイギリスにいてもブランドのなにかを買うわけでもなく、
おねえちゃんがいるクラブに通うわけでもなく(単身者は結構お世話になるらしい)
超豪華レストランで食事をするわけでもなく…お金は趣味に使いたい人なのです。
カメラ、パソ、なんでこんなに高いのかわからないプラモのキット…
そんな人なので、パソも新しいのがでると欲しくなったのだろうね、きっと。
それに家計に響くわけじゃないし…(これが大きい。そうじゃなかったら、私と
大喧嘩だ)

そして、会社にIBMからノートパソの無料配布があった。ただで貸してくれるそうだ。
ソフトは買うわけだから、そうやって、IBMは会社に入り込むらしい。
で、夫自前のIBMは2002年の夏から、娘の元に渡っていった。
なんでも、卒業論文を書くのに、今持っているのじゃ、画面が小さくて使いにくいって。
な、なんて贅沢な!高校生のくせに、IBMだぁ〜私もそっちのほうがいいぃ〜と
いう私の叫び声もむなしく、彼女はさっさとデンに持って帰ってしまった。

で、私とパソの関係は…2001年、夏まで…無関係だった。
いえ、日本の友達とメールを交換はしていたけれど、パソを持っている人がまだまだ
少なくて、相手が4人くらいしかいなかった。こっちは一人ぼっちの暇人、あっちは
日本で忙しい人たち…毎日メールがくるわけでもない。
パソとは非常に薄い関係だった。

つづく



2003年02月26日(水) 思い起こせば…

うちにはデスクトップのセットが1993年からあった。
何故覚えているかというと、この年オーストラリアから帰ってきたから。
今から10年前、インターネットはまだ一般家庭に浸透しておらず、メールと言っても
相手がいなかった。パソコンを持っている家庭のほうが少なかった。
何故、そんなものがうちにあったかというと、会社の技術の人が安くで譲ってくれた…
らしい(ーー;)…夫の話だから、あてにならないが、新しい物好きの夫が飛びついたのは
容易に想像できる。

それは、マックだったんだけど、2階の娘の部屋に放り込まれ、ワープロ機能と
ゲーム上海に使われていただけだった。子供はまだ小学生…私も全く興味がなかたた。

それから、3年くらいたって、夫が私にノートパソをくれた。くれたのです(^^ゞ
お給料とは別に、出張のたびに別口座に手当てが振り込まれているのを私は知っていたけれど月々のおこづかいが非常に少なかったので、それは全部彼のものになっていた。
いくらあったのか…私は知らない。あははは…のん気だなぁ〜
そのお金で、早々とノートパソも買っていたらしい。

イギリスに長期出張が始まった1996年ころ、これでメールをくれればいつでも連絡が取れるから…と差し出された。

私の内心(なんだ、なんだ…こんな面倒なものを私に押し付けるのかぁ〜。会社から電話してきたほうが早いじゃん)
操作を覚えるのも面倒だし、できるわけもないし、いらいら…いらいら…

で、夫に電源を入れるところから、マニュアルを書いてもらい、仕方なしなしやってみた。
でも、小学生を二人抱える日本での生活はとても忙しく、メールだパソだなんて
やっていられない。メールも送らない。知らん顔のわたし…
あ〜そういえば、一日一度はチェックしろとか言っていたなぁ〜でも、いつも忘れて寝ちゃう。だって、大変なんだよ、母親役に父親役にアッシー君・・・
気が付いたら、次の日の朝ですよ。毎日、パソのふたを開けて、マニュアルを読んで…
なんてやってられません。で、とうとう夫が電話をかけてくるようになった。
そうよ、これでいいのよ。電話のほうがずっと早いじゃない…あっはっはっは…

つづく…



2003年02月25日(火) 最後のレッスン

今日は最後のレッスン日でした。最後ということもあって、
それに私が病み上がりなのも知っているので、
とても和やかにのんびりとお勉強をしてきました。

今度、私がイギリスに戻ってくるときはポリーは
どこかにお引越しをしているそうですが、
メールで連絡を取り合おうねと約束してきました。
最後だと思うと、やっぱり、名残惜しくて、
これで最後は嫌だね、来月もう一度、今度は
いっしょにお茶でも飲みに行こうか…ということになって
帰る2日前にお茶をすることになりました。
こういう話をしていると、急に寂しくなってきますが…
違うんだったら!6月の末にはまたここに帰ってくるんだってば!

