2003年02月02日(日) |
時にはいろいろと考えることも |
週末になると何だかお金を使っているみたい。 遊びに使っているなら以前の自分ですが、コメとか冷凍食品とか 台所用品とかトイレットペーパーとか、ソースとかしょう油とか、 日用品に使うお金が多くなったような。
食事についてはずっと外食かコンビニ弁当だったので意外と食費が かかってたけど、食べ物ぐらいはと気にもしていませんでしたが、 これが結構な出費になっていた。だからコメ買って炊飯にかけて おかずは冷凍食品で、あるいは週末に限ってはスーパーで惣菜を 買ってそれをおかずにしたり。
お金を使っているようで、実は以前よりも出費が減っている。 日頃から少ないお金を小刻みに使う方が積み上げると多くのお金を 使っていることになるのを気にもしていなかった。それだけのお金を 使っていたということ。だから週末になるとお金がなくなるとはいえ、 ひと月に使っているお金は以前よりも少なくなっていると思う。
飲みに行ったり遊びに行っていると、そこで使った分だけ借金か 貯金の取り崩しのなるので、小遣いと言える小遣いはありません。 とはいえ、全く行かないわけにもいかないので、その分はちょこ ちょこ取り崩している。だから貯蓄の残高は明らかに減少の一途。
やっぱり収入の減少は痛いです。 年収で言うと大体100万円だからね。削減額。 会社の独身寮から独り住まいに変わったことも大きいです。 だから独身貴族なんて周りから言われても、自分としては使えるお金が 少ないからピンとこない。寮生活の時には偉そうに酒を飲みに行って いたのにね。収入が減ることと支出が増えることが一度に訪れました から、そういう意味じゃ、ひと月の給料じゃ全く回らないお金の使い 方をしていたと思う。貯蓄が激減したことからそう言えると思う。
独りもんでありながらも独身貴族の時代は過ぎました。 でも時には無茶したい。あるいはハメを外したい。そう思っていること 自身、独りでいることが楽しい時代が過ぎたのかなと思わせる。
いやぁ、マジメに考えてはいるんですけどね。 誰かに言われるまでもなく。
ときたま時間がある時に寂しいと感じるようになったのは年のせいです かねぇ。ゆっくりとした時間があり過ぎると普段は考えもしないことを 考えてしまいますから。自分を見つめるにはいいかもしれませんが、 それがある程度を過ぎると神経質になってきたりもします。
来週はちょっと遠出のドライブにでも行こうかね。
はい。今日は曇り。(東京地方)
まだまだ小泉首相の「大したことない」発言問題が取り上げられて います。31日の姿勢方針演説に対する多くの論調は公約の修正が 多すぎる、守られなくなったというもの。裏を返せば公約とその 実行をきちんと見ているということ。
しかしながら、多くの人が批判をしながらも、永田町が首相降任に 動かないのはなんでだろう?そりゃ抵抗勢力を自民党内で演じて いれば、自民党は改革しているんだろうと思わせるからです。
全てがひとつになってしまうと、周りから攻撃をされるばかりの 勢力になってしまうから(政権党だからね)、自党内で敵味方を 作ることによってバランスをとっているんです。これが党の思惑。
首相は党の総裁でありながら党から批判を浴びる存在であることは 実は党にとっては都合のいいこと。オレは正しいと主張でくるから。 もちろん抵抗勢力側がね。首相にあれこれ言いながらも重宝している はず。小泉首相のように態度がはっきりしている人をね。
自分の身内やら手の届く(声の掛かっている)官僚やらをうまく 取りまとめるのがかつての首相であり、求められる首相だとすれば、 小泉首相はそんなことは関係ないと思っている人。だから従来の 姿勢を堅持したい人にとっては迷惑な存在でしょう。
日本の経済状態が思わしくないのは、経済運営がまずかったことだけ じゃなくて、政治の仕組み、社会の運営の仕組みに潜む欠陥が露呈 してきたことだと思います。だから小泉首相が登場した。だから デフレ対策やら不良債権処理やら拉致問題の解決というのは、彼に とっては二の次の問題でしょう。もちろん彼のことですからひとつと して蔑ろにするはずがない。ないんですが、彼のモチベーションと しては日本の仕組みを壊すことにあるんだから、その他については 「彼にとっては」大したことがない問題。言葉にすることが問題で あるのは彼にも良く分かっていたでしょうが、本音として出たんで しょうね。それを批判したところで彼の姿勢は変わらないでしょう。 それはそれでいい。
ただどうも不満なのは、小泉首相にということより、抵抗勢力の 勢いが無いこと。というよりも、責めたてることがなくなってきた からかな。だいぶん首相の角が取れてきたしね。とはいえ、長野県 の公務員給与カットのに見られるように、歳出の削減に努力する 自治体が以前は考えられなかったことをやれる雰囲気にはなって きましたね。これが国政に生かされればもっといいんですが。
歳出減はデフレ政策ですが、それを実行することで本当に厳しい 状況なんだということを認識してもらう。その効果の方が大きい。 厳しくなったから(つまり収入が減ったから)その分だけ仕事も しないと考えるか、厳しい状況だからこそ余計にがんばらなければ いけないと考えるか。その違いは大きい。
前者は公務員の考え方。がんばらなくても収入は変わらないからね。 民間はそうはいきません。がんばって成果を出しても収入の確保が 難しい状況だから、がんばるだけでなく結果を出すことに注力する。 そうでなければ収入は減る一方だからね。
