DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
私は、一念発起して何かを始めると、その覚悟が本当の物なのか?を試されるように自分にアクシデントが起こります。もう一度高校に入学し、極真空手を始めた1ヶ月後に事故で右足の内側側副靱帯を断裂し前十字靭帯を損傷してしまい、手術をしました。約2か月入院し、完全に治るまでは半年、元どうりに運動出来るようになるかは分からない状態でした。先ずは内視鏡の手術をして内側側副靱帯の断裂と前十字靭帯の損傷と診断された時に私が医者の先生に言った言葉は「手術をしたら空手が出来るようになりますか?」でした。先生は「それはやってみなければわからないけど、出来るなら今後は、動いている所に急にストップをかけるような動きや、何かを強く蹴ったり、ましては足を蹴られたり、する事は避けた方が良いよね」と言われました。私は悔しくて悔しくて、病院の屋上で泣きながら拳立てをしました。でもあの泣きながら拳立てをした所が私の極真空手のスタートだった気がします。あの拳立てがどんな事があっても自分が極真空手を絶対に続けると言う意思表示の第1歩だったのだと思います。私は毎日、病院の屋上で自主トレをしました。面白いものでそうなると私の隣の部屋の同じ高校生が、一緒に自主トレしたいと言ってきて、一緒に自主トレするようになり、また私の隣のベットにいた方のお見舞いに来た人が、極真空手をやっていて、私が入院しても毎日屋上で自主トレしている事を指導員の先輩に話してくれて、私が稽古に復帰した時にとても指導員の先輩方に可愛がってもらえるようになりました。私は稽古に復帰するまで約8ケ月かかりましたが、私は退会や休会はしませんでした。私が事故でしばらく稽古にいけない事を連絡すると、その時の師範の奥様に「半年以上、稽古に来れないなら1度退会して、また出来るようになったら来た方が良いよ。その時は入会金はいらないからね。」と言われました。その時は月謝は月謝袋で手渡しだったのと、休会が無かったので、師範の奥様は私の事を思いそう勧めてくれたのだと思います。ですが私は絶対に止めたくないと思い、両親にお願いし空手を続けさせて頂きました。そして入院してる間も自分で月謝を道場に届けていました。月謝を自分で道場に持っていく事が唯一自分が極真空手を続けていると感じる事が出来る嬉しい時間だったのかもしれません。今でもその出来事は、私の覚悟を神様に試されたのかな?と思っています。そこまでして始めた極真空手だからこそ、今まで止めずに来れたと思いますし、自分の中で本当に大切な物になったのだと思います。たぶん今はそれだけの情念を持って何かに取り組んでいる人ってなかなか居ないのではないかな?と思います。でも私の時代には、そんな空手バカな人がたくさんいました。その空手バカの中で切磋琢磨して、この世界で生き残って来た事が私の誇りです。これからもずっと空手バカで生きて行きたいと思います。そして私の空手バカに一緒に付き合ってくれる道場生を大募集です!
今日は私の師匠の廣重毅師範の命日です。今日は廣重師範との思い出を書きたいと思います。先ずは嬉しかった事です。私が千葉大会で優勝した次の週ぐらいに雑誌の方が廣師範の取材に道場にいらしていました。私が道場に入ると、廣重師範が雑誌社の方へ「こいつは菅野って言って、この前の大会で野地選手に勝ったんだよ!城南で次にブレイクするのは菅野だから覚えておいて下さい。次の世界大会には出るよな。菅野」とと言って下さいました。なかなか自分の生徒を褒めない師範に言われた言葉なのでとても嬉しかったです。でも今は師範の期待に応えられなくて申し訳ない気持ちです。師範は遅刻に対してとても厳しい方でした。「朝起きるのが5分遅れたら、道場に行くのは10分遅れてと、1日がどんどんずれ込んで行くぞ。」と仰られていました。その言葉は今でも私の教訓となっています。城南の先輩方はみんな生涯現役で空手の修行をしています。空手の道に終わりは無いという求道無限の教えは廣重毅師範の教えです。師範の教えは私達弟子の中で今も生きています。
