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私の運営する道場の2021年春季フルコンタクト組手競技支部内交流試合が無事終了しました。スタッフをしてくれた、十川先輩、廣田さん、中村、平野さん、平澤、浜田さん、恵里花、珠希には本当に感謝しております。試合に出場した皆さん、お疲れ様でした。子供達を試合に参加させて頂いたご父兄様、ご協力ありがとうございました。子供達にとっては現学年最後の試合なので、その人それぞれに思いがあったと思います。特に小学校を卒業する巧と理音は思いの強い試合だったのではと思います。私は生徒達の先生として、勝った人にも負けた人にも公平にお疲れ様と言う言葉をかけてあげたいと思います。私の中では試合で勝ったからその生徒の価値や評価が上がる事はありません。逆に試合で負けたからその生徒の価値や評価が下がる事もありません。ただ試合に出場しなかった生徒に関しては、3ヶ月間一生懸命稽古したら試合で自分の力を試したくなるはずですし、目標をもって稽古に取り組んで欲しいと思います。空手を始めたと言う事は強くなりたいと思っだからだと思うので、その初心を忘れずに、恐い辛い痛い苦しい、負けたら恥ずかしいと思ってしまう自分の弱い心に打ち勝って、試合に挑戦して欲しいと思います。何故、生徒が試合で勝っても負けてもその生徒の価値や評価は、私の中で変わらないかというと、勝つ事は別に良い事をした事ではありませんし、同時に負けた事も悪い事をした訳ではないからです。だから本当は勝ったから褒める事も負けたから叱る事もおかしな事なのです。だって勝った人は自分のために努力をして自分の我儘を叶えただけですし、もしかしたらその人は、偶然人よりいろんな事に恵まれて生まれて来ただけの事かもしれません。負けた人も負けを望んで好きで負けた訳ではない訳ですし、ある意味で言えば自分より能力のある人間に挑んだ訳ですし、試合中に諦めたとしてもそれは諦めるだけの心や身体にダメージを受けるなど、今の自分には対処しきれない理由あったのですし、相手がもっと頑張ったのかもしれませんから負ける事は仕方がありません。負ける事は、別に嘘をついたとか物を盗んだとか弱い者を苛めたとか約束を破ったなどの悪い事をした訳ではないのです。負ける事がもし悪い事であるならば、負けない事は簡単です。試合に出なければ良い訳ですし空手を止めてしまえば、もう負ける事はありません。でもそれでは人間の成長はありません。自分以上の物に挑戦し乗り越えた時に成長があるのです。試合に出場した選手の皆さんには、挑戦したという事を先ずは誇りにして欲しいと思います。何故ならば空手の試合と言うものは負けただけで終わる事は出来ません。心にも身体にもダメージを負います。人と人が心と身体を全力でぶつけ合うことは本当に怖さがあります。そして対戦相手も自分で決める事は出来ません。なおかつ沢山の人が見てる前で戦うという事は自分のプライドをかけて戦うのですから大変な事です。試合に出場した人達は、その恐怖に打ち勝って試合をしたのだから、それだけで称賛にあたいします。ただ試合に参加した事に意義があるというのは、また別の話で、目標もなく試合に出てもそこにはそんなに意義はないと思います。毎回試合に出て目標を持って何かを乗り越えようと挑戦する姿勢に意味があり意義が生まれるのだと私は思います。私が試合に出場する人に望む事は相手には負けたとしても自分には負けないで欲しいという事です。自分に負けなかったら相手に勝つ事が出来るか?勝負はそんなに甘いものではありません。一瞬たりとも諦めていなくても、一瞬たりとも自分に負けていなくても、自分より才能や能力や体力や環境に恵まれた人に自分の夢を叩きのめされる事だってあります。でも負けたと言う事実に叩きのめされて欲しくない、負けたと言う事に負けて欲しくないと思います。世の中には受け入れがたい事実を受け入れなければならない事はたくさんあります。それを受け止めてまた立ち上がって前に進む強さを身に付けて欲しいと思います。なので負けてもメソメソしたりいつまでも落ち込んだ姿を人には見せないようにして欲しいと思います。自分の思い通りにならない事にいつまでもメソメソしたり落ち込んだ姿を人に見せる人は、私は人の事を思いやれない自分だけが良ければ良いという、自分勝手な人間だと思います。また勝ったからと言って過剰に喜んだりする人も勝ったと言う事実に自分が舞い上がらせられているという事ですし、負けた人を思いやれない、感謝の気持ちの足りない自分勝手な人間だと思います。勝った人は、人の夢や努力や情熱を踏み潰して勝利を得たのだから、負けた相手が「負けた事は辛い事だけど、負けた相手がこの人で良かった」と思ってもらえるような毅然とした態度であって欲しいと思います。