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私が極真空手から、また極真空手の試合や、極真空手を学ぶ中で得た物は、心のやり取りと言うか、心の調和だと思います。私は極真空手の試合に出てたくさんの人と戦いました。130戦、日本人、ロシア人、ブラジル人、イラン人、カザススタン人、大きい人、小さい人、年上の人、年下の人、いろんな人と戦いました。お互いに道着を着て帯を締め、素手素足で、身体をぶつけ合いました。身体をぶつけ合うという事は、心をぶつけ合うという事です。言ってみれば究極の心のやり取りをしたと言っても過言ではないと思います。試合では、お互いの技を駆使して戦うのですが、その中で相手の心や考えを読んで、そこを突いて行かなければいけません。相手の苦手な動き、相手の得意な動き、相手の嫌がる技、相手が受けられない技、相手の強い技、などお互いの技を交換すると同時に、相手の諦めた瞬間など、ちょっとした心の動きも読んで相手を攻めて行きます。そのような心のやり取りを出来る人は、実生活でもそれを生かして行くことが出来ると思います。これは試合の中だけではなく、先輩の付き人をさせて頂いた中でも学びました。私は黒澤先生に厳しく躾けて頂いたおかげで、けっこう気が効くようになりました。相手の顔色を見るというか、気配を察知して行動が出来ました。そのおかげで先輩のセコンドや付き人をさせて頂き本当に可愛がって頂きました。この事は指導にも生きています。その生徒に今何が必要か?を察知する事が出来ます。もちろん私は神様ではありませんから間違う事もあります。でもほぼ間違う事はないと自負しています。この前も小さい道場生が道場の前で何度か泣いてしまうようになり、「じゃあ今度は頑張ろうね!約束だよ!」と帰したり、お母さんに見学して貰いながら稽古した日もありました。でもその日は今日は、泣いてしまっても稽古が遅れても、私がその子を抱いてお母さんに帰ってもらい1人で稽古させなくては、これを何度も繰り返してしまうな、今が大事だ、今が分岐点だ、今日がターニングポイントになるなと感じ、そうさせて頂きました。結果、5分ぐらい泣いていましたが、5分遅れで稽古を開始し最後まで稽古をする事が出来、笑顔で帰って行きました。その後も普通に笑顔で稽古に来ています。これは考えてわかる事ではなく、カッコ良く言えば私の中の感覚が「今が大事だよ」と囁いて教えてくれる感じです。人とガチンコで身体と心をぶつけ合ってむき合って来た中で養った極意とも言うべきものだと思っています。
まだ空手が唐手術と呼ばれていた頃の本を手に入れました。この本からどんな事が学べるのか?とても楽しみです。
私は1987年の11月に極真空手の第4回全世界空手道選手権大会を見て、極真空手というものを知りました。そこから映画「地上最強の空手」「地上最強の空手パート2」漫画「空手バカ一代」を見みて、大山倍達総裁の本を読みあさり、極真空手のビデオや格闘技雑誌などを読むようになり、完全な格闘技オタクというか極真空手オタクになりました。その時に、福島の街で誰が1番喧嘩が強いか?などという事に強さの価値観を持っていたのが、その今まで自分が持っていた強さの価値観を完全にブッ壊されたのです。世界一強い男は誰だ?それが私の価値観となりました。当時の私は身長172センチで体重は70キロ前後でした。体重無差別で素手素足で世界中の空手家が200人以上集まって大会を開く極真会館の試合が私には世界最強を決める場だと思いました。極真空手を始める事で、そこに自分もエントリーした気持ちになりました。そして忘れもしない1991年の第5回全世界空手道選手権大会を観に行き、自分と2つしか年の変わらないフランシスコ・フィリョ選手がアンディ・フグ選手を左上段廻し蹴りでノックアウトするのを見て、「自分も頑張らなくては行けない!」と思い、次の年には空手に全てを賭けようと東京に出てきました。当時の私の仲間で、極真空手の漫画や映画を観た時に「こんなの嘘だよ」とか「こんなの八百長だ」とか言った人もいました。それは本当にもったいない事だと思います。バカになって信じて騙させてみたら良いと思うのです。バカになって突き進んでいけば良いと思うのです。10代の私は極真空手にまんまと騙されました。それを私はラッキーだと思っています。若者の心を捉え騙せるような男に私もなりたいと思います。
何度かこの日記にも書いているとは思いますが、私は東京に来て28年になります。28年前ですから1993年に東京に来たという事になります。この年はJリーグやK-1グランプリが開催されたり、レインボーブリッジが開通したりした年でした。私は最初の2年は中野に住んでいました。その頃は中野のサンモール商店街や新中野や中野富士見町のあたりでよくご飯を食べていました。中野はけっこうお笑い芸人の方が住んで、私が東京に来て初めて見た芸能人もお笑い芸人の方でした。少し前にお笑い芸人の方が1993年に中野に住んでいた時のアパートに行くという番組があり見ていたら、私がよく言っていたお店の外観がチラッと映りすぐ場面が変わったのですが、私はすぐそのお店だと分かりました。そのあともう一度そのお店が少し大きく写るのを確認したらやはりそのお店でした。とても懐かしい気持ちになりました。26年経った今もそのお店があった事に驚きでしたし、心にグッと来るものがありました。近々そのお店に行って見ようと思います。あの頃よく食べていたメニューを食べたいと思います。いったいどんな味がするのでしょう?
