しむちゃんのつれづれ日記
文字サイズは「中」が最適なようです。

2003年05月23日(金) 新型レガシィ見学

はぁ、疲れた。
でも一応、自分の山場は過ぎました。
山場は過ぎたとはいえ、これからしばらく戦後処理のためにあくせくと
働かなければならない。いつまで続くやら・・・。

仕事はさっさとは終わりませんでしたが、8時半頃に切り上げて会社の
前に停まっていたタクシーに乗って赤坂の全日空ホテルへ向かいました。

今日はレガシィのフルモデルチェンジの発表会。
レガシィ所有者の自分はディ−ラーから招待状をもらっていたので、東京
スバル主催の発表会に出向きました。っちゅーか、全日空ホテルの場所が
よく分からんからタクシーで行ったのはいいのですが、帰りはどう帰ったら
わからないまま会場へ入りました。

会場に着いたのは9時前だったのですが、こんな時間でもまぁ人の多いこと。
地下の宴会会場を仕切っての発表会でしたが、本当に盛況でした。この機会
に買えないにしても、そのうち買いたいと思っているレガシィユーザで一杯。

自分はといえば今年の年末に車検を迎えるわけですが、今まで6台乗り換え
てきて一度も車検を向かえたことのない自分には、収入減による支出の削減
は避けられないところで、どうするか悩んでいます。買うなら次もレガシィ
と決めておりますが、今回のフルモデルチェンジでどうなったのかを良く
見てから考えようかと思い、とにもかくにも見てきました。

レガシィも他のメーカの車に負けないぐらい丸みを帯びたボディになって
いて、少しずつズングリしてきたかなぁといった感じ。外観は別にして、
特に大きく変わったかなと思うのは、ターボエンジンのATミッションに
ようやく5速を採用したこと、エンジン回りが高級感漂うこと、コーナー
ランプがサイドミラーに付いたこと、そしてB specに18インチタイヤ
が採用されたこと。B4だけどね。

鋼鈑の張り付けが見れるフレーム構造だけの見本を見ましたが、これだけ
よくベタベタと張り付けたもんだと思いましたが、あれだけ張り付けないと
強度が保てないのかとも見えて、一体よりも溶接をした方が強度が高くなる
というのは本当なんだなと思いました。要所に高強度鋼鈑も使われており、
一見分かりませんが、使われているというだけでも安心感があります。

ああいう場ではいいことばかりが並び立てられますのでその気になるのは
仕方がりません。そんな中でどれだけしっかり見れるかが買い手の能力。
前作よりも良くなっているのは確かなので、あとは懐との相談。うーむ。
贅沢できないから、指をくわえて見ているだけかな。恐らくしばらくしたら
マイナーチェンジを迎えますから、その時に考えよう。

週末土日はディ−ラーごとの展示会。面倒だから落ち着いてから見に行こう。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年05月22日(木) 何事もない誕生日

以前はピンとこなかったことですが、女性の履く靴・サンダルで
先がトンガっているやつはカワイイです。先が丸いヤツや四角い
ヤツには魅力を感じなくなった・・・。

個人の趣味なのか流行りなのかは自分にはまるで分かりませんが、
特にベージュのものには魅力を感じます。電車の中でそう思いました。

陽気が良くなってきて淡い色に爽やかさを感じているのでしょうか。
自分の趣味が変わってきているのでしょうか。

以前はオヤジのスケベ根性で腰のラインとか胸元とかに目が行って
いましたが、今では足元に女性を感じています。

もしかしてこれは足フェチか?(苦笑)

今日は誕生日でしたが、男ふたりでマグロを食っていました。
特に大意はありません。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2003年05月21日(水) 舵取りが難しい局面

アメリカではデフレ懸念が増加してきました。
一方、FRBは積極的な政策を打つ様子は見えません。
とはいえ動きの早いアメリカですから、やると決めたら早いでしょう。
恐らくそのタイミングを見ているんじゃないでしょうか。

