何だ今日は。朝起きたら晴れていたので昨日に続いて布団を干して サンデープロジェクトを見ようと思って電源入れたら駅伝やってた。
先週金曜日は朝まで生テレビが無かったし、今日はサンデープロジェクト が無く、マジメでふざけた(笑)番組が見れないのは結構不満かも。
とはいえ今は北朝鮮の拉致問題が大きな社会問題なので、少しばかり 朝鮮人の強制労働について調べてみました。というのも、戦中〜戦後 にかけて日本が行ってきた朝鮮(韓国)人の強制連行の歴史がこの 拉致問題の対案として日本の足を引っ張っているから。
現在在日の朝鮮人(韓国人含む)は65万人と言われています。 戦中は最大200万人とも言われております。ここで日本へ強制的に 連れて来られた人々への補償がどうとかいうことが日本が残した戦争の しこりとして持ち出されますが、これは正しい歴史観であろうかという 問題提起もされております。
本国から日本へ強制的に労働の提供を強いられてきたというのが専らの 常識になっておりますが、それが在日の方のどれだけの割合なのだろうかと 疑いたくなる記述も見かけます。これが少数だとすれば、強制労働のため 日本へ連れて来られたとする歴史教科書の記述は誤りということです。 誤りという表現が誤りだとすれば、大多数は自発的に日本へ渡ってきた ということになります。つまり難民です。飢えた国からの脱出です。 日本はその難民を利用した。生きるために渡った日本では他国の人間を 寛容に受け入れる土壌ではなかったため、不幸にも劣悪な環境で利用された。
参考までに、→こんなところや、→こんなところを見てもらえれば。
調査した数字の信憑性もありますが、言葉で語られるよりも説得力がある。 つまり彼らが日本へ渡った動機が強制的であったとは必ずしも言い難い。
確かにお国の事情で強制的に連れてきたことは否めないし、東南アジア での卑劣な行為はその当時の日本兵が認めてきたことだから政府もその ことを真摯に受け止めて相当の補償をしなければならないけど、それが あたかも全ての人に対して行われたという歪んだ歴史観を植え付けるのは いかがなものかと思う。
戦前の教育を受けた両親なんかは朝鮮半島の人々のことを蔑んでいるのは 間違いない。言葉ひとつを取っても彼らのしゃべる言語に対して差別意識が あるからね。それからいわゆる「部落」と呼ばれるところには朝鮮人が 住んでいるとして近寄るなと小さい頃に言われた記憶もあります。
自分はそのことに批判的だけど、そのことを親に言うと親は悲しむ。 親が過ごした時代のことは直接は知らないけど、親が過ごした時代のことを 親の言葉から察することは出来る。そこには事実と歪んだ教育による歪んだ 思想とが混じっているとしても、それらは貴重な情報源ではある。朝鮮半島 から来た人々がどのような見方をされてきたかということについてはね。
これまでの言葉の中には差別語が混じっているかもしれませんが、それが 社会的通念に照らして誤りであればご指摘ください。通念が間違いである 場合もありますのでご注意頂きたいんですけど。
歴史の教科書が教えてくれた範囲では朝鮮半島から日本へ文化が入って きているので、どちらかというと日本の方が文化的に弟分。でも日露戦争の 頃からおかしくなったのでしょうかね。日本は。強い者が正しいという論理。 おかしくなった結果が侵略という道を辿った。おかしいのが当たり前の 時代であったという皮肉。おかしいと言うのが反逆とみなされる時代。
非常識を正当化するつもりはありませんが、ひとつの事実を取ってそれが 全てであるかのような記述は歴史観としては誤りだと思う。それはあくまで ひとつの事実であって、全体の流れを表しているものではない。
戦中を朝鮮半島で過ごした母親から聞いたところでは、個人レベルでは 現地の人とお互いに仲良く付き合っていたということを聞いている。つまり あちらの方は反日感情なんて持っていなかったということなのね。軍事的に 侵略をしていなかった地域では。たまたまそうなのかもしれないけど。
いや、今日は何を言いたかったかというと、日朝国交正常化の交渉において 北朝鮮があまりに相手の出方を探りすぎというか、過去の弱みや家族を人質 にしていることをカードにして、自国に有利な方向性を見出そうとする彼ら のやり方に憤りを感じるというか、いやらしいというか。誰の方を向いて 交渉をやっているのか。そりゃ将軍様の方だろうよ。決して国民じゃない。
北朝鮮には日本と同じ常識が無いので同じ論理で交渉しても成立しない。 でも個人の命を尊ぶことについてはどちらも同じでしょう。だから斎木参事官 の発言に返す言葉が無かった。「人間の命の重さが北朝鮮と日本とでは違う のか。」5名の帰国延期について「約束」破りだとする日本への非難に対し 日本側は「人命」という言葉を使った。今回の攻防は珍しく五分か。
道徳心とか命の尊さとか、こんな当たり前のことをお互いが持っているのに どこでどう掛け違いが出たのか。国家体制の影響が大きいとはいえ、向かう 方向は国家安定、国民の幸せのはずなのに、しかも根っこの文化は同じで あるはずなのに、どうしてこうも考えの違いが出るのか。日本があまりにも 平和過ぎるのか、北朝鮮があまりにも貧し過ぎるのか。その差がこうさせて いるのだろうか。自分には良く分からん。
