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妻の体調が悪かったので、長男が夕食を作ってくれました。肉野菜炒めでした。タマネギもニンジンも長男が切って肉と一緒に炒めて味付けも自分でしたそうです。初めて長男が作ってくれた料理は、お世辞ではなく、とても美味しかったです。
「最後の1年だ!だから悔いのないよう頑張ろう!」そう思って現役最後の1年間を過ごしました。もう1つ自分の中で決めた事がありました。その頃は1日トータル6〜8時間は稽古していましたが、もう肉体的にハードな稽古がだいぶしんどくなって来ていました。疲れも取れにくくなって身体にいつも倦怠感が残っていました。現役生活最後の1年と決め、もし朝起きる時間に起きる事が出来なかったり、寝る時間に寝る事が出来なかったり、稽古をサボったり、稽古メニューをこなせなかったり、稽古の最中諦めたりしたら、その時はもう自分は限界なのだから、その時は潔く試合を待たずにその場で引退しようと決めました。なので稽古に全てを賭けるため道場に寝泊まりしていました。その結果、自分に負ける事なく試合の日を迎える事が出来ました。ですが結果は3回戦敗退で世界大会の代表権を得られず夢は半ばで敗れる事となりました。でも後悔はしていません。あの1年を頑張れた事は私の誇りですし、私の宝物です。試合が終わった時は悔しい訳ではなく、自分に対して本当によく頑張ったな!ご苦労さん!と思いました。そしたら自然と涙が出てきました。そしてこんなに頑張ったんだから、これからは今まで出来なかった事にも取り組んで絶対に幸せになろう!と決めました。それから5月後に妻に告白し付き合う事になり幸せを手にしました。20歳から34歳までなかなかしんどい人生だったけど、あの日々を頑張ったから、今はボーナスステージのような幸せな毎日を過ごす事が出来ています。
私が中学生の頃、好きだった曲の第2弾を書きたいと思います。今日は、当時ビジュアル的にも音楽的にも最高にカッコ良かった、最強のバンドであるボウイの好きな曲ベスト5を書きたいと思います。ボウイも嫌いな曲なんて1つもなく、どの曲にも思い入れがあるのですが、頑張って選びたいと思います。1位は「ON MY BEAT」です。この曲は歌詞も凄く好きだしライブでもバカになって盛り上がれる曲なので大好きです。カラオケでよく歌うからもあります。「自分を守るのは何かを残した後だぜ、形にこだわっちゃ古びた物しか見えない、やたらと計算するのは棺桶に近くなってからでも充分出来るぜ」と言うところが中学生の頃の私の心をガシッと掴みました。2位は「DREAMEN」です。この曲の「そんな奴らは好きじゃない、俺はそんなにバカじゃない、ハートは今ここにある」と言うところがグッと来ました。3位は「B・BLUE」です。これを書いていたらテレビから「B・BLUE」のイントロが流れてきてビックリしました。バナナサンドと言う番組でした。話は飛んでしまいますが、私はこう言う偶然が良くあるんです。話を戻します。この曲は全てがカッコイイです!大好きです!4位は「CLOUDY HEART」です。この曲は失恋に浸りたい時に聴いた思い出があります。思いっきり泣ける曲です。5位もしっとりとした曲で「わがままジュリエット」です。またこれを書いていたらテレビから「わがままジュリエット」が流れて来ました。この曲は、なんかTHEヒムロックって感じで、この曲を歌ってる氷室が凄くカッコ良くて、男っぽいセクシーさがで出て好きです。ここまで書いてて思ったのですが、ボウイって、イントロや間奏のギターソロが凄くカッコイイと思います!間奏であれだけ盛り上がれるのってボウイだけかも?って思います。
中学生の頃によく聴いていた曲を書きたいと思います。先ずはやはり1番好きなバンドであるTHE BLUE HEARTSの好きな曲を書きたいと思います。ただここで困るのがTHE BLUE HEARTSの曲は全部好きなので、全部書くわけにはいかないという事とベスト〜にまとめるのにとても悩むという事です。そして悩んで悩んだ結果を書きたいと思います。ベスト10じゃ悩んで悩んで時間がかかり答えを出せずに終わりそうなので、ベスト5にしたいと思います。悩みに悩んでやはり1位は「人にやさしく」にしました。1位にした理由はこの曲の「僕が言ってやる!でっかい声で言ってやる!ガンバレって言ってやる!聴こえるか?!ガンバレ!」