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私の運営する極真会館東京城南京浜支部の春季昇級審査会と組手競技支部内交流試合でした。いつもお手伝いをしてくれる平澤、中村、廣田さんには本当に感謝しています。今回は休会から復帰した瑛太郎も手伝ってくれました。道場の行事が運営出来るのは手伝ってくれる道場生のおかげです。本当に感謝しています。今回の第2部の審査会はとても良い審査会でした。全員が審査項目のほぼ全てをフルマークで合格してくれました。全員がしっかりと準備したんだなと嬉しくなりました。この数年の審査会で私は「何故、審査項目が分かっているのに、何故それを出来るようにしてこないの?出来ないと分かっていて審査を受けるのが恥ずかしくないの?」など厳しい事ばかり言う審査会になってしまっていました。今回はみんなを褒めてあげる事が出来る審査会で本当に嬉しく思いました。支部内交流試合では生徒達の成長がたくさん見る事が出来ました。特に中学生の部が7名で行えた事がとても嬉しかったです。
次男は紙でいろんな物を作るのが得意なようです。アベンジャーズに出てくるタイムストーンの首飾りやサノスが付け入る手袋など作って遊んでいます。とても上手に作っていてびっくりしました。長男はガンダムのプラモデルを買って帰って来ました。私が「プラモデル作れるの?」と聞いたら、長男は「作れるよ!当たり前でしょ!俺小5だよ!」と言われました。長男はものの30分ほどでプラモデルを完成させていました。子供はあっという間に成長してしまいますね。
金曜日の一般部は小学生高学年、中学生、4月から高校生になる人が9名集まって稽古しています。今日は廣田さんが参加したので10名の道場生が稽古に参加しました。やっと自分が本当にやりたかった内容の稽古が出来るようになりました。このメンバーでいつか稽古の後に一緒に酒が飲めたらなと思います。
最近、自分の若い頃の試合を見ました。その試合は1998年に舞浜駅の近くにある浦安市体育館で行われた千葉県空手道選手権大会でした。私は25歳でした。肉体的にはそろそろピークを迎える年齢でしたが、23歳と24歳の2年間は自分の思う結果も出ずに低迷していました。もうそろそろブレイクしないと空手の世界で生きて行くのも難しくなる年齢でした。とても焦っていましたし、結果が出ない自分にジレンマを抱いていました。その試合に28回全日本大会で18歳でデビューして前年に行われた世界大会の代表選手を2人も破ってしまい、彗星のように現れた野地竜太選手が出場すると聞いて、私は野地選手と戦うところをイメージして稽古しました。そして野地選手と当たるところまでを目標にしていました。お互い勝ち進み野地選手と準決勝戦で戦いました。私の人生で1番苦しい試合でした。本戦0-0延長1回2-0延長2回2-0で私に旗は上がっていましたが引き分けでした。体重判定のため体重計に乗り舞台に立って結果を待っていました。私はもう一回戦おうと呼吸を整えて次の準備をしていました。私が85キロで野地選手が95キロとアナウンスされました。私は計算が苦手なのもあり10キロピッタリは最後の延長戦だと思い心の中で「ヨシっ!もう一回だな」と気合を入れました。その瞬間に仲間達や会場がワーッと言う歓声が上がったので、自分が勝ったんだと思いました。映像に映る自分は、会場が歓声に包まれるなか、それを起こした本人が1番冷静で佇むように試合場に立っていました。その姿は私が1番憧れた人達の姿でした。その映像を49歳の自分が見て「なかなかイイ男だな!カッコイイな!」と思います。子供達や生徒達にも自慢して見せる事が出来る映像です。イイものを残して良かったなと思います。その映像に映る25歳の自分を尊敬するし感謝しています。25歳の自分に負けないよう頑張って生きたいと思います。
最近、次男とお互いに見た映画のストーリーや、登場人物の事や、登場人物が言ったセリフなどの事で言い合いになります。便利なものでネットで調べたい事をすぐに調べる事が出来るので、どちらの言っている事が正しいか、ネットで調べてみます。残念な事にいつも次男の言っている事の方が正しいです。次男の「ほらね」という顔と、妻の冷ややかな顔と長男の呆れた顔を見て、私はただただ苦笑いをするしかありません。小2に負けてしまう私の理解力って何なんだろう?と自分でも落ち込んでしまいます。ですがその理解力のなさが私に良い事をもたらしてくれる事もあります。それは同じ作品を何度も楽しく見る事が出来ることです。見るたびに新しい発見があるので飽きずに同じ作品を何度も楽しんで見ることが出来ます。そして最終的には、結構深い理解を得る事が出来て、自分にの中で新たな感性が生まれたりします。だからこれはこれで良かったのかと思います。
