しむちゃんのつれづれ日記
文字サイズは「中」が最適なようです。

2002年12月03日(火) ちょっと面白い話

「日本マクドナルドの藤田田氏は、政府がデフレを認識したことで
インフレ政策がこれから行われるであろうと予測。そしてこれから
店舗用の用地を確保する方向に方針を転換し、ハンバーガーを値上げ
した。」

のですが、結局思惑違いで再度値下げしましたね。われわれにはあり
がたい話でしたが、裏にはこのようなことがある、ということ。

政府はデフレを認めていなかったんですね。ずっと。
デフレを正しく認識しているかどうかは別にして。

そもそもインフレやデフレは価格の上昇や下落を意味するのではなく、
需給のギャップがどちらにあるかでデフレかインフレかを言い、その
結果として価格がついてくるもの。価格が落ちている様や上がっている
様をデフレとかインフレとは言わないんですね。そのあたり、多くの
人たち(高名なアナリストを含む)が誤解している。しかも、経済白書
で述べられている数字は意図的な加工があると思われるのに、その数字
を鵜呑みにしている人も多い。ということは、多くで言われている
30兆円の需給ギャップは間違っている可能性がある。

このあたり、指摘をしている方もいらっしゃるので、一般の人の目に
触れるようにしてもらいたいところ。学会とかでウダウダやってても
われわれには見えないからね。

さぁ、明日からセミコンジャパンが始まります。
業界人を相手にオロオロしている自分の姿が想像されます。(-_-;)

はい。今日は晴れ。(東京地方)



2002年12月02日(月) 埼京線の延長

埼京線が大崎までつながり、さらに新木場まで延びました。
先週まで大崎駅に隣接するゲートシティ−からつながる渡り廊下は
日曜日から開通する埼京線に遅れて出来あがると思っていましたが、
やりゃあ出来るじゃないですか。月曜日にはしっかりつながていま
した。

大崎駅はお台場と羽田をつなぐ拠点になると言われて早8年。
ゲートシテイーの地下に埼京線とりんかい線の乗り入れ駅が出来ると
聞いていたんですが、どうやら地盤が弱く水漏れが激しいだろうと
いうことで諦めたらしい。そこで地上で考えた結果、大井町を通って
天王洲アイルを通るルートが考えられたようです。

さて今朝は今まで恵比寿で乗り換えていた埼京線が大崎まで延びて
いることもあり、早速埼京線に乗ってみましたが、これがまた混雑。
恵比寿までの時は渋谷で落ち着いていたんですが、恵比寿までは
いわゆる通勤ラッシュの様相。カバンが折れ曲がると思いましたよ。
恐らく大塚や巣鴨から外回りに乗っていた人が池袋で大崎行きの
埼京線に替えたんでしょうか、池袋から大混雑。

池袋で入れ替え、新宿で入れ替え、渋谷で入れ替え、恵比寿で半分
ぐらい降りてくれたからひと段落。恵比寿の次が大崎。降りたら
降りたで階段とエスカレーターがそれぞれ一ヶ所しかなく、ここで
降りたり乗り換える人にとってはそれだけでひと苦労。

今日、降り口が分かったから、明日からは階段やエスカレーターの
近くの車両はもっと混むんだろうな。池袋から一本になったとはいえ
乗る人が増えるから、本来の埼京線が戻ってきそう。殺人列車。
せっかく痴漢も落ち着いてきたのに、これでまた増えてくるかも。
混雑で電車が遅れるなんて、久しぶりに聞いたもんなぁ。

はい。今日は曇りときどき晴れ。ところにより一時雨。(東京地方)



2002年12月01日(日) おもしろい人物なんだけど

どうも議論を聞いていると空しくなってきた。
サンデープロジェクトでの亀井静香氏の発言。

やはり従来の景気拡大路線、つまり公共事業にカネをつぎ込んで借金を
作り続ける方向です。社会資本は将来の子孫も使うのだから返済を残し
てもおかしくないと言います。でもそれはこれから作る借金だけのことを
言っているわけで、これまでの借金の返済については何ら手を打っている
わけではありません。景気回復無しに財政再建はできないと主張してきた
自民党の失策をまた繰り返そうとしています。