ポリーはどこに引っ越すのかな。遊びに行かれる範囲だといいのにな。

あっ、ポリーにプレゼントをいただきました。
イタリア語の辞書です…あはっ!勉強しろってか?



2003年02月24日(月) ストイックでないと…

綺麗な澄んだ瞳に、柔和な眼差し…アクシデントのときも微笑を絶やさない口元。
一言一言、しっかりしたコメントを主張できる、英語もぺらぺらなインテリでもある。
体は小さいが筋肉がすごい。首の太さは顔より大きい。普段の笑顔は実年齢より
さらに若く見える。正しい日本語を話す礼儀正しい彼は大変な人気者だ。
会議に彼が同行するというだけど、現地邦人の日本人社長や幹部の出席が増えるそうだ。

彼の名前は「佐藤琢磨」 今年は残念ながらシート権をなくしてしまったが、
来年はきっとBAR HONDAで活躍してくれるだろう。
ヴィルヌーブなんかより、絶対、琢磨くんのほうが人気がでるのにな…ボソッ…
今期はもういい。来期よ、来期!イギリス人の超ハンサムさんバトンと
日本人の好青年琢磨で、人気をフェラーリから、奪い取るのだ!いえ、勝てないと…(^^ゞ

世界で互角に戦うための第一条件。英語。そして、日本をひきづらないこと。
イギリスに住むなら、イギリス人の生活をするそうだ。そうでなければメカニックとの
交流はありえない。英語で自分を主張し、冗談をいい、場をなごませる。
これなくしては、一流どころか、参戦はしていてもお客様になってしまう。
今までの、F1日本人ドライバーと琢磨の大きく違うところはここらしい。
もちろん、天性のドライバーテクもあるだろうけれど、F1に関わることさえもできず
ヨーロッパを去っていったたくさんの日本人ドライバーたちは英語を話す気も
勉強する意欲もなかったそうだ。

そして、健康・体作りの自己管理。体について驚くほど勉強・研究をしている。
食べ物によって、自分の体を自由にコントロールできるそうだ。もちろん、努力もすごい!

世界で活躍する人たちは人の知らないところで非常な努力とストイックな生活を
しているのだろう。
あのにっくったらしい(あらっ…^^;)シューマッハも、ふてぶてしい(あらっ…^^;)
ヴィルヌーブも努力し鍛えているのだろう。

F1今シーズンはどんなふうに動くのかな。またフェラーリ独走かな?
Hondaは表彰台争いにからめるのでしょうか?いよいよ来月、オープン戦です!

関係ないけど…フジテレビの解説は右京とマッチになるそうです。(ーー;)



2003年02月23日(日) イギリスの思い出

たくさんあるけれど、食を思うとき、絶対恋しくなるのが
ニューモルデンという韓国人さんたちの町にある、ちいさな定食屋さんのような
焼き肉屋さんの豆腐チゲです。
このお店は…看板にも名刺にも英語表示がなくて、何十回と通い積めているのに
名前も知らないのです。ハングル文字しか書いてないのですよ。
でも、中には英語で説明してあるメニューもあるし、なんといっても
ありがたいことにメニューの写真がでかでかとお店の中に貼ってあります。

クッパ、ビビンバ、焼き肉しか知らなかった私達でしたが
隣の人が食べているものを見ては、そのお客さんが帰ってから、そっと、店員さんに
「あれはなに?」と聞いて、教えてもらい、わたしたちのゴールデンメニュー
『パジョン』(韓国風おこのみやき)『豆腐チゲ』(arumamaさまご用達)
『ユッケジャン』(夫様ご用達)に行きつきました。

ロンドンや、同じニューモルデンでも日本人ご用達のちょっと高級レストランが
ありますが、そんなところよりもずっとずっとおいしいんですよ。
スープが効いているので、辛いけど、味があって、コクがあって…甘味もある。

この豆腐チゲに出会うまでは私は辛いものは絶対食べなかったのです。
絶対駄目だと思っていました。が、全然平気でした。ひょっとしたら、夫より
強いかもです。あははは…♪

わたしのイギリスでの食の想い出…それは絶対名も知らぬレストランの豆腐チゲ!

