しむちゃんのつれづれ日記
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2003年11月19日(水) つまらないことで言い争いはしたくないから言わないけど

本当は今日載せたいことを用意していましたが、上司のひとことが自分を
ムカつかせたので、少々そのことについて愚痴らせて下さい。

傍から見るとつまんないことに聞こえるかもしれませんが、それは馬刺しの
話題になった時のこと。同期の人間が用事でウチの職場に立ち寄った時に
出張で熊本に行くから、その時に霜降りの馬刺しで接待だと言い、それに
上司が霜降りはうまいよなと言っていたから、自分が口を挟みまして、

「霜降りの馬刺しは地元の人は食べませんよ。あれはヨソの人向けです。」

と言うと、

「キミが言うのは嗜好の問題だろ?好き嫌いは何にだって誰にだってあるよ。
一般的に霜降りはおいしいものだ。」

と言うのでカチンときました。
オレの言っていることが正しい、と思っている人にいくら説明をしても聞く
耳を持ちません(少なくとも彼らはそうです)から、ムダなエネルギーを
注ぐことはしませんでしたが、地元の人間を目の前に否定するとはいい度胸。

あんたの言う一般的とはサンプル数がどれだけのもんだと問いたいところ。
圧倒的に自分の方がサンプル数が多いから誤差は明らかに小さい。シックス
シグマを習得した人の発言とは思えない。ただの思い込みです。しかも、
当地に住んでいるわけではないからあくまで聞いただけの情報です。こちらは
地元の情報がいやでも耳に入ってくるし、お邪魔したお宅でも来客用には
霜降りではなくて赤身です。わざわざ太らせて脂肪の乗った馬刺しを食べる
習慣もない。そりゃ好きな人はいるでしょう。その数が多いかどうかを言って
いるわけです。みんな霜降りが好きで食べていたら、自分も霜降りを口に
していたでしょうよ。霜降りはおいしいと耳にしていたでしょうよ。それが
今の今まで霜降りがおいしいなんて地元の人から聞いたことがないという
ことは、その数が圧倒的に少ないということ。商業的においしいと洗脳されて
いる人はおいしいと感じるかもしれませんけどね。でも舌はそうそう変わる
ものではありません。

ちなみに自分の実家は久留米です。熊本県ではありません。
でも久留米は福岡の文化というより熊本と佐賀の文化に近い。福岡とは山で
遮られていますすが、佐賀や熊本とは分断するものが少ない。人の行き来も
福岡に比べれば多かった。言葉を見れば明らかです。博多弁よりも熊本弁に
限りなく近い。これは人の行き来が多かった証拠です。生活環境が近かった
証拠です。全てがそうだとは言いませんが、熊本の多くの知り合いやその
ご家族を見てきた限りでは、こと馬刺しは霜降りの「し」の字も出ません。
赤身が常識だからです。近所の肉屋とか馬刺し専門店に行っても霜降りは
売っていません。需要がないからです。

馬刺しの霜降りは牛肉の霜降りの影響です。
霜降りはうまいという観念を馬刺しにも適用させたかったのでしょう。
でも馬刺しにある脂身は馬刺しに合いません。馬刺しは生肉ですし、少々
馬独特のクサミがあるから、あの脂身の臭いは違った肉のように思えます。
だから自分の知り得る範囲の大半は霜降りを食べません。これは文化です。

こういった背景なんかどこ吹く風の彼らですから、あーだこーだ言っても
あっそ、てな感じです。しゃべるこっちも気分悪くなるからしゃべるのを
やめた次第です。

というか、言い方が問題。
オレの知り得る範囲では霜降りが好きだと言う人が多いぞ、と言えばいい
ところなのに、「一般的に」と言うから癪に触る。食文化を無視している。
土地が変わると食文化も変わることを全く理解していない。どこでも同じ
味覚を持っていると勘違いしている。恐らく彼らの地元のことを一般論で
切ってしまうと、その土地のことを知らないからだと反発するだろうに。
(ちなみにこのふたりは愛媛と埼玉の出身です。)