景気回復を社会資本整備の視点から言い続けてきた自民党ですが、景気
回復のためには産業を活性化させることが必要なわけで、カネをばら撒く
だけになってしまった公共事業(もちろんインフラの整備は生活や流通の
基盤にはなりますが)からはもはやエネルギーは出て来ない。60年代
70年代とは違ってね。社会環境が違う。この環境の違いを無視して従来
と同じ政策をとって効果が出て来なかったのがバブル崩壊後の失政と呼ば
れるもの。一時的なカネの放出であり、しかも狭い範囲の産業にしか行き
渡らないから、全体の底上げにはならない。その狭い産業を守るために
オレは政治生命を賭けてでもそこを守ると宣言するならば別ですけどね。

これを産業の活性化の観点から持論を展開しているのなら支持したいの
ですが、どうも自民党の実力者の方々はそうではないんですね。
景気拡大と言っておきながら実はそうではないというところに、そして
小泉総理には結果責任をと言いながら、自分たちは何ら責任を取ってこな
かったところに嫌気すら感じます。これが自民党政治です。小泉首相は
支持するが自民党は支持しない人が多いのもうなずけます。そしてこの
ことに気付いた実力者たちが小泉外しをし始めたところがイヤらしい。
まったく誰のために政治をやっているのか疑いたくなります。

また経済ジャーナリスト財部氏の発言も首をひねるところもあります。
銀行をいじめても中小企業はつらくなるばかり、というところ。
これは銀行の姿勢の問題。貸出姿勢を正せばいいことなんだけどね。
彼は端から銀行イジメは中小企業イジメだと決め付けている。
一部の現象をその通りだとして、それがまともな行動であるのかどうかを
検討した後の発言だとは思えない。現象説明だけであるならコメンテータ
として出演してもらう必要はないと思うんですがね。

後からUFJの寺西頭取、三井住友銀行の西川頭取が出演しました。
中小企業は収益源である認識はあるようです。認識はあるんですが、残念
ながら説得力に欠けています。頭取自ら出演して説明を行うことは誠意の
ある行動だと思うし、報道からのみで事実を知らないわれわれとしては
何が行われたのか、どのような発言だったのかを知ることは大事ですから
今の時期に出演することは意味があると思います。その意味では評価したい。

歪んだ情報やコメントがどれだけわれわれを混乱させているか。
同情を呼ぶような発言が正しいとは限らない。われわれの生活を守って
くれるとは限らない。聞こえのいいように加工されているかもしれない。
そのあたりを見分けるためにはやはり勉強するしかありません。それを
見過ごして自分は知らないからと逃げてしまってはならないんです。
逃げても状況は改善しないからね。

国家財政を支えているのは民間企業と国民からの税収ですから、そこをどう
やって増やしていくかを考えることにエネルギーを費やして欲しいですね。
国民の誰もが生活の向上を願っているんだから、支出はすぐにでも増えます。
でも収入は簡単には増えない。だからこそかけるエネルギーの配分を考えて
欲しいんです。

懐具合を考えないでいいことばかりを言う政治家は要注意です。

はい。今日は曇りときどき雨。(東京地方)



2002年11月30日(土) 今も昔も状況は変わらない?

戦前の激動の期間をNHKが放映していました。

海軍・陸軍大臣を説得して米国との協調を望んだ近衛文麿首相。
そしてルーズベルトには届かなかった近衛の提案。

日本の行動
◆三国同盟の空文化(独伊に同調しない)
◆南北仏印からの撤退

米国への要求
◆米国は経済制裁(具体的には原油の禁輸)を撤廃
◆新しい経済通商を築く

これは当時の駐日大使グルーとの間で交わしたもので、米国本土へは
伝えないようにとしたもの。近衛の思惑としては、彼の提案が事前に
国内の反対派に漏れないようにと配慮した。これが結果的に米国政府と
日本政府との間でのズレを生じさせたといいます。

首脳会議を望んでいることだけが米国政府に伝えられていたが、近衛の
提案は本土に伝えられていなかったために交渉にならぬと判断された。
日本国内の強大な力が届かないようにと気を配った近衛の思いが、和平
を実現したいと思う願いが行動として実現できなかった。

その結果、日本では前例のない相手国での首脳会談が実現せず、そして
御前会議で決められていた期限に交渉が間に合わず、責任を取って首相
を辞任。後任として東条英機が任命され、その後の日本の行方はご存知
の通り。(後に近衛は病死したといわれておりますが、当時のことを思うと
どうも疑問です。)

