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世界大会を見て日本選手の戦いを見て「世界大会に出たい」簡単に口にしてはいけない言葉なんだなと思いました。むかし数見先輩を見てそう思いましたが、今回の田中選手を見てもそう思いました。世界大会に出る権利を得たいならば、責任と義務という重圧ものしかかるのだと感じました。たぶんその重圧は世界大会に出た人にしかわからないのだと思います。
第10回全世界空手道選手権大会が終了しました!世界大会の終了太鼓を聴くと4年という時間が経つのは本当に早いなと毎回感じます。第4回世界大会をテレビで見て空手を始め第5回世界大会を東京体育館で生で観戦し上京する決心をしました。世界大会はいつも自分を変えるきっかけとなってくれました。そこから20年が経ちます。今日も試合を観ていて「あの舞台で戦ってみたかったなー!」としみじみ思いました。ずっと世界大会を見るたびにそう思うのだろうと思います。いつまで経っても夢の憧れの舞台です!私は世界大会には出場する事は出来ませんでした。いつか必ず自分の生徒をあの舞台で優勝させてみせます‼何十年かかってもやってみせます‼
私は神頼みをしません。お墓参りは先祖に対する感謝の気持ちと自分の近況報告や今の自分の考えなどを話し、そして見ていて下さいと言うだけです。お寺や神社にも行きますが、手を合わせ自分の志しを聞いていただくという感じです。何かを叶えてもらおうとか赦していただこうとかは思いません。その答えは自分の中にあると思っていますので。ですが息子と妻の病気の事では神頼みをしました。神様になのかご先祖さまになのか自分でも良く考えずただただ手を合わせて無心に祈りました。
10月は菅野家にはいろんな事が起り大変でした。まだ全ての心配がなくなったわけではないのですが、家族に難があるたびに家族の絆が強くなっている気がします。今は私が頑張らなくてはいけません。「自分の好きな事ばかりやっていないで自分を犠牲にして家族を支えなさい。」そう神様が言っているのでしょう。まあ神様はその人が乗り越えられない試練は与えないと言いますから大丈夫だと思っています。今回もこの先もどんな事があっても最後まで絶対諦めないで戦います!
息子が生まれて10ヶ月が過ぎました。もうすぐ1歳です!毎日めまぐるしい成長を見せ親を喜ばせたり困らせたりします。もう言葉は理解出来るようになったらしく、息子がやってはいけない事をした時に私が「ダメッ!」と言うとやめるようになりました。また止めた時に褒めるとそれもわかるようでニコッとします。まあ私の一番の役目は息子が曲がった道を行こうとした時に息子の前に立ちはだかる最後の砦だと思っていますので、やはりコワイお父さんになるんでしょうね。理想は私が直接叱らずに妻の「お父さんに言うよ!」の呪文が最終兵器になれば良いと思います。私はあまり口を出さずにいたいと思います。基本的にはいつも働いていて、少し遠くで背中を見せていたいと思います。そしてたまに振り向いて「こっちにおいで!」ってニコッと笑って息子が来たら思いっきり褒めて、また先にみたいが良いのかなと思います。息子の側で褒めたり叱ったり励ましたりして一緒に歩くのは妻の役目かなと思います。私もだいぶ歳をとっていますが息子と遊ぶ時は一緒に泥んこになって遊んであげたいと思います。
最近の楽しみは息子が寝静まってから録画してあるドラマを妻と2人で見る事です。本当に長い間ドラマを見ていませんでした。夜は稽古がありますし、予約録画機能のあるテレビやビデオデッキを持っていた事もなかったので、毎週リアルタイムで見たドラマは「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」「あすなろ白書」が最後ぐらいです。妻と2人でああだこうだ話しながらドラマを見ている時間は本当に幸せを感じます。2人になれる短い時間なので大切にしたいと思います。
書店では来年のカレンダーや日記帳などを頻繁に目にするようになりました。もう今年も終わりだぞ!と急かされる感じがします。私も年末年始に行事があるので、もう来年の2月の事まで頭の中にはあります。気持ちが先に先に行っている感じです。「来年の事をいえば鬼が笑う」というので、今頃鬼は笑まくっているかもしれません。
月曜の深夜から息子が熱を出し月曜と火曜と水曜はほとんど睡眠をとる事が出来ませんでした。私の妹は男の子三人の子供がいるので、今回の事ではいろいろと私の相談を聴いてくれたりアドバイスをしてくれました。私も父親一年生で白帯です。いろいろと心配したり気疲れしました。でも妻は私以上にもっともっと大変だったと思います。子供がなぜお母さんが大好きか分かった気がします。お母さんの役目は私には出来ないなと思いました。妻にはかなわないなと思いました。
息子を抱きタクシーに乗り病院へ病院からタクシーに乗り家へ、それをもう一度くり返し家へついた時は朝の6時過ぎでした。私も妻も息子が心配で眠れず朝の9時に私は仕事へ妻は息子を連れかかりつけの病院へ行きました。昼過ぎに私が帰宅すると息子の熱は40・2度になりました。私はなるべく動揺を抑え妻がかかりつけの病院へ電話しているのを聞いていました。まあ大丈夫だろうという事なので家で安静にする事になりました。3時過ぎにまた仕事に行き家に帰宅したのは夜11時でした。本当に妻に感謝です。一睡もせずに息子の看病をしてくれる妻がいるから私は自分の好きな仕事に全力で集中する事が出来ました。まだまだ心配は尽きませんが、息子がはじめて病気になり私は小さい時の事を思い出しました。まだ私が幼稚園児ぐらいの頃に夜中具合が悪くなり母に抱かれて夜間診療に行った事でした。私は何度も嘔吐して母の上着を汚しました。母は優しい顔で優しい言葉をずっとかけ私を励ましてくれました。あと私が幼稚園児のころ病気で入院した時に父が仕事の現場から日帰りで来てくれて私の手を握り「お父さんの力をお前にあげるからがんばれ!お父さんの力をあげたからもう大丈夫!」と言われ父が買って来てくれたリンゴジュースを飲むと不思議な事に数時間後は少し楽になりました。フラシーボ効果なのでしょうね!私は父を強い人だと思っていました。だから効果があったのだと思います。そんなこんながあった事も忘れて、自分は自分の努力で少し強くなったなどど思っていたのは大間違いでした。子供が出来なかったらこんな事考えもしなかったのかもしれません。だから妻と息子に感謝です。もっともっと逞しく頼もしく楽しく優しい父親と夫になりたいです。まだまだ修行です!
夜中に息子がグズグズしていたので抱いていると息子が私の胸に嘔吐したので、すぐ熱を計り嘔吐物を妻に確認してもらい夕方ぐらいからの息子の様子を妻と話し合い病院に行った方が良いと判断したので、妻に病院の受入先の確保と病院に行く用意を頼み私は息子を着替えさせ家を出ました。大きな通りまで歩きタクシーをつかまえ病院に行きました。幸い息子は大きな病気などではありませんでしたが帰りのタクシーの中でこれからもこんな事が日常茶飯事なのだろうと思いました。私は自分は素早くベストな対処をする事が出来ただろうか?自分は強い父親だっただろうか?自分は心配で焦る妻を思いやり支えてあげる事が出来ただろうか?この出来事でいろいろ考えさせられました。
kanno
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