乳がんなんてやっつけろ!!

2004年01月11日(日) 優生の成長

優生が成長したなと思う。私が仕事を始めてから保育園に行くようになって、
いろんなことを覚えてくるようになった。
今ではおしゃべりをたくさんするようになった!
「おかあしゃん、おかあしゃん」と寄ってくる優生がとってもイトオシイ。

保育園に行かせるかどうかで、とても悩んだ時期があった。
保育園に行かせることは可哀相なんだろうか・・って。
今でも結論は出ていないけれど、優生が保育園に行くようになって
お兄ちゃんになったのは事実!
嬉しいことだと思う。

最近は、男の子らしくなっちゃって、私の好きなプーさんはそっちのけで
「トーマス!アバレンジャー!仮面ライダーファイズ!」と叫びまくっております(笑)。
お陰で私も、戦闘ものに詳しくなりつつあるわ・・・はは。



2004年01月10日(土) さようばらコロとトラ

私のHN(ハンドルネーム)の『うず』の由来をよく聞かれる。
『うず』は、私が結婚前に実家に住んでいたときに飼っていたオス猫の名前。
頭に渦巻きがあることで、弟がつけた名前。
とっても猫らしい猫だったなあ。だった・・というのは、ある日突然いなくなってしまったから。
死んでしまったのか・・誰かに連れていかれたのか・・どこかでボス猫にでもなっているのか・・

そして私が中学3年生の頃、ヒョロっとやってきたのが
雑種のコロ(♀)。とても美人ちゃんで、私の青春時代を一緒に過ごしたといっても過言じゃないの。
川内川の堤防を一緒に散歩したよね。
お産にも2回立ち会った。2回目は、私の部屋で可愛い赤ちゃんたちを産んだコロ。
いつもリビングにみんなが集まっていると、窓からクンクンと泣いて甘えるコロ。
お母さんになっても、本当に甘えん坊のコロだったな。
そんなコロが去年になって、変な咳をするようになって、食欲がなくなってきた。



これは元気がなくなってきたころに、優生がアイスを譲ってあげたときの写真。
ワンコにしては、かなり長生きのほうだったと思う。
ある日、外でそっと横になっていた。
いつもは、お昼は誰もいない我が家なのに、その日だけは不思議とみんな家にいた。
この日を選んで、コロは天国へ旅立ったんだろうな、と思う。
さようなら、コロ。また会おうね。



そしてこれがコロが元気がなくなるちょっと前に実家にやってきたトラ。
猫好きの父が、とっても可愛がっていたネコ。
たくさんいる子猫の中から、一番元気のいい可愛い顔のネコを選んで
弟が連れて帰ってきた。
オスちゃんだったけれど、小さいころからずっとなつかなくて・・
『うず』とは正反対のネコらしくないネコだった。
顔は可愛いんだけど、甘えるってことをしない猫ちゃんでした。
うちにやってきて、わずか半年で、お腹の調子を悪くして、天国に行ってしまったの。
ペット屋さんで、お骨にしてもらったんだけど、頭の骨が真っ黒だった。
「どこか悪かったのかな?」と葬儀の方に言われた。
最期まで、かわいそうだった。
あっという間に、短い人生を終えて天国にいってしまったトラ。
ごめんね。ごめんね。

うずも、コロも、トラも・・一番かわいがっていたのは父。
家族みんな、いなくなった動物たちよりも、父を心配していたよ。
動物が大好きな父は、本当に元気がなくなってしまってね。
後ろ姿がちょっと寂しそう・・。
元気だしておくれよ、父ちゃん。



2002年05月11日(土) 千客万来嬉しいかぎり・・

久しぶりによい天気。今朝は外泊とあってはりきっている。
おまけに昨日の余韻が残っていてご機嫌。
入院始まって以来の千客万来!だったんだ。

まず乳がんMLでメールでお世話になっていた鹿児島のお姉様達!
突然の訪問に加え、おいしいシュークリームに可愛い紫色のテディベア!
そして何より同じ乳がんを体験しているという安心感!
初めて乳がんで弱気になっている気持ちを、剛以外に話した。
2人とも明るくてダイスキ。
また会う約束をして、あっという間のミニオフ会終了!

そして入れ替わりにやってきたのが若かりし頃からの友人!
こやつもアポなし(本人は予定を細かく聞いているのだから察しなさい、だと。
私がにぶい?)でもね、ほんと嬉しかった。

無理するなよーと怒りながら自分に会いに遠い道のりをやってきた友人が
とってもいとおしく思えた。
病気になって思ったことは、自分が必要とされているって
思うことはものすごいパワーをくれるってこと。

その後,私達の結婚記念日(6月24日)が出産予定日という
夫婦が来てくれた。島に居るときのお茶会友達&飲み友達だ。
喋りながら島での生活を思い起こす。そんな楽しい生活も終わる。
5月いっぱいで島を離れるから。

尊敬している元上司に手紙を出した。
「人生の大きな転機です」めいっぱい明るい手紙を書いた。
元気がないと思われないように。働いていた頃のパワーまだあるって思われるように。
残念、って思われたくなかった。

ガンになって一番嫌なのは「治るのでしょ?」と言われること。
今の医学では残念ながら乳がんは一度発症したら一生付き合わなくてはいけない病気。
特に私のがんは一応の完治と呼ぶには20年再発しないことをいうらしい。
20年後は私は47歳。死ぬには若いけど今よりずっとまし。
優生も成人しているし。20年がものすごく長い年月に感じる。
でも27歳になるまで病気という病気をしないで生きてきたことも
感謝の一つなのだろう。


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