それだけ天皇を巻き込んだ軍部の力が強かったことを意味します。
日露戦争でロシアに勝った記憶が日本の不幸を導いたともいえます。
天皇が現在のような象徴でなかったことも不幸を増大させたかもしれま
せん。国家権力のトップでありながらも事実上の支配はしていなかった。

明治時代の頃と仕組みは変わらなくとも外部情勢が大きく変わったことに
国内がついていっていなかったのか。それとも戦争好きの日本人の血が
周囲の動乱がきかっけとなって騒ぎ出したのか。あるいは天皇に謀反を
起こす思想を持った人間たちが権力を奪い取ろうと目論んだのか。

広島・長崎に原爆が落とされてから57年。
終戦をもってここでひとつの歴史に区切りができたのですが、武力を捨て
させられ、その代わりに経済の復興に勢力を注ぐことで大きくなってきた
日本。軍事力の維持や増強をするためのコストを経済活力の増大に配分
してきたからこそ今の日本がある。

自衛隊への配分を維持できるのも、経済が強いからこそできること。
こんな日本があるのはアメリカとの関係があるからこそと言わずに他に
何があるだろうか。国力にかけるコストの有り様が違いすぎる。

であるならば、日本の経済が停滞してモタモタしているなんてことは
もってのほかと言われても仕方ありません。経済を良好にするコストは
十分かけられるはずだから。それができないってことはどういうことか。
間違った使い方をしているんじゃないのか、という見方もあります。
これを国民レベルで行っているのならば、国民総勘違いになります。

多数をもってそれを正義とするならば、少数は常に悪になります。
どんな時代でも冷めた目で多勢に巻き込まれない考え方をすることは
必要です。他人がそうなんだから自分もそうするというのではなく、
まずは自分を基準に周りを見てみることしてみたらどうでしょう。
それで周りのことに納得すればそうすればいいし、納得できないなら
どうして納得できないかを意見してみる。会話とはそういうところから
できるんじゃないでしょうか。

そういった意味で、今の政治は多数派が正しくて、それに反する者は
間違いだ、悪だとする環境ははなはだおかしい。今までの政策が正しい
ものであるならば適正な経済環境であるはずだし、小泉首相のような
「変人」は必要ない。自分の間違いを棚に上げて国家感をぶちまける
古い人たちは退散すべきです。変化の時代についていけないボケ老人です。

経済発展の時代に自身のフトコロも暖かくなった政治家はその頃のいい
時代を忘れたくないんです。ただそれだけです。だから国の行事を増や
して自分の活動の場を増やしていかにも貢献しているぞというところを
見せたいだけなんです。物事が動けばそこに利権が発生しますから、
それを取り込んで自身の利益が少しでも増やそうとする。権力とカネは
表裏一体です。そこに政治のネジレがあると思う。

政治にカネはつきものなので全ては否定しませんが、そのことを除いた
としても国民に利益が生じるようなことをしていないのであれば、それは
政治家として給料をもらう資格はないと思います。政治家の給与は国庫
から出ているんですから。つまり税収や借金から賄っているんですから。

収入が減ったら支出も減らす。至極当たり前のことです。
国力が低下したのに昔の幻想に取りつかれていたために起こしたのが
戦争です。収入が減っているのに支出を減らそうとしないのが今の政治
です。なんだか似ていると思って取り上げてみました。60年前と今。
近衛文麿のように抹殺されないように祈るばかり。小泉首相。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2002年11月29日(金) 木村剛氏の説明

あの木村剛氏がニュース23に出演して不良債権処理について説明
しておりましたが、彼の説明は分かりやすかった。
というのも、いわゆるメガバンクと呼ばれる大銀行が行っている
融資貸出企業への貸出姿勢についての説明だったから。

銀行に対する不良債権処理が進まない理由として、銀行は中小企業
イジメ(貸し渋りや貸し剥がし)をしており、そこで窮地に陥った
中小企業は政治家へ助けを求め、それを受けた代議士は不良債権
処理は間違った行為だと騒ぐからだと。

銀行のメリットは、それを意図的にすることで不良債権処理を進め
られることに歯止めをかけることができること。

政治的なメリットは、不良債権処理を進めることは中小企業イジメ
だと騒いで小泉内閣にけん制をかけることができること。

そもそも銀行の貸出姿勢に問題があることを指摘。
それは、銀行としては誰が一番収益の上がるお客さんかというと、
社債やCPを発行して低金利で資金調達の出来る大企業ではなくて、
低利で市場から資金調達の出来ない中小企業や個人から。ここに
メスを入れるのではなく、大企業に手厚い保護をしている姿勢が
問題だと指摘しているのです。債権放棄とかは最たるもの。

