仕事中に上司に呼び出された。 来週からは、今やっていること以外にも、 別の仕事してもらうって。
何をさせられるのかと、ちょっとどきどきしたが、 よく聞いてみると、書類を隣駅にある本部まで 運ぶ、というすごい単純なことだった。
実は、結構うれしい。 一日中ノートパソコンに入力しているのも楽ではない。 しかも、部屋寒い。ガスストーブを使っているが、 室温は16度以上には決してならないようだ。 その16度もガスストーブに付いてる温度計の表示だから 実際に働いている机付近ではいったい何度なのだろう?
実は、初日より外に出たいと思っていた(爆)。 外に出たら、人の目がなくてくつろぐし(笑)。
そんなわけで、ちょっとだけ来週が楽しみな空遊でした。
2003年01月11日(土) |
仕事はじめて1週間+「食ってはいけない」系ラーメン |
新しい仕事について、早1週間。 週のほとんどが、コンピューターへの入力で終わった。 もうすぐ、違う仕事もやってくるらしい。 そうしたら、少なくとも「何か新しいことを学ぶ」という 体験の中にいられることだろう。
今の職場のまわりには目立っておいしい飲食店がない。 ランチは持参かコンビニか。
ある日、新神戸駅を少し降りて春日野道方面に向かう バス路線沿いにある××酒家という中華料理屋に入った。 以前から何回かその店の前を通ったことがあって、 400円のおいしいラーメンという貼紙が気になっていた。
お店に入った。お店の方は中国系の方のようだ。 常連とみられる近所のおばちゃん集団が大きい声で しゃべっていた。あとは数組の背広姿のおっちゃん客。 ちょっとだけ不安になってきた。
結構長い待ち時間の後、ラーメンが運ばれてきた。 日本のラーメンは実はほとんど日本独特の料理と化していて、 元々の中華料理のラーメンとは大分違うことは知っていた。 だから、期待とちがうかもしれないとは少し思っていたし 逆に今までにない美味しさかも、とも少しだけ思っていた。
ラーメンが来た。
・・・
麺は、中国系の麺って感じ。まあいいとしよう。 問題は、スープだった。あまりにも、化学調味料いれすぎ。 時代錯誤といいたいくらいに化学調味料の味。 舌がしびれてこんなの食べられない、と言いたいくらい。 焼豚、というには貧弱な薄い焼豚を食べ、そこそこの麺も食べた。 でも、スープは飲めない。全然飲めない。 山神山人や、神座では、きれいにスープなくなるまで 飲んじゃうのだけどね。
カウンターで400円払う。 「おいしいラーメン」って書いてるけど美味しくなかった。 と、もう少しで言いそうになった。
これなら、今流行りの180円ラーメンのほうがまだましだ。
有害な添加物や保存料を使っている商品を掲載して有名になった 「買ってはいけない」という本があったが、それ風に言うと 化学調味料いっぱいの、このお店のラーメンは「食ってはいけない」 であると言えるかもしれない。
なお、店名を伏せているのはマナーからではない。 記憶するにも値しない店なので、名前を忘れてしまっただけである。
と言う訳で、来週はどうしよう?寒いから、あんまり遠くに 行きたくなかったりもするし、、、。
ひさしぶりに、自分で御弁当、作ってみようかな、、、。
昨日から実家に滞在している。 いつもは実家にいるのは1日以内か、多くても2日なので 正月でずっと実家にいるのは気が重い。
せめてもの救いは新しく実家に導入されたケーブルインターネット。 やっぱりダイヤルアップよりずっと速い。
え?どうしてADSLじゃないのか?って・・・。 それは、NTTの最寄の局までの距離のせい。 ウェブで調べてみたら、信じられない距離だった・・・。
最寄のスーパーまで歩くと片道30分(しかも坂道)だし、 父が車ででかけてしまうと、残された者は身動きがとれず。 なにもない田舎なのでネットでもしてるより他になし。
すると、空遊の加入しているミニベロ・ベント倶楽部のMLから 大阪市内のお寺に除夜の鐘をつきにきませんかというお誘いのメール。 ちょうど家を出たかったので、行き場所ができた感じでとてもうれし。 夕食後、近鉄で上本町まででかけ、そこから歩く。
メールの送り主は、お寺のお坊さん。 クルマ・バイク・自転車が好きでサークルを主催しておられる。 寺に入り、メンバーの人たちと話す。 普段、バイクに乗る人と話さないので面白い。