にはたくさん元気をもらったのと、私もカラオケでよく歌うからです。2位も悩んだのですがやっぱりこの曲しかないと思い「リンダ リンダ」にしました。出だしの「ドーブネーズミー、みたいにー、美しくなりーたい」を聴いた瞬間に衝撃を受けました。3位は「未来は僕らの手の中」です。この曲はTHE BLUE HEARTSのファーストアルバム「THE BLUE HEARTS」の1番最初の曲です。この曲の衝撃と感動を今も忘れられません。4位は「終わらない歌」です。この曲の「世の中に冷たくされて、一人ぼっちで泣いた夜、もうダメだと思う事は今まで何度でもあった。」と言うフレーズがあり、でもそれでも終わらない歌を歌おう!明日には笑えるように!と言うところがとても好きです。5位はセカンドアルバム「YOUNG AND PRETTY」から「ラインを越えて」にしました。マーシーが初めてボーカルの曲で歌詞にも衝撃を受けたのとライブでのヒロトのハーモニカとマーシーの歌の掛け合わせが凄くカッコイイです。ここまででもこれだけ悩んだのだから、やはり10位までは悩みすぎて書けないのでこの辺にしておこうと思います。
私が子供の頃に観た「風と共に去りぬ」と言う映画が好きです。4時間ぐらいある映画なので少し長いのですが、子供ながら飽きずに観る事が出来ました。母がこの映画が好きだったので、その影響で観たのだと思います。主人公のビビアン・リーが演じるスカーレット・オハラが前半部分の最後に言った言葉がとても心に残りました。その言葉は「神よ。私は打ち負かされなどしません。この試練が終わるまで生き抜きます。私も、私の家族も、二度と飢えたりなどしません。必要なら、嘘もつき、盗み、騙し、人殺しだってします。神よ。私は二度と飢えたりなどしません」この映画は世界が大恐慌だった頃に作られ、映画で描かれている舞台もアメリカの1860年の南北戦争の頃の事なので、今とは時代背景も社会情勢も全然違いますので、今の時代には受け入れられない事もあるのかもしれません。だからこの言葉だけを聴いたら、何て事を言うんだと思う方もいると思います。そしてこの言葉の是非は、その人が決めれば良い事だと思います。でもこの映画を観た時に、この言葉の中に、スカーレット・オハラが生きようとする強さと、明日への希望を感じて、私はとても感動しました。そして私に子供が生まれた時に子供に対して、自分に何があっても絶対に飢えさせないぞ!と言うスカーレット・オハラのような気持ちになりました。良かったら是非、この映画を見て頂きたいと思います。そして私は子供の頃、将来スカーレット・オハラのような容姿の人と結婚したいなと思いました。
中学生の頃、眠れない夜には、よく音楽を聴いていました。THE BLUE HEARTS、ボウイ、レベッカ、ハウンドドック、THE MODS、渡辺美里、大江千里、BARBEE BOYS、EPO、が好きで本当によく聴いていました。音楽は本当に良いものです。熱い気持ちにしてくれたり、勇気を与えてくれたり、希望を与えてくれたり、悲しみを和らげてくれたり、励ましてくれたり、切ない気持ちになったりもしますが、今のダメな自分を叱ってくれたりもします。今でもその時代に聴いていた曲を聴くと、その時に一緒にいた友達の事や、その時に好きだった人の事や、その時にあった事などを思い出します。そして曲を聴いた事で忘れていたその時の事を思い出したりもします。その頃に好きだった曲の事をその頃を思い出しながら、この日記に書いてみようかな?と思います。
私は第二次ベビーブームの昭和48年生まれで、世の中が高度成長期で学歴社会になっている頃だったので「勉強が出来なければダメだ!」「高校に行かなければ人生は終わりだ!」「学歴が全てだ!」ぐらいの勢いで教育を受けた世代でした。この年齢になって考えてみれば、その教えもおおむね間違いではなかったと思います。それもあり、私は高校を退学になった時に「ああー俺の人生は終わった」と思いました。でもあの高校退学が私の本当の人生の始まりでした。それまでは、幼い事もあり親や先生に言われた事で人生を歩んでいましたが、高校を退学してからは、自分でどう生きるかを考えて生きて行くようになりました。私が両親に対して本当に感謝している事は、親の考えにことごとく反するような生き方をする私でしたが、私が本当に困ってどうにもならなくなった時には手を差し伸べて助けてくれた事です。