昨日十三で花火を見て夜遅く帰ってきたせいか、 朝目が覚めたのが、なんと7時50分くらい。 日曜日もPCの学校があるので、急いで準備。
ちょうど8時に家を出た。武庫川沿いにある学校に着くと 時間は8時40分。おおまかな距離から計算すると、 どうやら平均時速22〜23kmで走っていることになるらしい。 途中速度の出せない街中や、赤信号、「とまれ」などがある ことを考えると、それなりの速度か。
授業が終わって帰宅。部屋には内側からチェーン錠がかけられている。 彼女を呼ぶと、突如
「どしゃん、がたん、ばたん、きゃー!!!」
自転車の空気入れにつまづいてこけてしまったようです。 しかも打撲してるし。ちょっとひねってるし。
今日の芦屋の花火大会は、部屋から見ることになりました。 ここは御影の高台なので、東向きの窓からそのまま芦屋の花火の様子が 眺められます。彼女が先日買ってくれた「菊姫」を冷やしておいて くれました。「菊姫」は石川県のお酒で、はっきりとした強い味わいが あり、空遊好みです。
予定の時間より少し早く始まった感がありました。 昨日の淀川花火大会とくらべると規模が小さく、またこちらも遠く から見ているので随分こじんまりとした感じに見えました。
距離が離れているので、光速と音速の速度差によるタイムラグが 感じられました。光ってからちょっとしてから音が聞こえます。 雷と同じですね。
淀川花火は色使いとして、黄色や金色が目立ちましたが、 芦屋の花火大会は、緑色と赤色が目に付きました。 まるで真夏のクリスマスのようです。
ひとつひとつがきらびやかで、街としての芦屋の個性がよく出ていました。 降り出したにわか雨にも打ち消されることなく、綺麗な光の花を夜空に 咲かせていました。
庶民的で全ての人に開かれている淀川花火とくらべると、芦屋のそれは 芦屋に住んでいる人を対象にした、自分達の街のアイデンティティーを 再確認するかのような雰囲気。コンパクトで、それでいてお洒落で、 技巧的で。
昨日の淀川花火には、「負けへんで大阪」というコピーがありました。 阪神は2位と去年に比べ、飛躍的に健闘してるし、「負けへんで大阪」 の後に「巨人いてまえや」という大事なコピーもなかったので(汗) これは野球のことではなく、経済的なことなのだろうとわかります。 淀川周辺には中小企業も多いので、先が見えず苦しい中、憂さ晴らしに 花火を見にこられた方もいたことでしょう。
さすがに芦屋にはそのようなコピーはないですが、財政事情が苦しいのは こちらも同じようです。春に芦屋市伊勢町の図書館を訪れたのですが、 雑誌の数が減っていて、「市の財政が苦しいのでやむを得ず雑誌を減らしました」 という内容の貼り紙がしてありました。
そういう経緯があるので、きらびやかな人目をひく美しい花火も、 芦屋の住民の方々が昔の繁栄を偲んでいるかのようにも見えてしまいます。 芦屋は今もいいところかも知れませんが、昔のようなカリスマ的な インパクトを取り戻すことはもう無いでしょうから。 震災と不景気の前にはあの小さな芦屋市にどれだけの都市伝説があったことか。 大きな御屋敷は今も健在ですが、これからは普通の小さなベッドタウン以上 のものにはならないような気もします。それでいいのかもしれませんが。
それに住む場所や家にステータスを求める時代はもう終わったと思います。
自動車についても同じことが言えます。以前クラウンやベンツに乗っていた 人が、経済的で使い勝手が良いという理由でFitやistやMarchにどんどん 乗り換えています。小さい車に乗ってるより大きい車に乗ってるほうが 偉そうという感覚は絶滅しました。
大きな御屋敷に住んでも、高級外車に乗っても幸せにはなれない。 それを日本人の大多数がそれとなく知ってしまった。バブルの功罪の一つ。
また、財産だけではなく家族という幻想も壊れてきたと思います。 これは別に悪いことでもなんでもなく、現実が知られるようになると 幻想は壊れていってしまう。ただそれだけのことです。
もしあなたの手から、あなたが信じてきたものが全て離れていって しまったら、後に何が残るか?
あるいは何もなくなったら、自分はどんな風に感じるだろうか?
