Espressoを飲みながら

2002年07月18日(木) 達磨

 何かを掴み、行おうとする手も腕もなく、
ここから別のどこかに歩いて行こうとする足もない。

故に、何ごとも気にかける必要もなく、
あくせくもせず。

生きることにも死ぬことにも煩わされず。

時の流れも、彼が今までに為したと言われる業も、
彼に害を与えることは出来ない。

天上の光はいつも彼に降り注ぐ。

それが、達磨だ。







2002年07月13日(土) 私はどこかの誰か

 妹の日記 

http://www.enpitu.ne.jp/usr9/97080/

を読んでいると、私が勝手に夢に現われていじめたことになっていた。
人の夢と言うのは勝手なものだ。

人の掲示板への書き込みと言うのも、やはり勝手なもので、
とある研修医さんの日記を愛読していたのだが、どこかの馬鹿が
「カキコに全てレスをしろ」とか阿呆な要求を繰り返して、
先生は辛くなって日記を休筆されてしまわれた。

子供の頃は狭い世界に住んでいたから、誰がひどいやつで、
誰がいいやつで、という風に考えていたが、大人になってみると
誰が良くて誰が悪くてというよりも、人間と言うのは状況次第で
良い人、悪い人、様々な役割を演じるものだなあと思う。

誰かがした何かについて、その当人に責任があるのは否めないとしても、
その当人のみに責任があるとは言い難いとも思う。
私のしたことの影響は私にとどまらず、私が何かをした原因も私に限定
されるものではない。その意味で、私は他の誰かであり、他の誰かは
私だ。私はこの世界の祈りと憎しみと救済と殺人である。





2002年07月11日(木) 水出しコーヒーを飲みながら

 夏である。わざわざ宣言しなくてもわかってるって。
ここ数日間の猛暑ときたら凄まじい。自転車に乗っている時、
普通なら向い風は嫌うものであるが、最近はあまりに暑いので
向い風の空冷作用に感謝すら覚えるのだ。

 夏に六甲山の方から吹いてくる風もやはり六甲おろしなのか?
と思っていたらオールスター戦は阪神勢が大活躍しているようだ。
ワールドカップが終わった今、阪神が勝たないことには誰も道頓堀に
飛び込む者がいなくなってしまう。野球など1回から9回まで通して
見たことは無い空遊であるが、それでも道頓堀に飛び込む人の姿を
見るのは爽快なものである。是非とも阪神にがんばってもらいたい。

 さて空遊の近況はというと、相変わらず武庫之荘までLinuxのサーバー
構築の勉強のために通っている。別にネットワークエンジニアとして
就職しようという訳では無いが、知っておいて損のないことであるし、
この季節、金を払わずに昼間冷房の効いた場所に居られることは、
空遊にとってとても大事なことでもあるし、8月いっぱいまで通って
きちんとコースを終了するものと思われる。

 それから先? 知らないってば。

 ところで日記の題名を見てもわかるとおり、空遊は珈琲好き、というか
エスプレッソ好きである。以前の職場は神戸の元町にあったので周りに
お洒落なカフェ等も多く、ランチ後のエスプレッソには事欠かなかった。
ところが今通ってる学校は武庫豊町。エスプレッソなど、どこで手に入る
やら。言うまでもなく私はコンビニで売ってる紙パックのエスプレッソは
エスプレッソと認めていない。「飲んではいけない」とは言わないが、
「別の種類の飲み物だよ」とは言う。

 こんな環境では自分の珈琲は自分で持参するより他に無い。
ただエスプレッソという飲み物は保存に向いていない。まずくなる。
煎れたてしか美味しく飲めない。普通のドリップ式コーヒー以上に。

 どうしたものかなあ?と思っていたら、彼女が水出しコーヒーを
つくってくれた。本来の水出しコーヒーにはそれ専用の機具が必要だが、
今回のは手法的には簡易版。家にあったスターバックスのコーヒープレスに
コーヒー豆の粉と水を入れ、一晩おいといて冷蔵庫で冷やす。
専門店の水出しコーヒーと比べると若干アメリカンというか、少し薄いのだ
けれども、すっきりと美味しい味わいである。普通のコーヒーは苦手だけど
これなら飲めるという人もいるかもしれない。

 そんなこんなで今日は自販機の紙パック飲料の御世話にならずにすんだ。
水出しコーヒーが、普通のコーヒーと比べて時間の経過による味の劣化が
少ないことも確認できた。

 これからしばらく、「Espressoを飲みながら」は、
実質的に「水出し珈琲を飲みながら」にかわるかもしれない(笑)。


 