毎日、子供達の勉強を1時間見ながら、自分も空手道の本を読者しています。長男は算数を次男は国語をやっていました。長男の算数はなかなか難しく、もちろん答えは分かるのですが、それがどうしてそうなるのか?を教えるのは難しかったです。「んー空手の指導のようにはいかないな」と思いました。私はとにかく今は空手道や歴史の本を読み漁って今は頑張って知識を蓄えておきたいと思います。今すぐ生きる事ではない事でも、自分の中で知識を寝かせておけば、いつか違う知識と繋がって新しい発想が生まれる事もあります。そして毎日、柔軟体操、基本稽古、移動稽古、型、部位鍛錬、筋力トレーニング、自主トレしようと思えばやる事は無限にあります。基本稽古も全てやるのが大変なら、裏拳と受けと手刀の種目に分けてやってみても良いと思います。休み中に心も身体も鈍らせないようにしたいと思います。いつでも走り出せるように自分のエンジンを温めておきたいと思います。動き出せる時には直ぐに動き出したいと思います。
私は21歳ぐらいから日記を付けています。34歳で現役で試合に出場するのを引退するまでは、稽古の事や体調や体重の事や試合の事や自分の思いや夢や目標などが主に書かれています。その頃の日記を見ると本当に良く稽古していたんだなと思います。私は指導の時も道場生と一緒に稽古をするので、指導の時間を入れたら1日で平均8時間は稽古していました。本当に良くやったなと思います。特に私の先生が極真会館から退館し仲間がみんな居なくなってから、1人で他の支部に出稽古に行ったりして、自分で稽古を考えて頑張っていました。私がいろんな意味で大きく成長したのはその頃だと思います。先生から離れた事で稽古に関しても指導に関しても道場の経営に関しても大きく大人になりました。社会人としてしっかりした時期と言えるかもしれません。私の人生振り返るとピンチの連続でした。でも何かを失った時に、また頑張って新たな物を得たり、新たな物を築き上げて来たように思います。そして私はピンチに強い人間だと自分で思います。チャンピオン級の選手に勝った試合もほぼ全て延長戦で苦しんで苦しんでピンチを凌いで勝利を得て来ました。今まで何度も失敗したけど必ず立ち上がって来ました。自分の日記を読み返してそれを強く思いました。とにかく今は規則正しい生活をして、しっかり食べて、しっかり寝て、やれる事をしっかりやりたいと思います。私の成長が必ず人の役に立ち日が来ると信じています。
今日で4月も半分が終わりました。緊急事態宣言が発令されて道場の稽古がお休みになり8日目です。私は普段以上に規則正しい生活を心がけています。7時に起きて、うがい手洗い、顔を洗い、髭を剃り、黒酢とアスコルビン酸をお茶で飲み、体温を測り、7時30分に息子達を起こし、7時45分に家を出て土手に行きトレーニングをします。8時50分ぐらいに家に着き、うがい手洗いをして朝食を摂り、1時間勉強をして、食器を洗い、道場に出かけます。今日は15日なので、鷲神社に参拝し、神棚の榊、米、塩、酒、水を替え、大山倍達総裁11箇条を唱和し、道場のトイレを掃除しました。そのあと大森税務署で確定申告をして納税を済ませました。今こそ自分を見直す時だと思い規則正しい生活を心がけています。夜は息子達と一緒にお風呂に入り家族みんなで一緒に食事をします。子供達と一緒いる時間が長いので、子供達のいろんな部分を見る事が出来ます。長男と次男はフォートナイトと言うゲームが好きらしく、その話を良くしています。あと「かもしれない運転」という言葉が好きらしく、かもしれない運転ごっこをしています。次男は長男に「〜と〜どっちが強い?」とか「〜と〜の武器だっらどっちがいい」とかずーっとしゃべっています。今日は初めて家族でトランプをやりました。七並べとババ抜きをやりました。ババ抜きでは、私は妻のカードを引くのですが、妻の所に来たババを1回で引かされるというのが6度続きました。私は何も考えずカードを引くのですが、何故かババを引いてしまいます。私の考えは完全に妻に読まれているようです。こんなに読まれてしまうなんて少し怖くなってしまいました。