こんな上司とふたりで職場にいる時間が早く終わって欲しいと思うこの頃。
ちょっとしたことで憤りを感じてしまう自分にも反省しながら。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年11月18日(火) 正月の帰省はどうしようかねぇ

年明け頃に仕事以外で忙しくなりそうな雰囲気です。
職場の異動が年明けになる可能性が出てきいるから、そちらの方も慌しくなるかも
しれませんけどね。(職場はいずれにしても東京地区なので引越しは不要。)

正月明けの3連休中に、大学時代のクラブの同期が卒業以来の同窓会をやらないか
と言ってきているからです。でも、どうせやるなら年末当たりにやって欲しかった。
年末年始に帰省して、一旦東京へ戻ってからまた福岡へ帰省するなんて二度手間。
しかもまだ繁忙期が解除になっていないから飛行機代も高い。特割を使っても片道
3万円弱かかります。これじゃあ、車で帰っても掛かる費用は変わりません。

で、他にも帰省する用事ができつつあり、もうこの際ですから親に断って正月は
帰省しないで、この3連休にだけ帰省して、少しばかりの有給をくっつけてしまおう
かなとも考えています。もし、異動の話が現実になれば、うかうか休みを取っても
いられないので、この計画はなくなるかもしれません。少しばかり時間が経ってから
もう一度考えてみようと思います。

まぁ、もしこの計画が実現するとなると、逆に正月がヒマになってしまうわけで。
とはいえ、今の時点ではどちらとも言えない状況です・・・。

はい。今日は晴れ。(東京地方)



2003年11月17日(月) 危険な雰囲気

月曜日からボチボチやっています。
以前だったら忙しさにかまけて手を抜いてきたことも、人がいなくなったから時間を
かけてでも足を動かしてでもやらなきゃならなくなりました。

時間があるからやりますよ。あーやりますとも。


さて、日本もいよいよテロの標的になってきました。
情報を得た投資家は円を売りドルを買う行動となり、一気に1円50銭も円安となり
ました。日本がイラクへ自衛隊を派遣すれば日本の首都圏を攻撃の標的にするという
声明が中東系のマスコミにアルカイダを名乗る者から寄せられたからです。

”AFP通信によると、ロンドン発行の週刊誌アルマジャラに、アルカイダの指導者で
アブムハンマド・アルアブラジと名乗る人物が電子メールで送ってきた。その一部には
「(日本人が)経済力を破壊し、アラー(神)の軍隊に踏みつぶされたいのであれば、
イラクに(自衛隊を)送ればよい。我々の攻撃は東京の中心部に達しよう」との文面が
あるという。

また、ロンドン発行のアルクッズアルアラビ紙にもアルカイダ傘下の「アブハフズ・
アルマスリ軍団」と称する組織から電子メールが届き、日本とともに英国やイタリア、
オーストラリアの名を列挙して、「犯罪者ブッシュ(米大統領)の追従者」と非難。
そのうえで最近起きた一連の爆弾テロの犯行を認め、「(テロは)バグダッドやリヤド、
イスタンブールにとどまらない」として、日本もテロの標的にするとしている。 ”
(朝日新聞 11/17 11:35)

小泉首相はテロには屈しないと声明を出しましたが、日本の首相がこのような声明を
出しても国としての強い意思と受け止められるかどうかと言ったらそうでない。何故か。
それは憲法九条があるから。これがある限り国外における戦闘行為はできません。

戦闘行為を想定していない(できない)日本においては、仮に国外からの攻撃を受け
たとしても、それに対抗できる防衛手段を持てないということです。国外に敵国が
いないわけですから、当然いざとなった時の防衛にも限界があります。

米ソの冷戦時代はそれで良かった。
米ソのにらみ合いで他の国も牽制されていましたから。小さなイザコザはあったにせよ。

世界的な協調が重視されてきてからは、それぞれの国が自身のことを守っていく必要が
でてきました。米ソの圧倒的な軍事力が衰えてきてからは、それまでの軍事負担が
各国に負わされてくるようになりました。日本も例外ではありません。