やがて、メールしてくれたお坊さんのお父さんが出てきて、 お経とお話。こちらは特にとるところもなかった。
ただ、鐘はすんでのところで戦災を免れた由緒あるものだそうで、 そんな鐘を初対面の私に叩かせてもらえるのはありがたいことだ。
除夜の鐘を打つのは初めて。 「二度打ちすると鐘が痛む」と言われたので、それだけはくれぐれも注意。 近くにたくさん人が集まると、服が音を吸い込んで響かないそうで、 鐘の近くに寄れるのは2、3人。意外と音響学的なことを考えているのね。
ごーん・・・・・ ごーん・・・・・・。
浪花の古刹の鐘を打ちつつ、聴きつつ、大晦日の夜は更けて行く・・・。
今日も忘年会。
場所は三宮のとても美味しい焼肉屋さん。 タンが絶品。良いタンは分厚く切っても柔らかいそうな。 お店の名前を知りたい人は、メールくれたら教えてあげる。
食べることに一生懸命で、お酒の方はあまり進まなかった。 ビール、ビール、チュ−ハイ。
メンバーのお仕事は、フリータ−、学生、自営業がほとんど。 会社員はひとりだけ。
二次会はゲームセンターとボーリング。 自慢じゃないけどボーリングは苦手だ。 ボールを投げる時に、ボールに振り回されてまっすぐ投げられない。 軽いボールだと、穴が小さくて指が抜けなさそうで怖いし、 重いボールだと、支えきれない。
しかも、飲んでるし(言い訳)。
結果、、、涙の39点。 2ゲーム目になって、がんばったけど、それでも70点。
アイスとカフェオーレをおごらされました(涙)。
ま、たまにはそんなことがあってもいいかな、と思います(開き直り)。 今週は、新しい職場の忘年会もあったし、お金がすっからかん気味。 交際費ってかかります。でも僕は友達や親戚が結婚したりしてないので まだましな方なのでしょう。いきなり何人も同僚や友人、親戚に結婚されて お祝儀を支払いきれず、消費者金融に走ってしまう人までいると聞きます。 ほんと、今年一年、誰も周りにいる人が結婚しなかったのは幸いなこと。 神に感謝です。来年も、かくありますように。
で、最後にもう一度ゲーセンでレースして、解散。 インプレッツァを選んでしまった。Bクラスなのに。 新年会もやるそうなので、その時にはちゃんとAクラスの車、 できればランサーエヴォルーションかNSXくらいで参加しようと思います。
冗談でヴィッツで走ってみてもいいけど(笑)。
あああ、でもどうしたらいいんだろうねえ、ボーリングの下手なのって。 一人で練習しに行くのも、、、なんか嫌だし。でも人呼ぶと、その都度 恥ずかしいし。
とりあえず、二次会をボーリング以外の方向に誘導することしか、 思い付かない空遊なのでした。
新しいお仕事が決まりました。
1月〜3月の勤務ですが、とりあえず3ヶ月の延命措置という感じ(笑)。 勤務地が阪急の普通電車で3つ先の駅なので、満員電車とは無縁で いられそうです。電車に乗る時間が長いのって、遊びに行く時は不思議と 平気なのですが、仕事や学校となると許せなくなります。
だから、しまいに神戸〜大阪は本町のバイト先まで自転車通勤してたり したこともあるのです。毎日必ずという訳ではなかったですが。
仕事先は、NGO。仕事はいわゆる文書関係の事務のようです。 実はすでに忘年会だけ参加してたりします。
で、話してびっくり。この飲み会で世間は狭いな〜と思い知らされました。
まず、面接担当の方が、私の大学時代の同級生の友達。
すでに働かれている同僚の方の前職が、私の前職の向いの部屋で事務。 しかも共通の上司がいたりします。
そして、正月明けから一緒に働く人が、同じ大学出身なのですが、 私の顔を知っているとのこと。こちらも見覚えくらいはあり。 なにしろ狭い大学でしたから。
ただ給料的にはもう少しほしいので、残業がないのをいいことに、 空いた時間で少しバイトしようかなーと思ってます。
それより4月からの就職だろ、と言う声もありますが(汗)。 目先のお金、も大事なので。ふにに。
2002年12月24日(火) |
クリスマス・イブ(謎) |
クリスマス・イブと人は言う。 でも高校の時の宗教の先生(クリスチャン系の高校だった)によると 12月25日がイエスの誕生日と言う訳ではないそうな。
