手に入れました。5番ウッドとパター。 中古ですが、程度が良ければ新品を買うまでもないし。
それはそれとして、今日は久しぶりに打ちっぱなしに行ってきました。 さほどへんちくりんでもなく、まぁ前と同じってところ。 体作りさえできれば、体のバランスも悪くないし、それなりに コースを回れるかもしれない、なんて甘い考え。
以前は、アイアンに硬めのスチールシャフトを、 ドライバーは流行りのタイトリストを使っていましたが、 どうしても使いこなすことができず、スコアとしては、 いつまでたっても、そこそこまで。
無理せずに、そこそこ以上を出そうとするならば、体に合った クラブを使うしかありませんが、これがなかなか見つからなかった。 今のクラブは、どうやら合っているような雰囲気です。
何度かコースで試してみないと、その真価は何とも言えないのですが、 打ちっぱなしでも無理して振らずとも、そこそこ打ちきれます。 この「打ちきれる」というのが大事なんです。
自分のイメージしたスウィング通りに振りきれることを「打ちきれる」と 自分は言います。振ったそこにボールがあるのだから、振りきって打つ。 気持ち良く打てれば、その後のボールの軌道は気にしません。まずは。
打ちきった後のボールの行方を気にしていたら、打ちきることはできません。 打ちっぱなしで、ボールの行方を気にすることはありません。 気にするのはコースの出た時だけ。どうせコースに出たら、いやがおうでも 気になりますから、その時に打ちきれるように心がければ良いのです。
スコアを気にすると、どうしてもこじんまりと打ってしまいがち。 これでは楽しめるものも楽しめません。全くの初心者で、スコアの前に 何をしていいのやら、トラブルに陥った場合にパニックになるのなら別ですが、 そこそこ経験のある人ならば、楽しく打ちきりましょう。
と、自分に言い聞かせています。
次の連休あたりに、工場にいるゴルフ好きを見付けて、連れ立ってみよう。
はい。今日は曇りところにより一時雨。(東京地方)
| 2005年04月30日(土) |
そろそろ身体を動かさなければ |
そろそろサビかけてきたゴルフクラブを握ろうかと。 連休にでもならなければ、普段の土日だけでは休養が取りきれないから 打ちっぱなしにも行くことなく半年ほど過ぎてしまいました。
ま、でもコースに出ることはもっとないからいいといえばいいんですが。 とはいえ、半年も打ちっぱなしに行っていないのだから、どれだけ形が 崩れているかと思うと、ちと恐ろしいものが。
と思って、ヤフオクでパターと5Wにビッドを入れてしまいました。 武器を買ってしまえば、やらずにはいられないから。
パターを買いなおすのは、ゴルフをやり始めて初めてのこと。 5Wを買うのも初めて。気分一新です。
まだ手に入れたわけではありませんから気が早いのですが、 手に入れるつもりでビッドしていますから、時間は掛けても手に入れる。 たまには、欲しいものにお金を掛けるのも良いか、と。
さてさて。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
友人の掲示板に「英文学」の始まりについての書き込みがあり、 少しコメントをしようかと思いましたが、こちらは研究している輩ではありませんので、 ここは自粛して自分の日記に書こうかと。(あくまでひとつの意見として。誤解を恐れずに。)
歴史的には、ブリテン島は血なまぐさい戦いの連続で、さまざまな民族の入れ替わりがあり この国自身が複数民族からの支配の連続でした。そして、絶対王制を確立したヘンリー8世の 時代には、ある意味、日本の徳川時代のような安定期に入りましたが、大陸からの侵略を 回避しようとする動きから出てきた時代の産物が英文学とも考えられますが、それは文学と いうよりも、文化の保持をするための歴史の回顧と言った方がいいのではないでしょうか。 (やり方が一時の日本と似ているところはあります。)
浅はかな知識を披露するとすれば、英文学はどこかの大学で始まったということでなく、 英国のインド支配から始まったと記憶をしています。インド土着人に英語を普及させるために。 交易をするならば、当然相手側の言葉を理解する必要があり、「支配」の意図があるとはいえ、 インドは交易相手ですから、その相手が言葉を理解していなければなりません。
