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2022年08月04日(木) 未だに

もうすぐ50歳になるというのに、未だに強くなりたいという気持は衰えません。東京リベンジャーズとか見たら、未だに熱くなります。たぶんこの性格は死ぬまで変わらないだろうと思います。そして変わりたくないと思っています。強くなりたいと言う事が私の強烈な個性だと思いますし、その事が辛い時も苦しい時も自分を支えてくれましたし、その事が道を外れてしまいそうな時にも正しい道へ戻してくれました。逆にこの部分がなくなったら自分に価値などないと思っています。何歳になっても戦える人間でいたいと思っています。


2022年08月03日(水) 子供達への想い

子供達がご飯をたくさん食べているとなんかとても安心します。なんでなのか?分かりませんが何故か子供達がたくさん食べているところを見るととても幸せな気持ちになります。私の父も私がたくさん食べると喜んでくれました。だから私もそうなのかもしれません。子供のためにしている事は子供のためというよりも、自分がそうしたいからしているのだと思います。私がそうしたいのです。子供達が美味しい物をたくさん食べて喜んでいる姿を私が見たいからしているのです。それが私の幸せなのです。自分の幸せのためにしてあげている事なのです。だから私は子供達に恩を着せる気持ちはありませんし、子供達が私に感謝してくれなかったとしても、それはそれで良いです。ただ子供達には人に感謝出来ない人間にはなって欲しくないと思っています。いつか子供達は親離れして行くと思います。というか早く親離れして欲しいと思います。親から離れて自分の決めた道を歩んで欲しいと思います。特に父親は子供にうざがられてなんぼなので仕方ないと思っています。子供達はお母さんは好きなので、私に連絡してこなくても母親と仲良くしてくれれば良いと思っています。お母さんに会いたいから家に帰って来てくれれば、結局は私も子供達に会えるのでそんな感じで良いかなと思っています。子供達が妻に甘えている姿を見ると寂しくなる時もありますが、子供達はお母さんの身体の中で育った時期もあり、ある一時期は四六時中ずっとお母さんに見守ってもらっていたのですから、やっぱり父親はそこの絆には入り込めないんだろうなと素直に認めています。長男は私が家に帰って来てリビングにいると自分が寝ている部屋にスッと行ってしまうので、あと数年で親離れすると思います。次男は私に反抗はするもののまだ可愛いところを見せてきたりするのであと少しは懐いてくれると思います。2人とも男の子だから、いつかは親離れどころか、親を超えて行くのだと思います。


2022年08月02日(火) 明日のために

少し前に「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」と言う私の好きな言葉を書きました。この言葉から、明日、世界が滅亡しようとも未来のために何かをする事は素晴らしいと言う事と、明日、世界が滅亡するとしても自分がやりたいと思える価値の有る事が自分にあるか?と言う事と、明日、世界が滅亡するならば自分は何がしたいか?と言う事を私は考えます。私はやらなければいけない事に追われて1日が終わるのは嫌です。やらなければ行けない事に追われて疲れてしまい、やりたい事がやれないで1日が終わるのは嫌です。自分が本当にやりたい事をやれないで終わる人生なんて絶対に嫌です。1日の中で必ず私は明日のために何かをやるようにしています。未来のために自分が何かを頑張る時間を作るようにしています。空手の本を読んで勉強する事もそうですし、新しい型を覚える事もそうですし、トレーニングする事もそうです。仕事とはいえ、子供達に空手を教える事は未来のためにりんごの木を植える晴らしい事だと誇りをもってやっています。そう考えると私は全ての時間を自分の本当にやりたい事のために使えていると言えます。その自分のために行っている事がほぼ全て明日のために未来のために繋がっていると思っていますし、自分が本当にやりたい事がほぼ全て明日のために未来のために繋がっていると思っています。自分が本当にやりたい事を人より早く見つけて、誰になんと言われようとそれを目指して貫いて行けば、必ずそのやりたい事は実現すると思います。それが実現したら、もう人生はゴールしたも同然です。