日本といういい(悪い?)お手本がありますから、大きく間違った
ことはやらないでしょう。マクロ面で言えば、双子の赤字が拡大基調で
あるうちはドル安金利安でしょうから、穏やかにやるか急激にやるか、
手法にかかっていますね。

円はまだまだドルに大きく影響されますから、いくら円安容認をしても
効かないでしょうね。日本政府の舵取りも難しい局面です。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2003年05月20日(火) 情報の不一致はここにも

他人の思考プロセスは理解しがたい・・・。

というわけで、ウチの上司はパワーポイントを活用します。
オレは設計出身だから絵で書く方が理解しやすい。事務屋のように文章
では理解できないんだ、と。

絵で説明するためには簡潔にしなくてはなりません。
文章だとタラタラとながったらしく説明するところを、目で見て分かる
ようにするためには、要点をいかに分かりやすく示すことができるかに
尽きます。これが意外と難しい作業です。上司はそれをサラリとやって
のけます。そこは彼の能力が優れている点。理解しているようでも絵に
書いてみるとなかなか整理しにくいもんです。

定型的な仕事の流れならば、複数の人間が理解しているので認識の共有
を促がすことがやりやすい。でも、利害の対立する複数の当事者が存在
する中で、お互いの求める方向が違っていても、全体として進むべき道が
同じであれば、事情はそれぞれあるにしても、当事者全てが同じ理解で
事を運んで行かないとうまくいくこともダメになります。そして理解不足
を理由にできない言い訳を始めてしまいます。これじゃ仕事にならん。

ただ、それぞれの求めているところが同じならば、腹を割った正直な議論
が展開できますが、求めているところが違うなら、正直が仇になる場合が
あります。つまり不信感とか不安を増長させてしまい、後ろ向きな心理を
呼んでしまうことになります。特に仕事を任される側としては。

だからわれわれが経験則として失敗の教訓を教えてあげたいところでも、
あえて知らせない方がいいこともあります。ものごとを進めるためには。

引き継いでもらうわれわれとしては、いかにスムーズにものごとを運ぶか
に重点を置いており、どれだけきちんと引き継げるかではありません。
悪く言えば押し付け。ただ、時間は決められているので、時間をかければ
いいというものでもありません。だからこそ相手に不信感を覚えられては
こちらとしてはスケジュールが守れないので困る。もしかすると、相手は
諦めて逃げてしまうかもしれない。逃げないだろうとタカをくくっては
ダメです。常に最悪のケースを頭に入れながらクールに対処する。

少々連絡の行き来がよくないので同僚がイライラしています。
明日は少し構ってあげよう。作りものの仕上げも明日には終わるだろうし。

はい。今日は曇りときどき雨。(東京地方)



2003年05月19日(月) 植草教授は意外と頑なだった

りそな銀行への公的資金注入の話題は昨日申しましたが、アメリカの
金融新聞系は、「政府は改革ではなくて現状維持を選択した」と、
批判がきついです。

要するに悪い銀行は潰せと言っているんです。
WBSで植草教授も株主責任を問えと言っているのは長銀や日債銀の
ような株価ゼロのプロセスを通して国有化しろと言っているわけです。

自己資本が不足するたびに公的資金を注入し続ければいつまでたっても
破綻はありえないわけで、それによってモラルハザードを引き起こすと
いうのが植草教授の言い分。

一方、木村剛氏は当たり前のことを当たり前に処理しただけだといなす。
ことさら騒ぎ立てて不安をつのるのはいかがなもんかと批判する。

植草教授と木村氏の大きな違いは、植草氏は批判して止める方向、木村氏
は前向きに少しずつでも良いことを進めて行く方向、ということ。植草
教授は甘いマスクの割りには強い主張をする人ですが、悲しいかな、木村
氏は政府の政策に関わっているけど植草教授は1大学教授に過ぎない。
この立場の違いは大きいです。植草教授は野村から早稲田へトラバーユ
した人です。学者肌です。政策実行を求める方向性はないですね。

