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最近、長男に「パパ、八岐大蛇って知ってる?」と言われました。私は古事記には少し詳しいので、須佐之男命が八岐大蛇を退治した話をしました。須佐之男命が詠んだとされる「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」と言う詩の話もしました。なぜその話をしたかと言うと次男が生まれる前に、妻と次男の名前を決める時に、私が出した案は「八雲」でした。その話を長男にし「マシロの名前は、真白と八雲、どっちの名前が良かった?」と聞くと「真白に決まってるでしょ!もしマシロの名前が八雲だったとしたら、俺が真白って名前に変えてたよ!」と少し意味は分からないけど力強い意見を頂きました。
昨日、深夜までお酒を飲んだため二日酔いで体調は最悪でしたが、朝はしっかり稽古をしました。今日だけは絶対に逃げたくなかったのです。月曜日の朝は稽古をする事は決めている事なので、それを分かってて深酒をしたのですから、二日酔いのせいで稽古をサボったらダラシなさすぎると思い、凄く気持ち悪いなか2時間半稽古をしました。稽古の前の日に深酒をした事は反省ですが、稽古をサボらなかった事は良かったと思います。あの気持ちが悪いなかで朝起きて稽古も手を抜かずに出来たので、そこは自信になりました。でもやはり二日酔いで稽古をするのは身体には良くない事なので今後は気を付けたいと思います。自分が蒔いた種ですが、でも今日は本当に頑張りました。
朝は鍼治療に行き、昼からは息子達と川崎のゲームセンターに遊びに行きました。長男はムシキングの次男はウルトラマンのカードゲームをやりました。2人ともなかなか考えて上手くゲームをしていました。そのあとラゾーナのビックカメラに私の携帯の充電器を買いに行きました。そこで長男はかるい迷子になりましたが、入口で待っていました。「ちゃんと付いてこないとはぐれちゃうんだよ」と私が言うと長男は「でも入口にいれば会えると思って待ってたんだ」と言いました。「それは良い考えだったね」と褒めてあげましたが、「でも心配だからはぐれないようにしてね」と言いました。とても暑かったのでマグドナルドでシェイクを飲んで休憩してから雑色に戻りタイヤ公園で遊びました。そのあと妻と雑色駅で合流し買い物をして家でご飯を食べました。妻とお酒を飲んだのですが、話が弾んでお酒が進みついつい深酒をして深夜まで飲んでしまいました。久しぶりに吐くまで飲んでしまいました。でも楽しかったので良しとしたいと思います。
今日は朝に次男が空手に行きたくないとグズったので、次男をおいて長男と2人で稽古に行きました。帰りは長男と銭湯に行きサウナに入りました。私は10分を2回、長男は5分を2回入りました。サウナの中では長男はいろんな話をしてくれるので、なかなか楽しいです。長男が大人になったら一緒に稽古して、一緒に風呂に入って、一緒にビールでも飲めたら最高だなと思います。
ウエイトトレーニングを始めて5ヶ月になりました。4月は腰を痛めたのでまるまる1ヶ月トレーニングは出来ませんでしたが、約4ヶ月は頑張って週3回はトレーニングして来ました。身体に悪い所が沢山あるので軽い重量でしかトレーニング出来ませんが、それでも自分の身体に変化が出て来ました。怪我に気をつけて今後も頑張って行きたいと思います。
私の今までの人生で軽い気持ちで何かをやってみて上手くいった事はありません。たまたま上手くいったという事もほとんどありません。でも苦労して頑張った事に対してはそれなりの結果を得て来たように思います。でもそれで良かったかなと思います。もしあまりにも事が上手く運んでしまっていたら一時期は良い思いをしてもその後に大きな失敗をしてしまったと思います。これからも一生懸命に頑張って何かを得ていきたいと思います。
私の家は父が会社を経営していましたので、かなりの収入を得ていたと思いますが、生活はとても質素なものでした。おもちゃなども最低限しか買い与えられる事はありませんでしたし、お小遣いもありませんでした。お年玉などは親戚も沢山いましたし従業員さんにももらえたのでかなりの金額のお年玉を貰えましたが、1円も自由には使わせてはもらえませんでした。母と買い物に行っておねだりしても、どんなに安い物でも買ってもらえる事はありませんでした。これは母の教育方針だったのだと思います。だから私は母におねだりをして泣いてぐずった事はありませんし、10代の1番ヤンチャだった時でも母にダメと言われた事を押し通す事はありませんでした。母がダメと言ったものは泣こうが騒ごうがダメな事を小さい頃に教育されたのだと思います。