なべて世はこともなし
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|アイルランド真実紀行へ
2003年07月17日(木) |
<投稿編>あなたはまだいい。私の超越入院体験記(1) |
Snigel、ここ数日アホな愚客に翻弄されてまともに日記を更新する暇がありません。折りも折り、すんばらしい「アイルランド入院記」が届きましたのでご紹介です。totoさん投稿ありがとうございます。
事の発端は十月のある金曜の午後。ベルギー一人旅の際にブルージュのホステルに泊まって以来続いていた喉の痛みが悪化し、ご飯を食べたくない、飲み込みたくないという状態になってきた。これはやばいと思い、語学学校の先生に相談すると、私の元ホストマザーのフィルが働く自然食品の店オープンセサミに喉に効くスプレーがあるという。早速行ってスプレーと風邪に効くという薬まで購入した。とりあえず薬を飲みスプレーをすると心なしか少し良くなったような気がする。これに気を良くした私はきょうこ(友達です=仮名)の家にてどう考えても喉に良さそうではない堅いピザを食べついでにアイスクリームののったチョコレートパフェまで食べたのだった。
次の朝。唾液を飲み込むと、激痛。パンを食べようとすると激激痛。今まで「まぁどうせ風邪だろう」と気楽に構えていた私だったが、こうなってくると考えを変えずにはおれない。だってその痛みは「食べたい」という気力を挫くとかそういったレベルじゃなくて、何かを飲み込むとあまりの痛さに涙目になり5秒くらいのた打ち回るという凄まじさだったのだ。これは尋常じゃない。ハウスメイトのナイジェリアウーマンに話すと家から車で総合病院に連れて行ってくれた。
ありがたいことにここは土日もやっているそうなのである。診療に現れたのは黒人の医師。私の喉を見ると「たいしたこと無いよ。処方箋あげるから薬屋で買ってね。」診療は30秒で終わった。「え、これだけ・・・?」この痛みに釣り合わないあまりに短い診療時間に拍子抜けしたものの、大したことないと言われるとやっぱり嬉しい。この後フィル(前出のホストマザーです=仮名)と映画を見に行く約束だったのでcity centreに行き薬を買い、早速飲んでフィルと会う。薬屋お薦めの鎮痛剤も飲んだので、痛みは少し引いたようだ。朝ごはんを食べていなかったので、ポップコーンがやけにおいしい。ちなみに見た映画は「boat trip」。馬鹿らしく下品な私好みの映画である(笑)大いに笑った二時間であったが、これから笑わない(笑えない)三日間を過ごすことになるとはあのときの私は知らなかった・・・
フィルにオレンジジュースとのど飴を買ってもらい家に送ってもらう。部屋でベットに横になる。痛い、痛い、痛い。喉の痛みはどんどん痛くなる。鎮静剤を飲んでみる。効かない。飲んでいいと書いてある最高の数を最低守らなければいけない時間さえも守らずに飲む。でも痛い。どうも薬さえも効かないようだった。「この病気は本当にあの医者が言ったように大したことないのか?」という不安がよぎる。喉の痛みはどう考えても「大したこと」あった。暇な私は喉の痛みの傾向を観察してみる。どうもこの痛みは何かを飲み込む動作をするときだけに起こるようだった。日本では家庭の医学を読むのが趣味の一つであった私だが、もちろんここにはない。そこで電子辞書の広辞苑で喉関係の病気を調べてみる。扁桃腺炎か?まさか・・・咽頭癌?!考えはネガティブな方向へと進んでいくのだった。
夜の11時ごろだったか。コンコンコンと窓をノックする音。(私の部屋は一階だったので、友達は皆窓から出入りしていた)開けてみるとそこにはA(彼氏です。)がいた。Aはきょうこと一緒の中華料理屋で働いていたためきょうこから私の調子が悪かったのを聞いたという。それでバイトが終わった後にロールケーキとオレンジなどを買ってきてくれたのだ。ありがたい、持つべきものは彼氏だと実感した瞬間だった。(余談ですが、私とAは今も続いているのですが、本当に彼氏彼女らしくなったのは私のこの病気がきっかけでした。これがなかったら今どうなっていたかはわからないな〜と思います。アイルランドにいる間に別れてたかも。)ロールケーキとオレンジを食べやすく切ってくれ、しばらく話をして彼は帰っていった。