悪いことを悪いと批判するのは誰でもできますが、じゃあ何をすればその
悪さ加減を解決できるかという提案をし、そして実行していかなくては
政策でもなんでもありません。ただのボヤキです。どうも植草教授はその
ボヤキの部類なのかなと感じてしまいました。そういう意味では竹中大臣
は、実行を伴った学者であるといえるでしょう。

一気に解決(変化させる)することは政治として非常に難しいこと。
意見としては植草教授のような強行的なものもあるでしょうが、実行の
可能性としては難しいんです。頭の固いおじいちゃんを動かすのは相当
労力がいるんです。彼らが動いてくれなければ(少なくとも黙っていて
くれなければ)、政策は前進しません。ベストな方法はあるのでしょうが、
それを主張すると強硬に反対が出るわけで、実行の道どりは遥かかなたへ
遠のいてしまいます。何年も先まで実行できるかどうかわからないことを
待ってくれる人もいないでしょう。

木村方針を支持します。

はい。今日は雨のち曇り。(東京地方)



2003年05月18日(日) やっぱり小泉内閣支持

今日のサンデープロジェクトでは、銀行のあるべき姿と称して特集を組んで
いましたが、これは敢えて特集を組むまでもなく当たり前のことですが、
「企業の育成」ですよ。リスクを正しく査定して、銀行としてしかるべき
金額の資金を提供する。貸し出すからには収益をあげることが前提だから、
その企業が収益を上げるために銀行としての経験やノウハウを提供して、
企業収益のバックアップをする。企業も銀行へ経営内容を正しく提供して
情報の不一致がなく、お互いに信用をするところがスタートになります。

UFJ銀行の寺西頭取(銀行協会元会長)は企業の再生が銀行業復活のカギ
となる旨を主張しておりますが、そもそもその前提となる企業への融資姿勢
をどうするかという観点が抜けている。お客様の観点で、というならば、
やはりその原点である企業への融資姿勢が健全でなければ、落ち込んだ状態
からの再生という結果からの解決をしようとしても、銀行の復活ではなくて
ただの取り繕いとしかいいようがない。これで仮に銀行収益が上がったと
しても、新規融資に付いては手を付けていないわけで、新たな資金需要の
開拓による収益増加ではありません。

その中で、多摩中央信用金庫の行っている、「融資に格付けは関係ない」
という姿勢は評価できると思います。トップの考えは、破綻懸念先に融資
するためには自己資本比率を犠牲にしなくてはならないが、大手銀行のよう
な自己資本比率にこだわる姿勢は企業の再生、育成に対する阻害であり、
恥ずかしいと思う、ということ。リスクテイクを恐れない姿勢です。

じゃあ、こういったことは今までなされていなかったかというと、そうでは
なくて、金融庁の検査マニュアルができるまでは、貸し渋りや貸し剥がしは
表だって存在していませんでした。もちろんそれらは個々には存在しました
が、全国的に銀行業界が並んで行ったのは規制ができたからです。これが
なければバブル崩壊によって潰れた企業への融資の回収不足は、いつまで
たっても表面化してこなかったでしょう。

つまり新規融資を行った銀行の姿勢は健全だったのですが、その貸し出しの
担保を事業計画による収益見込みではなくて安定であると信じていた不動産
に求めたこと、それから過去の失敗を隠匿する体質であったことが不健全で
あったわけです。融資姿勢の過ちで損が出たならば、それを正しく計上し、
しかるべき処置をするべきですが、それを隠し続けたことが今の不良債権
問題になっています。いわゆる問題の先送りです。銀行側の言い分としては
先送りせざるを得なかったということになります。莫大な損金の計上をする
ことで信用ががた落ちになるから市場から突き放されることになるからね。

会社の経営が傾くような行動よりも、穏やかな処理の仕方は誰もが望む方法
であるわけで、特に収益の上がらない状況になってからは、その姿勢がより
強くなるわけです。政府はそのやり方が甘いと言っているわけです。国民の
知りうるところになってしまっては、政府も動かざるを得ないよね。

ただ、建前としてはやはり企業の健全な行動は当然なことですから、それを
チェックする体制が整っている、つまり情報の正しい公開が望まれることに
なります。また、それを評価する指標を作成することになります。

