チョコエッグ買ってきましたよ。たくさん買ってきましたよ。 そんなに買ってどうするかって? あれですよ。もうすぐバレンタインだから、みんなにくばるんですよ。 配布物品として、チョコエッグは価格といいコストパフォーマンスといい話題性といい、うってつけですからね。 で、もしタイガーシャークが出たら、私にくださいねって、お願いするの。 「あの、よろしかったらでかまわないのですが、もしタイガーシャークが出て、御不要でしたら、わたくしにくださいませんか?」って。 なので買うときも、タイガーシャークが入っていますようにと念じながら、一つ一つ手にとって買い物かごに入れていきました。 で、その時のことなんですけど、箱の背面をみたら、小さな文字でF-15って書いてあるのに気が付きましたの。 あ、これってもしかして型番?もしかしてこれってF-15とかいうやつが入っているってこと?戦闘機とかよくわかんないけど、F-15が入っているんだね。なーんだここに収容物書いてあったんだ、知らんかったよ。ええとタイガーシャークってたしかF-20だっけ?じゃあ、箱にF-20って書いているやつ選べばいいんだな、よし!F-20F-20・・・と腰をかがめて探してみること約1分、しかし、F-20と書いてある箱は一つも見つかりませんでした。 えー一つも置いてないのぉ、それじゃあ他のお店で買おうかしらん? そうして立ち上がろうとした時、わたくしはあることに気づいたのです。 F-15の15は\150って意味じゃんかっ! タイガーシャークが出ますようにvv
今週の脚本の野村さんはガンダムSEED23話を書いた方ですね。私も以前SEEDサイトをやっていたので(既に過去形)この方のお名前は覚えがあります。 SEED23話は種50話の中ではだんとつトップでよく出来たお話でした。 この回は脚本の出来が上々で、突っ込み所が見当たらず感想を書くのに大変苦労した記憶があります。 よく仕上がっているほうが感想が書きづらいなんて、なんとも嫌な性分ですね。 SEEDは総括して言うと、うける設定、うけるキャラクター、うけるキャラデザ、うけるシチュエーション、うける音楽、 うけるキャストと、「うける要素」をだた並べただけという印象が強いアニメでした。 個々の設定は魅力があったり、その場面だけをくり抜いて見ると面白かったりするのですが、全体を通しでみるとだめだめなアニメでした。 とにかくまずシチュエーションありきといった感じで、そのシチュエーションだけを描いて、そこに至るまでの経緯が不明だったり、立派な設定だけこしらえて、作中でをそれを説明することをしなかったり、脚本の都合でキャラクタがその都度変わったり、話の前後に繋がりが感じられなかったりで、整合性というものが存在しなかったのです。 そして従来のアニメが、そうした要素は話を構成する一要素にすぎなかったのに対し、SEEDの場合はガンダムSEEDという作品そのものが、うける要素を入れる「入れ物」として用意されている点が他とは違う新しい点でした。 また作っているほうが、思い入れたっぷりに語っていて、客観的知性さというものがどうにも感じられないのも特徴的でした。どう、驚いたでしょう?どう、凄いでしょう?と自分で自分の作品に酔っているような同人っぽさが漂ったのも気になったところです。 しかしながら、それは逆に言えば、部分部分は拙くなく、楽しめる部分もそれなりにあったと言えることになるかもしれません。批判される個所も多ければ、支持される個所も多く存在したとでも言えばいいのでしょうか。 猛烈に批判される一方で、多数のファン生んだのもまた事実でした。 各種メディアに登場した監督の発言も、いろいろと物議を醸し出しましたけれど、それは裏返せば自分の作品に対する思い入れの強さがなせる技だったのかもしれません。少なくとも、監督夫妻がどのキャラクターが好きか、どのキャラクターに思い入れを込めているかは作品を見ていてはっきりと伝わってきました。 またスタッフのこだわりといった個所も隋所に伝わってきました。 さらに視聴者の財布の紐をゆるめる商戦も狡猾かつ盛大に行なわれました。 視聴者はあざといあざといとわかっていながらも、その策略に乗ってしまったものです。そしてそれは放送終了後の現在も引き続き行われています。 思い入れもなければこだわりもなく、視聴者が何を望んでいるかも理解せず、うける要素もないエリア88アニメ。 ああ、そうだよ、SEEDはまだましだったんだ。 アスランは・・・まだましだったんだな・・・・・・
エリア88のサイト作りました。 ばかじゃ・・・おまえは本当に・・・大ばかじゃい! ほめ言葉と受けとっとくよ。
ひどい、結論からいってひどすぎる。 これはもう、3DCGがショボイとか、作画が安っぽいとか、ミスキャストじゃないかとか、オリジナルキャラがどうこうとかいうレベルの問題ではない。これは枝葉末節な事象ではなく、エリア88という作品世界の骨格にかかわる重要な問題である。 駄目だ、駄目すぎる、何もわかっていない。 88の魂ともいえる部分を全くといっていいほど、理解していない。 これまで、制作会社がアレだからとか、深夜アニメで予算が低いからとか、話数が限られているからとか、連載時と時代は変わったから、とか許容すべき部分は許容してきたつもりだが、これだけは大陸作画や予算など、諸々の諸事情を差しぬいても言える。 風間真のことをまるで理解していない。 88に生きて帰れて喜んでいるシンって・・・ この話は、シンがエリア88に「戻ってきてしまう」話ですよ? これまで生への激しい執念で、人殺して生き延びてきたシンが、生きることを放棄し、死を受け入れたその時に、自分が88滑走路に辿り着いていたことに、気がつくお話ですよ? これでやっと、エリア88から逃れられるというその時に、自分は砂漠の中を彷徨しているうちに88基地に戻ってきてしまっていた、また、明日から生き残るために人を殺す日々が始まる・・・生き残るために人を殺す日々が。うな垂れて地獄の滑走路を独り歩いて生還するシン。 その日悪魔は"生きろ!"といった・・・ そういう話なんですよ。 風間真という男はそういう男なんですよ。 自力で88に辿り着かせなくてどうするんだ。 これじゃ、野垂れ死になりそうになったところを新庄に助けてもらって、俺ってラッキーvvになっちゃうだろ? エリア88に戻れて喜んでいるシンなんて・・・そんなの、そんなのシンじゃない。 なんでシンが88で苦しんでいると思っているんだよ! ああ、作品のコアな部分がここまで否定されようとは。 子細な部分だったらいい。新しいエピソードを加えるのもいい。オリジナル話もいい。 でも、基本となる世界認識・人物造形にズレがあるのは、見ていて辛すぎる。 もう駄目だ。もうここの文書書くのも・・・終わりにしてしまいたい・・・ 頭上をかるめる排気音・・・ 青く輝く誘導灯・・・ 地獄を照らす着陸灯・・・ その日、悪魔は "生きろ!"といった・・・ まだ私に書けというのか!悪魔ーッ!
神崎はえいべっ○すにクリスタルの灰皿送ってやってください!
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