Espressoを飲みながら

2003年03月07日(金) 最近の喜納晶吉(最初きいたころは好きだったが)

 テレビで喜納晶吉が、反戦、反劣化ウラン弾のコンサートをしているのが
放映されている。相変わらず、花を歌っている。

「なき、なさ〜い〜。わらい〜な〜さ〜い〜」

おいらも人間泣いたり笑ったりするものだとは思うが、
喜納の歌を聞いて泣いたり笑ったりはしない(笑)。

「花」ばっかり歌っているから、どこでも何があってもそればっかりだから
もはや「花」は「贈る言葉」的な偽善感動ソングになってしまったと思う。

そろそろメインにできる新曲だしたらどうなのさ?



2003年03月02日(日) 舞州でのBBQオフ:自転車がいっぱい

 Qyouの趣味の1つはML。
自転車系、地域情報系、珈琲系、経済系、精神世界系、
いろいろ読んだり投稿したり。
で、オフ会にもちょくちょく顔を出すのです。
 最近は、自転車系のMLのオフ会によく行きます。
今日は、ミニべロ・ベント倶楽部というタイヤが20インチ以下の
自転車とリカンベントという寝そべった姿勢で乗る自転車の愛好家達
からなるMLに参加されている芦松さん主催のBBQオフに行って来ました。
ミニべロ・ベント倶楽部は
http://www.eonet.ne.jp/~minivelo-bent/
を参照のこと。オフ会の様子の一部が、画像掲示板にアップされています。
 オフ会の場所は、大阪市此花区の舞州スポーツアイランドの
オートキャンプ場。いろんな自転車の試乗会をするのにちょうど良い
ということで選択されたようです。USJからも結構近いです
(注:歩くと遠いです、バスがあります)。
http://www.konohana.net/maishima/maishima-t.html
に詳細が。
 ところで、自転車のMLのオフ会で、しかも試乗大会的BBQオフなので
やはり自分の自転車を持っていくのです。神戸市の自宅から、大阪の人工的
離れ小島まで自転車で走るか、電車+バス(自転車を折り畳んで輪行)か。
バスは西九条から出てるのと、桜島から出てるのと、USJ前から出てるのが
あるらしく、西九条から出てるのには一度乗って行ったことがあるのですが
時間もかかるし、疲れたし、あんまり楽しめませんでした。
第一、電車賃とバス代が掛かってしまいます(汗)。
往復にすると、多分馬鹿になりません。
 自転車で行くことに決定しました(笑)。
地図で調べると、このコースで日曜日ならば、西宮まで出て43号沿いに
行けば近いことが判明。かつては尼崎喘息訴訟などで話題になった、
悪名高い公害道路ですが、湾岸高速が出来てから、しかも日曜の朝だったり
すると大した交通量はありません。
それでも、他人にはお勧めしませんが。
ペースをあげすぎると疲れるし、遅いとおくれるし、ぼちぼちな
ペースで進んで行きます。やがて、此花区に入り、他の参加者の方を
発見。珍しい自転車に乗っているのですぐわかります(笑)。
舞島の中をくるくる軽快に迷いながら、とうとう会場に到着すると、
すでにたくさんの方が集まられていました。到着早々とても美味しい
シュークリームをいただきました。どうもどうもです。
自己紹介が始まると、知らない顔が実は掲示板で何度もやりとりがあった
人だったり、ホームページを見てくれていた人だったりします。
この辺がオフ会のおもしろいところ。
やがて、サイクリングと試乗会。サイクリングは淀川沿いまで行って、
十三大橋を渡って戻ってくるコース。島の中をまわったり、淀川大橋を
渡って大川サイクリングロードに向かう近道コースを辿った人(私を含む)も
いました。
 帰りは淀川沿いで向い風。向い風になるとやっぱりローレーサーという
タイプの自転車が速いです。何しろ全高が圧倒的に低いので、空気抵抗が
少ない。寝転んだ姿勢も空気抵抗をやわらげるのに良いのでしょう。
芦松さんのバロンは、楽々と先頭を走って行きました。
バロンは、こんな自転車↓
http://www.loro.co.jp/rec-optima.html
その後はバーベキューと試乗大会。
パナソニックのロデオという意図的に乗りにくく作られた自転車が
面白かった。全然乗れねー。初・中・上級とあるうちの中級だそうで。
あと、芦松さんのディブラッシというイタリア製折り畳み自転車。
http://www.loro.co.jp/b-03dibconer.html
思ったよりフレームがしっかりしていて、ホイールベースが短いので
取り回しやすく、結構遊べる自転車なのです。
にいくらさんのZOX
http://member.nifty.ne.jp/mn/zox.html
は、いったんスピードが出るとものすごく面白い乗り味。
車高が低く、なんというか、フォーミュラ−カーのような感じ。
自転車にしては珍しく、前輪駆動です。構造上、タイトなスラロームの
ようなコースは好まないようです。
トータルなバランスの取れたリカンベントとしては、個人的にはやっぱり
BikeFridayのSatRdayが好みです。普通にサイクリングにでかけられそう
なので。
他にも素晴らしい自転車の山なのですが、全部書いていると夜があけるので
これくらいにします(笑)。
 帰りは淀川大橋までTETUさん達と一緒に走りました。
それから、ニ号線沿いを走っていると、たるたるーが と遭遇。
たるたるーが とは、折り畳みのセミリカンベントタイプの自転車。
http://www.gcs-yokohama.com/products/folding/tr03.htm
乗ってる方に話し掛けると、なんと同じ自転車屋で自転車を買ってた
ことが判明。いろいろお話しながら途中まで走ってました。
 よく走ったオフ会、それに加えて行き帰り。
折り畳んでもいいのですが、BikeFridayは折り畳んで電車に乗るより
ずっと走っていたいタイプの折り畳み自転車です。
武庫川超えたら後は車の少ない楽々コースもあるし。
西宮ー神戸は自転車で走って楽しい街☆。