このアルカイダを名乗る者からの声明は、日本の出方を探っているのかもしれません。
従来のように友好的な日本となるのか、米国と同様、攻撃的な関係にすべきかの分れ目
なのかもしれません。しかし残念ながら日本の取る道はひとつしかありません。

それは米国と同様の歩調、つまり自衛隊のイラク派遣です。
法律上の制約から行動は戦闘行為以外のことになりますが、いずれにしても自衛隊が
イラクへ出向くことに変わりありません。やることはどうであれ、日本の「軍隊」が
当地へ出動することに対してテロ集団は敏感にならざるを得ません。

なぜそこまでして日本はやらなければならないか。
それは米国が圧倒的な覇権国ではなくなったからです。
それと経済大国であった日本に陰りが出てきたため、カネで軍事力を買えなくなった
からです。この二つが大きいと思います。戦後のいい時代は終わりました。各国が
応分の負担をする時代が来ました。これはカネだけでなく人的な貢献も含まれます。

神の国に仏様はいないと言えば分かりやすいでしょうか。

経済復興と国家自立。難しい局面に入ってきました。

はい。今日は晴れ。(東京地方)



2003年11月16日(日) ちょこっとだけ

世界中で宗教を背景にした戦争やテロが勃発していますが、その際たるものが
キリスト教vsイスラム教・ユダヤ教、つまり。欧米vs中近東(東南アジア含む)
とも言えるでしょう。

3つの宗教には共通点がありまして、どれも一神教であること。それらの神様は
名の違いはあれ、古代イスラム教を源とした同じ神様です。

それなのに、お互いに排除する行動を取るのはなぜでしょうか。
十字軍以来の憎しみ合いなのでしょうか。もっと根が深いのでしょうか。
融和することはできないのでしょうか。

この疑問が解消しない以上は、いつまでたっても宗教は怖いという観念を拭い
去ることができません。

はい。今日は晴れ。(東京地方)



2003年11月15日(土) 総選挙を振りかえって

さて、総選挙から1週間が過ぎようとしていますが、各政党のマニフェストを
記憶されている方はどれだけいらっしゃるでしょうか?何かひとつでも覚えて
いるでしょうか?

かくいう自分は冊子を見直さないと覚えていない状況。
それだけ真面目に検討しなかった証拠でしょうか。せいぜい先日総括した程度
であり、個々の内容までは記憶に残っていません。マスコミの盛り上がりと
盛り下がりに連動してすっかり頭が切り替わっているという情けなさ・・・。

選挙が終わって、それまでは毎朝駅前で叫んでいた立候補者がいなくなって
静かな毎日に戻りました。せめて選挙結果に対するお礼と挨拶ぐらいしても
いいかなと思いますが、そんなことやっている立候補者はひとりもいません。

救われるのは、選挙があるなしに関わらず駅前で訴えを行なっていた共産党の
おばさんとおねーさんが寒い朝になったにも関わらずいつもの格好で駅前に
立って声を出していたということ。おばさんとおねーさんといえば失礼ですが
彼女らは市会議員です。お疲れさまと声をかけたいぐらい感心します。声を
かけたい、ということは声をかけていないということ。賛同しない共産党の
党員に声をかけることは自分のちっぽけな信念に反するからです。それでも
市民に訴えかける姿勢には頭が下がる思いです。党がどうこうではなく個人の
姿勢として。

政治家は選挙民から投票してもらって始めて議員になることができるわけだから、
当選しようが当選しまいが、その結果を踏まえて市民に感謝の意を表すべきだ
と思います。そこにいる人が自分に投票してくれたかどうかは関係ありません。
次もまた投票して欲しい、今回投票していないなら次は投票して欲しい、と
いう姿勢を見せるべきだからです。選挙が済めば用はないとするのはいかにも
市民無視の姿勢です。そういう細かいことに気を遣うより、国会でやるべき
仕事がたくさんあるから構っていられないというのは詭弁です。投票前は頭を
低くして、投票が終われば知らん振りとはいかがなものかと思います。