沖縄でどのように空手が発展したのかを書きたいと思います。船越義珍先生の言葉によれば、文献などは残っていないので明確な年代や体系等は分からないそうです。諸説によれば、中国拳法が沖縄に伝わり、沖縄独自の沖縄手として発展したようです。何個か残っている説としては、450年前ごろ中国から公相君という武官が弟子を数人引き連れて渡来し一種の拳法を伝えたとあるそうです。この公相君が伝えた型を「公相君」の名を取って「クーシャンクー」と読んでいたものが「観空」となったそうです。また冊封使に附して渡来した武官「アソン」に師事して拳法を修めた者に那覇の崎山、具志、友寄氏等があり、「イワー」について学んだ者に首里の松村、前里、湖城氏等があり、「ワイシンザン」に道を問うた者に島袋、比嘉、瀬名波、具志、長浜、新垣、東恩納、桑江氏等があり、泊の城間、金城、松茂良、親泊、山田、仲里、山里、渡口氏等は福洲安南から漂着した支那人某に教わったとあり、約200年前、首里赤田の佐久川寛賀氏が中国に渡って拳法を修めて帰り、唐手佐久川の名を一世に謳われたと伝えられているそうです。空手の流派も際限なくあったようで、首里で発展したものを首里手、那覇で発展したものを那覇手、泊で発展したものを泊手などとも言われたそうです。空手道の型を大別すると、昭霊流と少林流があり、昭霊流は、重厚堅固、最も体力を練り筋力を鍛える事を主としたもので鉄騎、十手、半月、慈恩などの型があり、少林流は、軽捷機敏、進退隼の如き早業に適したもので、平安、抜塞、観空、燕飛、岩鶴などの型があるそうです。空手道は人から人へ伝わる中で様々に発展を繰り返しながら伝わって来たようです。極真空手は大山倍達総裁が創られた空手道ですが、源流は剛柔流と松濤館にあり、そこに大山倍達総裁が学んだり戦ったりした様々な拳法や格闘技などの稽古方法を取り入れ、また極真空手の諸先輩、諸先生方が様々な格闘技に挑戦したり学んだりする中で様々な稽古方法を取り入れたハイブリッドな空手道と言えると思います。私も空手道をしっかり勉強し稽古して、この極真空手をさらに前進させ発展させる事に尽力したいと思って稽古に励んでいます。緊急事態宣言が出てから1日も欠かすことなく1日4〜5時間は稽古に励んでいます。道場の稽古が再開したら、あれを教えよう、これを教えようと考えながら稽古に励んでいます。
空手道というものは、もともとは沖縄から伝わったもので、さらに遡ると中国から伝わったものです。その伝わり方にも源流にも諸説あるのですが、日本に空手を始めて伝え、「唐手」を「大日本拳法空手道」と改め、「唐手」を「空手」とした船越義珍先生の説を紹介すると、中国の拳法も武当山派と少林寺派とに分かれ互いに切磋琢磨していたそうです。武当山派は中国の武当山というところで発達し、「一見非常に柔らかな感じで力がないように見えるが、一度発すれば、容易に人を倒す事が出来るという程のもであった。」そうです。少林寺派は映画「少林寺」でも有名な少林寺拳法です。少林寺派は、みんな知っている達磨さん、達磨大師が西竺からはるばると山野を越え中国へ渡り、河南省の少林寺で法を説かれた時にどうしたわけか聴衆が続々と倒れるので「およそ法は霊のために説くものであるが、霊肉は元一体で離れるべからざるものである。今、汝らを見るに困憊して到底修行の見込みがない、明朝より早く起きてこの法を学べ」と言って心身鍛錬法を授けたと言われています。少林寺派は「拳や足の出し方及び練習方法も硬軟いろいろ」だと言われていました。船越義珍先生も真偽の程は分からないと言われていますが、いずれにしても中国で発達した拳法がその後、琉球に渡り、それまでにあったものと合体して空手道の基礎になったようです。中国拳法が琉球に伝わってからの諸説もまたの機会に書きたいと思いますが、何故この事を書いたのかというと達磨大師の言葉に凄く共感したからです。人間の持っている、気、霊、魂、精神、心と言うものは身体と繋がってあるものなので、やはり気、霊、魂、精神などを高めたいと思ったら身体も鍛え正しい常態になければ行けないのだと思います。朝に稽古をしたというのもとても共感しました。