誰でもそうでしょうが、生活レベルは収入に見合ったところで落ち つきます。見合わない贅沢をすれば借金をすることになり、それを 返済するためにもっと働かなければならなくなる。これは辛い。
こういった状況を経済学者は答えを出しているようで出していません。 というのも意見が分かれるからです。というのも、経済は市場に任せ るべきという思想と、国が介入すべきという思想があるからです。 これは経済学の領域ではなくて、社会学あるいは哲学の領域なんで すが、経済学の思想の基盤はここにあります。
国の運営は国がやっているんですから、市場だけでは国の経済が成り 立つわけがありませんから、国の介入は必然です。だからこそ経済学 という学問があり、その起源は政治経済学という政治と切り離せない 学問だったのです。国の介入に対するアンチテーゼとして市場という ことを考えたと思います。国が全て正しいんじゃないとね。
でも正しいとかそうじゃないとかでなく、そのスピードを求めると 市場ではあまりに遅くて、しかもコントロールの出来なくなって しまいます。コントロールできないということは、軌道修正をする 役割が誰にも出来ないということです。市場の失敗というように、 市場も万全じゃない。どちらも必ずしも正しくないと言うのなら、 責任所在がはっきりしている国にそのコントロールの役割を担わせる 必要があるわけで、それをチェックするのが国民であるという分担を 明確にすればいい。政治家がダメなら国民が、官僚がダメなら政治家 が落選あるいは更迭すればいい。その分担が明確でないのが今の日本。
小泉首相の切り口は政治家の立場を明確にすること。 つまり官僚をコントロールできるようにすること。このあたりは 中曽根元首相の考えることと同じ。だから中曽根氏は小泉首相を応援 している。政治家の有るべき姿を実現しようとしている。これについ てはマスコミではあまり取り上げていない。これこそが構造改革です。
政治家は政治の理想を追い求めて、その実現をするために生きている 人種だとすれば、小泉首相はそのひとり。今のポジションにあぐらを かいている人は政治家の名を語っている政策家。人を動かしたいだけ。
そんなちっぽけなことをやっている人に比べれば小泉首相はまっとう な道を歩んでいる人。公約が守れなかったからといって、それだけ をもって彼を批判するのはいかがなもんかと思う。実行していかな きゃならないことは星の数ほどある。状況は常に変化する。だから 決めた時点と状況が変われば、当然かえなきゃならない約束事もある。
それを政治家として決めたことだからどんな状況になっても守らなけ ればならないというのは政治家の抗弁であって、国民のためではない。 国政やら自治体に関与している政治家や役人は国民やら県民から給料 をもらっているわけだから、その人たちのために貢献することが彼ら の義務です。そのことを忘れてしまっていけない。税金は献金じゃ ない。それが分からないヤツは辞めてくれ。
公務員に対しては国民が辞めさせる方法が無いから政治家にその権利 を、つまりあるべき姿を持たせることを考えているのが小泉首相。 それが構造改革。だと理解している。構造改革って公務員改革だ。 それを第一義に考えている小泉首相に1票。
仕組み作りはどこの社会でも難しいです。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
2003年01月31日(金) |
雇用のミスマッチ(派遣さん編) |
派遣さんから来月で辞めたいということを伝えに、人事の担当ちゃんが 定時後にウチの職場へ来ました。17日に籍を入れたというウワサは 同僚から聞きましたが、それが理由だとは担当ちゃんは言わなかった。
自分としてはうまく仕事を与えられていないことが派遣さんの気持ちの 問題ではないかと思っている。つまりもっと多くの仕事をしたいという 気持ちがあるのに自分が今以上に仕事を与えないから、派遣さんとしては 信用してもらっていないのかと不安になったのかな、と。
今日も仕事の引継ぎのことに付いて派遣さんから問われましたが、なか なかそれが難しいことを伝えましたら、反応がなかった。そもそも 一人の人がやっていた仕事を分割することが目的で東京の事務所に派遣 さんを受け入れたのですが、やっている仕事が部品販売のサポート。 一方、部品を扱っているのは別の場所。要するに部品の取り扱いをして いる部門で全てが回っていたのをあえて東京でその一部をやってみよう としているので、以前の仕組みを変えない限りは分割する意味がないと 自分は思っているので、部品を扱う部門長にそのあたりの説明と理解を 求めて、仕組みの変更をお願いしているんですが、これがなかなか前進 していないんです。だから東京への仕事の移管が進まない。
この事実を派遣さんに言うと、なんだ自分には仕事が来ないのか、と なるわけで、こちらの動きの遅さにあきれているという感じ。でも今の 派遣さんの仕事振りを自分は納得しているわけでなく、今現在与えられて いる仕事をきちんとやり遂げることを考えて欲しいと思っているわけです。
今の仕事が満足に出来ていないのに、他の仕事を与えたら今の仕事も覚え てくれるかといったら、そうでないのは目に見えています。ジャジャ漏れ で困るのは自分ですから、まぁ言いかえれば会社が迷惑をしますから、 そういうやらせ方はしたくない。仕事としては定型的な仕事になります から、一度覚えればあとは自分のやり方でやってもらえればいいだけの話。