次の日。やってきたAはびっくり。昨日のロールケーキとオレンジにはほとんど手がつけられていない。あの大食いのtotoが(作者さんの名前です=もちろん仮名)?!とようやく事の大きさが飲み込めたようだった。そのあと彼はほぼ一日中一緒にいてくれた。そして肩を揉んでくれてたのだが、彼が「What's this?!」と叫んだ。私の首に「何か」?があるのだという。自分で首を触ってみるとそこには確かに小さなこりこりしたものがある。その後Aがおかゆを作ってくれている間に(本当に甲斐甲斐しいでしょ?そういう人なんです・・・)(Snigel注:ごちそうさまです=笑)また昼寝をした私、起きて、ふと首に手をやると「???!!!」首のしこりは明らかに大きくなっていた。2cm位ある。しかもそれだけではない。増えているのである。首の左右に2、3個ずつ・・・・鏡を見てみるとしこりの部分が明らかに目で見える。腫れている。なにかが首から生まれてきそうな気配だった。
次の日の朝。かすかな期待を持ちながら目覚めるもやはり喉の痛みは消えていない。それどころかまたひどくなっている。これは明らかに異常である。私は友達にメールした。「校長に電話していい病院を教えてもらってくれ・・・」そして友達が校長に尋ねたところ、彼女自ら私を病院に連れて行ってくれることになった。迎えに来てくれた校長は言うには、アイルランドでは初めから病院になど行くべきではなく、まずドクターにかかって、そこで紹介状をもらい病院に行くべきだとのこと。う〜ん、もう少し早く知りたかった。
その医者はとても古い(後で聞いたところ100年以上経つという)趣のある家に住んでいて、とてもエキセントリックであった。診察室の壁には浮世絵が飾ってあり、大丈夫か?と私を漠然とした不安に突き落としたりもしたのだが、今思えば彼が救いの神だったと言えなくはない。彼は私の喉を見ると言った、「Oh!なんて汚い、ただれた喉だ!汚いだろ、見てごらん(と校長に話しかける)」入院だね。」・・・はっ?今なんて言ったと?!うそぉ、私のリスニング力不足よね?だがお目出度いことに半年間のアイルランド生活は私のリスニングをばっちり上達させていたらしく、私は町で唯一の病院(てわけでもないんですが、他の病院はどうも老人病院だったりするみたいなので、実質ここしかないのでしょう)前出の総合病院へと舞い戻ることになったのである。
病院の待合室は結構込み合っている。10分、20分位たったか、いつまで経っても私の名前は呼ばれない。そこでとうとう激情型の校長先生はぶち切れ、看護婦にまくし立てた。「このPoor girlはこんなに重症なのよ!それをあなたたちどれだけ待たせる気?!」その後私はすぐに診療室へと招きいれられた。そして看護婦は校長先生と付き添ってきてくれた友達に言った。「これから検査やなんかで1時間くらいはかかるからそのくらいにまた来なさいよ。」二人は帰っていき、私は検査台らしきものに寝かせれた。3分経過、誰も来ない。5分経過、やっぱり来ない。10分経過、それでも来ない。ここにきて私は気付いた。恐らく看護婦は校長先生を黙らせて、ここからいなくならせるためだけに私を診療室にいれたのだろう。一人でぽつんと検査台に乗っていると涙が出てくる。
落ち着いてみて見ると、棚などで分けられた隣のスペースでは骨折患者が治療を受けたりしている。今でも私が疑問に思うのは、あの病院に内科とか外科とかの区別はないのかということである。日本で私みたいな症状の患者と骨折患者が同じ部屋の中で検査や治療を受けているというのはなかなかありえないことだと思うんだけど・・・
30分も待っただろうか、この前とは違う黒人の医者がとうとう私の診察にやってきた。問診を始めたと思ったら、彼の携帯電話が鳴り、彼は話し始めた。「F**king busyだよ、ほんっとに、忙しい。いやぁ〜、まいったねぇ。ホントやすむ暇もないよぉ」・・・ていうか・・・患者を前にして携帯電話で話すか、普通?まぁ仕事の話なら分かる。でも聞いてたらなんか全然どうでもいい話題じゃん・・・