2003年02月24日(月) 仕事を休む、芦屋の日の丸軒ラーメンはまったりと美味しい、そして有り合わせのピザ

 仕事を休む。
仕事を(勝手に)休むことは、決められた休日で自動的に休みになること
よりも、癒される感じがする。ま、職場によってはえらいことになる訳だが
そういうところには最初から行かないので、あんまり問題になったことはない。

風邪をひいて連絡もできずに寝てたら、職場から電話が来て彼女が電話に
出て後日さんざん噂されたり好奇心の対象になったことはあるが。

「髪を切ったね」とか言うのがセクハラなら、ああいう噂や好奇心いっぱい
の身振りもセクハラかも、と思う。罰しなくていいからお金ほしい。
動物園のパンダ程度には、見世物にされたのだから。

 昨日は芦屋の「日の丸軒ラーメン」に行った。
阪神間MLという、私が別ハンドル名で参加しているメーリングリストで
教えてもらったところ。なお、参加しようと思って検索しても何も出て
こないと思われるので、MLへの参加希望者は私にメールするように。
おいしいお店から、映画から地域ネタまでいろいろ話題豊富なMLなので。

日の丸軒ラーメンは、芦屋ラーメン戦争勃発の地、芦屋ラーメンから
西へ数分歩いた国道二号線沿いにある。もっとわかりやすく言うと、
JR芦屋駅を南に下って大きな道(国道ニ号線)に出たら右手を見ると
看板が見えている(はずだ)。

店鋪は新しい印象で、清潔感がある。普通の昼食の時間からは少し遅れた
時間だったが、行列ができていた。客の身なりや雰囲気から察するに、
結構地元のお客さんが多いようだった。

日の丸軒スペシャルと、ネギトロラーメンをたのんだ。
ネギトロラーメンってなんだろう?と思ったのだけれども、
ネギととろとろに煮込んだ豚の角煮のたくさん入ったラーメンだった。
ひょっとして鮪のほうのネギトロかしらって期待したんだけど。