仕事のミスマッチということですかね。 自分がやりたいこととやらせてもらえることとのミスマッチ。 量的なことも質的なことも。そうであれば長続きはしません。
というわけで自分はあっさり諦めました。 今の人は2月一杯で辞めてもらって、3月からはまた新しい人を採用する ことになります。今度は時間があるからこちらの要望をしっかりと派遣会社 に聞いてもらって、お互いにミスマッチのないようにしたい。
でもあとひと月ありますから、その中でできることはしっかりとやっても らいたい。そのためには自分も動く必要がありますけどね。提携がらみで この2〜3ヶ月は職場環境が動く時期なのでヒマな時期でもないし、2月 には来年度の予算を策定しなければならないので、頭も使わなくてはなら ないし、ちょっと神経質な2月になりそうです。そういう意味でも頭痛い。
いずれにしても、派遣さんには申し訳ない採用となってしまいました。 という気持ちは顔に出せないけどね。あとひと月、がんばりましょ。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
2003年01月30日(木) |
頭は痛いが、読んでいる本はもっと頭が痛い |
頭痛ぇ。 というわけで昼から出社。面談あるし2日も休んでられない。
上司からは精神的なものか、と問われたけど、とんでもない。 というか、会社に行きたくないのは慢性的なものだから今に始まった ことじゃない。逆に会社に行かないと体調が悪くなる。これは決して 会社人間ということじゃなく、規則正しい生活にならないってこと。
でも保菌の疑いのある場合は会社に行くと他の人の迷惑になるから できるだけ直してから行く方がいい。自分のことだけ考えて無理して 行ってもいいことなんかない。
さて今読んでいる本は、すごーく骨のある本で、過去のノーベル 経済学賞を受賞したお歴々の貢献をかいつまんで紹介しているもの。 まだ3分の1ぐらいしか読んでいませんが、読んでいるうちについ つい眠くなってしまいます。あまりに理解できなくて。
それらの述べてあることを理解しようとするならば、彼らの書物を 改めて読みなおさなければならないでしょう。あるいは解説本をね。
計量経済学で名を挙げた人の名前は正直知らなかった。 知っていたのはフリードマンとかサミュエルソンとかケインズとか。 まだまだ修行が足りぬ。知らない人の名前が圧倒的に多いから。
ノーベル賞を取ったからといって正しい理論かどうかは決めれない。 とはいえ、なんらかの理論を確立したか、それまでには考えられなかっ たことを実証してみせたか、あるいはそれまでの理論を覆すようなこと を論じたか。それなりに評価される何かを持っていたから受賞に至った わけなので、そんじょそこらのエコノミストとは格が違うと思う。
ただ経済理論とはその時代を反映していることが多く、例えば今の日本 の現状を背景に論じたものは皆無でしょうから、どれかを実行すれば 解決できるかといえばそうではない。要するに成長基調が前提である あるいは景気の循環(落ちたら必ず上がる)を前提に論じているものが 大半ですから、落ちっぱなしの状況がどういうことで、その原因と解決 方法は何なのかということは、過去の実例を挙げたとしてもどれも当て はまらないことから、過去の理論が適用できないということになります。
そうなると過去の理論で学んだ人の頭の中では理解の出来ないこと、ある いは無理やり過去を持ち出して現在に適用したりなんかして、いかにも 正しいことを言いながらも間違ったことを言っている可能性はあります。 シロウトの我々にはそれが正しいのかどうかなんて知る由も無い。だから 勉強して賢くなる必要があるわけで、しかも勉強の仕方を間違えると、 間違った判断を自分がする可能性もあるわけで、そのあたりはどこを ターゲットに勉強していくかによると思います。
自分の場合はいわゆる教科書理論、つまりインフレ理論の勉強中なので それをすっ飛ばしてデフレ理論を勉強しても恐らく理解不能で消化不良 となる恐れもありますが、出版されているデフレ関連書籍は結構少ない。
デフレを分かりやすく解説してある書物は見かけないことからも分かる ように、デフレ理論というのは確立されていないから、研究者としても 書物にするのをためらっているのかもしれない。あるいは本当に無いの かもしれない。単純にインフレの反対はデフレなんですが、恐らくそれを 実証するだけのデータや数式が揃わない、あるいは何を指標にしたらいい のかが分からないんだと思います。
パラメータとしての物価指数はありますが、何が物価を引き下ろして いるのか、それは理論上どういう要因から来ているのか。もしかすると 理論上の世界ではなくて政治的なところから来ているのかもしれない。 さまざまな要因から推定してある結論を導き出すことになりますが、 恐らくばらつきが多くて線を引けないんでしょうね。分からんけど。
いずれにしても過去の理論を持ち出して現状を語れるならば、とっくに 解決できているはず。解決策があるのに解決できないのは、それを拒否 している勢力があるから。それが何なのかは今の自分には分からない。
少なくとも今言えるのは、借金(国債の発行)をして公共事業に政府が 投資するのは短期的には国益にはならないということ。政治家は長期的な ビジョンで動いているから目先のことにとらわれるのは政治家として失格 なんて言う人もおりますが、そんな先にあなたは政治家をしていて、自分 の発言に責任を取れるかといえば、そんときゃ政治家を引退していてるに 決まっていますから、それこそ無責任な発言。民間にコポレートガバナンス を求める前にご自分のガバナンスを引き締めなさいと言いたい。