目先の正しい行動はデフレ圧力。でも中長期的には景気回復に向かう方向。
このバランスをいかに適切に舵取りして行くかが政府の介入するところと
なるでしょう。だから構造改革や不良債権処理は止めるわけにはいかない
ことであるし、止めて先送りしても、より状況は悪くなるわけだから、結局
これらはやらずして将来は明るくならないわけです。そういうことを感じた
国民が小泉首相を推したわけで、これは論理的には理解していなくても感覚
としては当たっているんです。

経済の教科書には、景気の回復をするために政府が国債を発行して公共投資
を増やしたら、いずれ増税が待っているとして消費を控える行動に走るから
景気の回復はその消費の控えと相殺されて実現しないとあります。この行動
と基本的には上記の感覚は同じであるわけです。

ケインズ政策はデフレギャップの原因を問わない短期的な需要の回復を狙う
政策ですから、短期的な処置を長期に渡って行えば、そのうちに効果がなく
なってしまいます。残るのは将来への不安材料となる国債(つまり借金)に
なるわけです。デフレの原因が需要の低下でなければ、いくらケインズ政策
を行っても効果は現れません。この原因を小泉内閣は構造的な仕組みに見出
したわけで、ここに手を入れることは個々人には確実に痛みを与えます。
だから小泉首相は国民へ痛みを表明した。国民はそれを受け入れた。

いまだに需要の低下の原因を特定しないで、単に収入の減少に手当てをする
論調には飽き飽きしました。バブルの精算をしないで目先の対処だけに走る
政治家やエコノミストは信用に値しません。自分はそう思う。

需給ギャップが存在するのではなくて、需給ポイントが下がったというか、
伸びが止まったんですのです。いつまでも潜在成長率の伸びにこだわるのは
止めて欲しいです。

ちなみに、需給ポイントのことを潜在成長率といい、それが戦後ずっと右肩
上がりだった。これを経済成長と呼んでいます。実はバブル期の前から成長
率が止まっていたわけで、これを察した日銀のプリンス達が、成長率の静止
を阻止するために窓口政策で民間への融資を銀行に強要した。それが異常な
バブルの要因となって経済が過熱したわけです。経済成長もそろそろ落ち
着きを見せていた時にこういった異常な融資をしたがために民間は、そして
役所も同調して、異常な行動に走った。バブル前にはすでに経済成長が横ばい
になっていましたから、そのレベル以上の融資はすべて過剰融資なわけです。

その過剰分が資産の異常な評価増となり、そして元の姿に戻った時には不良
債権と化しているから、リストラ分を差し引いたとしても恐らく100兆円
近くの融資分が不良債権と化しています。これを消化するために、政府は
企業に介入できないから銀行を窓口として指導をしていると考えれば、銀行
に厳しい規制をかけて、それぞれの取引企業を正しく査定する行動は、政府
が狙っている不良債権処理のスキーム通り。

銀行が一義的に叩かれていますが、企業側が健全にならなければ銀行にとって
損失の計上をすることなく貸倒引当金も減らないわけだから、政府は銀行を
通して企業の構造改革をしていることになります。その受け皿として産業再生
機構を作って企業再生のお手伝いをしているというわけ。

まぁ、そういったことで「バブル以来最低の水準」なんていう言葉には
意味がないと思っています。異常な高揚を正しい上昇だと言うのなら、
バブルの正当性を説明して欲しいし政府の経済政策の舵取りミスはなかった
と説明して欲しい。それができなければバブルは異常であり、その期間の
動きは比較するに値しないと言うべきです。小泉内閣はその大きな要因と
して、特に官庁の構造的な問題を認めたわけですから、それに後押ししなく
て何に解決の道を求めようか。つまり構造改革は役所に対して、不良債権
処理は民間に対して改善を求めているわけです。