2002年07月09日(火) 蒸し蒸し

 すんごい熱帯状態だねえ。
シンガポールに行ったことがあるけれども、
この蒸し蒸し状態は張り合えるものがある。

というか、張り合うなよ。そもそも違う気候なんだから。

 空遊にしてみれば、今日はお休み。
公共機関の学校にしては珍しく、なぜか火と水がお休み。
月曜の夜からが週末という世間と少しずれたサイクルで
生活している。

遠い未来と思ってたJava Scriptの授業も近づきつつある、、、。



2002年07月04日(木) 初めてのLinux

学校の実習はWindows2000Serverが昨日で一応(本当に一応)終了し、
今日からはLinuxの実習に入る。

 既に御存じの方も多いと思われるが、筆者の復習も兼ねて一応説明。

Linuxとは、1991年当時フィンランドのUniversity of Helsinkiの学生、
Linus B.Torvaldsが卒業研究の題材として開発したオペレーションシステム
を基礎とするプログラムのこと。UNIXと同じように動作するけれども、
UNIXではなく、Minixのシステム上でUNIXと同じように動作するオペレーション
システムである。

"Linux is not UNIX"というフレーズは有名。

 Linuxは制作者Torvaldsによりインターネットに公開され、各地に
伝わり、世界規模で開発が行われることになる。

Linuxはプログラムのソースコードが一般公開され、開発者は自由に
昨日を追加したり、問題を修正することができる。
そしてそれはさらに世界に向けて公開され、成果は共有される。
このような手法はオープンソースと呼ばれ、Linuxの最も大きな特徴だ。

 ソースコードが公開されていて、開発者の意思でプログラムの追加・
変更が可能なため、Windows等とくらべてセキュリティー面でメリットが
あり、また安価であるため、最近企業・研究機関等でブレイクしている。

そんな経緯でとうとうポリテクセンター兵庫という職業訓練所の授業に
まで登場することとなった。

 Linuxにはいくつかのディストリビューションが存在するが、
今日授業で使ったのはその中でも最もメジャーなLinuxの一つである
Red Hat Linux7.2。なお現在では最新版の7.3も出回っている。
ダウンロードやCD-ROMで入手可能だが、今回は株式会社ソ−テック社の
「Red Hat Linux7.2サーバー構築入門」に付属していたインストール
CD-ROMを使用した。

 今日はまだインストールしてユーザー設定のさわりをやっただけ。
で、この本の値段が3800円+税なのだけれども、付属のOSには
ワープロ・表計算・グラフィック・簡単なゲームソフト(上海とか)が
含まれていた。これだけ見ても、マイクロソフトよりははるかに
コストパフォーマンスが高いことがよくわかる。

 操作方法は若干難しいらしいけれども、どんなことができるのか、
楽しみ、楽しみ。



2002年07月03日(水) 「私」

 生きていると、便宜上どうしても「私」という言葉を使うことになる。

「私はお腹が空きました。」とか「私は今日用事があります。」とか、
etc,etc...。

余りにも長い間、余りにもたくさんの回数、繰り返して使うので、
どうも「私」という実体があるかのように感じられる。

「おもしろい」とか「楽しい」とか「〜ができる」とか「〜は苦手な」
とか「あんまり働きたがらない」とか、いろんな形容詞のついた「私」
という実体があるかのように感じられる。

けれども、「じゃあその「私」とやらを見せてみろ」と言われたら、
どうしたらいいのか?どうしようもない。レントゲンにもCTスキャンにも
MRIにも映らない。その実体をほいっと見せてあげることは出来ない。

「私」の存在というものを客観的に他者に説明するのは難しいようだ。

じゃあせめて自分自身では「私」というものを感じられるのだろうか?
自分の手、足などの身体なら感じられる。怒りや悲しみといった感情なら
感じられる。「これはこうだ」とか「あれはああだ」とかいった思考なら
見ることも出来る。

でもそれらは、あるいはそれらの集合は果たして「私」なのだろうか?

