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妻へのクリスマスプレゼントをサプライズで渡しました。1週間ほどまえ妻に「アディダスのダウンっていくらぐらいしたの?」と聞かれたので、数日後に「何日かまえにアディダスのダウンっていくらぐらいしたの?って聞いたけど子供達に買ってあげようと思ってるの?」とプレゼントするとは分からないよう遠回しに探ってみたら、「福島に帰るのに、寒いからダウン良いかなと思って」と言ったので、「ヨシッ!これはサプライズのチャンスだ!」とアディダスのダウンジャケットを「少し早いけど、クリスマスプレゼント」と言って渡したら、妻はもうダウンジャケットを買っていました。そしてレディースの物はあまり良いものが無かったので、メンズのSサイズの物を買ったのですが、少しジャストすぎたかなと思いました。もう少し大きい方がカッコ良かっこ感じがしました。私はだいたいクリスマスプレゼントはサプライズで渡すのですが、あまり妻に喜んでもらえた事がありません。サプライズって無理ないか?って思いました。相手が何が欲しいか?どんなデザインか?服や指輪などならサイズは?など困難があり過ぎです。でもそれを聞いてしまったらサプライズにならないし、です。まあ妻も気を使って毎日着てくれているようです。僕ってサンタさんの才能ゼロだな!と思ってしまいました。
常に左の臀部から脹脛にかけて痺れと痛みがあるストレスと、少し歩くと屈んで休まなければならないので身体が上手く動かせないストレスと、思いっきり稽古が出来ないストレスと、この腰部脊柱管狭窄症が手術せずに治るのか?という不安のストレスでムシャクシャして思考が良い方向に行っていないと感じていました。こんな時は開き直って出来る事を思いっきりやろうと思い、プールに泳ぎに行きました。私は身体を動かして少し苦痛があり何かに頑張っている方が思考が深く暗くならずに物を考えられ良い思考になります。プールで泳ぐと腰の負担がなくなり、痺れと痛みを感じずに身体を動かす事が出来ます。プールに入り、取り敢えずクロールで泳げるだけ泳ごうと思い、泳ぎはしました。左の臀部から脹脛の痺れと痛みを感じずに泳げている爽快感でストレスが解消されて、泳いでいるうちにどんどん楽しくなり思考が良い方に行き、でも泳いでいる距離を忘れないようにしている事と、少し心肺と身体に苦痛があり、という事から思考が暗くなりすぎず深くなりすぎずで、とても気持ちよく泳いでいでいました。1キロを過ぎた頃、心肺と身体に苦痛が出て来て泳ぐ事に一心不乱になり、泳いでいる事に集中して行き、距離を数えるのが精一杯という感じになり、1.5キロの所で「昔は試合でこの距離を泳いでいたんだな?」と考えたあとは、アドレナリンが出たのか?泳いでも泳いでも全然苦しさがなく、泳いでいるのがとても楽しくなり、どこまでも泳げるような気持ちになりました。そうして結局2.1キロ泳いでしまいました。時計を見たら48分ぐらい経っていました。泳いでいる時に心がとても軽くなりました。そしてこの障害も乗り越えられる!絶対に治る!って思いました。やっぱり心の整理も考え事も身体を動かしている時が良いと改めて感じました。夜中に考え事は本当にダメですね。夜中にネットやyoutubeで腰部脊柱管狭窄症の事を調べていろいろ考えていたら本当に不安になり気が病んでしまいました。私の使っているタブレットと妻のスマホが情報を共有しているので、妻も私がそれを見ている事を知ったようで心配かけたと思います。夜中の考え事は気が病むだけで何にも繋がらないです。そして夜中に1人でお酒を飲んでる時に考え事なんかしたらもう最悪です。なんのプラスにもならないどころか、マイナスになってしまいます。プラスの事を思い付いたとしても、それは気が大きくなっている自分で、本来の自分ではない自分が思い付いた事なので、素面の自分には絶対に実行出来ないと思います。ながながといろいろ書きましたが、結論としてモヤモヤしている時は思いっきり身体を動かそうという事です。そして私はこの障害に絶対に負けないという事です。
遂に65個目の型を覚えました。身体があまり動かせないので取り敢えず動きの順番だけ覚えるように稽古しています。体重は87キロになりました。どうやら足を使うと痺れが酷くなるようです。何をしたらダメか、何が出来るか、何をどのぐらいしたらダメか、何はどのぐらいしても大丈夫か、が把握できてきましたので、取り敢えず出来る事をしっかりやってしっかり薬を飲んで休む時は休んで、この身体の障害と向き合って行きたいと思います。
