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コーヒーを飲もうとコーヒー店によりました。レジ対応をしてくれた女性の店員さんが不自然なぐらい私の顔をジロジロと見ていて、私がお金を出して顔を上げると、やはりバシッと目があうぐらい私の顔を見ていました。バカな私は一瞬「この女性の店員さんは、もしかしたら自分に気があるのかな?」などと頭を過ぎりました。お釣りをもらい会計をすませ、私がレジから立ち去ろうとすると「あのーすいません」とその女性の店員が言いました。私は少しドキッとしてしまいました。そしたらその女性の店員さんが「空手の先生ですか?」と言いました。私は「そうです」と答えると、その女性の店員さんは「私、子供の頃、先生に空手を習っていたんです。」と言いました。名前を聴くと一瞬で思い出しました。それを伝えると「覚えてくれていて嬉しい!」と喜んでくれました。その子はもう20歳になっていました。昔の生徒に一瞬ドキッとしてしまった事を恥ずかしく思い、そして良い成長をしてくれていた事を嬉しく思いました。そして店を出た後に、若い女性に声をかけられ喜んでしまう自分に「あー自分は、ずいぶんおじさんになってしまったんだな」と少し寂しくなりました。
今日も朝から病院に行ったり、第2回のオンラインによる全国の支部長に向けた技術講習会のため代官山道場へ行ったりとなかなか忙しい1日でした。今度の冬合宿で教えようと思っている、征遠鎮、鉄騎その1、抜塞の細かい動きの確認も終わりました。来週で道場はお休みになりますが、頑張って稽古していこうと思います。
今まで、自分にしか出来ない空手をやりたいと思い稽古に励んで来ました。なのでいろいろな事に取り組んで来ました。そのおかげで私にしか教えられない空手を確立するところまで来ています。人より持っている教材や引き出しは多いという自信はあります。近い将来、それを体現してくれる凄い選手が必ず生まれると確信しています。
私もよく使う言葉でありますが、一生懸命という言葉は、もともとは一所懸命が変化した言葉です。一所懸命とは鎌倉時代の武士が自分の土地を命がけで必死に守ると言うところから生まれた言葉です。なので正確には一所懸命が正しい使い方なのだと思いますが、私は一生懸命の方が好きです。もちろん一所懸命も自分だけのためではなく、先祖や一族や家族のために、その一所に自分の命を懸けると言うことなのだと思いますが、一生懸命と言う言葉の響きには、何かのために誰かのために、自分の命を一生を捧げると言う響きを感じます。だから私はやはり一生懸命の方を使って行きたいと思います。
あっという間といえば、あっという間といえるほど12月も半ばとなり、もうあと16日で2020年(令和二年)という今年も終わろうとしています。私も膝の手術のため病院に行ったり技術委員会の仕事があったり、なんやかんやで忙しく毎日が過ぎて行ってしまい、時が過ぎる速さに翻弄されています。でもその中で充実した毎日を過ごしていますし、しっかりと結果を残していますし、自分が一生懸命に生きた証も残せていると思います。自分がいなくなった遠い遠いお未来に、私達が先人から引き継いで私達が研鑽したものや、私達の意志がこの世に残っていてくれたら、自分がこの世に生まれた価値があったと思う事が出来ます。今年も残り少なくなりましたが、今日という1日は人生で最初で最期の特別な今日という1日なので、夜寝る前に最高の1日だったと言えるよう一生懸命に生きたいと思います。
型の中にある一つ一つの動きや技を分解して研究しています。この動きにはどんな意味があるのか?この受けの時は、何故この立ち方になるのか?など型の中に隠されてあるものを見つけ出したり、また自分で想像して見たりと言う事を研究しています。今日の型くらすでは、それを生徒達にもやってもらいました。
今日は床屋さんに行って髪を切ったり、新宿まで治療に行ったりしました。手術後は少し動けなくなると思うので、今のうちに身体を鍛えたり、身体の治療をしたりして、しっかりと自分を整えて行きたいと思います。
中村文則の「R帝国」を読んでいます。まだ読み始めですが、なかなかドキドキする展開でとても面白く読めています。最近、なんやかんやで忙しく、移動時間や待ち時間が多いので、その時間を無駄にしないよう読書しています。
中村文則の「あなたが消えた夜に」を読み終えました。とても良い作品でした。読み終えた瞬間に、いつかまた必ず、自分はこの作品をもう一度読むだろうと思いました。そのぐらい良い作品でした。「あなたが消えた夜に」という題名も読み終えてから凄く良い題名だと思いました。「あなたが消えた夜に」のあなたは私にとって誰だろう?それを思いました。
私は47歳です。空手歴は32年です。という事は自分の人生の3分の2を空手道で生きて来たと言う事になります。なおかつ全日本クラスの試合に22歳から34歳まで出場しました。その頃は本当に自分のあらゆる物を犠牲にし生活の全てを空手にかけて生きていました。それもあり今の私の身体は怪我だらけでボロボロなわけですが、それも私の勲章です。あれだけ激しい殴り合い蹴り合いを十何年間も続けられる丈夫な身体に生んで育ててくれた両親に感謝です。考えてみればその壮絶な殴り合い蹴り合いの中で私は全てを学びました。それがあり今の私ありです。私を育てて頂いた師範、先生、先輩、一緒に稽古してくれた仲間や後輩には感謝です。自分が好きでやった事ですが、本当に本当に極真空手に青春の全てをかけました。その頃の先輩や後輩はみんな戦友です。会って話せば話が尽きる事はありません。同じ釜の飯を食い、苦楽を共にし、感動を共有した仲間という物は本当に良いものです。そういう縁を大切にしたいと思います。
kanno
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