ただ、その言葉を理解する相手は土着人の全てとする必要はなくて、交易相手の属する 階級の人間で良かったわけです。そういう意味では、狙いは今の英文学とは異なるものが ありそうです。(「英文学とは?」という命題に対して真剣に考えている人は多く、 その解についても様々な見解が存在していることも理解していますが、ここで言う「今の 英文学」とは、あくまで英語の文化、言語を学習するための座学の教養、という意味で 使います。コミュニケーションを学ぶ手段としては、別の学問があるとして。)
ですから、言葉は「文学」という表現をしていますが、その「文学」を使って何をしようと しているのか、に尽きると思います。「英文学」という学問である必然性は、その 原点に帰って、「文学」という、ひとつの解のない学問を使って、意図的に何らかの 狙いを実現しようとしていたことにある、と考えています。そこに大学が存在し、 そこから輩出した卒業生がその流派を作り、ある勢力をもって物事を動かす。 まさしく政治的な動きであると思いますし、宗教が介在すると思います。
でも、そもそも学問とは、教養の座学であったわけではないはずで、またいかに生活に 役立てていくかに主眼があったはずで、それが倫理学であり経済学であり哲学であり 医学であり工学であり、それらの一部が後世になって文学として切り離されたと考えれば いいのではないでしょうか。
というか、文学ギライで、読書もろくすっぽしていなかった(中学生以降)自分が 文学議論に首を突っ込むことには無理がありますので、ここらへんでご容赦を。 ※あんた文学士だろう!というのは言わないお約束。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
堀ちえみの1stおよび2ndアルバムCDをヤフオクで購入して 高校生の頃の気分を思いだしている今日この頃です。
あの頃の曲は、今と違って派手派手しくなく、「浸れる」ものばかり。 カッコいいものでなく、みんなで歌えるものでもありませんが、 聴いていて本当に懐かしい。
高校生の自分は、レコードプレーヤーを持たず、友人に録音を頼んで ラジカセで聴いていたわけですが、LPレコードを買う量は、 親からもらっていた小遣いよりも多かった。
当時のLPレコードは、1枚2,500円から2,800円。 小遣いは5,000円でしたが、買っていたLPレコードは月に2枚、 シングルは1〜2枚のペース。硬式野球をしていた自分は、練習の帰りに 1リッターのペットボトルをがぶ飲みしていた記憶があります。
となると、手持ちのお金だけでは賄うことができるはずもありません。 どうしていたんでしょうねぇ。
そういえば、中学3年生で岩崎良美、高校1年生で堀ちえみ、高校2年生で 中森明菜のファンクラブに入っていました。多感な時代です。
中学3年生の頃は、岩崎良美のような人が好きといって、 付き合ってと言ってきた女の子を振りました。 高校1年生の頃は、堀ちえみ以外の女の子には興味がありませんでした。 高校2年生の頃は、中森明菜のデビューアルバムを友人に見せて、 「これ誰?」と言われて憤慨しました。
ある意味、バーチャルな世界に浸っていたんでしょうね。 目の前の現実から逃避していたのでしょう。 今考えると、なんともったいない時代を過ごしたことか。
ということは、堀ちえみに浸っている今の自分ももったいないということか。 どうりで上司から早く嫁をもらえと言われるわけだ。
もうすぐ40才になります。早いねぇ。 腐りかけています。何言ってんだ、オレ。
はい。今日は曇り。(東京地方)
| 2005年03月20日(日) |
出かける前にニュースが・・・ |
今日は友人が演出する演劇を観るため、久しぶりに扶桑町へ行くつもりでしたが・・・。
自宅を出る直前にニュースが飛び込んできました。 「20日午前10時53分頃に九州北部で最大震度6弱」
慌てて久留米の実家に電話をかけましたが、電話集中でかかりません。 テレビでニュースを見ていましたが、福岡市中央区で震度6弱、久留米では震度5強。
11時40分頃にようやく実家に電話が繋がり、母親が出てきましたが、風邪を引いている こともありますが、どうも気分がすぐれない様子。幸い物の転落はなかったようですが、 立っているのが辛かったと言います。また長い時間、横揺れがあって、気分が悪くなったと。 揺れが始まった時に、トラックが続けて走り去るような轟音が聞こえてきたとも言いました。 テレビでは、街を歩く人も同じコメントをしていました。(地鳴りというやつですか。)
