千穂ちゃん(ニュースステーションで久米宏の左に座っている上山アナです) はいいねー。(笑)
ま、それはいいとして、経済学派には大きく分けて古典派とケインズ派が あります。レッセ・フェールを標榜して市場は徹底的に自由放任すべきと 主張する古典派。それに対して政府による有効需要創出(つまり政府の介入) の必要性を説くケインズ派。
どちらがどうだなんて、そのときどきで都合のいいように使われるだけ。 でも知っているのと知らないのとでは大きな違いです。なんで政府が構造 改革を声高に叫んでいるのか、不良債権処理がなぜ進まないのか、どうして おとーちゃんの給料が下がるのか、マクドナルドのハンバーガーはなんで 安くなるのか、田中康夫が脱ダム宣言をするのはなんでか、日本の公定歩合は 人類史上最低なのになんで消費者金融が横行するのか、年金がもらえるとか もらえないとかなんでそうなのか、なんでバブルははじけたのか等々・・・。
すべてがふたつの理論で説明がつくというわけではありませんが、説明が つかなくとも、これがどういう意味を持っているのかという自分なりの 理解はできるはずです。なーんにも知らずにただ目の前の現象に手を拱いて いるだけではそれこそ不安です。この先どうなるのか予想すらできないから。 予想したとしても根拠のないタダの空想にしかなりません。
マルクスの言葉を借りると、 経済には人間の手によって変えることのできない法則性がある。モノの価格、 経済の動きは「需要と供給によって決まる」という法則がある。
この法則性について供給こそが需要を作る。すなわち「供給によって需要は 決まる」と主張するのが古典派。一方「供給によって需要が決まる」として いるのがケインズ派。経済の動きを読むための基本的で最も重要な理論を 提示しているのが古典派とケインズ派であるということです。
古典派の基本思想であるレッセ・フェールは、ジョン・ロックの哲学である 人間はあるがままの自然人とし、国家が経済に口出しする権利はなく、国家は 自由人である国民に奉仕するためにあるものだというところが源泉。
ケインズの理論はその古典派へのアンチテーゼとして生まれたもの。 古典派の大家であるマーシャルの門下生でありながら、マーシャルの研究成果と 古典派理論のほころびを切り付けて同じマーシャル門下生のピグーからは 「月に向かって吠えるようなものだ」とこき下ろされながらも勝負はケインズの 勝利に終わったといいます。
アダム・スミス、リカード、ベンサムなどもいますが、やはり根底にあるのは 彼らの哲学。その前にはバーナード・ベンサムがいまして、彼の著書である 「蜜蜂物語」の蜜は贅沢、それがベンサムの快楽になり最大多数の最大幸福を 導き、それが「神の見えざる手」によりおのずと実現されることを発見したのが スミス。そのスミスの思想を科学的に再構築し完成させたのがリカード。
昔の思想が今も通用するかどうかというのは疑問のあるところでしょうが、 でもその哲学は人間の本質を突いていると考えれば、人間の行動は時代の変化 により変化しない限り、本質も変わらないから理論的にも通用するということ でしょうか。哲学はある意味思い込みですから、わたしには難しくてよく 分かりません。なんだか理屈をこねくり回しているようで。(笑)
人が生活するため(食べていくため)には何らかの経済活動をしなくては なりません。例え道端で放浪している人であっても何らかの経済活動をして いるもんです。そんな経済活動をなにげに見過ごして暮らすのか、意識しな がら暮らしていくか。贅沢で平和な日本にはこの意識が欠けているのかも しれませんが、ガングロで街を闊歩していた女子高生たちにはなーんにも 関係なかったようで失礼しました。金子勝氏は彼女らは人類が死滅しても 生き残る人種だと言っておりますから、逆に考えないほうがいいのかもね。
いや。あくまで笑い話ということで。あはは。
はい。今日は晴れ。(東京地方)
2002年09月03日(火) |
これはいいのか悪いのか |
上司が帰ろうとしたので、ちょっとグチってみましたら、意外な反応が 返ってきました。
明日は1日中、上司は席を外すので今のうちに言っておかないとマズイ と思い、大阪の営業案件で装置の発注がまだで自分が補助していること、 つまり米国メーカにPO(注文書)を発行するため大阪の営業担当部長 からネタを仕入れてシコシコと作りつつ、この担当部長が仕事を丸投げ してきたことをグチったわけです。