日本も北朝鮮も、過去の清算をしなくちゃならない時期に来ているんじゃない だろうか。お互いの過ちを正視する。そこからスタートするんじゃないかな。 国交正常化って。韓国にも中国にも。そのうち生き証人が死んでしまうから 放置しておけっていう意見もありますけどね。むむ。どうだか。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
2002年11月02日(土) |
やるべきことと追求すること |
英字新聞を読んでいないので今まで知りませんでしたが、不良債権は "bad loan" って言うんですね。悪い融資、つまり返ってこない融資。 借り手からすると悪い借金、つまり返せない借金。そういうことです。
売買に関して言うと、売った品物の代金回収が出来ないこともこの 範疇に入りますね。売掛債権の回収が出来ないのも不良債権。
現在話題になっているのは銀行業界のことだから、英語ではその言葉を お金の流れに限定して "bad loan" と言っているのでしょうね。
借り手側から "bad loan" と言ってしまうと、「悪いローン」となって しまうので、悪徳金融業者のイメージが沸いてしまうのですが、これは 間違い。loan自身が悪いことを言います。借り手だろうが貸し手だろうが 立場の違いはあれ、loanであるそのお金が滞ってしまうことを "bad" と 言っているのです。
そのことを不良債権(あるいは不良債務)と呼びます。なぜ債権という 言葉のみが出回っているのかいうと、貸し手側の被害意識が強いからです。 借り手が不良債務とは言いませんからね。
さて不良債権処理を実行する上でその債権買い取りの下支えとなる機構、 「産業再生機構」の枠組み作りが始まりました。現在の産業再生法では ”再建計画終了時点での有利子負債が年間キャッシュフローの10倍以内 に収まること”と明示しており、産業再生機構でもこれを踏襲する模様。 有利子負債と年間収益のバランスに着目するといいます。産業再生法では 再建計画を3年以内に限定しておりますが、産業再生機構では5年以上の 再建期間の設定を認めることにしてます。
この産業再生機構に充てる資金としてはRCC(整理回収機構)がその 不良債権を買い取る資金に充てている金融再生勘定である12兆円。 RCCは破綻懸念先の企業しか買取対象にできませんでしたが、これを 採用することで国が企業再建に関与する範囲が広がります。一見すると RCCを使うのと同じじゃないかとも言えます。RCCの拡大。だから それらの線引きが重要になります。再生できるのか出来ないのかをね。
本質的には不良債権を作った根源を問わなければなりませんが、とにかく 今どうするかを考えているわけですから、そのことは後回しですかね。
あえて言うとすれば、日銀とそれに操られた銀行業界でしょうが、そこ には企業や個人のお金への甘えが入っていると思われます。お金は回る もんですから、返済がきちんとできれば借金も許されます。でもバブルで 価値が変わってしまってそれまでの価値観が変わってしまっても頭の 中ではそれまでの価値観でお金を回しているもんですから、当然ながら 返済が出来なくなるんです。モノとお金の価値が変わっているから。
「現在価値」という言葉がありますが、これをどう見るかで借り入れの 計画を立てるのが自然なんですが、価値の変動がこれを狂わせたんです。 景気の変動が大きいとこういうことになりますから日銀は景気をの安定 させる責任があるわけです。それなのに意図的に狂わせたという罪。 誰もそのことには言及していませんね。実証が難しいから。
なんだか日銀に国民が踊らされているような気がして悔しいです。 そこに注目して追求するような気概のある政治家は現れないんでしょうか。 日銀からすると「危害」になってしまいますけどね。笑えません。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
2002年11月01日(金) |
今の生活にこだわるな |
昔の職場の卒業生が集まりまして、品川で飲むことになりました。
昔の職場というのは、製鉄機械を作る事業部の生産管理あるいは 事業部管理をしていた部門です。そこにいた人たちが今では会社 から切り離され別の会社になったところにいたり、本社の事業管理 にいたり、別の事業部にいたり。東京近辺にいる人間だけを誘い、 集まったのは11人。もちろん男ばかりです。
最高で50過ぎ、若いのが20代後半という年齢層。 久しぶりに昔話に花を咲かせたというだけのことですが、こういう ことをするのが結構大事なんです。古いつながりにこだわっている ということではなくて、いわゆる情報交換の場になる。
同じ職場の先輩後輩、上司と部下の関係でしたが、今は別々なので そういう意味じゃ仕事の軋轢はほとんどない。ほとんどないという のは、例えば本社の事業管理の人と自分とは事業部の業績という 関係ではつながりがあるし、営業的には扱い品目が近い営業マンも いるということでね。
我々事務屋は長くて4年、短くて3ヶ月という期間でローテーション されますから、重なったものもいればそうでない者もいる。でも話題 の多くは製造拠点であった工場での出来事。思い出が多いから。