考えてみても面白いかもしれません。
エンターテイメントは意図的に作られた幻想です。みんな了承済み。 ミッキーマウスが実在しないという理由で、ディズニーランドが詐欺で 訴えられることはありません。
お金、恋愛、仕事、結婚、家族、幸せ。 これらに関する概念の中にはたくさんの無意識に出来た幻想が含まれていて それが壊されたり揺さぶられたりすると、人々は怒ったり、混乱したり、 犯罪に走ったり、時には自殺さえしてしまうこともあります。
同じ幻想でも、無意識で、社会的、現実的なものと絡み合っているほうが はるかに性質が悪いものです。
幻想を捨てる勇気のある者が、幻想を捨てられるという訳ではありません。 幻想の性質の悪さを理解したなら、臆病であろうと怖がりであろうと その人はそれ以上幻想に餌をやらないでしょう。
結果として幻想は餓死します。
必要なのは、知る勇気だけ。捨てる勇気ではなくて。

毎年恒例の大阪名物、淀川花火大会を見に行って来ました。 上の画像は、一応その写真です。空遊の(昼間専用)BANDAI C@Mail では、頑張って撮れたほうでしょう。
実物は、この画像とはくらべものにならない程の迫力でした。 五傍星の花火あり、キティーちゃん花火あり、超ド迫力巨大連発連射花火 あり。みなと神戸花火大会と同じ日の開催だったので、どちらにしようか 迷いましたが、こちらにして正解だったと思いました。
周りの人も、次々に歓声をあげていました。 それどころか、淀川を渡る阪急電車がお客様へのサービスのためか、 なんとほとんど停車に近いスピードにまでスローダウンしていました。 これには一般花火客もびっくりです。打ち上げ場所は結構鉄橋から近いので
「あの電車に乗っていたかった〜」
との声も周りから聞こえてきました。
今までにも何度か来たことがあるのですが、今回はいつもよりも 十三側に陣取りました。土手の上の方が見晴らしがよかったのでそこに 持参のビニールシートを敷きました。おかげで見晴らし良好この上なし。 上の画像も、そこからデジカメで撮ったものです。
壮絶かつ華麗な約一時間の「芸術は、爆発だ〜!」を地で行くような パフォーマンスの後、帰路に着きました。十三へと歩きます。
ものすごい人、人、人。間違いなく一年でもっとも十三駅前商店街が にぎわう日でしょう。ミスドもケンタッキーも怪し気な喫茶店も 満員でどこにも席を取ることができませんでした。
ちょうど都合良く財布に土日専用270円区間の回数券が2枚入っていたので (本当に偶然)ひとごみの中を突破してなんとか駅に入りました。 神戸行きの人の数がさほどでもなかったので、一旦電車に乗ると比較的 楽になりました。
かと思うと、西宮北口でたくさんの人。しかもみんなSMAPのビニール袋を さげています。おそらく近辺でSMAPのコンサートがあったのでしょう。
今日はとてもすかっと楽しい一日でした。 花火は昔、厄払いの意味があったとも聞きますから、そのせいもあるの かもしれません。この画像を見たみなさんの厄もすっきりさっぱりと 払われますように。
2002年07月31日(水) |
鼎泰豊(ディンタイフォン)−ド迫力おみくじ画像付き− |
昨日に続いてレストラン特集だ。
今日は京都は四条河原町の鼎泰豊(ディンタイフォン)に行った。 要するに飲茶とか点心のお店なのだけれども、かの有名な ニューヨーク・タイムズ紙に「世界10大レストラン」の一つとして 選ばれたことで有名。
中でも小籠包(しょうろんぽう)がこの上なく美味しいと聞く。 皮に包まれたに肉汁が口の中でじゅわ〜と溶け出すのが なんとも言えないそうだ。
あ、そうだ。四条河原町のどこにあるのか書くの忘れてた。 とても分かりやすい所にあるので、京都の土地に不馴れな人でも大丈夫。
2002年07月30日(火) |
ラミティエ・コム・シノワ |
空遊がフレンチのレストランに行くことは結構少なく、 考えてみるとここ半年くらいは行ってないのですが、 久しぶりに神戸の三宮のラミティエ・コム・シノワという フレンチレストランに行きました。
