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今週も一生懸命頑張りました。一生懸命頑張る事は生きている最低限の事だと思います。一生懸命頑張る事を放棄してしまったら、自分が生きている意義は一体なんなのだろうと思います。手を抜いたら手を抜いた事は自分が1番分かります。自分に嘘をつく事は出来ません。だから自分の為に、自分を納得させるために一生懸命毎日を生きて行きたいと思います。
はじめて次男とお絵かきをしました。私がかいた絵はダース・ベイダーと電車とかくれモモジリでした。次男もいろんな色のクレヨンでいっぱい絵をかきました。
3月から5月までで20名の人が入門しました。これからが私の手腕の見せ所です。一生懸命頑張ります。
また新たな活動を始めて行きます。そのためにその新たなものを自分が学びたいと思います。私は今までの人生で新しい事に挑戦して失敗した事は沢山あります。でもあとで考えて損した事ややらなければ良かったと思った事はありません。新しい事への挑戦は必ず自分を成長させてくれます。先ずは自分からです。
空手を生業にして二十年が経とうとしています。今年の8月で自分の道場を出して14年になりますが、本当に苦しい時もありました。初めの一年は自分の給料が出ないどころか、道場の家賃にも満たない状況でした。だからこそ必死に頑張りました。本当にいろんな事がありました。血の気が引くと言う事、絶望しそうになる事、明日がどうなるんだろう、なんて事を体験しました。お金が無い、ご飯が食べれない、住む場所がない、逃げ場が無い、なんて事も多々でした。その時に学んだ事が今の自分の強さになっています。そこで学んだ1番はどんなに厳しい状況になろうと、自分の命一つあればなんとでもなる事、自分が諦めなければなんとかなると言う事、必死になれば何とかなると言う事です。そこから何とか今では家族を養えるぐらいになりました。でも最初に自分の仕事を持ちそちらからの収入で生活が出来、道場はスタジオや体育館を借りて片手間的に道場をやっていたら、必死にはならなかったと思います。いつまでも空手ではご飯を食べれないどころか、生徒も集まらず、強い生徒も育てる事は出来なかったと思います。そして自分がやめたら終わりと言うだけの道場で終わってしまったと思います。私が目指しているのは自分がいなくなった未来に繋げる道場です。自分も今、大好きな空手で生活が出来て毎日が幸せです。だからこそ、これからの生徒達に、空手を大好きな人が空手で生活が出来る環境を必ず作らなくてはならないと思います。
昨年から引き続きですが、今年は勝負の年と決め活動しています。大山倍達総裁をはじめ極真空手の諸先輩方の本を片っ端から読み、空手道に対する考えを学んでいます。道場の経営も頑張っています。矢口渡道場開設をはじめ、各道場の生徒獲得に力を入れて来ました。また自分自身も型競技の試合に参加したり、ザハリ選手の100人組手の相手を務めたり、と積極的に挑戦して来ました。今年のはじめに「五十三歩(スーシーホー)」が出来るようになりました。極真空手の型を全部覚えました。そして新しい稽古も始めました。ここからさらに加速して行きたいと思います。生きるという事は死に向かってアクセルを踏んで行く事だと思います。だからと言って速くなるものでも遅くなるものでもないのかもしれません。また逆に言えばブレーキを踏んだ所で自分は前に進むしかないのかも知れません。もしかしたら自分の運命は自分の計り知れない、遙か彼方で決められているのかも知れません。でも私は絶対にブレーキを踏むような人生は生きたくありません。自分の命が果てる瞬間までアクセルを踏んで突っ切るような人生を送りたいと思います。必ず極真会館東京城南京浜支部を自分のいない未来に繋げて見せます。
次男のマイブームは「こびと図鑑」です。ずっと「こびと図鑑」のDVDを見ています。なかでも「かくれモモジリ」が好きなようです。ずっと「ももじり」と言ってかくれモモジリのポーズをします。DVDが始まる時の手拍子や「こびとビート」も歌っています。今日は次男とDVDを10回以上見たので、もう頭からこびと図鑑が離れません。
長男のマイブームは自分で型を作る事です。見ているとなかなか面白いです。おっ今の動きカッコイイな!という動きをしたりもします。自分で型を作るって面白いなと思います。
次男と2人で行動する事が増えて来ました。次男は本当に手のかからない子です。もしかしたら私が長男に鍛えられたから、そう感じるのかもしれません。ご飯も自分でいっぱい食べてくれるし、家にいる時もわりと1人で静かに遊んでいたりします。公園に行っても、結構聞き分けが良いのでダメと言われた事は素直にやめます。結構マイペースなところとか、1人で静かに遊んでいられるところとかは私に似ているのかもしれません。
時はどんどん過ぎて行きます。今日が来て今日が過ぎ去ろうとしているように、たぶん明日もすぐそばまで来ていて、気付いた時には明日が過ぎ去っているのでしょう。無常にも時はどんどん過ぎて行きます。時は止まっていてはくれません。時は何も待っていてはくれません。時は理不尽なほど、どんどん前に進んで行きます。でも逆に言えば時は誰も置いては行かないのかもしれません。だから前に進むしかないのだろうと思います。自分の意志で自分の足で前に進んで行きたいと思います。時に後ろから押し出されるのだけはゴメンです。そんな人生を一瞬でも送ってしまったら、自分の命を繋いでくれた方々に申し訳がたちません。かつての自分が言った、その言葉を、今自分に言い聞かせています。
kanno
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