自分の場合だと89年の夏から93年の夏までだったから、バブルの 走りで景気が良かった時代からバブル崩壊で受注が激減した時代に 所属していたわけで、たった4年で工場の浮き沈みを見てしまった わけです。業種的な不況で87年、88年は大幅な人員カットを しており、バブル崩壊後はその削減のおかげでさらなる人員削減は 回避された歴史があります。それが理由かどうかは分かりませんが、 人員カットを切り抜けた人たちは、自分は選ばれた人だという勘違い をしてしまっているフシがあり、バブル崩壊後の円高のときに、その 円高の恩恵を受けることなく輸出で海外勢に負け続けたという苦い 過去もあります。要するにコスト削減を怠ったために価格競争に ついていけなかったということです。
製造業の宝は、熟練した現場の作業員ですが、彼らは昔ながらの 職人気質で効率というものを考えない。知りたかったら教えてもらわ ずに見て覚えろというのが典型です。当然、マニュアルも無し。 生産技術としてはマニュアルはあるんですが、現場ではそんなものは 無視してしまって、今まで培った熟練技術を大事にする。それじゃ コスト削減を必要としても同じ製造法であれば同じ工数が必要に なってしまうわけで、コストは下がりません。いくら営業が価格を 下げないとダメだと力説しても、それは営業が頼りないだけで、 自分らが悪いわけじゃないと変に自負してしてしまい、要するに コストの硬直化を引き起こしていました。(社員が変わらなければ、 給料のアップが伴うわけですから上方の硬直化です。)
バブルが崩壊した頃から価格競争の時代に突入しており、これは デフレの始まりです。ということは、インフレ時代には許されていた コストの上昇はその時点で許されなくなっていたということです。 その認識が現場にはなかった。もちろん営業や商務でもそのあたりは 重大なポイントだとは認識していなかった。営業は多少の赤字でも 受注することが是とされ、製造は仕損を発生させずに製造することが 是とされてきましたから。昔で言うマーケットいんではなくて プロダクトインの世界です。作って売れた時代はとっくの昔に過ぎて しまったというのに。でも実績と経験がモノを言う世界ですから、 新人が口出しする隙間は全く無し。本当に硬直していました。
これはまさしく今我々が苦しんでいるデフレの状況と同じで、硬直化 した経済は下方に向かっているのに生活は下がることを望まないと いう我々の願望とのギャップがある状況なんです。仕事は無いのに 生活は変えたくないという無理な願望があるわけです。そこで借金 して生活を変えなかった人が今苦しんでいる。借金が返せないから。
不良債権を処理するには景気が良くならなければ進まないというのが もっぱらのコンセンサスになっておりますが、景気対策を今まで 何十兆円もやってきたのに改善しなかった歴史を知りながら今もなお 景気対策を叫ぶのはいかがなもんかと思います。自民党のご老体や エコノミストと呼ばれるひとの多くはそのようなことをしないと 不良債権処理も成功しないと声を大にして叫んでおりますが、自分は 別の意見で、一度ボトムまで景気を後退させて、そこから再生させる プロジェクトを構築する(言葉では簡単だけどね)方法を選ぶ方が 経済の健康化という観点からは成功すると思う。自分の首を締める ことになるのは目に見えておりますけどね。
飽和した経済をさらに成長させるのは難しい。成長を是とするならば、 一度飽和状態を崩すしかない。パンパンに張った風船を一度萎ませて もう一度膨らませる。そこで生き残った産業に人員をシフトさせる。 再生が見込まれる産業には国が資金援助をする。銀行に限らず資金の 注入を行う。もちろん返済計画と企業ガバナンスは問われるけど。
今は銀行だけが議論の対象になっているけど、思い切った政策とは 民間の企業にまで手を入れることではないでしょうか。
ただ、これはあくまで建前の話で、本音は経済政策に失敗した官庁の 役人、代議士に辞めてもらうことが前提だと思います。これこそ国の ガバナンスの問題だと思います。こちらが先のような気がします。 特にバブルを作りだし、崩壊させた日銀の当事者連中には、それ相当 の責任を取ってもらう。現職の日銀の責任者にも辞めてもらう。
これは個別にはそうですが、大きな目で見ると役所の構造改革です。 不良債権処理はひとつの目玉ですからこれはこれで生かしてもらって、 その財源は役所の改革から捻出できると思う。これは立教の斎藤教授 と考えは近いかも。野村の植草くんやリチャード・クー氏とは違う。 どちらかというとミスター円の榊原氏も近いかも。
小刻みで小手先の方策では見切られます。また同じことやってると。 であるならば、国か国民のどちらかが痛い目にあうしかない。 国民の同意を得るにはどちらも同時に行うことになるのかな。 やはりこの問題は政治色が強いので、聡明な政治家がリーダーシップ を持って引っ張っていくしかないな。政治家が聡明でないならば、 竹中くんのような民間人が政治家から煙たがられようともがんばって いけるような雰囲気作りを我々国民が後押ししてあげることが必要 なんじゃないかな。腐ったご老体にはお辞めいただくということでね。
今の生活にこだわっている限り、我々の10年後は無いと思います。
はい。今日は曇りのち雨のち晴れ。(東京地方)
隣の職場はIR広報室で、そこの室長が源さんです。 この源さんとはタバコ部屋で一緒になっても話はしません。 なんだか話しにくい雰囲気を持っています。こちらから話すことも なければ、あちらから話しかけてくることもありません。
