ニャンでも日記
2002年03月28日(木)
君よ 幾多の苦渋に嘆くことはない 過剰の幸せに酔いしれることもない 今日という日が唐突に激変しえても 所詮、残された人生の始まりでしかないから
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2002年03月26日(火)
狂乱の風雨が明け方になって 漸く治まり 窓際に薄日が差し込み始めると それまで寝ていた愛猫たちと 私はいつものように高層のテラスに 出て行って、鉢植えの植物に朝の挨拶を始める おはよう 今日はいい天気になりそう きっといいことがおこりそう そんな淡い期待に心を弾ませながら 私は 思いきり東の空に向かって深呼吸を始める
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2002年03月19日(火)
ある日― おもいがけない離別にあって 深い悲しみの淵に沈む そして 余りにも平凡な日々の繰り返しが 如何に幸せであったか、人は知る 君よ もう嘆くのはよそう たとえ、愛するものが目の前から 消えることがあっても これまでの思い出が 君の心に生き続ける
人,,常に遭遇を望み 而して 人,常に 離別を悲しむ されば 人、常に人を求め また、人、常に求められんを 望むなり
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2002年03月15日(金)
一穂の寒燈が暮れなずむ町中を 照らし始めると 高層のテラスから垣間見える 勤め人たちが足早に家路に向かう 思えば 一日は流水の如く去り また同じ明日への秒読みが始まる
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2002年03月12日(火)
僕は元来、犬派であった。親父が犬が好きで飼っていたからだ。福、ころ、ジェリー(セパード)と飼っていた。今は、どれもあの世で暮らしている。 一人暮らしを始めてから、何となく猫を飼ってみようかなと思い、結局、今では二匹飼っている。日増しに愛情が沸いてきて、帰宅時に玄関に迎えに出てくる猫ちゃんの顔を見ると疲れも吹っ飛んでしまうから不思議だ。今や僕は犬よりも猫の方が好きになった。
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2002年03月10日(日)
窓から垣間見える清涼とした空から たおやかな風が部屋に吹き込むと 今まで昼寝をしていた愛猫たちが 窓辺に飛び移り 手摺りにある鉢植えのアジアンタムの葉が 風にたなびくのをじっと見つめ始める
茶子ちゃん おもしろいのかい りとちゃん 不思議な生き物に見えるのかい
私の呼び掛けにも耳を貸さず 愛猫たちの夢中になった仕草を 見つめながら私はふとー もう春なんだなあと感じ始める
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2002年03月06日(水)
凍てつく風が欄干より吹き込んでくると
春待ち顔の鉢植えの草花が首を傾げ
物干し竿の肌着が寒さに震える
もう弥生3月の節句も終えて
いつになく寒い日々の繰り返し
いたたまれなくなった愛猫たちは
テラスよりゆっくりと部屋の中に引き返す
茶子ちゃん、待って
もう少し、いようよ
りとちゃん、行かないで
もうすぐ、鳩が遊びに来るよ
やさしく語りかける声も空しく
私は寒風のテラスにひとり佇んで
いつになく侘びしい休日を感じ始める
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2002年03月05日(火)
久しぶりに地元の公園を歩いた。四季の森公園、、こんなに近くにあったのに訪問するのは初めて。桜はまだであったが、梅は咲いていた。あとは辛夷がもうすぐ花を開けんばかりの状態になっていた。僕はこの辛夷の花が非常に好きだ。木蓮と同じような気もするが違う花の木なのかどうか未だに知らない。
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2002年03月02日(土)
冠雪をいただいた尾根から 一日をかけて運びこまれた冷風が 陽の翳りゆくテラスを吹き抜けると 鉢植えの水仙やビオラが頭を垂れ 凍れゆく花びらをしぼみ始める
寒くなってきたね 茶子ちゃん、、風邪をひくよ そろそろ、部屋に入ろうよ りとちゃん、、、 また、、明日、テラスにだしてあげるからね
惜しむかのような仕草を見せる猫たちを やさしく部屋に追い立てながら 私の一日は終わりをつげる
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2002年03月01日(金)
風絶えた春日の山にて 過ぎ去りし昔を思えば 国を想い国に命を捧げた 武将たちの面影が偲ばれる
時よ あまりにも短すぎたではないか 偲ぶ戦国の世と現世との隔たり ああ、月は天空に満ちて 星は満天の夜空に輝くも 日に夜に繰り返される輪廻一生の ほんのひと時でしかない
今、春日山城址に佇みて 謙信公の詩吟を謳歌する 霜は軍営に満ちて 秋気清し 数門の過雁 月三更 越山併せ得たり 能州の景 さもあらばあれ 家郷遠征を憶う (上杉謙信) この詩は、上杉謙信が能登の七尾城を陥れたときに、自分の配下の兵達を労うため、観月の宴を催し、その時、作ったと言われています。 戦に勝利した豪快な気分がよくでています。 私の最も好きな詩歌の一つです。
三更 夜半の12時頃 能州 能登の国 越山 越後の山々 家郷 故郷の人々
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