礼節を知らない国会議員は、考えていることは腹黒いと言わざるを得ません。
オレがおまえたちを生かしてあげているなんてつけ上がるのもいい加減にしろ
と言いたいです。地道な政治活動をしている人がどれだけいるだろうか。
国会は手続きですから、その手続きの源である選挙民の声は大事です。これを
無視しては民主主義は成り立ちません。声を拾っていくには議員自身に信用が
なければなりません。党首・幹事長の応援があったからあんたは当選できたと
言いたい人もいるわけです。どんな仕事をしてきたのかと問いたくなる人も
たくさんいるわけです。肩書きが実績であるわけではありませんから。

自民党が比例区で大負けしたのは、そんなつけ上がり議員が多いのが理由では
ないでしょうか。大都市圏(1区)であればあるほど、田舎から引っ越して
きた人が多いわけですが、そんな人たちは田舎のプライドを隠して都会の顔を
したい人ばかりだから、本心を表すことを嫌う場合が多い。そんな人たちは
都会の議員のつけ上がりを見るにつけ、いよいよ敵対心を持つわけです。その
敵対心を持たれる筆頭が自民党ですから、都会の自民党議員は謙虚な心と姿勢
を持つことを求められているわけです。

加えて、都会に住むエリート心を持った人たちからすると、昔ながらのどん
くさい政治をする議員や政党を心良く思っているわけではないので、表向きでも
説得力のある政策がないと支持をしようとは思いません。自分は彼らのこの
行為は必ずしも国民レベルの生活を向上させるとは思いませんが、少なくとも
社会的に正常だと思われるかどうかは別にして建前を支持して自身を正常だと
思い込んでいる動物ですから、ある意味、頭が堅いと思います。ですから論理的
に説得できる能力が求められるわけで、従来の力技や有名どころの名を借りての
選挙では勝てるはずがありません。逆に信用がなくなって見切られます。

ちんけなプライドを持った人が集まった地域を都会と称するならば、そこから
選出される議員は、そんな人たちを説得するだけの政策や行動を伴っていなけ
ればなりません。見透かされないようなしっかりとした意思のある人が求め
られることになります。ただ、社会の信用が建前で形成されているならばそれは
それでいいのですが、そうであるがために本音を言えない社会になってしまう
ことが怖いわけです。

そういう意味でも、駅前に立つ共産党の市会議員の方々は、市会議員らしい仕事
をしているな、と感じるわけです。こういう人たちが自民党にいてくれたらなと
思うわけです。悲しいかな共産党はいつまでも政権政党にはなれませんから。

てなことで、今回の自民党の惨敗は小泉政治の失敗ではなくて、個々の自民党
議員の日頃の努力と姿勢が問われた選挙であったということで締めたいと思い
ます。失礼しました。

はい。今日は曇り一時雨。(東京地方)



2003年11月14日(金) 変えていくのが付加価値

ウチに帰っていつもの場所に座ると、そこにパソコンがあるのとないのとでは
まるで風景が違って見えます。風景だけでなく、気分的にもそこにいつも見て
いたものがないと不自然でしたから、ようやく手元に戻ってきてホッとして
いるところです。だから何ができるかというとできることは何もありませんが、
当たり前のことを当り前にやっているだけなので、それが生活のリズムなので
しょうね。

さて今日は会社の帰りに車で会社に立ち寄っていた後輩と一緒に帰りました。
帰る方向が一緒だったので。職場が近くなったので、目に入った自分を見て、
声を掛けてくれました。(通勤ではなくて仕事で車を使っている人です。)