景気を浮揚させたいと誰もが思っています。 経済を回すということはお金の回転を良くするということ。そのためには 家計や企業の貯蓄を吐き出させるか、あるいは強制的に資金を注入して いやでもお金を使うようにすることでしょう。家計であれ企業であれ。
あとは具体的な方法と順序ですね。
かつてはインフレの状況でそれを抑制するためにはどうしたらいいのかが 論じられてきましたが、今はデフレを抑制しなければなりません。その デフレ対策は相変わらずケインズ理論の展開に終始する始末。これで失敗 したことも忘れてね。なおも失敗策を主張する人の気が知れない。
というか、投入する額が問題なんだろうけどね。(小さすぎる)
どうやら結論に至りそうにないので一旦中止です。また別の機会で。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
今日は上司との面談の日だったんですが、それをすっとばして 会社を休みました。インフルエンザかただの風邪なのかは不明。 無理して他の人に移しちゃダメだからね。
ひとりもんの体調管理は難しい、と上司は気を遣ってくれますが、 裏を返せば、他の人よりしっかり体調管理をしろということ。
昨年の4月から会社の寮を出てアパート暮らしになったので、 生活の全てが初めてのことばかり。食べて寝ることは毎日のこと ですからそれなりに慣れましたが、季節の変化に伴う対応につい ては、その状況を見ながらでないと動けないので、以前はどうだっ たかなんていう経験値が無いところが今年の辛いところ。
やはり体の不調はノドから来ているので、おのずとやることが 決まったような気もします。とにかく乾燥するんだよね、この部屋。 しかも寒い。だから乾燥と寒さ対策だね。
というわけで今日はこのへんで。 明日はなんとか出社して面談を受けなきゃ。
はい。今日は曇り。(東京地方)
会社に行くのを遅くして、NHKでやっていた国会答弁を見ていました。
国会の審議って、ただ眺めているだけではつまんない光景。 つまんない議論だと思えば眠たくなるのは当然だよね。
こと当時者である国会議員が寝ている姿がときどき映し出されますが、 あれは自分に関係ないと思っているから寝ているんだよね。自分に利害が 生じるような質疑であれば寝ている場合じゃないし、都合の悪い質問や 答弁であればやじり倒すこともしたくなる。そんな時だけ起きている 議員に対しては「バカ野郎」のひとことで済ますしかありません。
今日の国会を見ていて感じたのは、小泉首相の声や表情が生き生きと する質疑とそうでない質疑との差があることです。彼はもしかするとM。 Mと言っても、受けっぱなしではなくて、心地よい攻撃を受けることが 好きなのかも。いつもは言葉を選んでいるけど、興奮した時とか主張を したい時には本心が出たりなんかして。一般市民としてはそれが面白い というか、愛嬌を感じると言うか。
首相の発言には誰もが注目するので、細心の注意を払って発言をしなけ ればなりませんが、聞いている周りの人間も細かいところにこだわる ことなく、多少の突っ込みはいいとして、彼の本意は何なのかという ところに着目して欲しい。言葉尻を捕まえて攻撃するぐらいなら、国民 にとってこの首相は必要なのかということをマジメに考えることにエネ ルギーを注いで欲しい。
首相の位置付けですが、首相は細かいことまで知り尽くしている必要は ない。首相の方針を理解した閣僚が自身の組織に指示を出すのが正しい 組織だと思います。そういう意味では閣僚は細かい知識が必要。だから 首相に対して細かい数字を持ち出して、つまらぬ追求をするのは矛先と しては間違っていると思う。そういう意味では「大したことはない」 問題は大したことはない。公約とはいえ、それを守ることで国民に不利益 を生じる場合もあるから、それに気がついた時点で転換するのは政治家 としてはマズイかもしれませんが、国民にとっては評価の出来る人物。
そもそも公約に間違いがあったとしても、それは国民に支持されなければ 公約にもあげられないので、その公約を批判するということは、それを 支持した国民を否定するということ。評論家やマスコミは公約を変える というそのことだけに注目しますが、結果論であれこれ言う前に、公約 そのものについて大きな声を上げるべき。そうでなければ公約を認めた わけだから、自身すらも否定していることになるんだけど、それに気が ついていない。所詮他人事だからね。
ま、そういった批判をされるのは政権政党の党首である首相の役割とも 言えるので、落ちぶれた民主党の菅党首なんかは言われないだろう。 国会でも小泉首相は民主党議員からの質問に対し、菅さんに次期首相に なって欲しいし、そうなれるだけの政党になって欲しいと皮肉を込めて 応援しているぐらいだからね。
でも今やっている国会は予算関連だから、責められるのは塩ジイ。 いつまでもお元気でいて下さい。もう81才だしね。 日銀の速水総裁と意見の食い違いが生じるのは必然なこと。 そんなところを突いてくるマスコミは着眼点が悪いとしか言えない。
平成9年に日銀法が改正されて日銀の独立性が約束されたわけですが、 いかんせん日銀総裁を指名するのは首相だというから制度上の問題が 無いとは言えない。日銀の野望はまだまだ続きます。これについては また別の時に。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
デフレの定義は「継続的な物価下落」だと定義したのは誰でしょう?
