2003年01月13日(月) |
自分に一生懸命になるというこだわり |
ぐうたらして午後はのんびりテレビを見ておりましたらあるドラマで、
「人の心を分からないヤツにプロのミュージシャンなんかできないよ。」
「ミュージシャン」のところを「芸術家」と置きかえると思い浮かべる 人間がたくさんいるような気がする。
技法や理論でいくら優れているとしても、人の心に訴えるものが無ければ お金を出して買ってくれる作品にはならないでしょう。お金を出してまで 聴いてみよう、観てみようとするには、その作品に感じる何かがあるから こそだと思う。作る側ならば、聴いてもらいたい、観てもらいたい、そんな 純粋な気持ちから生み出された作品っていうのは作者の思いがその表現に 表われてくると思う。もしそれが出てこないならばそれは技術的に未熟と いうことになるんだけどね。あるいは本気でないか。どちらかだね。
商売の世界ですと、CS(Customer's Satisfaction)とか、VOC(Voice of Customer)とかいう言葉が使われます。顧客が何を望んでいるのか、どういう 思いがあるのか、そこから何をすればいいのか、自分のことは顧客が一番 知っているという観点からのアプローチです。
一方向からだけのメッセージならば、例えは悪いですが、北朝鮮の国民と 金正日との関係のようなもの。国民が本当に望んでいる首長であるかどうかの 検証すら出来ませんね。悪く言えば7代後まで厳しい扱いを受けますから、 もし批判や反乱をするなら家族ともども国外に逃亡しなければなりません。 天皇批判をしたら体罰を受けていた日本の戦時中と同じかもしれませんけど。 仕組みは違うでしょうが、社会の思想としては似たようなもの。許されない。
戦争に負けて日本はそういう思想が否定されましたから、どこに自分を 置けばいいのか、拠り所をどこに置けばいいのかを必死に模索していたと 思います。苦しい生活を必死に耐えぬきながらも、精神的な拠り所をね。 そして軍事を捨てた日本では、いかにいい生活を送れるようになるか、経済 的な向上に皆の思いを向けることができたので、とにかくがんばってお金を 稼ぐことが幸せになることだと考えてきた。家庭のことよりもね。
今はどうでしょう?そんなに必死で生活を送らなければならない人は、どれ だけいるでしょうか?今日のご飯が食べられないで、池や川の魚を取ったり 野草を食べたり、自前の菜園を作ったりしないと明日を迎えられない人は どれだけいるでしょうか?貧乏だと言っている人の程度が違います。 (そんな人なんかいないとか、時代が違うんだよねなんか言う人は、そう いう環境に置かれたことがないだけ。あるいはそういう環境にある人を 見下して自分とは違うと差別しているだけ。)
どんな世界に生きていようが同じことでしょうが、自分が何のために生きて いるのか、それを見つけるためにとにかく目の前のことをやってみる、そんな 中で自分が何をしたいのか、何をやろうとしているのか、そんな生き方って 泥臭くないと思う。仮に泥臭くても否定してはいけないと思う。
クールに構えるよりも自分のことに一生懸命になるって大事だよ。 自分のことに一生懸命だと、そこに関わる人のことにも一生懸命になれる。 あくまで自己中心にならず、自分にこだわる。特にプロであればあるほど こういったこだわりを持って欲しいですね。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
2003年01月12日(日) |
きっとあの人だろうよ |
”吉本隆明が読む「現代日本の詩歌」”というコラムがあり、そこに 吉岡実の「静物」が紹介されていたので少々コメントしようかと 思いましたが、あまりに自分の知識の無さに気が付いてやめました。
この「静物」が発表されたのは昭和30年。あの「太陽の季節」が 出版されたのと同じ時期。トランジスタラジオがお目見えした頃です。 トランジスタはLSIとなり超精密な形へと進化しましたが、詩や 小説は戦後の文化を維持し続けている。というか、まだその頃に 盛んだった人たちが生き残っており、また弟子たちへの継承が脈々と 続いているので形態としては大した変化は無い。逆にいうと、新しい 展開を拒否し続けている世界なので、新たな人間が出難いという文化 を持つ、いわゆる伝統的なところです。長い目で見れば、数十年で 変わる文化というものはすぐに廃れて消えてしまうものなので、そう 簡単に変わってもらってもいけないんだろうけどね。