2002年07月26日(金) |
USJの土地因縁奇譚ー水道、幽霊等ー |
先程、午後6時のニュースを見ていたら、 USJがエアコン用の用水を誤って、飲料水にも使われる ようなところに流していたと報道されていた。 先日の同社の工業用水がウォータークーラーにつながっていた というニュースに続く、水関連の不祥事である。
どちらにしても、到底飲料に耐えうるようなものではなく、 もし自分が飲んでいたらと思うとぞっとする。
USJがあるのは大阪市此花区であるが、あの土地は元々 住友金属の工場だった。工場が閉鎖された後に、乗馬施設、 ゴルフの打ちっ放し、レストラン等の事業が行われていたが、 どれも今ひとつ振るわなかったそうだ。今のUSJのヒット振り からは想像しにくいかも知れないけれども、現地事情に詳しい 方によると、そういう経緯があったそうだ。
住友金属に勤めていた経験のある知人によると、あの辺りの 水道の状態はもともと良質とは言い難いものであったらしい。 建物の配水管には戦前に出来たようなものもあり、朝出社して 蛇口をひねると、しばらくは赤茶けた錆の混じった水が出てきた そうである。お白湯ではとても飲めないレベルの水である。 緑茶にしても変色しているのがやはり分かる。緑茶の成分と鉄の 成分の中に相性の良くないものがあり、変色するらしい。
だから、お客様にお出しするお茶はコーヒー、紅茶が主体であった そうである。色が濃いいし、味もはっきりと付いているので ばれる可能性が少ないからだそうだ。
社内の自動販売機も紙コップにジュース、コーヒー等の飲料が 注がれるタイプのものは自販機の裏側が水道につながっており、 清潔でない飲み物が出てくるため不評であり、専ら缶入りのものが 好まれたそうである。
ポットや給水機も使用している内に底に錆なのか何なのかわからない ものがたまってきたそうだ。建物をなんとかしないと修繕できないのが わかっているので、社員もみんなあきらめモード。それどころか中には 「ここに来ている限り、鉄分不足になることはない。」と言い放つ、 つわものもいたそうである。
時代が変わり、今では大阪市の水道にはオゾン、活性炭などを利用した 高度浄水が行われている。一時期に比べ、はるかに飲みやすくなったと 言う大阪の友人も多い。しかしながら、浄水場が進化したからといって まだ油断できない問題がある。
水道とは、言うまでもなく蛇口をひねって利用するものだ。 浄水場できれいな水になっても、浄水場と、家や会社の蛇口の間の 水道管に問題があったり、ビルやマンションのように貯水槽を使用していて 管理に不行き届きがあった場合には水はやはり汚染されてしまう。
前述の住友金属の工場内の水道の場合、問題はどこにあったのだろう? 果たして工場内だけの施設の老朽化だったのだろうか? それは建物が取り壊された今となっては誰にも分からないことだ。 その後にその一帯でどれくらい水道管が交換されたかも問い合わせないと わからないことだし。
USJの今回の一連の事件とはもちろん無関係(なはず)である。 壊された住金の工場の祟りと言う訳でもあるまい。 ただ、この日記の情報提供者であるその方は、水道に問題のあった施設の 跡地に出来たUSJが、これまた水道関連の不祥事を連発するものだと、 感心していた。土地の因縁かと思う人がいても不思議ではない。
なお、USJの辺りは第二次世界大戦中には軍事工場が多数存在していたので 米軍により何度も空襲を受けたという悲惨な過去がある。戦後不発弾が 発見されたりしたこともある。私の友人も片足のない兵隊さんの幽霊を よく見たそうである。資料室で残業していると出てくるそうで、普段は霊感 などと縁のないような方まで、彼のことは見てしまうそうであった。
そのような土地に出来たのがアメリカ文化の象徴ともいえるUSJであるのも 歴史的な皮肉であろうか。工場がなくなり、USJになった今、片足がなく、 松葉杖をつき、片目に包帯をした幽霊さんはどうされているのだろうか?