※ちなみに自由民主党デフレ対策特命委員会が提言している中に、次のよう なくだりがあります。
”デフレとは 「物価が持続的に下落する状態」のこと。 日本は90年代半ばからデフレ傾向が始まり、最近、さらに拍車がかかりつつ あるとされる。 物価の持続的な下落は、消費や投資を抑制し、企業収益の減少や、賃金、 資産価格の下落を招くなど、経済の発展を阻害する。 いったんデフレに陥ると悪循環が生じて悪化するため「陰湿な経済」とも 比喩される。 デフレ・スパイラルとは、こうした悪循環が相互作用し、加速 度的に進む状態をいう。 ”
これを見てみんながこぞって物価下落のことをデフレというのか。
多くの経済学者・金融関係者やエコノミストがいまだにデフレを貨幣価値の 観点からのみ言及していることは、大きな危険性をはらんでいると思います。 もっぱら、その定義は政府・自民党がしているんだから致し方ないとはいえ、 その言葉の持つ本来の意味を見失って、公的な言及を鵜呑みにしてそれを何の 恥じらいもなく論理を展開する、世の中では理解していると思われる人たちを 見て正直がっかりしているところ。
本来の意味を分かっていても、コメントを求められたら一般に理解されている 言葉を使って展開しなければならないのは分かりますが、そこにその人の持つ 論理をきちんと反映しなければ、見ている人に変に誤解されても仕方がないと 思います。しかも、みごとに横並びというか、物価指数に言及する人ばかりで、 誰か違った観点で言及してみろよと思うんですが、なかなかそのような人は いませんね。
デフレという言葉は戦後45年、使うこと無しに過ごせたことが致命的だった かもしれません。なにせ教科書にはほとんど言及されていないんですからね。 だから昭和の時代に学校を卒業した人にはピンとこない言葉。
デフレとうまく付き合うよりもインフレになった方がはるかにコストが安いと 論じている人は、これまでのインフレ体験を多くの人が享受してきたからその 経験や知識により対応がしやすいという考えがある。というか、これまでの 理論上での話。教科書通りでは解決できないんだから、理論というのは通用 しないんじゃないかといささか疑問ですね。これには。
「物価デフレ」とか「資産デフレ」とか言いますが、「デフレ」のところを 「下落」とか「価格下落」と置きかえれば一目瞭然です。下降するさまを 「デフレ」と言っているんですね。これが一般的に使われているからたちが悪い。
おさらいしましょう。(使用する言葉の善し悪しは無視して下さい) 商品価値よりも貨幣価値が落ちることをインフレ。 商品価値よりも貨幣価値が上がることをデフレ。そんだけ。
言い替えれば、 モノの価値が上がればお金がたくさん要る。それに価格が伴えば物価は上がる。 モノの価値が下がればお金は少なくていい。それに価格が伴えば物価は下がる。 この関係が比例していれば価格が動く。
価値が上がるか下がるかはモノへの評価ですから、価値のないものは価格が 低くて、価値のあるものは価格が高い。同じ宝石でも希少価値のあるものは 価格が高いですね。これも評価です。
でも今の状態は同じモノが価格の低下を引き起こしている。これはどういう ことか。それはお金の支払をする者(家計・企業)の収入が減ったから。 収入が減ったから支出も減るのは自然なこと。なんで収入が減ったのか。 これは資産価値が減少したから。この資産価値の減少が収入の低下を招いて いるんです。巡り巡って経済全体のパイを縮小させているのです。
どこに責任があるのかというと、バブルを引き起こした時代の政策当事者、 日銀です。物価の安定(つまり緩やかなインフレ)が目標であるのに、急激な インフレ上昇を避けることができなかった。この時点でデフレが起きるのは 時間の問題だったのです。極論すると、資産価値の低下がデフレの根源であり、 資産価値の低下が物価下落を引き起こしているんです。
だとすれば資産価値をもう一度上げてあげればデフレは解消するのかというと 一概には言えませんが、恐らくインフレ傾向にはなるでしょう。しかし誰もが 資産を保有しているというわけでなく、資産を保有していない人へインフレの 恩恵が回ってくるのは資産価値が上がった1〜2年後になるでしょう。
もし政府がここにテコ入れをするのならば、資産価値上昇のためにお金を 注ぎ込むことになりますが、それは国債を発行するという借金政策ではなくて、 やはり政府通貨の発行という形がいい。つまり景気対策には公共工事への 資金注入ではなくて、資産の買い上げということになります。