さて話はガラッと変わります。 毎日新聞の特別編集委員である玉置和宏氏が言っておりますが、デフレ 克服とガン克服は似て非なるレトリックが存在するが、デフレはガンでは ないのでデフレを克服して歓喜に至れと大合唱するのは文化的な意味で 先進国がやることではない、だがもっと人の悪いのはデフレ克服と日銀 総裁人事を一緒にして、デフレ克服をやれる人を総裁にすると言い放って いる小泉首相に苦言を呈している。
70年代前半や80年代後半に政府・自民党からの圧力に屈した愚かな 日銀総裁ではなく賢明なる頑固さを持った人が欲しいと。
この人は歴代の日銀総裁に取材を通じて、ひ弱な人格者は要らないと 言い放ってくれている。しかしこれはこの人の見解であって、必ずしも 自分は彼らがひ弱だったから政策を誤ったとは考えていない。逆に、 政府・自民党からの圧力を回避できる日銀の独立性を確保するために 知恵(悪巧み?)を出した結果がバブルであり、その崩壊であったと考えて いる。政府からの独立はできたんだから、ひとつの目標は達成できたかも。
何を言いたいのかというと、日銀のお歴々は彼が感じたほどひ弱な人たち ではなく、結構腹黒いところを見せていなかっただけ、ということ。 会っても話もしていない人たちのことを言うのも何なんですが・・・。
意図的にバブルを作って壊して、その後始末を政府が行っても出来ない のを横目にほくそえんでいるのは日銀の一部のエリートでしょう。 お歴々の中でも一部の人のことね。ただ、ここで処方箋を作れなかった ならば、ここで日銀エリートの権力奪取はできなくなってしまうので、 時期の日銀総裁については、政府・自民党がどう考えようとも恐らく 候補のめぼしは付けていると考えられる。(つまりエリートと言われた 人たちの声がかかっている人のことね。) →福井俊彦氏 富士通総研理事長(元日銀副総裁)
ま、この人も自民党の一部(森派幹部)から反対されているけど。 この人に日銀総裁をやらせて、そのお手並みを拝見したいところ。 一度経済崩壊をさせているんだから、さすがにそれ以上の崩壊をさせる ことはしないと思いますからね。ただ、任期中に政府が予期もしない 特効薬を出してきたら、慌てて壊す方向に行っちゃう可能性は否定 できないから怖いっちゅーたら怖い人。とにかくこの人は日銀の独立性 を大事にしている人だから、政府とは対立するかもしれないね。自分 としてはそこが見たい。次期日銀総裁人事。
はい。今日は晴れ。(東京地方)
なるほどねぇと思いました。
「坂本竜馬や勝海舟ら明治維新の英雄は外圧を利用して日本人同士の 殺し合いを仕掛けた人たちだ。」
これは、外圧を使って国内問題を解決しようとする発想を変えるべきだ という、ソフト販売会社アシストの社長であるビル・トッテン氏の発言 です。誰も日本人のために日本を本気で良くしようとしているとは思え ない、日本の価値観、やり方を基準にして考え、やはり問題というならば いいのだが、そうでないように思えるというもの。
例えばBIS(国際決済銀行)規制というモノサシを導入することで、 この基準に到達しない銀行は、国の介入(つまり公的資金の注入)を行う としているもの。こんなバカな基準は必要ないと言え、と。
ただこれについて言えば、日本にいる以上は日本語以外の言葉を知る 必要がない、と言っているのと同じ考えのように思える。ヨソの国を 知る必要がないなんてことは今の時代に通用しない。少なくとも海外と 商売をしている企業にとっては海外のスタンダードを知らずして商売を するリスクが大きいことを知っている。あるいは国際的なルールを知る ことにより、海外との取引で発生するリスクを最小限にとどめようと する行動を取っています。
日経の用語解説からBIS規制についての解説を引用してみます。
”規制の狙いは、銀行が経営体力を上回るようなリスクを抱えて、経営の 健全性を損なうのを防ぐことです。自己資本が比較的薄いにもかかわらず 積極的な融資を展開し、資金量で世界の上位をほぼ独占した邦銀の存在感 に欧米諸国が警戒感を抱いたこともきっかけになりました。BIS規制の 導入後、邦銀は融資内容の見直しを迫られました。98―99年の金融 危機では大手行でもBIS規制での自己資本比率8%の維持が難しくなり、 公的資金注入につながりました。”
要するに国際的なスタンダードを受け入れることにより、邦銀は国の介入 を受けることにより、否応なく貸出先の選別をせざるをえなくなり、結果 的には厳しい時代になればなるほど苦しい企業の救済が出来なくなる姿勢 になってしまったことがあります。ここに銀行は本来の使命が薄れてしまっ たという理由があります。(企業を育てる、生かすということね。)