写真をToday's Photoに載せましたので、見てくださいね。辛さが伝わるといいのですが…



2003年02月22日(土) Paragonのティーセット



先日、まだ風邪をひく前に私の送別会の後で、みんなで行ったアンティーク屋さんで買ったティーセット。

1930年代のイギリスのParagonとう窯元のものだそうです。
アンティークにはほとんど興味がなかったのですが、この絵にひとめぼれでした。
そして、日本では考えられないほど…安い(^^ゞ
カップ&ソーサー1客分のお値段で、これだけ買えました。
割ったら、二度と手に入らないから、気をつけて使ってくださいって。
でも…わたし、割るのすごく得意なんですけど、大丈夫でしょうかねぇ〜^^;

他の人達はすごいですよぉ〜アクセサリーや食器や…家中にあふれいています。
うちは…日本に帰ってからの置き場所とお財布の中身を考えると
どうも…しゅぅ〜ん…となってしまって…
アンティークショップでのお買い物は始めてでした。

「Can you give me your best prize?」

というと1割はまけてくれます。現金払いに限りますが…なかなか面白かったです。




2003年02月20日(木) 今月はピンチ!だったけど…

突然の夫によるPC衝動買い・娘のスイス旅行・わたしたちのデンマーク行き
さらに1月は二人分の学費・イタリアで使ったカードの支払い

うぅぅぅ〜我が家もさすがにピィ〜ンチ!
やばいよ、やばい!ボーナスは日本の口座に入っているし、どうするよぉ〜
と泣きそうになっていたら、この体たらく…

えっ?どのって、この風邪。その前1週間は娘が風邪でダウン。

ほほほ…風邪だと出歩きませんからねぇ〜友達と豪勢なランチもしません。
お金…出ていきませんねぇ〜助かりましたぁ〜
もうすぐ、お給料も入りますし…いやぁ〜よく乗り越えたものです。

昨日、アイロンをかけよう、かけねば、いやだぁ〜と悶々としていたら
自分の部屋から出てきた娘がおもむろにアイロン台を出してきて、
な、なんと、夫のワイシャツ10枚…(ーー;)…着手しているではありませんか!
誓って言いますが、わたしは…別に…娘に言ったわけでは…ありませぬ。

が、わたしのアイロン嫌いオーラは壁をブチ破り、ベッドの上で本を読んでいた
娘を脅かしたものと思われます。我ながら、すごいな(爆

そうだよ。卒業生はたった三週間しかいないのに、
三学期分(2ヶ月)の高い学費と寮費を払わされ、そのうえスイス旅行だもんな。
これくらいのご奉仕は、するわよ。えっ?する?いや、わたしの若いときはしなかった(爆

これって、俗に言う体で返すっていうやつですかねぇ〜お嬢、えらいわ、あなた。



2003年02月19日(水) 復活

ありすぎると忌々しい食欲もなくなると、悲しかった(爆
三日間、食べることもできなかった。食欲どころが胃がむかむかしていた。

食べるって、本当に人間の楽しみなんだなぁ〜
いや、一般論にしてしまってはいけないですね。
わたしのの最大級の楽しみなのですね…(^^ゞ
前々から、気づいてはいましたが、やっぱり、そうでした。

お腹が空かないと、元気がでないです。
食欲を押さえてダイエットするのと、気持ちが悪くて食べられないのとでは
全然違う(って、当たり前ですぅ〜)

というわけで、食欲も復活しはじめ、さっきからお腹がぐぅぐぅです。
うれしいなぁ〜この食欲。

さあ、なにから食べようかなぁ〜

ん?なにから?…どんなに食べるつもりなのやら…トホホホです(^^ゞ



2003年02月18日(火) 風邪?