貸し渋りや貸し剥がし、あるいは金利を吊り上げるのはまず大企業
であって、そこにメスを入れることをしろと言っているのです。

ご自分で銀行からお金を借りるのに何パーセント金利がついていると
思いますか?おおかた8〜10%付いているでしょう。
銀行は短期金利として限りなくゼロ金利で調達できるのです。
そのサヤは貸出金利そのまんまですから、いいお客さんです。

中小企業の金利はそこまで高くありませんが、似たようなものと考えて
もらってもあながち間違いではないでしょう。だから中小企業は銀行に
とっていいお客さんなんです。そこをイジメているんです。

メッセージとしては十分でした。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2002年11月28日(木) オペラが好きな変人

小泉包囲網ができつつあるようです。
しかもこれは自民党の内部にです。

国民から支持を得た小泉首相に対して自民党には相談しない
失礼なヤツだというレッテルを貼っているところに、古臭い
自民党のやり口が見え隠れします。

力を持っているオレに相談無しに勝手にひとりでものごとを
決めやがって、バカヤロウとでも言いたげです。

力を持った議員のところに仕事が行って、そこからさらに
権益が集中するから悪い循環になる。権益が集中すると思惑が
交錯するからそこに裏工作をして権益の移動をカネで解決する
方向に走ってしまう。そこに議院が関与する。関与するという
ことは、それだけで議員の権力を見せびらかすことになるから、
その権力についてくる人間を手玉にとって自分の思うところで
使ってやることがその人間への恩義であり、権力の誇示になる。
恩義を受けた方は背くことができなくなるから言うことを聞く。
いいことであれ悪いことであれ言われれば聞かざるをえない。
そこに大きな勘違いを生む仕組みがあると思います。

市議より県議。県議より国会議員の方が偉いのか。
確かにより多くの市民から投票されて当選しているから支持する
人は多いでしょうが、それがそのまま偉いかどうかは疑問です。

偉いと思うのはあくまで動かす範囲が広いからであって、きめ
細かいところまで見ているかどうかについては、より市民に
近い議員の方が見えているはずです。そういう細かいところは
市議のテリトリーであって、国会議員の口を出す範疇ではない。

国政を預かるものが地方自治まで口を出すのは越権行為だと
クレームしてもいいと思う。逆に言うと、国会議員の権力が
あまりに大きくなってしまって、それに頼る市議や県議が多く
なってしまっているとも言えます。それこそ自身の努力が足り
ないことの表われであり、恥じるべきことでしょう。これを
堂々と虎の衣を借りている市議や県議がいるとすれば、そんな
人たちは排除すべきであり、1票を投じる必要はない。

小泉首相が自民党に反旗を翻しているのも、そんな間違った
自民党の思いあがりに一石を投じたい思いでしょうし、本来の
国政とは何ぞやと問うているからだと思います。

中曽根元総理は小泉首相のことを、首相になる前はオペラと
演劇が好きな変人だと思っていた、首相になればそれなりに
変わるもんだなぁ、なんておとぼけになっていましたが、彼は
小泉首相を推した人。最後までずっと推し続けて欲しいもんです。

青木何某とか江藤何某とか亀さんマークとか野の字とか龍さんとか。
大物議員といわれる抵抗勢力はたくさんいますが、負けずに
頑張って下さい。相談無しで怒らせてもいいから。

ただ、自民党での政治家としての生命は短いんだろうなぁ。
そんときゃ離党して新党を旗揚げしておくんなさい。自民党の
腹黒ーいやりくちに飽き飽きしている人は多いですから。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2002年11月27日(水) 政治主導か官僚主導か

そりゃ現実的には目に見えて官僚主導でしょう。
でも国民を動かせるのは政治家です。国民の民意を問うた訳ですから。
だから政治主導であるべきなんです。

自分の専門分野で、自分の世界で動くのが官僚。
そして自分の動きやすいように操ることを目論むのが官僚。
だから無知な政治家はこれらの官僚の手玉に取られることになり、
自身の掲げる政策をまっとうできることなく、いずれ民意を問われて
去っていくことになる。