私も今、毎日朝に息子達と柔軟体操、基本稽古、ランニング、ダッシュなどを行っています。朝にこれを行うと身体も心も正しい常態にある気がし良い1日を過ごす事が出来ます。今日はあいにくの雨でしたが、息子達と屋根のある場所で柔軟体操と基本稽古を行いました。息子達は雨が降っているのと寒さでダルそうでしたが、雨が降っているからこそ出来る事でもやらせなくてはと思い、私も重い身体を引きずるように外へ出て息子達と一緒に身体を動かしました。やはりそうしたら身体も心も頭もさっぱりして、そのあと事務仕事と勉強もはかどりました。船越義珍先生は90歳まで生きましたがとても健康で不死身だと言われたそうですが、船越義珍先生は「私は不死身ではなく、不病身である。鍛えられた身体には、寸分の病魔の入り込む隙もないからだろう」と言っていたそうです。新型コロナウィルスの感染が終息したら、さらに空手道を世の中に広めたいと思います。今いる道場生を大切にいろんな事を教えたいと思います。そしてもっともっと多くの人に空手道の良さを教えたいと思います。新型コロナウィルスの感染が終息したら、身を粉にして自分の命が燃え尽きるまで空手道の普及に邁進します。
朝のトレーニングと勉強は毎日行っています。毎日同じ時間に起きてやるべき事をやる癖をつけるために行っているのですが、それだけだと曜日の感覚をなくなってしまうので、曜日の感覚をがしっかりと分かるように自主トレのメニューは曜日ごとにやる事を分けてやっています。曜日の感覚がなくならないためと生活に変化を出すために、やる勉強を曜日ごとに変えたりするのも良いかなと思います。頑張ってこの自粛生活を乗り切りたいと思います。
困難な時こそ、心も身体も引き締しまり、身を正し規則正しく生活し、自分のなすべき事をしっかりと行うことが出来るものだと思います。緊急事態宣言が発令されて4日目ですが、私も今まで以上に規則正しい生活を心がけています。妻も息子達も頑張っています。今日は家族全員で朝のトレーニングをし、みんなで朝食を食べ、みんなで勉強をしました。まだたったの4日ですが息子達も規則正しい生活が身に付いて来ました。最初の朝はグズッて起きました。2日目なんて起きる辛さと、昨日の疲れもあり、しんどさも分かっているので、次男は走りたくないと泣きながら外に出ました。今日は2人ともパッと起きて当たり前のように外に出てきました。朝食のあともサッと勉強を始めるようになりました。やはり習慣というのは大切です。でも悪い習慣こそつきやすいので気を付けなければいけません。困難な時こそ身を正し身を引き締めるチャンスなのです。徳川家康は隣国に武田信玄がいたからこそ、備えを怠る事がなかったと言います。そして人生に困難な事が多かったからこそ、常に身を正し身を引き締める事が出来たと言っています。私も今後この感覚を常に持って生きていきたいと思います。この経験を無駄にしたらもったいないです。
「これ事を事とする、乃ち其れ備え有り、備えあれば患い無し」意味は、普段から常にするべき事をして準備をしておけば、いざというとき何も心配がないということです。武道とはまさにこれの事だと思います。今回の新型コロナウィルスの感染拡大で緊急事態宣言が発令され、道場の運営活動を自粛せざる負えなくなってしまいました。この事で私は本当にたくさんの事を勉強させて頂いています。自分を成長させて頂いていると思います。そしてこの自粛の間もしっかりと自分がするべき事をして備えを怠らないようにしたいと思います。そして生きている間、緊急事態に対して常に備えを怠らない生活をしたいと思います。今日も朝7時に起きて土手で子供達とトレーニングをし、朝ごはんを食べて、1時間勉強し、子供達と映画を見て、子供達にお昼ご飯を食べさせて、洗い物をして、お昼過ぎに道場へ行き、道場の掃除やトレーニング用品の掃除をしてから稽古を行いました。毎日稽古しているなかで、どんどん新しい稽古方法を思い付いています。早く道場生の皆さんと一緒に稽古したい気持でいっぱいです。道場生の皆さんも出来るだけ規則正しい生活をして、自分のするべき事をして、社会活動が平常に戻った時のために備えをして頂きたいと思います。
kanno
|