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2020年11月15日(日) 力を発揮できる場を

私の運営する極真会館東京城南京浜支部の第14回型競技支部内交流試合と第5回I.K.Oセミコンタクトルール組手競技支部内交流試合が行われました。回を重ねる毎にレベルが上がって来ています。あまり試合に積極的ではなかった生徒が型競技やセミコンタクトルールの試合が出来た事で稽古に励み、試合に参加してくれた事が嬉しいです。これからも生徒達が力を発揮できる場をどんどん作って行きたいと思います。


2020年11月14日(土) おすすめの作品

中村文則の「逃亡者」を読んでいます。まだ3分の1ほどしか読んでいませんが、とてもおもしろく読めています。この作者の作品はどれもとても面白いです。作者の作品で私が特に好きな作品は「教団X」です。この作品を読んだ事で私の考え方、は少し変わったと思います。


2020年11月13日(金) この道を

私が運営する東京城南京浜支部蒲田道場は、私が21歳から29歳まで通っていた旧城南支部の蒲田道場の近くにあります。なのでその頃と同じ道を歩いて道場に行きます。大森道場で稽古をした生徒達と一緒に電車で蒲田まで移動し、蒲田駅からみんなで歩いてスタジオまで行きます。そこを子供達と歩いているといろんな事を思い出します。呑川の橋を渡る時、あまりに身体が怠くて、稽古を休みたくて、その橋から川に飛び込もうかな?と思った事や、その道を先輩達と一緒に歩いた事やみんなでご飯を食べた事やみんなでお酒を飲んだ事やみんなで銭湯に行った事など、思い出したらキリがないほど、いろいろ思い出します。そして、いろんな人のおかげで私は今こうして生徒達とこの道を歩けています。本当に本当に感謝、感謝です。


2020年11月12日(木) 型をやらなければ空手じゃない

私の師匠が「型をやらなければ空手じゃない」と仰っていました。今、私はその意味が良く分かります。空手道にとって型が大切な事は「空手は型にはじまり型に終わる」と言う言葉がよく表しています。でも今は型をやらない道場なども多々存在しています。その人達が何故そうするのか?私も分からないわけではありません。何故なら私もその道を通って今があるからです。私も20代の頃は何故、型をやるのだろうと言う疑問を持ちました。その頃の私は試合で勝つ事だけを目指していました。気が付いている人は気が付いていると思いますが、型のなかにある技を洗い出したら、試合のなかで使いやすい技はほとんど出て来ません。逆に言えば試合で使う可能性が無い技や動きばかりだと言っても良いかも知れません。では型は何故大切なのか?試合で勝つ事を目標にしている人にも型をやる利点はたくさんあります。先ずは、様々な身体の使い方を学べること、様々な足さばきを学べること、動くときの重心の移動を学べること、左右の均等に動く事で左右のバランスを学べること、動作と呼吸を合わせる事で動く時や技を出す時の正しい呼吸方を学べること、様々な方向に様々な足さばきで素早く動き、様々な技を素早く出す事でバランスや重心の移動や力の強弱や正しい呼吸の使い方を学べば自然と自分の身体が居付かない状態を学ぶ事が出来ます。私の浅い知識の中でも試合で勝つ事を目標にしている人でも型から学べる事は、これだけの事が出てきます。でも本当に大切なのはここからです。もうここまで読んで気付いている方もいるかも知れませんが、空手道の型は、空手の試合が始まるずっとずっとずっと以前からあったものです。という事は、型は試合で使う技術のために作られたものではありません。自分の命を守る為に戦う事を想定し、一対一だけではなく、多人数や様々な状況を想定して作られた身体の使い方や技の使い方を集めた物が型です。その他にも型を行う中で、呼吸方で自分の内面や気を鍛えたり、自分の持っている力を瞬間的に爆発させる方法を学ぶ事が出来ます。また型を一心不乱に行う中で、心の使い方や、心を高めることが出来るので、型は動く禅にもなります。型をやらなければ本当にもったいないです。たった一人の人間が一生を賭けたとしても経験出来る事はたかが知れています。長い長い歴史の中で、先人たちが次の世代、次の世代と受け継ぐ中で、長を取り短を捨てて、今に伝え遺してくれた物が型です。その先人達の素晴らしい財産を学ばせていただけるのが型です。だからそこに敬意を表して稽古しなければいけません。昔から兵法には三つの戒めがあります。一つは「疑廬(ぎりょ)」先人の教えに対して軽率な疑いを抱かないこと、一つは「懈怠(けだい)」不断の努力を重ね修行を怠らないこと、一つは「慢心(まんしん)」上達してもけっして奢りや自惚れの気持ちを持たないこと、だそうです。その三つの戒めを忘れず型の稽古に励む事が大切です。私も今、一生懸命に型を稽古しています。その中で本当に型の素晴らしさに気が付いている毎日です。型に含まれている技法の無限の変化に驚かされます。私達がどれだけいろんな事を経験しどれだけの技を編み出しても、おそらく全く新しい技という事はあり得ないだろうと思います。それだけの物が型の中にはあります。うちの道場は型を稽古しないなどと言う言葉を目にすると本当にもったいないなと思いますし、その道場に入門した生徒は本当に運が悪かったな可哀想だなと思います。