診察は明らかに彼の電話よりは短い時間で終わり、X線を取られる。移動は車椅子でなんだか重病人になったような気持ちだった。そこで来てくれた友達と合流し、病室へと向かった。
この病院は診療室や待合室がある母屋から放射線状に廊下で繋がった離れが出ているという作りみたいで、私の入院室はその離れの一番端っこにあった。10人位の広い入院室を抜けると三人部屋がある。それが私の部屋だった。三人部屋といってもとなりの大きな部屋との間に壁はあるもののドアはなく、向こうからをこちらからも隣の部屋が見渡せる、実質同じ部屋みたいなものだった。でも一応隣の部屋との間に壁があるというのは精神的に良かったと思う。しかも私のベッドの隣は非常口になっていたためベッドがなく、広々と使えた。
向かい側のベッドには30代前半くらいに見える女性が二人。二人とも結構な長期入院らしく仲が良く、よく二人で煙草を吸っていた。カーテンを閉めて隠れて吸った後、におい消しスプレーを豪快にふっていたが、その臭いにはかなり閉口した。それほどフレンドリーというわけでもなかったが、適度に親切だった。
私の部屋には特に問題はなかったが、隣の大部屋はなかなかすごかった。大部屋にいるのはほとんどがおばあちゃん達ばっかりで大部分はただお喋りなだけで無害だったが、二人はちょっとしたトラブルメーカーだった。
一人の婆さんは少し呆けているらしく、深夜の2時3時に叫び続けた。「家に帰りたいよぉ、帰りたいよぉ!」看護婦が宥めるが、聞かず1時間以上叫び続けた。その日は徹夜で本を読んだ。消灯がないところだけはアイルランドの病院がとても気に入った。
もう一人の婆さんもどうやら呆けているらしく、私の部屋にぶつぶつ言いながら入ってくる。そして「靴がない、私の靴がない。」と言いながら、私のベッドの下を覗いているではないか。あれには参った。その後もときどき私のベッドの側に立ちつくしていたりして、昼寝から起きたときにかなりびっくりさせられた。
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2003年07月15日(火) |
プチ愚客。彼女の意外な正体とは? |
なんだかここ数日いい天気です…が、私あまり気分がよくありません。理由は簡単。

電話番。
あ、いちおう書いときますが、私はこの写真ような「スマートなビジネスマン」とは全く無縁の存在です。すなわち写真と私には一切カンケーはございません。
ともあれ、「電話の向こうはどんな顔」って大昔のコマーシャルにあったような気がしますがその通りです。電話を取るまで電話の向こうに誰がいるのか、男性か女性か、若い人か年配か、平社員か社長か、はたまた怒っているのかいないのかさっぱりわからない。電話、ともあれ嫌いです。
さてそんな中かかってきた電話。
私:「XX社でーす」 相手:「スーパーバイザーを出して!スーパーバイザーを!」(怒)
電話の向こうは多分私よりちょっと年上の女性。マンガだったら彼女の上に
キーッ
という吹き出しがついていると思われる。ヒステリーというか怒っているというか。
私:「どういったご要件でしょう」 相手:「お金が払われてないのよ。お金が」 私:「失礼ですがお客様番号頂けますか」 相手:「12345よ」
キーボードをぱちぱち叩くと、…おお、確かにお金を払ってない。
10ユーロほど。(しかも1000ユーロ中の10ユーロ)
私:「はあ、5月1日の請求書の10ユーロですね。これは契約上手数料としていただくようになってますが」 相手:「何言ってるのよ!今までちゃんと払ってきて、今回だけ払わないってあるの!話にならないわ。スーパーバイザーを出して!スーパーバイザーを」
話にならないも何も、何も話をしてないじゃないの。
私:「ええとですね、4月1日からお客様ご同意の上で契約が変わり、10ユーロの手数料にご同意頂いたはずですが」 相手:「そんなもの知らないわ!そんな書類見てないわよ!スーパーバイザーを出して!」