邦銀の主戦場は国内ですが、資金調達先は国内にとどまりません。 ということは、海外の投資家からしかるべき評価をされるということで、 そのための指標として国際的な財務諸表が必要になるであろうし、BIS 規制を受けてそれを遵守していることで信用を得る。
日本の価値基準を大事にするというのなら、国内だけで生きてきた建設業 なんかがダメになったことをどう見るのか。国内のぬるま湯に浸かって きた業界がダメになったことは、その経営の厳しさを見失った結果である ことは否定できません。ヨソ者を除外する排他的な体質が助長した結果で あると言わざるを得ません。これは海外勢を参入させない国の姿勢もそう ですが、ある固定した企業群以外の入札を排除している入札制度も影響 していると思えます。実績のない企業は資格すらありませんから。新規 入札ができない制度になっています。
国内だけでの競争になってしまうと、どうしても排他的な方向になって しまいますので、海外の恐怖を味わわせることが、より真面目にまともに 行動する企業の姿勢を作り出すんじゃないでしょうか。
政府がこういった排他的な、あるいは規制で海外を排除する方針を採って いるうちは、なまぬるい環境にどっぷり浸かってしまってダメな企業を 助長することになるんではなかろうか。
右肩上がりの経済ではなくなった以上は余裕のある商売は出来ない。 ということは、いかに付加価値をつけてそこにお金を払ってもらうか、 そういう視点で商売をしなければ勝ち残ることは出来ない。お金を払う方 も受け取る方も余裕がないんだから、いかにお互いがメリットのある取引 をするかということに専念するから、経済成長時代とは異なる考えで商売 をしなければなくなる。それを変えずにいるところは時代に置いて行か れることは必然。
そういう意味では外圧は必然です。 (必然というのは頼るなってことも言いたいわけなんだけど・・・。)
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
2003年01月10日(金) |
使わざるを得ない言葉 |
今日はちと飲みすぎた。鶴ちゃんからのお誘いだったので。 (鶴ちゃんというのは、本社の営業統括室長のこと。) 大阪の営業部長と、後から人事の部課長クラスの人も加わって言い たい放題のことを言ってしまったけど、それを許してくれる環境に あるのはいいことだと思いたい。(酒の席だし・・・)
さて、 毎日新聞に掲載された社説のひとつに対してひとこと申し上げたい。 「政府の間違いを正す行動を」という題名で奥田経団連会長の年頭 会見でのコメントで、デフレを無理に抑えこむことに異論を唱えた、 ということを取り上げたもの。
政府の公式なデフレ解釈が、「継続的な物価下落」を指しているから といって、デフレを克服するために経済政策を行っていると短絡的に 考えるのはいかがなものか。
デフレを正しく理解しているならば、デフレ克服という名目で経済 政策を行っていることを批判すべきだと思うんだけど。
物価下落に対する対策とデフレに対する対策は似て似つかぬもの。 言葉を混同して(つまり物価下落をデフレと言い換えてしまう)いる 状況を正しく国民に説明することなく、ある意味それを都合良く使っ てしまうことで何とでも言える状況を作ってしまっているんじゃない だろうかと疑うことを何でしないんだろうか。新聞は。
そういう意味で「政府の間違い」とは経済政策のことではなくて、 デフレを物価下落と解釈していること。だから今行われている経済 政策は物価下落に対するものだと考えるほうが自然。だとするならば 政府が行う経済政策が無意味であるとして批判できると思うんだけど。
というか、いろんなところでデフレの意味を誤解しているんじゃない だろうかと思える。そして自分が誤解していることにも気付かずに 批判を展開している人があまりにも多すぎるという事実もある。 ということは、それを見ている一般の人はそれを信じて間違った見識 に陥るという危険性がある。アナリスト、マスコミには特にそのあた りを考え直して欲しいと思う。
「デフレ=物価下落」ではなくて、デフレによる物価下落はあくまで ひとつのパラメーターです。物価下落をデフレと称するならば、公共 価格を下げればデフレ、上げればインフレになるということも言えま すが、デフレを克服するためには公共料金を上げれば効果があるだろ うという議論にもなる。これはおかしいでしょう?