誰かが私の右手をナイフで斬り付けてきたら、「私を傷つけないで」と
言うことだろう。けれども、仮に右手が無くなったところで、大変な不便や
苦しみはあるだろうが、「私」そのものが消滅するわけではない。

いろんなことがあると、「私は悲しい」と人に言うかもしれない。
でも、悲しみが無くなっても、「私」が消滅してしまうわけではない。

「私の考えはこうです」とか「私もこう考えています」と言うことは
日常茶飯事だが、考えを変えたとしても私自身が何か別のものに
変わってしまうわけではない。

 「私」に仮に属性があるとすれば、その属性は全て変化している
ように見える。そして一つのことを形容する言葉が全て変化してしまう
のならば、元々のそれの意味自体が大きく変わってしまうだろう。

例えば、「エンジンが無くて、人力で動く自動車」と言えば、それはすでに
自動車ではなくて自転車である。

 デカルトは、「我思う故に我あり」と言った。
しかし人には誰でも、何も思っていない時がある。何も考えていない時には
あなたは存在していないのだろうか?また、「私」というものはそこまで
思考によって規定されうるのだろうか?

 あらゆる属性を外した私というもの、それだけが私と呼ぶに値する。
そしてそれは属性が無い故に個人ですらない。何ものとも隔たれておらず、
かといってくっついている訳でも無い。一つでもなければ二つでもない。

 それだけが、あらゆる言葉の終焉するところ。



2002年06月30日(日) time

 時に意味はない。
時とは、ただ物事が動き続けているということを示す概念に過ぎない。
何か時間と言う名の実体が存在するとは思わない。

5年、10年という時間。長いように言われているけれども、
じゃあ10年という時間の長さを感じてみろと言われると
明確にそれを感じることはできない。

砂糖が甘いこと、とかお湯が熱いことのようには具体的に感じられない。

言うまでもなく記憶は脳の中にある。結構しっかりと守られている。
10年前の雑誌を手に取ると、その古さ、懐かしさがしっかりと感じられるが
10年前の記憶は、10年前のその出来事が起こったすぐ後と同じように
新しく、鮮やかで新鮮だったりする。

時の経過した紙の資料は、色の変化やしみや汚れで過ぎ去りし時を推測させるが
コンピューターのファイルはいつ開いても新しいように見える。
モニターとパソコンがちゃんと動作さえしていれば。

ゆえに、全ての記憶は今できたばかりのように新しい。



2002年06月29日(土)

 今朝、この日記を開いたら、アクセスカウンターが5000を突破していた。
ここのページはそんなに宣伝していなかったので、ゆっくりとした歩み
だったけど、それでも気が付くと5000。一区切りかなという感じはある。


 外は軽く雨が降っている。梅雨のまっただ中にいるという気分。
それでもまだ今年は雨が少ない方だ。去年までだったら、渇水で職場が
忙しくなるので大変だけれども、今年はほんの少しだけ他人事になった。

 阪神御影駅近くに、ミドリ電化が新装開店。ビデオが死んでて久しく
観ていない空遊は、7000円で韓国サムソン社製のビデオを購入。これって
安いの?高いの?普段ビデオとか電器屋行っても見ないからわからない。

 開店の昨日から明日の日曜日まではもっと安い商品も多いようだが
どうも並んでいる連中はすごい気合いらしく、昨日の夕方行ったら店員さん
によると、「並ぶ人は今から明日の分の為に並んでいますよ。」だって。
よほど高価な物を安価で買えるなら考えるが、2、3千円の差で梅雨空の下
徹夜するほどの電気製品に対する執念は持ち合わせていない。すごい人も
いるんだな、と感心。



2002年06月25日(火) 鯖も食べたくなくなるほどに・・・

 一日中ほとんど何もしない日を過ごした。
週5日、ほぼ全日制でPCのネットワーク等を勉強している。
当たり前のことだが、その間はPCの前に座りっぱなし。
財政的にリッチな学校ではないので、モニターも液晶ではないし、
大概疲れるものがある。一日にどれだけの電磁波を浴びているのだろう?

 この5日間、長かった。WIndows2000 Serverのインストール、
設定など、なかなか上手くいかずに、疲労ばかりがたまっていった。
正直言って教室からもう出たくなったし、Serverの構築なんて元々あまり
興味もない。先生の教え方だって、話があちこちに飛んでまとまりに欠け、
はっきり言ってわかりにくいと思う。

 先生がHPを更新されたというので行ってみた。
これからのスケジュールを見る。WIndows2000 Serverは今月で終わって
来月はLinux。内容は、、、、、

Linuxを使用したサーバー環境の構築(涙)。

もう魚屋に行って鯖を買ってくるのもいやだ。
(↑坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。Server憎けりゃ鯖まで憎い。)

 とにかく休みは今日と明日の二日間。この間にできるだけ気力、体力を
回復する方向に向かう。今日はPCは23時以降のネットだけ、テレビは
ワールドカップのドイツvs韓国戦を見るだけにして、少し目を休める。

