DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
湊かなえさんの「花の鎖」を読み終わりました。とても良い作品でした。買い溜めていた本を全部読んでしまったので、また良い本を探して買いに行きたいと思います。
今日は私の運営する極真会館東京城南京浜支部一年最後の昇級審査会と支部内交流試合でした。小学生低学年、小学生中学年、小学生高学年、中学生の4クラス共に生徒達の成長を感じる試合がたくさんありました。スタッフで手伝いをしてくれた、廣田さん、中村、平野さん、平澤、浜田さん、には心から感謝しています。またいつも道場にご協力頂いているご父兄様にも心から感謝しています。選手の皆さん、本当にお疲れ様でした。今年も残すところあと2週間です。この勢いでラストスパートで来年まで駆け抜けて行きたいと思います。来年は現5年生が6年生になります。6年生は来年が小学生最後の年となります。この数年は現5年生が東京城南京浜支部を牽引して来てくれたと思います。その子達の節目になるので、私も今まで以上に頑張って行きたいと思います。何が出来るか?何をすれば良いか?良く考え生徒達と稽古に励んで行きたいと思います。そして昨日の中学生の部で陽丘、理音、翼、巧、大地、洋志の戦っている姿を見て、この子達があと3年頑張ってくれれば、久しぶりに全日本空手道選手権大会に選手を送り出すことが出来るなとワクワクしてしまいました。隆昌と侑正もここに加わると思うので、来年は高校生の部の支部内交流試合も行えるかもしれません。大きな希望を持って来年に繋げて行こうと思います。とりあえず足元にある今を大切に頑張りたいと思います。
左足のお尻の付け根から脹脛にかけて痛みと痺れが出てしまいました。股関節が悪いのか?座骨神経痛なのか?ヘルニアの再発か?だと思うのですが、この年末の忙しい時にまったくという感じです。とりあえず来週に病院で診断を受けたいと思います。
12月も三分の一が過ぎて行きました。時間は一定のスピードで進んでいるので、おかしな表現かもしれませんが、クリスマスお正月に向けて、ここからさらに時間が過ぎて行くスピードがあがって行きます。この時期の時間のスピードが速く感じるのは慌ただしく時間が過ぎて行くからなのかもしれません。何はともあれ、2021年に悔いを残さないためにも残りの21日をしっかりと頑張って生活して行きたいと思います。
私の22歳〜27歳の頃の稽古ノート26冊をたまたま見つけました。そのノートに書いてある、自分が20代の頃にやっていた稽古やウエイトトレーニングのメニューを改めて見て、本当に自分は凄いことをやっていたんだなと感動してしまいました。私は1日8時間は稽古していました。稽古の時間が長いだけではなく、ミットのセット数、ウエイトトレーニングの記録に我ながら凄いと思いました。スクワット260キロ、ベンチプレス170キロとか、今では思いもつかない数字がサラッと書いてありました。その頃の自分を尊敬してしまいました。その頃の自分に負けないようにこれからも生きて行きたいと思いました
若い頃と同じような感覚で動いて組手をしている夢を見ました。左の蹴りが思うように相手にバシバシ入り「こんな感覚で動けるのも久しぶりだな」と思い嬉しくなってしまいました。そして目をさまし夢だと気が付きました。現実ではなかった事にガッカリしました。もう一度あの頃のように動けるようになる事は不可能な事だと思いますが、今の自分に身体の使い方で、あの時に負けないような組手が出来るようになる事を目指して稽古に励みたいと思います。