車中の会話で気になったことがあります。

仕事が忙しいから人を増やしてくれ。余計な事務処理をするから残業を押し
つけられて本来の仕事ができない。これは問題だ。

と言うから、切り返しました。

仕事の質、やり方を変えないで量が増えたから人を増やせと言うのは、それは
キミが自分の仕事を変えるつもりがないということを言っている。なぜなら
増えた分を他の人にやらせたいと言っているわけだから、自分の仕事量はなんら
変わらないことになる。効率を良くして自分の仕事量を増やせる努力をしよう
とは考えないのか。給料が増えるのと同じくして、仕事量を増やそうとは思わ
ないのか。同じ仕事をしている以上は同じ給料でも構わないのか。むしろ同じ
仕事しかしていないのなら、給料が上がること自体がおかしいとは思わないか。
もしそう思わないのなら、年を増すごとに不良社員と化することを肯定している
ことになるぞ。その積み重ねが会社を悪くしていることになるぞ。それこそ
リストラの対象になりやすいから自分の首を絞めていることになるぞ。自分を
変えないで他責にするのは簡単だが、それでいいと思っているのか。キミは
営業だから、人を増やした分をカバーできる受注を約束してくれるのか。それが
できないで仕事量が増えたというのは会社の目からすると不自然にしか見えない。
仕事のやり方がおかしいとしか言えないだろう。どうやってその人の給料を
支払うつもりなのか。見方を変えてみろ。学卒の生きる道は頭を使っていくこと。
それができないなら学卒の給料すらもらえないぞ。

なんて説教をしてしまいました。
運転をしながら良く聞いていたと思います。これだけ言われたら途中で寝てしまう
ところです。自分だったらイライラして運転が荒くなってしまうかもしれません。

彼はやる気のない人間だとは思っていないから自分も言ったわけで、そのあたりは
本人も良く分かっています。入社は彼の方がひとつ下だけど、年齢は同じなわけで
会社生活は1年しか変わらないし、人生は同じだけ過ごしてきています。だから
自分の言いたいことは良く分かっているわけで、本人は分かった上で発言したこと
だと思いますが、ついつい言い過ぎてしまいました。

こういう話はなかなか社内ではしゃべる人間もいないからね。
みんなそれぞれのプライドをもって仕事をしているから、自分の仕事のやり方に
異論を唱えられると反感を抱きます。それでも、おかしいことはおかしいと言う
ことができる社内環境にしたいわけです。(社民党委員長を辞任した土井たかこ
さんも、同じことを言っていましたね。)

こういうことを話せる人間が社内にいることだけでも救いなのかもしれません。
誰も会社をダメにして自分を路頭に迷わせることなんか考えていませんからね。
仕事のやり方を変えることは非常に難しいことではありますが、結局は会社の
ためでなく自分が会社で生き残るために仕事をしているわけだから、そこに自分と
いう社員がいることを評価してくれるようにしなければなりません。そのためにも
従来と同じことではなくて、従来以上のことができるように頭を使うことが求め
られているんです。だから年功序列の悪い習慣を会社は排除することを宣言した
わけで、社員もそれに伴って、自分の能力を発揮して行くことが望まれます。

従来の仕事を変えないのはお役所だけで結構です。
民間の活力は変化をしていくところから始まるのだと思います。
小さな改善努力の積み上げが活力の源だと思います。だからこそ、そんな小さな
努力を評価してくれる制度を作らなければなりません。活力は個々の成果を評価
してくれることにあると思います。評価のできる人間を育てることにあります。
少なくとも自分の会社はそうなって欲しいと思っています。

誰かのためにではなく、自分のためにね。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2003年11月13日(木) バイオ君 復活

朝から体調が悪くて今日は会社を休みました。

会社に連絡した後、しばらくボーっとしていると家電屋から電話が。
「○○○東所沢店ですけど、ご依頼の商品の修理ができあがりましたので
ご連絡致しました。お早めにお引き取りにお越し下さい。」

はいはい。ありがとう。今日はしんどいから週末にでも引き取りに行くよ、
と言いたかったところですが、部屋でボーっとしているのもムダな時間を
過ごしているようで、夕方になってから引き取りに行くことにしました。

それにしても電源が入るようにするだけで15000円とは高いよなぁ。
さすがソニー製品だと改めて感じました。まぁ3年間はまともに動いて
いたわけだから、ソニー製品としてはマトモな方だったかな。

ウチに持ち返り、早速立ち上げて動作の確認とアプリケーションが壊れて
いないかの確認をし、今日はそこまで。あれこれいじるのは週末にしよう。
それにしてもADSLはいいねぇ。ダイヤルアップは本当に不便でした。