親父は長崎に釣りに出かけていて、連絡は取れませんが、早く帰ってきて欲しい。 とはいえ、九州北部の高速道路は通行止めになっているので、一般道路を通って帰って くることにはなりますが、母親ひとりで家にいるのは心もとないものです。 父親は外にいて気付いただろうか。
九州北部での地震は、過去を紐解くと、天武7年(679年)に久留米付近の水縄断層で起こった マグニチュード7.0というのがありますが、それ以降の大地震は私の知る限り見当たりません。 少なくとも、気象庁のデータでは、1925年以降に震度5以上が起きた記録はありません。 日本書紀の時代から福岡県では大きな地震は起きていないということでしょう。
予備校時代に地理の時間で講師の先生から教わった中で、首都移転の候補に福岡市が 上がったが、実は博多駅の真下に小さな断層があり、結論としては必ずしも安全ではない との評価を受け、見送られた経緯がある、と聞きました。
九州は大きな地震が起きないと思われていますが、フォッサマグナから伸びる断層が 紀伊半島の紀ノ川を通り、四国の吉野川を通り、佐田岬から佐賀関を抜けて筑後川と阿蘇山南に 分かれ、筑後川ルートは北へ延び対馬方面へ、阿蘇山南ルートは島原南方へ延びます。 これを九州三角地帯と呼びます。阿蘇山や雲仙岳といった活火山があるのはその証拠です。
活火山があるということは、その地下には活断層が存在するということですから、長い目で 見れば、いつ地震が起きてもおかしくないということになります。たまたま千年単位で起きて いないというだけで、地球の歴史上は、千年程度は誤差ということになります。
といった解説はいいとして、両親を含め、親戚一同が住んでいる地域ですから、 その安否が気になるところです。テレビで見る限り住宅崩壊の情報は入っておりませんから 概ね大丈夫だとは思いますが、インフラなどでいろいろと不都合は起きています。
災害情報は時間の経過とともに増えてきます。 大きな被害が起きていないことを祈ります。
追伸)兼松さん、観に行けなくてごめんね。
はい。今日は曇り。(東京地方)
車を買い替えました。とはいえ中古車ですが・・・。
車好きの自分は今回7台目。 �.哀薀鵐疋轡咼奪�Si(中古車) �▲轡襯咼■僉韮鵝平啓屐� ��ギャランVR−4(中古車) �ぅ廛螢瓠璽蕋圍紂平啓屐� �ゥ廛螢瓠璽蕋圍紂檻屐平啓屐� �Ε譽�シ−B4(新車) ��レガシ−ワゴンGT−B Limited��(中古車)
特にメーカに拘ってはいませんが、トヨタだけにはどうも手が出ません。 まとまりすぎて、面白味がないからです。
今回の車選びのポイントは、B4と乗り味が変わらず、かつ数年後の 車両価値の下がりが少ないもの。ではありましたが、最初から狙いは 絞っていました。→レガシ−ワゴンGT−B E−Tune��
B4の乗り味には不満はありませんでしたから、中古車とはいえ、より年式の 新しいタイプを選ぶことになりますが、それでもせっかくお金を出すのだから、 今よりメリットのある車にはしたかった。
で、中古車にした理由は、現行型に対する不満があるから。 1.スタイルが好きになれなかった 2.大幅な価格アップが気に入らない 3.2リッターでも3ナンバーになったのが気に入らない 4.水平対向エンジンの独特の音が堪能できない
というわけで旧式のレガシ−にしました。
前回所有のB4は、いわゆる「Cタイプ」と呼ばれるもの。 だから今回は「Dタイプ」と呼ばれる旧型最終版のタイプを探しました。 それからセダンで不便だった荷物の積み込みの少なさを解消するために ワゴンにしました。そうすると、自ずと型式は限られて、E−Tune�兇� なってしまいます。あとは価格との見合いですので、そのあたりから 中古車を探し始めました。
価格、色、装備、外観、年式、販売店の距離などを総合的に判断し、 いくつかの候補を直接目で見て決めました。
最終的に決めたのはLimited�兇任垢�、これはE−Tune�兇琉貮瑤� 装備(特にオーディオ)を省略し、一部を特別仕様にし、価格を下げた車種。 購入した車両には、B4でも使っていたオーディオが付いていましたから、 そういう意味では、わざわざオーディオを買う必要のないお買い得と言えます。