腰部脊柱管狭窄症になった事は書いたのですが、なかなか大変です。5分ほど歩くと足の痺れが酷くて立ち止まって腰を前に屈めて休むと言う状態です。今もそうだけど、特に若い頃は体を酷使して来たので致し方ない事だと思っています。家族には心配と迷惑をかけて申し訳ないと思っています。特に妻を不安にさせて申し訳ないと思っています。でも私自身はなんら後悔はしていません。こうなる未来を知っていたとしても同じ事をしていたと思いますし、もっとやっていれば良かったと思っているぐらいです。チャンピオンになれるのなら自分の身体なんてどうなったって良いと思って試合にかけていました。たぶんあの当時に極真空手の選手をしていた人はみんな同じ気持ちなのではと思います。今でも何とか身体は動いているのでありがたい事だと思っています。でももう少し頑張って動いて欲しいと思っています。まだ動けなくなるわけには行きません。子供達が成人するまでは動けなくなるわけには行きません。まだまだ夢もあります。現在頑張って稽古している道場生の未来のためにもあと少し自分の身体に鞭を打って頑張りたいと思います。先ずはこの腰部脊柱管狭窄症が手術をせずに済む事を祈っている状態です。
朝一で映画を観に行きました。私と次男は「ヴェノム」を観て、長男は1人で「ボスベイビー」を観ました。私達は先に上映開始だったので映画観に入りました。長男は30分後なので映画館の前で待たせて「時間になったら入りなよ」と言ったのですが、少し不安だったので上映時間前に入口を観に行くと、もう映画館に入っているようでした。私達の方が先に終わったので出口で待っていると1人で出てきました。もう1人で映画を観る事が出来るようになったんだなと長男の成長を感じました。お昼ご飯は家族で一蘭でラーメンを食べて、午後は私と長男と次男でプールに行きました。次男は初めてクロールで25メートル泳げるようになりました。けっこう泳げていたのとしっかり息継も出来ていたので「パパが付いていてあげるから25メートル挑戦して見る?」と聴くと次男は「やって見る:と答えました。途中で泳げなくなっても大丈夫なようにプールの端を泳がせ、私も隣に付いて歩きました。最初に挑戦した1本目は20メートルで休んでしまいました。2本目も20メートルで休んでしまいました。3本目は25メートル泳ぐ事が出来ました。そこからは自信が付いたのか3本泳ぎ、全部休まないで泳ぐ事が出来ました。1本タイムを計ってみたら1分7秒でした。長男も頑張って1キロ泳ぎました。長男もけっこう泳ぎが上手くなって来ました。子供達とこうやって一緒にいられるのもあと何年だと思うので、子供達の時間を大切に過ごしたいと思います。
臀部が痛くなり痺れを感じてから2週間ほどして病院に行きました。その2週間、腰部脊柱管狭窄症でやってはいけない運動やストレッチをしてしまっていたせいで、余計悪くしてしまったようです。今は毎日薬を飲んでいます。なるべく腰部脊柱管狭窄症に悪い動きをしないようにしたいと思います。でも出来る事もたくさんあるのでそれをしっかりやって体重もしっかり落としていきたいと思います。今、体重は88キロなので今年中に85キロまで落としたいと思います。
体重が88キロになりました。当初の目標は85キロなので、あと8日間で残り3キロを落としたいと思います。頑張ります。
左足の痺れを病院で診断を受けました。腰部脊柱管狭窄症という診断でした。とりあえず薬で改善する事となりました。薬で改善しない場合は手術となってしまいます。薬で改善される事を祈ります。
身体が悪いので、プールに泳ぎに行きました。今日はクロールで1キロ止まらずに泳いでみました。そのあとバタフライで400メートル、背泳ぎ100メートル、平泳ぎ200メートル、バタ足で300メートル、クロールで25メートルダッシュ4本、ダウン4本で200メートルと2200メートル泳ぎました。子供の頃に覚えた事はすぐに身体に馴染むんだなと思いました。水の中を泳いでいると痛いところが解放されて、とても気持ちが良かったです。
朝7時過ぎには起きて事務仕事などをし、身体を痛めているせいで出来ない事ばかりですが、身体を整えるために柔軟体操を行いました。早く身体を治して思いっきり稽古がしたいです。
kanno
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