DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
私は仕事の都合上、家族と夕食を共に出来るのは土曜日と日曜日だけなので、私はその時間をとても大切にしています。なので私は週末に飲みに行ったりする事はほとんどありません。子供達が子供でいる時間は限られた短い時間なので、その時間を出来るだけ一緒に過ごしたいと思います。家族が仲が良ければ子供達は間違った成長はしないと思います。1度は道を外したとしても、また元の道に戻ってくれると思います。家にいつも波風が立っていると子供は親から離れよう離れようとしてしまうと思います。だから私は極力、家では怒らないようにしています。子供達が人生で何かあった時に帰ってくる場所が家であってくれたら良いなと思います。
私は感動は自分で作り出すものだと思って頑張って生きてきました。何故なら自分で作り出した感動には、どんな感動も勝てないと思っていたからです。どんな音楽だってどんな映画だって、自分が作り出した出来事や、自分が作り出した物語の感動には勝てないと思っていたからです。現実に今まではそうでした。ですがこの前の長男が出演したギター教室のライブをyoutubeで見て、今まで自分が作り出した感動に負けないぐらいの感動でした。もしライブを実際に見ていたら涙が止まらなかったと思います。私は人が1番輝いている瞬間は、人が何かを頑張っている瞬間だと思います。ライブで弾き語りをしている長男はとても輝いていました。そして私に感動を与えてくれました。
私は子供達に「自分に嘘をつくな!自分がカッコ悪いと思う事はするな!自分がカッコ良いと思う事はやれ!」と言っています。自分にとって損か得か?自分の都合で自分にとって良い事か悪い事か?で考えると自分の正義を見失なって、悪いことやズルいことをしてしまいます。私にとっての善悪は、法律でもなく、常識でもなく、学校で教えてくれた道徳でもありません。私の善悪の基準の原点は、私の正義の基準の原点は漫画やアニメのヒーローだったように思います。だから私の中の正義は自分が得でもそれが自分がカッコ悪と思う事ならしたくないです。逆にどんなに自分にとって損な事になろうと自分がカッコ良いと思う事なら痩せ我慢をしてもやります。これが世の中の流れの常識にピッタリとはまっているかは分かりません。でも人の道を大きく外した事はないとないと思っています。
1年の半分が終わってしまいました。今年の初めに膝の手術があり、なんだかんだと忙しくはして来たのですが、気付いたらもうあっという間に1年の半分が終わってしまいました。毎年恒例のイベントや行事が無かったりするせいで、印象が残らないまま時間がスーッと流れてしまい、過ぎた時間に思い出がないせいで、早く感じてしまうのかもしれません。6月から自分の稽古も出来るようになりましたし、7月はセミコンタクト全国交流大会、東日本大会、夏季短期集中セミナー、8月は夏季通い合宿、極真祭、9月は昇級審査会とイベントや行事が怒涛のように続きますので、ここから半年は思い出がたくさん出来るようにしっかりと活動したいと思います。
今日は池袋にある極真会館総本部で仕事でした。2021年オンライン国際親善大会の審判の仕事でした。この仕事をする事でパソコンでの作業も覚え、全世界の型競技のレベルなどを見ることが出来て本当に勉強になりました。全世界に改定された型がしっかり普及して行っていると感じましたし、今後の型競技の発展を確信しました。東京城南京浜支部からも6名参加しているのですが、これからも極真会館の型競技の発展に尽力させて頂きたいと思います。
長男は昨日、ギターの発表会に出演しました。その模様がyoutubeで見る事が出来ました。長男はギターの先生と2人で「虹」を弾き語りしました。とてもカッコ良くて感動しました。長男に「ステージで歌って演奏するってどんな感じだった?」と聞いたら、長男は「お客さんの顔とかは暗くて全然見えなかったけど、凄く気持ちが良かった!」と言うので、「緊張しなかったの?」と聞いたら、長男は「全然緊張しなかった!」と言っていました。この経験が次のどんな経験に繋がってくれるのか?それを楽しみにしたいと思います。あと一つ嬉しかった事を書いておきます。私がお風呂に入っていたら、長男が来て「パパ、ギター発表会に出してくれてありがとう!」と言いました。これからも長男の夢を応援してあげたいと思います。
私が運営する極真会館東京城南京浜支部の夏季昇級審査会と組手競技支部内交流試合が行われました。初めて審査会や試合に参加する人もいて、生徒達の成長を感じる事が出来ました。昇級審査会の第2部では、課題が出来ないまま、受審した人達に私は結構厳しい事を言いました。審査会という場を借りて帯や級が上がると同時に自分も一つ成長したと実感して欲しいからです。取得した帯よりも大切な事は、その帯を取るためにどんな努力をしたか?どんな思いで審査会までの日々を過ごしたか?今まで出来なかった事が審査を受ける事で出来るようになった。その中での経験が自分を成長させてくれ、その経験がこれからの人生の糧になって行くのです。私は、受審者がそのような事を経験できる昇級審査会を提供したいと思っています。いつか自分の人生を振り返った時に「極真空手をやって良かった」と思って欲しいです。その言葉は師範、支部長という立場から言った言葉ではなく、みんなの極真空手の先輩として、みんなにはこう進んで行って欲しいと言う思いから言った言葉でした。新学年での組手競技支部内交流試合はとても良い試合がたくさんありました。これからの1年に期待が持てる内容だったと思います。少し悩んでいる事は、組手競技クラスの稽古に参加している人とそうでない人の実力に差が顕著に出て来てしまい、組手競技クラスに出ていない人は試合に出ても勝てない、そして試合にも出ない、となってしまっています。このままだとその人達はどんどん試合から足が遠のき、そのうち稽古からも足が遠のき、フェードアウトするように道場を辞めてしまうと思います。なんとかその人達も上に引っ張りあげたいと思いますし、その人達が活躍できる場を作りたいと思います。
長男がギター教室から帰ってきた時に「明日の発表会の練習は良くできた?」と聞いたら「うん!完璧!」と言いました。練習の動画を妻から見せてもらったら凄く上手に弾き語り出来ていました。もうそれだけで感動してしまいました。人が一生懸命頑張っている姿はとても輝いています。そしてそういう姿は大なり小なり人に感動を与えるものです。生きている間に人にどれだけ影響を与える事が出来るか?がその人がこの世から亡くなった時にその人の価値になるのだと思います。頑張って人に感動を与えるような人生を歩んで欲しいと思います。
だいぶ自分の思うように身体が動くようになって来ました。この夏はしっかりと稽古をして身体を作って行きたいと思います。ここから半年は気を抜かずに稽古に励んで今年の終わりには、何かの形でしっかりと稽古をした証しと言えるような結果を出したいと思っています。再来年の50歳の誕生日には自分が50年、頑張って生きて来たと人に胸を張って言えるような人間になっていたいと思います。
私は、今までの人生を自分の為だけに生きてきましたし、自分が本当にやりたい事をやって来ました。自分の為に自分の全ての行動があったと思います。とは言っても自分の行動が誰かのためになったことだって沢山あると言う気持はあります。でもその原点には自分の為と言う気持があったという事です。簡単に言えば、誰かのためにした行動の原点には自分の為という気持がいつもあったという事です。こんな言葉を言うと私は自分勝手な人間だと思われてしまうかもしれません。でも自分の行動に自分で責任を持つために、起きた事を誰かのせいにしないために、そして人に自分が思いもしなかった事をされたとしてもそれを恨みに思ったりしないために、私は全て自分の為にした事の結果だと思えるように、全ての行動の原点は自分の為に行うようにしています。
kanno
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