DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
私の人生を振り返り、自分が大人になったと思う時をあげると、全部で4回あります。先ずは親元を離れて東京に上京して1人暮らしをした時です。次は内弟子となり指導になった時です。次は自分の道場を持ち、自分の師匠と別れ1人で道場を運営するようになった時です。次は結婚し子供が出来た時です。細かい事はたくさんあるのですが、自分の大きな転換期となったところをあげてみました。親元を離れ、人に揉まれ、自分の事を自分の頭と体と経験で対処出来るようになり、自分の大切な人を守ってあげる事が出来るようになって、何とか大人として認められるのかなと思います。とは言え、良くも悪くも私にもまだまだ子供だなと思う部分もたくさんあります。
こんな事を書くと、こいつとうとう頭がおかしくなったのか?と思われるかもしれませんが、最近、私は人間の命って何だろう?人間の魂ってどこにあるのだろう?自分が自分と思うこの意識は何なのだろう?自分はどこで物を考え、どこで何かを思い、どこで人を好きになり、どこで怒り、どこで喜び、どこで何かを決めているのだろう。そんな事を真剣に考えています。何かを考えるという事で言えば、それは頭かな?と思います。悲しいとか、嬉しいとか、人を好きになったりすると言う気持ちの部分で言えば、それは胸の辺りかな?と思います。何かを決断したり、勇気を出して試合場に上がったりする時には、お腹のあたりかな?と思います。では魂ってどこにあるのだろう?と考えると、これは答えが出ません。頭とも胸とも腹とも言えるのではないかと思います。もしかしたら、どこにも無いのかも?と思ったりもします。空手の稽古をしている時にそんな事を感じる事がけっこうあります。
「やりたい事をやるって難しいよね」そう言われた事があります。私はやりたい事をやる事は簡単だと思っています。だってやりたい事をやれば良いだけだからです。でも本当の本当はみんなやりたい事をやっていると思います。もっと言ったら、みんな自分が1番やりたい事や自分が1番心地よい事をやっています。例えばある人が空手をやりたいと思っていたとしましょう。本当に本当にやりたいのなら、仕事が忙しくて空手が出来ないのなら、仕事を変えてでも空手をやると思います。人は絶対に何かと何かを天秤にかけて考えています。何かをやるならば、何かを捨てなければいけないからです。そして本当にやりたい事があるならば、何を捨ててでも、何を犠牲にしてでもやると思います。言ってみれば、やらない人だいうのは、やりたい事をやりたい気持ちもあるけど、今の生活も気に入っていて、それを捨てる苦労をするほど、やりたいわけではないという感じなんだと思います。だから人が本気で何かを始めたり、自分を変えたいと言う気持ちになる時は、今の自分が嫌いだ、今の生活が嫌だ、と本気で思う人なのではないかな?と思います。私は極真空手を始めるまで自分の事が大っ嫌いでした。このままの自分では生きている価値はない、と本気で思いました。本気で自分を変えようと極真空手を始めました。だからどんな辛い事があっても辞めなかったのだと思います。「生きているだけで自分は素晴らしい」それも真実だと思います。「どんな人だってオンリーワンだ」それも真実だと思います。でも10代の頃の自分がそんな事言われても全然心に響かなかったと思います。だって自分の事が大っ嫌いだったのですから、そんな事を言われたら、きっと私は「じゃあ何で生まれたままの姿でモテる奴もいれば、モテない奴もいて、駆けっこで1位になる奴もいれば、ビリになる奴もいて、お金持ちの家に生まれる奴もいれば、貧乏な家に生まれる奴もいるんだ。その人達の価値は本当に同じなんだな!」と怒ったと思います。
体重が87キロになりました。最初の予定よりはだいぶ長引いていますが、何とか着々と進んでいます。膝の具合は全然よくはなりません。もうこうなったらこの膝と一生持ちつ持たれつやって行こうと思います。もう少し膝の負担を減らしてあげるためにも、あと7キロぐらいは体重を減らしてあげたいと思います。自分のためにも頑張りたいと思います。少し時間はかかっていますが、今自分がやっているダイエットは間違っていないと確信しています。その証拠に週末に好きなものを食べて少し体重が上がっても月曜日に少し有酸素運動をすれば、体重がすぐもとに戻るようになりました。筋肉の量が増えた事で基礎代謝量が増えたので同じ有酸素運動でもカロリー消費が高くなったのだと思います。あと7キロ頑張ります!
