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2016年07月24日(日) 祭りの後の寂しさ

待ちに待った夏合宿も過ぎればあっという間に終わってしまいました。無事故で終われた安堵と、みんなと一緒にいた楽しい時間が終わった寂しい気持ちとが混じった感じでした。帰りの道中に長男が「夏合宿終わっちゃったね。もう思い出になっちゃったね。」と言いました。長男もやっぱり祭りの後の寂しさを感じているのだと思います。


2016年07月23日(土) 夏合宿

夏合宿の日が来ました。前日の夜は、胸いっぱいの楽しみと、胸いっぱいの不安を抱きながら眠りにつきました。朝5時に起きて5時30分に長男と家を出ました。長男も今日の合宿を凄く楽しみにしていたようで、朝早く起きたのにハイテンションでした。自転車でも電車でもずっと合宿の話をしていました。幸い暑すぎずとても良い天候の中、出発する事が出来ました。遅刻者もなく予定を前倒しでスタートする事が出来ました。稽古も海での自由時間も食事も演芸会も花火も就寝も全て予定通りに進める事が出来ました。


2016年07月22日(金) 合宿の準備

今日は夏合宿で必要な物の買い出しをしました。あいにくの雨だったのでなかなか大変でした。スイカや花火やお菓子や飲み物を買いながら、いろんな事を考え、合宿に向け気持ちが高まって行きます。私はこの時間が大好きです。


2016年07月21日(木) コハクのアサガオ2

長男の育てているアサガオが咲いたそうです。長男は凄く喜んでいたそうです。昨年、長男が育てていたアサガオは咲かずに枯れてしまったので、よけい嬉しかったのだと思います。


2016年07月20日(水) 極真会館東京城南京浜支部BEGINS2

売り言葉に買い言葉で啖呵を切って、自分の力で自分の理想の道場を出そうと決めて動き出しましたが、何もかもが上手くいきませんでした。空手の世界しか見た事がない世間知らずでしたし、社会的にもまだまだ若い年齢であった事もあり、また空手の道場は騒音の問題などもあり、なかなか道場を出すテナントを借りる事が出来ませんでした。はじめは新百合ケ丘を探し、その次が鷺沼を探しました。それでもなかなか見つからなかった時に空手の仲間から「大森はテナント募集たくさん出てるよ」と聞き、私の師範に大森で道場を探して良いか許可をもらい、本格的に大森でテナントを探し始めました。最終的に私がした事は、不動産屋さんとも大家さんとも交渉をせず、道場を何故やりたいか?という自分の情熱を話しました。そしたらなんと簡単に話がまとまってしまいました。自分の情熱を言葉にして伝える大切さを私は道場のテナントを借りる事で学びました。


2016年07月19日(火) 極真会館東京城南京浜支部BEGINS

本日、極真会館東京城南京浜支部の本部道場である大森道場の7回目の契約更新を無事に済ませる事が出来ました。大森道場を開設した時は29歳だった私も14年が経ち、気が付いたら43歳です。過ぎた時間は早いものです。大森道場を開設する前は、私は極真会館当時の数見道場の指導員として中延道場の指導をしていました。その道場は出資者が居て、その方が道場の経営をして、私が道場の指導をするという立場でした。その出資者で経営者の方が社長、私が雇われ店長のような感じでした。まだ若かった私はその経営者の方と道場の運営方法の事で口論する事が度々ありました。ある日の会議で私はその経営者の方とまた口論になりました。その時にその経営者の方に「そんなに自分の理想を通したいのならば、自分の力で自分の理想の道場を作ってみなさい」と言われました。私は「分かりました。自分の理想の道場を自分の力で作ってみせます。今までお世話になりました。ありがとうございました。押忍」と言い、その場でその会社を退職しました。さて次の日から戦いでした。道場を出すお金がないどころか、その頃の私は貯金もあるわけもなく、来月からは給料も出ないのです。若さって本当に凄いなと思い、そんな大胆な事をしたその頃の自分を尊敬します。何故その時、私はそんな事が出来たかと言うと、それは自分の考えが100パーセント正しいと信じていたからです。たぶんそれが1パーセントでも足りなかったら、勇気が出なかったと思います。そして権力や金の力に負けたくなかったからです。そんな売り言葉に買い言葉で出た私の行動から、今の極真会館東京城南京浜支部の第一歩が始まったのです。私らしいと言えば私らしいと思います。その経営者の方とは疎遠な時期もありましたが、今も付き合いがあります。ありますどころかその方は私の最大の理解者の1人です。