でも議論としてはマイナスの課税(例えばマイナス5%の消費税)とかお金の ばら撒きとか。より広く行き渡るからね。いつぞやもばら撒きがありましたが その原資は国債の発行。これを政府通貨の発行に変えるんです。そうすれば 借金は増えない。増えないどころか、消費が増えるから税収アップにもつな がります。政府通貨の発行は円への信用の低下を引き起こしますが、それを 怖がっていては始まりません。塩ジイも円安方向は歓迎だと言っていますし。
こんなこと言ったら公明党員かと言われそうですな。自分は違いますよぅ。
はい。今日は雨ときどき曇り。(東京地方)
2003年01月26日(日) |
「大したことなィ」問題は大したことない |
構造改革の「構造」とは、財政規律や組織的な運営の甘え。 この2面を持った言葉であり、それらへの改革だと理解しています。 そこに国債発行30兆円という公約をつけたことによって周りから ウソつき呼ばわりをされている。「大したことじゃない」発言問題は これを例えにして騒ぎ立てられているんだと思います。
成果がうまく出てこないことを結果責任として追求するのは政治の 常道ですが、そういうことをとやかく議論するのではなくて、どう すれば成果が出てくるかを前向きに議論しないところに自分としては 苛立ちを覚えます。
議論は大いに結構。でもそれをいつまでもやっていては国民は、特に 弱者と呼ばれる人たちはより一層生活が苦しくなってきます。企業の 体力もだんだん弱くなってきます。現在行われている政策が正しいのか、 正しいならばなぜ効かないのか、正しくないのならどういう政策に転換 しなければならないのか。建設的な議論がなされていないように思え ます。
構造改革とはいつの時代でも考えなければならない政策。 一方、デフレ対策は今やらなきゃならない政策。
どちらもやろうとしてどちらもできていないからお前の政策は失策だ というのは言い過ぎで、要するにどこに危機感を覚えて最優先課題は 何なのかが明確でない、その課題を解決するためには組織の人には、 国民には、企業には、どういうことをやってもらわねばならない、 それが苦しいことなのか楽なことなのか、そういった説明をして納得 してもらうことが大事なのであって、そういったプロセス無しに行動を 先にやることが不満の根源にはあると思うんですが、もっとスマートな 議論の展開を行って欲しいところです。
一部の政治家は現在のデフレは小泉政策の失敗による物価下落だと 言っておりますが、「物価下落」という捉え方は正しいのですが、小泉 内閣になってからデフレになっているわけじゃないことは口にしない。 物価下落傾向が止まらないじゃないか、というのが正しい認識。 今の内閣を批判するしかないから過去の内閣のことは言わない。
政治家は思惑を含めた発言をするからおかしいことになるわけで、事実 を正しく発言してくれないと、多くの人が誤解してしまいます。だから 余計に我々が正しい理解を求められるわけで、誰それが言っているから それを信じてあーだこーだと言うのはあまりに思慮がない。
どれが正しいことなのかを判別するのは非常に難しいことでしょうが、 間違ったことを自分の都合でいいように理解してしまうことが一番危険 だと言いたいのです。それが間違いだとわかったら立場が変わりますし。 間違いだと後から分かったとしてもなかなか後からは修正しにくいしね。
ただ、みんながみんな現状は厳しいと言っておりますが、本当に厳しい と思って発言しているのだろうかと疑いの目を持って聞いています。 「今のこんな状態だから・・・。」
「こんな」とはどんな状態だよ!と問いたい。 「あんな」「こんな」「そんな」っていうのは非常に曖昧な言葉です。 あるいは他者が思いを共有している時に省略できて便利な言葉です。
例えば各党の代表が集まって議論をする場なんかでは、現状認識が 共有されているわけではない(少なくとも各党の思惑が違う)んだから 言葉を曖昧にしていては、見ている視聴者は誤解してしまいますし、 議論している出席者が認識を共有していないから議論に方向性を持た ない場面が多いように思います。なんとなーく話が進んでしまっている。
NHKの日曜討論が面白くないのはそういったところで「なんとなく」 議論が進んでしまうところでしょうか。各党の思いがバチバチと衝突 して当たり前のところが、NHKであることを意識しての発言でしょう が、本音での発言とは到底思えない。そういう討論の場って必要なのか とNHKに問いたいところ。どうですかね?NHKさん?