電話口ではさすがに言えなかったのでここで言わせていただきますが、スーパーバイザーコールにはそれなりの理由がいります。こっちに手落ちがあったとか、何かの行き違いがあったとか、要するに、お客さんの側に理がある(と思われる)時。ただ、「スーパーバイザーを出せ!」と言われてほいほいとスーパーバイザーにつなぐような使えない人間じゃあありません。
私:「理由なしでスーパーバイザーにはおつなぎできません」 相手:「何よ!私の手許にあるのは領収書。その領収書にはそんなこと書いてないわ」
当たり前でしょうが、どこのバカが領収書に契約書の内容全部コピーするんだよ。
私:「私領収書の話をしておりません。手数料の件は契約書に明記されております。お客様自信がサインされた契約書のコピーを今すぐファクスでお送りしますのでお受取になりそれでも納得できないようでしたら改めて私Snigelまでご連絡ください」
と言って電話を切る。
まあ、この程度のプチ愚客は割といます。こんな愚客にいちいちまともに付き合うつもりは毛頭ありません。が、この電話、私をして思い切り凹ませるに十分な内容だったのです。
電話の相手は私の前の会社のマネージャー
正確には同一人物じゃあありません。当時のマネージャーはとっくに転職してしまいましたので。その後がまの女性。
私はこんなアホタレマネージメントの下で3年も働いてきたかと思うと本気で凹みました。トホホ。
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2003年07月14日(月) |
土曜日のだらだら日記。アイルランドでの日常が垣間見れる...かな? |
土曜日のお話。…別に大事件が起こったわけではありません。Snigelの休みの日の平凡な過ごし方からアイルランドにおける日常生活を垣間見てもらおうという企画です(などと言うとかっこいいが実際は何も考えてない)。オチも事件もないくせにだらだら長いぞ(通常の2回分の分量です)と最初に警告しておきますので読んで後で文句を言わぬように。
午前9時。起床。当然といえば当然。金曜日自宅で飲んでいただけで日付が変わる前に寝たのだからそんなにいつまでも眠れない。
天気がやたらいいことに気がついてまずはシーツの洗濯。洗濯機ががんがら回っている間、自分の部屋でメールのお返事を書く。
午前11時。洗濯終了。洗濯を干したはいいが、インターネットで訳のわからんページを発掘してしまい、それに見入る。気がつくと午後1時。慌てて街に出かける。
近所のニュースエージェントでバスのチケットを買う。店員のインド人と思われる兄ちゃんに根掘り葉掘り質問される。挙げ句に勤務先まで聞かれる。なんだか「艶めかしい目」で見ていたのはきっと気のせいだろう。
この前来たSamanthaのゲイの友人が私のことを「かわいい」と思ったという情報はきっとガセネタだろう。ちなみにSnigel、ゲイの同僚や友人はおりますが、その方面には才能を開花させておりませんし、今後もさせるつもりはありません。…それにしてもここではヨーロッパにおける日本男子、女性には悲しいくらいモテないのに(一部の)男性にはそこそこモテる。喜ぶべきか悲しむべきか。
で、バスで街へ。車で行っても良かったが、駐車料金と、駐車場の出入庫の手間ひま、それに天気等も考えて久しぶりにバスで行くことに。バスは程なくやってきて、そのまま街へ。
オコンネルストリートに着くなり私は帰りたくなる。人が多すぎ。天気がよかったこともあって、みんなタンクトップも含めて薄着。お腹からたわわなお肉がはみ出している女性多数。
と同時に夏が来ればやってくるイタリア人・スペイン人のお子様(推定12歳から16歳くらいがメイン)方もシティセンターに多数。ラテン系の陽気なお子様大歓迎。楽しそうに町を歩いて、歌うようにイタリア語を話しているのを見るとこっちまでうきうきしてくる。ただねえ、
10人横一列になってオコンネルストリートの歩道を占領すな。しかも牛よりもゆっくり歩くな。

(資料写真。写真と本文はカンケーありません。ないんだってば)
…その横一列でゆっくり歩く様、おまえらはGメン75なのかと聞いてみたい。
…そんなドラマイタリア人のお子様が知るはずもなく(それに当時彼らはまだ生まれてなかったという説も)。