バブル期の清算なくしては経済成長はありえない。そう思います。
あとはそれを推し進めるためのスケジュールを阻止しようとする人の口を
ふさぐ手立てが欲しいところです。終わりが見えてこないのは、これらの
人たちがいるからです。さっさとやれば、さっさと終わるのです。まるで
子供が注射を嫌ってギャーギャー騒いでいるのと同じことをしている大人
たちがいるわけです。麻酔をして手術をするか、痛み止めだけを飲んで傷口
の自然治癒を天に祈るか。医者はヤブかもしれませんが、この世に専門家が
いないわけですから、まさしく臨床実験ですね。腐って切り落とすのを待つ
方を選ぶか、後遺症は残ってもケガをする以前に近い状態まで回復するかは
医者次第ですが、融通の利かない従来の術式しかやらない医者に比べれば、
他の人にはやれないことをやってのける新米の医者の方がまだマシだ。
いろいろと異論はあるでしょうが、とにかく竹中大臣がんばれ。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年05月17日(土) 資金注入決定、それから・・・。

「大手金融グループのりそなホールディングス(HD)が17日、公的資金注入の
申請を決めたことを受け、政府は同日夕、預金保険法102条に基づき初の
「金融危機対応会議」(議長・小泉純一郎首相)を招集し、HD傘下のりそな銀行
への資本注入を決定した。申込期限の30日まで申請を受け付けるが、注入額は
2兆円を上回る規模となる見込み。
日銀も同日夕、りそなへの特別融資の実施を決め、資金繰りを支援。政府・日銀は
一体で金融危機防止に全力を挙げる方針だが、大手行が実質的な政府管理に入る
ことで、金融システム不安が拡大する懸念もある。
大手銀行に対する資本注入は、金融早期健全化法に基づき、優先株などで注入した
99年3月以来4年ぶり。昨秋策定された金融再生プログラムに基づく「特別支援
金融機関」の適用第1号となる。」 (時事通信)[5月17日23時3分更新]

りそなはあさひ銀行(旧埼玉銀行)と大和銀行の合併銀行。
どちらも地元密着型の都市銀行であるのですが、いわば地銀の発展型にすぎません。
あさひ銀行は地理的に東京に近いこと、大和銀行は信託業務をかかえていることが
強みではありました。でもそこが本業の戦略に焦点が絞られなかった大きな理由で
あり、結局は地域密着という本来の姿に帰結してしまったという悲しさがあります。

銀行のみに公的資金が注入されるスキームが存在しますが、これは明らかに銀行は
公的な企業であることを意味しています。金融システムの根幹を担っているから。
人体でいうと心臓の機能をしている銀行ですから、ここがおかしくなると人体の
全ての機能がおかしくなってしまうという重要な位置付けにあります。血液は現金
に置き換えることができますが、心筋梗塞が起きてしまうとまさしく人体にとっては
致命傷になるわけで、銀行の不健全性は企業や個人の生活を脅かすことになります。

銀行には金融庁が公的資金を、企業には産業再生機構が介入することで再生させる
スキームを作りました。どちらも我々の税金が資金として活用されます。マスコミ
では公的資金の方がよく報道されていますから、銀行と公的資金のことは耳にした
ことはあるんじゃないでしょうか。

銀行も企業もその取引先の数の多さで信用収縮あるいは信用拡大の影響が出てきます。
銀行の取引先の数は企業のそれとは比較にならないほど多く持っています。企業は
選択と集中を推し進めるため、取引先の数を減らす方向にあります。だから余計に
銀行の担う役割は大きくなってきています。どういうことかというと、企業対企業の
信用は相手企業の信用に影響されますが、銀行対企業では多数対1の関係にあります。
1企業は優良でも1銀行の不健全正のために多数の企業が信用を無くすことがある
というのが銀行の関与する金融システムの怖いところです。銀行の公的使命が大きい
のはこいうところにあるんです。政府が1企業である銀行に公的資金を使用すること
にしたのもこの背景があります。1企業に政府が関与するのはおかしいという指摘も
ありますが、いざという場合のバックアップを誰にもできない仕組みでは、金融機関
だけでなく、信用収縮という経済的な効果の観点からも見逃すわけにはいかない。