とってもバランスの良いラーメンでした。
スープは最後まで飲めるし、具も十分に美味しい。麺は細めで、固めか
軟らかめか注文できる。餃子や唐揚げ、おにぎり等のサイドメニューも
充実しているみたい。優等生的とも言えるかもしれないが、まったりとして
そつのない、ある意味芦屋ラーメン以上に芦屋的なラーメンだった。

 昨日の反動か、今日は一日中家に居ました(仕事行けよ、とか突っ込まないように)。
食事も家にあるもので済ませた。ピザを焼きました。生地を発酵させなくて
良いクリスピータイプのピザで、トマトソースがないのでケチャップで代用
して、トッピングは鮭と菜の花という超有り合わせピザですが(爆)。

 明日は仕事に行けるのかなあ、、、。うーん。
なんせ幼稚園の一年目から不登校で、小学校では登校拒否で、高校は
後一日で留年状態でなんとか卒業して、大学は卒業まで7年かかったような
性格なので、いったん休んでしまうと雪崩のように、、、(汗)。









2003年02月14日(金) 10000ヒットは誰?

 わーい!
とうとう10000ヒットを突破したぞー!
思えば長い道程だった・・・
(長過ぎ?)
10000をゲットした人、特に何をあげられる訳でも
ないけど、教えてねっ。



2003年02月13日(木) 神戸チョコレート物語

 ビジネスはアイデア、とはよく言われること。

今日の三宮そごうはバレンタイン客でごった返し。
一説によると、この日にチョコを送る風習は神戸在住の
ロシア人洋菓子店主(モロゾフ)によって作為的に作られたものだとか。

ある意味、これほどまでにチョコ業界全体に貢献した人はいないだろう(爆)。
チョコレートの年間売上げの8割がこの時期のもの。
「バレンタインにはチョコを送るもの」という概念がなかったら、
業界は今の1/5の売上げだったのだろうか。

 それはともかく、地下食料品店の全ての移動が大変です(汗)。
しかも女性客のみなさん、真剣で、息を詰めて、殺気だった様子で
チョコを選んでいる人も少なからず。こわいです。
三宮と新開地にチャイコフスキーを聴かせて作っているピロシキが
ありますが、バレンタインチョコにおいては客にチャイコフスキーでも
バッハでもいいから、とにかくリラックスさせる音楽を聴かせたほうが
いいかも。

これだけごったがえしていれば、そりゃあそごうの民事再生計画も
無事完結しますわな。おめでとうございますです。
一区切りついたのだから、これからは元通り生鮮食料品安めの値段に
戻してね。

 ところで、女性の読者の方々の中には必死になってどのチョコがいいか
選んでいる方もおられますが、そごうの特設会場レベルになると、
はっきり言ってどれもハイレベルで各店の違いはあっても、不味いチョコ
とかチョコが原因で恋愛が駄目になるようなチョコは売ってないです。
男性で、これらのチョコの間の違いをはっきりと認識し、価値評価を
行っている人がいたら、業界人か100人に1人の甘党か、どちらかです。

だから(こわいから)(たのむから)そんなに力まないで。

男性がその顔見てたら間違いなく逃げますよ(マジ)。
ミルコ・クロコップでも逃げるかもしれない(汗)。

 読者の方々が幸多きバレンタインを過ごされんことを。
失敗したら冬の夜長を当日記の過去ログでも読んで、
それこそエスプレッソでも飲みながら、のんびりお過ごしください。



 



2003年02月06日(木) 読めない。雪が好き。

 朝は雪の中を進んだ。雪は大好き。
雪が降らないと冬って気がしない。寒いのは寒いくせに雨だなんて
ゆるせない。冬は、雪だ。雪でなければならない。

 こんな風に考えるのも、住んでるところが雪国ではないから
なのでしょうね。私にパソコンを教えてくれた沖縄出身の先生も
一度かまくらに入ってみたいとか、夢みたいなことを言ってました。

どちらかというと、私は手間の掛かることは好きではないので、
毎日雪掻きとか雪下ろしとかする必要のあるところに住んだら、
すぐに逃げて帰ってきてしまうことでしょう。