 静かに座り、目を閉じると、頭や身体だけでなく、オーラまで疲れたり
傷付いたりしているのがよくわかる。調子の良い時には身体の外側を
卵型の形をして覆っている層のあちこちが、なんだかでこぼこになっている
のだ。呼吸が深く丹田に届き、また外に出て行くこと、この一週間の習慣的
な思考が刻印されていること、身体の様々な部分の緊張や痛み、気の滞り
や流れに気付きを払い、干渉することなく観照していると心身は自然と
回復してきた。外に遊びにいこうかとも思ったが、あいにくの雨のため
家でひたすらのんびりと過ごした。

春の海 ひねもすのたりのたりかな

という俳句を学校で習った記憶があるけれども、空遊は年中どこにいても
ひねもすのたりのたりである。

 夜はテレビでサッカー観戦。ドイツの名キーパー、カーンがルパン三世の
「銭形のとっつあん」に似ているので、ルパン好きの空遊はドイツを応援。

空遊のテレビは震災を越えており、間違ってアロマテラピーのろうそくを
上に置いて天板が多少溶けていたりすることもあって、時々映らなくなった
りします(笑)。今回も何度も青一色の画面になりました。ドイツが得点
するところを観れたのが不思議なくらいに。

「わがドイツのおォォォォォ、守備力はあァァァ、世界一いいいいいい!」

大昔の「ジョジョの奇妙な冒険」に出て来た(第二部)ナチスドイツの大佐
風に応援してしまいました(爆)。

韓国がシュートをうってきてカーンが見事それを止めた時なんかは、

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄あああ!!!」

DIO(主に第二部の)風に応援してしまったりします。

 はっきり言ってサッカー自体はあまり興味はないのですが。

試合自体より応援している人々や、組織や国の方が100倍も
面白可笑しいのがサッカーの大きな特色であると認識しております。

 個人的には、日本代表とか言ったって、「だからどうしたの?」
という感じ。別に友達でもなけりゃ会ったことすら無い遠いとこにいる人
の話で、日本代表だからという理由で突然サポーターになって応援を始める
という感覚は理解が難しいです。日本が他の国と対戦していても
特に日本を応援しようという気持ちはありませんでした。もちろん負けろ
とも思いませんでしたが。見ていて面白い試合はあったけれども、日本は
フォワードがちゃんとシュートを決めないので、見ていてすっきりしないの
です。その点では韓国代表チームの方が日本代表より好きです。

見ていて面白いチームが好きです。守備から攻めに転じるスピードの速い
セネガルとか、かっこよかったです。

ワールドカップも残り2試合。どうなるのでしょう?
番狂わせとして、トルコに優勝してもらいたい今日この頃、、、(笑)。










2002年06月24日(月) Chico 3 the gypsiesとふくろうの喫茶店

 まだ雨は降り出してはいないのだけれども、
なんだか空気が湿っぽい。山独特の少しひんやりと湿った
木々の香りのついた風が部屋に流れてきている。

 Yahoo Japanの天気予報によると、午後は降水確率が50%を
超えるらしい。そろそろ本格的な梅雨になるのだろうか。

 昨日は久しぶりにCHICO 3 the gypsiesのNomadeを聴いていた。
PC上で聴けるようにMP3にして聴いていた。CHICO 3 the gypsiesとは
要するにジプシーキングからCHICOが分離独立して作ったグループで、
このアルバムにもBen Ben MariaやBamboleo等のジプシーキングの
名曲が数多く入っている。

 空遊はこれをかなり前、まだ御影ではなく六甲に住んでいた頃に
JR六甲道の近くにある、ふくろうの置き物と高級なコーヒーカップが
たくさん置いてある安曇野という喫茶店でかかっているのを聴いた。

店のマスターに尋ねてアルバムを見せてもらい、後日元町のBALで
購入した。店のマスターはいかにもマスタ−向けの紳士的な雰囲気の
ある方で、コーヒー豆の種類こそあれどエスプレッソとかデザートとかは
置いておらず、ドリップを目の前にとても流麗に無駄のない手付きで
一杯ずつ丁寧にいれておられた。
ある意味硬派な珈琲専門店で、結構いつ行っても繁盛していた。

 Nomadeの一曲めはEl Verano。「夏」という意味。
少し聴いただけで、ラテンの夏へと引込まれるようなそんなリズムと
勢いのある曲。一晩パンを台所に置いておくだけで次の日には
からからに乾燥して固くなって食べられないようなスペインの乾いた気候。

日本の梅雨の中にあって、ことさら懐かしく感じた。


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