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国際親善大会初日でした。私は型35歳以上男子の部に出場しました、予選を2位で通過しました。予選の型は最破でした。現在の自分では最高の型が出来たのでとても満足しました。決勝は私の得意型の征遠鎮をやりました。始まる前にテンションが上がり熱い物が自分の中で沸き上がるのを感じました。なので全く緊張しませんでした。型を演じている時も最高の気持でした。終わった時には全てを出し切った満足感がありました。だから何も悔いはありません。しかし結果は準優勝でした。頂上へはまた一歩足りずでした。まだまだ修行が足りなかったのだと思います。全日本型競技で2位が2回、昨年の国際親善大会の組手マスターズでも2位、今回も2位、毎回必ず課題を与えられるなんて本当に自分らしいと思います。でも次こそは自分の殻を破りたいと思います。もっともっと稽古して6月の型競技全国交流試合と8月の型競技全日本では優勝したいと思います。
自分の先生から離れて独立して気付いた事ですが、自分の先生が亡くなって再確認した事があります。それは先生に褒められた事より叱られた事の方が、自分の1番の財産になっていると言う事です。叱られた事が心や頭に残り、自分を成長させてくれたり、自分を戒めてくれます。これは親もそうなんだと思います。だから私は自分の子供に対しても、自分の生徒に対しても厳しい親であり先生でいたいと思います。子供達が生徒達が今出来なくてもいいのです。いつか私に叱られた事を思い出し気付き、自分を成長させてくれたら自分を戒めてくれたらそれで良いのです。だから私は死ぬまで子供達から鬱陶しがられる親であり先生でいたいと思います。
私は4月14日土曜日に廣重師範と15年ぶりに会う事が出来ました。11日水曜日に私の先輩からの電話で師範の状態を知りました。ある先輩のはからいで師範に会えるように決まったのは前日でした。私の妻と家族と道場生とご父兄様のご協力のおかげで道場の稽古をみんなに任せて私は師範に会いに行く事が出来ました。皆様には本当に感謝しています。私は師範の元を離れた不詳の弟子でしたので、どんな顔をして会えばよいのか?どんな言葉を師範から言われるのだろう?とあれこれ考えながら1時間半電車に揺られていました。少し早く病院に着きましたが、師範は時間にキッチリした方なので面会の約束の時間まで病室の前で待ち、時間ピッタリに病室に入りました。私が「押忍」と十字を切って挨拶をし「ご無沙汰しております。菅野です。」と言うと師範は「おお、菅野、変わらないね」と言いました。15年ぶりの再会でした。私は今でも師範の前に出ると緊張して自分の気持を言葉に出来ないので、前日に書いた手紙を師範に渡しました。師範に「どうだ頑張っているか?」と言われ、妻が居て息子が2人いて2人とも極真空手をやっている事を話すと師範は「それは良い事だ、空手は本当に良いかならな」と喜んでもらいました。師範に健康に気をつける事、空手の先生ほど良い仕事はないのだから感謝して一生懸命に指導する事、来た生徒が1人でも一生懸命に指導する事、武道の修行は死ぬまで終わらない事などの話しをされました。最後は「しっかり頑張りなさい」と握手を2度して頂きました。とても力強い握手でした。私は「押忍」と十字を切って挨拶をして部屋を出ました。15年なんてなかったかのような再会でした。本当に素晴らしい先生でした。次に師範に再会する時には「良く頑張ったね」と言われるよう私も空手家の人生を全うしたいと思います。
本日、私の極真空手の恩師である廣重毅師範が永眠されました。私は廣重師範の元で21歳から29歳まで修行しました。23歳から27歳までは内弟子と指導員として空手を学びました。私は師範に叱られてばかりいる駄目な弟子でした。でもその師範に叱られた事の全てが今の私の1番の財産となりました。29歳の時に私は道場を出しました。そしてその年に師範は極真会館を退館されました。私は極真会館に残る事を選びました。師範の元を離れてから私は5年間選手として試合に出場しました。いつも師範に叱られた言葉を思い出し、この稽古は良いか悪いか、自分は頑張れているかいないかを考えて稽古をしました。道場を15年運営して来ましたが、いろんな事がある度に師範にご指導いただいた事を思い出し、自分で答えを出しながら事に当たって来ました。師範に褒められた事や叱られた事が私の生き方の指針になりました。今後もそれは変わりません。私がこうして空手の指導をして生活が出来ているのは師範のおかげです。空手家には引退はない事、死ぬまで空手家の修行は終わらない事、その考えは師範からご指導いただいた事です。私も師範のように死ぬまで修行をする空手家になりたいと思います。私は本当に駄目な弟子でしたが師範と出会い師範の弟子になれて本当に良かったです。本当にありがとうございました。押忍
家にいるオタマジャクシがだいぶ大きくなって来ました。もう足も出てきました。あと少しすると手も足も出てくると思います。そうなるともう幼稚園の池に返してあげなくてはいけないので、長男も次男もガッカリするんだろうと思います。
私は妻と結婚して本当に幸せです。それは妻が私の事を愛してくれていると感じるからです。妻は私だけではなく、私が大切にしている人や、私が大切にしている物を大切にしてくれます。妻は私の大切にしている先祖や両親を敬い大切にしてくれます。私が大切にしている極真空手に対しても理解し大切にしてくれます。そして妻のおかげで子供達も私の大切な物を大切にしてくれます。本当に感謝しています。
朝は鍼治療に行き、その帰りに道場により、柔軟体操でゆっくり身体をほぐしてから
今日という日を絶対に忘れない。そのぐらい大切な時間を過ごしました。私がその時間を過ごすために、いろいろな方々にお世話になり、ご協力を頂きました。その方々には本当に感謝しています。自分の人生がある限り空手道に感謝して空手道を大切に生きて行きたいと思います。
やっと腰が良くなりました。蹴りはまだ出来ませんがもうだいたいは普通に稽古出来るようになりました。無理はしないように気を付けて行きたいと思います。自分の生活や食事にも気を付け、理想の空手道の追求に邁進したいと思います。空手しか出来ない私です。だからこそ空手だけは誰よりも大切にしたいと思います。
朝に鍼治療に行き、帰りに大森道場に寄って型競技の稽古をし、夕方からの指導は矢口渡道場なので1度帰宅して休んでいたら、長男が学校から帰って来ました。長男は「パパ、今日鬼ごっこしてる時に転んで膝を怪我したんだ」と言いました。私が「泣いた?」と聞いたら、長男は「そんな事では泣かないよ」と言いました。あと長男は「今、ブラックホールの研究してるんだよね」と言い、学校から借りて来た宇宙の本を見ながらいろいろな話をしました。そのあと私の空手の修行時代の話をしました。その頃の事が載っている雑誌を見たりしながらいろいろな話をしました。長男と2人でじっくりと話が出来ました。とても楽しい時間でした。
kanno
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