以前の上司だったら 「しむちゃん(仮称)、おまえはそれぐらいこなせるし、やる気を出して がんばってやってみろよ。」 と言われたでしょう。
でも今回は、 「高給取りが給料分の仕事をしないなんてふざけてる。しむちゃん (仮称)は月次決算もあるし予算書作りもあるし勤怠簿の世話もして いるし、やることはいっぱいあるのに案件が10件も20件も錯綜 している状況でないのに人に頼るなんて給料泥棒だ。まったくもう。」
個人面談では、三遊間ゴロを拾ってくれるか?ってなことを仰せつかった にもかかわらずです。人がやれないこと、やろうとしないことをやって くれるかという意味ですが、今の管理職の不甲斐なさが本件に限らず 目に付いてきた今日この頃なので、自分のグチについ共感してしまった のでしょうか。
この上司は自分らの職場の統括でありながら、本社企画本部の理事さん でもあるので全社的なところの一部の面倒も見ているわけで、下には任せ られないことも自分でやっている人です。ですから自分が遅くまで残って いる時でも、なにやら相手との交渉用の文章を考えながらウンウンうなって いる時があります。でもこれはわれわれ下っ端が絡む内容ではないので 口出しできず。ヨソのふんぞり返っている事業部トップとは違って、忙しく してます。動き回っています。動く室長です。(笑)
そんな上司なので、それこそそれぞれ持ち場のある責任者が自分のやるべき ことをやってくれれば心配事も減るのでしょうが、ある意味彼らが仕事を 放棄してしまっているフシがあるのでそれが上司のグチとなっているのです。
以前から自分も言っているように、会社は仕事をしていようがしてなかろうが 給料をくれるわけではありません。自分がやらなくても誰かがやってくれる だろうなんてことは中小企業では非常識です。限られた人員の中で事業を やっていくわけですから、それぞれが能力を発揮しながら誇りを持って事業を 伸ばしていこうという信念がなければいつかはダメになってしまいます。
ウチの職場の一部の組合員が労働基準局に駆け込んだことも、管理者の 配慮とか仕事の配分とか人事評定とか、あるいはそんなこと以上に本人の やる気を引き立たせることを怠っていたのが原因じゃないかと思います。 彼らはその本人に対して使えないバカヤロウと罵倒しておりましたが、 自分から言わせると、あんたたちのやり方が原因じゃないのかと反論した かったぐらいです。駆け込んだことは正しい判断だとは思いませんが、 そうさせるに至った原因をもっと真摯に受け止めるべきです。
他人の責任を問い詰めるのは簡単ですが、自分に余程の不利益が生じない かぎりは、そうそうそんなことをしてはいけません。管理職ならば。 なぜなら責任はすべてそこの部門長が負うものだから。部下の代わりに。 上が責任を取ってくれることで(あるいはそう宣言してくれることで) 下は自由に動けるんです。雰囲気作りの基本だと思います。そうでなきゃ 下はやりづらいです。上の目を気にしながらやらなきゃならないから。
表向きは下の者に責任を持ってやれというのはいいこと。 でもいざとなったら責任は上のものが取る。やらせているのは上だから。 そこで信頼関係ができて、少々のつらいことでもグチらずがんばれる。 上の者のがんばっている姿を見て下はがんばるんです。もっとがんばら なきゃって。結果が出るかどうかはその人の能力次第。
上は下を選べないのと同時に、下は上を選べない。 そんな中でどれだけがんばれるかが会社生活だと思います。 だから下は容易に組合やら労働基準局に助けを乞うてはいけないんです。 管理職は簡単に下の育成を投げ出してはいけないんです。 そういうところをうまく運営していくことで会社は回っていくと考えます。
なんだか職場の雰囲気がよろしくないことが気になって書いてしまいました。 サラリーマン渡世です。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
長野県知事選のことです。 圧倒的な強さで勝ちました。弁護士である長谷川候補の主張も甲斐無く、 というか、新聞報道で槍玉に上がっていた虎の衣を借りたと言われても おかしくない議会のバックアップにもかかわらず圧倒的に負けたことは 長野県民が田中知事に対する期待が相変わらず大きいことを表します。