今年の一月の半ばに右膝を手術して四か月が経ちました。先月の半ばまでは順調に回復していることを実感していたのですが、膝が良くなって来たと思い、少しトレーニングの強度を上げたら、また膝に水が溜まって腫れが出てきてしまいました。予定では五月には膝を完治させ本格的に稽古を始めようと思っていたのですが、私ももう48歳ですし、今までも身体を酷使して来たと言う事もあるからなのか?私の右膝は私の重い通りにはなってくれないようです。ダイエットのほうはゴールデンウィークはちょっとリラックスとリフレッシュしたので体重は89キロです。六月までまた頑張ってダイエットして80キロを目標にしたいと思います。まあでも今までの人生でやりたいことはほぼやったと思っているので、ここからは世のため人のために頑張ることにシフトチェンジしても良いかな?と思っています。いい機会なので、自分が競技に挑戦するなど、表舞台に立つことは終わりにしようと思います。これからは極真会館に恩返しをすること、家族を応援すること、道場生の目標達成のお手伝いに自分の力を注いでいきたいと思います。
長男と次男が母の日に私の母と電話で話していました。「何をしている時が楽しい?」と聞かれ、長男はギター、次男はプールと言っていました。空手ではないのか?と少し思いましたが、考えてみれば私も水泳をやっていた時期もありギターをやっていた時期もあったので、ある意味では2人とも私と同じ物を好きになっているのだと思います。健康や自分を律するためにも空手は一生続けて欲しいけれど、空手の選手になって欲しいとか、私の後を継いで道場をやって欲しいと思っている訳ではありません。自分が一生かけてやりたい事や生業にしたい物を早く見つけて生きて行ってくれればそれで良いです。長男は友達とバンドを組んでいるようで、その練習している動画を見せてもらいました。いつか長男がライブをやったら見てみたいなと思います。
私は家で家族と食べるごはんが1番好きです。たまに所用で外で会食をする事がありますが、それがご馳走して頂いている物だとしても、自分だけ美味しい物を食べている事に気が引けてしまい、心から美味しいと味わう事が出来ません。家で妻や子供達が美味しいと言って食べている姿を見ながら、一緒にごはんを食べると何を食べたって美味しいと思うし、とても幸せを感じます。私の父もそんな感じでした。自分あまり食べずに私達には「もっと食べろ、もっと食べろ、美味しかったらもっと注文してイイぞ」と言って、私達がたくさん食べている姿をとても嬉しそうにビールを飲見みながら見ていました。そして父は「いつか自分の力で美味しい物を食べれるように、たくさんお金を稼げる人間になれ」と言っていました。父が私に食べさせてくれたような物を子供達に食べさせてあげられるほど、私はお金を稼ぐ人間にはなれませんでしたが、子供達に食べ物には絶対に不自由はさせませんし、どんな時もみんなで「美味しいね」と笑顔で食事を出来る家族は作る事が出来ました。それもこれも妻のおかげなのでとても感謝しています。
朝一で床屋に行き、帰宅してから次男と松井館長の100人組手を見ました。昼に少しだけトレーニングしにジムへ行き、午後は昔の空手の先輩とお会いし、いろいろなお話をさせて頂きました。2時間ぐらいでしたが、とても楽しい貴重な時間を過ごさせて頂きました。
次男は私の笑いのツボです。次男の変顔やマッチョポーズを見ると本当に心から笑ってしまいます。最近は「カンナムスタイル」と言う曲を歌い踊っています。その曲は韓国語の曲なのですが、完全に歌えています。その姿がとても可愛くて本当に大好きです。そのひょうきんさでみんなを笑わせるような人生を生きてくれたら嬉しいなと思います。
今日はオンラインで行われる全国の支部長を対象とした型競技審判講習会が行われました。私は技術委員なので支部長ブレザーを着用して代官山道場で型競技審判講習会に参加しました。自分が型競技の試合に出場するようになった事から型競技を研究するようになり、また古伝の型や伝統派の型を研究するようになり、型競技の講習会で自分の意見や案をたくさん出していた事から、ある意味で立候補と言うか自選の形で技術委員会に参加させて頂けるようになり、その後正式に技術委員のメンバーに入れて頂き今に至ります。その始まりは、組手の苦手な人に活躍の場を作りたいという思いから、支部で型競技の試合を開催したいと思い、先ずは自分が型競技に挑戦し勉強しようという事で型競技の大会に出て、型を失敗し予選落ちをしたところが第一歩となりました。この最悪のスタートがここに繋がるとは誰も想像できなかったと思います。もちろん私も想像出来ませんでした。だから失敗なんて、あとで思い出せば良い思い出です。失敗なんて何も怖い事ではありません。失敗なんて何も恥ずかしい事ではありません。では何故、人は失敗を恐れ恥ずかしがるのか?それは人の目を気にするからです。人の評価を気にするからです。人の目なんて人の評価なんて関係ありません。笑いたい人には笑わせておけば良いのです。馬鹿にしたい人には馬鹿にさせておけば良いのです。人から何を言われようと一生懸命に挑戦して行けば良いのです。もし自分の側に、自分の失敗を一緒に笑ってくれる人がいてくれたら、それはとてもとても幸運な事です。でも自分の失敗を先ず自分が笑って見せなければ、誰も自分と一緒に笑ってはくれないと思います。
kanno
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