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今日で2020年も半分が終わってしまった。その3分の2はコロナ禍の中であっという間に過ぎてしまった感じです。でもその中でしっかりと意味のある毎日を過ごして来たという自負はあります。やっと社会が日常に戻りつつあります。明日から7月が始まります。シャキっとビシッと新たな半年をスタートさせたいと思います。頑張ります!
「今日は死ぬのにもってこいの日だ」という詩があります。それはインディアンの言葉で、本当に心の中に悟りを開いてそのような心持になった素晴らしい言葉だと思います。私も死ぬ時にそうなっていたら良いなと思います。ですが私はそうはなれないような気がします。それどころか、自分がこの世からいなくなる最悪の日なのに、そんなふうに思えるわけないだろ!ってのが本音です。ですがその努力をある時からするようになりました。おそらく現役の最後の1年ぐらいと時だったと思います。雨が降っていて身体が重くて、走るのが辛い日も「今日は走るのにもってこいの日だ、今日この悪天候で体調の悪い日に走れば心が強くなる!今日は走るのにもってこいの日だ。」と思うようにして頑張っています。たぶん死ぬ時も、苦しいし辛いし悲しいと思います。でも毎日、苦しい事や辛い事や悲しい事が起きた時に、今日は〜するのにもってこいの日だ。と頑張って生きて行けば、この世から去る時が来ても「今日は死ぬのにもってこいの日だ」と毅然とそこに臨む事が出来るのでは?と思っています。それを子供達にも話しています。雨の日に走るのも、辛い日に走るのも、苦しい日に走るのも、男の修行だ!死ぬ時に「今日は死ぬのにもってこいの日だ」と言って毅然とこの世をされるように、やりたくない事をやりたくない時に頑張るんだよ!と話しています。この世で最もやりたくない事を、おそらくもっともやりたくない時にやらなければならない日が人生最後の日になるのだと思います。その日を毅然と迎える事がこの世での人生最後の修行です。正しく「生涯の修行を空手の道に通じ極真の道を全うすること。」です。私もその男の修行の途中にいます。今日もしっかり男の修行をしました。
私の運営する道場の昇級審査会と支部内交流試合がありました。新型コロナウィルスの感染防止のため緊急事態宣言が発令され道場の稽古がお休みになるなど、いろいろな事がありましたが、半年ぶりの昇級審査会と支部内交流試合を開催する事が出来ました。審査会、試合に参加した道場生、ご父兄様には本当に感謝しております。今回も生徒達の成長をたくさん見る事が出来た審査会、試合となりました。私は最近は審査会や試合では、あまり深くは話をしないようにしています。私も歳をとったのかとても涙もろくなり、感情の入った話をすると涙が止まらなくなってしまいます。なので個人的な話はその道場生その道場生、一人一人にあとで話すようにしています。話す事は個人個人に話す時は、私はぶっきらぼうに「お前、本当によく頑張ったな!あの時に空手を止めずに続けて良かったろ!応援してくれたお母さんに感謝しろよ!」と言った感じで話します。この内容も丁寧に話すと涙が出てしまうのです。今回もたくさん涙が出そうな場面がありました。これからもさらに頑張って行こうと思います。あと数年でとても素晴らしい選手が生まれると思います。
緊急事態宣言が解除されて1ヶ月が経ちました。やっと生活のリズムが安定して来たように思います。とはいえ新型コロナウィルスの感染者が無くなってるわけではないので、新型コロナウィルスの感染防止をしっかりしていかなければならないと思います。でも菅野家では、みんなうがい手洗いが定着し、どこかから帰って来たら何も言わなくてもうがい手洗いを自然にしています。そのためか誰も風邪をひいたりしていません。新型コロナウィルスの感染が収束したとしても、新しい生活様式としてうがい手洗いを行う事はとても良いと思います。来週からもう7月です。あっという間に半年が過ぎてしまいました。本当なら東京オリンピックで日本中が、世界中がワクワクしていたのになと思いますが、日本という国は国難に強い国だと思うので、一人一人がやるべき事をしっかりやって行けば、前以上の形に立て直せると思います。