日曜日からお腹が痛くて、寝てばかりいた。
腰も背中も痛くなってきて、もちろん頭も耳も痛い。

夫は寝過ぎだというけれど、具合が悪くなければそうも寝ていられないでしょう?
月曜日も、午後から、数時間寝てしまった。
それなのに、夜は12時には、夢のなか…いや、背中とお腹が痛くて辛かった。

さて、今朝、夫が同じ症状を訴えてきた。

ほぉ〜ら、やっぱり、風邪じゃないですかぁ〜
ただの寝過ぎじゃないもんね。(´0ノ`*)オーホッホッホ!!

いえ、笑っている場合ではありません。
お腹にくる風邪、体が痛くなる風邪…結構、きついです。

わたしはぐだぐだ寝ていられるけれど、会社に行く夫は大変だわねぇ〜

ご苦労様ですぅ〜頑張ってくださいぃ〜^^



2003年02月17日(月) どうなるのだろう

わたしが大学生のとき、小さな個人輸入の会社コールモアでバイトをしていた。
そこの社長は、日本テレビの海外特派員で活躍されていたけれども
喘息をこじらせ、チアノーゼで何度も救急車で運ばれ、特派員の激務を諦めて、
小さな会社を作ったという経歴の持ち主だった。

その年は、記録的な冷夏で、本当に寒い夏だった。
そのうえ、9月に4日間続けて、東京では震度4の地震があった。
寮では、ミーティングで、関東大震災が起こったと想定しての非難措置の
プリントが配られ、みんなで心から震え上がっていた。

今から、20年ほど前の話だ。

ある日、コールモアの社長がわたしに言った。
『今、一番怖いものはなんだと思う?』

「地震です」即答するわたしに社長は言った。

『違うよ。戦争だよ。今、一触即発…戦争になったら、地球はほろびるよ。』

わたしは、そんなものより、地震のほうが絶対こわかった。
四谷はまだしも、寮のある新宿は…と考えると、夜も眠れなかった。

けれども、ずっと海外で取材をしておられた社長は、
『世界は常に戦争の危機にある。地震は一国のことだけれど、戦争になったら、核が飛び交う・・・』
とつぶやいた。

のん気な大学生だったわたしにとって、戦争は遠い遠いところの話。
核だと言われても、ぴんとこなかった。

あれから20年と少し…今度こそ、世界を巻き込んだ戦争なのだろうか。
日本を離れていると、戦争が近くに感じる。
戦争が始まっても、夫の出張がなくなるとは思えない。

あの9月11日の週の週末でさえ、彼の仕事はキャンセルにならなかった。
本社は駐在員の飛行機での移動を禁止しているにもかかわらず
特例で、夫の仕事は、キャンセルにならなかった。
2週間後にはアメリカにも行った。
そこまでしなければいけない仕事ってなんだろう。
わたしから見れば、ただのお遊びなのに、何故、キャンセルできないのだろう?
巨額の金額がかかわっている。キャンセルすると、キャンセル料が何億にもなるという。
だけど、もし、そこでなにかあったら、会社はどうしてくれるのだろう。

今の仕事は夫の小学生の頃からの夢でもあるから、
そして、やっと手に入れたポストだから…本人は本望なのだろうか…

いや…日本にいても同じだね。どこにいても、今の世の中、安心しては暮らせない。

でも、せめて、努力で回避できるものなら、なんとか平和的に解決して欲しい。
「戦争はこわい。」コールモアの社長の言葉を急に思い出した。
彼は今、どこでどうしておられるのだろう…
わたしは、多分あの頃の彼と同じくらいの年齢になろうとしている…



2003年02月14日(金) 送別会だそうで…

誰の?って…わたしのだそうですぅ〜(^^ゞ
だって、私、またこちらにすぐ戻ってきますのに…
3ヶ月ほど、日本に帰るだけですぅ〜と何度も言っているのに

『まぁまぁ、取りあえず、区切りってことで』

区切りってなんだよ。区切りって…(爆
あ〜「もう帰ってくるなの会」じゃないでしょうねぇ〜!!!
(^∇^)アハハハハ!

