なべて世はこともなし
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2005年04月01日(金) ちょっと複雑なSnigel-人生の節目

♪はっぴーばーすでーとぅーみー
はっぴーばーすでーとぅーみー
はっぴーばーすでーでぃーあみー
はっぴーばーすでーとぅーみー


周りの迷惑を顧みず、フルコーラス歌ってしまいました。だーれも覚えちゃいないでしょうし、だーれも気にしちゃいないでしょうが、本日は私の30歳の誕生日だったりします。

さ、さんじゅう?
さ、さ、さんじゅう?
さ、さ、さ、さんじゅう?

なんですと?

自分で言って自分で驚いている始末に負えないアホタレですが、30ですよ。30。もう自他ともに認めるオッサンであります。自慢じゃないですが、コドモの頃、私は勝手に26くらいで結婚して、30の時にはすでに子供がいるという想像を描いてました。いえ、その論拠は単純でして、うちの親がそうだったから。世が世なら、中学生くらいの子供がいてもおかしくないとしなんですよね。30って。…それなのに、未だにこんな精神年齢が7歳くらいのまま、何時の間にかオヤジになりつつあるという自分に恐怖感すら感じます。

いえ、あの、そのー、なんですか、ちょっとアレなんですが、報告しなければならないことがありますです。

市中心部のParnell Squareに病院があることは前から知っていました。言うまでもなく「病院」なるところには好き好んで行きたくはないわけで。ゆえにこの病院の前を何度となく素通りしつつも、この病院が一体どんな病院なのかなどはまったく興味がなかったわけ。

実はこの病院、産婦人科専門の病院だったりするわけです。で、訳あって、私、この病院に行ってきました。

この病院の待合室、当然といえば当然、妊婦さんばかり。気になるのは、本当に妊婦なのかはたまたウエストがくびれていないだけなのか判断に悩む、典型的へそだしルックの女性や、誰がどう考えてもお前16歳以下だろう…っていう桂三枝なら泣いて喜ぶ「幼な妻」ふうの女性がいたりとか…まあ、アイルランドの社会の縮図を見た…とまで言っては大げさかな。

で、私と某パートナーのお二人、待つこと30分ほどで小部屋に通されます。で、白衣のおねえさんといろいろ話しました。ちょっと心の中でへえボタンを押したくなったのは、予定日って、受精をした時からじゃあなく、最後にセーリがあった日から数えるんですってね。これは知らなかった。確かに、この数えかたのほうが、正確に予定日が分かるような。

…取って回したような言い方をしてますが、詳しくは翌日の日記にてきちんと報告させていただきます。ちょっと気持ちの整理をつけてから、書き直しますね。


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2005年03月26日(土) 教訓に富んだ日記:就労許可証およびパスポート更新について

毎年恒例の就労許可証(ワークパーミッション)の更新が近づいてまいりました。数年前は3ヶ月待ちとかだったのですが、ここ最近の流れとしては就労許可証の発行数が激減したので、案外素早く更新は済むようで、去年も1ヶ月くらいで新しい就労許可証が届きました。


とはいえ、転ばぬ先の杖。早めに行動しておくに超したことはない。更新3ヶ月前にはやばやとHR(総務)の仲のいいおばさんに頼み込んだ。このおばさん、ちゃんとやることはやってくれる。かくして、パスポートのコピーと数年前の若かりし頃の証明写真の残りを提出。


たった数日後に返事が来た。


「あんたのパスポート、有効期限が15ヶ月を切っているから更新できないよ。新しいパスポートといっしょに再提出してね(はあと)」


うそっ。


確かに、私のパスポート、来年の初めに有効期限が切れる。だから同時進行で新しいパスポートを取ろうと思っていたのだ。だけどどうやら同時進行ではなく、パスポートを更新してから、就労許可証を更新しなければいけないらしい。まあ、いいほうに取れば、たった数日で返事が来たということは、こいつらヒマだな。


とりあえず、会社を早退して日本大使館へ。


他の海外公館がどうだか知らんが、在アイルランド日本大使館は、いつ行ってもお客がいない。窓口の向こうに人がいるかどうかも厚い防犯ガラスとその向こうのついたてにしきられて中にどれくらいの人がいるかも窺い知ることはできない。別に窓口の対応が悪いとか、態度がよくないとかそういう不満はないのだが。