でも、とりあえずここに住んでる限りにおいては、雨は勿論のこと
ただ晴れてる冬の日よりは雪が降ってる日の方がずっと好きなのです。

 昼間は、仕事。ようやく目録のファイルではなく、古文書の原文
(といってもコピーを綴ったものですが)を見る機会に恵まれました。
けれども、折角楽しみにしていたのに、江戸時代とかになると全然解読
不可能です(涙)。やっぱり現代の印刷された文字とは全然違います。

 でもちょっとたくさんの古い書物のある空間の気にあてられてしまった
ような感じで。帰るころにはちょっとオカルト的なエネルギー体にも
のっかられていたような。疲れた、と思ったら憑かれてた、みたいな。

ドラクエ6とか7のボスキャラのように瞑想して回復しました。
(おまえもおまえだ)

仕事が終わると何か食べてから帰りたくなる今日この頃。
ラーメン、カツ丼とか暖かいものが好みです。
「ぬくい」とか「こってり」もキーワード。

「早く春がこないかな」とか「もっと暖かくなってほしい」とかは
思わなくって、「もっと雪の日を」とか「こうなったらとことん冷えて
ほしい」とか思えるようになった今日この頃。私的には元気な証拠なんだ。



2003年01月23日(木) 70’s

 そこは市の中心部から、ほんの少し東に歩いたところ。
ちょっと散歩すれば、たちまち辿り着けるような。

でも、実際にはみなさん駅から東にはめったに行かれません。
とりわけ、川を渡るところまではなかなか歩いて行かれないようです。

川を渡ると、それでも川を渡ると、そこにあるのは近代的な街ではなく、
なんとなく懐かし気な、70年代を3回くりかえして2000年代に
突入してしまったような、そんな街並みなのです。

昔、どこにでもあったような、今より湿っぽくってふわっとやわらかかった
ような菓子パンとおかずパンが売りの町のパン屋さん。

原色の緑色のクリームソーダなんかでてきそうな、
いつか入ったことのある喫茶店。

知らない間に忘れ去られてしまったような、町の風景。


ほんの少し、ほんの少しだけ東に向かえば、出会うことができる。



2003年01月21日(火) 車道左端を自転車で走るのは道路交通法の定めるところ

 試験を受けるために勉強する。合格した後は、少しずつ忘れていく。
これは、どんな試験でも同じようなものかもしれない。
一流大学に合格した人でも、現役受験生の頃と今はちがうだろうし、
資格試験でも、合格して何年もたって、同じ問題を同じようにできるかと
いうとそうではないだろう。

 実際のところ、全てを暗記したままずーっと生きてもらう必要もないし。

 けれども、運転免許のように、自分と人の命に関わるようなことに
ついては、忘れてほしくない。車にしても原付きにしても、運転するの
なら、きちんと道路交通法くらいは覚えておいてほしい。

 自転車に乗っていると、後ろからクラクションを鳴らされることがある。
「抜かしますよ」とか、「車が来てますよ」というような注意を促すため
の正当なクラクションではなく、

「自転車が車道走るんじゃねー!」

と言わんばかりの(実際にそう叫ぶドライバーもいる)不当なクラクション
である。

 なぜ、これが不当か?
それは、道路交通法に、自転車は車道の左端を走るものと定められている
からである。自転車専用道がある場合はそこを走ることになっているが、
なかなかそういうところは少ないものだ。

逆に、特別に指示がある場合以外は自転車は歩道を走るものではないのだ。
少なくとも、道路交通法によると。

こちらが、道路交通法に従って、自転車専用道の無い車道の左端を走って
いることに対して、クラクションを不当に鳴らし、罵声を浴びせられても
困るのである。それは、歩道を歩いている歩行者に文句を言うのと、何ら
かわりのない行為だ。

道路交通法それ自体に文句があるのなら、私にクラクションを鳴らすのでは
なく、政治的に活動して、法改正を目指してほしい。私だって何も自分から
好きこのんで車道を走っているわけではない。歩道を走ることが基本的に
違法で、歩行者に迷惑で、しかも段差が多く自転車にダメージを与えるから
道路交通法で定められているように車道の左端を走っているのだ。