そんな源さんですが、隣の職場の全員が時々全員いなくなることが ありまして、そんなときには自分に電話番を頼んでいなくなりますが、 源さんはそれを好みません。今日もそういう場面がありまして、 源さんは来客、他の人たちは社内会議。ちょっとの間だからヨロシク というので安請け合いをしましたが、1時間たっても帰ってこない。 そんなときに限ってリリースしたことに対する新聞記者や金融機関から 問い合わせがあるもんです。聞き取ったメモを担当者の机の上に置いて おきましたが、来客から帰ってきた源さんがそれを見まして、担当者が 帰ってきた時にきつく叱り付けました。もちろん、その上司もね。
リリースした後ぐらい問い合わせが来るのは当たり前のことだから、 全員がいなくなるなんてことはするなよ、と。聞いてて思わずうなずき ましたよ。その通りですから。
IRとか広報とかいう部門は会社の窓口ですから、いろんな所から 問い合わせが入ってきます。自分のような普通の営業マンが電話を取って 要らぬことをしゃべったりなんかしたら、相手からしたらそれも広報から 聞いた話になってしまうので、通常どのかいしゃでも同じでしょうが、 広報が情報の一元化ということで対外的にはしゃべります。現場の人間の しゃべることって、外の人からは貴重な情報源になります。だからこそ 情報規制が入るわけで、勝手にしゃべってはならないんです。会社の事情。
会社の情報はおおむね正しいことを発表しておりますが、時としては そのまま発表してはいけないこともあります。特に都合の悪いこと。 あるいはそのまま出してしまったら誤解を与える可能性のあるもの。 そりゃ広報でない一般社員が決まりごとも知らずに電話対応をして しまったらマズイわな。何を言ってしまうか分からないから。
自分としては知っていることが多いもんだから、聞かれたらついしゃべって しまうこともあります。これが良くない。知らなくて、正直に知らないと 言ってしまうのもこれまたよろしくない。それなりの受け答えをしないと 広報としてはまずいんです。そのあたりはわきまえているつもりだから、 これまでは自分が出て問題になることはなかった。でもこれから必ずしも 問題ないとも限らない。だから自分らの職務は自分たちで全うするのが 基本です。ヨソの人間に頼ること無しに。だから源さんも怒る。
なんでこういうことを分かっているかというと、以前の職場が資金部で、 相手が金融機関(つまり銀行・証券・生保といったところ)だったので、 資金の貸付やら投資家情報やら年金運用のためのポートフォリオなんかに 影響を与えるから、資金マンの立場でしゃべっていた経験があるから。 お金を貸したくなる、投資家に勧めたくなる、そういったことをしゃべる 必要があったわけです。業績を圧迫する事業があったら、それをどう 立ち直らせる計画があるのか、事業の方向性はどのように考えているのか、 会社の立場としてしゃべっていたわけです。だから聞いている人間が何を 知りたくて聞いてきているのかを感じながら対応をすることに慣れていた ということがあります。ま、今の広報の担当者に苦言を呈するとすれば、 そのあたりの感性に欠けているというか、相手の立場に立った対応が欠けて いるというか、聞かれたことに対する答えをそのまま言っててはいけない。 会社の信用に直結する部門だからね。
そういう意味じゃ、広報は企画部門がドラフトを作ってそれを棒読みする アナウンサーではありません。ドラフトを噛み砕いて演出する役者でなく てはなりません。だからボーっとした人間には務まりません。自分がその 役割をどう認識して相手に聞いてもらえるか。そのことにどれだけ配慮して いるかが相手の満足度につながると思ってる。そこらへんの社員が知って いることだけじゃダメなんです。内部事情に精通して、その上で関係する 社外のことにも目配りする。そうしたことが総合的に自社の立場がどの ようなポジションにあるのかを理解することにつながる。そう思う。
事業に直接関わっているわけじゃないから現実味が少なく感じるかも しれませんが、それだけに現場へ足を運んでヒアリングする。自分が 理解できるまでしつこく付きまとう。それぐらいの気概が必要です。 熱く現場と接するのが担当者で、それを冷静に見つめて纏め上げていくのが 管理職。そういう関係が理想的な広報のあり方。と思う。ウチはどうだか。
これからは中間決算の発表の時期だから、しっかりやれよ、と言いたい。 数字を出したら必ず問い合わせが来るんだから、ちゃんと席にいろよ。 ブン屋の記者はどうせ新人の(業界)シロウトだから、ちゃんと噛み砕いて 分からせてあげなよ。間違った報道をされないようにね。後からコメントの 修正を求めてもその時は手遅れだからね。源さんは良く分かっていると 思いますが、担当者はどうだか。心配は尽きません。人ごとじゃないから。
とにかく自分の職務はプロ意識で全うして下さい。それだけです。以上。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
年なんでしょうか。 飲みが二日続くと身体がフラフラというか、頭の働きが悪くなる。
この半年は月に1回あればいい方だったかな。飲み会。 だから余計に飲んじゃう。普段飲んでいないからすぐに顔に出る。 昨日なんかグラス2杯飲んでいた程度でまっかっかだったらしい。 気分がいいときは自分の酔いに気付かないもんですね。
