DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
昨日は私の運営する道場の親睦会でした。45名の方にご参加頂き、とても楽しい時間を過ごす事が出来ました。ご参加頂いた道場生、ご父兄様、本当にありがとうございました。皆様と楽しい時間を過ごせた事、とても感謝しております。しかし、あまりに楽しくてかなり飲んでしまい、今日は二日酔いで1日中寝ていて家族とご飯を食べたり出かけたりも出来ないという、自己嫌悪と反省の1日を過ごしました。明日からまた厳しい毎日を過ごしたいと思います。
今日は身体の調子が良かったので、飛び後ろ回し蹴りで190cmのボールを蹴って見ました。3回やって3回とも命中させる事が出来ました。60歳まではバリバリに身体を動かせる空手の先生でいたいと思います。
夜寝る時に、自分は前進したと思えるような1日を過ごしたいと思っています。そう思って稽古していますし、そう思って生活しています。今日は手応えを感じる稽古が出来ました。この数年で私は今までの自分に出来なかった事をたくさん出来るようなりました。新しい事をたくさん覚えました。それは新しい事に挑戦したからです。今年中にもっともっと頑張り、来年までに今思い描いて入り事を全て実現させたいと思います。
私は自分の人生を振り返った時に、あの時に自分は変われたなと思った出来事があります。その中で自分が本当の意味で大人になったなと思う出来事は、自分で道場を出し、自分の先生から離れて1人で道場を運営するようになった事です。それまでは先生の指導を受け、道場の運営もしてもらい、トラブルがあれば相談しアドバイスを頂きという感じでした。ある意味で自分に後ろ盾があるようなものでした。それが先生から離れた瞬間から、いろいろな事を全て自分で考えてやらなくてはいけなくなりました。道場の全ての事において自分で責任を取らなくてはならないという状況が自分を本当の意味で大人にしてくれたと思います。そして私が道場を出してから10年は本当に苦労をしました。私の不徳が招いた事ではありますが、さまざまなトラブルを経験しました。そのおかげで自分も成長し、今こうして自分でも良いと思える道場を運営する事が出来ています。私はその頃に自分の信念としていた事があります。それはどんな思いもよらぬ理不尽な事を言われたり、どんな思いもよらぬ理不尽な事が起ころうと、必ずその場で考えて、その言われた事やその事に対処をすること、そしてその日の夜に、もう一度その事を自分で飲み込んで、真摯に受け止め、その原因を自分に向けて、そこから何かを得て前に進むようにしよう。という事でした。その信念は今も変わってはいません。でも私もその頃は若く、聖人君子とはとても言えない人間でしたので、その理不尽な事を言ってきた人や理不尽な事を起こした人を好きになる事は出来ませんでしたが、それでも言われた事や起きた事に対しては真摯に受け止め全力で誠実に対処したと思っています。それから時が経ち私もずいぶん歳をとりました。今でも聖人君子には程遠い人間ではありますが、今ではその人達やその出来事に心から感謝しています。その人達やその出来事があったおかげで今の自分が存在していると感じています。もちろんこれからもたくさんいろんな事が起こる事だと思います。どんな事が起ころうと誠実に全力で対処し、真摯に受け止め前に進んで行きたいと思います。
5月1日、時代が令和になる瞬間は、妻と串カツ田中で飲みながらカウントダウンをしてビールで乾杯して迎えました。考えてみると時代が変わる瞬間にカウントダウンをして乾杯したのは初めての事でした。私は、空手を始めた15歳の時から年を越す時は、稽古をして過ごして来ました。だからもちろん2000年になる時も稽古をしていました。なので当然年を越す時にカウントダウンは出来ません。今回は年を越すわけではないので、妻とお酒を飲みながらカウントダウンを出来たわけです。だから一生の思い出になりました。私は現役時代に1度お酒を止めました。約10年ほどお酒を止めました。でも妻と出会い、妻と一緒に飲みたいために、またお酒を飲むようになりました。もし妻と出会わなければ、妻とカウントダウンをして乾杯をして新しい時代を迎えるという素晴らしい瞬間を体験する事は出来なかったと思います。だから妻にはとても感謝しています。妻と出会ってから私の人生はとても幸せになりました。妻と出会ってからの私の人生はボーナスステージのように感じています。その大切な人を失わないよう私は日々精進して自分を高めて行きたいと思っています。
