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1月21日にお酒をやめてから14日、ちょうど2週間が経ちました。炭水化物を摂らずに1日2食と食事制限をしましたが、腰を痛めていた事もあり、あまり体を動かす事が出来ず体重もそんなに落ちませんでしたか。「あー全然、体重が落ちないな、どうせ身体が動かせないのなら、今は普通に食べてお酒も飲んで、腰が治ってから改めてお酒をやめてダイエットを開始した方が効率的だ!」と都合の良い理由をつけて逃げ出そうとする弱い自分が顔を出し、めげそうになりましたが、ここで負けたら男がすたると思い頑張りました。先週の水曜日から少しずつ身体を動かせるようになり、95キロだった体重が91キロになりました。ここからは、さらに身体が動かせるようになって来ると思うのでどんどん効果が出てくると思います。4月20日の国際親善大会までには体重を80キロまで落としたいと思います。
昨日は長男と次男とタイヤ公園で遊びました。3人でかくれんぼをしました。次男が1番隠れるのが上手でした。上手すぎて、危うく行方不明事件になる所でした。長男と私で30分以上探しても見つからず、これはタイヤ公園からどこかに行ってしまったのではないかと思い、次男の名前を呼んで探していたら、ようやく次男が顔を出し見つける事が出来ました。次男はタイヤの中に隠れていたのですが、こんな所に人が入れるんだと言う小さいタイヤの中に、タイヤの形に沿って身を隠していました。本当にびっくりしました。もし次男が顔を出さなければ見つけられなかったと思います。子供と言って侮るなかれですね。
2007年12月28日に約10年止めていたお酒を解禁しました。止めるときは一生止めるつもりで止めました。友達の結婚式でも同窓会でも、どんな飲みたい時にでも、どんな飲まなくてはいけない時にでも我慢して来たので、私がまたお酒を飲むという事は結構な勇気と決断だったと思います。お酒を止めた理由は、それまでの自分に嫌気がさして自分を変えるためでした。その頃、試合を引退し全てをやり尽くし、妻と出会った事で、自分に嫌気がさしていた事に終止符を打つ事が出来たのかもしれません。それと妻と一緒に飲みたいと心から思ったのです。もしかしたら妻と出会わなければ今でもお酒を飲んでいなかったかも知れません。妻と出会えて自分のトラウマから抜け出せたのだと思います。初めて飲んだ場所は、福島の妻の行きつけの天ぷら屋さんでした。キリンの一番搾りの生ビールを飲みました。凄く美味しかったです。そして凄く楽しかったです。何かに向かっていく一時期にお酒が自分の道を妨げるのならお酒は飲まないほうが良いと思いますが、飲めるのならお酒は飲めた方が自分の人生を楽しくしてくれると思います。
私が自分の人生で本当に運が良かったなと思う事は、妻と出会えて結婚出来た事だと思います。好きな人がそばにいてくれる事でどれだけ力になったか?どれだけ支えてもらったか?どれだけ強くなる事が出来たか?分かりません。妻と結婚して10年経ちました。妻が東京に来た2008年1月27日の事は一生忘れません。妻は鍋とハンバーグを作ってくれました。それを食べながらビールとワインを飲みました。付き合って3ヶ月は遠距離で暮らしていたので、一緒に住むようになった日は、これでずっとずっと一緒にいる事が出来るのだととても嬉しかったです。そしてその日は夜明けまでずっと飲み明かしました。子供達が生まれるまでは週末は必ず飲み明かしていたと思います。話しても話しても話が尽きなかったように思います。来年は結婚式と披露宴をしてから10年なので何か記憶に残る事をしたいと思います。
46歳になりました。フェイスブックではたくさんの方々にお祝いのメッセージ頂きました。とても感謝しています。ささやかですが家族と誕生日のお祝い会をしました。45年を振り返ってみれば、良い事も悪い事もたくさんあった人生でしたが、その全ての出来事に感謝しています。そしてまだまだやりたい事はたくさんたくさんあります。決して焦らずに、でも急いで一生懸命に自分のやりたい事を一つ一つ頑張って実現させて行きたいと思います。私は賭け事などには本当に弱く、何かに取り組んでも直ぐには上手く事が運ばず、という一見運の悪い感じの人生を歩んで来ましたが、一つだけ恵まれていると思う事があります。それは人との出会いの縁です。これだけば恵まれています。いつもとても良い人と出会わせて頂き、その方達から多大な影響を与えてもらい、陰に日向にお力を貸して頂いております。その唯一の運を無くさないよう誠実に一生懸命努力精進して行きたいと思います。46歳を一生懸命に駆け抜けて行きたいと思います。