この前の日曜日は長男の通っているギター教室のライブでした。長男はお友達とバンドを組んで名探偵コナンのテーマを演奏しました。長男のお友達もたくさん見に来てくれてとても嬉しかったと思います。長男は演奏を終えてステージから降りてくると「あー気持ち良かった!もう終わっちゃったよー!」と言っていました。そして次のライブで何を演奏するかを相方の友達と話していました。その長男の気持ちは私もすごく分かります。その気持ちがなくなった時が引退の時なんだと思います。だから「あー気持ち良かった!もう終わっちゃったよー!」と言っている長男を見て、とても懐かしい気持ちになりましたし、とてもうらやましい気持ちになりました。そしてその気持ちを持っているのなら、プロのギターリストになる可能性もあるのかな?と思いました。何はともあれ、何かを頑張っている姿はとてもカッコイイので、頑張って続けて欲しいなと思います。
2022国際オンライン型競技空手道選手権大会の型の撮影日でした。東京城南京浜支部からは紫牟田芽生、松井真生、岸之上巧、水岡翼の4名がエントリーしました。みんな良い型を演じていました。私は自分の道場に入門した生徒に多くのチャンスをあげたいと思っています。道場生が頑張れるステージを1つでも多く用意してあげたいと思いますし、道場生が輝けるステージを1つでも多く用意してあげたいと思っています。自分が一生懸命になれる舞台を見つけて頑張って欲しいと思います。
長男の通っているギター教室のライブでした。長男は仲の良い友達と一緒にギターを演奏しました。長男の学校の先生やお友達も見に来てくれていて、長男もとても嬉しかったと思います。ギターを弾いている長男はとてもカッコ良かったです。何かを一生懸命に頑張っている姿は、人に何かを感じさせる力があります。長男はギターリストになりたいと言っています。長男は4月からは藤沢にある今通っているギター教室の本部の教室に通います。私はお金持では無いので、申し訳ないのですが、無いものは出す事は出来ませんが、かじれるだけスネをかじってくれれば良いと思っています。自分の人生は自分が楽しむためにあります。好きなギターの腕1本でご飯を食べてこの世の中を渡っていけたらそれはそれは楽しいだろうと思います。自分が納得行くまで夢を追いかけて答えを出して欲しいと思います。
今日も頑張ってプールで泳ぎました。水泳は私がこの世に生まれて、初めて私に自信という物を与えてくれたものでした。もし私が水泳をやらなかったらただの落ちこぼれで人生を終えていたかもしれません。逆に水泳で自信がついた事で、良くも悪くもいろんな事に対して積極的に取り組めるようになったと思います。私は小学3年生まで泳ぐ事が出来ませんでした。それは息継ぎが出来ないためでした。泳げるようになったきっかけは母に川に突き落とされたからです。私はひっしに泳いで向こう岸まで行きました。たぶん15メートルぐらいだと思います。もうその時は怖かったのと怒りと安堵感で、母に泣きじゃくって怒りました。それからはどんどん泳げるようになり、2年後には学校を代表して市の大会に出ていたのですから人生というのは本当に分からないものです。小学6年生の時は100mクロールでは県大会で優勝や入賞をし、50mクロールでその年の福島県10傑の8位になりました。高校を退学になり水泳の道が閉ざされてからは、あの時に水泳を止めなければならないような事をしてしまった事をずっと後悔して生きてきました。自分がこの世で初めて見つけた人より優れていた才能を自分の犯した事でそれが出来なくなってしまった事をずっと悔やんで生きてきました。なので水泳を見るのも嫌になってしまいました。ですが腰部脊柱管狭窄症になり、出来る事は水泳でした。また水泳に助けてもらう事となりました。あの時もし母に川に突き落とされていなければ、今の自分はいないのかもしれません。でも下手したらあの時、溺れ死んでいた可能性もありますから、私の運命はあの時に変わったのだと思います。
数日前の菅野日記で、私は自分の現役生活を振り返って反省と後悔だらけだと書きました。これは本当に正直な気持ちです。でも結局はこれも結果論で同じ事をしていたとしても自分がチャンピオンになっていれば反省も後悔もないわけです。私は特にラストの4年間は誰よりも稽古をしたという自負もあるけれど、結果を出せなかった事で反省が残り、自分が1番肉体的にピークだった25歳から27歳の時に不摂生から怪我をして約半年稽古が出来なくなった事に後悔が残りました。ですが極真空手をやらなければ良かったと思ったか?と言うとそれは微塵にも思いませんでした。最後の試合の後も試合場と会場に「極真空手のおかげでたくさんの事を学ばせてもらえました。ありがとうございました。」と礼をしました。そして極真空手をやった事でたくさんの人と出会わせて頂きました。すごい先生方に空手を習い、凄い人達と稽古や試合で拳と足をぶつけ合う事が出来たのです。そしてたくさんの良い思い出が作れました。本当にたくさんの財産が出来ました。極真空手をやって本当に良かったと思っています。3度生まれ変わったって極真空手をやりたいと思っています。これからは私がそれを生徒に経験させてあげる番です。今15〜11歳ぐらいの生徒がたくさんいて一般部で稽古を頑張っています。みんなで切磋琢磨して夢を実現できたらと思っています。現役を終えた今、先輩方や同輩や後輩とその頃の話を肴にお酒を飲んだりします。今の生徒達もそれをさせてあげたいと思っています。
kanno
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