猛暑をやわらげようと最後は少し涼しくなる話でしめる空遊であった(笑)。
2002年07月25日(木) |
ゴキブリ入り味噌汁の定食というトラウマ |
先日、通っている学校の食堂で、定食の味噌汁にゴキブリが混入する という(私的には結構)ショッキングな出来事があった。 今まではお店でゴキブリが歩いているのを見たことこそあれ、 中に入っているというどうしようもない事態には直面したことは なかったのだ。
正確に言えば、それは私の味噌汁に入っていたのでは無く、 一緒に食事をとっていた人の味噌汁に入っていたのだが、 大鍋で煮込んでいる以上、私のものとか彼のものとか区別することは 意味を為さなかった。
それまで食堂で定食を残すようなことはなかったのだが、 さすがにその日は味噌汁は飲めなかった。
尼崎市の保健所に報告してやろうかとも一瞬考えた。
そんなことは個人的にする必要もないのでやめたが、 さすがに次の日になっても気持ち悪く、食堂には足が向かわない。
7-11に行く。酢豚弁当を食べる。コンビニはコンビニで弁当に異物が 混入していたというテレビのニュースも見聞きしているが(7-11ではない) 「目の前の人の味噌汁の中に」という現実感のショックの方が、伝聞の 恐怖よりもはるかに大きかった。
多分明日も明後日も食堂には行かない、いや行けないだろう。 同じクラスの人達が、今日もそこで食事をしているとしても。
近所に良いお店のない場所柄、多分昼はほかほか弁当と7-11弁当で 8/30まで過ごすのだと思う。朝と晩はそれなりにしっかり食べているし、 身体を壊すこともないだろう。自ら弁当を作るということも出来るが、 この暑さでは、かえって危険な気もする。
なお、今後の身の安全のために食堂がどこにあるのか知りたい人には、 メールででもたずねてくれれば教えましょう。多分大半の方はそこには 一生行かれることはないでしょうが。
2002年07月22日(月) |
捕らえることのできないもの |
取り立てて、どうということのない一日。
そんな日もある。
そんな日のほうが、多分多いのかも知れない。
建物から一歩外に出ると、そこは熱帯と化していた。 熱で空間が歪んで見える。
その歪みのなかで、忘れ去られたものが錯乱しながら複雑に 結びつきあっている。それが何なのか、たずねても仕方が無い。 たずねるたびにそれはその形を変化させつづけていくのだから。
時を歪ませ、空間をねじまげ、光を屈折させる何か。
エレキギターのディストーションよりは、WOWペダルに近いその何か。
それは熱帯の中に姿をあらわし、追い掛けると再び消えて行く。 どこか遠くの別の場所に姿を現しているに違いない。
それは、人の心の中に入り込んで、幻想を四次元的なものにする。 束縛する現実を一瞬にして溶かし去り、手に入らないものが手に入るような 気にさせる。
万華鏡のビジョンのように無限の形を取るそれは、 熱帯の空気の中で踊っていた。
「捕らえることのできないもの」
さしあたっては、そう呼ぶより他に無いもの。
昨日ヤフ−!ジャパンのニュースを読んでたら、 ようやく梅雨が明けたとのこと。なんだか短い梅雨だった ような気もする。
人は居る場所の習慣が身に着いてしまうものらしく、 去年まで某地方自治体の水道係にいた空遊は、梅雨が短いと
「渇水、だいじょうぶかなあ?」
とか、今でも思ってしまう。今年の降雨量は足りているのかしら?
梅雨の時は不意に訪れる雨に困らされた。 逆に雨が降ってたのが止んでしまうと、3回に2回は傘を忘れてしまう。 忘れたのが学校とかなら、後で気が付いて取りに来ることもできるけど、 その場所が「神戸のどこか」とか「大阪のどこか」となると、とても 探す気にはなれない。学校に通うにしても、朝電車で行くか、バスで行くか 結構微妙な判断だったりする。
梅雨が明けて、そういう心配が少し減るのはうれしい。
が、昨日と今日でそれどころではないということを身に持って分かった。 日焼けが尋常ではない。日焼けしたところがぴりぴりする。腕や足が若干 ぴりぴりするのは耐えられるが、額や鼻の頭がぴりぴりするのは、なんとも 苦手。
日焼けの理由はよくわかっている。自転車。学校まで1時間弱乗ったり、 昨日みたいに丸一日乗ったり。だから手の裏と表の色が違う(爆)。 半袖、半ズボン、靴下のラインなど非常にはっきりとわかれている。 プリンのカラメルの層とプリン本体の層のように。裸になって、浴室の 鏡の前に立つと、手足の先端だけ色が全然違うので、なんだか宇宙人のよう にすら見える。
さすがに今日は日焼け止めクリームを付けていったが、道中汗で流れて しまうので、あんまり効果が期待できない。よってまたピリピリ。 帰宅すると即座に水風呂に入るのが日課のようになってしまった。
