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2025年06月14日(土) 貧しても鈍しないように

やりたい事はやれば良いと思います。やろうと思って行動をすればやりたい事は必ずやる事ができます。でもそのやりたい事をやるためには、やりたい事の倍以上やりたくない事をやらなければいけなくなります。やりたい事だけをやって上手く行った事は私はありません。そのやりたくない事を倍以上やる事が出来る人が自分が本当にやりたい事をやるという事を実現させられる人だと思います。私が今、恐ろしいと思う事は日々の日常やらなければ行けない事に追われて自分が本当にやりたかった事を忘れてしまう事です。やりたい事のためにお金を稼ぐ事はとても良い事だと思いますが、贅沢をしてお金が無いために身を粉にしてお金を稼ぐだけで1日が終わり、自分が本当にやりたかった事をやらずに人生が終わってしまうなら、その人の人生に、生きた意味はあったのだろうか?生きた証は残せたのだろうか?と思ってしまいます。十数年前に親友化から「貧すれば鈍する」と言う言葉を教えてもらいました。貧乏になると、精神的な働きが鈍くなる、と言う意味です。お金がないと幸せに生きる事は出来ません。やりたい事も出来ません。だから必要なら身を粉にしてお金を稼ぐ必要があります。でも仕事に疲れて残っている時間を無駄にしてしまっては生きている意味が無くなってしまいます。貧しても鈍しないように心がけたいと私は思っています。やりたい事のためにやりたくない事を頑張って、残った時間は本当にやりたい事の準備をして、お金を無駄遣いしないでしっかりとお金を貯めて、いつか本当にやりたい事を実現させたいと思います。


2025年06月13日(金) カルペディエム

「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える。」という言葉が好きな事を少し前に書きました。この言葉とセットで私は「カルペディエム」と言う言葉も好きです。この2つの言葉は私の中ではセットです。「カルペディエム」とは今を生きるとか今を楽しむとか今と言う時間を謳歌して生きると言う事です。りんごの木を植えると言う事は私の中では今を生きると言う事です。今という時間を一生懸命に生きる事が後にその一生懸命に頑張った事が実りりんごなるのだと思います。今、一生懸命に頑張っている自分を未来の自分が、あの時、頑張って、りんごの木を植えた自分がいたから今、自分はりんごを手にしているんだ、そしてそのりんごのおかげでたくさんの人が幸せになっているんだと、りんごの木を植えた時の自分に感謝していたいです。今という時間を一生懸命に頑張って謳歌する事でりんごが出来ると思っています。そして今を楽しみたいと思います。今を一生懸命に頑張るという事は今を謳歌する事は決して楽しい事ではありません。じゃあ「カルペディエム」じゃないじゃないか?!と思うかもしれません。たしかに今を一生懸命に頑張るという事は苦しい事も辛い事もあります。でも頑張っている時は充実していますし希望があります。これを頑張ればいつかこうなれる!と言う希望を抱いて頑張っていれば、それはとても楽しくなります。今日は朝7時半から10時半まで仕事をし、11時10分から13時までウエイトトレーニングと柔軟体操と呼吸法と瞑想を行い、14時30分から15時20分までランニングをし、16時から20時50分まで通常の指導を行い、21時から22時30分まで個人レッスンを行いました。本当に今日を頑張ったと思います。今を生きたしりんごの木を植えたと思っています。今を一生懸命に生きる事が今を楽しむ事です。それが私のカルペディエムです。


2025年06月12日(木) ひとくずを3回目

「ひとくず」3回目を見ました。何回見ても泣いてしまいます。この作品を見ていて本当に昭和を感じます。作品の中に出てくるエピソードは私の身近にたくさんありました。金政を見ていると私の父と少しダブってしまいます。長男もこの作品を見ましたが、長男も感動したと言っていました。


2025年06月11日(水) 起承転結

当たり前の事ですが、今という瞬間は今しかありません。私は時間と言う物がどう言う物なのか?は分かりません。もしかしたら時計のようにグルグルと回っているのかも知れませんし、螺旋階段のようになっているのかも知れませんし、一直線のようになっているのかも知れませんし、もしかしたら時間と言う物は無いのかも知れません。私には分かりません。分からないのですが、やはり漠然とですが、自分の生きている時間は生まれた所から死ぬ所まで一直線だと思っています。何故ならば自分にとっては同じ年も同じ日も同じ時間も無い訳で、毎年が新しい年で毎日が新しい日で一瞬一瞬が同じではない大切な物だと思うからです。どこを切り取っても私にとって無くてはならない大切な一瞬です。死ぬ時だって私にとっては自分の最期という大切な一瞬です。その大切な一瞬を同じような物にならないよう一生懸命に生きたいと思っています。私が死ぬ時に人生を振り返り、自分の人生にしっかりと起承転結があって欲しいなと思います。