そんなイタリア人、短パン・サンダル姿のアメリカ人観光客の間を擦り抜けてテンプルバーの行きつけの美容室へ。ここに通いはじめてすでに3年。何時の間にか常連になっていた。
予約の時の電話での会話。
店長:「XX美容室です」 私:(あ、この声は店長だと思いながら)「すいませーん、土曜日、XXさんを予約したいんですけど」 店長:「午後2時でいい?」 私:「いいっすよー」 店長:「午後2時、Snigelさんね」 私:(唖然)「なんで私って分かるのよ?」 店長:「声で分かるって」
…考えてみたら恐ろしい店長です。私は店長に髪を触ってもらったのは私をいつも担当してくれる女性が産休だった時一度だけ。それなのに私の名前(いうまでもなく私は中国人のように西洋風の名前なんてつけてませんよ。コテコテの日本人の名前です)を覚えている。やっぱ客商売で成功する人は違うというべきか、それとも私が美容室くんだりでまで目立っているのか(たぶん後者に100000ルピー)。
ここまでかいて気がついたが、そういえばなぜかあの美容室、男性客を私以外でほとんど見たことがないし(たぶん50人にひとりとかいう感じだと思う)、ましてやアジア人の客なんて見たことない。考えてみたら、アイルランドでの男性の常識は恐怖のバーバーに行くことで美容室に30ユーロもかけるのはただのアホタレなのだろう。
未だに私の同僚の男性は私が美容室に行くことを分かってくれない。「金の無駄」と信じて疑っていないようだ。少なくとも「アイルランド版・バーバーの恐怖」を読んでくださった読者様には分かっていただけると信じているが。
で、午後2時5分前に美容室。5分前に着くあたりがまだ日本人の気質が抜けきってない。で、小一時間かけて髪を切ってもらう。
美容師さん:「今日はこれからどうするの?」 私:「うーん、Duke Streetのパブ、表にテーブルがあるからそこで飲んでるよ。読みかけの本も持って来たし」 美容師さん:「髪も切ったし、見せびらかせるね」(←私というヘタレモデルはともかく、彼女はアイルランドの一流店で働き、かつ、某テレビ番組でのヘアメイクの担当をしているので自分の腕に絶対の自信を持っている) 私:「そうだね。じゃ、紙にマーカーで『この髪はXXが切りました。電話番号679-xxxx』って書いて。それ首から下げとくから」 美容師さん:「嫌よ!私今日はWitness(ギネス主催のコンサート)に行くんだから。私ね、彼とね今日ねWitnessのコンサートに行くの。彼ったら…」(以下親ばかならぬ彼女ばかの彼自慢につき省略)
こんな感じでいろいろ話す。で、私の声はでかいから目立ってんだろうなあ。
で、髪を切ってもらい、今度はコンタクトレンズを買いにグランフトンストリートの某メガネ店へ。受付は信じられないくらい丁寧で礼儀正しい。けっこうかわいい女性(推定私よりちょっと年上につき萎え)と四畳半くらいの密室で検診。で、日本と同じような(ちゅうか全く同じ。あごを乗せて双眼鏡のようになった機械の中を見ると地平線と道路と気球が見えるやつ。メガネ屋コンタクトレンズを使う人ならなんとなく覚えがあるでしょ)機械を使うのだが、その機械を使う前にペンライトのようなもので私の目を照らして実際に私の目を見るのだが、センセイの鼻息が顔にかかって、変な気持ちを起こした…という風に当然話は行かず、あまりに荒い鼻息に閉口する。
そういえば、お客さんと電話で話している時もたまにいるのだ。鼻息の荒い女性(男性もだけどさ)。例えばうら若き女性とこんな会話。結構かわいい声できっとかわいい女性と勝手に推察。
私:「分かりました。お調べしますので少々お待ちいただけますか」
(ホントは保留ボタンを押すべきなのだが、血液型B型の私は受話器をアゴに挟んだままコンピューターのキーボードを叩くことが多い)
女性:「フーーー、フーーーン、ハーーーー、ハーーーーッ」(注:鼻息です。誰が何と言おうと)
…あんたと勤務中にテレフォンセックスするつもりはないのですが…(勤務時間外でもやりたくないが)。
で、その鼻息の荒いセンセイとの会話。どうやら問診表もどきを埋めたいらしい。