色は希望していた色ではありませんでしたが、なにせ市場価格よりも10万円 以上は安い価格設定でしたし、タイヤは8部山以上の長く使えるものだし、 ナビアンテナはフィルムタイプが付いているし、3年目車検まで10ヶ月ほど 残っていたし、B4の下取りを多少なりとも他店よりも高くとってくれたし、 一番大きいのは、その店の担当営業マンと他のスタッフが親身的だったこと。 メーカ直営店なので、サービスが近所の営業店でも受けられることもメリット。
唯一のネックは、マフラーが標準品でなく、後付けの太いヤツであるため、 やや音がウルサイこと。好きな人には買い替える必要がなくお買い得点ですが。
とはいえ、総合的に判断して、求めていた車に限りなく近い、ということで 納得して買いました。現行型のBPタイプが気に入らない自分のような人は、 旧型の「ドロドロ」というスバルらしい排気音を出すBH型を探しているようです。 現行型レガシ−はスマートな音を出すようになりましたからね。
前の所有者がどのような乗り方をしていたのか分からない中古車選びは難しいの ですが、自分を信じて車を信じて乗り続けていきたいと思います。 折を見て成田山にお祓いでも行こうかねぇ。
はい。今日は曇り。(東京地方)
車を買い替えたいのですが、新車を買うとまた3年のローン生活に 戻ってしまうので、できれば1年ローンで済む中古車で、と思って ネットで探しています。
今は中古車販売店に行かずとも、探している車をネット上で検索が できるようになったので、事前に検討できて便利。
とか色々言っていますが、現行のレガシ−は排気量2リッターで ありながら3ナンバーになってしまったのが不満。(車幅が広がった) 思いきって新車に乗り換えようという踏ん切りができません。 であるなら、今乗っている車と同じ型で少しばかり新しい型で充分。
ネットで検索できるとはいいながら、下取りは実際に持ち込んで 見てもらわないと査定できないので、見積はあくまで概算。精査を してもらうならば、やはり販売店に足を運ばねばなりません。
中古車の場合はアフターケアが大事なので、近場が前提です。 焦らず探すとしよう。
はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)
| 2005年01月16日(日) |
アンプ壊れる(壊した) |
電気に弱いというレベルでなく、単純に配線ミスでオーディオアンプを ショートさせてしまって使えない状態にしてしまいました。
ただ分からないのは、電源コードをミスしたのなら理解できるのですが、 音声ケーブルをテレビの映像ジャックに差し込んだらショートしたこと。 音声も電気信号だから、そこから過電流が入り込んだともいえますが、 シロウトには全くの謎。
どうしようもありませんのでメーカに修理を出したいのですが、 サンスイは事業撤退してからサポート拠点が減って、おおよそ家電量販店に 任せているから、経験上、不具合の状況説明がうまくメーカに伝わらない。 こういったものは、直接サービス窓口に状況説明したいところ。
モノが重たい(33kg)もあるから、できれば運送屋に任せることなく 自分で運びたい。でもサンスイの関東地区サポートセンターは茨城だから そう簡単には持ち運びができません。土日営業もしていないし。
とりあえずネットでオーディオアンプ修理を頼めるサイトを探し出し、 状況を知らせる見積依頼を出しました。が、そこは込み合っているらしく 素早い回答は望めそうもありません。
幸い、安価で手に入れたA−11(NEC製)があるので、当面は アンプがないために困ることはありませんが、そう長い間、放って置く わけにはいかないので、待っても一向に連絡がなければ見切りを入れて サポートしてくれる近所の量販店に駈け込むしかないか。
まぁ、そんなことも含めてオークションで購入したのだから 不都合もやむなしですか。はぁ・・・。
はい。今日は雨のち曇り。(東京地方)
今年は職場も変わり、本当に仕事に追われた1年でした。
いつまで経っても負荷の高い仕事に変わりなく、すぐにでも仕事を 辞めてやるなんてことを思いつつ、結局1年が過ぎてしまいました。