昨年2020年の10月20日(火)に右膝を痛めました。10月29日(木)に家の近くの整形外科に行きました。そこではそんなに悪くは無いと診断されましたが、しっかりと検査を受けたいので、大きな病院の紹介状を書いてもらいました。11月18日(水)に尾山台整形外科でレントゲンとMRIとCTの検査を受け、11月25日(水)に結果が出て、医師と相談し手術をする決断をしました。12月は手術の前になるべく筋肉を付けておくようにリハビリをしました。そして今年の1月12日(火)に最終的な検査を受け、1月13日(水)に入院し、1月14日(木)に手術をして、1月15日(金)に退院しました。そこからリハビリに励み頑張りましたが、4月30日(金)に膝に痛みと腫れが出てしまいました。5月6月は膝の状態は悪かったのですが、頑張ってリハビリに励みました。8月ぐらいに少しずつ膝の痛みと腫れが引いてきて、9月から自分の空手の稽古を始められるようになりました。今年は本当に大変でした。あまりこんな事は書きたくはないのですが、私は空手しか取り柄が無いので、右膝がもし回復しなく空手の稽古や指導が出来なくなったらと思うと、とても不安になりました。手術前は不安で不安でどうしようもない夜もありました。手術後も不安でしたが、4月の終わりに膝に痛みと腫れが出た時は本当に心が折れそうになりました。でも家族の笑顔や、生徒達の頑張っている姿や、ご父兄様から頂いた有難い言葉などに励まされ支えられ頑張る事が出来ました。本当にいろんな物やいろんな事に励まされた1年でした。道場で1人でストレッチやリハビリをしながらよく聴いていた曲がありました。その曲には本当に励ましてもらいました。その曲はYOASOBIの群青という曲でした。5月の絶望した時なんて、その曲を聴いて心にグッと来るものがありました。まだまだ身体に悪い所はたくさんありますが、今年1年で心は相当強くなったと思います。これからどんどん歳を取るのでどんどん悪い所も出てきて苦しくなるかもしれません。でも絶対にそんな事には負けません。この1年の頑張りでその自信が付きました。どんな身体になろうと空手の稽古も空手の指導も出来る自信が付きました。今年もあと少しですが残りもしっかり頑張りたいと思います。
私が全日本クラスの試合に出場出来るようになったのは22歳からでした。それから34歳まで現役として全日本に出ていたので、約12年間が本格的に試合に出場していた時期となります。17歳から試合に出て21歳までの4年はまだデビュー前という感じの時代だったと思います。でもその時期が1番稽古が楽しかったかもしれません。21歳から23歳までは通いで帯研や朝練に参加しながら試合に出場していました。23歳から27歳までの4年間は内弟子年目朝練に参加して試合に出場していました。この4年間は強い先輩方と毎日稽古するようになり、なかなか大変な時期でしたが、そのおかげで私も力を付けてきて試合でも勝てるようになりました。27歳後半から29歳前半までは先輩が出した道場で職員として給料を頂き、朝練で稽古に励みました。29歳で独立しました。34歳まで約5年間試合に出場しました。この5年間は出稽古に行ったり、自分で稽古のメニューを決めて、ほぼ一人で稽古をして試合に出場していました。考えてみるとこの頃が1番大変だったけど、この頃の経験が今の自分の指導体系の土台を作ってくれたと思っています。どの時期も凄く大切な経験で、その時期が無ければ、今の自分は確実に無かったと思います。
今日は午前中は、子供達と「ヴェノム」を観に川崎のTOHOシネマズに行きました。そのあと家族でインド料理を食べ、私は午後からプールに行き、1時間20分で2.2キロ泳ぎました。身体が慣れて来たのか、2キロぐらいは苦もなく泳げるようになりました。夜は昔一緒に稽古をした先輩方と忘年会をしました。同じ青春時代に選手をした稽古の思い出は話しても話しても尽きる事はありません。本当に良い時代に一緒に稽古させて頂きました。私の一生の財産です。でもその頃の財産にすがっていてはならないと思っています。毎日に頑張って稽古して進化していかないと先輩方に胸を張って会う事は出来ません。
湊かなえさんの「花の鎖」を読み始めました。映画を観る事や本を読む事や音楽を聴く事は自分の心を豊かにする事だと思います。自分が楽しい事だからやっているだけですが、楽しんで心が豊かになり知識を身に付けられるのですから一石二鳥どころか、一石三鳥と言う事になります。これからも頑張って続けたいと思います。
kanno
|