センセイ:「持病は?」 私:「アレルギーがあるくらいかな」 センセイ:「家族にガンで死んだ人は?」 私:「たぶんいない」 センセイ:「高血圧(hypertension)の人は?」 私:「いない」 センセイ:「糖尿病(diabetic)の人は?」 私:「いない」 センセイ:「緑内障(glaucoma)の人は?」 私:「いない」 センセイ:「職業(occupation)は?」 私:「え?それってどんな病気ですか?」
…ずっと病名を聞かれていたので完全にフェイントをかけられてしまった。
「え?オキュペーションとかいう病名、聞いたことないよ」
とひとりで焦った私はやっぱりアホタレですね。センセイは笑ってました。
で、一通り検査を終えるとセンセイは
センセイ:「目に傷入ってるね。2週間後に再検査。あ、それまでコンタクトしちゃだめよ。あと今日コンタクトレンズはお売りできません。ちゃんと2週間後に来るように」
で、受付に行くと
受付:「それでは今日の検査費を頂きます。お支払いは現金にされますか。それともクレジットカードにされますか?」 私:「あ、クレジットカードで」
ちなみに私の銀行口座、給料日まであと2週間あるのに32ユーロしか残ってません。クレジットカードで払わないと生活費がなくなる(クレジットカードの支払いは来月かながず来るので行き着くところ問題の先送りというやつですな)。
受付:「申し訳ありません。クレジットカードの端末が壊れてまして。現金のみでの承りになるのですが」
…なら最初から聞くな。ヴォケッ!
私:「いくらよ」 受付:「44ユーロです」
財布の中を見ると、20ユーロ札2枚と5ユーロ札一枚。よかった、足りた…ちゅうか
今月の生活費、どうせいと言うんじゃ。こらっ!
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2003年07月11日(金) |
とことん行きます地の果てまで。スコットランド旅行記(3) |
関連日記 6/18の日記 6/26の日記 7/7の日記
スコットランドの地図をじっと見ていると北、つまり地の果てに行けば行くほど点線で書かれた国道が増えることに気がつく。イギリスの国道は基本的に3種類。地図上で緑で示されたA道路。赤で示されたA道路。そしてBクラスの道路。言うまでもなく緑は主要幹線で、Bクラスは地方主要道という感じなのだと思う。

これが例のお城ユースの近所の地図。この点線はいったい何?
お答え。

これがスコットランドの「国道」です。アイルランドに5年だか住んでいる私にすら驚愕。で、要所要所に

こんな感じの看板が立っている。Passing place…つまり「待避所」。同行のアホSamantha(仮名)は「ああ、これPissing place(直訳:「おしっこ場所」)と書いているのかと思った」などと天然ボケなのかなんなのか分からないことをほざいていた。
もう、見てくださいよ。この地の果てとしか思えないこの光景。


…なのに公衆電話はちゃんとあったりして。年に3人くらいの利用者はあるんだろうか(ちなみに似たような光景はアイルランドでも見ることができます)。
そしてこのスコットランド名物の動物。

え?名前?たぶん「ハイランドカウ」というはず。(←こら)

こんな感じで途中ちょっとした山歩きをしたりして。(ちなみに写真はひでかすとSamantha、これくらいならぎりぎりわかんないべ。)

そして夕焼け。このヘタレ写真からは伝わらないだろうけど、すごい光景でした。

スコットランドにはこんな感じであちこちに古城があります。これがまたいい感じなのです。そしてその古城をスコットランドに無数にある湖をからめてみるとこれがまたいい感じ。

ね?かくして私は一気にスコットランドのファンになりました。
訂正: 7/7の日記に
ついでに書くと、この駅にたどり着くまでの道がまたすごい。この鉄橋の脇に取りつけた橋がユースホステル側の対岸から唯一の道なのだが
と書きましたが写真を見て分かるとおり、これ、誰がどう見ても石橋で鉄橋ではありませんね。「鉄道用の橋」っていったいなんて言うんですかねえ?