私は息子達に対して、道場にいる時と家にいる時とを分けるようにしています。それは道場では厳しくするので、家ではあまり私の存在が息子達を窮屈にしてはいけないと思うからです。家ではそれなりに気を許せるリラックス出来る場であって欲しいと思っています。なので家ではほぼ私は子供達を叱る事はありません。でも叱る時はビシッと叱ります。それは、ゆるく叱るのはお互いにとって良くないと思うからです。それは良くない事だ。その度合いを伝えるのは自分がどれほど怒っているか?の度合いで子供もそれがどのぐらい良くない事なのか?を知ると思います。なので忘れ物をしたのと、何かをこぼしたのと、嘘をついたのを同じように怒るのは、子供にとって良くないと思います。それと「〜ちゃん、ダメよ」的に叱っても、その子の心にダメージがないので、それを本当に良くない事とは思わず同じ事を繰り返してしまうと思います。なので叱る時にはしっかりと叱る、言葉では足りないのならば、やはり叩くという事も大切だと思います。ただその叩くも心にダメージを与えるためで、あまりに身体にダメージを与えてはいけません。それをするとどんなに悪いと思っても恨みが残りますし、その子は必ずその恨みを、いつか誰かに同じ事をするという形ではらしてしまうと思います。あとは本当の躾は他人にしてもらうものなのかな?と思います。親が躾るのはあくまで基礎的な事で、本当に本当の躾は他人と言うか社会の中でされていくのだと思います。なので褒めて伸ばすとか、体罰禁止とか、パワハラだとか、があまりうるさくなると子供達の本当の躾がされないまま大人になってしまう気がししてなりません。これは私に関してですが、極真空手の世界で躾をしてもらって本当に良かったと思っています。あの20歳ぐらいの時に、自分より圧倒的に強い、圧倒的に怖い、圧倒的にカッコイイ人達に、バシッと教育して頂いた事で、キチッと礼儀や挨拶や気遣いなどの物事が出来るようになりました。最後に1つ、これは生徒に対して叱る時も、私の信条なのですが、バシッと叱ったらそれで終わりにします。ネチネチ言ったり、その日はその子にあまり話しかけない的なことは絶対にしません。そのためにも自分もそれで終わりに出来るようにバシッと叱った方が良いと思います。逆にバシッと叱ったら、もう切り替えていつものように接してあげれば良いのです。ただ叱ったあとに変にご機嫌をとるように気遣うのも良くないと思います。その子が本当に良くなった時には思いっきり褒めてあげるのはとても大切です。
私は神様を信じていますし大切にしていますが、あり時から神頼みは止めました。それは自分の叶えたい事や、達成したい事は自分で努力をするしかないと思ったからです。特に困った時には、絶対に神頼みはしません。神様にお願いするという事は、自分で何とかしようと言う気持ちがないという事になりますし、神様にお願いする時間があるなら、その事を何とかしようと考えるか、行動を起こした方が良いと思うからです。ですがその後1度だけ自分の事で、神頼みをした事があります。それは妻に告白をする時でした。もちろん私は妻に告白するまでに、精一杯の努力もしたつもりです。ですがこれだけは自分だけの力ではどうにもならない、そんな気がしました。だから神様やご先祖様にお願いをして、妻に告白をしました。私は、もう一生分の運をあそこで使い果たしたと思います。でも私はそれで満足しています。もう私自身の事で神様やご先祖様にお願いしてまで欲しい物はこの世にはありません。今後、神頼みする事があるとしたら、それは妻や息子達のための事だと思います。
長男と次男の七夕の短冊を雑色商店街のコミュニティーセンターで見つけました。長男は「自衛隊になる。偉大なる菅野琥白」と書いていました。長男はその短冊を書く時に「自衛隊になりたい、では夢は叶わないから、自衛隊になる、と書くんだ。」と言っていたそうです。多分それは私の教えた事だと思いますが、長男は私の話を聴いていないようで、意外にしっかり聴いていて、しかもしっかりと覚えている事に驚きでした。でも「偉大なる菅野琥白」には笑ってしまいました。夢を叶えて偉大なる男になってくれ。次男は「ウルトラマンになりたい。ましろ」と書いてありました。とても可愛く思いました。どんな夢でも、どんな目標でも良いから、その夢や目標目指して人生を賭けて突っ走って欲しいと思います。叶うか?叶わないか?成れるか?成れないか?なんて問題ではありません。その夢や目標を一生懸命に目指して突っ走った日々が、夢や目標を一生懸命に目指して突っ走った、その道程が自分を作り、仲間を作り、思い出を作り、自分の財産を作るのだと思います。頑張って欲しいと思います。