金融機関の検査基準強化や企業の時価会計の強化が進むことで業績への影響が懸念
され、そこから市場への懸念が転化されるといいますが、そもそも悪いところが
あるのかないのかという情報の不一致という側面で相手方の担保を要求していた
仕組みそのものが不良債権の増加を促したことになっていると思います。つまり、
企業の業績に対する情報の提供に全くの信用を置いているわけではない、個人の
信用にリスクを感じるからこそ銀行は担保を要求する。その情報の中身に信用が
置けるようになれば担保要求することなく情報によりリスク算定をして金利を設定
すればいいのだから、担保を取る必要もなく、不動産神話もなくなる。貸出金利とは
相手方の信用度合いによって設定されるものだから、本来の金利設定に戻ることが
できるのならば、バブル時に発生した不動産神話は起こらないことになります。

そもそも銀行の貸出姿勢がバブル前に不健全になったのは日銀の窓口規制が背景に
あったのですが、このことについては以前に言及したので今回は省略します。
銀行業界は日銀のこの窓口政策にやむなく対応したわけですが、資産価値として
一番安定していた不動産に貸出を紐付けしたところまではよかったのですが、その
商品設計に問題があったことになりますね。価値が変動する不動産に当時の価値の
満額で貸出を行ったことが問題でした。問題の根源は日銀でしたが、それを具現化
させた銀行のやり方にも問題があったわけです。今はそのマズさを一生懸命に修復
している最中。アク出ししながら経営責任を取らせることは正しい行動だと思います。

短期的にはデフレ圧力になりますが、長期的にはやらなくてはならないこと。
破滅的な危機に陥ることでなければ辛くても実行すべきこと。これに手を付けなかっ
たバブル後の失った10年を省みると、今行わなければ永久に行われないでしょう。
辛い目に会わずしてアク出しはできません。小泉内閣がやろうとしてなかなかでき
ないのは、この辛い目に会うことを拒否している政治家、国民の反対に直面して
いるからです。だから予定が予定でなくなっている。予定通りにならなくてそれを
約束違反として潰しにかかる。こういった不健全な行為があるからいつまでたっても
構造改革は成し遂げることができない。

構造改革とは仕組みを変えることと個々人の意識の変化を促すことですから、従来の
やり方や意識を変えないならば構造改革は不可能です。今までのやり方とは違うから
それは間違いだとするのではなくて、正しいか間違いかは客観的に見てどうなのかを
その都度判断できる能力も必要になってきます。その時の時流に流されることなく。

少なくともデフレ対策に関しては従来の成功事例なんかは存在しませんから、従来の
対処療法では傷口が悪化することになります。目先の景気回復を狙った財政支援は
国や地方自治体の体力を落として長期的な借金の増加を促がすことは見えています。
将来の不安を増加させていることですから景気回復とは逆行したことをしています。

10年経過してようやくバブル崩壊の仕組みが解き明かされようとしています。
これからはその対処をするステージに入りました。長期的な不安を増加させること
なく景気回復を促がす処置をしなくてはなりません。だから国債や地方債に代わる
資金調達あるいは資金発生方法を考えなくてはなりません。そのひとつとして考え
られているのが政府通貨の発行。日銀のバランスシートを悪化させることなく資金
を発生することのできるこの方法。政府には出せるカードは残っています。

ちなみに紙幣は日銀紙幣、貨幣は政府貨幣です。
問題は円の価値の低下により為替に影響が出ること。
政府通貨の発行には為替問題も含めて検討すべきことがたくさんありますが、それ
以上に短期的に効果のある方法を考えている時間はないということ。恐らく政府に
具申している人はいるのでしょうが、それを取り上げないということはそのリスクが
大きいと感じているのでしょう。そろそろ国会審議でも取り上げて欲しいですね。

長くなったので今日はこのへんで。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年05月16日(金) 鯉の泳ぐ川