10年になる大先輩が
「わたしなんか、『もう帰してくれの会』を開きたいわよぉ」って。
それはそうかもしれませね。子供達もいつの間にやら大学を卒業され
ふたりとも日本で就職。ご夫婦と愛犬ビーちゃんとののんびりとしつつも
子供さんたちが気になる生活。

娘さんは大学入試も就職もなにもかもひとりで日本でしたそうです。
親ができることはなにもないけれど、せめて、一緒にいてあげたかったと
後悔されています。ちゃんと大学に入られ、就職され、立派に成人されていても
やっぱり、親は「あのときこうしてあげたかった」と後悔するものなのですね。

だから、わたしが今回少しだけ、娘と生活をしたいと思って…と言ったとき
それはそうよぉ〜と言われました。
うちも高校1年から心ならずも寮生活をさせていたので、ここらで少し
娘と一緒に暮らしたい…これが本音です。

夫はこれからシーズンが始まり、ほとんどイギリスにいなくなります。
そしたら、4箇所で家族がばらばらになってしまいますからねぇ〜
それを3箇所に減らすってことで…(^^ゞ
これで息子も休みは日本に帰れますし…
と話していたら、わたしの送別会ってことに…

だからぁ〜6月にまた戻ってくるんだってばぁ〜

と今日もまたみんなに念を押しておかなくちゃ…忘れられたら大変です(爆





2003年02月12日(水) いろんな人がいますよぉ〜

最近、知り合ったお友達です。
とても優しくて、気が付く、人のいい人です。

その人がおっしゃるには…
その昔…気合の入ったヤンキーさんだったのだそうです。
で、ご主人と出会って、助けられたって。
細かい話はいろいろ差し障りがあったりもするので(爆
割愛させていただきますが、相当やっちゃったそうです。
あっ、本人談ですよ…

ここは居心地が悪いって。
奥さんぶって、親切ぶって、お腹の中が真っ黒な人が多いって彼女はいいます。

そ、そうなのでしょうか…私はぼぉ〜と生きているので全く
気がつきませんでしたが…
そんなものでしょうかねぇ〜それほどとは思えませんが。

確かにそういう人もいないとは言いませんが
日本にもいるでしょう?どこにでもいるでしょう?
人間の集団なのだから、いろんな人がいますよねぇ〜(^^ゞ

彼女いわく…
『不良は女優なのよ。誰とでも仲良くできるし、いい人のふりができるのよ』って。

うっ、私は…一体なんてお答えすればよろしいのでしょうか…
「そうなんだぁ〜」というのも変?変ですよねぇ〜

わっけわかんないなぁ〜もう…

それにしても、狭い社会の人間関係…おかげでちょっとは我慢を覚え、
成長させていただいたような気がする今日この頃です。

いろんな人がいて…わたしは結構この生活、面白がっているんですけどね。



2003年02月11日(火) 金縛り体質Part2

setsuk2さんのご要望にお答えして、つい12月、ぼちいHPを賑わすことになってしまった金縛り体験をここに書きます。

以下、そのときの引用ですぅ〜(^^ゞ

久しぶりに金縛りにあった(ーー;)
むむむ…夜、金縛りにあうと翌日まで尾を引くから嫌だ。

今回の金縛りはいつもと違っていた。
夫が私の耳元で「一体なにしてるんだよっ!何考えてるんだっ!」って今まで聞いたこともないような冷たい低い声で怒ってるの。で、わたし、一生懸命に『なにもしてないよ』って言いたいのに、ろれつがまわらなくて、苦しくて、5回目くらいに『なにもしてないよぉ〜』って叫ぶ自分の声で我に返った。そのあとは心臓がどきどきして、怖かった。でも、夫は全然気がついていないから、私の金縛りだったらしい。始めは夫が寝言で怒っていると思ったんだけど…あっはっはっは(ーー;)