出来るならば試合場や試合会場では負けた時も勝った時も毅然とした態度でいて欲しいと思います。それが本当の強さを持った人間だと思います。私はそんな生徒を育てたいです。最後にじゃあ私の中で何が生徒を褒める基準なのかと言えば、大きな声で挨拶や返事が出来、大きな気合を入れて一生懸命に稽古し、出来ない事を出来るようにしようと努力をし、挑戦する事を恐れず、後輩には優しく、時には厳しく面倒を見てあげ、人に対して思いやりがあり感謝と尊敬の気持ちを持って、自分の得た権利に対して責任と義務を果たし、人の役に立とうとする姿勢がある事です。このような事が出来ている人の事は結果はどうであれ、私は無条件に褒めてあげたいと思っています。
長男が日記を付け始めたそうです。その日記に腕立ての記録も書いているそうです。私が「明日は試合だから、今日は腕立て、やらなくてもいいんじゃない」と言ったら、長男は「日記に腕立てしたのを書くから腕立てはやらないと」と言って腕立てをしていました。本当に良い習慣を身に付けたなと思います。頑張って続けてくれればと思います。
私の仕事の1番素晴らしい言は、たくさんの人の人間のドラマを眼の前で見る事が出来ることです。そしてその人のドラマの中に登場する事が出来ます。明後日の日曜日に私の運営する道場の支部内試合が行われます。小学校六年生や中学三年生は、節目の試合となります。その子達にして見れば、ある意味卒業式みたいなものだと思います。だから三月の試合では私は涙を流してしまう事が多々あります。その子達の戦っている姿を見ながら、その子達が入門して来た時のことや、その子達の生きて来たドラマのあれこれが頭に浮かぶからです。私は本当は人の前で泣くのは好きではありません。なおかつ普段は生徒達の前では厳しい顔をしている人間なので、泣いている姿など見せたくはありません。苦しい悲しい時の涙は我慢出来るのですが、でも感動の涙は我慢しても自然に涙が止まらなくなってしまいます。今年はどんなドラマが生まれることやらです。
長男と次男がだんだん私をウザがるようになって来ました。次男から「パパは空手の話ばっかりするから嫌だ!」と言われ、長男からは「そうだパパは、違う話でも全部、空手の話にしちゃうからな!」と言われました。まあ最近は、私が小煩い話をし始めると、長男も次男も「また空手の話?また説教!」って顔をされます。もう少し子供達とは仲良くしていたいので、あまり煩い事ばかり言わないように気を付けたいと思います。妻にも「子供達に懐かれたいなら、子供達にちょっとイジられるぐらいにならないとダメだよ。」と言われます。私の夢は子供達に「親父、一緒に飲みに行こうよ!」と言われる事なので、少し自分改革をしていこうかな?と思っています。
東京も場所によっては桜が満開になって来ました。桜は一年に一度しか咲かないからこそ価値があると思います。一年中咲いている花ならば、わざわざ花見などしないと思います。一年に一度しか見る事が出来ないからこそ、わざわざ花見に行こうと思うのだと思います。桜と写る子供達の写真を見ると、本当に一年が過ぎて行く早さを感じさせられます。私は毎年、花見をする事を大切にしています。自分が生きている時間の中で、とても大切な時間だと思っています。
中村文則の「王国」を読み終わりました。とても感動した言葉があったので書いておきたいと思います。(今思えば、わたしがそれから口にした言葉は、わたしがいままで、誰からも言われたことのない言葉だった。「あなたが、必要なの。・・・・・わたしはあなたが必要で、だから、わたしはあなたのために何でもやるの。・・・・・この世界は、あなたの誕生を歓迎したの。少なくとも、わたしはそう。ようこそって。・・・・・あなた無愛想だし可愛げもないけど、別にいいじゃない。誰がどう思おうと、わたしが好きなんだから」)この世に生まれて来て、こんなふうに誰かに思ってもらえたとしたら、もうそれだけで自分がこの世に存在していることに価値があったと思えると思います。「誰がどう思おうと、わたしが好きなんだから」誰かにそんなふうに言われたら、それだけで幸せだと思う事が出来ると思います。