クリスマスとは、ローマ帝国がキリスト教化した時に、 それ以前の宗教のお祭りを単に禁止したのでは、欲求不満に陥った 民衆が暴動を起こしかねないということで、それまで行われていた 異教(クリスチャンから見て)のお祭りを、イエス・キリストの誕生日と いう名目に変えて続けることにしたのが始まりだそうで。
実際、エチオピアのクリスチャンは12月25日とは別の日を イエスの誕生日として祝っています。
こんなこと知っていても、あなたの恋人があなたにプレゼントを要求 することに変わりはないし、この国の普通のクリスマスはそれはそれとして 楽しいものかもしれませんが、いい年した大人がいつまでも12月25日が イエスの誕生日と思っているのは恥ずかしいかもしれないので、一応教養 までに覚えておいたほうがいいでしょう。
ま、上記の牧師さんの教会も、本当は違うと知りながら、しっかり クリスマス礼拝をして、普段は使わない合唱隊とか呼んだりしていたの ですが。
信仰にとって、それが歴史的事実であるかどうかは、実際どうでもいいこと なのかもしれません。チベットに、息子がインドから持って帰ってきた犬の歯を、お釈迦さまの骨と思い日々祈りを捧げていた老婆が、亡くなった時、 遺体が虹となって消えていったという伝説があります。信仰それ自体の方が 信仰の対象の真偽よりはるかに大事であるという寓話でしょう。
だから、結局のところ、多くの人にとって今日がイエスの誕生日なのでしょう。
でも、クリスマスを一人で過ごすからといって、嘆いている人がいること だけはいただけません。
イエスは、あなた方の誰よりも、孤独だったはずなのですから。 ペテロに「そんな人は知らない」と言われ、ユダに裏切られ、 無実の罪で訴えられて嘲笑われながら、石を投げられながら十字架を 背負って歩き、磔にされて何回も槍で突かれ。
そんな風にされてなお自らを磔にした人々を許せた人だったのならば。 そんな運命を背負った人の誕生日だとしたら。
誰か、イエスよりも孤独な人がいるのでしょうか?
2002年12月18日(水) |
猫熊的生活〜ウィーンのカフェ |
私の今日は、昨日のようで、その昨日は、一昨日のようで、 その、、、(以下略)。
という具合に、なんの変化もなくたらたらと、あたかも動物園の クマかパンダか何かのように日々を過ごすことが多い。
人からとやかく言われることも無い訳ではないが、私自身が選んで こんな生活をしている訳でもなく。ただどうしてかはわからないが こんな生活になってしまうのだ。
淡々と、ただただ淡々と、かと思えばけだるく、どこまでもけだるく。 しかして時に狂わんばかりに睡眠を取り続け。
鬱積したエネルギーがたまりすぎると、とりあえず自転車で100キロくらい 走ると不思議とバランスが取れます。今日はスクーターに乗ったヤンキー 風の方と、抜きつ抜かれつのデッドヒートでした(爆)。 別に意図してそうしようとした訳ではなく、お互いの巡航速度が近かった ので、そうなっただけなのですが。
それもただ図書館に本を返しに行く途中の話。
ウィーンのカフェって本を借りていたのですが、面白くって。 期限を超えてかりてしまいました。一週間くらい期限を超えていたので 何か言われるんじゃないかと心配していましたが、係りの方はただだまって 受け取り、本を確認するのみで何も言われませんでした。大学の図書館は ちょっと遅れると、嫌味を言われたものなので、市の図書館は優しいと 思いました。しかも大学の図書館は一度期限をこえるとしばらくの間 貸してくれなくなるのです。
「市立図書館は公共機関だから」と読者のかたは思われるかもしれませんが 私の通っていた大学も同じ市立なので、この態度の差はなんなのだと小一時間(略)。
ウィーンのカフェって、日本のカフェとはかなり様子がちがうみたいで。
・30紙以上の、様々な国の新聞が置いてあった。 ・百科事典が全巻備え付けてあり、客は自由に利用できた。 ・コーヒーの種類が、日本の喫茶店にくらべるとかなりたくさん。 ・政治、文学、音楽などに深く関わってきた。 ・その時代の最先端の知識人達が集まり、議論したり、執筆したりする 場であった。暮らしのほとんどをカフェで過ごしたような知識人もいた。 ・ビリヤードや、タロック(カードゲーム)が盛んに行われていた。 ・有名店には、名給仕と呼ばれる人がいた。客の名前や、読む新聞を 記憶し、丁寧なサービスを行った。
