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私の運営する極真会館東京城南京浜支部の親睦会を行いました。44名の方にご参加頂きました。とても楽しい時間を過ごす事ができました。道場生の皆さん、ご父兄の皆様と出会えた縁に感謝しております。道場生一般部の皆さん、駿斗、北村さんに極真祭優勝のお祝いを頂きました。本当にありがとうございます。一生懸命に生きていれば良い事があるものです。その感動を道場生に伝えて行きたいと思います。
今日は13日の金曜日です。13日の金曜日でも何とも思わなくなって数十年が経ちました。子供の頃はジェイソンが出るんじゃないか?と本気で怯えたものです。映画「13日の金曜日」は本当に怖かったです。最後まで生き残った人がジェイソンに殺される夢を見たところで起きると言うのも怖かったし、最後まで生き残った人が次の回の最初に殺されるのも怖かったです。
一般部の試合に出場するという目標を持って稽古してきたのですが、身体がなかなか言う事を聞いてくれずです。体の調子が良く試合に耐えれるだけの稽古の量や強度にして行くと何処かが故障してしまいます。なかなか思うように行かないなと苛立ちます。今年中に試合に出るのは無理だなと思います。ですが絶対に諦めません。あと1試合だけは必ず出たいと思います。来年になると思いますが絶対に試合に出たいと思います。
長男と次男にブルース・リーの「怒りの鉄拳」を見せました。長男はブルース・リーをブイスリーと言っていました。同じ間違いをするなんて、やはり親子だなと思いました。「怒りの鉄拳」では日本の武道や空手が敵役なので、長男もそれが気になったらしく「空手が負けてるじゃん」と言い、最終的には「俺、カンフーがやりたい」と言い出しました。ブルース・リーは香港の人なので自分の国やカンフーに誇りを持っている事や、何故この映画では日本が敵なのか?などの時代背景などを長男に説明しました。そして全ての武道に素晴らしい所があり、一生懸命やる人はどんな武道でも強くなれる事、逆に一生懸命やらない人は何をやったとしても強くはなれない事を話しました。長男も次男もやはり男の子です。映画を見て興奮し「俺なら相手がこう来たら、こうする!」と一生懸命に私に見せていました。私はそんな時な「おー!それも良いな!」と褒めるようにしています。武道は技を身に付けた後は、自分で考えて適切な技を出す事が大切です。
1ヶ月休んでいたウエイトトレーニングも本日から再開しました。力が全然落ちていなかった事に少し驚きました。昔は苦しいだけだったウエイトトレーニングですが、今は結構楽しくやっています。空手の先生ですからやはり見た目も大切です。本当に強いの?空手家がそんな風に人から見られた時点で空手家としてはアウトだと私は思います。その人の風格や貫禄はその人の姿から出てくるものだと思います。何歳になっても身体が健康なうちはしっかりと鍛えて見た目も良くしたいと思います。
膝の調子がやっと良くなり、今日から朝の自分の稽古を本格的に始める事が出来ました。何歳になってもやはり自分が強くなる為の稽古をしている時間が最高です。もし自分が強くなる為の稽古を楽しいと思わなくなってしまったり、自分が強くなる為の稽古をしなくなってしまったのなら、それは、もう空手家では無くなってしまったという事だと思います。出来る事なら死ぬまで空手家でいたいと思います。その為にも健康と身体には気を付けて行きたいと思います。
私は好きな映画は何度も見ます。映画が始まる前の配給会社の音楽からセリフまで全部覚えてしまうぐらい見返します。夜寝る時も、好きな映画を始まる前の配給会社の音楽からずっと思い出し気が付いたら寝ていたりするぐらいです。最近は「関ヶ原」が私のブームです。
自分が身に付けた技術や精神を自分だけの物で終わってしまっては生まれて来た甲斐がない、それを次の人に引き継がせてこそ、生まれて来た甲斐があると私は思います。私は今、次の人にきっちりと引き継いでもらうための物を作っています。毎日の指導で出来ている部分の検証しています。検証に検証を重ねて、しっかり稽古すれば誰でも強くなれる稽古方法を作り、次世代に引き継ぎたいと思います。
「今まで戦って一番強かった人は誰ですか?」こんな質問を後輩や生徒からされた事があります。私も長く選手をやりましたから、その時の自分の実力や調子で感じ方も変わるものだと思いますが、全日本に出場するようになってからという事で言えばレチ・クレバノフ選手がとても強かったです。もちろん私もいろんな選手と誰が一番強かったか?を話したりします。私達の世代の人では数見先輩、八巻先輩、田村師範、の三人の名前が必ず上がります。
私の格闘技のルーツはブルース・リーにあります。従兄弟のお兄ちゃんの部屋にブルース・リーのポスターが飾ってあり、初めてブルース・リーを知りました。私はブルース・リーをブイスリーと言っていたそうです。1978年、私が5歳の時に公開された「死亡遊戯」を観に行きました。その頃、私は父の仕事で秋田に住んでいました。父も母も仕事が忙しかったのですが、あまりに私が「ブイスリーの映画を観に行きたい!」と何度も言うので、従業員さんに私と映画を観に行くようお願いして、私はその従業員さんと「死亡遊戯」を観に行きました。あの時の衝撃は凄かったです。やはり目を奪われたのは華麗な蹴り技でした。そして中学三年生の時にテレビで見た極真空手の第4回世界大会、特に決勝戦の松井章圭館長とアンディ・フグ選手の華麗な蹴り技の攻防に目を奪われました。もうあれで私の人生は決まったと言っていいでしょう。私は空手をやるために生まれて来たのだと思っています。じゃなかったら5歳の子が、親が従業員さんにお願いしてまで映画を観に行かせるぐらい映画を観たいとせがんだりはしないと思います。そして極真空手に憧れた私は極真空手を始め、高校生の時にを学校を休んで、1人で新幹線に乗り東京に2泊3日で第5回世界大会を観に行ってしまいました。そんな破天荒な事を許してくれた両親に感謝しています。あの第5回世界大会をもし観に行かなかったら私は東京にも来ていないと思いますし、今こうして空手の先生をしている事もなかったと思います。本当に両親に感謝です。あの当時、子供が空手をやりたいと親に言ったら絶対に反対された時代です。それを「空手の選手で生きて行きたい、空手の先生でご飯を食べて行きたい」などと言ったら、まともに取り合う親はなかなかいなかったと思います。私は1人で夢を叶えたわけではありません。両親を始め沢山の方々が私が夢を見失わないように陰に日向に力を貸してくれました。本当に感謝です。
kanno
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