たとえば接戦であれば、田中さんよ少しやり方変えてくれという県民の メッセージであったでしょうが、今回は圧倒的。あんたのやってきた ことは正しかったと言っているわけです。
第3位以下はどうでもいいとして、長谷川候補やその支持者、つまり 県議会の人間たちはこのことをもっと重く見なければならない。 操っていたつもりの長谷川候補があれだけの負けっぷりであったの ですから、県議会の信頼はこれを機に崩れてしまったわけです。 しかもそのことを全国の国民に知らしめてしまったという事実。
長谷川候補がなぜ県議側に立ったのかは定かではありませんが、不信任 を受けたからという理由だけでは説得力無かったですね。彼女自身、 県議会とは絡んでいないと主張するも、その疑惑はぬぐえなかった。 田中知事の不信任決議自体が県民の納得のいかないものだったから。
これを民主主義のゆがみと言いますが、県知事は県を預かる首長であるが ために県議会もマトメあげていかねばならない責任もありますから、 このまま歪んだままでは以前の繰り返し。田中知事は県議会との対話を 必要に応じて深めていくと言っておりますが、妥協していくというのでは なく、議論を深めるという姿勢で望んで欲しいもんです。
ま、本人からすると言わずもがなといったところでしょうか。 信念を曲げてまで妥協するなんてことは彼はしないでしょうから。 ウラでこっそりなんてことをしない主義を取っている彼だからこそできる ことなんでしょうね。既得権対理想を掲げたポリシーとでは県民の期待 としては明らかですね。どちらを望むか。
でもなんといっても田中知事の分かりやすい言葉遣いに共感を得ている 人が多いと思います。いわゆる政治家らしからぬ言葉遣い。専門用語で 凝り固まった一般市民には何のことやらさっぱりといった言葉遣いでは 人の心はつかめませんから。やってることは深くても、人に分かりやすく 説明することは難しいことです。それをなにげにやってしまう田中知事は 長野県に限らず全国の自治体が望んでいる首長ではないでしょうか。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
2002年09月01日(日) |
翌日になって体が痛い |
タイトルにある通りで、左の脇が痛いし左手が腱鞘炎ぎみ。 筋肉は時間が経つと痛みは取れてくるもんですが、腱鞘炎だけは どうしようもありません。痛くなくなるまで使わないのが一番いい。
でもおかしいんだよね。いつもは小指の筋が痛くなるのに今回は 中指の筋が痛い。これはまったくもって握り方に問題がある証拠。 しかも右手の中指の皮が剥けてしまう情けなさ。
背中とか腰に痛みが来るのは最悪のパターンなので、それが無かった だけでもまだマシかな。でも手打ちになっているのは明白ですから 改善しないとこの後が思いやられる。というわけで今日も練習場へ。
数を打つことは考えずに、いかに手打ちでなくなるようにするか。 これが今日のポイント。痛みがさらに感じられるようになった時点で 終わりです。無理してもよろしくないので・・・。
と、書き残して打ちっぱなしに行ったわけですが、最初の一球から 左手が痛くてしょうがない。ゴルフクラブは(バットでもラケットでも 一緒ですが)左手の小指薬指側でしっかり握れなければスウィングが きちんとできません。だもんだから、振ってもうまくダウンができません。 ってことは、引っ張り下ろすことができないんです。
トップからダウンにかけて左手で引き下ろすことができなければ、 当然ながらヘッドが返らないわけで、そうするとボールの行方は自ずと 決まってきますよね。だから体が反応してそうならないように無理して ヘッドを返そうとして右手に力は入るわ痛い左手を返そうとするわ。
悪いものがどんどん悪くなっていくのが辛かったのですが、そのうち 左手の痛みが無くなってきて(どうせ明日また痛くなってきます)、 脇の痛みを除けばふつうに打てるようになりまして、ドライバーを 握ったりなんかしました。おそらく1週間は左手が痛くてキーボードを 打ちながら涙している自分の姿が想像されます。
と書きながら左手がいてぇ〜なんて思ってます。すでに。 明日は予算書の提出日だというのに、これじゃ使い物になりません。 痛くてパソコン使えないなんて言ったらぶっ飛ばされるかな。あはは。 ってか、右手薬指の皮剥けの方が痛かったりして。
はい。今日は晴れ。(東京地方)
2002年08月31日(土) |