2022年08月01日(月) 夏季短期集中セミナー後期始まる

今日から夏季短期集中セミナー後期が始まりました。前期から参加している道場生もいますが、なかなか大変だろうと思います。でも2週間、決まった時間に家を出て、決まった時間に道場に来て頑張って稽古したら、技術や体力だけではなく、精神的にも強くなって成長出来ると思います。疲れた身体に鞭を打って、疲れから落ちている気持ちを奮い立たせて、頑張って稽古したら、この先、待っているだろう苦しい事にも向かって行けると思います。人生は辛いものです。生きていれば苦しい事も辛い事も悲しい事もたくさんあります。子供の頃から自分の身体と心に見合った辛さに立ち向かって克服して行けば、自分の前にある苦労に自ら立ち向かっていけて、苦しいながらも楽しんで頑張れる人間になれると思います。私はイヤイヤでも苦労はたくさんしたほうが良いと思います。でも自ら望んでする苦労はもっと良いと思います。だから「苦労は買ってでもしろ」しろではなく、「苦労は買ってしろ」だと思います。させられた苦労より、自ら望んでした苦労に価値が生まれます。自分で行きたいと言って、セミナーに頑張って来ている道場生達は本当に素晴らしいと思います。私もその道場生がセミナーに来て良かった、また子供達をセミナーに参加させて頂きましたご父兄様に、子供達をセミナーに参加させて良かったと思って頂けるよう頑張ります。


2022年07月31日(日) ジュラシック・ワールド

息子達と「ジュラシック・ワールド 新たなる支配者」を川崎のTOHOシネマズに観に行きました。「ジュラシック・パーク」は私が20歳で東京に来た年に上映しました。私は新宿のコマ劇場のあたりの映画館に観に行きました。立ち見で観ました。映像の凄さに凄い衝撃を受けたのを覚えています。それから29年後の今日、その作品の最後と言われる作品を息子達と観に行きました。とても感慨深いものがあります。たぶん息子達もいつか私と観た作品や妻と観た作品の続編やリメイク版などの作品を観る時が来るだろうと思います。やっぱり映画はハッピーエンドが良いです。物語は皆が幸せになって欲しいです。「ジュラシック・ワールド」は最後がとても良かったです。


2022年07月30日(土) 変化を進化に

明日は道場はお休みなので、今日で7月の稽古は終了しました。だらだらしていたら時間はどんどん過ぎて行きます。時間にも時代にも世の中にも社会にも置き去りにされないように活動して行かなくてはならないと思います。常に自分のやることに信念を持って真剣な気持で一生懸命に活動して行きたいと思います。8月28日に雑色商店街のサマーフェスティバルで演武をさせて頂ける事になりました。世の中の情勢をよく見ていかなければならないとは思いますが、出来る事は最大限やって行きたいと思います。世の中の変化に対応して変化を進化にしていかなくてはならないと思っています。


2022年07月29日(金) 1段低くなる

右足の装具のヒールの高さが1段低くなりました。手術の傷跡も完全に治りました。まだ再断裂の可能性が高い時期らしいので、気を抜かずに気を付けて生活して行きたいと思います。来月の19日にヒールの高さが1段低くなるので、そのあたりからだいぶ動けるようになるのではと思います。早く道着を来て、皆と身体を動かして稽古が出来るようになりたいです。早くミットを叩いたり蹴ったりしたいです。早く組手をしたいです。あと3ヶ月ぐらいかなと思っています。


2022年07月28日(木) この出来事は

50歳を前にアキレス腱断裂をした事は、もしかしたら自分にとってとても必要な事だったのではないか?と思います。この出来事は50歳からの人生をどう生きて行くか?を考えさせてくれました。アキレス腱を断裂しなければ、この勢いで50歳を突っ切ってやれー!的な感じになっていたと思います。でもアキレス腱を断裂した事によって、1度立ち止まらせられました。でも立ち止まる事によって自分を見つめ直したり、この先の事を考えたりする時間を作る事が出来ました。自分が何をやりたいのか?自分が何をしなければいけないのか?それを考えさせられる時間となりました。今年で道場を開設して20周年ですが、浮かれている場合でも喜んでいる場合でもないぞ!と気が付かされた感じがします。そしてこの50歳になるこれからの人生の事をしっかり考えろ!と気が付かされた感じがします。この出来事は自分にとってとても重要な事だったと思います。