昨日は若き画家である多聞くんのコラボレートする 時計ブランドの2周年展示会。そこで多聞くんの画集を載せた本と 展示されていた時計をひとつ買いました。→この中のひとつ なんだか幸せな気分。(笑)
でも気分だけのような気がする。 本当に買いたくて買ったんじゃない。かもしれない。時計。 場の雰囲気に飲み込まれた自分の負けか。
でも損をしたという気分でもない。何だか分からない。 久しぶりに締める言葉を見つけることの出来ない日記。ま、いっか。(笑)
はい。今日は晴れ。(東京地方)
2002年10月29日(火) |
つまんない議論はしなくていいから |
今日はなぜだか締め切り仕事がありませんでして、いつになくのんびり モードで1日を過ごしました。とはいえ上司と同僚の一人がアメリカ出張、 もう一人の同僚が三重に出張で午後までひとりで電話番。
こんなこといつものことだと思ってますが、外に出ない役柄であればいいん ですが、一応自分も営業職。客から呼び出されれば行かない訳にはいきま せん。打ち合わせなんかがあれば席を離れることもありますので、その あたりは時間を決めて人がいるときにすればいい。外に出る人優先です。
多くの時間を机で過ごしていると、隣にいる広報での会話が聞こえてきます。 この時期に多く出てくるのが株価の話。もちろん当社の株価です。 社長が降りてきて下がり続ける当社の株価に対してどうにかならんかとか、 誤解を生まない広報のあり方とか。
今ではIR(Investor's Relation)という言葉を軽視する企業は投資家から 見離されます。経済の状況が悪いということは、大半の企業の業績が良くない ということで、それだけ投資家も慎重になってきます。だから彼らは企業の 業績がどうなっていくのか、未来はあるのかどうか、少ない情報の中で開か れた企業の情報開示を求めているんです。それはそれで投資家の正しい態度。 投資は株のリターンを売買によって求めるのではなくて、企業が成長とか 利益の蓄積をすることで投資家へも還元していく、そのサイクルを求めて いくことが健全な姿だと思います。投資としてはね。
でも今のIRは目先のつなぎの様相です。 一見するといい会社じゃないのか、あるいは良くなるんじゃないかと思わせる ような発表をする。これって海外の投資家比率が増えてきたことや個人の投資 が増えてきたことへの対策であると思われますが、なんだか場つなぎで悪く 言えばダマシです。心理的に効果を与えるために言っているに過ぎず、体質が どうだということではないので、本質的なところでは何も分かりません。 本質まで対外的に言ってしまうと後が怖いですから。
以前、野村証券のアナリストが言っておりましたが、トップの哲学と実行力、 それからスピード。この3つが揃うことが信頼の条件だと。 結果が良ければそれでいいということではなくて有言実行型が望まれる。 そういうことです。結果だけでは今回良くても次はどうなるのかが分からない、 そんな不安を持つ企業ならば、今期は損を出しても来期は明確な意思と実行力で 確実に回復すると確信できれば長い目で見れば投資は成功する。投資とはそう いうもんだと思う。企業の一部を買うのと同じ効果ですからね。短期的な動向に 目が行けばそういうことはできない。
投資家の理想と現実はかなりの乖離がありますから、企業もそれ相応に対応 しないといけないから、教科書通りではやっていけません。IRの担当者は 経済の専門家はいませんから、そのあたりを勉強しておいた方がいんじゃない かといつも思う。大きな流れが分かるべき部門。でも企業の常で、いわゆる 頭のいい「お勉強」が出来るタイプの人、つまり法学部あるいは経営学科卒が 多いから、なんだかわけの分からん議論をしているのを後ろで聞いていて イライラするのは自分一人なんだろうかといつも思います。 こういうところにもきちんとプロを置く。そんな余裕が無いんですかね。 その日の株価の上昇や下落を見て一喜一憂するのは止めて欲しいんだけど・・・。 それが仕事だから仕方が無いのかな。うーむ。
はい。今日は晴れ。(東京地方)
会社帰りに丁度出くわしたので、以前から知っている先輩後輩と 飲みに行くことになりました。月曜なんで、もちろん近場で。
先日、15%の給与カットされている自分の思いを述べましたが、 彼らは事業のリストラの影響で子会社に所属しています。事業部門が そっくりそのまま子会社化しちゃったわけ。それで会社の要求とは そこからさらに5%カットを言われているようだ。しかも賞与は 無しの方向。ここまでくると元の所得の40%ダウンぐらいには なるのかな。こりゃ大変だ。人ごとだけど大変だ。
でも自分は言いました。その給料をもらってグチを言いながら仕事を 続けるか、会社を辞めてグチを言わずに済む会社に入りなおすか、 どちらかしかないだろう。会社を辞める勇気が無ければグチを言うのは やめろと。会社の批判をする前に自分の価値を高めて給料を上げる 努力をしろと。
黙っちゃいましたね。彼ら。
しんどいことをグチっているだけじゃ会社はいつまでも良くならない。 そのエネルギーを前向きな力に置き換えて会社を立て直すぐらいの パワーにしてしまえばいいものをと思う。そんな年代だし。
設計や現場に仕事が無いなら、従来の仕事にとらわれず新しい仕事を 見つけてやるぐらいの意気込みが無いと、本当に下を向いて生きて いかなければなりません。それこそみじめな生活です。