本日で45歳も終わります。45年良い人生をおくる事が出来たことに感謝したいと思います。停滞は後退なりと言いますので、しっかりと前を見据えて、足元を踏みしめて前に進んで行きたいと思います。45歳は最高の年でした。46歳は、その最高を更新して、さらに最高の年にして行きたいと思います。
長男が妻に「いまそろばんがんばっているよ。まま大すき、ハートマーク、あいしてるよ。」と書置きをして行ったそうです。ダメなところも沢山ある長男ですが、私にとっては100点満点の息子です。長男がこの先、何を得ようと何を無くそうと人に自分の優しい気持ちを素直に言える人でいて欲しい、それだけを願っています。
これは、私の道場生で2年9ヶ月前に亡くなられた前橋初段の旦那様から聞いた話です。ふと思い出したので日記に書いてみました。前橋さんは極真空手を始める前からジムに通いエアロビクスやウエイトトレーニングもやっていたそうです。前橋さんはとてもストイックな方でしたので、いつも身体はシェイプされていました。でも前橋さんは道場とジムに通う事は、自分の中では全然違うものだと言っていたそうです。ジムに通うのは自分の身体をシェイプアップしたり自分の身体を鍛えたり保ったりするためで、道場に通うのは、自分の中に何かを積み上げたり何かを残したりする為だ、と言っていたそうです。前橋さんは、意識が無くなる前まで「極真空手をやって本当に良かった!極真空手は本当に素晴らしい!」と私に熱く話してくれました。「先生に出会えて良かった!先生の道場に入門できて良かった!」とも言ってくれました。私は、前橋さんのその言葉に「私達が好きな極真空手を、前橋さんが情熱を持って稽古したこの道場を、この精神を、この意志を必ず、私達が居なくなった世の中に残してみせる」と答えました。前橋さんは笑顔で「じゃあ私達が死んだとしても、私達の精神や意志が残り、私達の生きた証は、この世に生き続けるんですね」と言いました。私は「そうです」と答えました。その時、私は極真空手に私の人生の全てを捧げる事を誓いました。
あと数日で私も46歳になります。身体の変化もいろいろと出て来ているのでその辺とも折り合いを付けて自分に厳しく頑張って行きたいと思います。今年は極真会館では第12回世界大会があり、来年は東京オリンピックがあります。空手道もその競技になっていますのでいろいろと楽しみでありますが、しっかりと時代を見て、それに流される事なく、置いていかれる事のないよう活動をして行かなくてはならないと思います。この2年を頑張らなくてはと本当に思います。
妻と入籍をして10年が経ちました。もうそんなに経ってしまったの?と言うぐらいあっという間でした。妻もいろいろ大変な激怒の10年だったと思います。2007年の10月28日に私が告白をして付き合う事になり、2008年1月27日に自分の生活の全てを犠牲にして東京に来てくれました。2009年1月27日に入籍をし、2010年3月13日に結婚式と披露宴を行い、その6月に子供ができたことを知り、2010年12月24日に長男が誕生しました。2011年の3月に東日本大震災があり、妻は山梨に避難をし私が迎えに行き3人での生活がスタートしました。そして2013年2月10日に次男が誕生しました。その時その時を考えるだけでたくさんの思い出が溢れてきます。妻には本当に感謝しています。家族のおかげで私も成長する事が出来ましたし、強い人間になる事が出来たと思います。今日は私がケーキを買って来て、みんなでお祝いをしました。妻はどうやら入籍して10年という事を忘れていたようです。でも私は妻のそんなさっぱりしたところが好きです。
kanno
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