うぅぅぅ…疲れたので、ゆっくりお昼寝しちゃったよ。夫いわく、『寝過ぎで、そんなんになっちゃったんじゃないのぉ〜』
まあね、否定はできないわね(ーー;)


そうなんですよ。寝過ぎても金縛りにあうのです。規則正しい睡眠は基本です。
高校生のころは毎日でした。その頃の生活を考えるとうなずけます。
夕方、学校から帰ってきてすぐに寝て、夜8時頃起きて朝の5時までうだうだ勉強して…で、5時から7時までまた寝る。あははは…。で、朝5時に寝るときに必ず金縛りにあっていました。まっ、不規則な生活、受験のプレッシャー、理由はいっぱい考えられますよね。

そして、私は言いたい。あの勉強体制は無駄です。っていうか、やめたほうがいいです。体を壊しますぅ〜(当たり前じゃん)やっぱりね、人間は体内時計があるんだから、それに逆らってはいけません。よい子のみなさんは絶対真似をしないようにね…(^m^ )クスッ



2003年02月10日(月) 金縛り体質

今はほとんど金縛りにあうことはないけれど、高校生の頃はよくなった。
取りあえず、科学的に解明されている現象と言うことで、安心はしていた。

そして、ホームページでお友達になったかたから、
金縛りにあってしまったら、お腹から「す、す、す」と声を出すといい。
サ行には霊験あらたかな力があるので、普段から意識して発音するといい。
などと教えてもらい、よし!これから先そういうことがあったら…と待ち構えている。
が、精神的にも肉体的にも追い詰められないこのごろは、とんとご無沙汰だ。

お嬢のお友達はとても霊感が強いそうだ。で、金縛りはしょっちゅう。
部屋の隅で、自分を眺める少女の姿も何度も目撃しているらしい。
その子が金縛りになったときに、お経を唱えたら、
『そんなもの、きかねぇんだよぉ〜』という怖い声で反撃されたって…
ぎゃぁ〜〜〜こわいがな…こわすぎるがなぁ〜〜〜。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。

ほ、ほんまでしょうか…



2003年02月08日(土) 最後だから…って(^o^)

2月1日にお嬢は高校を卒業してから、友達とふたりで3泊4日のスイス旅行にでかけた。昨年まで学校で英語の先生をしていて、今はスイス人の登山家と結婚されてスイスに住んでおられる。途中、いろいろなハプニングがあったけれど、いい勉強になっただろうし、忘れられない思い出の旅になったこと間違いなしだろう。

それから、ここにふたりで戻ってきて、ウィンザー・イートン、ロンドンとふたりで観光し、今日は夫と一緒にストーンヘンジとバースに連れていった。

このふたりは博物館好きで、ガイドのCDは全部聞かないと気がすまない。
数字の書いてあるところは全部立ち止まって、説明を聞き入っている。こういう子達は本当に、連れていっても気持ちがいい。そして、どこに行った後でも、

『おもしろかったねぇ〜楽しかったねぇ〜』と言う。

人生って…面白くするも楽しくするも自分の気持ち次第。
どんなことでも首を突っ込んで、一生懸命やってみれば、楽しくなってくるよね。
気乗りのしないまま、やっているとつまらない!とりあえず、なんでも一生懸命する!これが基本かもねぇ〜

わたしもイタリア語、がんばるぞ!一生懸命予習するわ…首、つっこんじゃったし(^^ゞ



2003年02月07日(金) マイケルジャクソンのコンサート

昨日の夜、マイケルジャクソン芸能生活30周年記念コンサートがテレビで
放映されていた。なつかしい歌と踊りはほんとうに素晴らしかった…

素晴らしかったけど…やっぱり、人工的に手を加えてしまった顔は厳しい。
肌のいろも…彼はあそこまで変えてしまわなくても立派なスターだったのに。
それでも心の中では自己否定の嵐なのだろうか。かわいそうに…

すこしまえも、ホテルの窓から自分の赤ちゃんを投げる真似をしてみたり
奇行の目立つマイケル。
あのころ世界中を魅了し、今もスターであることには変わりはないけれど…

スターの心は誰にもわからない…



2003年02月05日(水) 新しいコンピューターがやってきた^^;