この2週間ほどの間、部屋でPCを触らなくなってからというものは、
ゆとりの時間ができました。部屋で日記を書く時間も睡眠時間に変わった
わけだから、自身にとってはいいことだったと思います。

日記を書かなきゃと思って2年半。本当に毎日欠かさずに書いてきました。
かける時間を間違っているんじゃないかと思いつつも書いてきました。
でもそろそろ毎日の更新は止ようかと思います。その分、現在中断している
テキストの勉強を始めて、そちらの方に時間を割く時期かなと思います。

ひとつの区切りとして3年間。来年の5月までは書き続けることにします。
その後はヒマを見つけてといった感じになるかな。書き続けることに苦痛を
感じているわけではありませんが、時間のかけ方を別のところへ向かわせる
方が自分にとってはいいことだと思ったわけで。バイオ君が冬眠したお陰で
このような考えに至りました。

まだ半年先のことですが、今から宣言しときましょ。
あ、でもこの日記は週末に更新ね。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2003年11月12日(水) 神社・お寺・お宮

これらの違いって何か知ってる?と問われて、その場ではうまく説明できず、
調べている最中です。

その場で答えたこととは、

・神社−仏教伝来以前から存在する神道に基づく神様を奉ったところ  
    天皇も神様に含まれる

・お寺−仏様を奉ったところ

・お宮−???

神社とお寺の違いは、社の前でかしわ手を打つか打たないか。
神様は社にいるわけではないから呼び出す必要がある。だからかしわ手を打つ。
仏様は社の中に奉ってある。そこに向かってお祈りをするからかしわ手は不要。

もうひとつ言えば、鳥居があるかないか。
鳥居をくぐるのが神社で、鳥居のないのがお寺。
神前に立ち入る際には決められたところから入らなければならない。
その入り口が鳥居。もともとは「入り戸」あるいは「入り人」と言った。
「入り戸」を逆から読めば「とりい」となる。これが鳥居の語源。
(神仏習合で混在しているところもあるという指摘は受けること覚悟の上。)

そういえば、お宮って何だっけ。きつねに油揚げだっけ。あれはお稲荷さんだ。
水天宮も宮という字がついているからお宮かな。でも水の神様、安産の神様
というからな。お稲荷さんだけがお宮かな。どうなんだろう。

なーんて、分かったような分からないような、自分でも要領を得ないことを
言ったなと反省しています。そこであらためて調べているというわけ。


神様を崇拝する心は精神文化。つまり、聖なる力は固定された何かに基づいて
いたわけではなくて、形がないからこそ自然の全てに神の存在を置いてそれを
伝承として伝え、地域ごとに様々な神様が言い伝えられているのだと思います。

仏教が入ってきてからも神道が根強く生き続けたのも、その言い伝えがあった
からこそだと思います。まぁ、「神」という言葉は天照大御神が起源とされて
いますから(日本では)、この流れだと解釈しても間違いではなかろうかと。
それはまさしく天皇直系を神と見なすことです。ただ、各地の神社と天皇家は
必ずしも結びついていないと思う今の段階では、天皇家を神社の守り神と直結
するのは危険だと考えています。古代から各地域で神と見なしたものを奉った
社が神社になったと考えるのが自然なんでしょうかね。もともとそこに神様が
いた場所ではありませんから、呼び出す必要があるのでかしわ手を打つ。

一方、お寺の方ですが、これは教派の違いはあれ、仏様を中心に奉っている
のはどこも同じですから、仏様が奉ってあるだけでお寺だと言ってもいいかも
しれません。公益として建立されたのがお寺で、個人の家は仏壇です。個人に
おいては亡き人を仏様と呼ぶのは仏教の教えなのでしょうか。とはいえ今では
葬式仏教に落ちぶれてしまった感はあります。仏様には手を合わせて静かに祈る。
(結婚式では神式・キリスト教式、葬式は仏式が主流。大晦日には除夜の鐘、
正月には3社参りなどと宗教が入り混じっていますね。クリスマスやバレンタイン
デーなんかは宗教とは関係なく広まったこの日本は何なんでしょう???)