で在アイルランド日本大使館で発行できるパスポートは、非MRPと呼ばれるやつで、早い話が、パスポートの一枚目のページの


>>>P>>>Snigel>>


とかそんな感じで書いてあるところが


THIS PASSPORT IS NOT MACHINE READABLE


と書かれてあるわけ。発行までおおよそ1週間。パスポートを5年ほど前に日本大使館で再発行してもらった私のパスポートはこのタイプ。このタイプのパスポートだと、アメリカの入国にビザがいるようになったらしい。それ以外ではあまり実害はないけど、でも、各国での入国審査に心なし時間がかかる気がする。で、このタイプのパスポートが嫌ならフツーのパスポートの発行も可能だが、日本に送るために1ヶ月程度かかるとのこと(詳しいことは外務省のページ等を参照のこと)。


うーむ、1ヶ月。ぎりぎりだけどこっちのフツーのパスポートにしよう。
で、窓口で言われたこと。


「うーん、この写真、申し訳ないけど受け付けられません」


へ?なんで?


「顔が斜めを向いていて片耳が見えないんですよね」


かくして、階下にある証明写真の機械で新しい写真を撮ってきました。この機械がクセモノでして、私の知っている証明写真の機械は椅子が回転して椅子を回すと高さが調節できるタイプ。ところが、この椅子なぜか高さが調節できない。


で、画面の中にある楕円の中に顔を収めようとすると、思いきり椅子にふんぞり返るように座って顔を無理矢理下のほうに持っていかねばならない(「つまり座高が高い短足体型なのね」というツッコミは不要)。で、そういう不自然な体形をとると、不自然に顎が引っ込んでしまい、ただでさえマヌケな顔がさらに大マヌケになってしまう。


で、ふと画面を見て気がついた。画面の中には


「楕円の位置は上下ボタンで移動できます」


えっ?じゃあこれは体を動かすのではなしに、画面の楕円を動かすタイプなの?


大マヌケ


で、窓口は4時30分に閉まるにも拘らず、ちょっと待ってもらい大使館に戻る。無事に書類は受け付けてもらえました。係の女性に


「ではお疲れ様です」


と言われ帰ろうとしてふっと気がついた。


「あー、パスポート返してー」


ちなみに、パスポートの更新時は古いパスポートは大使館に預ける必要があります。言われて見りゃそうなんだろうけど、パスポートがないと、困る。だって、来週ドイツに行くし、来月半ばにはイギリスに行くし…というわけで、パスポートがないとすごく困ります。すると、パスポートを必ず返却いたしますという誓約書を1通書くことでパスポートを持っていることが許されたのでした。


はい、今日の日記は教訓に富んでおります。


教訓:
(1)アイルランドの終了許可証の更新にはパスポートの有効期間が15ヶ月以上残ってないとダメ。
(2)パスポート用の写真は両耳が写ってないとダメ。
(3)パスポート写真撮影用の機械はよく読んで使いましょう。さもないとマヌケなことになります。
(4)新しいパスポートの更新中は、やむを得ない理由がある場合、パスポートの保持が許されます。



とりあえず、外務省の方(読んじゃいないだろうけど)かくなる理由なのでできるだけ早めに新しいパスポートを発行してくださると幸いです。


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2005年03月23日(水) 親孝行・ババ孝行おまけに親類孝行

3/15の日記で、うちの親をアイルランドに招待したいのにゴールデンウィークは航空券が高すぎて話にならん…ということを報告しました。その後、急転直下の事態が発生しました。


ゴールデンウィークのさなかに空き席あり


しかも運賃が往復1400ユーロ程度(19万円)と思ったより安い!


さすがに二人分は出せないというわけで、今回は母親だけを招待することに決定。で、仮予約。


で、本当は、昔、ある女の子にやったように黙ってチケットを送りたかったのだが、黙ってはおれない私の性格、ついと親に電話してしまった。


親:「その日程、無理」


…ってどーすればいいんですか。私。


いろいろ話した結果、4月の半ばに1週間程度なら何とかなる…とのこと。で、旅行代理店に聞いてみると…


旅行代理店:「その日程なら300ユーロ(4万円)安くなるよ」


ラッキー♪


で、これだけなら、「東京だよおっかさん」ならぬ「ダブリンだよおっかさん」になったのだが、事態はさらに想像を絶した方向に…。こともあろうに80歳になろうかといううちのばーさんが、


ばーさん:「私も行く♪」


さらには、なぜかそのばーさんの妹まで


おばさん:「じゃあ、私も♪」


こうして、3人合計200歳超のおばさん3人がアイルランドにやってくることに。


どうしてうちの家族までもこうネタになる人ばかりなの?


だいたいあんたら、日光に滝を見に行くのと話の次元が違うんだよ。ロンドンでののりかえはどーするの?だいたい80のばーさんが12時間超のフライトに耐えられるの?


