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今の自分は、ちょっとダメです。デブ警報が鳴ってしまいました。 私は太り過ぎると、前屈立ちの移動稽古で腰が落ちなくなります。あと左足の親指が床に引っ掛かっりやすくなってしまいます。柔軟でも、お腹が邪魔で身体の可動範囲が狭くなってしまいます。これがこうなるとレベル何だとデブレベルもあります。このような事が起こる事を私はデブ警報が鳴るとよんでいます。今の私は最大のレベル4のデブ警報が鳴ってしまいました。今日から 自分に厳しく生活して、一から体を作り直そうと思います。今の自分じゃ自分を嫌いになってしまいそうです。頑張りたいと思います!
「ポネット」という映画が私は、すごく好きで今まで何度も観ています。 そして何度も観ても感動してしまいます。自分が5回以上観て、それでも面白い、感動する、また観る度に何かを感じさせられる。それがその人にとって本当にいい映画なんだと思います。 「ポネット」は私にとって、そんな作品です!最近、泣いてないなー!感動していないなー!という人は、ぜひおすすめです!
稽古の前に道場生の修也と中山と三人で本門寺に走りに行きました。坂道ダッシュと階段ダッシュを三本ずつ走ってきました。最後の坂道ダッシュは私がビリになってしまいました。まだまだ生徒に負けていい年齢ではないので、少し自分を鍛え直そうと思います。 でも少し嬉しくもありました!今までは何をしても私が一番でしたが、私を追い抜く生徒が出てきたことが道場としては進歩です。でも考えてみれば試合を引退して何年も経つ私に体力負けするようでは話しになりません。どんどん私を追い抜いていって欲いと思います。また、その人達が次に育ってきた人達の壁になって欲いと思います。 今日は負けて悔しかったけど、清清しい気持になりました。 でも私も、自分を鍛え直してもう少しの間は生徒の壁になりたいと思います。
私が自主的に、本当の意味で自分から進んで稽古するようになったのは29歳からでした。私が29歳の時、旧城南川崎支部が極真会館を脱退してしまいました。私は自分の意思で極真会館に残ることを決めました。先生や仲間たちもいなくなり、私は一人で稽古をしなくてはいけなくなりました。もう叱ってくれる先生も、檄を飛ばしてくれる先輩も、励ましあう同輩も後輩もいなくなってしまったのです。道場の運営の全て、試合に向けての稽古のメニュー作り全部自分で考えてやらなければいけなくなりました。だからこそしっかり自分に何が足りないか?そして必要か?を真剣に考えて稽古するようになりましたし時間を大切に使うようにもなりました。 でも私は決して一人ぼっちではありませんでした。極真会館という大きな素晴らしい組織が私を救ってくれました。私は自分で自分に必要なものを考え積極的に出稽古に行くようになりました。私が一番最初にお世話になったになったのは世田谷東支部でした。ランニング・坂道ダッシュ。階段ダッシュ・ウエイトトレーニングは今までの知識もあり自分一人ででも出来ます。スタミナ稽古や蹴りこみや受け返しは道場で生徒と稽古をしました。しかしスパーリングということになると、どうしても生徒とやっているだけでは向上しません。自分より弱い人、同じぐらいの人、強い人、大きい人、小さい人、あげたらきりがありませんがいろいろなタイプの人とスパーリングしなくてはいけません。そこで私は勇気を出して世田谷東支部の田口師範に「出稽古に行かせていただいてもいいですか?」と電話をしました。田口師範はとても明るい声で「菅野君、今とても大変だよね?!ぜひ稽古に来てください!」と言ってくれました。私は緊張して初めての出稽古に行きましたが、田口師範は私に対して自分の弟子と同じように、とても温かく声をかけてくれました。そして世田谷東支部の選手会の皆さんも、同じ支部の仲間のように私に接してくれました。私は居心地の良さに甘えて選手を引退する33歳までの約5年間、世田谷東支部で稽古をさせていただきました。田口師範と長峰コーチと世田谷東支部の選手の皆さんのおかげで私は現役生活を5年延ばすことができたと思っています。 その他にも、総本部、千葉北支部、横浜港南支部にも出稽古に行かせていただきました。私は極真会館という大きな組織にいることで、いろんな方に助けられ、力をいただき、また大きな規模の試合があることで目標を見失わず同時期に選手をしていた皆さんと切磋琢磨することができました。 一人になったことで、一人ではないことを知ることができました。だから自分に起こったこと全てに今は感謝しています!