自分がそこまで厳しい状況ではないからこんなこと言えるんですが、 彼らと同じ状況であれば同じようなグチを言っているかもしれない。 だから彼らに言ったのは自分への戒めと思っています。仕事が忙しくて しんどいのは生活が守られているからまだいいかもしれない。それが 度を過ぎてグチすら言えない状況であれば話は違うんですが。
彼らの姿を見て自分の身を引き締めました。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
2002年10月27日(日) |
給与カットを体験している者のつぶやき |
今日は晴れて良かった。昨日の天気が続いたら布団も干せないからね。 週末ごとに掃除・洗濯・布団干し。主夫してます。(笑) でも料理はしません。米炊きを除いて。総菜屋が近くにないからおかず だけを買うにしても高くつくだけだから結局外食になっちゃいます。 おかげで栄養が付き過ぎてお腹のあたりが心配ですが・・・。
今日のサンデープロジェクトを見ていて改めて思いましたが、年寄りと 若手との考えの差がはっきりしていますね。不良債権問題のところで。 ま、とはいえ政府側の人間である大村くんは小泉首相を擁護する立場。 批判は出来ないしね。必ずしも個人の意見とは言えないかも。
政調会長の麻生太郎氏は結構面白い人物だと思っていますが、やはり 年数を重ねてしまうと言いたいことも言えないんでしょうかね。 いや、彼を支持しているわけじゃないんだけどね。説得力があるわけじゃ ないんだけど、その発言が面白い。自分を茶化しているようで。 信念を熱く語るタイプじゃないよね。テレビ的には。だからもしかしたら 彼のことを誤解しているかもしれない。でもその信念は国民に向けて 表してもらわないと、その政治家としての人となりが分からない。 表われているところだけで政治家というものを判断しますから。そういう 意味で、彼は誤解されやすい人なのかもしれない。分かりませんが。
一方、デフレ対策特命委員会委員長の相沢英之氏は何だか古典的。 というか、融通が無いようです。小泉内閣への抵抗勢力は往々にして そうなんですが、今までの通念や歴史の範疇を越えることができない。 越えることができないということは、例えば不良債権処理にしても 過去の事例以外は受け入れることができなということになってしまいます。 新しい手法を提示しても時期早尚として聞く耳を持たない。ということは 時間軸が非常に長い人であって、早急な処置に対しては対応できない人 ということになります。今目の前に起きていることは日本の歴史上 例の無いことだから、過去の実例を参考にしても意味が無い。参考には なっても実践することは出来ない。いわゆる経済学というものに拘った 政策では解決できなかったことが起こっているんです。
歴史を学んで現在に応用することはできますが、歴史で行われたことを 現在の事象に適用させるのは難しい状況でない時です。いわゆる調整。 腐ったものを処理するには切り捨て去るしかない。これを今まで影響が 大きいということで温存し続けたことが不良債権の処理が進まなかった 大きな理由。政治的にはこれをバッサリ切り捨てるのは国民や特に銀行・ ・建設・流通業界からの大きな反対が予想されますからやりたくない。
痛みは味わいたくない、影響が大きいという理由で今やるべきではないと いうのなら、不良債権処理については反対しているわけではないのだから 処理に向かってのスケジュールとそれまでのつなぎ策を出してみろよ。 それは政治の怠慢として非難されることは目に見えていますから、国民は 反対しないでしょうけど市場は黙っていません。日本という国に見切りを つけるでしょう。それこそ日本恐慌の始まりです。外人は怖いです。
株式市場や為替市場が国内だけのことではないのは誰もが知っている 周知の事実。他通貨に対してドルに対して安定的な円を購入することは、 リスクが低いということで安心して買いやすい銘柄。為替がそうであると いうのなら、株式にも同じことが言えるわけで、ボラティリティが小さい ということで、低リスク銘柄になります。上下の振れが小さいってことね。 そこに今やっている不良債権処理が進まないとなるならば、もうこれは 日本の将来を悲観して、あるいは潰れていくと考えてリスクが大きくなると 考えますから保有者にとっては売りの対象になります。もちろんその振れで 儲けているような人たちもおりますから、振れないより振れたほうがいいと 思う人も一方ではおりますから、そのあたりのバランスですかね。
でも当事者である我々日本人は国が潰れる方向に行ってもらっては困る わけですから、やはり安定的で(安定的とは適度に右肩上がりに成長する ことです。決して変化の無いことではありません。)、明るい将来を思える 日本になって欲しいわけです。現状がそうではないわけですから、バブルの 後遺症はきちんと治療して、お金が回っていく世の中にしていくことが 必要です。企業は成長が見込まれず借りたお金を返す方向へ、国民は収入が 減ることを予想して消費をしないで金利がゼロでも貯蓄に走る。そうなると 銀行はお金が余って国債を買うしかない。それで長期金利が下がる。それでも 企業はお金を借りる投資目的がないからお金を借りずに余るばかり。お金の 供給を増やしても効果がないのはそういうことです。借り手不在です。 一方では危ない企業から貸しはがしをしているわけですから余計にそうです。