いっそのこと、ブルカでもかぶろうか。それともメキシコのソンブレロ にしようかしら。
日焼けしないためには帽子をかぶって黒い長袖長ズボンを履けば一番 間違いがないのだが、とてつもなく暑そうなので却下。
なお、肌のケアは忘れがちな空遊であるが、さすがに目のことだけは 気を使う。しっかりした紫外線カットのサングラスを使用している。 しかし、これすらも災いとなる側面もある。御想像のとおり、現在 逆パンダ状態が進行中だ。
夏の太陽、貯金しといて冬使いたいのは私に限ったことではないと思われ。
2002年07月20日(土) |
御影から姫路まで往復サイクリング |
朝起きる。通学しようとした。 よく調べてみると、というか考えれば分かることだが、 今日は祝日なので休みだった(笑)。
今日一日どう過ごそうかと、、、。 金回りの良い時には美味しいレストランに行ったり、 遠くに出掛けたり、ショッピングしてたりもするのだが、 生憎そんなに手持ちの残っていない今日この頃。
しかも、水曜日に期待して行った梅田阪急ダイニングステージ 4階のポンテベッキオがまさかのおおはずれだったので 新しい店に食べに行くのに積極的になれない現在である。 私は飲食店についていい加減なことは書きたくないので、 何がどう自分の好みに合わなかったかは、具体的に書いておく。
1.ウェイターの姿勢・態度が良くない。 言葉の発音も不明瞭で聞いているのが分かり辛かった。 その上耳も遠いのか、「パンを持って来て」と言うと ウェイターは「取り皿ですね」と答えた(爆)。 なぜわざわざ「パンを持って来て」と言ったかというと、 パスタの前に持って来るべきパンをパスタを出した後も忘れていたから で、しかも何度も頼んでもなかなか持ってこなかった。
2.パスタの茹で具合。 なぜか分からないがふにゃふにゃの茹で過ぎだった。 まるでカップラーメンのように柔らかかった。 テレビ等では、「パスタにはこだわっています」と宣伝されていたので 正直ショックであった。
3.料理を持ってくるタイミング。 テレビ(ちちんぷいぷい)では、客をさばくために工夫がなされている 様子が放映されていた。場所柄もあり、短時間にたくさんの客をさばき たいようであった。そのせいだろうか、一つの料理を食べ終わる前に 次の料理を持って来たりする。例えば、パスタを食べ終わる前に、 メインディッシュを持ってくる。その結果として、折角のメインディッシュ は冷めてしまう。客がその料理本来の美味しさを味わえないような料理の 運び方をどうしてするのか?
4.メニューの左側に記載されているワインのチョイスには疑問。 試しにフランス製白ワインのミニボトルを注文してみたが、 はっきり言って安ワイン丸出しの味。安くて美味しいワインがたくさん あるのに、安くて不味いワインをメニューに載せている。
まとめ:何よりもサービスの悪さが目立った。いくら安くした分手を抜かざる を得ないところがあると言っても、サービスでここまで客の神経を逆撫で してはどうしようもない。この店の本店はかなり高価な料理を出すそうだが ランチで2000円というのは常識的に見て決して安くはない。それなりに 美味しく食べられればいいなら、800円や1000円でいくらでも美味しい店が ころがっている。2000円をランチに払わせるのなら、サービスもそれに 相応しいものにするべきである。何も一流ホテルのホテルマンのような サービスを要求しているわけではない。注文をちゃんと聞いて、適切な タイミングで運ぶという全くの基本。それが出来ていなかった。 ちなみにこの後新しく出来たスタバに行ったが、とてもしっかりした接客 だった。丁寧で、親切だった。
なお、散々だったこの店も、食後のエスプレッソについては流石と 思えるほど美味しかった。デミダスカップもデザインのいいセンスのある ものを使っていた。デザートにも問題は無かった。 メインディッシュのローストビーフについては、おいしかったが、 若干胡椒その他の調味量がかかり過ぎている感があった。
話を元に戻す。 今日一日をどう過ごすか?。
結局サイクリングに行くことにした。 あれこれコースを考えたり、地図を見たりするのも面倒なので、 とりあえず須磨・舞子方面を海沿いに走ることにした。 晴れた日のこのあたりの景色は素晴らしい。
御影から西へ、西へとどんどん進む。県庁前までは通勤ルートだったので 至って慣れたコース。途中県庁前でチェーンが外れて、直していると 神戸栄光教会(キリスト教)の中から出て来た御婦人が 「どうぞお使いください」と真っ白な雑巾を渡してくれた。 「後は捨てておいて構いませんから」と言い残して去っていかれた。 手を汚さなくても済むようにとの暖かい心使い。 どうもありがとうございました。あなたに主の御加護のあらんことを。 なおこの雑巾はその後もチェーンが外れる度に役立つのであった。