うちのVAIOの調子が非常に悪くなってから、丸2年!
ついに、夫が立ちあがった…いえ、切れたとでもいいましょうか。

『新しい本体を買う!』

買うって言ったって、わたし、ローマ字でHP更新なんて嫌だよぉ〜

なんのことはない、日本語変換ソフトがあって、それをいれれば問題なし
考えてみれば、そうじゃなくちゃ、会社で使えないじゃん。あはは…(ーー;)

ってことで定価の三割引きを決算だからか、何故だか知らないが
さらに5%Offで購入。今度はDELLという会社のもので
ちゃんと日本でも使える仕様になっているそうだ。

で、長年苦楽を共にしたVAIO君、夫が日本出張のときに
担いで帰るそうです。で、日本の家でセットアップしておいてくれるって!

いやぁ〜悪いね、ダーリン!こうやってまたまたスポイルされていく私でございます(^^ゞ



2003年02月04日(火) お嬢、ピンチ!��

デンマークの旅行会社の人○○さんが当てにならない…
とはいえ、学校指定の旅行会社だから、子供たちは
どうしても利用することになる。学校と言う後ろ盾もある。
つまり、被害を生徒から聞いていながら、放っている
学校もいい加減と言うことにはならないのかなぁ〜

今回はデンマークの旅行会社のミスではなくて
そこの契約のスイスの旅行会社のミスであったことが判明。
悪意ではなくて、ミスだったために、お嬢たちが
泊まった予定よりもずっと豪華なホテル代金は
旅行会社が負担することになった。当たり前だ!

が、言いたいことはたくさんある。デンマークの
旅行会社の○○さん、普通はちゃんと取れているか
確認してから、料金を受け取るんではないでしょうか。

でも、なんのかんのと言っても、自分で予約確認
しなかったお嬢たちのミスも大きい。

駐在員家庭の子供は、海外旅行は慣れいている。
そのうえ、あの学校は研修旅行で年に2回他国に
連れていってくれる。18歳にして14ヶ国まわっている
そういう自信と慣れがちょっとした隙になって現れる。

14カ国、今までは親と学校に守られての旅だった。
個人で友達とふたり…というのははじめてのこと。
かえって、いい勉強をしたのかもしれない…・

もともと、とても慎重な子なのに、こういうこともあるんだなぁ〜

素直が売りのお嬢は電話で、「友達は○○さんに
すごく怒ってる!わたしは自分にすごく頭に来てる。ごめんね」

だそうです…はい、これからはもっと慎重にしていただきましょう。



2003年02月03日(月) お嬢、ピンチ!

学校に出入りの旅行会社で組んだ今回のスイス旅行!
1日目は元の先生と再開し、チーズフォンデュを食べて
楽しく、うれしく、過ごせたみたいです…

が、2日目、ユングユラウヨッホから帰って、
さて、ベルンで予約のホテルへ…と行ってみたら
なんと、住所のところにホテルがない!
電話番号もでたらめだったそうで、泊まるところがない!
住所は旅行会社になっていて、すでにもう閉まっている。
前の花屋サンがとても親切でいろいろ教えてくれて
違うホテルに言って聞いてみても、そんなホテルは
知らないと言うそうだ。スイスのホテルは高いから
ちゃんとしたホテル代金を払うと残り2日のお金がないと言う

『だから、その旅行会社はやめておけといったじゃないか!』

とイギリスで怒っていてもはじまらないので、
取りあえず、友達と協力して活路を見出すように指示!
だって、しょうがないじゃん!

結局、チューリッヒに住む元先生の旦那様にいろいろしていただき
お金をお借りして、ホテルに泊まることができたらしい。
ユースホステルという手もあったが、彼女のクラスメートは
そこで寝ている間にお金を取られるという被害にあっている。

スイスだから、なんとかなったけど、パリやローマ、スペインだったら
本当にやばかった。女の子ふたりがうろうろしていたら
すぐ狙われていただろうに…これでちょっとは反省し
なんでも、簡単で便利な道を選ぶと大変なことになると
心に刻んでもらおう!学校出入りの旅行会社、トラブル続出
と知っていて、予約しちゃったんだから、自分が悪い!

