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2019年令和元年が終わります。休み中も柔軟体操、ウエイトトレーニング、エアロバイク、基本稽古、型稽古などのその日に決めた事を約3時間ほど行っています。特に柔軟体操は毎日行っています。毎日、柔軟体操をしないと怪我をしてしまいますし、身体のコンディションを良く保つ事が出来ません。今日も極真空手を学んできた中での思い出を語ろうと思います。城南支部ではと言うか、極真会館では、後輩と食事に行ったら先輩が払ってあげる、もしくは多くお金を出すと言うのが伝統です。私も若い頃は先輩方のお世話になりました。良くご馳走していただいたのは、石澤先輩、笹岡先輩、数見先輩、竹石先輩でした。お金がない時などはとても助けて頂きました。そして先輩にしてもらった事は後輩に返す事が、先輩への恩返しだと教えられました。私もそれだけは守っています。私は23歳で黒帯になり指導員になりました。給料も5〜7万でしたので、とても貧乏でしたが、年上の人やサラリーマンの人や会社の社長であろうと相手が後輩なら自分がお金を出していました。それが先輩としての責任と義務だと思い頑張りました。社会的には生徒や後輩の方が偉い人もたくさんいましたし、当時の私よりみんなお金を持っていましたが、道場では自分の方が先輩だと言う教えと意地だけはしっかり通していました。このような伝統もこの社会に残して行きたいと思います。
城南支部では毎月最後の金曜日には蒲田道場で必ず飲み会がありました。道場で飲んだ後にカラオケに行き、梅屋敷駅の近くの居酒屋で朝まで飲むというパターンが多かったと思います。城南支部は先輩と後輩の礼儀はしっかりしていましたが、先輩と後輩が仲良く稽古したり飲みに行ったり出来る環境でした。支部の成り立ちとして、朝練に参加する選手と夜の帯研に参加する選手とその道場の一般稽古に参加する一般の道場生という感じで別れていました。朝練に参加する選手は内弟子が多かったので夜は指導に入っていました。また夜の帯研に参加する選手も各道場の指導に入っている人が多かったです。それとは別に各選手が後輩とチームを作って自主トレをしたり食事をしたりして後輩の面倒を見て、後輩を自然に育てて行くという伝統がありました。そして自分達で稽古して作った動きが間違っていないか?的が外れていないか?などを見て貰い軌道修正する役が廣重師範だったように思います。なので廣重師範の指導は本当に空手らしい稽古でした。身体の使い方、運足、腰の位置、呼吸、姿勢、意識、そんな所を1番注意されたように思います。
城南支部に移籍してから、しばらくの間、月・水・金は数見先輩が指導をする5時〜6時30分の部で稽古し稽古終了後は数見先輩と自主トレをし、火・土は帯研という感じでした。その後、川原先輩に声をかけて頂き、5時〜6時30分は川原先輩をリーダーに塚本先輩、鈴木先輩、重盛先輩、志田さん、と稽古をし、7時〜8時30分の稽古に出るようになりました。川原先輩チームの稽古は、顔面有のスパーリングをし極真ルールのスパーリングをしミットなどを行いました。私の組手の原型は川原先輩との稽古から作られたと言っても過言ではありません。川原先輩からステップワークやパンチの打ち方やコンビネーションや技の使い方やカウンターの取り方などを習いました。そして1番はいろいろな稽古方法を習いました。一緒に稽古していた川原先輩と塚本先輩が第26回全日本大会で入賞した事もその後、私も本気で頑張ろうと思うキッカケとなりました。川原先輩との稽古のおかげで私は城南支部の新人の登竜門となる茶帯のトーナメントの重量級で2回優勝する事が出来ました。分裂後、川原先輩は現在の新極真会に行く事になり、私は極真会館に行く事になったので川原先輩と一緒に稽古する事は出来なくなりました。川原先輩は後にボクシングでもミドル級で全日本新人王になり日本タイトル戦に挑戦しました。川原先輩の身長は私と同じ172センチですから、リーチが命となるボクシングのミドル級で全日本新人王になったのは凄い事だと思います。川原先輩のパンチはとても強かったです。川原先輩の左フックで私は肋骨を3本折られました。現在はお互い違う組織にいますが、私にとってはいつまでも大切な先輩です。