「人生は何のためにあるのだろう?」誰でもそれを考えた事があると思います。私が初めてそれを強く考えたのは、高校を退学になってからでした。私が出した答えは「人生は、自分のためにある」と言うことと、「人生は、自分が生きているということを楽しむためにある」と言うことでした。だから私は自分が本当にやりたい事をやって生きて来ました。そのせいでずいぶん私の両親には苦労と迷惑をかけてしまいました。だから私の生き方を認めてくれた両親には本当に感謝しています。私は人生を楽しむ事は誰にでも出来ると思います。好きな事を仕事にすれば良い、それが出来なかったら好きな趣味を持てば良い、一緒に何かを楽しんでくれる友達を作れば良い、好きな人と結婚すれば良い、可愛い子供を作れば良い、美味しいものを食べれば良い、好きな芸能人を作れば良い、好きな映画を見れば良い、好きな音楽を聴けば良い、好きな絵を見れば良い、楽しい事なんて無限にあります。それをやる為になら、少しやりたくないことも頑張れるのではないか?と私は思います。私はもちろん空手は大好きです。でもそれは仕事でもありますから、楽しい楽しいだけではありません。年齢重ねるとともに少ししんどくもなっていますし、疲れる時ももちろんあります。そんな自分の中に出来た闇の部分を取り払ってくれるのは、週末の家族との食事です。私が1番楽しい時間です。妻や子供達と話していると1週間の疲れなんてぶっ飛んでしまいます。また1週間頑張る活力が生まれます。子供達が独り立ちしたら、妻と2人で旅行とかしたいなとかたくさんやりたい事があります。これからどんどん自分の人生を楽しくして行きたいと思います。
少し前に、転勤してしまう先生の離任式で長男が泣いていたという話を聞きました。長男はその先生に何年間か担任の先生としてお世話になったそうです。その先生の事を長男は好きだったようで、長男からその先生の話を聞いた事は何度もありました。離任式で生徒が泣いているなんて、昔の青春ドラマみたいだなと思いました。本当に良い先生だったのだと思います。そんな先生に出会えて長男は幸せだと思います。長男は一生その先生の事は忘れないだろうと思います。
たまに自分の日記を読み直したりします。最近も自分の日記を読み直してみました。自分で言うのもなんだけど、不器用なりに、馬鹿なりに、その時その時を一生懸命に生きているなと思いました。もちろん反省点は多々あります。でも自分や周りの人を裏切るような生き方だけはしていないと思います。これからもそうありたいと思います。自分の人生で1番辛かった時期は29歳から34歳までの5年間でした。29歳で道場を出して、自分の先生と、自分の所属していた支部がみんな組織を離れてしまい、全ての事を自分で考えてやらなくてはいけなくなり、なかなか道場の経営も運営も上手くいかず、自分の稽古も自分で考えてやるのですが、組手は相手がいないので、いろんな道場に出稽古に行かせていただきました。でも試合も思うような結果が出せず、ある意味ではずっと一人ぼっちの戦いでした。でもその時期の自分が人生で1番頑張っていたと思います。寝る時間も惜しんで一日中フル活動していました。その時期の苦労があったおかげで私は本当の意味で大人になれたと思います。34歳の終わりに妻と付き合う事になってから私の人生は激変しました。全てが楽しくなりました。そこからの私の人生はボーナスステージのように幸せです。妻や子供達のおかげで本当に楽しい毎日を過ごせています。感謝です。
