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ここ最近で1番嬉しかった事は、ここ10年ほど慢性的に肩を痛めていたために出来なかったベンチプレスが、何故か肩が良くなり出来るようになった事です。ウエイトトレーニングと言えば、先ずはベンチプレスです。ウエイトトレーニングの代名詞と言っても良いと思いますし、男だったら厚い胸板になりたいと思うはずです。私も初めて行ったウエイトトレーニングはベンチプレスでした。空手の先輩と何キロ上がるか?競い合いながらベンチプレスをしたものです。なのでまたベンチプレスが出来るようになって、とても嬉しいです。とりあえず20キロを10回からはじめ、40キロ10回、60キロ10回、70キロ10回、80キロ10回までは余裕で出来たので、100キロに挑戦したら余裕で上がりました。昔とった杵柄と言うか腐っても鯛と言うか、ベンチプレスは出来なくても、それ以外の部分は鍛え続けて来ましたので、それほど衰えてはいなかったようです。私は20代の頃はベンチプレスはMAXで170キロ上がりました。150キロなら5回は上げる事が出来ました。100キロなんて10回以上は余裕で上げる事が出来たので、49歳でも100キロが上がるのは当然と言えば当然です。怪我に気を付けながら鍛え直して、来年はベンチプレス150キロを目指したいと思います。今が人世で1番楽しくウエイトトレーニングをしている気がします。ウエイトトレーニングは努力が記録と身体に結果が現れるので、自分の前進が顕著に見えてとても楽しいです。トレーニングを頑張ると自然と食事にも気を付けるようになります。トレーニングの努力とトレーニングの効果を無駄にしたくないので、しっかり身体に良い物を摂るようになります。カッコイイ50歳を目指して頑張ります!
アキレス腱断裂から3か月と7日が経ち、基本稽古の全ての技を行えるようになりました。基本稽古は全身を左右対称に稽古するので、全身をバランス良く鍛える事が出来ます。立って稽古が出来るので本当に良い稽古になります。基本を疎かにするなかれ、と言う大山倍達総裁の声が聞こえて来ます。毎日、基本稽古を50本行えば必ず健康になります。基本稽古を100本行えば必ず強くなると思います。私も指導とは別に毎日基本稽古をしっかりやりたいと思います。
「ワンピースFILM RED」を観に行きました。今回は2回目なので、さらに内容が把握できて、新たな発見もあり、さらに感動してしまいました。シャンクスもルフィもとてもカッコ良かったです。シャンクスは仲間を裏切らないし仲間のためなら真剣に怒るし命を懸けても戦います。シャンクスはいつも笑っています。シャンクスは仲間を許します。シャンクスはくだらない事では怒らないし、戦いません。子供達もシャンクスが心の中にいれば、自分がカッコイイと思える本当に正しい行動が出来る人間になると思います。でもこれは学校で教える道徳とはかけ離れていますし、その行動から社会的責任をとらなくてはならない事があるかもしれません。本当に正しい事をするためには法律など守っていられない事だってあります。でもそれは個人の問題です。国が法律に則って動かなくなれば世の中は上手く回らなくなると思います。本当に正しいと思うのなら1人で立ち上がって行動を起こすしかないのだと思います。でもそこにはいつか本当の仲間が集まるのだと思います。
子供達に、ふと言われた「パパ、おやすみ!」その言葉だけでどれだけ頑張れるか分かりません。言葉は魔法です。言葉には力があります。でも私はそんな可愛げのある言葉を両親に言う事が出来ていたのか?と考えると正直、分かりません。たぶん私は可愛げのない子供だったと思います。長男も次男も私にはとっては100点の子供達です。良いところも悪いところも同じように愛しています。自分から自然に出た言葉で人を元気に出来たならそれは素晴らしい事です。
足のトレーニングも結構しっかりとやっています。スクワットなど足を地面に付けてのトレーニングは出来ませんが、レッグエクステンションやレッグカールやヒップアブダクションやヒップアダクションなどを行っています。自重でカールレイズなども出来るようになりました。怪我に気を付けて少しずつ足腰も前の状態に戻して行きたいと思っています。時間はかかるかも知れませんが、前以上に強くなりたいと思っています。