これまでは右肩上がりの成長が当たり前だった(評価された)時代。 人が増えないんだから生産も同じくして増えなくなる。総量としては成長が 見込めないんですから利益を求める方向へ行かざるを得ない。だから成長の 定義を変えるんです。生産量ではなくて利益の大きさです。この考えが 選択と集中のはずなんですが、これをマジメにやってしまうと米国流の ギスギスした社会になってしまうような気がするのは政治家だけではない はず。我々も同じ思いではないでしょうか。でもこれを解決するのは国家の 関与しかない。市場原理では再生できないのだから。
国家の関与を否定する(公的資金の注入を拒否する)のなら、国際的に 自立した銀行であるべきで、評価の基準も日本流ではなくて国際基準に 合わせて、それできちんと評価される体質になっていくべき。銀行業界が 崩壊して困るのは我々国民ですが、残るべき銀行が残ってくれればそこから ひとつのスタンダードが出来てくるんじゃないでしょうか。例えそれが 悪名高いIMFの手を仰ぐ形になったとしても(そうならないことを望む)、 国家がきちんと国民生活を保証(最低限のね)してくれることを前提に、 建て直しをするぐらいの信念で国民を説得できないのかな。我が身を案ずる ことなんか忘れてさ。結局議員連中や官僚は、我が身が大事だからそれを 国民の不幸は許せないと言い換えているだけ。信念がしっかりしていれば 給料が下がったぐらいで辞める人はいないさ。だから議員や官僚の給料を 下げてそれを元手に借金返済に充ててみたらどうか。これは斎藤教授の 考えと同じだけどね。国民の所得が減って税収が減ったのなら、それに 伴って公務員の給与も減るのは当然のこと。それを国債や地方債で補填 して借金を重ねてもその返済なんか出来る見込みなんかない。方法は給与 カットでも人員削減でもどちらでもいい。自ら苦渋の汁を飲んで国民に 奉仕しているという姿を見せるだけでも公務員に対する見方が変わって 民間人もやらなきゃっていう気概が生まれてくるんじゃないだろうか。 お金を使うって、マインドの問題が大きいからね。議員も役人も国民と 同じ土俵に上がって、同じ気持ちにならないとやらなきゃならん方法も 思いつかないんじゃないか。
がんばってやっているとか、もらえて当然の立場であるとか、そういう 低い次元の議論ではなくて、無いものねだりをするなと言いたい。今や 借金をしてあなた方の給料を支払っているんです。おかしいと思わない?
あくまで全社員15%給与カットを受けている企業社員のグチです。 胸くそ悪いと思われた方はどうぞメールででも苦情を下さい。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
2002年10月26日(土) |
PCもそろそろ限界か |
99年に買ったこのノートパソコン(バイオくん)も、そろそろ限界が 来ているような気がします。というのも、ダイヤルアップが使えなく なってきたし、OSの調子も悪いし。機能が充実しているだけに残念。
そもそもノートPCを購入したのはモバイル機能を重視したから。 持ち運びが出来るPCが欲しければノート型になります。その代わり お値段が高くなります。自分のヤツだと約25万円でした。今だと 同じ機能で20万円近くになっていると思う。
一番大きいのはブランドにひかれて買ったわけですが、やはり友人が 言うようにネットワーク系が弱いように思える。あるいは指しこみ口の 脆弱さ。抜き差しを何回もやっているとおかしくなってくる。接触が 悪くなるということです。そうなるとさすがに使えない。使えなけりゃ 意味が無い。モバイルが使えなきゃデスクトップで十分ということ。
最初からデスクトップでいいと割り切っていれば20万円も出せば 相当いいパソコンが買えます。恐らく来年には買い替えると思います。 OSは98が使いやすいのでその頃にどうなっているのか心配ですが、 その時に一番使い勝手のいいヤツを買えばいいだけなので、そんなに 気にすることじゃないですね。(笑)
もともとPCは好きじゃなかった自分にとっては会社の業務で使うよう になってからは必需品になりました。インターネットを使い始めた頃に コトウさんのことも知りました。そういう意味では運命の出会いだった。(笑)
個人で使っているのはソニー、業務用ではNEC。モノとしては圧倒的 にソニーのバイオくんが上回っておりますが、いかんせん耐久性に問題 があります。少々手荒い扱いをするとすぐにかんしゃくを起こします。
つい最近まで暑かった気候がこの頃涼しくなってきたのでPCもそれに 対応できていないのかも。暑い時は暑いし寒い時は寒いし。部屋の中。 それぐらいじゃへたっちゃイカンよ。バイオくん。
はい。今日は曇りのちときどき雨。(東京地方)
2002年10月25日(金) |
将来の幸せか明日のメシか |
今日は少々長文注意報発令です。
厳しい状況になってくると将来の夢なんかは語れなくなる。 その代わりに明日のメシの種を探してこいとなる。当たり前だよね。 しかも受注利益の無い案件なんかは取ってくるなという指示も来る。 目の前の仕事を選んでいる場合じゃないけど、損するのが分かっている ならば出張なんかせずに静かに机に座ってじっとしてろとなる。