ひさしぶりに打ちっぱなし |
本当に久しぶりにやってきました。打ちっぱなし。 寮を出てアパート暮らしになってからずっとやっていませんでしたから、 5ヶ月ぶりです。9月に会社の同じフロアのコンペが行われるので、 その前には少しぐらい練習しとかなきゃと思ったんだよね。
まだまだ暑いから、日が暮れるのを待ってから出かけました。 以前から行っていた練習場ですが、今の場所からだとより近くなった。 30分ぐらいかけて行っていたところが15分もかからなくなった。 近くなったからいつでも行けるという気になったからか、フトコロが 寂しくなったからか、理由は確かではありませんが、ゴルフ熱が冷めて しまったのは事実。
で、久しぶりにやることにしたのはいいんですが、他のスポーツも 同じことですが、時間が経つと体が動きを忘れてしまっているので 以前のような打ち方ができるかどうか不安でした。シャンクやダフリは 覚悟していましたが、これがまたそれなりに体は覚えているもんで、 最初の10球ぐらいを過ぎた頃には何とか復活してきた。
これはどういうことかというと、以前から気にしながらやっていた 修正方法を覚えていたからです。なんでこうなったかを考えながら 次はこうして直していこうということを繰り返していると、そのうち 自分の悪いところを修正できるようになるもんです。頭の中では。
考えていることを即座に体が反応してくれるといいのですが、大概は 体は言うことを聞いてくれませんから、根気強く続けるしかありません。 頭で分かっているのとそうでないのとでは大きな違いがあります。 ひとりではどう修正していいか分かりませんから。分かっていないと。
ですから雑誌や本で読んだことを頭にインプットすることって大事。 その中の何が正しくて何が間違っているかは自分で確認するしかないと 思っています。テキスト的には正しいことを言っていても、自分の体に 合わないこともありますから、それは正しいとは言えないと思いますし、 これはこうだ、という断定的なもののいい方をするレッスン本もいいとは 言えないと思います。そこに書いてあることだけが絶対的に正しいなんて 言うのは、それは書いているあなたにとっては正しいかもしれませんが、 それを見ている読者にとって正しいかどうかは・・・って感じ。
いわゆるレッスン書というものはターゲットが初心者になるので基本的な ことが書かれていることが多いのですが、じゃあ中級者以上の人が見て 役に立たないかというとそうでもなくて、誰のアドバイスもなく自己流を 貫いている人に対してはいい教本になると思います。自己流でやっている 人は、とにかくコースでの本番を多くこなすことに気が行ってしまって おり、基本形なんかはどうでもいいと思っている人が多いからです。
これも哲学の問題なんですが、それなりでいいと思えば基本形なんか どうでもいい。とにかくスコアがそれなりにまとまればスウィングの 見てくれがどうかなんて関係ないから。上がってナンボの世界ですから。 そうでなくていかにカッコイイ(見た目じゃないよ)ゴルフを目指す 人にとっては、こうあるべしという自分なりのポリシーを持ってやります。 スウィングの形もそのひとつだし、クラブの選び方もそうだし、バンカーの 打ち方やらアドレスの取り方やら歩き方やら。例えればきりがありません。
ただ、時々見かけるのですが、これは基本形だからといっていつもそれに こだわってバランスを崩しているか、理にかなっていない動きになって いたりする人がいます。要するに融通が利かない頭になっている人。 これじゃ基本以上のことができません。つまり上達しないということ。
基本はあくまで基本。それをベースにそこからどうやれば上達できるか、 自分の身体能力にかなった動きで最大限に発揮できるかを考え実践して いくかで上達の度合いが変わってきます。もちろん天性の才能がある人は それに限った話ではありませんが、そういう人はほんのひとにぎり。
理想形を持っている人とそうでない人との違いも大きいですね。 理想形を持つにはそれなりの経験がないと難しいところがありますが、 そんなイメージがあると目標も立てやすいんです。今日の練習では何を やろうかとか、今日のコースでは何をやってみようかとか。その目標を クリアしていけば自分の上達度も確認できますし。