2016年07月18日(月) 長男の関東大会

長男は関東大会に出場しました。あの大きな会場であんなに人がいっぱいいる中で、知らない人と戦うという事はなかなか大変な事だと思います。前回の国際親善大会の時は何も出来ずに終わりましたが、今回は突き蹴りが少し出ていました。試合後に「緊張した?」と私が聞くと、長男は苦笑いで頷きました。かなり緊張したのだと思います。あの年齢であの緊張を味わう事を体験する人もなかなかいないと思います。いろいろな意味で大変だったろうと思います。私も試合に出場していましたから、その緊張感や恐怖感は重々理解しています。私と長男の違いは100パーセント自分で選択し決断して試合に出場したか、そうでないかです。もちろん最終的には長男が試合に出ると言って出たのですが、長男はまだ5歳です。自分から試合に出たいと言うわけがありません。先生や親が「試合に出てみる?」「試合に出てみない?」っ言って出る事を決めています。まだ5歳ですからその時点でやはり、試合に出ると言う選択を半分、人に押し付けられている事になります。だから私は試合に関しては勝っても負けても褒めてあげるようにしています。でも長男にはその環境を、その選択を与えてくれた親に感謝して欲しいと思います。5歳であの舞台を経験した事が、どれだけ今後、彼の人生に役に立つか?どれだけ今後、彼の可能性を広げてくれるか?それは計り知れません。お父さんお母さんの協力と、先輩達に面倒を見てもらったと言っても、5歳の子があれだけの人混みの中で、自分の試合の受付をしたり、試合に出たり、仲間の応援をしたりするのは凄い財産になります。考えてみれば小さい頃なんて、親にやらせられなければ何もしたくないのが子供というものです。病院だってそうです。この注射を打てば病気が治るとしても、自分で病院に行く選択をし、自分で注射を打つ決断はしないと思います。もしお母さんが「怖いならやめてもイイよ」言ったら、やめてしまうと思います。でもその注射を打たなかった事で障害が残ったら、絶対に子供は「なんであの時、無理やりにでもやらせてくれなかったの?」と言うと思います。だから長男には、空手が出来る環境にあり、試合に出れる選択と決断を半分与えてくれた、親に感謝して欲しいと思います。私はいつも妻と二人で、自分達が親にしてもらって良かった事、またしてもらいたかった事を話し合い、子供の教育について考えています。


2016年07月17日(日) 久しぶりに長男と

今日は久しぶりに長男と一緒に行動しました。朝は長男の通う幼稚園の教会の礼拝に一緒に行き、少し幼稚園で遊びました。長男は登り棒で遊んだり、セミを見つけて遊んだりしていました。急にセミが飛んで長男にぶつかり、長男は凄くビックリしていました。そのあとイモンボウルにボウリングをやりに行きました。3ゲームやったので、長男はあの重いボウルを60回投げた事になります。凄い良いトレーニングになったと思います。そのあと一風堂でラーメンを食べました。長男は1人で一つラーメンを食べました。いっぱい運動するといっぱい食べれるようです。


2016年07月16日(土) 前橋初段の言葉

昨日、前橋さんの旦那様に聞いた、前橋初段の言葉です。「極真空手は素晴らしい、稽古をしていく中で、自分の中にいっぱい財産が残っていく」そういつも言っていたそうです。前橋さんのそういう意識で極真空手に取組んでいたんだと思います。そして「極真空手は自分にとって趣味ではない」といつも言っていたそうです。前橋さんは武道の本質を捉えそこに全力で取組んでいたのだと思います。前橋さんは本物の空手バカでした。本当の極真空手家でした。


2016年07月15日(金) 前橋さんの黒帯と昇段状

今日は前橋さんの旦那様に、前橋さんの黒帯と昇段状を届けに行きました。夜の稽古をお休みさせて頂いたので道場生の皆さんやご父兄様にはご迷惑をおかけしました。でも何故か私は絶対に今日、黒帯と昇段状を渡しに行きたかったのです。前橋さんの旦那様に「お盆に来て頂きたいありがとうございます。明日から妻の実家に挨拶に行くので、この黒帯と昇段状を妻の両親にも見せてあげたいと思います」と言われました。私は、やっぱりそういう事だったのかと思いました。私は前橋さんに呼ばれたんだなと思います。私はそういう力を信じています。また話しの中で旦那様からこんな話しを聞きました。前橋さんは、旦那様の詩吟を見に行くと必ず最初から最後まで全員の詩吟を必ず見ていたそうです。旦那様が「大変だから途中で帰ってもいいよ」と言うと、前橋さんは「最後まで見るのが礼儀だし、私は詩吟は知らないけどその人の読む詩吟を聞きながら、その人が今日までどれだけ稽古したのか?などを思えば、そこから感じるものや得られるものが沢山ある」と言っていたそうです。そしてその言葉は菅野先生がいつも言っている言葉だと旦那様に話したそうです。もちろんこの言葉は私の中にあり、私がよく生徒に話す言葉であるのですが、日々の日常でいう言葉なので、それをいつ前橋さんに言ったのかは正確には覚えていません。ただ自分の言葉を人から聞き、その言葉の意味や大切さ深さを再認識させられた気がしました。そして自分が指導する際でも、そうではない時にでも、自分が言った言葉に責任を持つような生き方をしなくてはならないと思いました。


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