そこで我慢する事や良い意味での諦める事、自分の我儘が通らない事に踏ん切りをつける事を学んだ気がします。私に子供が出来た時に母から言われた事がありました。「お金があれば子供に何でも買ってあげてしまいたくなるけど、そこは親の我慢だよ」その言葉がようやく分かって来ました。買ってあげたい気持ちを我慢して買ってあげない事も親の務めなのだと思います。親が我慢しなくては子供も我慢を覚えないのだと思います。私の妻はそれを分かっていて買い物に行っても子供にのおねだりには絶対応じません。しかし私は結構買ってあげてしまいます。子供の欲しがる物なので、たかだか100円か200円の物なのでついつい買ってあげてしまいます。でもこれが良くないのだと思います。
自分が何かに一生懸命取り組む事で、人に何か影響を与える事が出来たら嬉しいです。そして私には自分が一生懸命取り組む姿でしか人に影響を与える事が出来ないと思っています。私には人に誇れるほどの経歴も人に影響を与えられるほどの実績もありません。今を頑張る事を止めてしまったら私には何の取り柄も無くなってしまいます。だから一生懸命頑張りたいと思います。そして自分が頑張っている事で影響を受けてくれている人がいる事も感じています。本当に嬉しい事です。私は昔から「一緒に頑張りましょう!」と周りの人を巻き込んでしまうと言う特技があるので、その特技でどんどん私の周りの人を巻き込んで行きたいと思います。そしてみんなで夢や目標に向かって頑張って、その話を肴に美味しいお酒を飲んで楽しい時間を過ごして、良い思い出を作って行きたいと思います。人生は一度きりです!悔いのないよう一生懸命頑張って人生を作って行きたいと思います。
私は39歳から43歳までの4年間、月曜〜金曜の朝にマイバスケットというお店で働きました。ほぼ無遅刻無欠勤で頑張りました。働いた理由は、私は働く事が嫌いだったからです。15歳の時に学校を退学になり仕方なく仕事をしましたが、毎日が苦しくて仕方がありませんでした。そしてその頃の私はダラシなく3つの仕事をクビになりました。何をしても続きませんでした。たこ焼き屋、運送会社、ゴルフのキャディー、八百屋、いろんな所で働きましたが、どれも苦痛で長続きしませんでした。そこから逃げ出すために、好きな事を仕事にしようと空手を始めました。その夢が叶い空手を仕事に出来ていますが、家族が出来て、もし私が運営する道場が潰れたら自分は他の仕事をしてでも家族を養う事ができるのか?と言う不安を感じました。だから自分が避けてきたものに挑戦しようと思いマイバスケットで働く事を決めました。働いてみて自信になった事は自分はどんなにキツくても嫌いな仕事でも頑張れると確信した事です。どんな事をしてでも家族を養って行けるという自信がつきました。でもマイバスケットの仕事をして世の中人はこんなに大変な思いをしてお金を稼いでいるんだと思いました。23歳から空手の先生をしてご飯を食べていましたので、それなりに人から気を使って頂いて来たのだと思います。マイバスケットの仕事では、お客さんから信じられないほど理不尽な言葉を言われた事もありました。もちろん店長に叱られたり注意されたりした事もありますし、自分の仕事のミスで同僚に迷惑をかけてしまった事もあります。自分が出来ない事が世の中にはこんなに沢山あるんだと思いました。だから自分がこの世で唯一得意な空手だけは一生懸命にやろう、生徒達やご父兄様から月謝を頂いている事に感謝して一生懸命に指導しようと思いました。だからこそマイバスケットの仕事を辞めました。自分の全ての力を空手の事に使おうと思ったのです。これからも空手道に日々精進して行きたいと思います。
2018年の半分が終わりました。本当に一生懸命に頑張った6ヶ月でした。道場の運営では朝のフィットネスクラスを開設し4名の方が入会して下さり、ビジターで2名の方が稽古に参加して下さいました。みんなでとても楽しく稽古しています。自分自身の事でも4月に国際親善大会の型競技で準優勝、6月に全国クラス別型競技大会で優勝、セミコンタクトルール全国交流大会に出場、また2月にはウエイトトレーニングを約10年ぶりに再開しました。自分の身体が変化している事に楽しみを感じています。3月からは新しい事を始めました。そちらも昨日大きな結果を出す事が出来ました。この勢いをさらに次に繋げて行きたいと思います。今日は長男と「ハン・ソロ」を観に行きました。ハン・ソロは凄く好きなキャラクターなので凄く面白かったです。
kanno
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