2025年06月10日(火) 何かを始める事に

私は何かを始める事に早いとか遅いとかと言う事はないと思っています。たとえそれが死ぬ前の日だったとしても私はやりたい事があるならやるべきだと思いますし、始めたい事があるなら始めるべきだと思います。死ぬ前の日にやりたい事があるなんてそれはそれで素晴らしいのではないかと思います。私の好きな言葉に「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える」と言う言葉があります。何かを始める時に、始めるには遅いからと言い訳をして始めなかったら自分も未来も変わりません。結果を考えてしまうから始めるのが遅いなどと思ってしまうのです。結果など考えないで始めて見ればよいのです。今の自分はこれからの自分の人生で1番若い自分なんです。何かを始める事には希望があります。何かを始めれば必ず自分も変わって行き、そして未来も変わって行きます。そんな希望を持って結果の事なんて考えないで勇気を出して一歩踏み出して何かを始めて見て欲しいと思います。始めたいと思った自分の素晴らしい情熱を無駄にしないで欲しいと思います。私も6月から新しい事を始めました。自分のために、妻のために、長男のために、次男のために、道場のために、生徒達のために、自分の未来のために、私は毎日汗水をたらしてりんごの木を植えて行きたいと思います。


2025年06月09日(月) 久しぶりに

昨日、ボクシングの試合を観ていました。増田陸選手の試合がとても凄かったです。1ラウンドの87秒で左ストレート一発ノックアウトと凄かったのですが、試合の前や試合中や試合の後の振る舞いが本当に素晴らしかったです。勝ったことに浮かれるような態度も見せず、相手に対する尊敬や感謝の気持ちも見えて、試合場を降りると試合場に礼をし、花道ではお客さんに礼をして帰っていきました。とても好感が持ててファンになってしまいました。格闘技が好きな人には、選手のそう言う立ち振舞までをよく見て、称賛を送って応援して欲しいなと思います。私は堤聖也選手も好きなので、2人の対戦が実現したらどちらも応援したいと思います。


2025年06月08日(日) けっこう大人

長男とも次男とけっこう大人の会話が出来るようになって来ました。プロ野球の事を話したら長男にいろんな事を教えられるし、映画の話をすると次男の方が私より内容を理解していて、いろんな事を教えられたりします。もう2人ともすっかり大人です。叱る時も頭ごなしにものを言っても理屈で返されてしまいます。特に長男はもうそれなりに大人のあつかいをしてあげなければ行けないんだろうと思います。でもやっぱり長男も次男もまだまだ子供のバカさズルさダラシなさがあるのでそこは親としてしっかり叱ってあげなければいけないと思います。


2025年06月07日(土) 俺は幸せだー!

妻と少し言い合いになり、プチ家出をして六郷神社のお祭りに行き、そのあと居酒屋で1人でお酒を飲みました。帰りに疲れてベンチに座っていると長男と次男が私を迎えに来てくれました。とても嬉しかったです。長男と次男と歩いている時に「俺は幸せだー!」って思いました。


2025年06月06日(金) 新しい仕事

新しい仕事を初めてから1週目が終わりました。なかなか大変だなと言うのが感想です。仕事の内容は葬儀場の1階から5階までの男子と女子のトイレを掃除すると言うものです。なので10個のトイレを掃除します。男子は大の便器が1つ小の便器が3つです。女子は大の便器が3つです。そして洗面台が両方2つづつです。4階のみ障害者用の個室トイレがあります。そこも掃除します。床も掃除をします。ゴミも捨てます。消毒もします。最後に使った掃除用具を洗います。1階を約30分で終わらせないと全てのトイレを掃除する事は出来ません。なかなか大変です。でもやって出来ないほど大変ではありせん。コツを掴めばもっと要領良く正確かつスピーディーに出来るはずです。先ずは3年頑張ろうと思います。


2025年06月05日(木) 引退した理由と妻への

私が選手として引退したのは、自分の心も身体ももう限界だと感じたからでした。その頃は疲労で朝起きると毎日ダルい感じでした。そのダルい心と身体を引きずるように毎日頑張っていましたが、ゴールを決める事で自分に残っている力を全て出そうと思い引退をかけて最後の年を頑張りました。ですが自分の思い描いた結果を出す事は出来ませんでした。その時に思った事は「こんなに自分は頑張ったけどダメだったのだから、もう思い残す事はない、でも最後と決めた日から最後の試合まで自分には負けなかったのだから悔いはない、これからは自分が幸せになれるように頑張ろう!」でした。そんな時に疎遠になっていた人と一緒に遊びに行く事になりました。それが私の妻でした。それから連絡を取り合うようになりました。私は現役時代は携帯電話を持っていませんでしたが、妻と連絡を取り合う為に携帯電話を買いました。そして忘れもしない2007年10月28日(日)に妻に告白をしました。その時は車の中でした。次の信号が赤になったら告白しようと決めていました。そして信号が赤になって車が止まった時に妻に「もし良かったら付き合って下さい。」と言いました。その時、車の中はシーンとしていて、自分の心臓の音がドキンドキンと聴こえていました。そして私は今とても幸せです。叶えたい夢が叶わなかった私に頑張ったご褒美を神様がくれたものが妻と長男と次男だと思っています。この幸せを失わないよう頑張って行こうと思います。


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