ってことはNHKを見ていることを公然とバラしちゃったか。(笑) いやいや。受信料はきちんと払っていますよ。自動引き落としだし。
いつの時代でもそうなんですが、与党を倒せない野党の遠吠えのような 気がして仕方がありません。自民党の言っていること、やっていることが 正しいというのではありません。彼らを論破できる能力がないという ことです。そして国民を味方につけて自民党の議員に投票をしないという 行動を取らせる影響力がないということです。
政権政党は強いです。だから批判の対象になるんです。 批判をするのも結構、議論をするのも結構。 ただ重要なのはそれを実現させる力。ここが難しいところ。国会は数の 論理だから。だから自民党は躍起になって数集めをする。公明党も保守 新党も理念や政策は違うはずなのに自民党とくっついている。政権政党 になりたいから。
社会党に変わって第2政党になった民社党の支持率が上がらないのは やはり彼らの信頼性。ころころ政策が、党首が変わっていては国民は 何を見ていいのか分からない。優秀な議員が多いにもかかわらず政権を 取れないのは、党の姿勢が固まらないからに他なりません。不安定な 党には信頼を置けないからね。
そういうわけで、イヤでも自民党と付き合っていかなければなりません から、彼らの発言や行動を見守る必要があります。場合によっては声を 上げなければなりません。
まぁ、「大したことない」問題は本当に大した問題じゃないと思います。 騒ぎ立てるマスコミもマスコミですが。首相としての資質の問題かな? でも、塩ジイが言うように、分かりやすく説明してあげることは必要 だったかな。ね?小泉さん?
はい。今日は晴れのち曇り。(東京地方)
2003年01月25日(土) |
金融再生論か産業再生論か |
経済のプラットホームとなる産業の建てなおし、新しい産業の 育成が大事だというのはまさしく正論。金融論に終始している 今の政治に異論を唱える人も多い。
製造業に従事している自分もその異論には賛同したいんですが、 経済再生のためには金融のテコ入れは大事で、産業に活力を入れる ための原資作り、つまりお金を流せる仕組みを考えなければなり ません。
産業の活性化とは、企業がお金を借りることを悪とする考えから 脱却しなければ、いつまでたっても新規事業を立ち上げる動機付け が起こるとは考えにくい。新規事業を行うには、そのための原資が 必要なわけで、過去の利益から捻出するか外部からお金を調達する かのどちらかに依存するわけで、そうなると元手のない人には 選択肢がひとつになってしまい、その資金調達の信用をどこから 持ってくるか、貸出側からするとそのリスクをどう評価するかと いうところでの葛藤になります。いかんせん、貸出リスクはしっかり 管理されておりますから、ここを蔑ろにして金融機関もかつての 使命を全うすることは出来ません。自分のクビを絞めることになる からね。一生懸命、不良債権を減らすことにエネルギーを使って おりますから。
どちらを取るかというのは議論としては成り立たない。 結論が出ないから。そうじゃなくて、どちらを優先させるかという ことを議論として持ち出すべきで、そのためにはもうひとつの方を どうしたらいいかということになるわけで、本質的なところでの 議論を無視してはいけません。要するに今の状況が正常なのか異常 なのかを冷静に考え、異常であると考えるのならば、それがなぜ 異常なのか、その根っこを認識するところから始めて、それをきち んと把握した上でその解決策を考えること。当たり前のことを 当たり前に行うだけなんですが、どうも論点がボケたところでガヤ ガヤやっているような気がしてなりません。
今の日本の経済状況がなるべくしてなって、そういう状況と長く 付き合っていくべきものなのか、いやそうではなくて、こうあっては ならないことで、必ず変えなければならないのか。
周りを見たらどの人も今の状況は危機的だ、改革が必要だ、変化を 求めるべきだ、なんてことがあちこちで叫ばれている。何が悪くて 変えろと言っているのか、彼らもやることが無くてただわめいている わけじゃないでしょうから、その背景をきちんと説明する、説明して あげることが大事じゃないかと。
産業界に国が介入することには規制と補助以外には限界があります。 というか、産業界は自分たちの生き残りに必死になっていますから、 細かいところでは自力でちゃんとやっています。本音としてはその 後ろ盾を国がやってくれるとありがたいと思っている。
50年前と今とで比べると、物量も質も明らかに豊かになっています。 一部の豊かな人だけではなくて、多くの人が豊かさを共有できる社会 になっています。生産性を上げたら価格が低下していくという経済学の 教科書にある理論とは逆の状況になっています。モノが豊かになった からこそデフレは必然的な到来であったと自分は理解しています。
であるならば、安定的=緩やかなインフレという図式をやめて、逆の 考えに転換することを考えてもいいんではないだろうか。つまり、 安定的=緩やかなデフレ。人口の増加が無ければ物量の増加はありえ ないんだから、生産性を上げて物量が増えれば価格は下がらざるを 得ないのは農業品と同じこと。ここに生産性の追求に対するモチベー ションの低下が起こっているんです。効率を上げて生産を増やしても 給料の上昇には貢献しないとなると、やる気も失せるというもんです。