私は、高校退学から今までの人生で人に言われたから仕方なくやった事はや、人に流されて何かをした事は事は一度もないと思っています。全て自分で決断して行動しています。それが仇となった事も何度もありますが、自分で決めた事ですから、そこには反省はあっても後悔はありません。私の十代の頃の友達はみんな高校に行っていませんが、人生が終わるどころか、今はみんな子育ても卒業して楽しくしっかりと生きています。まあみんなそんなにお金持ちではありませんが。でも私達の頃の教育と言うのは肉体労働者を馬鹿にしていたと思います。勉強すれば冷暖房のある部屋で座って仕事をし楽して給料がもらえる、勉強をしなければ汗水たらしてクタクタになってお金を稼ぐ事になると言われました。でも体を動かして汗をかいて働く方が冷暖房の効いた部屋で机に座って仕事をするより楽しいと思う人だっているし、汗水たらしてお金を稼ぐ事が悪い事なのでしょうか?汗水たらしてお金を稼ぐ事が馬鹿な事なのでしょうか?汗水たらしてお金を稼ぐ事がカッコ悪い事なのでしょうか?私はそんな事はないと思っています。お金持ちじゃなくたって、どんな仕事をしていようと、自分の好きな仕事を一生懸命にしている人や、一生懸命に働いて人の役に立っている人や、自分の生きたい人生をしっかりと生きている人を私はカッコイイと思います。長々と書いて何を言いたかったのかと言うと、勉強はした方が良いけど、勉強が出来なくたって他にも生きる道はあるし、働くにしても給料が高いとか楽だからじゃなくて、自分が本当にやりたいと思う事をやれば人生を楽しく過ごせるという事と、どんな挫折をしようとどんな失敗をしようと自分の人生にどんな事が起ころうと人生なんて終わらないという事です。
もしかしたらこの言葉をこの日記に書いた事があるかもしれません。私が心に響いた言葉を紹介します。久坂玄瑞の二十歳の時に自分を奮い立たせるために書いたと言われている言葉です。「自分は意志が弱く、何か事を成すような人間ではない、しかしそこで自分を駄目だと思って、あえて何もしなければ、すなわち出来る事も出来なくなってしまう。一時の平安に身を任せる事を、日また一日と重ねれば、ついには畳の上で老死するだけである。」私はこの言葉を見た時に、生まれた時代や場所や環境が違えば二十歳の人間でもこのぐらい覚悟のある言葉を口にするのだな、この平安な世の中に生まれたからと言って、一時の平安に身を任せて、ただただ時間だけが過ぎて行く人生は送りたくない、そう強く思いました。休日は別として、今日は一日、楽しかったなーと思う一日を過ごしたならば、それを不安に思わなければいけないのかもしれません。今日は一日しんどかったなーと思う一日を過ごすよう心がけなければ事を成すような人生は送れないのだと思います。
東日本大震災から今日で10年が経ちました。時が経つのは本当に早いです。被害に遭われた方々にとっては9年も10年も11年もないのだと思います。心からお悔やみを申し上げます。震災の時は、私は福島出身なので友達や親族の安否情報を毎日確認したりしていました。そして妻と長男は福島で震災を経験しました。地震の被害もすごかっこたそうですが、原子力発電所の建屋が爆発してからの福島の状況は凄まじかったそうです。運良く妻と長男は私の両親とその日のうちに避難をしました。これは私の友達に聞いた話ですが、地震の被害のため鉄道も高速道路や国道が使えず、大きく日本海側に迂回して避難をしようにもガソリンを何かの力に押さえられ、ガソリンを入手する事は不可能だったそうです。避難のための観光バスも金なのかコネなのか分かりませんが、何かの力に押さえられて避難はできない状況だったそうです。そしてもう風化しつつありますが、私や妻や親戚の知り合いだけでも相当数の方が震災の数年以内に癌や白血病などの病気でお亡くなりになりました。自分がこうして幸せに生きている事は自分の知らない所で、自分の知らない人達の力があっての事だと感謝しております。私も自分の出来る事をしっかりと頑張って行きたいと思っています。今日は確定申告を終わらせました。
長男も次男も頑張って毎日、腕立て伏せをしているみたいです。次男はかなり怪しいやり方だったそうですが、100回以上やったと言っていました。どんな事だって何かを頑張って損をする事はありません。頑張って続けて欲しいなと思います。
kanno
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