固定費(主に人件費)はじっとしてても動いても同じだけ発生する。 取ってこなきゃ管理費の回収もおぼつかなくなりますが、それすら 回収できないぐらいの安値で要求されることもあるから、そんなものは 無視して何にもせずに机に座ってろとなる。取ってくること自体が 会社への背任行為となるため。
まだ会社に余裕があったときは政策的とか戦略的とかいう言葉である ポリシーを持って赤字受注に向かうことができましたが、これは相当の 覚悟が無いとできないこと。営業部長の決裁ではダメで、担当役員とか 場合によっては社長決裁となる。それだけその案件が会社にとって重要 であることをトップに対して説明をして納得してもらわねばならない。 会社の業績に直結する話ですから。経営責任というヤツね。
個人経営であれば社長の決断ひとつで全てが解決してしまうけど、組織 を持つ会社であると、いわゆる手続きが必要になる。そこにスピードが 求められて各社苦労をして仕組み作りに懸命になっている。決裁権の 委譲とか組織のフラット化とか、あるいは決算発表時期の早期化なども スピード化の一例です。決算発表する数字は取締役会の承認が必要だし。
そんな会社の手続きのことはいいとして、自分が所属する事業の置かれて いる状況は変化に富んでて楽しい。(皮肉ね) 対象とする客先業界の 景気の波は激しいし、内輪で言うと事業の責任者が3年間で3人目。 特に大手の客先からは非難ゴウゴウです。上が変わるということは方針も 変わるということ。せっかく顔見世して情報ルートができたのに、これで また振り出しとなり、またその人となりから様子伺いをしなきゃです。
そんなこんなもありながら、上期の業績はなんとか黒字。下期はさらに 厳しい状況が予想されるから、尚一層のコスト削減と案件の掘り起こしが 求められます。来年再来年の設備投資計画は把握しているけど、それらは 必ずしも実現するとは限らない。実現性はあるとはいえ、それらが即 フトコロを温めてくれるかというとそうでない。絵に描いたモチに希望を 託してもお腹はふくらみません。だから目の前に転がっているメシの種を 探しに行く必要がある。それが易しくないから悩むんだよね。
でも出来ないからと言って諦めた時点でオシマイです。 オシマイということは会社にとって必要の無いということです。だから 難しくても何かを探してくるしかない。出来ないで済ませれればだれも がんばらないし、そのモチベーションも保てません。でも結果を出せば その報酬をもらうのは当然です。それが出来ない会社は自分から進んで 辞めたほうがいい。長い会社生活ですから自分の能力に見合わない報酬 しか与えられないのはどう考えてもやり損です。
実際に行動するかどうかは状況によりますが、それぐらいの気構えでい ないとこれからの会社生活は何が振りかかってくるかわかんないから いざとなった時のショックは大きいでしょう。そうなった時の自分の身の 振り方が固まっていないならなおさら。でも日頃からそんな気構えを持って いる人はいざとなった時も対処が出来るでしょうし、逆の場合は対処すら できないでしょう。だから日頃から会社の方針はともあれ、自分の中で 方向性を見出して今何をしたらいいのか、そんなことを考えながら目の 前の仕事に前向きに取り組むことが必要ですね。
さてこう言っときながら自分はどうかというと、向かいの席に同期入社で 強く生きているヤツがおりますから、常にそのエキスを吸ってます。(笑) 環境的には同期入社のやつが同じ職場にいると仕事がやりにくいと言い ますが、自分の場合はそんなことなくお互いがお互いの立場をわきまえて いるからライバル心とかはありません。協力しながらお互いの思いを時々 語るといったスタイル。逆に同じ土俵だと続かないかもしれない。
二人の共通の思いは会社を変えなきゃ、ということ。 新規事業はある意味、会社は理想形を模索するひとつのモデル。 本気で進出するか撤退するかを考える上でのテストケースです。 だから通り一辺倒な考えでは成功しないというのは会社も分かっている。 あとは我々がどういう形にしていくかを提案して、それが認められるか どうかを見守るのみ。やって初めて分かることが多いですから、それらの 経験をどう生かしていくかは会社が決めること。不満や葛藤はありますが、 そんなことよりも事業の方向性を考えるのに自分たちも参画できることは 正直言って迷惑なことではありません。むしろありがたいこと。
そんな将来を考える事業である部門に所属しながらも、明日のメシの種を 探してこなきゃいけないんですから、会社は相当痛んでいると言ってもいい。 とはいえ、本当にそういう状況であることは聞き及んでいますし、会社の 重荷になるのはイヤですから、選択肢は自ずと限られてきます。だから そんな限られた選択肢に集中してやればいいわけで、逆に悩む必要もない。
何を言っているのか自分でも分からなくなってきました(苦笑)が、とに かく限られた時間と資源の中で限られた選択肢に集中する。そしてそれらを 何が何でも全うする気概を持ってやる。そして願わくば利益を出して会社に 貢献する。そして自分のフトコロも温かくなる。そんなサイクルを回して いきたいですね。最終的には自分のためですから。
はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)
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