話は戻りますが、そんな目標を立てるにも自分の欠点を早い打ちに見つけ 出すことが早く上達する方法なんですが、その欠点を自分で修正することが できるようになることをまず覚えることですね。修正する方法もひとつじゃ ありませんから、いかに多くの解決法を知っているかが問題。だから多くを 知るためには多くの知識を身につけることが必要。オレはこんなもんだと 妥協する前に、なんでこれができないんだって考えて勉強して試してみて それでも身体的とか物理的にできないことがはっきりしたならばその時に 諦めればいいんであって、端から諦めるのはいかがなもんかと思います。
まぁ、ウダウダ言う前にお前がやれよという声が聞こえてきそうですね。 はいはい。久しぶりにやったもんだからウダウダ言ってみました。 コンペまでは毎週末は練習の日です。気を入れすぎると練習のし過ぎで 左手が腱鞘炎になってしまいますからほどほどにするつもり。今日も その気配があるので明日はボチボチやるとしよう。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
今日は締め切り前日なので、本来ならテンパっているはずなんですが、 お気楽モードなのはどうしてだったのでしょう?自分でも不思議なくらい のんびりしてました。
おまえはどんなスケジューリングでやろうとしているのか分からん、と 上司から苦言を呈されましたが、3日も4日も外に出られたんじゃ、 こっちだって細かい相談もできないし、自分で勝手に進めるしかないじゃん。 ということは口に出さず、週が明けるととにかく期限が来るから見てくれと 書類を渡して週末に目を通してもらうことにしました。経基職は土日も 関係なく仕事をする立場ですから、こちらとしては当然やってくれと 言いたいところ。ですが口に出しては言いません。やってくれればそれでヨシ。
企業において予算は決算と同等の重要な行事です。 ひとつの建前と目標を設定して、いかにそれに近づけるか、そのあたりの 精度が良くなれば、決算を待たずに業績が見えてきます。ということは、 対外的に(特に投資家に対して)実態をさらけ出すことができる、公表した 数字に信頼ができるということです。おおかたの企業は必ず不安要因を 持っておりますから、そのあたりはコンテ(contingency)をうまいこと 織り込みながら数字を作り上げることになります。多すぎても少なすぎても ダメ。このサジ加減はKKD(経験・勘・度胸)なんでしょうかね。
とはいえ、細かいことまで上司は把握しているわけではありませんから、 数字を作り上げた本人しか分からない数字のカラクリはあります。あるいは 何が織り込まれているか、適当に説明して逃げることもあります。
一般的に予算というのは作られたらそれをいかに守るかが問われますから、 出来上がる前にその数字について折衝があるものです。いかに多くの予算を 取りつけるかが部門長の手腕とでも言いましょうか。まるでお役所やら 自治体が国から補助金やらなんやらを取りつけるのと同じで。やはり予算を オーバーしたところは罰点をつけられますから、そうならないようにする ためにより多くの予算をつけてもらうわけです。当たり前のことですが。
でもウチの職場の場合は部門長が文句を言う前にいかに作り上げてしまうか、 作り上げた後でも文句を言わせないか、そのあたりを考えながら作ってます。 管理部長(自称)兼担当としては。民主主義的ではありませんが、自分が 作った数字に反論があったとしても、余程のことがない限りは認めません。 そうでもしないといくらでもわがままを言ってくる。歯止めが利かない。 だから独断だろうが反発を食らおうが、今のところは押さえている。
ってか、なぜだか皆さんおとなしいです。どうしたことか。 わざと突っ込まれたり、反論されたりすることを期待した数字なんかも あるんですけどね。でもなーんにも言って来ない。真面目に見てくれているの だろうかと不安になったり。数字を守れなかったにしても責める人がいないと 思っているんでしょうか。つまり彼らにとってどうでもいいんです。 予算の数字。これじゃ何のための予算かわかりやしない。