要するに購買側の収入が増えないから支払額も増えるわけなく、量が 増える分だけ価格が下がるという図式。これをみんながデフレと称して 騒いでいるわけです。右肩上がりの成長を求めると価格の低下を引き 起こし、それに伴って収入も低下するから余計に価格を下げざるを 得ない。これがデフレスパイラルだと思っている。収入の低下を引き 起こしたのは何なのか。単に業績の悪化だけでは説明ができない。
自分が政府通貨の発行に賛同するようになったのは、企業の再生や、 インフレ理論に基づく経済政策では現状を解決できないと考えている からです。現状はとりたてて解決する状況でもなければ国債の発行を 何の問題でもないと考えるならば話は別ですが。
お隣の韓国のように、いざとなったらIMFに助けてもらうなんて ことは日本には適用できません。なぜなら日本はIMFに資金提供して いる第2位の国だからです。日本が破綻するとIMFの資金だけでは とてもカバーすることなんか出来ない。お金で国を再建してきた国は お金で解決するしかないと思います。政府通貨の発行を大々的にして こなかったのは国の面子や円の信用に関わることだったから。でも 一時的な円の価値低下(つまり円安)を引き起こしたとしても、それは 輸出企業にとってはありがたいこと。いずれはどこかで落ち着きます。
インフレが怖くてインフレ政策を考えることができないのなら、デフレ にうまくつきあっていく方法を考えなきゃいけないのに、それすらも とんちんかんな議論になっているように思います。
経済を建てなおしためにはお金の流れをスムーズにしてあげることが 国に出来る唯一の政策ではないでしょうか。
しんどいながらも一生懸命がんばっている人もたくさんいます。 そんな人たちを尻目に自分は関係ないとほざく議員や官僚にはさっさと 辞めてもらって、本当に国民の方を向いてくれる人を我々も選ぶべき 時が来ているんじゃないでしょうか。
夢と希望と幸せと。 そんな思いを抱かせる社会に早くなって欲しいと願うのは自分だけじゃ ないと思います。その切り口としての政府通貨発行。
国民のためにと言いながら自分のことしか考えていない議員の発言には 飽き飽きしてきました。ね。重鎮といわれる議員さんたち。
長くなってしまいましたね。ほんじゃ。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
というよりもこかされた。
朝の西武線で池袋駅に着いてドアが開いた瞬間押し出された時に 誰かの足が自分の足に絡んで、普通だったらもうひとつの足で 踏ん張れるんだけど、その時は両足とも引っ掛けられた。
こけた自分が悪いんだけど、こかした誰かがあの中にいると思うと 無性に腹が立って仕方がない。幸い、こけ方が良かった。前に つんのめっていたら恐らく顔面強打。メガネも吹っ飛んでた。でも 後ろ向きだったからうまく受け身が取れた。その代償としては 左手の小指付け根のスリキズ。両肘の打撲。うまく受け身が取れた から頭は打たなかった。左手の傷は会社でパソコンを使うまで気が つかなかった。近くの誰もバンソウコを持っていなかったから、 なめてしのいだ。こういう時にツバの威力を感じるね。
でもあれですね。だれもがみな自分を避けて降りる中、ひとり声を 掛けてくれる人がいた。大丈夫ですと頭を下げたけど、実はこの 人が足を掛けたのかとも疑ったけど、その現場を見ているわけじゃ ないから怒るわけにもいかない。
こんな状況だったけど、恥ずかしいといううよりもうまくこけた 自分がすがすがしいというか。大きくこけたから周りのみんなが 避けることができたのかなと。
それにしても打撲ってジワジワと効いてくるね。 特にカバンを持っていた左ひじが痛い。なにせ駅のホームはコンクリ だから、どうやってもあっちの方が強いからね。倒れた時はひじを 打ったとは感じなかったけど。
それはそうと、日銀の早速総裁は金利の低下は悪いことじゃないと 言っております。国債の人気が高いということで金利が低くなって いるわけですが、これは借金の象徴であり、発行しすぎた結果が どうなるのかは分かっているはずなのにね。しかも国債の保有は 金融機関が大半だから、人気がなくなってきた時の騒ぎは半端じゃ ないだろうに。そんな時にも国債の買取を金融機関に命令すると 彼らもボランティアじゃないから、金融機関自身が不良債権になって しまいます。それこそ国の思惑か。金融機関の国有化。
税金で国が金融機関を保有することと、民営化推進との矛盾をどう 説明するんだろうか。まったく意味不明。
とか言っているうちにじわじわとひじが痛くなってきたので終わります。 明日はどうなっているんだろうか。このひじ。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
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