私が空手に打ち込めるようになったのは東京に上京してからです。空手をやるためにわざわざ東京に来たのだからがんばったというのもありましたが、友達が近くにいないから空手に打ち込めた気がします。 遊ぶ友達が近くにいたら、友達と遊ぶのが楽しくて流されてしまったかもしれません。しかも空手の稽古は、ちょうど普通の人が仕事が終わり飲みに行く時間です。 私が空手に打ち込めたのは空手の仲間のおかげです。当時の城南支部はみんな上京人でしたから、みんなで稽古してごはんを食べで風呂に行ってという感じでした。稽古に行かないと、みんなとごはんを食べたり風呂に行ったり出来無い、むしろ稽古のあとにみんなと話したりするのが楽しくて道場に足が向いていた気もします。 同じ夢や目標を持った友達を持つ事が大切なんだと思います。みんなでお互いを良い方に良い方に流し合うのです!
今、思い出すと内弟子時代は毎日が青春でした。 じゃあ、その当時の自分は毎日楽しく空手三昧で青春を謳歌してたかと言うと一概にそうはいえません。 当時の自分は確かに何かに向かって頑張れている誇りと充実感はありましたが、稽古は毎日が苦しくて地獄でした。私もまだ若く内弟子という絶対に稽古を休めないという状況もあり、朝起きると前日の稽古の疲れもあり、身体がいつもダルい感じがして、朝練の前は、稽古をするか?休むか?休むなら、どう言い訳をするか?葛藤する日も少なくなかったと思います。 でもその分、稽古が終った後の爽快感は凄かったです!たぶん、この先も、そんな爽快感を味わう事は無いのだろうと思います。 でもみんなキツかったのだと思います。稽古の前はみんな恐い顔をしていましたから、稽古が終わりに近付くにつれ顔がほころび、稽古が終わると稽古中は、恐かった先輩も解放感からか、やさしい顔になっていましたから、稽古はみんなきついのだと思います。大事なのは、そこで頑張る事なのだと思います。
もう夏も、すぐそばまで来ているような暖かさになって来ました。 今日は本当に稽古するには快適な暖かさでした。 朝の稽古の前に音楽を聴きながらストレッチをしているとき、ふと20代の内弟子時代に参加していた朝練の事を思い出しました。 朝の10時に集合して道場を掃除して、10時30分から稽古開始、試合前は30分繰り上りでした。 5月6月のウエイト制前の稽古は暑くて本当に地獄でした。でも今はいい思い出です。 目を瞑ったら当時の風景が頭に鮮明に浮かぶほど、このころの思い出は色褪せていません。 たぶん一生そうなんだろうと思います。みんなが同じ夢に同じ価値観を持ち、切磋琢磨して馬鹿になって突き進んだのですから、私は夢は叶いませんでしたが、その頃があったから、今の自分になれたと思っています。 東京城南京浜支部も、その時のような道場にしたいというのが私の今の夢です! 道場生の皆さん、一緒に夢を叶えましょう!
私の友達が空手を始めた話しを、少し前に書きました。 私は、その友達を尊敬しています。 37歳という年齢は、決して若くはありません。 肉体の事ではなく、精神的にです。 特に空手は武道なので、自分の経歴や社会的地位を脱ぎ捨てて頭を下げて、年下の人を先輩、先生と呼び教えを乞わなくてはいけません。 しかも、自分のライバルと言っていた友達の、ずいぶん後をすすむのだから勇気がいったと思います。私は、とても感動しました。 私も、その友達に魂で応えたいと思います。 その友達が黒帯を獲ったらガチで組手をしたいと思います。 お互いが50歳になったら試合をしたいと思います。 絶対に負けられないです!
やっと「アリス・イン・ワンダーランド」を観に行くことが出来ました。 アリスがお父さんに「わたし頭がおかしいのかしら?」と質問した時の、お父さんの答えに感動しました。 いつか私に子供が出来て、子供が同じような質問を私にしたら、あんな素敵な答えを返せるようになりたいと思います。もちろんパクりではなく、自分の心から出た自分の言葉で答えたいです。 お父さんの答えが気になる人は、ぜひ映画館に足を運んで下さい!
6月12日(土)13日(日)に大阪府立体育館にて全日本ウエイト制大会が開催さるます。今年からは壮年と女子の全日本大会も同時開催となります。東京城南京浜支部からは、中村慶太郎、中山一起、松本妙子の三名が出場します。私も22歳から34歳まで、全日本ウエイト制に毎年出場していました。思い出に残る試合も大阪での思い出もいっぱいあります。 その全ての思い出と経験が私の宝物です。試合に向けての稽古や生活から、激しい試合の中で、勝ったり負けたりしながら、いろんなことを学ばせていただきました。道場生にも、そんな経験からいろんな事を学んで欲いと思っています。 そこで学ぶことは私が教えられる事ではありません。自分で体験しなければ学べない事です。だから選手の人には、まずその舞台がある事に感謝して試合に出て欲いと思います。また、そこに関わる人や対戦相手、一緒に稽古してくれる仲間に感謝して試合に臨んで欲いと思います。
kanno
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