今日の会社での会議についてはいろいろと言いたいことがりますが、
ここでは割愛しましょ。長くなるんで。

さて、ウチのすぐ近所に水道道路という道がありまして、その道沿いに
野火止用水があります。この野火止用水には鯉が放流してあって、夜に
この側道を歩いているとガーガーと鯉が鳴き声をあげることがあります。

始めの頃はこの音が何なのか分からず、カエルの鳴き声かと思っていま
したが、カエルにしては鳴き声が穏やかなので、流れをジーッと眺めて
いたら、何やら赤とか黄色とか黒とかが動いているんですね。

夜だとそれが何かが分からなかったから、朝の通勤時に確認してみると
泳いでいるじゃないですか。鯉がウヨウヨ。気にも止めないような流れ
ですから、まさか鯉がいるような流れとは思いませんでした。

鯉の放流というと、実家のある久留米の市街地を流れる池町川という
川が流れていまして、そこにも鯉が放流されています。この川はかつて
ドブ川で有名でしたが、ある時から筑後川の水が流れるように通水して
見違えるように水質が変わりました。変わったといっても筑後川の中流
の水ですから、遠目には緑色なんですが、小さな池町川の水深の浅さでは
川底がちゃんと見えるぐらいのきれいさに見えます。で、水質の良さを
アピールするために鯉を泳がせたといいます。でも鯉って水質の悪さに
耐えられる魚ですから、決して鯉が泳いでいるから水質のきれいさを示し
ているとは言えないのですけどね。色付きの鯉が泳いでいるのを見ると
視覚的に訴えるものがあるから、それだけでも良かったのかな。

そういえば品川区を流れる立会川にボラの大群が押し寄せた時のあの色は
なんとも気持ちのいいものではありませんでしたよね。あれがカラフルな
色だったらもっとイメージが違ったんでしょうけどね。

立会川の場合は自然の回帰を示していますが、池町川の場合は人工的に
泳がせているわけですから、鯉以外の淡水魚が流れを遡ってくるなんて
ことにはならないんでしょうね。この川で生まれた魚でない限り。

ま、そもそも野火止用水は魚が住んでいた川ではなく、武蔵野台地の
水はけの良すぎる土壌に水を供給するために人工的に作られた用水です
から、昔の人が見たらびっくりするかもね。畑に水を引くために作られた
用水に鯉が泳いでいるよって。今ではその役割が終わりを迎えています
から、ただの小さな川に落ちぶれてしまっていたので、街の観光化に
一躍噛んでいると思えばこの鯉の存在も理解できないでもないですね。
そういうところに田舎を思い出すのでした。

はい。今日は曇りときどき雨。(東京地方)



2003年05月15日(木) 同僚の楽しみはオレの話題?

そろそろ仕事を切り上げて帰ろうかなと思っていたところに同期入社の
ヤツから電話があり、同期会をやっているから来いよと言ってきた。ま、
どうせ2,3人でやっているんだろうと思ったし、久しぶりの飲みだから
いいかと思い、ホイホイと繰り出しました。

出向いたところで言われるだろうことは予想していましたが、まぁあそこ
までその通りに言ってくれるとはね。いい加減に嫁さんもらえよって。
こっちだって好き好んで一人身でいるわけではないので、その話題には
多くの時間を割かないようにさらっと逃げました。人を批判することは
簡単だけど、その人の身になって考えるとそう簡単にはいかない年齢に
なっていることは言っている本人も分かっている。自分らだって20代の
勢いがなくなっていることはよーく分かっている。

結婚して子供ができてしばらくして落ち着いてくると、どうしても家庭内
の話題がなくなって外に話題を求めるらしい。だから同期の一人もんの
ことを話題に上げて責めたくなることは分からないでもないけど、それを
聞いているこちらはいい気分にはならないよね。

そんなことはいいとして、同期の一人のヤツの知り合いらしき人間が近く
の席にいて、店も閉店の時間になり駅まで一緒に帰っていたのですが、
「しむちゃん(仮称)は新居浜では有名でしたよ。」
と声をかけてきた。オレ、そいつのこと知らないし覚えていない。(苦笑)