これは政治家の勉強不足もさることながら、われわれ国民がだらしない
ことでもあるんです。国民は官僚を動かせない。でも政治家は動かせる。

政治家に政治家たらせることを促せるのはわれわれ国民です。
政治家が官僚の代弁者になってしまってはいけません。
政治家はわれわれ国民の代弁者であるべきで、そのあたりを勘違いして
しまうとあらぬ方向に向かってしまうこともありえます。われわれ国民は
政治家が政治家とはなんぞやということを常に考えてくれるように接して
いく必要があります。それは投票だけにとどまらず、その1票の重みを
感じさせることです。オレが1票を投じるためにはあなたのこういった
ところをこうした方がいいと、意見をすることなんです。自分は何を
求められているのか、何をすべきなのかを考えさせることです。

マスコミの政治家に対する評論は、ややもすると官僚の思惑に揺さぶられ
ることがあります。それはネタが官僚からのものであるから。だから
新聞の論調には常に懐疑心をもって接していないと、すべてそれが正しい
と思っていたがために思わぬところで足元をすくわれかねません。

オレは日本を動かしていると勘違いしている官僚のいいなりになっている
政治家は失格です。官僚は自分のシマを守ることが一番の目的で、国全体
を広い視野で見ることは出来ないと思えます。自分のシマ以外の領域には
責任が取れないし、言わせてくれる土壌もありませんから。いわゆる
縦割り組織の中ではいわゆる政治は出来ないんです。政治の一端だけ。
その一端をもってオレは国を動かしているなんてのは勘違いだと言いたい。

でも、こういう重たい話は気が重たい時には難しいなぁ。
国益とは何ぞやなんて言っても、自分の仕事に滅入っているような状況で
あるときは考えたくもなくなるからね。日本全体のことよりも自分のこと
の方が大事だから。結局、狭い視野でしか物事を考えられなくなる。
これじゃあ、いかんからね。

というわけで、もう寝る体制に入るとしよう。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2002年11月26日(火) 会社人間なのかねー

風邪の時に大酒飲んじゃいかんね。
朝起きたら頭がグラグラしていたんで二日酔いと思いきや、
身体が熱っぽい。こりゃイカンと思って会社を休みました。

昨日は会議でほとんど一日中仕事らしいことはしなかったので
やることはあったのですが仕方ないです。

ただ事務屋のメリットは会社にいなくても出来る仕事もあること。
いわゆる「つなぎ」の役目をしていることもあります。だから
自分がいなくても物事が進むんでしょうが、いかんせんこの
「つなぎ」はうまい具合に使われる役目なので、いなけりゃ
いないで不自由するみたいです。

少なくとも会社を休んでいるわけですから会社にいる時と同じ
ように電話でのやり取りをするわけにもいきません。だからメール
でのやり取りになります。メールだと電話代がかからないからね。
もちろん、これを行う前提はあらかじめ物事が進んでいること。
最初からいきなりメールでアクションを起こすのは難しいです。
あるいは相手の顔が見えていること。いくら仕事とはいえ知らない
人からの頼まれごととか連絡事項には反応が遅くなりがちだから。

とはいえ、メールの相手から「休みの日ぐらい仕事は忘れて・・・」
なんて気遣いされちゃって。迷惑をかけたので明日はお詫びしなきゃ。

さっさと寝よ。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2002年11月25日(月) となりの鶴やん

隣にはIR広報室がありますが、もう片方には営業統括室があります。
そこの室長が愛称「鶴やん」。

鶴がつく名前であることは想像に難くないと思います。
本人は「たまちゃん」が鶴見川に移動したとき「つるちゃん」と呼ばれそう
になったときには、そりゃもう大騒ぎでした。でも周りは冷静で、だれも
つるちゃんなんて呼んでいませんでした。もちろん自分もそう。

その鶴ちゃんと今日飲みに行きました。
とはいえ、安くあげようと会社の2階(昼間は食堂なんですが、夜は飲み屋
になる)にして、同僚2人を誘って行きました。

この鶴ちゃんは阪大の生物学専攻の院卒で昭和47年入社。
会社生活としては大先輩です。若い時は何をなさっていたのか知りませんが、
理系であるのに、ある時からある事業部の管理部長、その後苦労して、今年
の9月から本社の営業統括室へ異動になりました。

飲んでいて分かったんですが、この人は大物のようだ。
いわゆる権力を持っているというのではなく、実行力と責任感に満ちた人。
昼間はなんだかおそろおそろしくて声をかけるのは朝の挨拶ぐらい。
自分の場合はほとんど仕事の話はしません。するとすれば、彼が明治大学で
講演をするそうなので、そのプレゼンの資料に若い衆として目を通してくれ
と言われて、その感想を述べた時ぐらい。