本当に腹が立つ…!娘に対しても、その旅行会社に対しても!



2003年02月02日(日) お嬢、晴れ舞台^^

初公開、お嬢^^

思い起こせば1月31日…
飛行機11時間遅れの為に見ることができなかった高校卒業ライブのベーシスト姿です。

お嬢の後輩が写真を撮って送ってきてくれました。ビデオはもちろん、写真も一枚もなくて、わたしはとても悲しかったのですが、写真だけでも見られてうれしかったです。
曲目はスピッツの「楓」だったそうです。

多分、もう二度とステージに上がることはないよ…と言いながら、毎日ギターを弾いて遊んでいます…

後輩さんに感謝です。どうもありがとう♪

そして、ふふふ…親ばかしているarumamaをお許しくだされm(__)m



2003年02月01日(土) 卒業おめでとう^^

みなさまには大変、ご心配をかけてしまいましたが、なんとか、デンに行くことができました。結局、18時40分の飛行機も20時まで遅れてしまい、ホテルに着いたのは0時でした。

とても嬉しかったのは、電車がなくなるということで、弟のほうの担任の先生と弟が空港にお迎えに来てくれていました。そして、彼は外泊を許可され、一晩一緒にわたしたちのホテルに泊まりました。おいしい朝食ビュッフェに舌鼓を打ち、喜んで学校に帰っていきました。

人数が少ない、家庭的な学校なので、卒業式も感動につぐ感動で、男子も女子も在校生も涙、涙の洪水でした。大学からの総長代理がおっしゃる、『毎年、付属校で一番感動的な卒業式』というのがわかりました。高校生で、卒業式で、男子も女子も、おいおい号泣。後輩たちは卒業生に抱きついて泣いているし…娘は自分もおいおい泣きながら、抱き着いてくる後輩たちに「すぐまた会えるから泣くなよぉ〜」って言っていました。彼女だけじゃない、みんな成長したなぁ〜本当に先輩だなぁ〜って。…今までは泣いて抱きつくほうだったから。いい卒業式に出席できて本当によかったです。こんな卒業式、あるんですね。本当に純粋で素直な子供たちでした。これからの人生をみんなが幸せに暮らせるように心から願ってしまいました。

学校から空港まで卒業生と親はバスで行くのですが、学校に残る後輩たちは泣きながらバスに追いすがり、バスの中の卒業生たちも窓から身を乗り出して、泣きながら、手を振っていました。みんなが見えなくなってからも『あ〜もう駄目だぁ〜デン校に帰りたいよぉ〜あ〜〜〜デン校〜〜〜』と号泣していたのに…ふと、静かになったなぁ〜と周りを見まわすと、みんな爆睡…昨日はみんな徹夜で別れを惜しんでいたそうだから、仕方ないとはいえ…あははは…みんな赤ちゃんみたいで、すごく、すごく、かわいかったです。

18歳…こんな純粋で素直でかわいい18歳もいるのですね。これから、みんな日本に帰って、環境が激変するけれど、今もっている純粋さを失わずに頑張って欲しいです。

娘に関して言えば、たくさん悩んで自分の頭で考えて、そして、それ以上に楽しんで、笑って泣いて…
最後の泣き笑いの笑顔を見たら、最高の高校生活を送ったのだと確信できました。ちょっと、羨ましい…ううん…すごく、うらやましい!よかったね♪

これからは、小学生のころからの夢に着々と近づきますね。頑張って、精一杯生きて欲しいです。

昨日お友達と一緒にうちに帰ってきて、今朝早くから、結婚してスイスに住んでいらっしゃる先生に会いに行ってしまいました。さっき、「今、無事に着いたからねェ〜」との電話がありました。

青春っていいなぁ〜若いっていいなぁ〜苦労の後には幸せが両手を広げて待っていてくれるのかもしれないね。この幸せがずっとずっと続くといいね。

みんな卒業おめでとう!これからも頑張ってね。


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