その後も、何度も通ったことのある道を進み、 須磨浦公園までは楽勝。舞子のあたりで景色をみながらくつろぐ。
しばらくしてふと考えた。「これからどうしよっか?」 以前に明石の魚住までは自転車で行ったことがある。 今日はまだ時間も早いし、、、、、、、。
「姫路まで行ってしまえ!」(爆)。 私の内なる声はそう告げるのであった。
知らない道で迷うのは嫌なので、国道2号線をひたすら進む。 神戸市内とは違って、信号も交通量も比較的少なく、快適速度で 巡行できる。実は今週の木曜日に三宮の東急ハンズでProfileの Boxerというバーエンドバーを購入したところだったので、 その効果を試すと言う目的もあった。実際使ってみたところ、 なかなか握りやすく、サイクリングが随分楽になった。 気分はブルホーンハンドルである。
しかしさすがに姫路は近くはない。遠いと言う程ではないが、 近くもない。神戸市→明石市→加古川市→高砂市→姫路市という 順番であるが、それぞれ東西に長い(高砂はそんなに長くないかな)。
姫路市は、神戸市、西宮市、尼崎市と並ぶ兵庫県内の政令指定都市で あるが、市の周辺部の田舎っぽさは群を抜いている。 良く言えば、市の周りに自然が残っている。
目的の姫路市に近付けば近付く程、田舎っぽくなっていくので 道を間違えているのでは無いかとちょっと不安になった(笑)。 道案内を信頼して進んだら無事着いたので問題なかったけど。
姫路城を少し見て、Uターン。
街を観光するとかよりも、走ること自体が目的って感じだったので。 帰りはさすがにほんの少しペースダウン。でも太陽が下がって来たので 暑さも減少。のんびりとした良いサイクリングだ。 行きはスピードを落とすと暑くなるので、極力ハイスピードで進むように していたのだ。
家に帰ると、日焼けに改めて気付く。ぬるま湯のお風呂に浸かる。 その後スペイン風に、オリーブオイルを塗ってケア。 (スペインでは蜂に刺されてもオリーブオイルを塗る習慣があるくらい)
帰宅後、Yahooの路線情報で調べると、御影-姫路間で片道62.8kmも距離があることが 判明。これは鉄道の距離。鉄道は、特権的と言っても良い程に最短距離を 走っているものなので、実際には片道70?、往復にして140?くらい 走ったのだろう。
日々のコンピューターストレスは綺麗にリセットされた(笑)。 明日からまた学校だ。
昨日のことだが、三宮のジュンク堂の一階の雑誌コーナーに行った。 普通の本屋にはまず置いていないような雑誌もたくさんおいてある。 日本の古典文学に関する週刊誌から、アンタエウスオオクワガタの 育て方に関する月刊誌まで、いろいろである。
好奇心だけで生きている空遊である。こういうところで長居を するのが大好きだ。
ただし、話題書のコーナーにあった、「なぜジュンク堂に人が集まるか」 といった題名の本には、爆笑させていただいた。確かに集客能力は高いが、 何もジュンク堂自ら、話題書のコーナーに置かなくても、である。
色々な雑誌コーナーを見て回ったが、今回は旅行コーナーで長居した。 まず、サマルカンドの本。サマルカンドは空遊が一度訪れてみたい都市の 5本の指に入る。中央アジアの中でも、イスラム文化の美しさが、ずばぬけて 花開いている。街にそびえたつモスクをはじめとするイスラム建築を見ると 空遊はなぜか非常なる郷愁を感じる。まるで故郷のような何かを感じる。
それは、偉大なるものへの憧憬というよりは、
「おじいちゃんはここのモスクに毎日祈りに行って、 お母さんは市場で野菜を売っている。」
と言った、妙に具体的なイメージである。
自分が生活していた、という確信がある。あの美しい街で。
今住んでいるところからは遥かに遠いその街に思いを馳せた後、 日本の街道の本を読んだ。歴史の中の街道は、現在とは違い、 それぞれ非常に個性的であった。
勿論現在も街それぞれの個性と言うものは存在するが、 どこに行っても同じようなチェーン店やファーストフードのお店が 林立しているせいで、なんとなく他所に出て来た気が薄れてしまうし、 道に至っては、規格の同じアスファルトの道が全国一律で続いているので 街道の個性とかいうことには考えが及びにくい。
おそらく地方に行けば昔の雰囲気を残した街道にも巡りあえるだろうか。 篠山とか長浜に行った時には街の雰囲気を強く感じた。 神戸や奈良にもそれぞれ良い街並みがあるのだが、慣れてしまって 日常風景である。東大寺や法隆寺など、幼少から連れられ過ぎたお陰で もう何の感慨もなくなってしまった。
これからちょっとネットサーフして検索してみようかな、、、。
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