非常に文化的というか、なんというか。御茶と御菓子ばかりの日本のカフェ とは別世界のようです。
いろんな情報が手に入るという点では、ネットカフェでもいろんな情報が 手に入るわけですが、ネットカフェではあんまりお客同士の交流がありま せん。そこが最大の違いでしょう。
いつか日本でもウィーンカフェのようなことをやってみたい。
とか、柄にもなく思ったりします。
先日、お酒を数本、贈答品としていただいた。 ワインはボジョーレ・ヌーボーが一本、日本酒が数本。
その中の一本が、変な名前。 名を「初孫」と言う(爆)。
かつてキャプテン・ハーロックの愛機アルカディア号を 作った天才少年トチローが愛飲していたことで有名な、 「美少年」以来の衝撃である。 (そう言えば神戸には美男子という韓国料理屋もあったっけ。)
なお、トチローだけでなく、女優の桃井かおりもこの酒を 飛行機内に持ちこむそうな。僕は飲んだことないけど。
しかし「初孫」とは「美少年」に負けず劣らず変な名前。 サップvsホーストくらいの名勝負ではあるかも。
一体、何と飲んだら合うのだろう? 全く未知。
抗う、抗えない。衝突。妥協。流される。押される。 助けられる。癒される。励まされる。けなされる。
衝突しあうベクトル。混乱。為すすべも知らず。
終わるものは終わればいい。続くものは続けばいい。
私は闘う術も、生き残る術も知らない。 今生きてることだって、僥倖に過ぎない。
ただ起こることが何であれ起こればいい。 それをどうこうしようというのは私の仕事ではない。
私を悪く言う者は好きにすればいい。 良く言う者も、やはり好きにすればいい。
この広い世界に私の行くところはどこにもないし、 この豊かな世界に私の得るべきものは何一つない。
夜がふけ、日が登る。月は遠心力で軌道を外れ、彼方へと飛び去る。
2002年11月23日(土) |
失意の修学旅行生(嵐山・嵯峨の紅葉画象その6付き) |
京都のお寺には、拝観料というものがある。 良い仏像や紅葉の景色などが敷地内にあると、 寺はそれをネタにお金儲けをするのだ。
1つの場所につき、500円とか1000円とか。 1ケ所ならどうってこともないかもしれないが、そこは京都。 満足に観て行こうとすると、かなりの金額が掛かってしまう。 文化財級の仏像や、美しい紅葉のある庭の前で、 残念そうにUターンして帰っていく自由時間中の修学旅行生を 見掛けるのは、そのせいである。
おそらく遠いところから来たであろう修学旅行生の 親は、学生の修学旅行にそんなにお小遣いをあげなくても 良いと思ったのかもしれないし、あげられなかったのかも しれない。たくさんお金を渡したら却って悪いことに使ったり 無駄遣いするかもと思ったのかもしれない。
理由はどうあれ、結果として次はいつ京都に来られるかも わからない修学旅行生は失意の中、故郷へと帰っていく。
京都の古刹名刹は、各宗派の総本山であるようなところが多い。 たくさんの観光客が訪れ、お賽銭を放り込んだりお守りを買ったり 各種祈祷を申し込んだりする人も他とくらべれば多いだろう。 もちろん、観光客ではない信者さんも相当数いるはずである。 お金に窮しているとは、とうてい考えにくい。
ついでに言えば、宗教法人なので、税金が掛からない。
何年かに一度しか見せない秘仏を見せるから、お金を払いなさい というお寺もかなりある。
しかし見る人がいなければ、仏像にはなんの価値もないのではないか。 勿体ぶることがどう衆生救済の役に立つのか? 私は仏教は一切合切信じていないから別に構わない。 私が寺を見に行くのは100パーセントの物見湯山。 けれども、信じている人は、可哀想じゃないか。 例えば、浄土宗の檀家さんで、生まれてこのかたずーっと信者で、 法事も葬式もずーっと浄土宗でやって、お坊さんにお布施もはずんできた 人が、総本山に来てもやっぱりあらためて拝観料よこせ。 なんか、ひどくない?
紅葉はいたって綺麗なのだけれども。 この世のものではないかもしれないくらい綺麗に見えたりもするけれども。 京都の僧侶の心が冷たいから京の冬もこんなに冷たくなって、 温度差で紅葉がこんなに綺麗になったのかな、と思ってしまいそうな こともなきにしもあらず。

光と影のライン、45度に、まっぷたつ。
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