日本人の宗教心について、このようなコメントがあります。(杉田荘治氏)
・日本人の宗教心の源は民族神道であり、それがいつも心の基調となっている。
・日本人にとっては神も仏も、本質的には同じである。
・生き仏
・日本人は一つだけの神、一つだけの宗派を忠実に信じることには、注意深い。
・日本人は祭りが好きで、神とともに楽しむ。

詳しい記述は彼のHPを参照して頂きたく。

さて、お宮さんですが、いろいろと見ているうちに、お宮=神社という記述の多い
ことが目に付きます。つまり、お宮とは神社境内の社のことを指しているということ
です。ということは、お稲荷さんも神社ですね。だから、神社・お寺・お宮と
いう分類ではなくて、神社とお寺の二つに分ければいいだけの話でした。
(例えば赤ん坊の「お宮参り」ってありますが、これは地元の氏神に対して、その
地区の氏子にしてもらうためのお参りです。お願いをしに行くのは神社ですよね。)

というのが今の時点での結論。

神仏習合とその分離などという歴史的な側面もありますが、話がややこしくなり
ますので、そのあたりは割愛します。

でも、外来の宗教は本来の教義とは違う形で入ってきてしまった(あるいは都合の
いい形、日本に馴染む形で広めた)ので、仏教もキリスト教も、ある意味では
どちらも日本教と言うこともできるわけで、違う宗教と解釈すること自体、意味が
薄れているのかもしれません。日本の神道も然りです。

格好や儀式に違いはあれ、やっている行為(お願い事をする)は同じでは。
神様頼み、仏様頼み。お願い事をすればかなえられるとするのは違和感が・・・。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年11月11日(火) ヒマに逆戻り

引越し作業もひと段落し、通常の業務に戻っております。
しかしこれがやりにくい環境です。

フロアは変わりませんが、以前いたところから端へ追いやられて、他の部門が
移動してきて周囲を取り囲みました。しかもウチのシマは2人しかいませんし、
所詮彼らからしたらヨソ様ですから、やっぱりよそよそしい。ウチの職場と
彼らを仕切る線引き(ラックとかパーテションなど)はありません。

見通しがいいからこちらの仕事もあちらの仕事も丸見えです。声も筒抜けです。
でも電話が鳴っても誰も取ってくれません。知らない人からの電話だから
対応が分からないという理由です。別に構いません。あんまり電話もないし。

しかし、なんだか同じ職場で村八分になっているような気分です。
しかも急を要したり、とりわけ忙しいわけではないから、のんびり仕事をして
いるわけで、通常業務を持つ者からすると異常に見えるのかもしれません。
「ヒマ」な部門ですから。

ちなみに、現場作業がヒマなのは深刻ですが、事務屋がヒマなのは必ずしも
悪いこととは言えません。逆に、忙しい状態がずっと続く方がまともだとも
言えないのではないでしょうか。

程度の問題でしょうが、ヒマ過ぎたり忙し過ぎるのは、

�〇纏�のやり方が悪い(個人の能力)�⊃�場の運用が悪い(上司の能力)

ことに尽きるわけで、総体的な仕事量が増えたから忙しくなったというのは、
効率を無視して従来のやり方を踏襲しているからそう感じるのであって、ただ
忙しいから人を増やせというのは事務屋の発想ではありません。本来はね。
(税収が足りないから国債を発行して補え、というのと何だか似ています。
本質を問わない小手先術だと思います。)

ただ、ヒマ過ぎる人の中には意図的にヒマにされている(干されている)人も
おりますから、運用の範疇では言えないこともありますけどね。

事業が存在している中での仕事は、個人の裁量と職場の運用で多くは解決される
ものですが、事業が存在していない職場の仕事は、いわゆる循環的なことを
するわけではありません。自分の場合は事業管理業務がありますから毎月の
仕事があるのでそれだけは循環的ですが、事業終了に関することは、基本的に
依頼ベース。こちらから主体的にやることはほとんどありません。