私は茶帯の頃、かなり先輩方に可愛がって頂きました。特に可愛がって頂いた先輩は、川原先輩でした。食事などいろんな席に連れて行って頂きました。まだ極真会館が分裂する前でしたので、その川原先輩を通して緑先輩にも何度か食事に連れて行って頂きました。私はそのような場でよく先輩方のリクエストで物真似をしました。特に大山倍達総裁の物真似をしました。それが出来る事でたくさんの師範や先輩方に名前を覚えて頂き可愛がって頂きました。やっぱり芸は身を助けるは本当だと思います。自分をアピールする芸を持っている人は目上の人に重宝され、後輩にも慕われます。そして恥ずかしがらずに馬鹿になれる人はとても可愛がられます。昔は城南支部の忘年会では全日本に出場した選手は必ず歌を歌っていました。廣重師範も「月光仮面」を歌っていました。とても良い思い出です。もう1つ思い出した事を書いておきます。私が初めて東京城南支部の蒲田道場に見学に行った時の事です。その時は川原先輩が指導をされていました。とても理論的で言葉遣いも丁寧で分かりやすい指導だなと思いました。そして川原先輩が入門の受付をしてくれました。その時、数見先輩が自主トレをしていてサンドバックを蹴っていました。凄い蹴りだなと思いました。私は入門してからは川原先輩と数見先輩と1番一緒に稽古させて頂きました。川原先輩と数見先輩には稽古だけではなく、いろいろと可愛がっていだきました。
この休みの間は、自分が今まで極真空手を学んできた中での思い出を思い出した順に徒然と書いて行きたいと思います。先ずは廣重師範との思い出です。道場の上の階に寮があり、私は当時その寮に住んでいました。その寮で廣重師範が料理をし、私はそのお手伝いをしという感じで、廣重師範と2人で料理をさせて頂いた事がありました。廣重師範はとても几帳面な方だったのと、私はとても雑な人間だったので稽古の時以上にいろいろ叱られながら料理のお手伝いをさせて頂きました。その時、廣重師範に言われた事で1番記憶に残っている事は「包丁は横に使うな」でした。簡単に説明するとしっかり縦に切りなさいと言う感じです。切れなかった最後の部分を包丁を横にずらして切り裂くみたいな事をするなと言う事です。作った料理は白子の鍋とキャベツを茹でて一枚づつにして、そのキャベツの葉にご飯と具を乗せて巻いて食べると言うものでした。その具はシーチキンにニンニクと唐辛子と胡麻油を混ぜて作ったと思います。廣重師範との料理は稽古より叱られるのと、その叱られる事から空手の話にまで行き、だからお前は空手でもこうなのだとなるので、とても辛く厳しかったので、廣重師範に料理をするぞと言われると、とても恐怖を感じました。私は廣重師範との料理の時間を自分の中で、地獄料理教室と呼んでいました。でもあの地獄料理教室の中で一事が万事だという事や普段の生活の中にも稽古と通ずる事がある事を学びました。今となってはとても貴重な体験です。もう1つ思い付いたので書いておきます。それは第7回世界大会で決勝でフランシスコ・フィリョ師範に敗れ準優勝となった数見先輩が試合後に、はじめて私と顔を合わせた時に「菅野、今日までいろいろとありがとう」と言った言葉でした。その時の数見先輩は、控え室から出てきて顔面蒼白で涙を流しただろう感じの目でした。自分のせいで日本の王座が奪われたと言う気持で顔面蒼白で控え室に入る数見先輩を私はどう声をかけて良いかわからず控え室に入る事も出来ませんでした。ですが私達後輩は数見先輩の事がとても気になり控え室の前でウロウロとしていました。その時に数見先輩が控え室から出て来て、私達後輩の名前を一人一人読んでお礼の言葉を言いました。そして数見先輩は表彰式では毅然とした姿で不動立ち(自然体)で立っていました。私はその時に負けた時にこそ、その人間の真価が問われるのだと思いました。だから私が身近で見させて頂いた中での最強の極真空手家は数見先輩です。そして私が育成したい極真空手家像も数見先輩です。
空手を学ぶ上で、大切な事はたくさんありますが私が1番重要だと思っている事は、技を出す時や動く時に呼吸と動作を合わせる事です。呼吸と動作を1つにして技を出す事です。息を吸うこと吐くことの中から、脱力する事や全身の力を一点に集中させ爆発させる事を学びます。それを学ぶことの中に、のがれの呼吸であったり息吹であったりするのですが、1番は気合いです。技を出す時に気合いを出す事がとても大切です。空手の奥義は気合いにあると言っても過言はないと私は思います。一生懸命に稽古をしたら思いっきり技を出したら自然と気合いは出ると思います。黒帯になろうとそれを忘れてはいけないと思います。