口すっぱく言っても立場的に向こうが上ですから、聞こうが聞くまいが彼ら にはあんまり関係ないみたい。まったくもって自立心のない管理職たちです。 担当から怒られてムッとするぐらいなら、最初からそれなりのことを言って おけよと言いたい。後追いじゃなくて先手を打てよ。責められる前に攻めろ。 給料が下がったのに危機感がないという始末。もっと下げても構わないと いうことですかね。人間的なことまでは言いませんから、せめて仕事だけ でも真面目に取り組んで欲しいもんです。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
やるべきことがあるのに、作り上げなきゃいけないものがあるのに 出来上がらない時って、明日が不安だからついつい今やろうとして しまう。夜も遅くなると効率が悪くなるのも忘れて。
でも今日は煮詰まってしまって先に進まなかった。 そんなところへ隣の職場の女性課長が1杯飲みに行こうと誘ってくれた。 そこの若い衆と3人で軽く1杯だけ飲みに行きましたが、そこで聞いた 話というのが実にショッキングで・・・。
明日、隣の席の同僚に話をしてみよう。きっと落ち込むこと必至。 ま、それを楽しみに会社へ行くとしよう。
それはそれとして、明日は気合を入れて仕上げるとしよう。 なにせ期限は月曜日なもんで。
そうそう。そういえば長らく待ち望んでいたコトウユウキさんの インターネットラジオ第5弾、 帰ってきたSeeYouOnlineスペシャル! 新婚さんにおしかけてらっしゃい!が 公開になりました。皆さんもぜひのぞいて見て下さい。 60分と長いので、ブロードバンド推奨です。
はい。今日は晴れ。(東京地方)
2002年08月28日(水) |
お金に無関心なのもどうかと |
ウチの職場の経基職は本当に仕事熱心ですが、その仕事の中には 事業の採算のことが含まれていることを忘れている。ウチの経基職は 技術屋ばっかりだから、作り上げることや作り上げるモノには熱心 ですが、そこにかかるお金のことは二の次のようです。それでいいのか。
事務屋である営業もご多分に漏れず同じ。営業の仕事をしていれば、 外に出ていれば、お客さんの相手をしていればそれでいいと思ってる。 自分が取ってくる案件が事業にどんな影響があるのか試算でもした ことのある人は皆無。それでいいのか。
自分が事業管理の仕事をしているからこう言っているわけではなくて、 各人が採算のことを気にかけながら仕事をしてくれれば、自分がいなく ても仕事は回ることになる。会社としてはそうやって不要な人員を 削減することは当然の成り行きです。これができなければ、いつまで たっても事業の効率化なんてできません。
製品原価の削減と人員の削減は同時にやらなければならない。 さらには「売れる」物作りを進めなければならない。経営資源は限られて いるんだから、削減して得られた資源から開発に配分することが必要。
必要な人間がいて、必要な製品があって、必要な開発をやって、それらが うまく回転していけば、必要以上に減らせということにはならない。 そんな集団ばかりであれば会社にリストラもありえない。
ウチの職場も必要な人の集団に近づけばと思いながら、微力ながら貢献 しているつもりですが、なかなか自分を放そうとはしない。これじゃダメ。 ある意味ありがたい人たちですが、効率の点からは落第点。負け組み。 負けていたんじゃ雇用の確保も長くありません。負けつづければいつかは 潰されてしまいます。これこそみんなが不幸になるストーリーです。
新規事業でありながらも皆が起業家精神に乏しいのはなんとも心もとない。 もっと声を大きくして主張しなければならんのかな。がんばっても報われ ないのは社員に申し訳ないと社長診断で社長はおっしゃられましたが、 それはなんでかというところまで突っ込まないと、本来の診断にはなら ないんじゃないかと思ったわけでして。社長自身は博学で聡明な方なん ですが、感性に乏しいかもと思ったりしてます。実はここは経営者には 大事なところなんです。
知性に長けているに越したことはないんですが、感度の低いアンテナしか 持っていない人の行う判断はいつも間違った方向しか向きません。これじゃ 社員がたまったもんじゃありません。ウチの社長は必ずしもそうでないと 信じておりますが、ウチに職場は大事な時期に差し掛かっているにもかか わらず無関心さを見せ付けられたんじゃ、これも疑うしかありません。
そろそろ予算書を本社に提出する時期。 ウチの職場の経基職も数字に関心を持ってもらいたいもんです。 自分と上司である室長のふたりで作り上げる予算書にはもう飽きた。 自分の給料は自分が稼いでいるという思いでやって欲しいもんです。
はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)
2002年08月27日(火) |
これからハマりそうなもの |
モノではないんですが、ポール・クルッグマン。 これから原典でも探そうかね。
はい。今日は曇り。(東京地方)
今日は月に1回の会議。 担当役員から管理職一歩手前のわれわれまで集まる会議。 毎回やることはてんこもりなんですが、わたくしが準備する資料次第で 会議の内容ががらりと変わってしまうという、ある意味この会議の仕切りは 自分がやっているようなもの。誰も事前に議題を言ってこないんだもん。
いやー、さはさりながらやっていることは結構神経質なことが多くて、 日常業務の中では解決できないことが多いです。だから役職のある人が 集まるこの会議の時にまとめてやるんですが、皆さんおとなしくてね。 まーったりとした雰囲気の中イライラしながらやってます。自分らに 直接関わることだから、何かコメントしろよと思いながらところどころで 室長が合いの手を入れてくれる。でないと会議が進行しないから。
一応わたしゃあ議長役ですが、田原総一郎みたいな仕切り屋でもなく、 どちらかというとネタ振り役。素案提出係とでもいいましょうか。 ベースを作って会議で審議してもらう。そんなことやってる。
ひと通りのことが終わった後は、ひとの配置に関して関係者のみで議論。 自分は直接の関係者ではありませんが、これから恐らく関わっていかなければ ならないことは自覚しておりますから、無関心ではいられない。ですから 自分は不要かもしれないとは思いつつも話し合いにあえて参加。
人の異動に関わる話ですから、これまた神経質な話。でも彼らの話は 行ったり来たりでグラグラしている。結論があったようななかったような。 それでも敢えて自分は発言を控えておりましたが、なんとも他人事のような 話の内容に、ついつい割り込んだりして。本当はこれじゃいけません。 関係者同士で方向性を見つけなきゃ。自身が当事者であり責任者である ことを忘れてもらっちゃ困ると苦言を呈したりなんかして。
緊迫感が感じられないんですよね。事業がうまく行っていようがそうで なかろうが会社は給料をくれるもんだと思い込んでいる。現実問題として そう簡単には社員の首を切ることはできません。でもそんな保護の元 あぐらをかいてもらったんじゃ困りもんです。自分の給料は自分で稼ぐ。 これが基本のはず。稼ぎが無くてもがんばって仕事をしていれば給料は 当然もらえるなんて言うのはたわごとです。
さらにえば、お客さんのために仕事をするのが第一であるというのは 聞こえはいいのですが、自分が食べていけることがベースにあって初めて お客さんの求めることに注力できるというポリシーが無ければ、仕事と しては本末転倒。自分の身を犠牲にして商売をする必要は無い。もし そういう場合になった時は断る勇気も必要。そのあたりのメリハリが きっちりできていないと馴れ合いになって、結局使われるだけ使われて 自分に破滅が訪れるのは明白です。あちらも生きるために懸命ですから。
「お客様第一」というスローガンの意味を履き違えないようにしなければ。 会社の体力が弱くなれば外に向かってのエネルギーも弱くなる。 自分は何者かということをはっきりさせてお客さんに認識させる。 なんどきでもいいように使われるのではなくて、こんな時にはここを 使えばいいんだということをお客さんが認識してくれればしめたもの。 お互いに無駄な時間を割くことが無くなりますから。
今や選別の時代ですから、色のついていない会社は選別の対象にならない。 あなた色に染まります、なんていうのは時代遅れ。わたしの色に染まって 下さいというのが今時の営業スタイル。何色を選ぶかはお客さんの嗜好。
会社の経営資源は限られていますから、選択と集中は避けれない命題。 言い古されていることも現実問題としては難しい面があるんですが、これを やらなきゃおまんま食い上げです。管理職は会社側の人間なんだから、 そんな当たり前のことを念頭に入れて議論をしてもらいたいもんです。
そんな今日は夕方からアサヒビールのビアパーティ−。(無料) せっかくですから飲みに行きましたが、いかんせんタダだから飲みすぎた。 締め切りものが今週はいろいろと控えているのに今日はもうあかん。 さっさと寝て明日さくさくと仕上げよう。
はい。今日は曇りのちときどき晴れ。(東京地方)
|