今は、こんなに本を読むのに、学生時代は何故あんなに勉強が嫌いだったのか?それこそ今は歴史の本なんて、こんなに読み漁っているのに、歴史の授業は嫌いで、歴史の教科書はあんなにつまらなかったのか?とても不思議です。歴史で私が興味があるのは、何故その人はその決断をしたのか?などの人間のドラマです。でも歴史の教科書は〜年に誰が何をしたなどしか書かれていませんでした。私は京都を観光するのが好きなので旅行の本もとても熱心に読むようになりました。戦国時代の誰がこの領地でここに川があったためにみたいな事を読む事から地理にも詳しくなりました。ですが学校での地理は全然興味が湧きませんでした。こうして考えてみると学校の勉強の中には私が人生の中で必要になりそうな事や、その時に求めていた事を学べる事が一つも無かったからだったように思います。もしあの時に極真空手の稽古方法や歴史を学べたら、言われなくても自分から勉強し全て暗記してテストでは100点をとっていたのでないかと思います。例えばゲームの好きな子が今やっているゲームを攻略する授業があったとしたら一生懸命に授業を受けるのではないかな?と思います。私の考えとしては一般社会で普通の会社に入って生きて行くのなら、中学校の勉強で充分生きて行くには困らないと思います。なのでそこからは、自分の生きて行きたい事やそれをやるために身に付けるべきの事を学んで行けば良いのではないか?と思います。そうしたら学ぶ事に目的が出来て、学ぶ事が楽しくなるのではないかな?と思います。私も空手の本なら分厚い難しい事が書いてある本でも集中して読む事が出来ます。そして空手の本には難しい漢字や読み方がたくさん出てくるのでそれを調べながら読むうちに漢字もたくさん覚える事が出来ました。おそらく学校で勉強しなかった分は取り戻したのではないかと思います。
私が中学生の頃によく聴いた好きだった曲の第3弾を書きます。因みに今書いているのは中学生の頃に聴いた曲なのでTHE BLUE HEARTSでは、セカンドアルバムのYOUNG AND PRETTYまでとなります。サードアルバムのTRAIN-TRAINは私が中学を卒業してからのアルバムなので、TRAIN-TRAIN、僕の右手、ラブレター、青空はとても好きな曲なのですがベスト5には入りませんでした。今日は私が中学生の頃、もっとも好きだった女性ボーカルのバンド、レベッカの好きな曲ベスト5を書きたいと思います。レベッカは、ハッキリ言ってしまえばNOKKOだけが好きで聴いていたバンドです。なので申し訳ありませんがNOKKO以外のメンバーは名前も知りません。とにかくそのぐらいNOKKOが好きでした。元気なダンスも歌も声もとても好きでした。1位は「WHEN A WOMAN LOVES A MAN」です。この曲を聴くと、今も中学生の時の甘い恋愛を思い出します。好きな子に公衆電話からドキドキしながら電話をかけ、その子のお父さんが出て「同じクラスの〜と申します。〜さんいらっしゃいますか?いらっしゃいましたらお願いします。」と言ったら、「いません」ガシャッと電話を切られた事や、好きな子と初めて一緒に花火をした事など思い出します。この曲の歌詞にある「不安とスリル、甘い予感と内緒のトキメキ」はまさにあの時のあの年齢の時にしか出来なかった甘い恋愛を歌った曲だと思い聴いていました。2位は「ラブ イズ cash」です。この曲は出だしの「来週の約束なんて興味ないわよ、素早く抱きしめて〜」と言うところが大好きです。3位は「76th Star」です。とにかくこの曲を歌ってるNOKKOが凄くカッコ良くて大好きです。4位は「プライベイト ヒロイン」です。この曲は元気な失恋ソングって感じでとても大好きです。5位は「ガールズ ブラボー」です。この曲はイントロから好きでノリも良くて歌詞にもあるように聴いているとじっとしてられない気分になる曲です。もっともっと好きな曲はたくさんあるので、またいつかレベッカの好きな曲ベスト6〜10位を書いてみたいと思います。
中村文則の「悪と仮面のルール」を読み終わりました。続けて中村文則の「掏摸(スリ)」を読んでいます。私は学生時代は勉強など全然しませんでしたし、本などは全然読みませんでした。ですが今はかなり本を読む方だと思います。本を読む事となったキッカケは何だったか?と考えるとやはり極真空手を始めたからだと思います。自分のモチベーションをあげるキッカケにしたいと思い、大山倍達総裁の本や空手家の本やスポーツ選手の本を読み、そこから剣豪などの本を読むようになり、司馬遼太郎の作品を読むようになり、そこからは読書が好きになりました。特に好きで読んでいるのは、遠藤周作、スティーヴン・キング、村上春樹、中村文則です。私はけっこう同じ作品を何度も読み返すのが好きです。年齢からなのか?自分に置かれた状況なのか?成長したためか?歳をとって老けたからなのか?その時々で感じ方も考え方も思う事も違います。
妻の体調が悪かったので、長男が夕食を作ってくれました。肉野菜炒めでした。タマネギもニンジンも長男が切って肉と一緒に炒めて味付けも自分でしたそうです。初めて長男が作ってくれた料理は、お世辞ではなく、とても美味しかったです。
kanno
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