待て待て。うちに3人の人が泊まれるのか。B&Bに泊めるとスペースはあるけど言葉が通じない。うちじゃああまりに手狭。それ以前に私を含んで4人+スーツケースが私のRav4に載せることができるのか?どこにお連れするのがいいのか?Galwayか、それともNorthern Irelandか。


考えるのやーめた。


ちなみに、明日入るはずの給料はべてこのヒコーキ代に消えました。…少なくとも、おばさんとばーさんの分は返ってきて欲しいけど、ばーさんにはずっとお世話になりっぱなしだし(ぶつぶつぶつぶつ)。


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2005年03月22日(火) もう一つのスカイフェスタ

聖パトリクスデーの行事が終わりました。祭日出勤の私を憐れんだ(ってことはないんだろうけど)ひでかすが写真を撮ってきてくれました。詳しくはこちら


というわけで、パレードの様子は上のリンクをたどってもらうとして、話を進めます。個人的にはパレードよりも大きなイベントだと思うのが花火。「スカイフェスト」なる名前がついて、20分程度と短いながらも花火自体毎年レベルが上がっている気がします。私も、市中心部のアパート(日本的にいえばマンション)に住む友人に誘われて、屋上から花火見物をすることに。


かくして、バスに乗ろうとしたのですが、バス、来やしねえ。うちから町までバスで10分程度ですが、花火という特殊な事情も考慮して家を1時間前に出ました。バス停に着くと、そこにはすでに多くの人が待ってます。ところが待てど暮らせどバスは来ない。バス停で待っている人の数も増える一方。ストレスも溜まる一方。で、いい加減キレそうになってタクシーを捕まえようかと考えはじめているとようやくバスが来た。


満員通過。


…よくやられてたよなあ。バスで通勤してた頃。で、さらに10分待つことに。だいたい、このあたりは少なくとも5分に1台はバスが走っているはずなのになんで30分に1台しかバスが来ないんだ?しかも、そのバスは満員なんだ?


10分後、今度のタクシーに絶対乗ろうと決心したら、バスが3台まとめてやってきた。


基本ですね。


で、1台は満員。で、他の2台が止まったので、バス停にイライラしながら待っていた20名ほどの乗客は2台のバスに乗り込む。ちなみにこのバスも満員になり、途中のバス停はほぼ通過。


で、街中は交通規制が敷かれているらしく、なぜか各種ガイドブックに「キケンキケンキケン」と書かれているGardiner Streetで予告なしに降ろされる。これが花火開始の10分前。さすが、ダブリンに長く住んでいるだけあって、自分の家から町まで普段10分のところ1時間を見ていた私は偉かったと言っていいだろう。


ちなみに、「ダブリンバスはお祭りの時になると本数が少なくなる」という噂があるが本当なのだろうか?だいたい、花火という行事があるのに臨時バスの1台も出さない(あるいはバスが減る)その見識の無さは立派だよ。


で、もっとヒサンな経験をされた人もいます。


この方、花火を見るために市南部から市内を通過して市北部へ抜ける某バスに乗っていたそうな。ちょうど8時ごろ街に着くように計算して。


ところが、市内は交通規制をしているとのこと。突然運転手さんが


運転手:「今日はThomas Streetが閉鎖されているから、Quay(川沿い)に迂回します」


と言って、本来のバスルートを外れたのが悲劇の始まり。どうやら運転手さん、会社から迂回するよう無線で指示を受けたらしい。


で、Quayに着くと、QuayはGarda(警察)によって閉鎖されている。と言っても、むろん路線バスのこと、例外として入れてくれるに違いないと思いきや


警官:「道路、閉鎖中です」
運転手:「これ、路線バスなんですけど」
警官:「いいから、左に行って」



…と、本来とはまったく明後日の方向Heuston駅に向かわされたそうな。


ダブリンバスもアホなら、警官はもっとアホです。


かくして、この方、結局花火に間に合わなかったそうな。だって、このバス、結局シティセンターには行かなかったそうだもん。


教訓:花火の時はバスを使わない。使うなら、うんと早く出発すること。


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2005年03月17日(木) Paddies Day報告(どこがじゃ)

本日Paddies Dayでした。私はといえば、





わーい道が空いている♪


と大喜びしただけ。この写真の地点、いつもなら大渋滞してるところです。毎日がPaddies Dayなら通勤も楽だろうなあ。


そんな通勤路で発見したここでだけは車を買いたくないというカーディーラー。






以上です。あんまりだとお怒りの方、ひでかすがパレードの写真を多数撮ってきたので、掲示板でリクエストでもあれば彼があぷするのではないかと思われます。


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