2020年11月11日(水) 私の好きな型

私は「観空大(カンクウダイ)」と言う型が好きです。この型は全空連の指定型で松濤館の型なのですが、全空連の講習会で習った型でした。この観空大という型は、中国の武官である公相君(コウソウクン)から沖縄に伝えられたという説もあります。カンクウダイをクーシャンクーと言う流派もあります。琉球の唐手を日本に伝え空手とした松濤館の船越義珍先生もこの観空大を好んで演武されたようです。挙動数の多い長い型で、とても激しい型なので、体力が必要な型です。松濤館の先生もこの観空大を何歳になっても演武出来るよう稽古をしていると話されていました。私もこの型が1番好きで、ほぼ毎日この型を行うようにしています。そして糸洲安恒先生が中学生の体育の科目に空手を入れる為に、この観空大を元に作った型が平安一から平安五だと言われています。なので平安一から五をしっかり稽古すれば観空大が出来るようになり、また観空大を稽古する事で平安一から五の見直しも出来たりします。この型は手を合わせて上に上げ満月を描くような動きから始まるのですが、この手を合わせて上に上げ掌の間から空を観る動きから型の名称も「観空大」となったそうです。この手を合わせて空を観て満月を描くような動きは、円満に事を収めると言う心を表していると言われています。「空手に先手なし」の心構えが出ているのだと思います。


2020年11月10日(火) 新しい事を

常に新しい事をインプットして行きたいと思います。でもインプットした事が直ぐに役に立つか?と言えば、それはそうではない事もたくさんあります。でもインプットした事を何年か自分の中で寝かせておいたものが後に役に立つ事もけっこうあります。歳をとればとるほど、新しい事をインプットするのが難しくなり面倒になりますが、数年後の自分のためにそれを怠らないようにしたいと思います、


2020年11月09日(月) いつでも待っています

今から6年前くらいに、私の道場生だった子達4名が私に会いに道場に来てくれました。その子達ももう大学生になっていたり、働いていたりでした。その頃は私の道場には国際親善大会や東日本大会で入賞する選手も育っていました。その事をその子達に話すと「私達の時はみんな関東大会に出てもみんな一回戦負けだったのに、今の子達は凄いね」と言いました。私はその子達に「みんなが頑張って試合に出てくれたから、それが伝統となり、東京城南京浜支部の道場生は試合に出るようになったんだよ。みんなが頑張った事が今に繋がっているんだよ。だからみんなには本当にありがとうと思っているよ」と話しました。私の道場に入門した道場生の一人一人の力が、私の道場で汗を流して稽古をした道場生一人一人のおかげで今があると思っています。本当に感謝しています。私はいつでも道場で道着を着て稽古しています。いつでも道場に帰って来て欲しいと思います。いつでも道場に会いに来て欲しいと思います。菅野先生はいつでも待っています。


2020年11月08日(日) 勉強になった本

「アントニオ猪木・世界闘魂秘録」を読みました。この本を読んで本当に凄い人だと改めて思いました。あの人を魅了するカリスマ性は激動の人生の中で培った物なのだと思いました。苦労は勝ってでもした方が人間が大きくなり、人間味が出るんだろうと思うし、人間に魅力が出るんだろうと思います。私も、これからの人生を生きて行くうえで本当に勉強になる本でした。1番感動した一文だけ書いておきたいと思います。「恥をかけ。馬鹿になれ。そうすれば、自ずと道は開ける。それがどんなに険しい茨の道であっても、まずは一歩を踏み出すことだ。小さな一歩で、未来は大きく変わる。」


2020年11月07日(土) ケジメ

仕事にしろ習い事にしろ辞める時に、辞め方と言うものはとても大切だと思います。しっかりと挨拶をして辞めないと、その時に関わった人達と堂々と会う事が出来なくなってしまいます。自分の行いで世の中を狭くしてしまいます。辞める理由も出来るならばしっかりと伝えた方が良いと思います。その時には、それを言った事で少し嫌な思いもするかもしれませんが、後に頑張っていれば、辞めた事を判ってもらえる日も来ると思います。ですが上手くしのぐような事を言ったり、嘘をついてしまうと、世の中は狭いですし、自分では上手くしのいだと思っても、意外に周りはその嘘を見抜いています。もしくは後に見抜かれてしまいます。そして自分の信用を失ってしまうことになります。私はこういう事はしっかりやって来ました。怖くても1人でそこに行ってケジメをつけて辞めました。中には半殺しにされた事もあります。目も見てもらえなかった事もあります。でも辞めた後にその人達と再会して笑って話せる時を作りました。ちゃんとケジメをつければ、全て良い思い出になり、新たな世界に堂々と飛び出して行けます。


2020年11月06日(金) 何がどうなろうとも

長男の可愛げのないところが私は大好きです。次男の可愛げのあるところが私は大好きです。たぶん親というものは、そういうものなのだと思います。何がどうなろうとも自分の子供もいうものはとても可愛いものです。その子供達を可愛いと思う気持が私の原動力です。


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