もう自分でフライングしてしまい、装具を着けずに生活していますが、今日で装具の高さがフラットになりました。これで2週間を過ごし、2週間後に装具を外し、そこから3ヶ月後からスポーツ復帰となります。ですが私は自分の身体としっかり相談して自分で決めたいと思っています。私の身体は私が1番よく知っているはずです。出来ないと思えばやりませんし、出来ると思えばやります。誰よりも自分の身体を動かして来たと自負していますし、自分の身体の限界もたくさん体験したので、自分の身体の限界は自分で把握していると思っています。怪我は時間をかければ放っておいても治ります。でもそれでは前より衰えた状態で治るだけです。私は自分の身体の機能を衰えさせずにそしてある意味では前以上の状態にしたいのです。そのためには限界ギリギリの所を攻めて怪我を治して早く回復させたいと思っています。もうびっこを引かずに歩くことも出来ていますので、10月半ばにはウォーキングを始めたいと思います。そして11月半ばに稽古復帰したいと思っています。来年の末か、再来年の春に試合に国際親善大会のマスターズに出場したいと思います。成せば成る、成さねばならぬ何事も、成さぬは人の成さぬなりけり、です。今日はとても嬉しい事がありました。私の担当医に「前より筋肉デカくなってますよね!足を使えないから上半身のトレーニングをたくさんやったのですか?」 と言われました。私はアクシデントで進化する人間です。自分の築き上げて来た物が壊れたら、もちろん私も凹みます。でももう一度作り直そうと決めたなら、必ず前よりは大きい物を作る事を目標として頑張ります。私は国際親善大会の組手乃マスターズで準決勝でした。型競技35歳以上の部も準優勝でした。セミコンタクトルール全国交流大会35歳以上の部も準優勝でした。全日本型競技35歳以上の部は優勝でしたが、国際大会ではありません。私がまだ手にしてない物は国際大会の優勝です。それを手にしたら、前以上になったと胸を張って言えると思います。
9月7日に受けた内視鏡的大腸ポリープ切除術で切除したポリープの病理組織検査の結果が出ました。ポリープは良性の物で悪性ではありませんでした。これで一安心です。もう何度もポリープが見つかっているので、医師からは必ず2年おきに検査を受けるように言われました。自分の命と身体を大切にするために2年おきに内視鏡検査を受けて行こうと思います。
昨日は、右足の装具を付けずに1日を過ごしたのですが、太腿と脹脛がパンパンになり、昨日はしっかり入浴をしてストレッチとマッサージをして根ましたが、今日は大筋肉痛です。でもとても嬉しいです。それだけ足に負荷をかける事が出来た証拠ですし、回復すれば足の筋肉も発達して行きます。そして筋肉痛になるほど歩けた事が嬉しいです。歩いただけで筋肉痛になるという事はずいぶん弱くなっているという事なので、地道に鍛えて行きたいと思います。早くミットを打ったり蹴ったり出来るようになりたいです。早く型を思いっきり出来るようになりたいです。早く組手が出来るようになりたいです。あと一息です。
今日でアキレス腱を断裂してから3ヶ月が経ちました。まだ医師の許可は出ていないどころか、16日に装具の高さがフラットな状態になるのですが、今日の朝の呼吸法とストレッチをしてみて、右の足首の柔軟性と筋力から、装具が無くても歩ける事を確信したので、両足にスニーカーを履いて外出しました。3ヶ月ぶりに代官山道場まで行き技術委員会に参加しました。歩くところからしっかりとリハビリを進めて行きたいと思います。ただ気を付けなくてはいけないのは、周りの人は健常者だと思って接してきますから、歩いている時や座っている時もぶつかられたりしないように気を付けなければいけません。3ヶ月、本当に長かったです。ここまで頑張って来て、再断裂したり、逆の足のアキレス腱を断裂したりしたら元の木阿弥になってしまうので、よくよく気を付けなくて行動したいと思います。
私は34歳で現役の選手を引退しました。15歳で巍桜流拳法を始めて、17歳で極真会館に入門して、22歳で全日本ウエイト制にデビューして、23歳で黒帯を取得して無差別の全日本にデビューして34歳までやったので、結構頑張ったと思います。考えれば反省は有るものの、最後の1年間はどんなに苦しくても稽古を休んだり、自分に負けたと思うような事はしなかったので、悔いはありません。引退した理由は、身体の疲れが全然取れずいつも倦怠感があり、毎日が苦しかったので、この1年を最後と決めて頑張ろう、そのかわりどんな結果が出たとしても悔いが残らないように1年を過ごそうと思ったからです。そして夢は叶いませんでしたが、その場では燃え尽きました。その時に思った事は、夢が叶わなかったからこそ、自分は絶対に幸せになろう!でした。その時に妻が私に連絡をして来てくれました。6月に引退して、8月に妻が連絡してくれて、2人で、ハワイアンズに遊びに行きました。この人ともし結婚出来たら、自分は幸せになれると思いました。この人ともし結婚出来たら、夢が叶わなかった事も全部ぶっ飛ばして自分は幸せになれると思いました。私は全力で頑張りました。自分の人生がかかった真剣勝負でした。妻と結婚できた時に、これは今まで頑張った自分への神様からのご褒美だと思いました。それから15年が経ちました。私は今もずっと幸せです。なのであの時に引退を決めた自分の判断はナイスだったと思っています。
kanno
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