一般に出回っている言葉が、間違って使われている言葉が、政府も 使わざるを得ない状況というのが、経済白書にも「物価デフレ」と 言わしめているところからもうかがえますけどね。
ただ、間違った言葉が使われているとしても、その正しい意味を知っ ていれば、その文章で何を言わんとしているかが分かるので、ただ 呆然とながめるだけにとどまらなくなるでしょう。そういった意味 でも正しい知識を持つことは大事ですね。
はい。今日は曇り時々晴れ。(東京地方)
2003年01月09日(木) |
教育はするものかされるものか |
派遣さんの教育は難しいです。 難しいとは言いながら、ここで諦めたら採用した自分の能力を 疑われるので、簡単に諦めるわけにはいきません。
やる気のある、前向きな気持ちを持った人という要望を出し、 それに見合うと思った人を採用したわけですが、どこで引っか かっているのか、本人いささか当惑気味です。その割りには 他にやることないかと言っておりますので、恐らく消化不良で 行き詰まっていると思われます。それがどこなのか分からない。
明日からもう一度原点に戻って教えてみようと思う。 仕組みが分からないなら仕組みのこと。操作が分からないのなら 操作のこと。どのような帳票があるのか分からないなら帳票のこと。 あるいは業務フローなのか製番体系なのか誰が何を知っているのか 分からないのか。とにかくもう一度おさらいです。ある程度は 時間をかけてこなしているんだから、全く分からないわけではない。
あるいはこちらが要求していることが高すぎるのか。 社員がサポートしなければこなせないようなことを強いているのか。
相手が分からないことをこちらが察してあげるのは、こと仕事に 置いて言えば、それだけこちらが分かっていなければならないと いうこと。いい加減にしか知らなければ相手の分からないことなど 知るすべもない。恐らく自分はそんな状態かもしれない。
自分がわからないことは相手に分かってもらえるはずがない。 教えながら自分が教わることもあると思えば、やはり何とかして 相手に分かってもらえるようにしなければならないと思う。 そうすることで自分も向上するはずだから。
それにしても2ヶ月ほどもこんな状態のまま放っておいたのかと 非難の声が聞こえてきそうだなぁ。誰も言わないけど。とにかく このままでいいはずはないんで、明日から教えて教えられての日々が 続くでしょう。
はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)
ノドをやられました。 痛いというか、のどの右側のあたりに何かがつっかえているよう。 何かがベターっとくっついているよな。タンでも絡んでいるような。
ノドもとを押さえてみると少しリンパ腺が腫れているような感じ。 なんで、会社に電話して休みを取りました。
ちょいとやることあったので、いくつかメールでの連絡をした後に 寝た。エアコンつけっぱなしだったけど、汗もかかずに寝てた。
この部屋は前からそうですが、乾燥しているんだよね。 分かってはいたので加湿器を買おうかと思ってはいたんですが、 どれがいいのか迷っていた最中でね。遅かったか。
明日はやることあって会社を休めないので、ちょいと抜け出して 病院に行こうかと思ってる。この時期にこんなんじゃ、いつもの 2月のヤマ場(いつも2月に熱出して寝込む)が越えられない。
というわけでさっさと寝ます。
はい。今日は晴れ。(東京地方)
兄嫁からメールをもらいました。 題名は「花音(かのん)の力」。
どういった内容かというと、娘が兄貴を変えた、というもの。 どちらかというと子供に関しては無感動・無関心の兄貴であったのに ある時から子供の表情や態度に付き合うようになったと。それまでは 泣こうがわめこうがただ眺めているだけ、あるいはだっこしている だけの兄貴が、泣いたらあやし、言葉を発したらそれに呼応する。
子供は親を変える力があるもんだと妙に感心している兄嫁のことばが 自分に切々と訴えかけているような気がして、子供を持つことって やっぱりいいのかなぁなんて思ったり。いやぁ、兄嫁は兄貴のあま りにも無関心な娘への態度に対して不満を漏らしていましたから。