今年1年の最後に腰や膝を痛めたら困るので、朝は今年最後の鍼治療に行きました。体重を落としてから腰も膝もだいぶ状態が良いので、このコンディションを崩さず来年も頑張りたいと思います。午後は長男と次男と川崎のTOHOシネマズにSTARWARSを観に行きました。子供と一緒なので吹き替え版を見たのですが、吹き替えの方が内容がサラッと頭に入って来るという利点があると思いました。私は理解力が弱いので二回観て気付いた事や理解出来た事がたくさんありとても楽しく見る事が出来ました。夜はみんなでクリスマスの食事をしました。サンタさんからのプレゼントは長男はガスマスクで次男はウルトラマンタイガの剣でした。2人がサンタさんからのプレゼントを見つけ「やったー!」と言った声で私はクリスマスの朝目を覚ましました。とても良いクリスマスを過ごす事が出来ました。
今年最後の指導を終えてから型の稽古を1時間、ウエイトトレーニング40分、エアロバイクを1時間行いました。夜は長男の誕生日のお祝いをお台場のフライデーズで行いました。誕生日プレゼントはルパン三世の銃のワルサーP38でした。長男が生まれて9年、いろんな事がありました。東日本大震災が起き、原子力発電所が爆発し、妻と長男はその日に福島から山梨に避難をし、私が山梨に迎えに行った事、長男が初めて熱を出し夜間診療に2回行った事など、いろんな事がありましたが、今はその全てが良い思い出です。長男はなかなか変わった子なので、これからもたくさんいろんな事があるだろうと思いますが、健康に育ってくれたらと思います。
朝の稽古を行い、午後のトレーニングもしました。体重は83.4キロになりました。体調は凄く良いです。休み中もこのコンディションを落とさないように稽古したいと思います。昨日は千本突き千本蹴りをやりましたが筋肉痛にもなっていなかったので自信が付きました。明日の朝のフィットネスクラスの指導で1年の道場の活動が全て終わります。
道場のクリスマス会と稽古納めでした。クリスマス会では子供達の稽古の時とは違う一面を見る事が出来たり、こんな特技を持っていたのか?とか、意外に度胸があるな?という驚きがあったりします。大地はいつも思うのですが、物怖じせずに人前で面白い事をするので、人に好かれるだろうと思います。大楽のけん玉の技術には驚きました。あんなスピードであんな精密な事をやるのだから、空手にも生きると思います。人前で何かをやる経験はとても大切です。自分をアピールする能力やプレゼンテーションする能力は自分の才能や持っている技術を何倍にも膨らませて自分を世に立たせてくれます。稽古納めの千本突き千本蹴りでは、愛琉と昊晴と駿斗と蕗生が素晴らしかったです。伶音、陽生、大楽、侑正、翼も頑張っていました。特に愛琉は千本蹴りを全て顔の高さを蹴っていました。昊晴もほぼ全て顔の高さを蹴っていました。なかなか千本顔の高さを蹴れる人はいません。心技体ともに素晴らしいと思います。私ももちろん40歳ぐらいまでは顔の高さで千本蹴る事が出来ました。今年は帯上ぐらいの高さになってしまったので来年は心技体鍛え直したいと思います。松井館長は10代の頃、毎日二重跳び千回、千本突き千本蹴りをしてから稽古に参加したそうです。今回は突きを1100本、蹴りを1100本行いました。来年は2020年なので突き蹴りで2020本やる道場が多いのではと思い、突き蹴りで2200本やりました。2020本やる道場はたくさんあると思いますが、2200本やる道場はあまりないのではと思います。稽古の最後に少しだけ生徒達に話をしました。先ずは良かった人を褒め、先生から見て全力ではなかった人や、また普段の稽古不足のため頑張っても足が上がらなかった人、自分に負けていた人には、その足りない部分を来年は埋めるよう話しました。1番私がキツく言ったのは、ずっと帯より下を蹴っていたり、気合いも大して入れていなかったのに、ラストの10本と私が言ったら、顔の高さを蹴り、気合いを大きく入れた人は、その上がった足の分が上がった気合いの分が自分の弱さや自分の手を抜いた量だと話しました。最後にあれだけ動けるのなら何故最初から全力でやらなかったのかと思います。参加した生徒全員が千本突き千本蹴りを最後までやり遂げたという事はある意味で言えば自分が出来る力で上手くやったとも言えます。途中で倒れるぐらい必死にやって千本突き千本蹴りをやったらこれは大したものです。この反省を来年の稽古の糧にして頑張って欲しいと思います。でもその反省も頑張って稽古に参加したから得る事が出来たのです。稽古に参加した皆さん本当にお疲れ様でした。
kanno
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