聞いているとひとつ下の入社らしい。で、どうもしばらくは同じ会社の寮に
いたらしい。でも覚えていない。名前を覚えてくれていたことはありがたい
ことなんだけど、こちらが全く記憶にない人間から名前を知られているって
いうのも何だか気持ち悪いよね。本人には失礼だけど。

本人たちは同僚ふたりとつるんで2次会に行ってしまいました。
自分はもうひとりの同僚と一緒に帰りました。

明日は大事な会議があるのでさっさと寝ます。んじゃ。

はい。今日は雨ときどき曇り。(東京地方)



2003年05月14日(水) 短気は損気

今週の金曜日に提携先と引継先とで第2回目の3社会議が行われます。
それに先だって、確認の電話を提携先のマネージャーがしてきた。

用件は同僚に伝えたいようでしたが、あいにく離席中だったので自分が
用件を聞きましたが、そのついでに引継先との契約は進んでいるかと
聞いてみたら、まだまだ先は長いようです。

というのも、提携先は装置メーカ、引継先は技術系の人材派遣会社。
引継会社の当初の狙いは従来通りの派遣請負であり、装置販売までは
手を伸ばさないことでした。でも商売としてサービス業務と装置販売
を別会社が行うなんてことは、サービスを受ける側としても、装置を
売る側としても、情報の横通しができないことに加え、責任の所在が
曖昧になってしまうという不都合が起きます。その他にもいろいろと
不都合なこと、あるべき姿でないことがあります。

装置販売に関しては大きく分けて、装置の新規販売、メンテ業務、
それからパーツ販売があります。これらを切り離して商売することが
非常に難しい、つまり客先にとっては改悪であることは明白です。
ひとつは窓口が増えること。それからもうひとつは装置導入の有利性を
社内的に説明できなくなること。イニシャルコストの回収をランニング
コストの低さで説明できることも、これが切り離されるとイニシャルの
大きさだけが目立ちます。ということは、新規の装置販売にも影響が
出てくるということなので、販売側にとってもメリットがない。

組み合わせではなくてあくまで一体で装置販売からアフターサービス
まで行うことで初めて装置導入のメリットを説明できるはずです。
どちらの会社もいくら優秀であったとしても、所詮別会社ですから、
それぞれの方針に基づいて行動が決められますから、必ずしも両者の
ベクトルが一致するわけではありません。それでは客先が望むサービス
を提供できるとは言えないことは誰が見ても理解できる。

ただ、批判はいくらでもできますが、ウチの会社としてはとにかく
どういった体制になるにせよ、提携が終了したわけだから早期に手離れ
できるように進めていかなければなりません。こちらはこちらの計画が
すでに進行しているわけですから、この引継作業で手間取るために、
こちらの計画を遅らせるわけにはいかないからです。

どうやら3社ともにお互いの腹の探り合いの様相ですから、金曜日の
会議の席では下手な発言ができないと予想されますが、恐らく自分は
そんなつまらないことで時間を費やすぐらいなら、こんな引継作業は
やめちまえと言いかねません。そして提携先が装置販売そのものを
止めてしまうことも可能性としては否定できません。上司が一番恐れる
ことはこのことです。だから自分は感情に流されないで冷静に対処する
ことに努めなくてはなりません。理想の姿を求めるだけでは引継ぎが
うまくいかない場合もあることを肝に銘じながら。

自分は見た目の落ち着き方とは違って結構短気ですから、口を出さず
にはいられなくなるかもしれません。当日は司会者に徹して、発言は
差し控えるようにしようかな。すべては結果が悪くならないようにする
ためのものなので、自分の意見が通るかどうかは二の次。

現在、引継ぎにかかる費用の試算をしている最中。
多少のコスト発生よりも早期手離れが最優先課題。撤退遅れのリスクの
方が目先のコストよりも大きいことは経験上立証されています。計画の
主導権を相手に握られないことが重要なので、とにかくジーッと様子を
見ながらどう出るかをその場で考えることにします。

はい。今日は曇りのちときどき雨。(東京地方)


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しむちゃん [HOMEPAGE]

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