私の先生が言っていた言葉で、私の座右の銘となっている言葉があります。その言葉は「壊れた時計になりなさい」です。どのような意味かと言うと簡単に言えば一途になりなさいという事です。時計の針が世の中の流行りやだとしたら、その流行りとずっと同じように進む事は人間には出来ない、時計の針を追いかけてしまうとそれは狂ってしまった時計になってしまいます。狂った時計はイタチごっこになるので正確な時刻をさす事は1度もありません。でも壊れた時計は止まっているので、1日に2度は正確な時刻をさします。自分がそこで一途に頑張れば世の中の流行りが自分について来るという事です。その言葉をいつも心に置いて空手道に一途に邁進して来ました。私が道に迷いそうな時に、この言葉に何度救われたか分かりません。これからもこの言葉を胸に空手道を一途に歩んで行きたいと思います。
昨日、子供達が私の子供の頃の写真が見たいというので、みんなで私の子供の頃の写真を見ました。でも見せる事が出来るのは小学生の頃までの写真でした。いつか彼らが大人になったら、私の中学生から高校生あたりの写真も見せてあげようと思います。長男は写真を見て「この写真、完全にマシロじゃん」と言っていました。どうやら私と次男はかなり似ているようです。
長男の体操教室の振替に一緒に行きました。柔軟体操、ブリッヂ、鉄棒をやっていました。出来ないながらも一生懸命にやっていました。初めて見た時よりもだいぶ成長しているなと感じました。帰りに長男に「せっかくだから、池上本門寺で階段ダッシュ5本やろう!体力がつくよ!」と言ったら、長男はすんなり「ヤル!」と言いました。長男は頑張って走っていました。私は腰が痛いので階段を5周歩きました。そのあと、長男と池上本門寺の境内を散策してからお参りをしました。
若気の至りで書かせて頂きたいと思います。私が10代の頃、私達バカヤローどもが憩いの場として溜まり場にしていたボーリング場にある食堂で働いていた、おばさんの訃報を友達から聞きました。その訃報を聞き、いろんな事を思い出しました。思い出しても思い出せないほどの思い出がたくさんありました。そのおばさんの元気な「焼きそば!あいよ〜!」「焼肉定食!あいよ〜!」という声を今でもハッキリと思い出す事が出来ます。あのおばさんの元気な「あいよ〜!」という声を聞く事が、もう出来ないのだなと思うと、とても寂しい気持ちになりました。そしてあの頃の青春は、もう取り戻せないのだな。あの頃の青春は、もう帰ってこないのだなと思いました。本当に楽しかった、あの頃が懐かしいです。毎日がお祭りでバカ笑いしていました。毎日が思いっきり青春でした。出来ることなら、私達がもう一度、あの頃の生意気な子供に戻り、おばさんの「あいよ〜!」という声をもう一度聞きたいです。おばさん、本当にありがとうございました。
息子達にどういう人生を生きて欲しいか?思いたったのでそれをここに書いておきたいと思います。先ずはせっかく凄い確率と幸運があって、この世に生まれて来たのだから自分の人生を一生懸命に謳歌して思いっきり面白く生きて欲しいと思います。常に夢や希望を持ち、失敗や挫折を恐れず、何かに挑戦して一生を青春にして欲しいと思います。どんな仕事をしても良いので情熱と思いやりと感謝の気持を持って仕事をして欲しいと思います。友達をたくさん作って人生を楽しくして欲しいと思います。大好きな人と結婚して、その人を思いっきり愛して人生を楽しくして欲しいと思います。そして子供を作って、子供と一緒にたくさん遊んで、子育てを思いっきり楽しんで欲しいと思います。道に迷ったら頭で考えず心で思った方の道を歩んで欲しいと思います。死ぬまで続けられる趣味を持って欲しいと思います。私があげた最高のプレゼントである空手をどんな形でも良いので死ぬまで大切にして欲しいと思います。挨拶を大切に礼儀正しく、謙虚な心を忘れず、目上の人を敬い、目下の人を思いやり、自分より立場の弱い人には特に優しくして欲しいと思います。お店やさんやタクシーの運転手さんなど、自分がお世話になる人には、しっかりと敬語を使って欲しいと思います。仕事などで自分より目上の人や大勢の人に、意見を言わなくてはならない場では勇気を出して、しっかりと自分の意見を言える人になって欲しいと思います。その時には丁寧な言葉遣いで思いやりを持って相手に伝わるよう意見を言って欲しいと思います。たぶん辛いこともたくさんあると思いますが一生懸命に生きていれば何とかなります。人生が終わる失敗なんてありません。生きていれば楽しい事がたくさん見つかります。どんな時も希望を忘れないで生きて行って欲しいと思います。人生の最後に自分でカッコイイ生き方をしたと思える人生を生きて欲しいと思います。いつか長男と次男がこれを見て何かを感じてくれたら嬉しいです。
kanno
|