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2003年07月10日(木) |
ついに完結。アイルランド入院体験記(8) |
関連日記 (お読みでない方はまずはこちらからどぞ) 6/23 6/24 6/27 6/30 7/1 7/8 7/9
金曜日の夜に風邪のために近所の医者に行き、盲腸の疑いをかけられそのまま病院へ直行。そしてそのまま入院。その日の晩に緊急手術を宣告されたものの、盲腸にしては元気がよすぎるということで手術が延期され、土曜日には食事を許され、その日の午後にはついに痛みも何もなく、日曜日には自分が病院で何をしているか分からなくなった…というのがこれまでの話の流れですが、そのまま日曜日の夜もぼーっと病院で過ごす。細かい話は省略。書くのが面倒になったんじゃなくて、土曜と全く同じで目新しく書くことがなかったりするのだ。
他の患者さん等と話す機会が何度かあったがどうも私はものすごい幸運の持ち主らしい(意味のない入院自体がものすごい不運だという説もあるが)。やはり最初の晩(の朝5時)に病室に入れたというのがまず奇跡に近いというわけ。ただ他の患者さんと話すのはある意味辛かった。何せ自分が病院で何をしているのかさっぱり分からないのだから。
で、翌月曜日。朝ご飯が終わりしばらくすると、私の主治医ミスターアイルランドが他の若い医師を引き連れて登場。
ミスターアイルランド:「退院してよし!」
…かくして月曜日の朝11時、私は晴れて自由の身になりました。
自宅に帰るなり、自分の部屋の掃除をして、ついでに庭の芝を刈って、週末できなかった洗濯をして…おーいこれのどこが病人なんだ?
で、この日記を書くに当たっていったい病院で何をしてもらったかを考えてみた。
医師の診察:推定10回程度。 点滴:1000mlを2本。ただし2本目は半分で中断。食事もしっかりしていたので意味なし。 薬:痛み止め等を含め何一つも処方されず。退院に当たっても処方なし。 その他:毎晩寝る前に注射1本。3泊4日だったので計3本。
…以上です。あのー、誰か分かる人は教えてください。
私は何のために病院に3泊4日もいたんですか?
で、この注射、何の意味があったのかよく分からなかった。最初は盲腸の化膿止めか何かでこれが役に立ったのかなあとも思った。そこで知り合いの看護婦さんに聞いてみた。
看護婦さん:「ああ、それ寝る前にお腹に打ったやつでしょ?それはね、ベッドでずっと寝てると血液の循環が悪くなるからそれを防いだり床擦れを防ぐ注射よ」
なんですと?
注射すらも意味なし?
私は何のために病院に3泊4日もいたんですか?
医師の意味のない診察。意味のない点滴。そして意味のない注射。
もう一度だけ聞かせてください。
私は何のために病院に3泊4日もいたんですか?
アイルランドで今日も空きベッドを待ってくる患者の皆様。救急病棟の廊下で不安な夜を過ごしている皆様。皆様に私はここに手をついて謝ります。意味のない入院をして申し訳ありませんでした。
さっきの知り合いの看護婦さんの言葉。
看護婦さん:「アイルランドの病院は本当に必要な人を入院させないで、必要ない人を入院させて何を考えているのかしら」
…そのとおりだと思います。
ま、VHIのおかげでびた一文払わなくていい訳だし、日記のネタに八回も困らなかったのでよしとするか。ただ、私の「今まで入院をしたことがない」という健康記録は、28年と3ヶ月で切れてしまったことがちょっと口惜しい。
8回にわたりおつきあいくださいましてありがとうございました。皆様のご乾燥をお待ちいたしております。さらに皆様からの体験記も広く募集しております。お笑いのネタになりたい方・怒りの告発をしたい方、どうぞご遠慮なくメール・掲示板にてお寄せくださいませ。
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