疲れが取れずに週末を迎えて寝込んでまた週が明けて疲れて週末を迎えて、 その繰り返しだったと思います。会社の帰りにゆっくりと飲みに行ったり 遊びに行ったりする時間もなく、このまま会社人間になってしまうのだろうかと 心を痛めた1年でしたが、いよいよ会社も組織の疲労に気付いたのか、 組織の変更と業務分担の変更を考えてくれました。
※こんな状況は自分だけでなく、同じ事業センターで働く人の多くが 感じていたこと。客先から体調を気遣ってもらうなんて異常です。
これが吉と出るか凶と出るかは年が明けてしばらく経ってみないと 分かりませんが、この変更により皆が前向きで明るい生活をしていける きっかけになってくれればと期待しています。
さて、この年末年始は、休みが中途半端な長さであること、天候不順が 予想されていることより、残念ながら帰省は諦めます。代わりに、大学時代の クラブの同級生が同窓会をやろうと声を掛けてきた9日のある3連休にでも 帰ろうかなと考えています。
それでは、お世話になったみなさん、来年もまたよろしくお願いします。 時間とって飲みに行きましょう。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
「新選組」のことを「新撰組」だと思っていたのは自分だけではないでしょう。 事実、文字変換をする時に「新選組」とは出てきません。 (正しくは「新選組」、ただし「新撰組」でも間違いではない、とするようです。 詳しくはご自分でお調べ下さい。)
以前にも書きましたが、やはり新選組は時代の流れの中で生まれた必然的な集団、 と考えています。徳川時代の真っ盛りならば、いくら忠義の厚い個人が集まっても それは士農工商の身分を悦脱した行為であり、武士集団から切られておしまい、 そう思います。
それでも農民が武士を望んで、それが叶う時代というのは、徳川政権が末路を 迎えていたからだと思います。そんな時代の流れがあるにも関わらず、武士の あるべき姿を追求し、それが正しいと貫き通した新選組は、今の時代にどんな メッセージを与えているのでしょうか。少なくとも、この「忠義」とそれを 貫き通す意思の強さが今の時代に欠けていると言っているのだと解釈します。
ただ、時代を変えるだけのエネルギーが日本中に鬱積していたのは確かで、 そのエネルギーが時代を守ろうとするエネルギーに勝った結果が明治維新で あった、と考えるべきでしょう。どちらが正しいというわけでなく。
同じことがフランス革命であったしロシア革命であったし南北戦争であった。 求めるところやプロセスは違ったにせよ、国内に鬱積したエネルギーが爆発した ことには変わりありません。
そういう意味で、近藤勇と新選組は、潰されるべくして潰された集団であり、 だからこそ悲劇のヒーローとして歴史に名を残したわけです。
正当性がどうだとか野暮なことを言ってはいけません。 幕府側にエネルギーが無かっただけです。幕府側にエネルギーがあれば、 明治維新はなされておりません。どちらの側も正しいと思う行為をぶつけていた わけですから、冷静に何が正しいのかを評価できる人は皆無だったのではないで しょうか。事実、その後、数十年たってから、時の政府の元、何回も戦争をして いるではないですか。挙句の果てには核投下なんていう悲劇を被っているわけで、 体制としては新しい時代に突入しましたが、それが正しかったかどうかは今でも 評価は難しいのではないでしょうか。
気になるのは、今でも会津と長州・薩摩の人とは、根のところで当時の恨みを 抱き続けているとういうこと。藩同志の戦争ではなかったのに、片や幕府、 片や朝廷の命を受けて(受けさせた)の代理戦争ですから、恨む相手を違えて いるような気もしますが、まぁ朝廷を動かした薩摩のずるがしこさを恨んで いるとも言えますけど。
私の地元の久留米は、明治維新のきっかけを作った真木和泉という人を輩出した 土地ですから、間接的には会津の敵にはなりますけど。(久留米藩は尊皇攘夷派 の情報中継地でありましたが、ある時から佐幕派へと転身し、明治維新後まで 藩内は混乱し、結果として、佐幕派も尊皇攘夷派もいなくなります。)
歴史は身近なところでもいろんなことを考えさせてくれます。
はい。今日は雨のち曇り。(東京地方)
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