ウチの同期は彼を上司にしようと企んでいる。
それは今の上司があまりにも馴染まないと感じているから。
馴染まないというのは事業に対する姿勢の問題。これは下につく者としては
大きな問題なんです。前の上司と今の上司の考え方が大きく変わるのは
自分たちの仕事の仕方にしても、客先と接する態度にしても変わってくる。
自分たちのやり方だけならまだしも、客先が困るよね。

ま、そんなことはいいとして、彼が上司になるとやる気が変わるような気が
する。それは彼が前向きなポリシーを持っているから。部下ととことん議論
をし、そこから出てきた結論に対しては部下にやらせて彼は責任を取る。
口だけでなく。そんなところに信頼感を感じるんです。

言いたいことはたくさんありますが、何せ酔っ払って頭がパーな状態。
今日のところは寝させてください。おやすみなさい。

はい。今日は曇りときどき雨。(東京地方)



2002年11月24日(日) 色覚異常と色盲

TBSの報道番組で取り上げられていたのですが、自身が強度第1色盲
であるおふたりの活動について紹介されていました。

「色盲」というと、色が全く認識されず、見えるものが全て白黒であるかの
ごとく認識する人で、一般的には視覚異常者と思われている人です。これに
対して、色盲とはこういう説明をされています。

”我々は多少なりと遺伝学の素養がありますので、色盲は「ポリモルフィズム
(遺伝的多型)」であり「異常」ではないと考えております。「遺伝的多型」
というのは、ちょうど血液型にA型B型などさまざまなタイプがあるように、
ある遺伝子に何種類かの異なったタイプが存在する、という意味です。
何種類のタイプのうち、そのようなタイプの遺伝子を持っている人はほとんど
生き延びることができないとかいう場合には、それを正常・異常というふうに
区別することも不可能ではありません。しかし色盲の場合、人類の長い歴史の
中で、男性の5%以上という高い頻度で存在し続けているわけですから、生存
に不利なものでもなく、極端にめずらしいものでもありません。従って色盲は、
「異常」と定義するよりも「遺伝子のタイプ」と認識すべきです。

(中略)
 
このように色覚「異常」とか色覚「障害」という表現は、色盲の人は「正常で
ない」「害を持っている」ものであるという価値判断を根底に含んでしまって
います。これにくらべ色「盲」という言葉は、色が「見えない」という客観的
事実だけを表現しており、無用な価値判断を含んではいません。従って「色覚
障害」や「色覚異常」よりは「色盲」の方が、正確で問題が少ない表現だと
思っています。 ”

ここには「正常」とか「異常」とかいう考え方ではなくて「多い」か「少ない」
(あるいは「ない」)かの違いであると説明されています。多数をもってそれが
当たり前のことで、少数の部類だからと忌み嫌われるというのはおかしいと。

少数をもって例外、異常、奇異などと捉えるのはそうでない人からするとそう
かもしれませんが、そこに当てはまる人からすると差別的な言葉になります。

言葉に対する議論はあるけども一方では、

”過去数十年間、ずっと言葉の言い換えが議論されてきましたが、そればかりに
エネルギーが費やされ、具体的な提言が出ていません。大切なのは、色盲の人が
暮らしやすい社会を作ることであります。それが達成されれば、色盲への差別も
根拠がなくなり、自然に消滅してゆくと考えられます。そのような社会を作る
ためには、色盲の人しか気付かないような具体的で建設的な提言をしてゆくこと
の方が重要です。”

日本人男性の5%(約300万人)、白人男性の約8%は、赤や緑の混じった特定の
範囲の色について、差を感じにくいという視覚特性を持っているそうです。
これを血液型と同列に議論するのはいささか無理があるとは思いますが、いず
れにしても、遺伝的な素子は本人にはどうすることも出来ません。これだけの
数の人が存在するのですから、その人たちにとってどうすれば生活しやすい
社会になるのかを考えていくことが大事になると思います。

ただ、ここでの提案は色盲ではない人からは出しにくいこと。分からないから。
だから色盲の人から提案をしてもらわないとどうしようもないという問題も
ありますが、いずれにせよ、分かり合うという気持ちが大切になってきます。

ちょっと神経質になりやすい問題でしたので、コメントは控え目にしました。

はい。今日は雨のち曇り。(東京地方)


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