ってか、わたしゃあ子供欲しいです。 近頃は子供が欲しくない女性が増えましたが、そんな人とは結婚は したくない。これは自分のポリシー。どんなにきれいでかわいくて スマートで魅力的で、性格的にも申し分のない人であっても、子供が 欲しくない人であれば、飲みの相手、遊びの相手以上の関係は作れない。 (恐らく全てを備える人は自分の前には現れないでしょうけど。)
あ、これは心境の変化じゃないっすよ。 環境も何ら変わっていないし。環境を変えたいという思いの表われと 思って下さい。変な勘ぐりはしないように。(笑)
はい。今日は晴れ。(東京地方)
2003年01月06日(月) |
まだまだ疲れが取れず |
実家から東京への戻りは運良く直接的な雪の影響も無かったので あるいみ強行突破の様相でした。みながみなここぞとばかりに 集中してしまいましたから渋滞に継ぐ渋滞の中、仮眠も入れずに ただひたすら早く戻りたい一心でしたから。
日曜日は朝からゆっくりしていましたが、それでも今日は疲れが 取れず、朝からぐったり。始業時間からの社長の年始の挨拶も まったくもって聞いておらず。立ったまま寝た状態。
日中はずっとボケ状態だったので、今日は定時でさっさと帰宅。 目の前に近づいている問題をどうするかを考えなきゃならないので 今週はそのことに集中して時間を割く予定。
自分の立場を守るとかどうとか言っている場合じゃなく、会社に 貢献できる事業かどうか、そういう観点で冷静に考える必要がある。 社員にやさしい会社ほど潰れる可能性がある会社だと思っている。
自分のクビを絞める結果になろうとも、それが長期的に収入の道を 開くとするならば、目の前の苦しい状況は大した問題じゃない。 会社が苦しい時には社員も苦しくなければ改善の見込みもありえない。 だからあと1年間、昨年と同じ給与レベルが下がったままであっても、 文句は言いつつ踏ん張るしかない。その1年の間に原資を蓄えて くれればいい。もしそうでなければ会社は裏切り者になるので、社員 からも投資家からも見離されることになる。
今年はアメリカの動きが日本経済を左右することになるかもしれない。 そういう不安定な要素が存在しますから、それだけにギリギリの生活 をするわけにはいかない。使うべきところへは消費もするけど、そうで ないことには自分を律して財布のヒモを緩めないようにしなきゃ。 年末には愛車の車検が待ちうけていますが、社会人になって初めて 車検を受けることになるかなぁ。
はい。今日は晴れ。(東京地方)
2003年01月05日(日) |
人間の存在そのものが・・・ |
昨日の夜から徐々に高速道路の状況は悪くなったようです。 現在でも速度制限や通行止め、雪による事故渋滞など、いつもなら 想定もしていないような場所で起きています。いつも積雪がある ところならばそれなりに準備しているんでしょうが、利用者側も 公団側もいくら時期とはいえ、予想していなかったでしょう。 この土日は。
自分ことだけ考えると、1日早くても、1日遅くても、状況は良くは なかったので、いいときに帰ったもんだと思います。無事に帰れたし。
温暖化の影響で暖冬が続いております。 各地でこの10年はそれ以前より雪の量が減ったと聞きますし、 自分が小さかった時より、福岡でも雪の量は確実に減っています。 にもかかわらずこの時期の積雪は昔に戻って喜ぶべきかそうでないか。
夏は夏、冬は冬であることが日本の四季を形成していると思います。 その四季が崩れるのは暮らしや文化に影響します。もちろん食糧も。 人間という生命が豊かな(より楽な)生活を求めてインフラも物資も 変化しておりますが、それがそれらを作り出した人間に本当の意味で 貢献してくれているのだろうかとマジメに考えるならば、必ずしも そうではないかもしれません。かもしれないと言っているのは、疑いを 抱いているからです。
人間の暮らしが良くなるために、例えば水害から市民を守るために 堤防やコンクリート底、あるいはダムもそうかもしれませんが、それ らを作ることばかりが優先されて、経済的な観点でも環境保護の観点 でも、作らずに済ませる方法が決議されなかったことは、ある意味 われわれにとって不幸なことかもしれません。環境にやさしいという 触れ書きで、コンクリートで固める河川工事は今でも行われています。 これは環境に対してでなく、人間に不都合なことを排除しているだけ。