次男の真白は「〜ガギガゴン」「〜グラッシア」「〜アハー」とよく言います。意味は分かりません。「それどういう意味なの?」と私が聴いても答えてはくれません。とても不思議です。何故が次男がそれを言うと長男は爆笑しています。なんかおいてかれてる感を感じます。長男も次男も登校で家を出る時間が8時になったので、朝起きる時間が6時30分になりました。次男はまだ生活リズムが慣れず眠いせいでとても不機嫌に準備体操をしていました。長男は次男に「頑張って走らないとウルトラマンになれないぞ!」と言って諭していました。ここのところずっと雨ですが、2人とも本当に頑張っています。夜の腕立て伏せも頑張って続けているようです。
昨日は疲れのたので7時半には寝てしまいました。絶対に筋肉痛になると思い、長めにお風呂に入って筋肉をほぐしてのですが、朝起きたらやはりお尻の筋肉がパンパンになっていたのと膝が痛くなっていました。でも筋トレのおかげか太腿な脹脛は全然筋肉痛になりませんでした。今日は生憎の雨でしたが、やはりこう言う悪条件こそ人間が強くなる最高の稽古だと思い、子供達と3人で雨の中を1.6キロランニングしました。朝の稽古もしっかり行いました。空手道の稽古の素晴らしい所は毎日の稽古に、毎回の稽古に気付きがあり、学びがあり、新しい発見があります。空手道をスポーツとして行うのならば、試合や組手などで勝ち負けを競うだけならば、パフォーマンスの向上だけならば、フィジカルの向上だけならば、30歳ぐらいが最高潮でしょう。しかし空手道を道として捉えるならば、稽古を行う事で、自分の心や身体の変化に気付いたり、自分の身体をより上手く動かす事を学べたり、心のコントロールを学べたり、自分の生き方を見直したり、自分の生活を改善するキッカケとなったりします。だから空手道は素晴らしいし、空手道の稽古は何歳になっても楽しいのです。ただそこには真摯な気持ちと謙虚な気持ちと素直な気持ちが必要です。その3つがなければ学びを得る事は出来ないので、稽古もつまらなくなってしまいます。
今日は私の運営する道場の通い合宿2日目でした。あいにくの雨で生徒達もご父兄様も道場に来るのが大変だったと思います。昔の私なら雨が降っている事でスケジュールをどうしようか?とあたふたしたと思いますが、私も道場を運営して18年になり、今までの経験から、いろんな引き出しを持ち、どんな場面にも対応する事が出来るようになりました。午前の稽古は、普段の稽古ではやらない、いろんな柔軟体操と前回の型の復習と細かい部分の見直しをしてから、観空をやりました。午後の稽古は池上本門寺へランニングし、階段ダッシュを幼稚園生5本、低学年7本、それ以上の人は10本、休みなくマラソン形式で行いました。私も生徒達と同じ苦しさを味わうため、一緒にランニングし階段ダッシュも10本行いました。そしてケロッとした顔をして、「苦しい顔をするな!こんなの先生が現役時代はウォーミングアップだよ!この後に全力の階段ダッシュしたもんだよ」と話しました。今回の稽古で、途中歩いてしまう人、苦しい顔をする人、膝に手をつく人、帰りの下りで手すりに寄りかかって歩く人がいました。どんなに苦しい稽古でも、苦しい顔をしてやるならば誰にでも出来ます。しかし苦しい顔をしないでこのメニューをこなす事に意味があるのです。苦しい顔をするのは自分の心が苦しい事に負けているからです。自分の弱さに負けながらイヤイヤ稽古しても何も身につきません。ビリでもなんでも良いから、最後まで自分の苦しさや弱さに負けず顔色を変えないで稽古をしたらこれは凄く良い稽古になります。そして苦しい顔をしても苦しさは無くなりませんし、苦しい顔をしたり苦しい声を出したり弱音を吐けば、余計苦しさは増すばかりです。そして一事が万事で、肉体の苦しさに弱い人は、貧乏や人間関係や社会での出来事などでも、苦しい事があると、すぐ顔に出したり、弱音を吐いたり、人の悪口や、社会や会社への不満を口にする人間になってしまいます。そんな話を生徒達にするためにも、生徒達と同じメニューをツラっとした顔でやって見せました。その事もあり足腰がガタガタになって膝が痛いです。でも自分のためにもやって良かったです。今日は最高に美味しいビールが飲めました。とても疲れたので7時半には寝てしまいました。
kanno
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