2022年07月27日(水) そう悪くない

私は人生で1度だけ試合場で相手の上段廻し蹴りで一本負けして、試合場で意識を失った事があります。2004年4月の千葉県大会の準々決勝での試合でした。私は31歳で前年の世界大会に出場が叶わず、引退も頭に過ぎったのですが、その年のお正月に4年後の世界大会を目指そうと現役続行を決断して、1番最初の試合でした。前々年に城南支部は極真会館を脱退し、極真会館に残った仲間もみんな前年に引退し、ある意味では一人ぼっちのスタートでした。でも私はここから一人で頑張った4年が自分が1番頑張った時期だと思っていますし、この4年にたくさんの事を学ぶことが出来ました。私はこの試合に向けて、誰に叱られなくても手を抜かず稽古することが出来ました。試合の前日には39度の熱を出し一睡も出来ずに試合に臨みましたが、弱気になることはありませんでした。何故か分かりませんが、絶対に優勝する自信がありました。そして試合でも絶好調でした。2回戦3回戦では180センチ以上ある勢いのある若手2人を完封して準々決勝に臨みました。準々決勝でもほぼワンサイドで試合を進めて行きました。そして最後の決めにラッシュをかけたところで意識が途切れ、目を覚ますとそこは控室でした。私が倒れるのと試合終了の太鼓が同時だったそうです。私は試合場で意識を取り戻し、挨拶をして試合場を降りて、相手にも挨拶に行ったそうなのですが、それは記憶にはありません。私は控室で意識を取り戻した時に思った事は、「一本負けもそう悪くない」でした。それは何故かと言うと、私は試合中に一瞬も諦めることなく最後まで戦いました。もっと言ったらその年の始めから自分に厳しい時間を過ごし、自分に負けることなく試合に臨み、最後の一瞬まで諦めることなく、自分の意識が途切れたのです。たぶん私はあの場でもう二度と意識を取り戻すことがなかったとしても、悔いはなかったと思います。だから一本負けもそう悪くないと思ったのです。私は意識を取り戻し、ワールド空手のインタビューを受けました。インタビュー中に私は涙が出てきました。悲しくて悔しくて泣いたのではありません。自分に負けずに頑張って来た日々を思い出し、よく頑張ったなと感極まって涙が出てきたのです。私がこの世から去る時も同じようでいたいです。死ぬのもそう悪くないと言えたらと思います。でも私という意識がある限りは私は自分に負けないで頑張りたいと思います。私の最後の目標は「死ぬのもそう悪くない」と言ってこの世を去る事です。


2022年07月26日(火) ギリギリのラインを攻める

何処かを怪我した時に、ある一時期は安静にしておく事はとても大切なのだと思いますが、歳を取ってくると身体の回復力が遅いため、完治するまでに時間がかかります。完治するまで安静にしていたら、身体の他の場所の筋力や機能が衰えてしまい、元の状態に身体を戻すのは難しくなってしまいます。怪我した場所も完治するまで動かさないでいたら、完治した時には、神経も筋力も機能も落ちてしまい、元の動きは出来なくなってしまう可能性があります。なので私はなるべく悪いところも動かすようにしていますし、動かせるところは前以上に動かすようにしています。私は右足のアキレス腱を断裂しました。私は元に戻りたいわけではありません。前よりも強くなりたいのです。元に戻るだけなんてつまらないし、そんなところを目標にしていたら、たぶん元よりちょい下ぐらいにしか戻らないと思います。前以上を目標にすれば元に戻ることなんて簡単なはずです。私はやって見せます。49歳でアキレス腱断裂しようと前より強くなれることを証明したいと思います。練習は不可能を可能にします。私は空手家です。身体が動かなくなったらおしまいです。前以上の自分になる努力をしなくなったらおしまいです。強くなりたいという情熱がなくなったらおしまいです。やれる事とやれない事のギリギリのラインを攻めて、必ず試合に出れる心と身体を作って見せます。言ったからにはやって見せます。


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