私の父は、とても貧しい家に育ちました。兄弟が多いため歳で言えば、幼稚園児の頃一度は人の家に貰われる事となり、着る物も何も貧しくても食べる物が無くても良いから家にいたいと言って、とても遠いところから自分の足で歩いて家に帰り、自分の親に頼んで家に戻してもらったそうです。その後も学校にもあまり行けず、他の大きな畑を持つ農家に出稼ぎのような事をしたそうです。そのお金は親が前金で貰ってしまうそうです。そして家では、父がウサギを飼い、その毛を売っていたそうです。学校に行ってもお弁当を持っていけなかったそうです。家ではすいとんしか食べていないので、お弁当に出来ず、父はお弁当を忘れたと先生に言って、家にすいとんを食べに走って帰ったそうです。父は貧乏な事でとても苦労をしたそうです。ある日、父が歩いていると、農作業を終えた人がおにぎりを食べている所に偶然遭遇したそうです。その中の1人が「あの子の家は貧乏だから、おにぎりが欲しくて来たな」と言って「ほら、食べろ」と言って出したそうです。父は白飯など食べた事はほとんどないのに加え、とてもお腹が空いていて、喉から手が出るほど食べたかったけど、それを食べたら負けだと思い断ったそうです。本当はその近辺に用事があったそうですが、そのままずっと歩いて行ったそうです。悔しくて涙が止まらなかったそうです。食べ物にはとても苦労した父ですから、食べる事にはとても厳しかったです。父に「美味しいか?」と聴かれて「美味しい」と答えるのはありでしたが、食べ物に対して、私達が「美味しい」とか「不味い」とか言いながら食べていたら、「食べ物に対して美味しいとか不味いとか言わないで有難く食べろ」と言われました。でも父は「俺は貧乏でも、人にいじめられた事はない」と言っていました。父は中学もろくに出ていなく勉強は出来ないので、理論的に何かを私に教えてくれた事はありませんでしたが、男として生きて行くのに必要な事は私に対する態度で教えてくれました。
私には、行く時は楽しみなのに帰りは後悔しながら帰るという場所があります。それは「ラーメン二郎」三田本店です。1人で行くのは怖いので、妻を誘ったのですが、断られたので、仕方なく1人で行きました。言ってみれば共謀者が欲しかった訳です。朝の8時過ぎに家を出て、わざわざ田町駅まで電車で行き、並んでまでラーメンを食べてしまう、自分の浅ましさを感じながら、小ブタをにんにくマシマシ、カラメ、アブラで注文し、最高のラーメン一杯を食べます。ラーメン二郎三田本店に行った事がある方なら分かると思いますが、一杯の量たカロリーがとんでもありません。その最高のカロリーをペロリと食べて「あーあ!やっぱり美味い!」と最高の気持ちになります。しかし帰り途は、最高のカロリーを食べてしまった事を後悔しながら田町駅まで歩いて帰る事となります。まあ自分がやってしまった事ですから、自分で責任を取るしかありません。摂ったカロリーは今日1日の稽古で消費したいと思います。
私は神様を信じています。何が神様なのか?は正直、私には分かりません。でも神様の存在を感じるような出来事を何度も経験した事があります。神様の存在を感じるような経験というのは、私に都合が良い出来事では決してありません。今までの人生を振り返って、良い事も悪い事もひっくるめて考えた時に感じることです。今があるという事は、今までがあるという事です。良くも悪くも今までが少し違えば、今は無いわけです。だから今があるって本当に奇跡です。運命か偶然かわかりませんが、すごい確率の中で自分の道を選択し、良い事あり悪い事ありで、今があります。今、自分が生きている時間や場所から、この宇宙が出来たところまで振り返って見れば、細い細い一本道が自分の所まで続いて来た事となります。その道がどこかで途切れていれば、今の自分はありません。そんなの当たり前だろ?!と思う人もいると思いますが、本当に当たり前でしょうか?私にはどうしても当たり前とは思えません。そう思った時に、やはり神様を感じずにはいられないのです。何者かに守られて今があるとしか思えないのです。自分の所に命を繋げてくれた出来事や、自分の所に命を繋げてくれた人達や、この宇宙の万物に神様を感じ、感謝して生きて行きたいと思います。
kanno
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