東京の一極集中なんかも温暖化の温床ですね。 小さい政府を目指して霞ヶ関の機能を分散させることを、そろそろ マジメに考えてもいいんじゃないでしょうか。一時期そんなことも あったようですが、いつのまにか立ち消えになっています。官僚の 強い反発にあってね。
より豊かな生活を求めるのは避けれない人間の欲求。 (あ、誤解の無いように。新しいものを作り出すことだけが豊かだと 言っているわけじゃないからね。豊かかどうかは本人の判断でもある。) でも、地球環境の中で人間が人間だけの狭い社会で過ごせるわけがない。 しかも、自分の生活のためだということで自然を破壊してもいいという 理由にはならない。地球の自然と食糧を全て人工的に作り出すことが できて、しかも人体に無害であることが可能ならば話は別。 ま、そんなことは何百年たっても実現するとは思えないけど。
地球のありの姿に人間が反抗しているのが今のわれわれの生活だと 思えば、全ては地球環境によろしくない影響を与えていることになる。 だから人類が地球上で永久的に存在するのならば、出来る限りの 悪影響は排除しなければならない。かといって、自然に戻るわけにも いかない。恐らくこの議論は自分の存在意義まで否定することになる でしょうから、細かいことまでは言いませんが、無意味は破壊行動を 慎む、ということになるんでしょうかね。
そういう意味じゃ、自分が車で帰省するのは環境破壊の一端を担って いるんでしょうね。次回以降はちと考えますです。
はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)
ちょいと寝坊しまして、実家の出発が11時になってしまいました。 雪の影響はほとんど無いと思っていたので、それでも夜の12時過ぎには 東京へ到着すると思っていたのに・・・。
西日本での渋滞には参った。今まであんなことなかった。 まずは九州縦断自動車道。朝からチラホラ雪が舞っていましたが、積もる ほどではなさそうでした。大宰府から福岡に抜けるあたりで強く降って きまして、出だしでこけた。(東京に戻ってからテレビを見てみると、 どうやらここは午後から通行止めになったらしい。早く出て良かった。 自分がここを通った時は降り初めだったみたい。結果オーライ。)
関門橋を通ってからもまた渋滞。 ナビを良く見ると、中国自動車道路がチェーン規制になっている。 だからみんな山陽自動車道路に向かっているんだ。おまけに事故渋滞。 実家から広島を抜けるまで5時間以上かかった。250kmなのに。
この先もまだまだ。 瀬戸大橋への分岐点手前で渋滞。そこから中国自動車道路へ向かう方向は 断続的に渋滞。兵庫県に入ってから大津での給油までは割りとすんなり。 トロトロ走ったおかげか、燃費は良かった。680kmを54リットルで 済んだ。ターボ車は高速でスピード出すと、とたんに燃費が悪くなるけど、 そこそこのスピードで走っている分にはいいみたい。ストップアンドゴー を繰り返したけど、それ以上にターボを効かせなかったことが大きい。
そこから先も数え切れない。ただ、関が原近辺では雪の影響が無かった ので、それだけでも助かった。その先は深夜に入ってきたけど、一向に 車の数が減らないんだよね。夜になったら車の数が減ってすんなりと 走れると思ったことも甘かった。
結局、部屋へ到着したのは翌朝の5時半。実家を出発したのが11時でした から、かれこれ18時間ですか。休憩こそすれ、仮眠は取ってません。 休憩時間が1時間あったとしても、17時間は車に乗っていた計算。 そりゃ足も震えるわ、手もしびれるわ、首も痛いわ、それに眠いわ。
というわけで幸運にも雪の影響は最小限だったのでヨシとして、これから 寝ます。来年は余裕があればスタッドレスタイヤを買っておこう。
はい。今日は曇りところにより一時雪。(東京から西方面)
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