とはいえ、ヒマな自分と普通に仕事をしている人とが同じ環境に存在すると、
お互いにけん制してしまうような気がします。少なくとも自分はそのことが
気になっているからこのようなことを書いているわけです。

建前としては、ウチの職場は早期に業務を終了させて、人材の異動を速やかに
行うということになっていますから、仕事がなくなることは悪ではありません。
ヒマな職場を隣で見ている人たちからするとわれわれは悪と見られるかも。
なにせ仕事をしていない(やる仕事がない)んだから。

仕事がなくなれば、人材も他へ異動せざるを得ませんから、ヒマな職場で白い
目を向けられることもなくなります。早くそうなることを祈っています。
祈るばかりではなくて、仕事がなくなるようにしなければなりませんけどね。

はい。今日は雨ときどき曇り。(東京地方)



2003年11月10日(月) 衆院選結果

もはや時期遅しですが、恐れずに書いてみたいと思います。
これを書いた時点は選挙の翌日なので、とりあえず時事的な話題ということで。

総選挙の結果について時事通信社の速報から引用します。

衆院党派別当選者数(合計)

 【時事通信社調べ】(選管確定)
党派名  合 計 女 性  重 複 公示前勢力
自 民  240(  9)  37   247(△7)
民 主  177( 15)  72   137(+40)
公 明   34(  4)   0    31(+3)
共 産    9(  2)   6    20(△11)
社 民    6(  3)   5    18(△12)
保守新    4(  0)   0     9(△5)
無の会    1(  0)   0     5(△4)
自 連    1(  0)   0     1(±0)
諸 派    0(  0)   0     2(△2)
無所属    8(  1)   0     5(+3)
合 計  480( 34) 120   475
                (欠員  5)
※自民党は追加公認3人を含む

数字上では民主党ひとり勝ち、他は吸い取られ。与党では公明党だけが善戦。
自民党は単独過半数を狙い失敗、民主党は政権奪取を狙い失敗。結果の数字
だけではなんとも判断しにくいこの結果。当事者たちもいささか当惑している
かもしれません。

当日は各局が選挙速報を放送していたから、特にテレビ朝日を集中的に見て
いました。ニュースステーションでの民主党の仮想内閣を30分放送したことで
自民党の幹部がテレビ朝日への出演を拒否したことも後から分かりました。

久米宏氏が放送中に言っていたことの意図がうまくつかめなかったのですが、
後半の田原総一郎氏のコメントでようやく分かりました。テレビ局としての
バランスを欠いているという批判によりテレビ朝日のみの出演拒否でした。

民主党の仮想内閣は自分としては軽く捉えていましたが、自民党はそうは捉えな
かった。とりわけ自民党の苦戦が予想されていたから選挙妨害とも受け止められ
かねないことであったわけです。

というのも、自民党は政権政党ですから、あらためてこの選挙期間中に選挙後の
組閣なんていうものを考えてもいません。ですから、民主党が30分も放送時間を
取ったなら、自民党にも時間を与えろという考えにはなりません。自分にやる気が
ないのだから、民主党だけが勝手にやったと捉えるしかありません。それを受け
入れたテレビ朝日が悪いという論理です。(自民党は出演依頼に対して断りを
入れてきたといいますから)

テレビ朝日側に立っても、自民党側に立っても、どちらからも言い分はあると
思います。ですからどちらがどうすべきだったとかいうヤボなことは言いません。
(田原総一郎氏のように剣幕立てて説明を要求しても仕方がないという考え)

あいつだけやりやがってと思う自民党と、あいつがやるならと思う自民党。
大人の政党であるならばどちらの選択肢でもなく、ただ冷めた目で見届けるに
留めるべきだったのかな、なんて思います。

いずれにしても、マニフェスト選挙と呼ばれた今回の総選挙。
威勢がいいのは今だけとならないように国民側もチェックを入れるようにしな
ければならないと思います。来年には参議院選挙もあることだし。

はい。今日は雨ときどき曇り。(東京地方)


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しむちゃん [HOMEPAGE]

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