 理想的には、オランダやその他のヨーロッパのいくつかの国のように、
歩道とも車道とも別に自転車専用レーンが設けられているのが一番良い。
自転車で走ることは、歩くこととも車が走ることとも違うのだから。

しかしそういった環境ができるまでは、車道の左端を走る自転車を、
ちゃんと交通の一部として認めてもらいたいものだ。



2003年01月20日(月) メルヘンとユーハイム

 文書館の向かいのローソンが改装中なので、
その隣のメルヘンという70年代から何も変わっていないような
街のパン屋さん系パン屋さん(?)で昼食を購入。

サンドウィッチ、チョココルネ、パン屋さんの基本。
初めて食べるのに、こんなところでバスを降りたことさえ
初めてなのに、幾度となく食べた、懐かしい味。

道路を戻って東に歩くと、隣はユーハイム。
元町に本店があり、谷崎潤一郎の「細雪」にも登場する。
主人公の姉妹は、ユーハイムのバームクーヘンを食べている。

ここのユーハイムには、本店のような喫茶店はなく、
持ち帰りのみ。よく見ると貼紙がしてある。

ようするに、一月いっぱいで閉店するそうな。

 職場の隣にユーハイムがあるなんてこと、もう二度とないかも
しれない。とりあえず、今月はユーハイムでいろいろ食べよう。
妙な決心をしてしまった(笑)。

とりあえず、チョコレートエクレア。

メルヘンのパンといい、ユーハイムのチョコレートエクレアといい、
なんとなく子供時代を思い出させる味。
僕の子供時代と同じく、このユーハイムも消え去って、
ただの思いでとなってしまうのか。

この日記を書いている今、
テレビからは、貴乃花引退のニュースが流れている・・・。



2003年01月17日(金) 微妙な位置

 阪神大震災から8年が経った。
あの時、僕は奈良県内の実家に帰り、さらに風邪をひいたため、
予想外の滞在延長をしていた。ぐらぐらっとした揺れで目が覚めた。
奈良も一応震度5。そんな震度体験したことなかったのだ。
とりあえず本棚が倒れてこないように押さえ切るのに一生懸命。

しばらくの間、どこがどんな状態なのかまったくわからない。
ひょっとしたら、今日は交通停止状態で大学が休みではないかとか、
おそろしく的外れなことを考えていた。

やがて、テレビ等を通じて、なにが起こったのかを知らされた。
家族はとにかく危険だから、今被災地に行くなと言った。
剥き出しの建物から、発ガン物質であるアスベストが大量に大気中に
放出されているはずだ、と父は言った。

余震の危険性もあるし、数日間は実家に滞在してテレビ、電話等で
情報を入手していた。幸い誰も死んだ友達や、大学の同級生はいなかった。

しばらくたって、当時住んでいた芦屋に戻った。部屋は半壊状態で、
家具、荷物が散乱していた。たくさんのボランティアの方々や、
住民どうしの協力によって、現地には独特のコミュニティーのような
ものが存在していた。地域の炊き出しの方に、持ってきた食糧を渡して
(微量ではあるが)知人宅を訪れ、しばらくの後奈良に戻った。

被災地に滞在して、被災者の人を助け続けようとは思えなかった。
ライフラインが壊れていて、混乱が続く被災地に居続け、人のために
働く根性も侠気も、およそ僕の属性ではなかった。

僕が震災で受けた被害は、物質的なものと社会的なものだった。
プライベートなことも多々含むので、ここには全部書けない。
ある意味間違いなく被災者なのだが、場と時間の共有という要素が
欠けているので、あの時間に神戸や芦屋で被災された被災者の方とは
なにかを共有することが難しく感じられる。

でも無関係というわけでは全然ない。

あの震災について、僕はなんというか、微妙な位置にあるかのように
感じている。今でも。


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空遊 [MAIL]

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